2007年06月


 本日は、疲れ気味の上にすでにアルコールがけっこう入っていて、まともなことは書けません(いつも?)ので、とりあえず、皆さんに判断材料・資料を提供できればいいと思っています。きょう、久間章生防衛相が米国による日本への2発の原爆投下について、「しょうがない」と述べた件に関してです。以下、千葉県柏市で行われた久間氏の講演のうち、関連部分をお伝えします。
 

久間氏 ソ連、中国、北朝鮮と社会主義陣営、こっちは西側陣営に与したわけだが、欧州はソ連軍のワルシャワ条約機構とNATO軍が対立していた。そのときに吉田茂首相は日本はとにかく米国と組めばいいという方針で、自由主義、市場原理主義を選択した。私は正しかったと思う。

これは話は脱線するが、日本が戦後、ドイツみたいに東西ベルリンみたいに仕切られないで済んだのは、ソ連が侵略しなかったことがある。日ソ不可侵条約(※正しくは日ソ中立条約)があるから侵攻するなんてあり得ないと考え、米国との仲介役まで頼んでいた。これはもう今にしてみれば、後になって後悔してみても遅いわけだから、その当時からソ連は参戦するという着々と準備をしていて、日本からの話を聞かせてくれという依頼に対して「適当に断っておけ」ぐらいで先延ばしをしていた。米国はソ連が参戦してほしくなかった。日本の戦争に勝つのは分かった。日本がしぶといとソ連が出てくる可能性がある。

ソ連が参戦したら、ドイツを占領してベルリンで割ったみたいになりかねないというようなことから、(米国は)日本が負けると分かっていながら敢えて原子爆弾を広島と長崎に落とした。長崎に落とすことによって、本当だったら日本もただちに降参するだろうと、そうしたらソ連の参戦を止めることが出来るというふうにやったんだが、8月9日に長崎に原子爆弾が落とされ、9日にソ連が満州国に侵略を始める。幸いに北海道は占領されずに済んだが、間違うと北海道はソ連に取られてしまう。

本当に原爆が落とされた長崎は、本当に無傷の人が悲惨な目にあったが、あれで戦争が終わったんだという頭の整理で今、しょうがないなという風に思っているところだ。米国を恨むつもりはない。勝ち戦と分かっている時に原爆まで使う必要があったのかどうかという、そういう思いは今でもしているが、国際情勢、戦後の占領状態などからすると、そういうことも選択としてはあり得るということも頭に入れながら考えなければいけないと思った。

いずれにしても、そういう形で自由主義陣営に吉田さんの判断でくみすることになり、日米安保条約で日米は強く、また米国が日本の防衛を日本の自衛隊と一緒に守るということを進めることで…。戦後を振り返ってみると、それが我が国にとっては良かったと思う。》

 

 また、久間氏が同日午後、講演での発言について、東京都内で記者団に語ったオンコメントは以下の通りです

 《久間氏 原爆を落とした、落とされたのは返す返すも残念だし、あんな悲劇が起こったというは取り返しの付かないことになったわけだが、しかしそういう歴史を振り返ってみたら、「あのときこうしていれば」と後悔してもしょうがないわけだし、とにかく今みれば米国の選択というのは米国からみればしょうがなかったんだろうと思うし、私は別に米国を恨んでいませんよとそういう意味で言ったわけだ。「しょうがない」という言葉が、米国の原爆を落とすのがしょうがなかったんだということで是認したように受け取られたことは非常に残念だ。》

 だとのことです…。きょうは朝が早かった夕刊当番せいか、前日の寝不足のためか早くも眠くなってきたので、解説や感想は省き、また後日、機会があったら書きたいと思います(明日も仕事だし)。しかしまあ、この長崎出身の政治家に対しては、真意がどうであろうと、いいかげんにしてほしいなあ、と率直に言って思います。まったく。

 ※久間氏の講演について、一部略されていた部分があったので、7月1日午前7時に差し替えました。


 今朝の東京新聞2面の「政暦」というコラムの見出しを見ると、「小沢一郎氏が緊急入院」とありました。驚いてよく読むと、1991年のきょう6月29日に、「自宅で胸の痛みを訴えて、都内の病院に入院した」というお話でした。コラムには、「軽い狭心症」と診断された小沢氏の入院が約6週間にも及んだことが書かれていました。もう16年も前のことなのですね。なんだか最近は、歳月が足早に過ぎ去っていくことに気付かされるような話題がやたらと目につきます。

 このコラムは、小沢氏について「今、民主党代表として参院選の陣頭指揮を執っている。与野党立場は変わったが、息の長い政治家ではある」「今も何日か国会に顔を出さないと、『水面下で政治工作している』という観測とともに、重病説もささやかれる」と記しています。そうですねぇ、世の中はどんどん移り変わっていますが、小沢氏はずっと政治の表舞台に立ち、そのときどきで重要な役回りを演じ続けてきたように感じます。

 その小沢氏は昨年9月、民主党の代表に再任された際、「自分も変わる」と宣言していました。その言葉を聞いて、私の周囲には「人間はそうそう変われるものではない。まして小沢氏が変わるわけがない」との反応が多かったのですが、メディアでは「ニューオザワ」などのフレーズが飛び交っていましたね。「ニューオザワ」って一体何なのか、意味不明の言葉ではありましたが、最近はこの言葉も忘れられましたね。

 手元に、9年前に出版された「日本の選挙はなぜ死んだのか~政治屋たちが締め出した国民代表」(田中良太著、小学館文庫)という本があります。著者は、元毎日新聞の政治部記者のようです。私はたまたま昨夜、帰宅後にこの本を久しぶりに読み返していて、以前は特に心に残らなかった小沢氏の選挙手法についての記述に「なるほど、そうだなあ」と感心したばかりだったので、今朝の東京新聞のコラムが余計に気になった次第です。

 結論から言うと、小沢氏の内面が変わったかどうかはともかく、選挙手法は昔から全然変わっていないのだなあ、と改めて感じました。今国会でも、小沢氏は自ら制度導入を押し進めた、国民に党首の主張を訴える党首討論よりも、地方の支援者回りを優先させ、地方行脚のために民主党の役員会などもたびたび欠席しています。こういうやり方は、小沢氏のある意味、一貫した考え方に基づくものなのだろうなと。

 この本の第一章はずばり「小沢氏の『選挙』」というタイトルです。その中で著書の田中氏は、田中角栄元首相から受け継いだ小沢氏の選挙手法について、次のように書いています。今から12年前、小沢氏が新進党の幹事長として戦った1995年の参院選の分析からです。

