2007年06月


 今から7年ちょっと前に、当時はまだヒラ議員(当選2回)だった安倍首相に、愛読書に関してのインタビューをしたことがあります。現在はなくなりましたが、当時、産経の読書面には「私の一冊」というコーナーがあり、各部が持ち回りでそれぞれの分野の著名人の投稿を載せたり、相手に書いてもらう時間がないときにはインタビューをしたりして、心に残る本や、思い出の本を紹介してもらっていました。

 それで私は政治部員なので、当然のことながら政治家か省庁幹部あたりから人をみつくろうしかなく、白羽の矢を立てて依頼したのがまず、安倍氏でした(このほか、中川昭一・現政調会長らにもこのコーナーへの登場をお願いしました)。事務所を通してインタビューを申し込んだところ、快く受けてくれたのですが、無役だったので、時間があったのかもしれませんね。

 安倍氏はこのインタビューの約2か月後に、森内閣の官房副長官となり、小泉内閣の官房副長官を経て自民党幹事長に抜擢され、幹事長代理、官房長官と政府・与党の枢要な地位を歩き続けて首相の座を射止めました。最初の役職である副長官に就いてから、首相になるまで6年と3カ月ちょっとしか経っていません。いかにスピード出世だったかがわかります。

 それで、以下の記事が、安倍氏が語った内容を私がまとめたものです。自分のことを正直に「ノホホンと育った方」だとあっさり語るなど、安倍氏の飾らない人柄も表れているように思います。それと、今回この記事を紹介する気になったのは、現在、参院選に向けて熾烈な争いを闘っている民主党の小沢一郎代表の名前がちょっと出てくるからです。まあ、なにはともあれ…。
  
 《【私の一冊】衆院議員 安倍晋三 『沈黙』 選択する判断の厳しさ実感 [ 2000年05月15日  東京朝刊  読書面 ] (遠藤周作著、新潮文庫他) 

 私立成蹊高校三年の春休みに読んだのが、遠藤周作氏の『沈黙』だった。私はわりとノホホンと育った方だったし、どちらかというと物事をそう突き詰めて考えるタイプではなかった。そういう中で手にしたこの本は、宗教的なテーマなのに読みやすく、非常に大きな衝撃を受けた。それまでの私の読書傾向は、松本清張氏や横溝正史氏らの推理小説などが中心だった。遠藤氏の作品を読んだのも、最初はユーモラスな「狐狸庵先生シリーズ」がきっかけだった。

 

ところが、島原の乱鎮圧後のキリシタン弾圧と、日本に潜入したポルトガル司祭ロドリゴの苦悩を描いた『沈黙』は、人間の極めてストイックな生き方を描いていた。ロドリゴは、拷問に耐え、殉教していく日本人キリシタンたちを救うために、踏み絵を踏み、信仰を捨てる選択をする。そういう厳しい判断を強いられる経験は私にはなかったから、自分だったらどうしたかと考えさせられた。

 

やはり信仰につまずいた男を描く『死海のほとり』も読んだが、遠藤氏は、弱さを持った人に対する視点が大変優しい。

 

それから、成蹊大、社会人へと進み、読書範囲は歴史小説へと発展していった。司馬遼太郎氏の『坂の上の雲』や『世に棲む日日』を読み、私自身が同じ長州人であることから、吉田松陰先生の生き方、指導者としての傑出した人格にひかれた。松陰先生もある意味で非常にストイックで、打ち首となることで「神」に近い存在になった。松陰先生の死後、門下の松下村塾生らが明治維新を完成させたが、キリストの十二使徒も、師の死後に熱心な布教を開始しており、何か似ている気がする。

 

神に仕えるロドリゴにとって、仲間のキリシタンを助けることは世俗のことに過ぎない。しかし、彼は結局は世俗を優先し、現実の世界でだれかを救うため、今までの人生を否定することまでした。そしてロドリゴの境遇とは比べようもないが、私も神戸製鋼所でのサラリーマン生活をやめて父(故安倍晋太郎元外相)の秘書になったとき、何かを選択するとは何かを捨てることだと実感した。

 

