2007年03月


 どうにもこうにも、毎日モヤモヤした気持ちが続きます。慰安婦問題をめぐって、無知と偏見といじめ心理に基づく米国の対日批判が続いているからです。自らを一方的に正義の高見に置いて他者を非難している人が、実は自分の足場が砂上の楼閣であるということに気付いていないというのは滑稽ですが、危なくて笑えません。いつか足元が崩れたとき、逆切れしてくる可能性がありますし。

 どうしたら比較的多くの人に分かってもらえるのか。別に私がじたばたしても仕方がないのですが、本当にどう訴えるのが一番有効なのかと悩む日々です。日本が困る姿を、特定アジアの国々がほくそえんで見ていることを思うと、とても悔しくもあります。

 私は、昨年7月3日のエントリ「上田知事発言と、つかこうへいさんの言葉」の中で、直木賞作家で在日韓国人2世のつか氏に、慰安婦問題で10年前にインタビューした際のことを書きました。つか氏は、マスコミの報道の影響で悲惨な境遇にあったと信じていた慰安婦たちが、元兵士や慰安所関係者らに取材し、勉強すればするほど必ずしもそうは言えなかった実態に気付き、見方が変わったことを話してくれました。

 そこで本日は、そのつか氏の著書「娘に語る祖国 満州駅伝-従軍慰安婦編」(光文社、サイン本)から、そのまま文章を引用させてもらいたいと思います。愛娘に語りかける口調で書かれた文章がとても分かりやすく、説得力がありますので。

 《(前略)ふと見ると、隣の人が読んでいる新聞に「慰安婦」の文字が見えます。
 それは、補償を求める団体の記事のようでした。
 慰安婦の実態を考えると分からなくなってきます。この記事とパパが取材した話とのあまりの違いに、溜め息が出そうになりました。
 戦争とは一体なんだったんでしょう。(中略)

 その人は、今はある会社の社長さんをしているとのことでした。
 取材をお願いしたパパに、とても快くいろいろと話して聞かせてくれたのです。(中略)

 「報道とはすこし違うという感覚でしょうか」
 「はい。慰安婦はいましたが、そもそも従軍という言葉が違うんじゃないでしょうか。慰安婦は二通りあったんじゃないかと思います。騙した騙されたは知りませんが、慰安婦と知らずに連れてこられて、慰安婦にされてしまったという女と、最初から慰安婦だと言って募集して、その代わりおカネはこれだけやるんだと、ペイはするんだということで集められてきた女と。
 どっちだか知っているのは、朝鮮の村のボスだけでしょうね。
 ただ、少なくともわれわれ軍隊では、従軍なんて言わなかった。直接日本軍が関与したというよりも、言ってみりゃ女衒というか、仕切っていたのが朝鮮の人間であり、日本の商売人であったというのが本当のところじゃないでしょうか。
 従軍なんて言葉ができたのはごく最近なんじゃないですかね。戦後になってからも、従軍という言葉はなかったですよ。おそらく新聞なんか見てみたって、従軍慰安婦なんていうのは書いてなかったと思います。
 従軍記者とか、従軍看護婦ってのはいましたが、従軍看護婦なんて言っていないはずです。少なくともわれわれが軍隊時代にはピー屋って言って『おまえたち従軍慰安婦』なんて言ったことないです。
 従軍と言うと、部隊が移動すると、慰安婦も一緒に移動してったというイメージがありますが、東寧ではそんなことはありませんでした。ですから、ピー屋というのもバラックづくりのようなものじゃなくて、ちゃんとした建物なんですね。それほど立派な建物ではないですが、ちゃんとそこで生活できるような施設になっていました。
 私は将校でしたから、朝鮮半島出身の女のいるピー屋じゃなくて、日本人の、いわゆる三流芸者のピー屋に通っていました。将校専用っていうわけじゃないですが、将校は兵隊さんと一緒のとこで遊んではいけないという不文律があるんですよ。禁じられるとなおさらということなのでしょうが、若い将校が朝鮮の慰安婦と恋に落ちて、なんかゲーテのロマンスみたいなものはよく起こりましたよ」
 「ロマンスですか」
 「惚れ合っちゃって、別れられないというんで、自殺したの、心中するの、というような話を聞いたことがあります。
 当時のカネでピー屋で遊ぶと5円ぐらいかかったかな。いや、そんなにかからなかったか。二、三円でしたか。将校の給料が、僕がいろんな手当てとか加算されて九十円。大学卒のサラリーマンが大体五十円から六十円でした。九十円仮にもらったとするでしょう。そのうち三十円が官舎の費用になっちゃうんですよ。官舎の費用というのは、食事とか、着るものとかで、将校になると、官費給付じゃなくなりますから。それが全部で月に三十円ぐらいかかったね。それから三十円が親元送金のために天引きされるんですよ。(中略)」
 「ピー屋というのは、軍隊が管理していたんですか」
 「いや、実質的には衛生面だけでした。これは性病が蔓延したら困るからということで、軍医が定期的に、半ば強制的に検査をして、という衛生管理はありましたよ。(攻略)」》

