2007年08月


 今朝の読売新聞によると、江田五月参院議長は昨日、日本記者クラブで記者会見し、安倍首相が掲げる「戦後レジーム(体制)からの脱却」について、こんなことを言っていたようです。最近は、参院選での自民党の大敗を受けてか、戦後体制にどっぷり浸かり、既得権益を享受してきた「戦後レジーム」派がかしましくてかないませんね。首相官邸では、秋の虫が鳴き始めましたが、そんな風雅さはとても感じられません。

 《参議院は戦後レジームの象徴だ。戦前は貴族院だったが、戦後、私たちは貴族制度をなくした。新しい憲法のもとで今日までやってきた。戦後体制をさらに発展させていく。「戦後レジームからの脱却」をなんとしても食い止めなければならない

 なんというか、参院議長ともあろう人が露骨な…。で、この江田発言については、朝日新聞も取り上げていましたので、これも引用します。読売とは記事にした部分が少し異なりますね。記事の方向性の都合や、記者が何を面白いと感じたかで、切り取る部分は変わってきます。

 《参院を強力にして戦後レジームを発展させるという選択を国民はした

 「参院を強力にして」、という部分は我田引水というか牽強付会というか何だかよく分かりませんが、江田氏は今回の参院選の結果をこのようにとらえているようです。本当は関連部分の全文を読んで詳細に検討してみたかったのですが、その場にいた弊紙の記者は、この部分に特に関心がなかったようで、メモをとっていませんでした。残念です。

 ただ、江田氏が、安倍首相が進めようとしている憲法を頂点とした占領軍に与えられた諸システムの見直しに危機感を持っていて、それが参院選の結果、減速しそうなことに安心し、はしゃいでいるのはよく分かります。それは、かつて自民党総裁だった河野洋平衆院議長も同じのようですね。15日のエントリでも書いたことですが、もう一度、全国戦没者追悼式での河野あいさつを紹介します。
 

《私たち日本国民が、62年前のあまりに大きな犠牲を前にして誓ったのは「決して過ちを繰り返さない」ということでした。そのために、私たち一人一人が自らの生き方を自由に決められるような社会を目ざし、また、海外での武力行使を自ら禁じた日本国憲法」に象徴される新しいレジームを選択して今日まで歩んでまいりました。》

 期せずして、衆参両院議長が戦後レジーム万歳を唱えているわけです。これが日本の現状かと思うと、私は情けなくて涙が出そうです。そんなに米国に庇護された属国のままでいたいのかと。米国の方は、多極化する世界の中で相対的に地位を低下させ、日本を守ろうという意欲も低下させていくのは間違いないだろうに。

 ふだん、反米ないし米国と距離を置いて日米中は正三角形の関係になるべきだなどという政治家、官僚に限って、米国製の歴史観や、米国に押しつけられた制度に安住し、いつまでもそれに頼ってこと足れりとする傾向があるように感じています。なんだかなあ。それでは、安倍首相のいう戦後レジームとは何なのかというと、今年1月の施政方針演説で、首相は次のように述べています。
 
 

《私は、日本を、21世紀の国際社会において新たな模範となる国にしたい、と考えます。

そのためには、終戦後の焼け跡から出発して、先輩方が築き上げてきた、輝かしい戦後の日本の成功モデルに安住してはなりません。憲法を頂点とした、行政システム、教育、経済、雇用、国と地方の関係、外交・安全保障などの基本的枠組みの多くが、21世紀の時代の大きな変化についていけなくなっていることは、もはや明らかです。我々が直面している様々な変化は、私が生まれ育った時代、すなわち、テレビ、冷蔵庫、洗濯機が三種の神器ともてはやされていた時代にはおよそ想像もつかなかったものばかりです。

今こそ、これらの戦後レジームを、原点にさかのぼって大胆に見直し、新たな船出をすべきときが来ています。「美しい国、日本」の実現に向けて、次の50年、100年の時代の荒波に耐えうる新たな国家像を描いていくことこそが私の使命であります。》 

 

演説の言葉では、ちょっと漠とした印象もありますが、要はこういうことだろうと思います。安倍首相は、自民党が発行する『自由民主』の平成17年新春特別号で、自民党が新たな歩みを進めるためには「GHQ(連合国軍総司令部)占領時代の残滓を払拭することが必要」との持論を繰り返し、占領時代に制定された教育基本法、憲法をつくり変えることは「精神的にも占領を終わらせることになる」と明言していました。

 また、同年の産経新聞の新春座談会では、こう語っています。首相の立場では、もうこんなにはっきりとは言えないでしょうが、分かりやすいです。

 《戦争が終わって進駐軍が来て新しい体制ができたが、六十年たって本当に占領が終わったのか。占領下で教育基本法、憲法ができて戦後の体制ができた。形式的には日本の国会が旧憲法にのっとって国会で議論して教育基本法、新憲法をつくった。しかし、それは連合国軍総司令部(GHQ)の支配下でできた。GHQの政策は日本を米国に挑戦的なことを企てる国にはしないという意思のもとに貫かれていた。日本はそれを大事に飾って今日に至ったが、六十年目を機に私たちは新しい歩みをしなければいけない。もう占領時代の「魔法」は解け始めており、その魔法とマインドコントロールを完全に解いて、真の意味で独立国家として第一歩を切り開いていく気概が必要だ。》

 そして、安倍首相は4月の日米首脳会談で、戦後レジームからの脱却方針について説明し、ブッシュ大統領から「基本的に君が進めようとしていることはいいことだ」と理解を取り付けました。私は、日本が戦後初めて米国からの真の独立を目指すのだなと感じ、とてもうれしくなったのですが、その後の展開は周知の通りです。