こうした本を通じて思ったのは、一つの理念、ビジョンを持つ政治家になりたいということだった。しかし、思想家ではない政治家に求められるのは、理念や理想をあくまで追求することではなく、現実の世界で結果を出すことだ。そういう大きな判断を政治家はしていかなくてはいけない。

 

先日、自由党の小沢一郎党首が「理念」を主張し連立を離脱したが、理念で生きた方がいいか「現実」に生きた方がいいかは、結果を見なければ分からない。(あべ・しんぞう)》

 私の記憶に間違いがなければ、インタビュー後のオフレコ部分で、安倍氏は「僕は、(連立を離脱した)小沢氏は間違っていると思う」と話していました。もう時効だと思うし、いまさら隠さなければならないような話でもないでしょうから、あえて書きましたが。

 安倍氏の口からは、この記事の後ろ2段落に出てくるのと似た言葉を、その後も何度か聞きました。これも随分前のことですが、話題がたまたま漫画家の小林よしのり氏の件になった際には、安倍氏は小林氏の考え方に理解を示しつつも「彼は思想家だよね。でも、政治家は現実に向き合わなければいけないから」と言っていました。

 また、小泉前首相による郵政解散の際、政治信条を共有する安倍氏の同志たちが造反組となり、翻意を促す安倍氏の説得にどうしても従わなかったときには、安倍氏はこう語りました。

 「彼らは間違っている。自分のやりたいことを実現するには、権力の近くにいなければいけない」

 こうした安倍氏の考え方がいいのか悪いのかだとか、正しいのか間違っているのかという話ではなくて、この人はこういう発想をし、それを実践してきたのだろうと思います。そして、安倍氏が7年前、小沢氏について「間違っている」と言ったのも、いくら理念を唱えても、政権を離れたら何も政策を実現できないということを言っていたのだろうと考えるのです。

 私は、安倍氏は心情的にはものすごく素直で真っ直ぐな人な人だと思っていますが、同時に政治手法は直情径行型ではなく、とても現実主義的な人だとも考えています。で、本日のエントリで長々と思い出話のようなことを書いたのは、参院選をめぐって安倍氏の責任論が取りざたされているからです。

 いま、永田町で言われているのはまず、年金問題での大逆風の中、自民党が過半数議席維持に必要な51議席を確保するのはとても無理だということです。それはもう、党内で織り込み済みの共通認識なので、そこに届かなくても責任論は高まらないでしょうが、問題は議席が40台半ばかそれ以下となった場合です。

 9年前の7月、当時の橋本龍太郎元首相は、参院選の獲得議席が44にとどまった結果、退陣しました。だから、一つの目安として、今度の参院選の議席が44以下なら、安倍退陣論が強まるだろうと言われています。もっともらしい理屈ではありますし、永田町の相場感ではありますが…。

 ただ、その場合でも、安倍氏が退陣すれば参院の議席が増えるわけでも何でもないのです。安倍氏が責任を取って辞めたとしても、後任の首相が参院での与野党逆転状況に苦労するのは何も変わりません。そしてそこで思い出すのが、ここで書いてきたような安倍氏の考え方という要因なのです。

 安倍氏が「地位に恋々とするタイプではない」(昭恵夫人)というのは本当だと思いますが、首相という地位にあるからこそ実現可能な諸政策を、参院選で負けたからといって簡単に放り出すかどうか。今後の流れ次第では、まだ衆参同日選もありえますし、参院選後に衆院解散ということだって想定されます。政界再編に向けた動きもあるかもしれません。

 うーん。当たり前すぎる結論ですが、そのときになってみなければ分からないなと思います。いまはそれしか言えません。小沢氏の方も、本当に彼に政策や理念があるのなら、その実現のために7年間の野党暮らしに終止符を打ちたいでしょうし。いずれにしても、暑い暑い夏本番が近づいてきました。


 ちょっと旧聞になりますが、今月21日の産経朝刊に、中曽根康弘元首相のブレーンとして知られた瀬島龍三・元伊藤忠商事会長の妻、清子さんの訃報が載っていました。短い、わずか9行の記事でしたが、清子さんが90歳になっていたことが分かりました(瀬島氏は現在95歳)。そうか、あのころから、随分経つものなあと、私は思わず感慨にふけってしまいました。また、瀬島氏と清子さんが結婚したのは昭和10年のことですから、70年以上も連れ添ったのかと、歳月の重みのようなものも感じました。