 《投票率アップに結びつく(「風を吹かせる」)ような発言はしない。自民党支持者が投票所へ足を運ぶのを阻止するだけに限定する--という大方針の下で、小沢氏らの発言内容が決まっていたと勘ぐられても、否定できないものであった》

 …現在、年金記録未統合問題の逆風を受け、与党は従来の支持者をまとめきれずにいます。もともとの自民、公明両党の支持者らが、年金問題への対応をめぐり、政府・与党にお灸をすえないといけないと考え、「今回は与党に投票しない」「今回は野党に入れる」と言い出しているようです。これがもし民主党の作戦の結果だとすれば、実にうまく成果を上げているといえるでしょう。また、この本にはこんな指摘もありました。

 《小沢氏にとって選挙とは、組織票の奪い合いでしかない。浮動票、無党派層に語りかけるのは無意味だということなのか、それとも効率が悪いと考えているのか。いずれにせよ、この認識は驚くほど徹底している》《おそらく小沢氏にとって選挙とは、既成組織が握っている票を集めるというだけのものなのである。浮動票、無党派層といわれる人たちに呼びかけようという発想そのものがないとしか思えない》《小沢氏は一貫して「改革派」を自称していた。それなのに、選挙のやり方は、まったく古めかしい業界組織依存なのである》

 …このときと現在では、無党派層の広がりや、選挙における重要性はだいぶ変わってきたと思うのですが、確かに、小沢氏の選挙手法は、広く国民一般に呼びかけるものとは違うように思います。自民党幹事長時代には財界や建設業界に協力を呼びかけ、今は連合など労組にそれを求めている点は異なりますが、小沢氏はやはり組織を重視しているように見えます。また、少人数集会に自ら顔を出し、頭を下げ、手を握ってお願いする地方行脚は繰り返しても、党首討論やメディアへの露出を積極的に利用し、有権者一般に呼びかけるという戦術は、必要最低限にとどめているようにも感じます。

 《小沢氏を数々の神話を生んだ「選挙のプロ」だと見る人がいるのはやむを得ない。人それぞれ認識は自由であるから。しかし全く奇妙な「選挙のプロ」であることは誰も否定できないであろう。「小沢人気」があるとされる地元・岩手県以外では、ほとんど有権者の前に姿を見せないのである》《小沢氏にとって有権者とは、投票を呼びかけ、政治路線に賛同するよう語りかける対象ではない。所属する組織を通じて締め付け、動員する対象なのである》

 …このように分析する著者の田中氏は、《「数の力」を誇った田中-竹下派の論理の行き着く先がこうなるのは当然なのだろうか》とも書いています。この見方が正しいのかどうかは私には断言できませんが、非常に興味深く読みました。

 一方の自民党はどうでしょうか。時代の変遷の中で、もともと自民党という政党自体の賞味期限が切れかかっていたところに、小泉前首相という「変人」が登場し、自民党自体は一時的に延命しましたが、同時に小泉時代に支援組織は一層ガタガタになっています。小泉氏自身は政治を劇場化し、無党派層を取り込むことに成功したと言われていますが、安倍首相には派手なパフォーマンスは似合わず、現在は年金問題その他で無党派層をつかみ損なっていますね。今朝の読売新聞の世論調査では、内閣支持率は34.4%と一定レベルあるものの、不支持率は51.8%とそれを大きく上回っており、依然、苦しい状態は続いています。

 この世論調査では、民主党自体の支持率は19.9%と2割に届いていません。今のところ民主党は、小沢氏自身が無党派層にアピールしなくても(できなくても)、もともとの労組票を固めさえすれば、自然と無党派票が上乗せされるような有利な状況にあるようにも見えます。あとは、世論調査で「自民けしからん」と答えている無党派の人たちが、実際に投票行動でそれを示すかどうかです。

 12年に1度、7月の参院選と4月の統一地方選が重なる亥年は、統一地方選の選挙疲れから、投票率が下がるといいます。ただ、それは統一地方選で選挙運動をした地方議員とその支持団体の動きが鈍くなるためでしょうから、無党派層には影響があるのかどうか。民主党は、本当に無党派層の受け皿となれるのか、それとも棄権者が増えたり、共産党が躍進したりという結果になるのか。以外に自民党が大健闘するのか。

 参院選までちょうど1カ月となりましたが、はっきり言ってさっぱり分かりません。選挙の当事者や、その道のプロといわれる人たちからもいろいろ話を聞いて取材しても、「自民は厳しい」という以外のことは、何も断言できません。投開票の1週間ぐらい前には、大体の雰囲気はつかめるのではないかと思いますが、私も7月12日の公示後は、このブログで選挙がらみのことはあまりあれこれ書けなくなります。

 いずれにしろ、本当に日本の将来を方向付ける重要な選挙だと思っています。今からはらはら緊張しています。


 宮沢喜一元首相が逝去しました。私はこの人については、名刺を渡したことがある程度であまり知りませんが、いい印象を持っていたとは言えません。特に、今回の米下院外交委員会による慰安婦問題に関する対日非難決議が、宮沢氏が首相時代に発表された河野談話を根拠にしている点や、鈴木内閣の官房長官時代には教科書検定基準に「特ア」への配慮を盛り込んだ近隣諸国条項を導入することにかかわったことを考えると、肯定的に評価するのは難しいのも事実です。

 ただ、一度だけ、宮沢氏が勇気ある発言をしているな、率直に思いのたけをぶつけているなと感じたことがありました。それは今から8年前、宮沢蔵相(当時)が広島の県立世羅高校長、石川敏弘氏の自殺と、部落解放同盟とのかかわりについて言及した際のことです。当時は、今以上に解放同盟への批判はタブーでしたし、国会中継を見ていて「おおっ」と驚いたのを覚えています。

 そこで、宮沢氏に敬意を表し、当時の記事を紹介したいと思います。まずは、宮沢氏の本音を引き出すきっかけとなった、岸元学・広島県公立高校長協会会長の性根の座った国会証言を振り返ってみます。以下は、証言を報じた記事です。

世羅高校長自殺 広島校長会長参考人質疑要旨 八者懇合意が「教育介入」招いた
 
[ 1999年03月11日  東京朝刊  総合・内政面 ]

 

 参院予算委員会で十日おこなわれた矢野哲朗議員(自民党)による岸元学・広島県公立高校長協会会長への参考人質疑の要旨は次の通り。(敬称略)

矢野 岸元先生が私どもの要請にこたえ、出席された真意について述べてほしい。

岸元 広島県の教育現場にあっては、職員団体、研究団体、運動団体が学校運営に強い働きかけをし、校長が実質上動きがとれない状況になっている。その中で一人の校長が命を失うという痛ましいことが生じた。第二、第三の犠牲者を出さないために今回参考人として出席した。