 このつか氏の取材の情景が、事実そのものなのか、あるいは物語として脚色を加えたものかはちょっと判別できませんが、こういう実態が普通であったことは、他所の事例からも明らかでしょう。つか氏は本の中で「実はね、パパはいろいろな人に取材をしたんだけど、従軍慰安婦の人たちは必ずしも悲惨じゃなかったんだ」と語っています。

 もちろん、時と場所によっては、より過酷な環境や境遇があったかもしれないことは否定しませんが、それにしたって今、米国から口を極めて非難されているような「20世紀最大の人身売買」であったり、「性奴隷化」だとはとても思えません。米下院の対日非難決議案には「性的な暴力は手足などの切断、死、あるいは結果的な自殺などを招いた」と決め付けていますが、手足の切断っていったい…。

 また、私が尊敬する故・坂本多加雄学習院大教授の著書「歴史教育を考える」(PHP新書)の「相手を尊重することにならない加害者意識」という章で、次のように書いています。平成14年にまだ52歳の若さで亡くなった坂本氏が健在なら、保守論壇は今よりずっと元気だったろうと惜しまれてなりません。

 《自国を加害者と見なし、それに対応して、相手方を被害者として眺めることから始めるのは、両国についての理解を非常に歪んだ一面的なものにしてしまい、それこそ、真の相互理解を困難にしてしまうであろう。さらに言えば、こうした見方は、ともすれば、相手のアイデンティティそのものを単なる同情すべき無力な被害者のイメージで理解することになりかねない。そして、それは、相手方の尊厳を真に尊重することにはならないのである》

 私も、サヨク・リベラルの人のように、やたらと他国を被害者として扱いたがるのは、逆に相手をバカにし、舐めきっているからできるのだろうな、と常々感じてきました。彼らが、朝鮮半島から20万人の女性を強制連行して慰安婦にしたなんていう虚構を平気で言えるのも、朝鮮半島の人はそんなたくさんの同胞が連れ去られるのを黙って見逃した無力・無気力な人だと決めつけることですから。

 私が韓国人か北朝鮮人だったら、そんな侮辱的な発言は絶対に許さないだろうとも思います。相手に同情し、理解しているふりをして(主観的には理解しているつもりかもしれませんが)、実際は貶めているようないやらしさを感じます。元慰安婦の人にしても、それぞれ家庭の事情やら何やらいろいろと大変なことがあったのでしょうが、みんなまとめて一括りに「かわいそうな人」としてしまっては、逆に彼女達の人生を侮辱することになるような気もします。


 さきほど参院予算委員会を見ていたところ、社民党の福島瑞穂党首が質問に立ち、慰安婦問題に対する安倍首相の物言いについて文句をつけていました。安倍氏が「広義の強制性」(本人の意に反して慰安婦となったことや、慰安所での一定の拘束)と「狭義の強制性」(官憲による強制連行)を区別し、後者はなかったとしていることが、よほど気に食わないようでした。