 きょうの民主党の人事で、私がこのブログで繰り返し取り上げている輿石東参院議員会長が、代表代行を兼務することになりました。輿石氏の支持母体である日教組も、戦後レジームそのものだと言えるでしょう。この人たちの高笑いが聞こえてきそうです。

 安倍首相は27日の内閣改造後の記者会見で、戦後レジームから脱却するという考えに変わりはないのかという質問(幹事社だったので私が聞きました)に対し、「戦後つくられた仕組みを原点にさかのぼり見直していく教育再生、公務員制度改革の方針に変わりはない」と答えました。しかし、その歩みは遅くなり、力も弱まることになるかもしれません。今の国会構成では、これまで首相が成立させてきた改正教育基本法も国民投票法も教育再生関連法も公務員制度改革関連法も社会保険庁解体法も、まず成立させることはできません。

 有権者の一票は、とてつもなく、そしてとんでもなく重い。そんなことを、今更のように噛みしめている毎日です。

 


 今朝の朝日新聞は1面で、「青木愛議員派 選挙違反事件」「小沢氏秘書 立件へ詰め 千葉県警」という記事を載せていました。《7月の参院選比例区で当選した民主党の青木愛氏陣営による公選法違反事件で、報酬を支払う約束をして選挙運動用ポスターを張った看板数千本を立てさせたとして利害誘導容疑で千葉県警に逮捕された印刷会社社長が、看板設置は小沢一郎・民主党代表の政策秘書(45)の指示だったと供述していることがわかった。県警は2人が頻繁に電話でやりとりしていた事実も把握、秘書の共犯容疑での立件を視野に詰めの捜査を進めている》という内容です。ふーん。

 小沢氏がからむだけに興味深いところですが、私がこの記事に関心を持った理由はほかにもあります。全くの偶然ですが、私の今月20日のエントリ「兵たちが夢の跡・もう見たくない参院選ポスター」で、いまだに撤去されていない青木愛氏の選挙ポスターについて、写真入りで取り上げたばかりだったからです。やっぱり派手に展開していたのだなと。最近は、週刊誌などで、さくらパパであるとか、虎を退治した姫だとかのスキャンダルも目にしますね。選挙が終わったから、民主党側の問題追及も解禁されたということでしょうか。

 この看板の件は、今後の成り行きがどうなるかも含め、注目していきたいと思ったので、ここに備忘録代わりに書き留めておきましたが、本日は別のちょっと古い話について書きます。今回の参院選では、安倍首相が続投し、一部に異論はあったものの、党側に了承され、総裁選は開かれませんでした。ただ、昨日の弊紙の記事「土俵際の再出発(下)」にもあったように、安倍氏が降板し、森元首相や古賀誠元幹事長らが福田康夫元官房長官擁立に走った場合には、総裁選が開かれていたかもしれません。

 その場合は、すんなり福田氏が過半数を獲得しただろうか、安倍氏は麻生氏につくから、町村派は分裂するだろうな、小沢氏が手を突っ込んできたかも…とそんなことをぼーっと考えていて、なんだか以前の総裁選のことに触れたくなりました。小渕恵三、梶山静六、小泉純一郎の3氏が出馬し、小渕氏が勝利したときの話です。

 私は平成10年7月、橋本首相率いる自民党が参院選で大敗して橋本氏が退陣を表明した日に政治部に配属になりました。それで、政治部員としてのほとんど初めての仕事が、自民党総裁選の関係取材となりました。その際、自民党の主な4つの派閥の中堅・若手議員はどういう動きをするのか定点観測しようという話になり、私もある旧三塚派(現町村派)の若手議員に10日間ほど、朝から晩まで張りついて取材することになりました。以下はその際の過去記事ですが、さてこの若手議員はだれでしょう。 


《◆旧三塚派のD議員(7月15日・水曜日)

午前7時半、自宅を出て都内のホテルへ。8時から会社経営者ら後援者約二百十人と朝食講演会。的場順三・大和総研理事長の講演後、政局について、約30分間話す。会場で「次の首相はだれが望ましいか」と挙手を求めたところ、梶山静六氏が5割、小泉純一郎氏が4割で、本命の小渕恵三氏はたった一人。11時半ごろ、財界関係者と会った後、議員会館の事務所へ。テレビ二社のインタビューや来客、電話への応対に追われ、昼食は抜き。

午後1時15分、事務所を出て厚生省へ。「(総裁選に向けて)どれくらいの決意か大臣(小泉厚相)に聞いてみようと思って」。32分から約40分間会談した。途中、同派閥の石原伸晃衆院議員も参加。会談後、報道陣に小泉厚相の出馬意欲を聞かれ、「現段階では極めて慎重ですね」。その足で、近くのホテルで開かれている若手超党派議員グループの会合へ。3時13分、赤坂プリンスホテル内にある旧派閥事務所で三塚博会長に会合内容を報告後、再び事務所へ。4時10分、谷津義男衆院議員ら四人と、党総裁選管理委員会の谷川和穂衆院議員の事務所を訪ね、先の会合で決めた新総裁選出に当たっての緊急提言を伝えた後、故・塚原俊平衆院議員の初盆へ。

 午前0時12分、派内の会合を終えて帰宅。「派内から総裁候補を擁立しようという声が極めて強い」》

 …現在の的場副長官や石原政調会長の名前が出てきますね。初日は、ちょっと張り切って、こと細かに書いたら、あとで「こっちが何をやっているかみんな分かっちゃうから、あんまり全部は書かないで」という要望があり、二日目からは少し端折ることにしました。取材に協力してもらっていたので、記事の趣旨が変わらない範囲で。

 

《◆     旧三塚派のD議員(7月16日・木曜日)