 というのは、今から12、3年前に、私は清子さんに何度かインタビューをしたことがあったからです。当時、私は瀬島氏の回想録「幾山河」(扶桑社)を編纂する手伝いをしていて、瀬島氏の文章に、奥さんの視点を加えるて補おうという趣旨でした。この「幾山河」には、ところどころ《清子夫人の話》という短文が出てきますが、これは私が書いたものです。

 新聞には書かれていませんでしたが、清子さんの父、松尾伝蔵元大佐は岡田啓介元首相の妹婿にあたり、内閣嘱託の資格で岡田元首相とともに首相官邸に住み込み、瀬島氏と清子さんの結婚翌年の昭和11年2月26日には、岡田元首相の身代わりとなって青年将校らに殺された人物です。有名な「2.26事件」ですね。清子さんは当時のことを、こう語ってくれました。

 《2.26事件のときは、福井市の実家に母(稔穂)といました。事件の知らせを聞いて、26日夜、2人で夜行列車に乗って福井を発ち、27日朝に東京に着きました。父が岡田の秘書官名義で地元との連絡に当たっているはずの官邸にも入れず、事情もわからないまま迎えた28日夕、伯父、岡田の遺体が自宅に戻ると連絡がありました。しばらくすると、迫水(久常氏、岡田元首相の娘婿。後に内閣書記官長、参院議員)が自転車でやってきて、お棺を置いた奥の四畳半を閉め切り、「親族だけ入っていただきたい」と言うのです。そして「岡田ではなく、松尾のおじさんです」と。ハッと息をのむ声が聞こえ、サーッと血の気が引くのがわかりました。父の遺体は、東京で荼毘にふして、福井で葬式をしました。
 後で聞いたところによると、反乱軍将校たちは「天皇陛下万歳」と言って亡くなった父、松尾を見て、「立派な死に方だ。岡田さんに間違いない」と思ったようです。2人には血のつながりはありませんが、ヒゲ、白髪の軍人的容貌や、年恰好が共通していて、知らない人にはそう区別はつかなかったでしょう。(後略)》

 話を聞いた当時、私は2.26事件について、家族の立場からの話を聞いたことがなかったので、とても新鮮に感じたのを覚えています。これも大切な歴史の証言なのだと。

 やがて瀬島氏は終戦に伴い、満州でソ連に抑留され、昭和21年10月には、ソ連によって東京裁判のソ連側証人として出廷させられるために日本に一時帰国します。その際の短い再会について、清子さんはこう語りました。

 《ソ連の軍人は日本語で「奥さん、ご主人はすぐ日本に返すから、一緒に暮らす家を用意しておきなさい」と言いました。私はそれを聞いて、「遅くとも、あと一年で帰国かな」と思い、意気揚々と別れました。その後、新聞に引き揚げ者の乗船名簿が掲載されるたびに、虫眼鏡で一生懸命、瀬島の名前を探しましたが、見つかりませんでした。実際は、さらに10年待つことになりました》

 結局、瀬島氏は昭和31年8月までシベリアに11年間も抑留されました。その間のことを、清子さんはこんな風に話しました。日本全体が貧しさと闘うことを余儀なくされた時代だったのでしょうね。

 《主人が抑留されている間、それは苦労いたしました。18歳で結婚しましたから、世間のことも知らないし、何もできませんでしょう。「食事に困らないだろう」と思い、パン屋さんへ就職の面接にいきましたが、「自転車にも乗れないのでは…」と断られました。昭和23年からは、農林省の家畜衛生試験場で伝染病予防のための検査の仕事を手伝うようになりました。月給は8000円ぐらいでしょうか。でも、それだけでは食べていけず、編み物や洋裁の内職もしました。コッペパンを一つ買って、娘たち3人で割って食べたこともあります。毎日、「あすは何を食べようか」と心配していました。昭和28年、国分寺の市営住宅に入ることができ、幸運でした。六畳と四畳半の二間で、家賃は確か、1000円だったと記憶しています。(中略)
 主人が抑留中、2女に「お父さんって、どんな人」と聞かれ、「とても頭がよくて、できた人だから、満州に行かなければ偉くなっていたかもよ」と答えたことがありました。2女はそんな父親のイメージを持っていたのでしょうが、実際に舞鶴港に着いた父親は囚人服を着てブリキの義歯をつけていました。「ニヤッ」と笑うと変な顔に見え、2女はなじめなかったようです。主人が帰ってくるまでは女だけの所帯で、母娘3人がまるまって生きてきましたから、私をとられるように感じて寂しかったのかもしれませんね》