矢野 県立世羅高校の石川敏浩校長が自殺に至る経緯について、ご存じのことを述べてほしい。

岸元 石川校長は二月二十四日から、自殺される直前の二十七日まで連日連夜八回にわたり、校内、校外で一日約五時間にわたる会議交渉がもたれた。その中で「あくまで石川校長が国歌斉唱を実施するというのなら、従来三脚で掲揚されていた国旗までも引き降ろすぞ」とか、「授業の補習や駅伝の世話などの学校の運営に一切協力しない」と反対された。

一時は実施をあきらめた石川校長は、同じ地区の校長が国歌斉唱するとの情報を得て、すがるような思いで二十八日に職員会議を設定してもらいたいと組合に要請したが、拒否された。石川校長は無力感に打ちふさがれ、「何が正しいのか分からない。自分の選ぶ道がどこにもない」との遺書をしたためて、お亡くなりになった。同僚の校長として誠に痛ましく思っている。一部に、県教委の「職務命令」が石川校長を自殺に追いやったと流布されているが、むしろ、校長が県教委に「職務命令を出してもらえないか」と心待ちにしていた面があった。その効力も結構あった。

矢野 広島県では今回の国旗・国歌の実施に対し、どのような反対活動が組織的に進められたか。

 五者協が国歌斉唱を反対する戦略を練った。五者協とは県高等学校教職員組合、県教職員組合、県高等学校同和教育推進協議会、県同和教育研究協議会、部落解放同盟広島県連合会の五者。二月中旬までは各高校で同和教育推進係や高等学校教職員団体の執行部が「国旗・国歌を実施する県教委の通達と教育内容がそぐわない」という観点で校長に迫り、「国旗・国歌を実施すべき」との県教委通達を撤回させる方向で闘争を組む。それでも校長が通達通り実施しようとするなら「従来掲げていた国旗も降ろす」と校長に迫るよう闘争方針が組まれた。石川校長は五者協の戦略の犠牲者と受け止めざるを得ない。

矢野 岸元会長も直接抗議を受けたのか。

岸元 平成三年十二月に公立高校長協会と県高校教職員組合との間で「国旗は三脚で揚げ、国歌斉唱はしない」という約束がなされていた。今回、文部省から学習指導要領の通りに行うべきとの是正指導を受けたので、高校長協会は組合に対して約束の破棄を通告した。すると、すべての公立高校の組合から、抗議電報が百四通も私の自宅に来た。

矢野 部落解放同盟広島県連合会は、今回どんな活動を行ったのか。

岸元 部落解放同盟広島県連合会は、他県の部落解放同盟や中央本部とは違う特異な動きをしているので、同じ名前の団体とは峻別(しゅんべつ)して聞いてほしい。

部落解放同盟県連の要請により、二月十一日に福山市の解放会館に福山地区の校長十八人が出席したところ、部落解放同盟県連や県高校教職員組合など約百人に及ぶ人たちから大衆団交を受けるに至った。卒業式での「君が代」の実施は、従来行ってきた同和教育と矛盾するとの要望書を校長会として、県教委へ出せ-と次のようなやりとりで強く迫られた。

「要望書を書け」

「検討させてください」

「今、ここで書け」

「分かりました」

このようにして二、三時間の交渉があり、要望書を出す結果となった。

引き続き、十三日には石川先生がおられた尾道、三原地区の校長たちも、先のような百人規模の交渉を受け、要望書を県教委に提出した。さらに国歌斉唱の実施を予定している個々の学校にも、卒業式の前には「われわれの子供たちを当日欠席させる」「卒業式途中で退席させる」「そのことによって新たな差別事件が生じた場合、許さない」という風に国歌斉唱実施を妨害するような行為があった。卒業式後には、国歌斉唱を拒否して卒業式当日欠席した生徒に対して、校長がわび状を書かせられるようなことがあった。

私自身も、高校の教頭をしていた平成四年二月末、部落解放同盟県連の人がやってきて、国旗掲揚・国歌斉唱の実施を取りやめるよう要請してきた。「もし実施するならば街宣車で乗り込んで卒業式をひねりつぶすぞ」といわれた。その言葉をいまだに忘れることはできない。

矢野 教育現場になぜ、学校外部の団体が介入し、学校運営を左右することができるのか。

岸元 広島県では昭和六十年、当時のさまざまな教育課題を解決するために八者懇合意が行われた。八者とは、県知事、県議会議長、県教育長、県教職員組合、県高校教職員組合、県同和教育研究協議会、県高校同和教育推進協議会、そして部落解放同盟県連合会。この八者で「広島県における学校教育の安定と充実」を図っていくということだが、合意文書の中に「差別事件の解決に当たっては、関係団体とも連携し」という一節がある。この関係団体は部落解放同盟県連のことで、この「連携」という言葉が拡大解釈され、今回の卒業式の持ち方について部落解放同盟県連の介入を許す結果を招いた。私は部落解放同盟県連にもう少し節度というものを考えていただきたいと願っている。

矢野 現状は「連携」を逸脱し、教育現場への介入となっているのか。

岸元 今回の卒業式に関しては、私は「教育介入」という言葉を選ぶしかない。》

 このころ、広島県の教職員組合や平和団体などは校長の自殺の原因について、県立学校長に卒業式での国旗掲揚・国歌斉唱の職務命令を出した県教育委員会の責任だ、県教委が校長を死に追いやったと非難を繰り返していました。これに対し、岸元氏は真っ向から意を唱え、多くの人が知っていながら口に出せなかった解放同盟の介在について、国会で指摘したのでした。相当の覚悟だったろうと思います。

 そして、この岸元氏の覚悟に揺り動かされたのか、宮沢氏も次の記事のように語ったのです。私は、宮沢氏が沈痛な面持ちで、でも淡々と語っていたように記憶しています。

 

広島県の教育現状 宮沢蔵相(広島県選出)の見解 ようやく議論できる雰囲気に 
[ 1999年03月11日  東京朝刊  総合・内政面 ]

 

十日の参院予算委で、宮沢喜一蔵相は広島県選出(広島7区)の国会議員として、同県の教育の現状に対する見解を次のように述べた。

実はこの問題はきのうきょうの話ではなく、四十年ほどの歴史がある。それも今、(岸元)校長の話にあったように、ほとんど(広島県)東部に限られた話だ。

私がまさに選ばれてきた地域で、四十年間たくさんの人が闘ってきた。今回、命を落とされた方があったが、(これまでも)たくさんの人が職を失い、あるいは失望して公職を辞めるということがあった。