 この問題では、朝日新聞も社説や記者会見などで、よく「両者を区別することにどんな意味があるのか」とか「そんな分かりにくい言葉は通用しないのではないか」と、福島氏と同じように安倍氏を批判したり、質問したりしています。でもねぇ、この「強制性」という言葉は、当初は慰安婦の強制連行を自明の事実のように報じていた朝日が、強制連行説が否定されて旗色が悪くなってから論点をずらすために盛んに使い出した言葉でしょうに。

 10年前の平成9年3月31日付の朝日の社説「歴史から目をそらすまい」は、次のように書いています。

 《(前略)これらの主張に共通するのは、日本軍が直接に強制連行をしたか否か、という狭い視点で問題をとらえよえうとする傾向だ。
 しかし、そのような議論の立て方は、問題の本質を見誤るものだ。資料や証言をみれば、慰安婦の募集や移送、管理などを通して、全体として強制と呼ぶべき実感があったのは明らかである。》

 朝日は当初は、女子挺身隊と慰安婦を意図的に混同して報じたり、吉田清治氏という職業的詐話師の述べる「慰安婦狩り」といったでたらめ話を事実であるかのように報じ、それらのウソがばれると、いつのまにか「問題は強制連行の有無ではない」として、過去記事を訂正せずに全体としての強制性の話ばかり書くようになりましたね。

 で、この社説から10年後の今年3月6日付の社説「いらぬ誤解を招くまい」を読んでみて、昔から進歩していないのだなあ、と改めて感じた次第です。この社説には、こうありました。

 《(前略)いわゆる従軍慰安婦の募集や移送、管理などを通じて、全体として強制性を認めるべき実態があったことは明らかだろう。河野談話もそうした認識に立っている。細かな定義や区別にことさらこだわるのは、日本を代表する立場の首相として潔い態度とは言えない。》

 同じ論説委員が書いたのでしょうか、あるいは参考にしただけかもしれませんが、そっくりな言い回しですね。自分たちの誤報・捏造記事が火をつけ、作り上げた慰安婦問題について、四の五の言わずに潔く全部受け入れろというわけです。国民にこれほど大迷惑をかけているというのに、これほど開き直った傲慢不遜な態度があっていいものでしょうか。

 そもそも慰安婦問題は、日本軍・官憲による強制連行だったという誤解があったからこそ、ここまで国際的に大きな問題となったのでしょうに。その原点を「細かい」と言われてしまうと論議になりません。まだまだ突っ込みどころは満載の社説ですが、きょうは忙しいのでここまでにします。しかし、この新聞の体質にはつくづく呆れ果ててしまいます…。

 ※追伸 一体だれが何を勘違いしたのか、28日に「阿比留のブログ」出版記念パーティーとやらを開くことになりました。ベストセラーになったから、というのならまだ分かるのですが、売れてもいないうちに何のつもりなのか何の思惑があるのか、私にもよくわからないのです。で、イザのトップページで参加者募集が行われています。明らかに悪乗りのたぐいだと思うのですが、有り難くも酔狂な方はどうかお申し込みください。一体どんなパーティーになるのやら…。


 本日は防衛大学校の卒業式があり、安倍首相が訓示を行いました。このこと自体は恒例行事であり、別に珍しくも何ともないのですが、訓示の中身が非常に興味深いものでした。政治家のあいさつは、対象(聴衆)に向けて話すようでいて、他の政治家へのメッセージだったり、自身の心境の吐露だったりするわけですが、この安倍氏の訓示も何かとても意味深に感じました。