午前10時、自宅を出て議員会館へ。小渕派退会を表明した佐藤前通産相に、梶山前官房長官の総裁選出馬問題を聞きにいく。「佐藤さんは『出るべきだし、出るよ』と言った。難しくなってきた。向こう(小渕派)はまとまっているのに、こっちがバラバラじゃダメ」

11時5分、平沼赳夫衆院議員の事務所で、亀井静香前建設相や衛藤晟一衆院議員ら若手議員と協議。

午後0時20分、近くのホテルで自派の会合に出席後、党本部へ。「小渕さんじゃだめという点では、みんな一致している」。1時42分に森喜朗総務会長室へ。「総務会長は『もっと情勢を見極めなくては』と言っていた」。2時、両院議員総会。再び森氏と会い、派閥の会合に出席。5時、事務所で荒井広幸衆院議員と打ち合わせをし、後援者との会合へ。車に乗り込む際、「やっぱり亀井さんがカギ」とぽつり。

11時12分、石原伸晃衆院議員の車で送られて帰宅。足早に自宅に。》

 …記者はだれでもやらなくてはいけないのですが、夜は取材相手が帰ってくるまで、家の前(近く)でただひたすら、何時間でも待っていなければなりません。このころは、産経と同じような定点観測取材を日テレさんがやっていて、いつも2社で待っていました。特に役職も持たない若手議員であり、私たち以外に夜回りをかける社はいませんでした。

 

《◆     旧三塚派のD議員(7月17日・金曜日)

午前10時12分、自宅を出て正午すぎから、東京・紀尾井町のホテルで派閥の会合に出席。全体総会後も、梶山静六前官房長官の出馬問題について若手議員らと議論。午後2時半すぎに自派中堅議員の事務所を訪ねたが留守。

「小渕、梶山、小泉の三氏が出馬したら、一発で過半数を取り、小渕氏が勝つ恐れがある。すると、小渕派は勢いづく上、他派は内部が割れてバラバラの最悪の結果になりかねない。現時点で、旧宮沢派の一部が小泉さんを推すといっても、信用できないし

3時32分、議員会館の事務所に戻った。39分に衛藤晟一衆院議員を訪問後、57分から事務所で同期の自派議員と協議。「だれが出るのがいいか、戦術論として話し合った。派内の5分の3は、自派から候補を出すべきという意見だが、仲間を出す以上はみじめな結果を招いてはいけない」

6時前、都内のホテルでの若手議員の会合などに出発。9時すぎ、派閥総会で小泉厚相の総裁候補擁立決定の報告を聞き、親しい議員らと夜の闇へ。》

 …当時は、旧田中派の流れを組む平成研究会が圧倒的に強く、その政界支配はずっと続くような気がしていましたが、これは小泉氏が見事にぶっ壊しました。田中角栄、福田赳夫両氏による角福戦争は、最終的には福田が勝ったと言われるゆえんですね。

 

《◆     旧三塚派のD議員(7月18日・土曜日)

午前11時15分、羽田空港を出発し地元へ。機中で新聞各紙をチェックする姿も疲れ気味。午後2時、一週間ぶりに自宅に戻ったが、すぐに事務所へ向かう。

「参院選の票の出方の分析。反省会が必要。総裁選の行方もスタッフには説明しなきゃ」

2時35分、事務所へ。自民党新人が無所属候補に大敗した参院選・選挙区の結果について、約50分間、13人のスタッフと話し合う。その後、総裁選について議論。「衆院も小選挙区制では党対党の戦いとなる。党首の顔の意味は極めて大きい。小渕さんはこの時期に向かない。自分は小泉さんに投じたい」と理解を求める。6時、事務所を出て、後援者宅で開かれる会合へ。》

 …最近は、出張旅費を含め、経費削減要求が厳しいですから、こういう出張は少なくなったように思います。この日は、夜は特に仕事もなく、一人で居酒屋でビールを楽しんだように記憶しています。当然、土日の休みはつぶれましたが、総裁選の最中なので仕方ありません。

 

《◆     旧三塚派のD議員(7月19日・日曜日)

午前8時、地元の自宅を出発、東京に戻るため空港へ。11時3分、羽田空港着。「総裁選で日本は変わるのか」との民放テレビ局の質問に「経済政策は基本的に変わる。(政治家の)リーダーシップについて、考え直す機会になる。今回は、党員も国民の民意を意識しながら投票する」。

空港から直接、東京・紀尾井町のホテルで開かれた派閥の会合に向かい、正午前に到着。出陣式など総裁選日程の説明を受けて解散後も約20分間、会場に残って先輩議員と今後の情勢について協議した。

「基本的には、小渕氏が一発で決まる可能性が高いのかな。各都道府県連の状況は(小泉純一郎氏に)厳しい。長年の人脈的つながりがあり、私の地元も県連会長は他候補支持だ」

午後1時過ぎ、車に乗り込み、複数の会合に出発。9時40分、帰宅。

 

     旧三塚派のD議員(7月21日・火曜日)

 午前9時35分、自宅を出て党本部へ。宮沢喜一元首相が前夜、小渕恵三氏支持を表明したことについて、「(小渕氏当選の)流れができてしまった感があるね。あと二日でどこまで盛り返せるか」。10時から派閥の連絡会、11時半から小泉純一郎氏の出陣式。

 午後零時半、東京・紀尾井町のホテルで派閥の三塚博会長と派内各議員の考え方、動向など協議。党本部へ立ち寄った後、議員会館で先輩議員と状況分析。3時12分から再び同ホテルで派閥の会合、同51分、後援者との打ち合わせへ。

 「選対本部は盛り上がりを見せてきた。(小泉氏の勝利は)無理だと思っていたけど可能性が出てきた。民放テレビ局の政党支持率の世論調査で、自民党は民主党の次になったんだって? 小渕さんじゃ次の選挙に勝てないという若手の動揺は大きいよ」。6時から、党本部での小泉氏の選対会議。9時半ごろ帰宅。