なぜ、その闘いに勝てなかったかというと、基本的には、部落問題に関係があるために、これについて報道することが「差別発言」になるということを報道機関は常に恐れていて、このことを口にすることができない。共産党だけが実に勇敢に発言してきたが、それ以外はこれについて「差別発言」と批判されることを恐れ、世論の形成ができないということが一番の原因だったと思う。

私自身もそういう中にあって、このことについて今日までこの事態の解決に十分寄与できなかったことを恥ずかしく思っている。今度こういう不幸な事件があり、初めてそのような事件として広く取り上げることができるようになった。今度の痛ましい世羅(高校)校長の死で、この問題をようやく公に議論できるようになったというのが、私の郷里の雰囲気だ。

国会がこういう機会を設けていただいて、参考人もよく意を決してここにおいでいただいて、この問題が公に議論されるようになったことは、何十年うっ屈していた問題に初めて国民の目を集中させることになった。この点については国会の配慮に心から感謝するし、参考人としておいでになった岸元さんの勇気に心からの敬意を表したい。

率直な感じをいうと、自分がこの中にあって何十年も解決できなかった問題について国会がこうやって取り上げたことに勇気を感じる。また自分が今まで果たし得なかったことに渾身(こんしん)の努力を尽くしたい。》

 果たして、宮沢氏がここで述べたように、この問題についてその後、「渾身の努力」をしたのかどうかは、私の取材が足らず、分かりません。しかし、元首相であった宮沢氏が、それまでの自らの不作為を「恥ずかしい」と率直に語り、問題の所在について「部落問題に関係」と明言したことの意味は小さくなかったように思います。この年の8月には、世羅高校事件をきっかけに国旗国歌法も制定されました。

 解放同盟と教職員組合などが結びつき、教育現場を支配するという構図は、広島県に限った話ではなく、福岡県など他県でもみられる悪弊です。そして、「平和」「人権」の美名を掲げて反日教育を徹底してきたのです。そして、そうした問題点について、マスコミはあまりに無力で、見て見ぬふりを続けてきた(あるいは今も続けている)ことについて、その末席に連なる者として、私自身も恥ずかしく思います。

 さて、この宮沢発言に関しては、部落解放同盟広島県連合会が反論しているので、公正を期すため、それに関する記事も掲載しておきます。

 

広島の教育問題発言 宮沢蔵相に抗議文 部落解放同盟県連合会 
[ 1999年03月17日  東京朝刊  社会面 ]

 

広島県の教育問題に関して宮沢喜一蔵相が参院予算委員会で、「部落問題に関係があるため、このことを口にすることができなかった」などと答えたことに対し、部落解放同盟広島県連合会(中村徹朗委員長)は十六日、「(広島県立世羅高校の)校長自殺の背景と責任を部落問題、解放運動に転嫁する発言をおこなった」とする抗議文を宮沢蔵相に送付したことを明らかにした。

抗議文では「石川(敏浩)校長は教育者としての良心から『君が代は実施しない』と決めていた」とし、自殺は県教委の辰野裕一教育長と県公立高校長協会の岸元学会長の強引な手法が引き金となって起きた、と主張。蔵相の発言について「事実に基づかない誹謗(ひぼう)中傷は、差別的偏見を助長する」と発言の撤回と謝罪を求めている。これに対し、宮沢蔵相の地元事務所は「どういう返答をするか協議している」とコメントしている。》

 宮沢氏の地元事務所が最終的にどういう返答をしたのかに関する記事は、見つけられませんでした。ともあれ、宮沢氏のご冥福を祈ります。


 本日は、後輩の酒井充記者の取材メモにおんぶに抱っこで安易なエントリを立ち上げたいと思います。昨夜(26日)、小泉前首相が地元、横須賀市で行った講演をそのまま紹介するだけです(ちょっと略しましたが)。一部は新聞などでも取り上げられていますが、なかなか面白かったので、そのまま載せます。小泉氏本人も興が乗っていたらしく、15分間の予定を30分以上オーバーして元気に話していたとのことです。酒井記者は、講演内容に中見出しまでつけていましたので、それもそのまま使わせてもらいます。

 《
【総理は批判されるもの】
 いま、安倍さんも苦しいときですね。ちょうど総理に就任してから10カ月たっていない。私もそのころは結構苦しかった。みんな忘れているが。総理になると批判されるのは当たり前だ。何やっても批判される。民主主義の時代だから、賛否両論、必ずある。100%、1つの問題で賛成、100%反対はない。50%賛成あればいいほうだ。
 総理や政権政党は何かを進めるとき、(マスコミは)反対論を大きく取り上げて批判するから。民主主義の世の中はどこでもそう。だから、当たり前のこと言っても批判される。「人生いろいろ」なんて当たり前でしょ。当たり前のこと言って批判される。》

 …「苦しかった。みんな忘れているが」というのは、田中真紀子元外相を更迭して、支持率が半減したころのことでしょうね。あのころも「政治とカネ」の問題が国会を揺るがし、秘書給与搾取の問題や、政治資金流用問題で、自民党の加藤紘一元幹事長や井上裕参院議長が議員辞職しました。社民党の辻元清美氏もそうでしたね。今は国政に復帰してなにやら偉そうなことを言っていますが。確かに、私も記憶はおぽろげになってしまいましたが、国会は大荒れでした。当時、小泉氏の盟友と言われた山崎拓元幹事長の愛人問題が週刊誌で報じられたのもこのころだったでしょうか。

 

 《【自分の成果強調】

 つい2、3カ月前は、格差があるということで、小泉内閣が格差を作ったと批判された。今は落ち着いたが、冷静に考えると日本は世界でもっとも格差が少ない。格差はどの時代にもどの国にも、どの社会にもある。格差がない社会を作ろうと野党はいうが、よく考えて。その前、野党も与党も含めて立候補する人はだれもがいったのは、努力した人が報われる社会をつくろうといっていた。格差のない社会は、はっきり言って努力した人も努力しない人も結果は同じ。こんなことあり得ない。問題は、どうしても自分の力では立ち上がれないような人に、自治体や国、力のある人がどうやって手をさしのべて立ち上がれるようにしていくか。いくら能力のある人の足を引っ張っても、自分の能力がつくわけではない。金持ちを批判しても自分が金持ちになるわけではない。

 能力のある人をいかに応援し、稼いでもらって税金を納めてもらって、そういう余力をもって、能力に若干足りないところがある人、自分の力で立ち上がれない人を国などが立ち上がれるようにすることが社会保障。その前提で、国が安全でないといけない。アフリカも中東も治安問題、難民問題で、政策の推進どころではない。毎日の生活、命があるかどうか分からないようなことで苦しんでいる国民が沢山いる。そういうことを考えると、国の一番の基本は国民の安全を保障することだ。防衛問題、そして社会保障。》