 《(前略)諸君は、将来、自衛隊の幹部として様々な部署で活躍されることとなるわけであります。そうした諸君に、餞に次のことを申し上げたいと思います。
 それは、「思索し、決断する幹部であってほしい」ということであります。
 チャーチルは、その回顧録(「第二次世界大戦」第一章「勝者の愚行」)でこう述べています。
 「慎重と自制を説く忠言が、いかに致命的危険の主因となり得るか、また、安全と平穏の生活を求めて採用された中道は、いかに災害の中心点へ結びつくかを、われわれは知るであろう。」
 ここには、チャーチル独特のレトリックもあるのでしょうが、チェンバレン内閣がとった宥和政策を始め第二次世界大戦に至る様々な事件を自らの体験に照らした上での含蓄ある表現だと思います。
 特に申し上げたいのは、諸君が将来直面するであろう「危機」に臨んでは、右と左とを足して二で割るような結論が、こうした状況に真に適合したものとはならないということであります。様々な情報を幅広く収集し、情報を的確に分析し、時に応じて自らの信じるところに従って的確な決断をすることが必要となるのです。(攻略)》

 いかがでしょうか。私は、防大の卒業生に贈ることばとしては、かなり型破りな印象を受けました。というよりも、日本の首相が公的・儀礼的な場で述べるあいさつとしては、ここまで自分の考えというか「思想」を前面に打ち出したものは、これまで聞いたことがなかったようにも思います。また、安倍氏が具体的にだれと何をイメージしてこういう話をしたのかな、という点にも興味がわきますね。

 「慎重と自制を説く忠言」「安全と平穏の生活を求めて採用された中道」とは、一体何を意味するのでしょうか。直感的には、安倍政権発足後しばらくとられた自民党の中川秀直幹事長主導の保守中道路線を思い浮かべました。この「左に懐を深く」(中川氏)という路線のため、安倍氏の本来のよさは押し殺され、安倍氏自身が保守派の幻滅を買う羽目になりましたし。

 また、「右と左を足して二で割るような結論」とは何のことなのか。私の場合、この足して二で割る手法から連想するのは、自民党と公明党の安全保障や教育政策をめぐる論議・協議とその結論です。このやり方で、本来は10前進させないと意味がなく、効果が得られないものが5どまりとなる場面を、この連立政権では何度も見てきました。

 郵政造反組の衛藤晟一・元厚生労働副大臣の復党問題では、しぶる中川氏を安倍氏が押し切って参院選の公認候補としましたが、中川氏からは公認ではなく中途半端な「推薦」としたらどうかという妥協案が出ていたとも聞いています。安倍氏は国会答弁でも、中川氏がキーワードとしている経済の「上げ潮」政策についても、「私はその言葉を一度も使ったことがない」と明言し、このところ中川氏と随分距離をとっているような気がします。

 まあ、今回の訓示と公明党や中川氏をあまり結びつけるのは牽強付会のそしりを免れないでしょうが…。自衛隊に対しては、やたらと警戒心をむき出しにシビリアン・コントロール(文民統制)の徹底ばかりを言いたがる政治家が多い中で、「決断する幹部であってほしい」と求めたのも、あまり前例がないことのように思います。

 さらに、将来直面するであろう「危機」という言葉にも考えせられます。これは北朝鮮や中国のことを指しているのでしょうか。それとも国際平和協力活動のことかもしれませんが。現場に取材に行った記者によると、本日の訓示はいつにもまして力強くして、凛とした雰囲気があったそうです。いずれにしても、安倍氏はこれからの日本が、決して安穏として平和を享受できるとは限らないということを、強く意識しているように感じられます。その点は、私も深く同感し、早く備えなければと焦りを覚えるところでもあります。


 公務員制度改革や教育改革、北朝鮮の核をめぐる6カ国協議に政治とカネの問題…と日々、新聞紙面を埋めるために考えないといけない問題は数多いのですが、やはり、どうしても慰安婦問題が頭を離れません。昨日は、この朝日新聞と吉田清治氏という詐話師の「合作」を、世界中に歴史的事実であるかのように思い込ませた河野談話を発表した河野洋平衆院議長が、記者団に「談話は信念を持って発表している」と語りました。

 この人の根拠がなく安っぽくて薄っぺらな「信念」など、本来は路傍の石ほどの価値もないはずなのに、たまたま宮沢政権下の官房長官であったために、世界に日本政府の公式見解として流布されてしまいました。痛恨の極みという言葉が、これほどぴったりくる事例はあまりありません。以前のエントリでも書いたことですが、もし地獄というものが存在するなら、間違いなくそこへ行くことになる人だろうなと思います。