               

 20日は、正午に都内のホテルで派閥の会合。午後2時から議員会館の事務所で先輩議員と約1時間、その後、新聞社の取材。6時から派閥の会合。》

 …小渕氏は党内では非常に強かったのですが、一般国民からは「Who?」という感じでしたね。当時も確か外相という要職にあったのですが、とにかく目立ちませんでした。小渕内閣発足時の支持率は、産経とフジテレビの合同調査で26.5%、時事通信の調査で24.8%で、かなり低い水準からの出発となりました。そういうこともあって、テレビ局の若い番記者などには、小渕氏を頭から馬鹿にしてかかる人もいましたが、徐々に評価は高まりましたね。

 

《◆     旧三塚派のD議員(7月22日・水曜日)

 午前9時から東京・紀尾井町のホテルで派閥の会合。議員会館で他派の議員と各都道府県連の票読みの情報交換をした後、10時から党本部で選対会議に出席。11時14分、事務所に入り、選対で割り当てられた他派議員に電話し、小泉純一郎氏に票を投じるように説得活動を続けた。

 「極めて難しいと思っていたけど、二、三位連合もまじめに考えた方がいいね。想像以上に梶山、小泉の両氏支持グループの反小渕感情は強く、わが派も両氏の票の取り合いで割れることはなかったから。(政治家には)勝ち馬にのるという発想があるが、今回は永田町の勝ち馬は日本の勝ち馬とはいかないし」

 正午ごろから、都内の別のホテルで、昼食会を兼ねた議員仲間の意見交換会に。2時に事務所に戻り、林野庁、外務省の異動のあいさつや新聞社の取材を受ける。5時ごろから約1時間、支持候補を決めていない自派の荒井広幸議員と協議、小泉氏支持を促す。6時40分、紀尾井町のホテルで、小泉氏出馬の決起大会。自派と梶山氏支持グループの会合へ。11時18分、帰宅。》

 …この「永田町の勝ち馬は日本の勝ち馬とはいかない」というセリフは、今でもそうでしょうね。この危機的状況下で、一切自分の政策を明らかにせず、やる気があるのかどうかもはっきりしないような福田氏を、自分たちの都合で擁立しようという大物たちが、うごめいているのですから。

 

《◆     旧三塚派のD議員(7月23日・木曜日)

 午前10時に党本部内の小泉氏の選対本部に入り、11時、議員会館の事務所へ。衛藤晟一議員と約30分間、総裁選の行方について協議した。

 「小渕さんじゃダメだという小泉、梶山両氏支持の若手勢力を結集した会を開く相談をした。あす投票だから今日中にやらないと意味がないが、上の許可もいるし。新党構想については、都市部の若手はかなり真剣だけど、それはすべてをやってからのこと」

 地元の後援者と会い、午後0時3分、選対本部に戻り再び事務所へ。40分、新聞社の取材。2時から3候補の立会演説会に出席し、3時すぎから選対本部で派閥幹部らと打ち合わせ。

 4時7分、「積極的にやれというのではないが、了解はとった」と飯島忠義議員と握手を交わし、小泉氏支持の旧宮沢派の白川勝彦、岩永峯一両議員にあいさつへ。「何せ急なことだから、何人集まるか分からないけどね」

 その後、事務所で地元から上京した党県連幹事長と打ち合わせ。

 6時すぎから党本部での選対会議に出席して8時から、都内の別のホテルで若手議員らによる「党の再出発をめざす会」に出席した。

 

     旧三塚派のD議員(7月24日・金曜日)

 午前10時40分、議員会館の事務所に入り、50分から地元テレビ局の取材。若手議員の都市新党結成の動きについて聞かれて「極めて偏った政党にならざるをえないと思う。都市部だけでなく、あらゆる階層に目配りできる政党こそが、国政を担いうる。(若手の)気持ちは分かるが、自制してほしい」。

 55分、先の参院選で当選した亀井郁夫議員のあいさつを受けたあと、11時半から国会の党国対委員長室で行われた会議に出席。

 午後0時半、党本部で開かれた小泉氏の必勝激励集会に参加。58分、いったん党本部を離れて都内のホテルで催された地方道路整備促進の総決起大会へ。2時からの総裁選の両院議員総会後、民放テレビの選挙特別番組に出演し、4時半前、事務所に戻った。

 「自民党もばかだよ。ただ、これまで強気に発言してきたけど、もともと(小泉さんは)厳しかったからね。(小渕さんに)決まったからには、盛り上げていかなくてはならない。でも、国民に人気がないことを意識して人事には配慮してほしい」

 45分、後援会などのあいさつ回りに出発。この日、7時から予定されていた派閥の若手議員との選挙総括会は中止となった。(おわり)》

 …この小泉氏の必勝激励集会では、小泉氏は泣いていました。そのときは、「簡単に涙を見せるというのも、弱々しく見えるな。感激屋なのかな」と感じましたが…。この若手議員の「国民に人気がないことを意識して人事には配慮を」という言葉も、今となっては胸に突き刺さる思いがします。まあ、見ていて楽しいことばかりではないし、むしろ苦々しい思いの方が多いのですが、やはり政治は人間ドラマなんだなあと考えています。


 昨夜、安倍改造内閣が発足しました。私も記者会見に出たり、記事を書いたり、上司に叱られながら入閣者と留任者の確認をして会社に連絡したり、官邸記者クラブ員の夜の弁当の手配をしたり、電話をとったり、ときどきブログのコメント欄をチェックしたり…でとにかくばたばたした1日でした。記者クラブの中も、ふだんは姿のない社会部員やカメラマンらがたくさんいて、にぎやかというか、いつもより狭く感じましたが、同時に活気もありました。ちょっとしたお祭り騒ぎでした。