 

 《【年金問題、マイナスをプラスに、社保庁批判】

 いま年金問題でさんざん自民党、政府、安倍総理大臣、我々もたたかれているのは当然ですよ。あのような体たらくを社会保険庁にしても公務員もやっていたから。マイナスをプラスにすることが大事だ。これを反面教師として、このような働き方じゃあ、国民が怒るのも無理ない、率直に受け止めて、二度とこのような怠慢をしない。しっかりと保険料を払った方にはしっかりと年金給付を行うという対処をつくるのが我々政権政党の役目だと思う。

 公務員の労働組合と社保庁の幹部との間の覚書を見ると、こりゃひどいですよ。100件以上覚書があった。1人1日3時間以上パソコン操作をしないとかね。ああいう約束をどうしてするのか。国民の眼を向いていなかった。自分たちで仕事を楽にしたいということに重点が置かれていたのではないか。やはり公務員というのは、国民のためになるためにどうやって仕事をするか。いまいろいろな便利な機械が入っている。そうすると合理化反対。より国民に親切で便利になる機械を導入すると、そういう反対が起こる。そうでなくて国民に窓口でもあまり時間のかからないように、なにか問い合わせがあったら早くしっかりと答えを出せる体制をとっていかなければならない。だからなるべく働かないというような覚書をしていたことを大きく国民にさらして、こういうことは二度としません、年金とか医療とか介護とかは、与野党の対決案件ではない。与野党の対立を超えて社会保障制度がしっかりしたものに持続できるようにやっていかなければならない。》

 …あの社保庁労使の覚書は、最近はだいぶ世間に知れ渡ってきましたね。小泉氏の言うように、社保庁の労働慣行がどういう状況だったかを国民に知らせて、その上で、これからはそんなことはさせないと示したほうが説得力があるように思います。総務省に設置された有識者からなる社保庁問題の検証委員会に期待したいと思います。

 

 《【憲法改正を主張】

 当面の課題は、社保庁と公務員労組のあまりの怠慢ぶりに目が向いているが、この60年間、日本が歩んだ道のりを考えながら、これからも平和で安定した国家として発展していくためには何が重要かを考えなければならない。日本人はかなり柔軟に現実に対処してきた。憲法解釈をみればわかる。いま憲法改正問題、安倍総理はなんとか在任中に憲法改正の足がかりをつかみたいと思っていると思うが、確かにふつうの考えでは納得できない点、例をあげると9条。これは日本人の知恵だ。自民党はもっとわかりやすい条文にしようとしている。それは野党、憲法改正反対のみなさんは、日本を戦争できるようにするために憲法を改正するというが、とんでもない誤解だ。9条をよく読むと、武力の威嚇、行使は国際紛争を解決する手段として永久に放棄する、ここは自民党も変えない。その後、陸海空軍その他の戦力は保持しないと。

これみたら、常識で考えれば、自衛隊は戦力はないのかと考えれば、ほとんどの人は自衛隊は戦力を持っていると思っている。ここから憲法学者の間で自衛隊は憲法違反だ、いや、どの国でも自衛権は認められているのだから、自衛隊の戦力は憲法で否定した戦力ではないというこじつけで自衛隊は合憲だと。正式な憲法裁判所の判断。それが、いまだに憲法違反だとの争いが絶えない。

これをもっとわかりやすく、武力による威嚇とか行使を国際紛争を解決する手段としては永久に放棄するのは変えない。ただ自衛隊が戦力、軍隊でないというのは外国は誰もそう思っていない。日本人のなかでもおかしいのではないかというから、自衛軍は保持すると明記しようというのが自民党の草案だ。外国で災害でさまざまに活躍する自衛隊の諸君が誇り持って活動できるような環境を整えていかないとおかしんじゃない、ということで今いろいろ議論している。

 第一、もし自衛隊に戦力がなかったら、国民はほかの勢力から危害を受けたら、排除できるのか。できない。非武装中立という人もいるが、もし外部の勢力が侵略した場合、日ごろ自衛隊のように訓練していない組織、そういう一般市民に戦えというか。一般市民に武器をもてというのか。何も訓練していない市民に対し、武装訓練した人たちに対して、日ごろから訓練という組織でないと対処できない。それを非武装が良いというのは、そういう訓練もない人に戦えというか、すぐ降参しろというかしかない。これはなかなかおかしい。政府として政権を担当したら、このような無責任なことはできない。実験したらおしまいだ。実験して武装勢力、日本を蹂躙しようとする勢力に政権を担当されたら、あとひっくり返すのに、その間どれだけの国民が苦しむか。世界の実状を見ればわかることだ。

 だから、日本が他国を侵略しなければ、日本が他国に悪いことをしなければ、日本は平和なんだという時代でないことは、北朝鮮の拉致問題、覚醒剤、偽札とか、いまだに、つい先ほどまで日本にはそういう武装した不審船が日本に来ていたことが明らかになった。実際海保の船と戦って沈没して、何人か自決したこともある。船をみたら大変な武装していた船が日本近海に来ていた。

 だから、私は日本は確かに憲法は大事だが、軍事力がなければ平和になるというのは大きな誤解だ。日本は敗戦後、軍事力がなかった時代は一日もない。敗戦した後も米軍が日本を占領していた。確かに陸海空軍は解散された。しかしながら米軍という軍事力は日本に存在した。外国の軍隊、外国の勢力は手を出せない。だから戦後日本に軍事力がないという人は、おそらくそんなにいないと思うが、軍事力がない日本というのは誤解だ。

 常に戦後ずっと軍事力がなかった日は一日もない。そしてアメリカと同盟関係を結びながら、60年間、一度も戦争せず、戦争に巻き込まれないで、いま着実に平和国家として世界で一番長生きできる国になった。また、格差の少ない社会として、よその国に支援の手をさしのべる国になった。この国を今後、いかに平和のうちに発展させていくか。憲法前文にあるように、国際社会の中で名誉ある地位を占めるために日本は何をしたらいいかを考えなければならない大事なときにきている。》

 …小泉氏が首相時代、国会答弁から日々のぶらさがりインタビュー、予算成立時や郵政解散時の記者会見、外遊先での記者懇談とさまざまな場面に立ち会ってきましたが、こんなに憲法と軍事力について能弁に語っているのは初めて見ました。首相時代は、「自分の任期中は政治課題にはしない」と明言していたので、あえて避けていたのでしょうか。特に、「日本は敗戦後、軍事力がなかった時代は一日もない」という言葉は、「憲法9条があったから日本は平和だった」と主張する人たちへの反論のようにも感じました。ただの私の感想ですが。