 本日、政府は河野談話に関して、「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示す記述は見当たらなかった」とする答弁書を閣議決定しました。これこそが事実であるにもかかわらず、河野氏が当時の外政審議室の反対を押し切って、あのような主語があいまいで、官憲による強制性を認めたと読める文章に加筆・改編してしまったといいます。そして今も反省していないのですから、もう救いようがないとしか言えません。

 さて、この慰安婦問題をめぐる対日非難決議案を審議している米下院では2月15日、3人の元慰安婦を招いて公聴会が開かれています。3人とは、韓国人の李容(イ・ヨンス)氏と金君子(キム・グァンジャ)氏、オランダ人(現在はオーストラリア国籍)のジャン・ラフ・オハーン氏のことです。李氏については、今月5日のエントリで、証言がいいかげん極まりないことを書いておきました。

 で、この3人の名前を見ると、どうしても思い出すのが、2000年12月に東京で開かれた茶番劇「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷」です。3人は、この法廷ごっこの証言者に名を連ねていました。そうです、昭和天皇を強姦と性奴隷制についての責任で有罪と認定した意味不明のアレです…。

 女性国際戦犯法廷には、北朝鮮からは、初の日朝首脳会談の通訳も務め、安倍首相から「工作員」と指摘されて日本への入国を拒否されたこともある黄虎男氏も「検事」として参加していました。私は、国際的な反日ネットワークによる大々的な反日キャンペーンの一環だったと理解しています。参加団体には、朝鮮総連の関連団体も加わっていましたし。

 そして、この模擬法廷の模様を取材し、編集したNHKの番組が安倍氏と自民党の中川昭一現政調会長による圧力で改編されたと朝日新聞が1面で報じるという「誤報」も飛び出しましたね。これは。法廷主催者(元朝日記者)と現役の朝日記者、NHKの左巻きのプロデューサーが連携して作り上げたストーリーでしたが、取材がずさんで事実関係も間違っていることが次々と明らかになった次第です。

 当時、北朝鮮に最も厳しい姿勢をとっていた安倍氏と中川氏を狙い撃ちしたものだと言われましたが、その模擬法廷の証言者が、今度は米下院で証言しているわけです。ただの偶然とは考えにくく、何らかの因果関係を推測してしまうのですが…。


 今朝の産経は、米下院で慰安婦問題をめぐる対日非難決議案を推進している日系のマイク・ホンダ議員と中国系献金者との密接な関係について書いています。記事を読みながら私は、この問題では日本人自らが率先して日本の立場を悪くしているからなあ、外国に付け入られるはずだよなあと、ため息をひとつつきました。

 私の手元に、何かの参考資料になるかと思って取っておいた冊子があります。「『慰安婦』問題と私の国会審議」という題のもので、著者は本岡昭次氏。この人は、小学校教員から兵庫県教職員組合委員長となり、社会党から参院に当選、民主党に移って参院副議長になった人です(2004年6月に引退)。

 まあ、典型的な日教組系サヨク議員なわけで、横田めぐみさんの拉致実行犯とされるシン・グァンス元死刑囚の釈放嘆願書に、土井たか子元衆院議長や民主党の菅直人代表代行らとともに署名した一人でもあります。安倍首相のいうところの「極めて間抜けな議員」だったわけです。

 で、この本岡昭次東京事務所が発行した冊子の題名が示すとおり、この人は国会でやたら熱心に独断と偏見で慰安婦問題で政府を追及してきた人です。この人といい、次の角田義一前参院副議長(朝鮮総連傘下団体からの違法な献金疑惑の渦中にありますね)といい、横路孝弘衆院副議長といい、民主党はろくな副議長を選びませんね。というか、これが国会内の勢力地図の現実なのかもしれません。