 …とまあ、こんな風にあれこれと話をうかがったなあ、と思い出した次第でした。かつて何度も取材した人の訃報を読むのは大変、寂しいものですが、こればかりは仕方ありませんね。変な言い方かもしれませんが、幼い子供たちを見るたびに、世の中は移り変わるものだと、そんなことを感じています。


 あす23日で閉じる予定だった国会ですが、安倍首相は来月5日まで12日間、会期を延長する決断をしました。それで当然のことながら、今朝の新聞各紙は、延長について大きく紙面を割いています。社説(産経は「主張」)をみると、産経は「責任伴う決断を支持する」、日経は「懸案を処理して審判仰げ」、毎日は「選挙に有利とはならない」とあり、それぞれの社論のあり方、ものの見方が分かります。

 この延長により、参院選の当開票日は当初想定されていた7月22日から29日へと変更されました。だから何、という気もしますが、これは参院選候補者にとっては大変なことです。なにしろ、公職選挙法の規定とは矛盾するようですが、選挙期間中は「1日100~500万円かかる」(候補者の1人)とも言いますから。これから夏本番に突入していくこともあり、すでに走り出している候補者たちから見れば、42.195キロのコースが突然、50キロに延長された気分でしょう。

 そうした事情もあって、国会も終盤にさしかかるまでは、「参院選が控えているから、会期延長はない」という観測が大勢でした。では、そんな中で安倍首相はなぜ、党内外の批判を振り切って延長を決めたのかということににりますね。昨夜の首相ぶらさがりインタビューも、質問はその点に集中しました。で、私はそのメモを読みながら、「首相も気合が入っているな。でも、新聞やテレビでは一部しか取り上げられないだろうから、もったいないな」と思いました。

 それで今朝の各紙をチェックしてみたのですが、やはり首相の言葉は一部しか掲載されていません。まあ、それは限りある紙面上、仕方ないことなのですが、どの程度載っているかちょっと数えてみると、①東京131字②産経・読売118字③日経111字④毎日59字⑤朝日39字-の順でした。これでも、節目なのでいつもよりはずっと大き載っているほうです。東京新聞は健闘していますが、朝日新聞はやはり冷淡な扱いですね。それともたまたまでしょうか。

 というわけで、昨夜の安倍首相ぶらさがりインタビュー全文(延長関係)を掲載し、みなさんの判断材料に資したいと思います。新聞やテレビで報じられているものの背後には、こういうやりとりがあるという一例です。

記者 政府与党で12日間の会期延長を確認した。12日延長を決めた理由は?

 

安倍首相 重要法案として2つ大きな大切な法案が残っています。社保庁改革のための法案と公務員の改革のための法案です。社保庁は現在、問題となっている年金の記録問題、この記録問題の大きな原因は社保庁の体質です。この体質を変えていくためには廃止をして解体をしていく。そして国民から信頼される組織に変えていかなければいけない。そのための法案ですから、ぜひとも成立をさせたいと思っています。そして年金の時効、これを消滅をさせなければ、国民の皆様の不安のままになってしまう。この法案も含めて、年金の帰属の問題にもかかわる大切な法案ですから、ぜひとも成立をさせたいと考えました。
 そして公務員制度の改革、これは相次ぐ談合を根絶するためには、その温床となってきた、押し付け的な斡旋、天下りを根絶をしなければいけない。それを根絶をするための法案が公務員制度改革の法案です。こうした法案を成立をさせることは私の大きな責任ですから、この国会で何としてもこの責任を果たさなければならない、そう判断をしました。

 

記者 年金問題が今国会の延長に影響を及ぼしたのか?