 

 《【総理やめてよかった、地元の話】

 最近、かなり余裕がでてきたから、横須賀の街を結構散歩している。総理の時には、あまり熟睡できなかった。夜中もちょっと1、2時間で目が覚めて。あー、また批判されているなと。思わず答弁資料を起き出して見たりして、また眠れなくなって。朝、目覚ましがなって、ああ寝たいなあと思いながら、国会に出て、居眠りしたこともあるが。

 いまおかげさまで、総理を辞めると熟睡できますねえ。あー。批判もされないですむからね。朝も目覚ましなく、二度寝なんかできる状況になって、余裕がでてきた。しばらくよかったが、最近体がなまっちゃう。少し歩こうと思って。この6年間一度もゴルフいってませんから、少し運動しようと横須賀の街を歩く。

とくに横須賀駅から観音崎まで1万メートル遊歩道ができた。あれはきれいだ。1日、2日かけて、1日2、3時間かけて。いい海岸だ。猿島も横須賀に返還された。海と緑のある横須賀は良いなあ、ますます発展していかないと。歴史と自然を大事にするようにしていきたい。

 遊歩道を歩いて感じたが、ちょうど市長がいる。総理大臣経験者が市長に陳情してはいけないが、歩いて気づいたのは、夫人の方にいわれた。トイレがあるといいと。なるほどね。1万メートル歩くと、男はいいが、ちょっと海辺にいって用を足すことができるが(!)、女性はそうはいかない。ところどころにトイレをつくると、もっと観光客が歩きながら楽しめるのではないか。役人がやるとあまりよくないから、民間の力をかりながら活性化できるような、散歩を楽しめるようなのを。久しぶりにいって、いわしがとれてるのをみて、トンビがさらっていくのをみて気持ちが良い。ああ、総理やめてよかったあと思うときです(笑)。》

 …小泉氏が夜中に起き出して答弁資料を読んでいる姿は、この講演メモを読んで初めて想像しました。割と、よくいえば自由、悪くいえばいい加減な答弁をする人でしたから。ただ、メディアの批判は本当にきつかったようで、小泉氏はぶらさがりインタビュー時にもよく、「総理は何を言っても批判される」と言っていたのを思い出しました。

 

 《【参院選厳しい、衆院選の反動も】

 きょうは私の後援会ではなく○○さんの応援にきた。つい皆さん大勢いるから予定の時間を超えて話しているが、私はこの選挙は本当に厳しいと思う。年金の問題での怒りは大変なものだ。我々が怒っているんだから、それは無理もない。とくに政権政党だから、厳しい。しかも4月に地方選があった。自民党のために一生懸命骨をおってくれた方も疲れている。衆院選でちょっと勝ちすぎたから、2年前ので、これ反動が来る。これ、なかなか厳しいですよ。

しかし、こういう厳しいときにも、いまようやく景気も回復軌道に乗って、民間にできることは民間に、地方にできることは地方にという構造改革を進めていかないとならない。道路公団だって当初民営化できっこないといわれたが、2年前に民営化した。民営化してよかったとなった。民主党はとんでもない、全部税金でといった。公団の時は毎年3000億円税金投入したが、民営化で今後一切税金を投入しない。去年から法人税を納めるようになってきた。当時公団のときは非常電話一台250万円かかった。なぜか。もっと安くできないか、半分でできないかといったら40万円でできるようになった。それが何万本もある。こういう無駄遣いをしないためにも、民間にできることは民間にのひとつの良い例だ。

そういう路線は、ある程度政権が安定してくれないと、政権がグラグラしていると経済は停滞する。私も最初1年で辞めていたら、小泉何もやっていない、不良債権処理も処理できない、道路公団も民営化できない、郵政局も民営化できない、失業者を増やすだけ、倒産を増やすだけ、さんざん批判されていたと思う。みなさんの力で支えてもらって、5年半、批判にたえた。夢でも追及され、うなされるのを耐えて、所期の目的を達成して、ようやく経済が上向きになってきた。

確かに選挙は厳しい、かえってこの路線を継続して経済を豊かにして、そういうことで社会保障も十分手当ができるようにしていかなければならない。能力のある人を応援する、仕事ができたら社会に還元してもらう、お互いが助け合う社会をこれからもつくっていかなければならない。自民党も野党もそういう対応をしていかないとならない。

ともかく、いまの政権の状況を見ると、平成になってから自民党も野党になった。政界は何が起こるか分からない。自民党と社会党が連立組むなんて、みなさん夢にも思っていなかった。それがあった。

そういうことで、私も小選挙区にはならないと思ったら、小選挙区になって、反対していた私が一番恩恵を受けた。あの衆院選で。小選挙区制でなければ自民党は郵政民営化賛成しなかった。小選挙区だから全部の選挙区に1人しか当選できない。中選挙区だったら、3~5人の中で、がんがん最高点とっても130人。あとの400人ぐらいはそうではない。過半数なんかとれっこない。そしたら郵政民営化できなかった。小選挙区に反対していた小泉が小選挙区制度の恩恵を一番受けたといわれるのは、なるほどなと思う。人から言われると、そうかなあ。》

 …日本の首相はしょっちゅう変わるので顔も名前も覚えられないとは、外国でよく言われるようですが、確かに1、2年で首相が交代していたら、外交も内政もなかなか進展しないでしょうね。積み上げてきたものの多くが、また、一からやり直しとなりますし。小泉氏が郵政解散のおり、街頭演説などで繰り返し、「耐え難きに耐え、(抵抗勢力の)外堀をうずめ、内堀をうずめ、やっとここまできた」と訴えていたのを思い出します。小泉氏にしても、好ましい政治情勢をつくり上げ、本当にやりたかった郵政民営化関連法案を提出するまでには、首相に就任して4年の歳月が必要でした。

 

 《【田中派批判】

政界はわかりにくい、いまもわかりにくい。民主党の代表は小沢さん、幹事長は鳩山さん。もともと田中派の金丸、竹下、自民党全盛時代の主流派で力をふるった人だから、それが野党の党首と幹事長だ。そして自民党が追及されているんだから、何がなんだか分からない。

だからね、小選挙区制度になって、ともかく自民党で公認をうけないと●(※聞き取れず)。自民党の人たちも他の選挙区から出る。考え似ていても与党だからこう野党だからこう。同じ考えで賛成したくても賛成できない。反対したくても反対できない。そういうのはみんな知っている。