 本岡氏は前書きで、冊子について「旧日本軍の『従軍慰安婦』とされた被害者に、日本政府の補償と謝罪を求め、10年余に亘り国会質問を継続してきた私の怒りの質問記録である」と書いています。そして、慰安婦について「日本軍が慰安所を設置し若い女性を将兵の性的奴隷として組織的に行った」と断言しています。これでは、ホンダ氏の言い分と違いがありませんね。冊子に載っている、過去の本岡氏の国会質問からいくつか抜粋して紹介します。

 《・1990年6月6日、参院予算委員会
 「(国家総動員法に基づく)強制連行の中に、『従軍慰安婦』という形で連行されたという事実もあるようだが、そのとおりか」「こうした問題を、我々日本人の手ではっきりさせることを抜きにして本当の意味での日本と韓国、あるいは朝鮮民主主義人民共和国との信頼関係は築けない」》

 例の河野談話に先立つこと3年前に、本岡氏は慰安婦イコール強制連行と決めつけて質問を始めたということのようです。北朝鮮との信頼関係ねぇ。当時は、今となっては絵空事のこういう言葉が、まだ何がしかの意味なり、説得力を持っていたということでしょうか。

 《・1991年4月1日、参院予算委員会
 「私は、政府が関与し軍がかかわって、女子挺身隊という名前によって朝鮮の女性を『従軍慰安婦』として強制的に南方に連行したということは、間違いのない事実であると思っている」》

 挺身隊と慰安婦がまったく関係ないことは、もはや常識中の常識、この問題のイロハのイのはずなのですが…。思い込むのは勝手かもしれませんが、これが有力な国会議員の国会質問だと思うと、だれかなんとかしてくださいと頼みたくなります。

 《・1993年3月23日、参院予算委員会
 「日韓併合条約の国際法上の違法性を日本政府が認めるというところから始めなくてはならない」「日本の植民地支配が道徳に反する行為であり、国際法上違法であったということを認める勇気がない限り、日本が韓国に対して道徳的に優位に立てず対等の立場に立って新しい日韓関係を築くことができないのではないかと私は考えている」》

 日韓基本条約締結に至るまでの先人の苦労も、その意義もすべてを無にしろという発言です。ここまで政府の基本的・根本的立場に無理解な人を、どうして後に参院副議長に祭り上げなければいけなかったのかと考えると、国会という伏魔殿の実態が浮かびあがってくるようです。この時点からは十数年がたっていますが、本質的には今も変わっていないと思います。

 《・1996年11月26日、参院決算委員会
 「朝鮮民主主義共和国の『慰安婦』問題は、今後、日朝交渉の中でおそらく出てくるだろう」》

 ええ、その通りです。北朝鮮は20万人もの朝鮮人女性を日本軍が連行したなどと荒唐無稽な虚構を持ち出し、日本を揺さぶろうとしています。別にあなたに代弁してもらわなくても、相手の出方ぐらい想像がつきますよ。

 《・1999年9月8日、参院決算委員会
 『従軍慰安婦』に駆り立てて、そこで集団的強姦、性的奴隷というような状況に追い込んだことが、道義的責任で済ませられるようなことなのか。法的責任、賠償責任の問題でないか」》

 日本人が、それも国民の代表である国会議員のそのまた要職にある人が、公の場である国会で、こんなことを主張していることを考えると、何かホンダ氏の言い分を批判できないような自省にかられてしまいます。日本人は、もっと真面目に考えて選挙に臨まないと、大変な事態を自ら招いているのだと実感させられます。だからといって、米国はじめ諸外国には事実を主張し続けるべきなのは言うまでもありませんが。

 本岡氏は、2000年4月に民主党が提出した「戦時性的強制被害者問題の解決と促進に関する法律案」、同年10月に民主党、共産党、社民党が共同提出した同法案、2001年3月に同3党が共同提出した同法案の筆頭発議者となっています。ちなみに、発議者は本岡氏のほか、江田五月氏、輿石東氏、千葉景子氏、円より子氏らで、賛成者には角田義一氏の名前もあります。

 日本が、ときとして悪意をむき出しにしてくる国際社会に立ち向かうためには、まず国内を固めないとと、改めて考えているきょうこのごろですが、これがなかなか難しいのですよね…。


 

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