 さて、今回の改造についてどう考えるかは、今朝の産経朝刊に署名記事を書いたのですが、それだけでは何なので、このブログで、紙面では書き切れなかったことや、推測混じりなので触れられなかったことを補足したいと思います。

 まず、安倍首相が官房長官に無派閥の与謝野馨氏を持ってきたのは、これは大きな「決断」であり、「賭け」だったのだろうなと感じました。そう考えるのには、いくつか理由があります。まず、これは安倍首相が森元首相との間に、いかに距離を置いているかを示すことだと思うからです。

 安倍首相は塩崎前官房長官、与謝野官房長官と、2代続けて出身派閥の町村派以外から官房長官を採りました。でも、例外はあるにしろ、普通は官房長官は首相の出身派閥の所属議員が就任するものです。その理由は、気心が知れていて信用できるとかいろいろありますが、その一つの要因は、官房長官が、いわゆる官房機密費を握る立場であることです。

 自民党の政治家で、お金を割と自由にできる立場(ポスト)は何かというと、一つは官房長官であり、もう一つは幹事長です。幹事長は党の財布をにぎり、裁量でかなりの額のお金を自由にできると言います。そして今回、安倍首相はこの幹事長も麻生太郎氏に渡し、町村派(旧森派)を外しましたから、これが森氏にとって、面白かろうはずがありませんね。森氏としては、外相に就任した町村氏が官房長官になるのを期待していたのかもしれません。

 また、安倍首相は、森氏が入閣させろと実名を挙げて迫っていた福田康夫、谷垣禎一両氏も入閣させたり、党の要職につけたりはしませんでした。町村派で閣僚になったのも町村会長ただ一人で、主流派の最大派閥としては異例のことでしょう。昨日、神戸氏で講演した森氏が不機嫌に「お友達内閣の年長さんから年中さんが残っている」と嫌味な発言をしたのもよく分かります。いくら何でも幼稚園児扱いはないでしょうに。よほど腹に据えかねたのか。それにしても、こんなにわかりやすい言動でいいのか。

 そもそも、昨年9月の組閣のときも、安倍首相が一応、森氏に人事について相談したのは事実でしょうが、かといって一部マスコミが書くように言いなりになったというのは、私は違うと思っています。あのとき、すでに安倍氏と森氏には距離がありましたし、森氏が要請した福田氏の外相就任も、安倍氏はきっぱり断っていました。確かに、幹事長が、安倍氏が望んだ麻生氏ではなく、中川秀直氏になった経緯では、森氏の意向も働いたのでしょう。でも、私はむしろ、安倍氏がそれまで自分をもり立て、支援してくれた中川氏が、「自分は女性スキャンダルを追及された過去があるから閣僚にはなれない」と訴えたのにほだされて、次の改造時の交代含みで幹事長に起用したのではないかと思っています。

 今回の改造でも、森氏が新聞各紙やテレビで、入閣候補は「だれだれがいい」などとしゃべると、まるでそれが実現するかのような報道が出ていましたが、実際はどうだったでしょう。新聞の安倍首相動静を見ても、安倍氏と森氏が会って相談するような場面は、まずないと思います。私は、森氏サイドが、いかにも自分は政権に影響力があるかのように印象付けようとし、それを半ば分かりつつ、便利だからとマスコミが利用していたような気がします。実際、森氏は面白いことを話す人で、インタビュー記事は他の政治家とはひと味違いますし。

 もちろん、安倍首相としても、森氏はかつてお世話になった派閥の兄貴分であり、今も別に敵対してはいないのですから、ときに話もするでしょうが、何でも森氏が決めて安倍氏が従っているような報道は、「自分では何も決められない弱い首相」というイメージを植え付けようとするネガティブキャンペーンの一環であるかのような気すらします。

 話が与謝野氏からずれてしまいました。元に戻すと、安倍首相は、与謝野氏の政官界に幅広い人脈を、思い切って政権運営に生かしたいと考えたのだろうと思います。与謝野氏は現在69歳と、官房長官の激務をこなすには決して若くなく、しかも昨年秋には咽頭ガンで、いったん就任していた自民党税制調査会長を退いたこともあります。官房長官就任後の記者会見でも、当初は声が通らず、かすれていました。咽頭ガン自体は克服したのでしょうが、体力は万全といえるほどではないでしょうし。

 当然、政界で十分なキャリアを持ちつつも、現在は無派閥でしかも病み上がりの自分を、官房長官という内閣の大番頭に登用したいという安倍首相に、きっと意気に感じたのではないでしょうか。昨日の会見でも、「政権を支える」という意気込みのようなものが伝わってきました。所を得て、もうひと花もふた花も咲かせてやろうという気持ちではないかと。

 もともと、安倍首相との関係はよく、現在、集団的自衛権問題などを審議している政府の安保法制懇のメンバーとなっている葛西敬之・JR東海会長も、与謝野氏が安倍氏に紹介したとされます。葛西氏ら財界関係者が、「気鋭の若手政治家と話がしたい」と与謝野氏に頼み、与謝野氏が連れてきたのが安倍氏でした。

 そして、与謝野氏は何といっても財務省をはじめとする官僚に顔が広く、人望があるのです。これに、どういう意味があるか。安倍政権は官僚の天下り規制を強化し、能力・実績主義を導入する公務員制度改革を進めていますが、これは現在、省庁側の大きな抵抗にあっています。で、今までは官僚サイドと衝突することが多く、政治家側が「自爆テロ」と呼ぶ官僚サイドからのリークの類も相次ぎました。

