今朝の読売新聞によると、江田五月参院議長は昨日、日本記者クラブで記者会見し、安倍首相が掲げる「戦後レジーム(体制)からの脱却」について、こんなことを言っていたようです。最近は、参院選での自民党の大敗を受けてか、戦後体制にどっぷり浸かり、既得権益を享受してきた「戦後レジーム」派がかしましくてかないませんね。首相官邸では、秋の虫が鳴き始めましたが、そんな風雅さはとても感じられません。
《参議院は戦後レジームの象徴だ。戦前は貴族院だったが、戦後、私たちは貴族制度をなくした。新しい憲法のもとで今日までやってきた。戦後体制をさらに発展させていく。「戦後レジームからの脱却」をなんとしても食い止めなければならない》
なんというか、参院議長ともあろう人が露骨な…。で、この江田発言については、朝日新聞も取り上げていましたので、これも引用します。読売とは記事にした部分が少し異なりますね。記事の方向性の都合や、記者が何を面白いと感じたかで、切り取る部分は変わってきます。
《参院を強力にして戦後レジームを発展させるという選択を国民はした》
「参院を強力にして」、という部分は我田引水というか牽強付会というか何だかよく分かりませんが、江田氏は今回の参院選の結果をこのようにとらえているようです。本当は関連部分の全文を読んで詳細に検討してみたかったのですが、その場にいた弊紙の記者は、この部分に特に関心がなかったようで、メモをとっていませんでした。残念です。
ただ、江田氏が、安倍首相が進めようとしている憲法を頂点とした占領軍に与えられた諸システムの見直しに危機感を持っていて、それが参院選の結果、減速しそうなことに安心し、はしゃいでいるのはよく分かります。それは、かつて自民党総裁だった河野洋平衆院議長も同じのようですね。15日のエントリでも書いたことですが、もう一度、全国戦没者追悼式での河野あいさつを紹介します。
《私たち日本国民が、62年前のあまりに大きな犠牲を前にして誓ったのは「決して過ちを繰り返さない」ということでした。そのために、私たち一人一人が自らの生き方を自由に決められるような社会を目ざし、また、海外での武力行使を自ら禁じた、「日本国憲法」に象徴される新しいレジームを選択して今日まで歩んでまいりました。》
期せずして、衆参両院議長が戦後レジーム万歳を唱えているわけです。これが日本の現状かと思うと、私は情けなくて涙が出そうです。そんなに米国に庇護された属国のままでいたいのかと。米国の方は、多極化する世界の中で相対的に地位を低下させ、日本を守ろうという意欲も低下させていくのは間違いないだろうに。
ふだん、反米ないし米国と距離を置いて日米中は正三角形の関係になるべきだなどという政治家、官僚に限って、米国製の歴史観や、米国に押しつけられた制度に安住し、いつまでもそれに頼ってこと足れりとする傾向があるように感じています。なんだかなあ。それでは、安倍首相のいう戦後レジームとは何なのかというと、今年1月の施政方針演説で、首相は次のように述べています。
《私は、日本を、21世紀の国際社会において新たな模範となる国にしたい、と考えます。
そのためには、終戦後の焼け跡から出発して、先輩方が築き上げてきた、輝かしい戦後の日本の成功モデルに安住してはなりません。憲法を頂点とした、行政システム、教育、経済、雇用、国と地方の関係、外交・安全保障などの基本的枠組みの多くが、21世紀の時代の大きな変化についていけなくなっていることは、もはや明らかです。我々が直面している様々な変化は、私が生まれ育った時代、すなわち、テレビ、冷蔵庫、洗濯機が三種の神器ともてはやされていた時代にはおよそ想像もつかなかったものばかりです。
今こそ、これらの戦後レジームを、原点にさかのぼって大胆に見直し、新たな船出をすべきときが来ています。「美しい国、日本」の実現に向けて、次の50年、100年の時代の荒波に耐えうる新たな国家像を描いていくことこそが私の使命であります。》
演説の言葉では、ちょっと漠とした印象もありますが、要はこういうことだろうと思います。安倍首相は、自民党が発行する『自由民主』の平成17年新春特別号で、自民党が新たな歩みを進めるためには「GHQ(連合国軍総司令部)占領時代の残滓を払拭することが必要」との持論を繰り返し、占領時代に制定された教育基本法、憲法をつくり変えることは「精神的にも占領を終わらせることになる」と明言していました。
また、同年の産経新聞の新春座談会では、こう語っています。首相の立場では、もうこんなにはっきりとは言えないでしょうが、分かりやすいです。
《戦争が終わって進駐軍が来て新しい体制ができたが、六十年たって本当に占領が終わったのか。占領下で教育基本法、憲法ができて戦後の体制ができた。形式的には日本の国会が旧憲法にのっとって国会で議論して教育基本法、新憲法をつくった。しかし、それは連合国軍総司令部(GHQ)の支配下でできた。GHQの政策は日本を米国に挑戦的なことを企てる国にはしないという意思のもとに貫かれていた。日本はそれを大事に飾って今日に至ったが、六十年目を機に私たちは新しい歩みをしなければいけない。もう占領時代の「魔法」は解け始めており、その魔法とマインドコントロールを完全に解いて、真の意味で独立国家として第一歩を切り開いていく気概が必要だ。》
そして、安倍首相は4月の日米首脳会談で、戦後レジームからの脱却方針について説明し、ブッシュ大統領から「基本的に君が進めようとしていることはいいことだ」と理解を取り付けました。私は、日本が戦後初めて米国からの真の独立を目指すのだなと感じ、とてもうれしくなったのですが、その後の展開は周知の通りです。
きょうの民主党の人事で、私がこのブログで繰り返し取り上げている輿石東参院議員会長が、代表代行を兼務することになりました。輿石氏の支持母体である日教組も、戦後レジームそのものだと言えるでしょう。この人たちの高笑いが聞こえてきそうです。
安倍首相は27日の内閣改造後の記者会見で、戦後レジームから脱却するという考えに変わりはないのかという質問(幹事社だったので私が聞きました)に対し、「戦後つくられた仕組みを原点にさかのぼり見直していく教育再生、公務員制度改革の方針に変わりはない」と答えました。しかし、その歩みは遅くなり、力も弱まることになるかもしれません。今の国会構成では、これまで首相が成立させてきた改正教育基本法も国民投票法も教育再生関連法も公務員制度改革関連法も社会保険庁解体法も、まず成立させることはできません。
有権者の一票は、とてつもなく、そしてとんでもなく重い。そんなことを、今更のように噛みしめている毎日です。