 

安倍首相 この問題についても議論を行ってきました。さらに議論をしていくことになるんだろうと思います。そういう意味で、やはり更なる議論が必要であると。そしてこの会期の中においては、大切な法案である公務員制度の改革が、残念ながら十分に時間がとれなかったが、この公務員制度改革、これは談合を根絶せよ、天下りをこれは一掃をせよという国民の声に答えるものであって、その責任は必ず果たしていかなければいけないと決断しました。

 

記者 参議院選挙に与える影響はどう思うか?

 

安倍首相 今回の判断は、国民のために何をすべきかという観点から判断しました。

 

記者 与党内からは選挙にマイナスになるとの声も出ている。参院選の結果が今回の延長によって総理の責任がより重くなると考えるか?

 

安倍首相 私たちに課せられた使命というのは、どのように技術的に選挙の勝利を考えるかということではなくて、国民のために、また国のために、何をすべきかという観点から考えなければならない。そうでない政治家は、私は辞めたほうがいいと思っています。ですから私はその観点からも、私はこの法案を通すことが国民の期待に応える道だと信じています。

 

記者 責任問題にはとくに影響はないということか?

 

安倍首相 こうしたことをやっていくことが、責任を果たしていくということではないでしょうか。

 

記者 塩崎官房長官が会見で、公務員制度改革への国民の理解は郵政民営化への支持と同じように参院選を通じて理解が深まるだろうと述べたが、総理も同じ考えか、本音を。

 

安倍首相 公務員制度改革についていえば、もうこれは戦後ずっと変わっていなかった。この公務員制度、ずっと先送りされてきましたね。これをもう先送りを許すべきではないというのが、私は国民の声だと思います。そういう意味では、理解は得られているというふうに思います。その上に立って、われわれは、この責任を果たしていく。今までのような、いわば押し付け的な斡旋、天下りという慣行を打ち砕いていく、こういう使命を果たしていくということが、私は大切だと思います。

 

記者 小泉前総理が郵政解散のときに、国民の信を問いたいといったが、総理も同じ心境か?

 

安倍首相 国民の信を問うというのは、郵政解散はこれはそのための総選挙、解散を行ったわけです。今度は参議院選挙、通常のこの参議院の選挙が予定されています。この参議院選挙におきましては、私はこの国会においても、先の臨時国会においても、国民また日本のために何をすべきかという観点から判断してきました。私の判断も含めて、国民の皆様の審判を仰ぎたいと思っています。

 

記者 今回の延長に関して、与党内からも批判の声が出ているが

 

安倍首相 大切なことは、私たちは国民のために何をすべきか、何をなさなければいけないかという観点から判断しなければなりません。公務員制度を改革して談合を根絶せよという国民の声があります。この声に答えるのは、私たちの使命ではないでしょうか。そして、社会保険庁改革をして、今起こっているような問題をなくしていく、これも私たちの使命だと思います。

 

記者 地方自治体のとまどいや、超過経費もかかるが国民の理解は得られると思うか

 

安倍首相 今まで議論を重ねてきました。こうした議論を重ねてきた以上、それを法律という形で結実して、実際に実行していくこと。このほうが大切ではないでしょうか。

 

記者 選挙で国民の理解が得られなければ、総理の責任に発展すると思うが

 

安倍首相 常に毎日、総理は責任を負っています。

 

記者 参院の扇議長が延長に不快感を示しているが

 

安倍首相 今申し上げた通り、国民のために何をなすべきか、どういう責任が私たちにはあるかという観点から判断しました。》

 東京新聞は今朝の朝刊の記事「中間決算 安倍政権7」の中で、《(小泉前首相に比べ)安倍首相は、毎日行う記者団の「ぶらさがり取材」などで、時間をかけて説明する姿勢は評価できる。ただ、説明している「量」は多くても、中身についてはあまり国民に伝わっていない。今後は、どれだけ自分の言葉で国民に訴えるかが課題となるだろう》と書いていました。