 この点、与謝野氏であれば官僚を慰撫、説得しつつ、にらみをきかせることができるのではないかと私は期待しているのです。安倍首相は、公務員制度改革担当の渡辺喜美行革担当相を留任させたので、与謝野・渡辺コンビによる硬軟取り混ぜた公務員制度改革が進展させられはしないかと。もちろん、そうはうまく行かず、逆に政権内に対立が生まれたり、改革の方向性が変わってしまったりする可能性もありますが、それは今後の推移を見守るしかありません。

 また、与謝野氏は中曽根元首相の秘書を務めていたこともあり、中曽根氏と深い関係にある某大部数新聞のトップとも親しいという事情もあります。この某トップは昨年の組閣の際には、安倍氏に対し、与謝野氏を入閣させるように迫ったという噂もあります。さらに、「靖国参拝をやめると言わないと、某新聞1000万部でつぶすぞ」と安倍氏に詰め寄り、激論になったとも伝えられる「大物」です。これは私が勝手にもしかするとそういうこともありえるかな、と思っているだけなのですが、与謝野氏が官房長官である間は、某新聞は安倍政権の倒閣に走ることは考えにくいような気もするのです。これといって明確な根拠はありませんが。

 まあ、上の段落の話は雑談の類ですが、与謝野氏は財政再建論者で、もともと消費税上げやむなし派でしたから、秋の抜本的税制改革論議の際に、調整役としてどのような役割を果たすかも注目ですね。安倍首相は経済成長路線は堅持するとしており、参院選の敗北で弱気になっている与党側と、どういう話が進むのか。あるいは進まないのか。今のところ、与謝野氏は安倍首相をとことん支えるつもりに見えますが…。

 今回の改造内閣名簿を眺めると、17人の閣僚のうち、安倍首相より若いのは初入閣の岸田文雄沖縄・北方担当相の50歳だけですね。当選回数も年齢も上の部下に囲まれて、安倍氏としても、やりにくい部分は当然あると思います。今回の改造人事では、安倍氏は本当に考え抜き、迷い抜き、人相が変わるほどだったとも聞いています。私は、昨年9月に小泉前首相に同行してフィンランドに行った際に、小泉氏が記者に語った言葉を思い出しました。

 《記者 (後継首相となる)安倍氏に、人事で何かアドバイスする気はないか

 小泉氏 アドバイスする気はありません。人事の苦しさ、分かりますよ、これから。みんな人事権者というのは、楽しいんじゃないかという人がいるけど、とんでもない。つらいことですよ。苦しいことですよ。多くの人が希望を持つが、望みをかなえられるのはごく一部の人しかいない。これは苦しいことですよ。それは指導者の避けられない仕事ですから。人事と政策、この難しさに耐えて。》

 今回の人事でも、入閣がゼロだった谷垣派の適齢期議員をはじめ、自分の思惑と異なる結果になった議員たちから、いろいろと不満が噴き出しているようです。みんなが納得する人事なんて、未来永劫ありえないでしょうにね。増して、政治家というのは、みんな一国一城の主と言えば聞こえがいいですが、「俺が俺が」体質の人が多いのでどうしようもありません。

  でも、この改造内閣が「失敗」だとなれば、安倍政権は今度こそおしまいです。そしてそれは、単に安倍政権の終わりにとどまらず、自民党崩壊の序曲となりかねません。自民党自体がどうなろうと私が気にしなくてはいけないことではありませんし、それがすっきりとした政界再編につながるのなら、それはそれでいいとも思います。ただ、結果として日本の政治全体が停滞し、政策も何も進まないような状態になっては困ると考えています。わが国に、これ以上、時を失う余裕があるとは思えません。

 早速、明日あたりから新聞、テレビ各社の世論調査結果がぽつぽつ出てくるようです。その数字と、分析に、半ば眉につばをつけながらも注目してみたいと思っています。



 


 あすはいよいよ内閣改造が行われますね。果たしてだれが重要閣僚・ポストに起用されるのか、その布陣は今後の安倍内閣の方向性をどう示すのか、どきどきしながら見守りたいと思います。昨年9月の組閣時には、私は遊軍担当で少々、お気楽な立場だったので、党3役人事や閣僚人事の予想をし、3役のうち2人を当てたとはしゃいでいました。でも、今回は官邸担当として迎える改造なので、ブログでテキトーなことを書くのは控えます。

 さて、私は今回の参院選後、やはり国内の保守派はまだまだ少数派なのだな、という統計的には当たり前かもしれないことを、改めて痛感しています。例えば10年前に比べ、論壇やマスコミの論調は、けっこう変わったと思っていたのですが、国民全体の意識が大きく変わるまでには全然、至っていないことを思い知りました。自民党の日教組・自治労攻撃が、ほとんど効果らしい効果を見せなかったのも、官公労という名のサヨク政治団体の脅威と問題性について、有権者はそれほど感じていなかったということの表れなのでしょう。

 ただ、最近、趣味で漫画を読んでいて、以前は珍しかった主張が堂々と載っているのをみて、心がほんの少し安まりましたので、その2作品を紹介したいと思います。どちらも、書店でたまたま手に取り、試しに買ってみたらまあ面白かったので、なんとなく続けて読んでみたのですが、あとで出版社を確かめたらともに新潮社でした。関係はあるのかないのか。宣伝みたいですが…。

 

 ホテルのコンシェルジュの活躍を描いたこの漫画に、「皇帝の味覚」なる超ロングランのグルメ漫画の作家、久我鉄生なる人物が登場し、日本と日本人に対する侮蔑的言動を繰り返します。ふだんはオーストラリアに住んでいるという設定ですから、これが、日本一有名なグルメ漫画、「美味●ん×」の原作者をモデルにしていることは、あまりにも明確です。大御所を相手に大胆ですねぇ。

 「美味●ん×」は、「支那そば」という言葉は中国人が嫌がるから遣うなだとか、あまりに「特ア」べったりの話が多く、私も途中から読むのをやめていましたが、やはり同じようにどこか気持ちの悪いものを感じる人も多いのでしょうね。で、「コンシェルジュ」の中で、久我はこんな風に日本をけなします。