まだひと波乱、ふた波乱あると思う。自民党が勝っても、民主党が勝っても。しかし大事なことは、何が国民のために大事か。社会保障、安全保障の問題。どの政権がとったって、いま、大体政権政党、自民党が言っていることからそんなに外れたことができるわけない。こういうことを考えながら、これからの政治、しっかりやっていかないといけない。

政権政党が批判されるのは仕方ない。総理大臣も批判されるのは当たり前だから。批判されて批判されて、たたかれて、ぶたれて、そういうことによってだんだん人間というのは鍛えられる。

 最初のうちは落ち込むこともある。いま安倍さんも落ち込んでいるころだと思うが、この山をこえていくと、だんだんたくましくなってくる。だんだん、たたかれて、たたかれているうちに鈍感になっていく。そうなったら、しめたものだ。しっかりと選挙を気にせず、自らの信念に、国民の期待するものに向かってしっかりと政策をやっていくことだ。1年や2年で総理大臣がクルクル替わったら、改革できない。まさに改革を進めるために、自民党、安倍総理にがんばってもらうためにも、ぜひとも○○さんを応援していただきたい。長時間ありがとうございました。(了)》

 …小泉氏は再び「鈍感力」に言及しています。言っていることはその通りだろうと思うのですが、批判されて批判されて、たたかれて、ぶたれてって、想像しただけでゾーっとします。何をいまさらの話ですが、この講演メモを読んで、政治家、中でも首相とは、並外れた精神力を持たなければ務まらないのだろうなと改めて思いました。安倍首相は、こうした小泉氏のことを、ずっと近くで見ていたので、その覚悟はあると思うのですが。

 


 参院選の投開票日まであと一カ月ちょっととあって、政治家から政局・政争がらみの発言が相次いでいます。もっとも、そうした話ばかりマスコミが聞きだそうとしている部分があるのも本当ですが。そこで本日は、この3日間で、私が面白いな、興味深いなと思った発言をいくつか拾い集めてみました。新聞やテレビで既報の話もありますが、現在の永田町の雰囲気が伝わるのではないかと考えました。

 まずは安倍晋三首相からです。これはこの前の日曜日(24日)のNHK番組での発言ですが、私はこれを聞いていて「ああ、やっぱりあのときの朝日新聞の記事が、安倍氏には相当、腹に据えかねたのだろうな」と改めて思いました。そりゃ「折れた首相」などと大見出しで、破れ傘か何かのように書かれればなあ…。

 安倍首相 「ある大新聞が、『首相、公務員制度改革断念』とこう一面に大きく出した。なぜ、こんな大きな間違いをこの新聞は犯したか。それは、公務員制度なんて絶対に変えられない、変えるべきでない、と思っている役所の人たちに取材をしているからなんですね。そして私はこの問題、必ず解決をしなければいけないと考えている。この私の強い意志を、全く知らなかったことによって、こういう間違えになった。私はこの国会において、この公務員制度改革を必ずやり遂げなければならない。この勢いを1回失ったら、抵抗が強いですから、もう今後はなかなか難しい状況になってしまう。そういう状況をつくろうと虎視眈々と狙っている勢力がたくさんいますから、われわれは何としてもこの公務員制度改革をやっていきたい」

 この朝日の「誤報」については、私は6月6日のエントリに書いていますが、確かに理解に苦しむものでした。率直に言って、また「弱い首相」という印象操作を試みているのかなとも思ったのですが、安倍氏自身は「抵抗勢力側からの取材に影響された」との解釈を述べていますね。朝日について名指しもしていませんし、抑制的なようにも感じました。

 で、次は同じNHK番組での民主党の小沢一郎代表の発言です。司会者に誘い水を向けられてのことですが、政界再編に言及していたのに関心を覚えました。確かに、民主党が参院選で勝ったとしても、衆院側は与党が圧倒的議席を持ったままですから、何か仕掛けないといたずらに政治が停滞するだけですね。

 

 小沢氏 「衆院は自民党が(議席を)持っているので、総理は自民党ですよね。しかし、現実に参院が過半数ないと政権運営ができませんから、そうすると自民党内でもどうするんだ、こうするんだという議論になるし、我々の方でもどうしよう、こうしようという議論になるので、当然、いろいろな政治のいろんな問題が出てくると思う

 民主党の保守派が割れて新党結成でもし与党と連立を組むようなことになれば、面白いのですけどね。現在の自民党は、たびたび公明党路線に引きずられ、中途半端な政策を強いられていますが、ここに新たなファクターが加わればどうなるか。自民党・新党VS公明党というような構図を何よりいやがる公明党への牽制にもなるでしょうし、そして将来的には…。

 さて、昨日の自民党の中川秀直幹事長の記者会見での発言に移ります。年金問題での逆風をもろに受けている現状への危機感がにじんでいます。また、国民に対し、必死で「安易に野党に投票しないで」と呼びかけているようですね。

 

 中川氏 「総理はいいが社保庁幹部や職員はいやだから、野党に(票を)入れるという気持ちはわからなくはないが、そういうことは結果的に、大局的につながるところは小沢総理を待望することになりかねない。逆にいえば、霞が関や社保庁は抵抗勢力が息を吹き返すことになるんですよ、と。改革のスピードが落ちて停滞の時代、公務員の時代に戻るんですよ、と」

 この人は、もう少し明るい口調で話せばいいのにとよく思います。ぼそぼそとうつむきがちに、小さな声で何か言っても、有権者にいい印象は与えないだろうにと。そして、最近、政権を批判を強めて、自分ひとりが偉いかのような発言を繰り返している舛添要一参院政審会長は同日、CSテレビで以下のように放言していました。自分の発言ぶりに、批判があることは承知しいたようですね。

 

 舛添氏 「私が乱暴な発言ができるのも、全国比例で160万票もらったからだ。自民党の票は一票も入っていない。100万票以下の人は党のいうことを聞かなければならないが。非拘束名簿方式がなければ私は参院選に出ていない。安倍人事のツケが今出ている。自分のために汗流した人しか採用しない、反主流派を入れないから、弱い政権になった。松岡利勝農水相の自殺がなければ、これほど支持率は下がらなかった。挙一致内閣を作るべきだ

 いや、どうして100万票が基準なのか明確ではありませんが、舛添氏は今回は100万票は取れないでしょうから、そしたら初めて党の言うことを聞くということでしょうか。今だって党の参院幹部なんですけどね。それと、私は以前から不思議に思っているのですが、どうして内閣に首相と考え方の違う人を入れたら政権が強くなるのでしょうか。よく、中曽根元首相が田中派の後藤田正晴氏を「女房役」の官房長官に起用した成功例が指摘されますが、あれは田中派がとても強かったからではなかったのかと。