 私は6月20日のエントリで、東京の論説委員のコラムを批判しましたが、この記事はまあ、客観的で好感が持てました。ただ、中身が国民に伝わっていないのは、伝えていないメディアの責任でもあるように思いますが。ちなみに私は、正しいと思う法案を通した上で国民の信を問うべきだと考えるので、今回の延長には賛成です。

 

 

 


 今朝の産経は、朝鮮総連中央本部の土地・建物をめぐる仮装売買事件で、東京地検特捜部が総連ナンバー2(実質トップ)の許宗萬責任副議長から任意で事情聴取したようだと報じています。いいですね。戦後日本社会のタブーにいよいよメスが入っていくのかと期待しています。まだ捜査の行方がどうなるのか、私には分かりませんが、許氏は政界にも顔が広いとされます。さて、何らかの波及があるかどうか。

 私は本日は夕刊当番なのですが、今のところ、ばたばたしなければならないような動きも特になく、平穏です。そこで、ふと思い立ち、この問題でにわかに注目を集めている朝鮮総連の代理人、土屋公献元日弁連会長に関する弊紙の過去記事を産経のデータベースで検索してみることにしました。すると…。

 まず、1994年2月の、土屋氏の日弁連会長就任時の人物紹介記事には、土屋氏のこんな過去の業績が紹介されていました。いきなりヒット、という感じです。さすが人権派弁護士ですね、総連との付き合いは昨日、今日に始まったものではないようです。

 「朝鮮高級学校生徒の高校体育連盟加盟問題で日弁連に人権救済を申し立て、高校総合体育大会参加への道を開いた」

 ただ、この日弁連会長就任時の他紙のスクラップをみると、毎日新聞には、「中曽根氏(康弘元首相)がTBSを名誉毀損で訴えた訴訟で代理人を引き受けたが、『単にうわさだけで政治家をやり玉にあげるのは軽率では』と報道のあり方にも注文をつけた」とありましたから、そっち系一色の人というわけでもなさそうです。中曽根氏の訴訟って、何の件でしたっけ。私は覚えていないのですが。

 次に同じ年の5月には、当時の永野茂門法相による南京事件「でっち上げ」発言をめぐり、永野氏の辞職を求める会長声明を発表していました。なるほど。歴史問題に対するスタンスがうかがえます。

 95年12月には、オウム真理教に対する破防法の団体規制適用について「まことに遺憾であり、将来に禍根を残すものと言わざるをえない」との談話を発表しています。それに先立つ10月にも、同じ件で「我が国の民主主義、国民の人権にとって由々しき事態を招く」と反対声明を出していました。ある意味、一貫した人だなあとも思いますが、何で禍根を残すのかは私には分かりません。

 99年12月には、東京で開催された「戦争犯罪と戦後補償を考える国際市民フォーラム」の実行委員長を務め、「日本帝国主義が行った侵略と捕虜虐待」を糾弾したそうです。フォーラム開催に当たっての記者会見では「戦後、日本は事実を隠し、責任を果たさなかった」と発言しています。はあ、なるほど。

 で、2002年5月に北朝鮮・平壌で行われた「日本の過去の清算を求めるアジア地域連帯討論会」では、常設協議会日本委員会代表もやっていますね。小泉前首相の初訪朝前という時期と、開催地が微妙です。また、この協議会は04年12月に、日本の国連安全保障理事会常任理事国入り問題をめぐり、「日本は、日本が犯した戦争犯罪に対する責任を果たしていない」とする反対声明を出した23団体の筆頭でした。

 …確かに、この人物の傾向性や確信犯であることはうかがえます。でも、土屋氏に関する新聞情報は、意外と少ないなという印象です。本当は、元日弁連会長ということで、もっといろいろ出てくるかなと思っていたのですが、過去記事自体が予想より少なくて。一方、ネットでは、土屋氏がもっといろんなサヨク・反日団体やその主張とかかわっていることが指摘されていますが、そのあたりはあまり新聞は書いてこなかったようです。ちょっと、自社のデータペースで過去記事を引いてみただけなので、決めつけることはできませんが。