 「海外に住んでると日本のことがよく見えるよ ほんと恥ずかしい思いをすることばかりだ」「こんな民族 最低と言う以外どんな言い方がある?」

 これに対し、別の若手漫画家が「あんたは間違った情報をもとに 作品中で同じ日本人を口汚く罵ってるだろうが」「そう思うなら まずあんたが己を恥じて切腹でもなんでもしろ」と反論して…というストーリーです。で、もう一つの漫画は、首相官邸の女性料理人を主人公にした「グ・ラ・メ! 大宰相の料理人」という作品です。

 

 こっちは、官邸を舞台にしているだけに、より明確です。中国の黄雅琴首相(もちろん架空の人物)は、官邸での阿藤一郎首相との昼食会に、中山服を着て望み、こう言い放ちます。

 「中日関係は最悪の状況にある それはすべて日本の政治家のせいだ 反省も謝罪もせず 一部の人間は軍国主義思想を相変わらず持っている」「靖国問題が何よりの証拠だ! そんな輩どもを信用するわけにはいかない」

 それに対し、阿藤首相は次のように反論します。

 「靖国は日本との外交問題ではなく 中国の内政問題なのでは? 国民にナショナリズムを植え付け 不満のはけ口の無い国民たちの反日感情を煽り立て 徹底的に日本叩いたが それは結局 国家主義者たちの権力増大につながってしまった もはや政府首脳は『反日カード』を引っ込めるわけにはいかない」「なぜならば 弱腰な姿勢を見せれば今度は自分たちに 怒りの矛先が向かうかもしれないから」

 …日本のメディアや親中派の政治家が、あえて目をつむって知らんぷりしている点を、こうした漫画は明確に指摘していますね。こういうのを読むと、健全だなあとほっとします。どれだけ売れているのか、人気がある作品なのかも知らないのですが。

 あと、漫画ではありませんが、月刊「WiLL」10月号にも癒されました。読みやすく、かつ大胆な記事がけっこう載っています。弊社の「正論」のライバル誌であもあるので、あまり宣伝するのもはばかられますが。

 

 この中で、私が注目しているのは、高瀬淳一氏という名古屋外国語大教授です。専門は情報政治学ということで、私も何度か記事でコメントを述べてもらいました。筑摩書房から出ている「『不利益分配』社会-個人と政治の新しい関係」という本には、けっこう考えるヒントをもらいました。「WiLL」の論考では、小沢一郎氏と田中真紀子氏について「ポピュリスト義兄妹」となり得ると書いていて、興味深いです。

 ※追記(21時8分) いま気付いたのですが、今回は昨年5月末にこのブログを初めて計400エントリ目でした。そうと分かっていれば、もう少し、硬派に攻めるべきだったかなとも思いましたが、まあ500エントリの方が区切りがいいので、そのときにはもっと力作をお届けできれば、と…。まあ、肩の力を抜いたものでもいいのかな。

 


 きょう、週刊新潮の最新号(8月30日号)を読んでいたら、「民主『トロイカ』入り『輿石参院議員会長』はこんな人」という小さな記事が顔写真入りで載っていました。このブログを以前から読んでくれている方はよくご存じの通り、私はこの輿石氏を支援する山梨県教職員組合(山教組)による違法な政治活動や選挙運動、輿石氏への半強制的な選挙資金カンパの実態について、繰り返し触れ、問題点を指摘してきました。ですので、新潮の記事を興味津々で読んだところ、次のように書いてありました。

 《参議院で主導権を握った民主党の中で、ひときわ大きな権力を手にした男がいる。参院議員会長の輿石東氏、71歳。民主党ではこれまで小沢代表、菅代表代行、鳩山幹事長ら3人の重鎮で党内の最重要方針を決定してきたが、この「トロイカ体制」に輿石氏も加わることになったのだ。》

 輿石氏にとって、現在はまさに「この世の春」ということでしょうか。そして、匿名の「政治部記者」がこんな風に解説しています。

 《「04年の選挙の際、出身母体の山教組などで構成する政治団体が教員から集めた寄付金を政治資金収支報告書に記載せず、幹部2人に罰金30万円の略式命令が出されたことがあります」「今年1月に発覚した角田義一元参院副議長のヤミ献金疑惑では、問題のヤミ献金の中に輿石氏からの10万円の献金が含まれていた。にもかかわらず輿石氏は議員会長として疑惑の調査にあたりましたが、結局真相はうやむやのまま。自身の支持団体が虚偽記載に問われた輿石氏に疑惑の解明は無理だと言われたものです」》

 …うーむ、この政治部記者はけっこう詳しいですね。山教組問題の流れをきちんと押さえています。コメントを読んでいて、正直なところ、私自身が新潮に語ったんだっけと一瞬、記憶を疑ったほどでした。どこの社か分かりませんが、ちゃんと把握しているのなら、もっと紙面に反映してくれればいいのに。そこで、今までのエントリと重複する部分もありますが、あえて私から説明を追加したいと思います。

 さて、この記事にある山教組などで構成する政治団体とは、山梨県民主教育政治連盟(県政連)のことです。で、この県政連が輿石氏が出馬・当選した参院選が行われる前年の平成15年12月、「校長3万円、教頭2万円、一般教員1万円」というノルマを課して集めた選挙資金について、政治資金収支報告書に記載していなかったことが、16年11月の産経新聞の報道で明らかになったというわけです。そして、略式起訴を受けたのは、県政連会長と山教組財政部長でした。