 一方、最近は政界のご意見番的雰囲気を帯びてきた森喜朗元首相は昨日、講演で内閣支持率が低下しても自民党の結束は大丈夫だと語りました。そうあってほしいと思いますが、実際はどうでしょうか。上の舛添氏もそうですが、加藤紘一氏なんかも「今こそリベラル勢力の結集を!」と、昔の夢よもう一度と呼びかけていますし。まあ、森氏はそうした人たちを牽制する目的もあってこう話したのかもしれませんね。

 

 森氏 「(内閣支持率が低下しても自民党の方は泰然自若、不動の心境でいればいい。そんなことで右往左往する必要はない。そういう意味では安倍さんという若い指導者に政権の運営をまかせた。年上連中は残っている。山崎拓、加藤紘一、高村正彦にしたっていっぱいいる。そういうヒトを飛び越えて総理になった。腹の中ではコノヤローと思っているが、表面的に安倍さんを引きずり降ろそうということは絶対に自民党はしない。あえて延長しても、きちんとしたことをやっていこうというのは安倍さんなりの相当の決意だと思う

 「腹の中ではコノヤロー」という部分が笑えるのですが、本当にそうなのでしょうね。会社でも何でもそうでしょうが、若くして年上の部下を持ち、使いこなすというのは難しいことでしょう。そうでなくても政界は嫉妬の海とも言われるのに。でも、ここで安倍氏を下手に政局的に倒そうとすると、自民党自体が崩壊してしまうという危機感を持っているベテランと、そうではない人と両方いそうです。

 ここからは本日の閣議後の記者会見での各大臣の様子です。伊吹文明文部科学相は、教育再生関連3法案の成立についての質問に、いつものように飄々と答えていました。私が注目したのは、文科省の官僚や教育委員会などが、組合(この場合は日教組と全教)とうまくやる人がやり手とされてきたのだということが、伊吹氏の言葉から伝わってくる点です。なるほどね。

 

 伊吹氏 「行政の独断、大臣の独断でものを変えるような独裁国家じゃないので。法整備はしなくちゃいけないけど、法整備だけでうまく動かないですからね。文科省の人達の感性も磨いてもらわないといけないし、学校現場の意識を変えてもらいたい。社保庁の問題もそうだが、組合となれ合って上手く動かしていくというのがやり手で上手い人という意識は、変えないといけない

 次は、国会を延長したものの、審議日程がなかなか決まらない公務員制度改革関連法案に関する、渡辺喜美行政改革担当相の登場です。なんだかカッカしている様子が分かります。この人は、この法案の行方次第では、衆参同日選もありえると述べています。気合が入っています。

 渡辺氏 「もし公務員制度改革関連法案が審議未了、廃案ということになると、現状が固定化されるということだ。仕事をせず、責任をとらないで渡り鳥を繰り返す社保庁長官などに象徴される役人天国が、そのまま温存されるということになる事態だけは回避しなければならない。役人天国が続いて一番喜ぶのは誰か。それは既得権益を持っている人たちだ。野党も天下り根絶を主張しているわけだ。ところが野党がやっていることは、結果的に天下り温存。仕事をせずに給料をもらうだけの役人を放置してしまうということだ。そしてキャリア、ノンキャリアという身分制度に基づく古いシステムがそのまま残ることに手を貸すことになると思う。いずれにしても抵抗勢力、隠れた抵抗勢力が野党と結託をして法案を廃案にしようとしていると疑われかねない状況だと思う」

 この官僚や与党内(?)の抵抗勢力が野党と結託しているという構図の見立ては、安倍首相とも共通しているようですね。公務員制度改革は今回限りの話ではなくて、この法案は第一弾という位置付けなので、最初から躓きたくないという思いがほとばしっていますね。

 最後は、気の早い人が「次はこの人」と言い始めた麻生太郎外相です。参院選の結果に対する安倍首相の責任論を質問した記者を、軽くあしらっています。こういうことをやらせると、この人の独壇場ですね。一種の芸のようにすら感じます。こういう風に答えられると、聞く側も変な質問はしにくいものでしょう。

 麻生氏 まあ、そういう話にして政局を作りたいというのがおたくの会社の意図ですか?大体そういう風に聞けと上から言われているから聞いているだけ、しんどいもんですな。会社どこですか?日本テレビね。誰が言わせているか分かるけどね。○○(※記者名)が考えるレベルの話じゃないな。もっと上の方から考えたんだろうけど。あの選挙というのは、これは基本的には自由民主党という党が選挙しますんで、党の責任、選挙の責任は基本的には幹事長ということになるんだろうと思いますけど、そりゃ最終的には総裁ということになる。ただ、それだからといって、それをすぐ一人減ったから選挙で負けた、一人勝ったから選挙に勝った、だから政局だというようにしたがる日本テレビのレベルの話とは違うと思います

 ただ、麻生氏に関しては、最近著書「とてつもない日本」を出したばかりということもあり、メディア露出が多いことに、党内にも警戒感があるようです。週刊朝日などが麻生氏の特集を組んだことに対し、「ポスト安倍をアピールするために、自分から書かせたのだろう」と見る人もいます。また、最近、某大新聞社の著名なボスは「麻生は今まで安倍ラインで来ているのだから、安倍が倒れたら即、麻生とはならない。福田康夫元官房長官だろう」と話していたと聞きました。

 この大ボスの見立てが正しいとも思えませんが、参院選に向け、外野も含めて自民党内ではさまざまな思惑含みの言論が乱れ飛んでいます。現在の逆境を跳ね返し、自民党が勝つような結果になれば、一瞬にして「シーン」となるでしょうが。最後に、久間文生防衛相が、年金問題をめぐりボーナスを返上した安倍首相について語った言葉を紹介します。

 久間氏 「その総理の決意は決意として大変、立派なものだと思いますけれども。総理に選挙との責任論とかいう話が出たが、そうじゃないんじゃないかという気がしてね。マスコミの論調はいつもその時の責任者にぶつかっていくが、安倍総理は気の毒じゃないかという気がしてならないんですよ。就任したら、今まで伏せていたものが、ばーっと選挙前に出してきてね。さも安倍総理に責任があるかのような論調になってしまっている。おかしいんじゃないかなと思うんですね」

 私は、久間氏の日米同盟に対するスタンスには疑問がありますし、今までのイラクやミサイル防衛をめぐる発言には失言の部類も少なくないと思っています。また、久間氏と同じ津島派に所属するある議員は「あの人はサヨクだから‥」とはっきり言っていました。でも、この人はそれだけ時として率直な物言いをするので、「そうだよなあ」と頷けることもけっこうあります。今回もそうでした。


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