 ここから話は微妙にずれていきますが、新聞は、相手が公的立場にあるときには、失言や問題発言、あるいは特異な言動について詳細に報じますが、その立場を降りたら途端に関心を失い、同じ人がもっと変なことを言っても記事にはしません(記者個々人のメモには残っても)。また、重要な問題であっても、そのときの話題になっていないことは、小さく扱われがちです。紙面は有限ですし、ニュース価値の問題もあるので、それが悪いとは必ずしも言えないとは思いますが、新聞情報とネットで得られる情報について、改めて考えてしまいました。やはりネットが優位な点が多いなと。

 現在、新聞各社はみんなニュースサイトを持って、ニュースを流しています。ウェッブに配信されない記事もありますが、大きな話は基本的にネットで閲覧できますね。そして、それに関連する情報を集めたいときは、またどんどんググっていけばいいと。となると、紙媒体の価値は、ニュースの一覧性、紙ゆえの読みやすさ以外に何があるかと考えてしまいます。まあ、地道に一次情報を発掘して、独自ダネとして載せることか、深い解説記事を重視することしかないとも思うのですけどね。

 以前、民主党の小沢一郎代表の不動産問題を調べている際に、私たちが、ある程度情報がたまってから記事にしようと思っていたような情報が、ネット上で、次々と先行して提示され、議論されているのを見て、1日刻みで発行され、なかなか取材の途中経過を書きにくい新聞はどうしたらいいのかと危機感を覚えたのを思い出しました。

 現在、新聞は多くのニュースを整理し、取捨選択して載せています。上に述べていたような問題の解決策には全然なりませんが、毎日、政治、経済、社会、外信、運動、文化、特集の各部から出稿されたものの、紙面の関係上、こぼれ落ちて掲載されなかった雑多な記事を、片っ端から収容するような面があったらなあ、と思っています。テーマもバラバラで統一性がなく、読みにくいかもしれませんが、そういう記事の方がかえって面白く読んでもらえるんじゃないかという気がするのです。


 いやあ、本当に暑いですねぇ。本日は、夏本番が到来したようなじりじりと日がてりつける一日になりました。昨日はいろいろあって、エントリをさぼったので、きょうは2本目の投稿です。といっても、ごく簡単に、下手な写真と短文をお届けするだけです。

 

 この写真を撮るのにはちょっと勇気がいりました。見れば分かる通り、本日は革マル派の人たちが、イラク復興支援特別措置法改正案や、教育再生関連3法案の成立に反対して、国会前でシュピレヒコールを繰り返していたのです。ちょっと珍しいなと思ったのは、写真の大きな赤い旗です。今まで国会前ではいろいろな旗や幟を見てきましたが、一番大きいのではないでしょうか。ちなみに、最近は毎日、国会前ではためいている北海道教職員組合の旗は、こんな感じです。

 

 同じ赤色ですが、やはり、革マル派の旗の方が大きいですね。革マル派の写真を撮った際には、ちょっと「なんだ、なんだ」という感じで警戒され、追いかけられそうにもなったのですが、近くに警官もいたためか、深追いはされませんでした。でも、国会前(というか裏)の天下の公道で、自らの主義・主張をうたう旗を掲げている姿を、写真に撮られたら困るというのも、何だか矛盾しているように思います。

 革マル派ではありませんが、この日、この同じ道で配られていた中核派のビラは、北教組の座り込みを紹介した上で、「日帝の攻撃の核心は、労組破壊、労働運動つぶしだ。不明年金問題の責任を社保庁労働者に転嫁し、社保庁と自治労の解体を狙う暴挙を絶対に粉砕しよう」「国鉄分割・民営化攻撃に対して絶対反対の立場を貫き、組合の団結を守り抜いて今も意気軒昂としている動労千葉の闘いを徹底的に教訓化しよう」と書いてありました。

 振り返ってみると、確かに安倍政権になって以来、国会前でこの左翼過激派の人たちの姿を見ることがずっと増えたように感じます。やはり、安倍政権がやろうとしていることが、この人たちにとって、本当に嫌なんだろうなと思います。公務員制度改革にしても、社保庁解体にしても、教育改革にしても、直接既得権益を失う人たちだけでなく、戦後ずっと続いた体制・仕組みの隙間に入り込み、それを利用してきた勢力にとっても、とても痛いことなのだろうなと。

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