 この間の事情については、週刊新潮(04年12月16日号)の特集記事「山梨県の時代遅れ『日教組支配』」で、「ある小学校教諭」がこう証言しています。

 《輿石さんが国会議員になってから(平成2年に衆議院選挙で初当選)、年に2回のボーナスの度、校長は1万円、教頭は7000円、ヒラは5000円を徴収されるようになったんです。今回のように、3万、2万、1万の臨時カンパがあったのは初めてのことでしたから、何でそんなにお金がかかるんだろうと不思議に思いました。そうしたら立派なポスターや看板が大量につくられていた。》

 また、04年11月12日の地元紙、山梨日々新聞の投書欄には、こんな甲府市の大学講師の投書が載っています。

 《小学校教員の知人に早速確かめたが、学校単位で選挙資金集めが行われたのは事実であった。驚いたことに、選挙資金集めは知事選や県議選のような地方選挙でも恒例行事で、選挙がない時期には、「カンパ」と称する使途不明の資金集めもあるらしい。40代のその知人は、今までに数十万円もの選挙資金を拠出させられたと話している。》

 同じく11月13日の投書欄には、大月市の読者のこんな意見もありました。

 《選挙があると自己の政治信条とは無関係に民主党(旧社会党)候補を応援することを強制される。具体的には1万円のカンパ、50人の個票集めなどである。もし、これを拒否すれば年度末の人事異動などで不利な目に遭うので組み合いには逆らえない。山教組出身者が県教委におり、山教組は彼らとともに人事権を握っている。》

 この投書にある「個票」とは、輿石氏の個人後援会の入会カードのことです。平成16年の参院選では、カード集めのノルマは一般教員は80枚以上、校長・教頭は各20枚以上と決められていました。このほか、ポスター貼りや電話作戦なども、教員にノルマが割り振られていました。輿石氏のための選挙運動は、教員たちにとって相当の負担になっていたようです。

 さらに、12月8日の投書欄にあった甲府市の転勤者の訴えも深刻です。これは、児童の父兄の視点で問題を見つめたものです。

 《教師たちの授業軽視の姿勢には驚かされる。平日の昼間からゲームセンターや漫画喫茶に小中学生があふれるのは、一日あるいは半日休校となる教師の組合活動の日だ。この県の教職員組合は教育より選挙に熱心で、選挙運動に疲れた教師が次々に年休を取り、選挙中にはわが子は自習ばかりである。》

 投書にも出てくる「カンパ」は、もともとは「選挙闘争資金」と呼ばれていたそうです。当時、産経新聞の取材に実名で応じてくれた教員は、「山教組の定期大会で、私たちが「選挙闘争資金ならば会計報告が必要だ」と追及したら、執行部がカンパに名前を変えてきた」と証言しました。この教員は、「こうしたことは、当然、輿石氏も十分承知している」とも言っていました。

 で、この間、輿石氏はどうしていたかというと、平成17年の山教組新年互礼会のあいさつで「私が出馬した参院選に無関係ではない」とする一方で、「一部マスコミの報道で心配されていると思うが、これにひるまず、新年をもって活動を続けてほしい」と述べるなど、全く反省の色は見えませんでした。また、県政連に対しても、県政連による輿石氏のための選挙資金集めに対しても「直接関係ない」などとはぐらかすばかりでした。

 でもねぇ、これも産経新聞が山梨県選挙管理委員会に情報公開請求して入手した、県政連役員名簿には、輿石氏は役員である「顧問」と明記されていました。また、他の役員の中には、輿石氏の後援会幹部も複数含まれていました。

 そして、輿石氏自身も17年3月3日の参院予算委員会で、県政連について「私自身の政治団体について、一部の政党から批判されていることは承知している」と述べ、「私自身の政治団体」であることを認めているのです。何が「直接関係ない」だと思いませんか。私は、こんなに白々しいことをよくも言えるなと感じています。さらに言えば、県政連の会長は輿石氏の後援会の副会長で、後援会と県政連の会計責任者は同じ人物ではないかと、国会で追及されたこともありましたが…。

 話は前後しますが、17年2月3日の山梨日々新聞は、「県政連の政治資金収支報告書に寄付金収入が記載されたのは、1996年と98年の2回だけだった」「資金集め(カンパ)の総額について複数の現職教員が『毎年3000万-4000万円以上になる』と指摘。しかし収支報告書の収入額は、寄付金計上された年も含め、96年以降、1000万-1900万円前後だった」と報じています。つまり、教員たちから集めたお金は政治資金として報告されず、裏金に回っていた可能性があるというわけです。

 結局、平成16年の輿石氏の選挙のために集められた教員らからの資金カンパの総額は、約6100万円に上ることが分かりました。しかし、これは産経をはじめとする各種報道があったから明らかになったことで、報道がなければ、政治資金収支報告書には寄付金ゼロか、あるいは数百万円と記載されていた可能性も否定できません。この6100万円という数字ですら、県内のほとんどの教員や大半の退職教員がカンパに応じたのだから、本当は1億円ぐらいになるはずだという指摘もありました。このお金の問題は、今も明らかになっていません。

 でも、何か変だと感じます。内心の自由は保障されるにしろ、本来は政治的言動を慎むべき教員が堂々と選挙活動に明け暮れ、その教員から集めた大金が輿石氏の選挙その他に使われ、その資金の行方はあいまいになったままなのです。今年の通常国会では、政治とカネの問題があれほど大々的に取り上げられ、関心を集めたというのに、輿石氏の「政治とカネと教育」の問題は、メディアは触れようともしませんでした。そして、輿石氏は順調に出世し、権力を握ったというわけです。

 この県政連の平成16年の政治資金収支報告書はほかにも不自然な点が多く、例年4500人前後と記載されていた会員数がいきなり614人になったり、それまで約1900万円だった会費収入がいきなり520万円になったりしていました。赤城前農水相の関係政治団体の収支報告書で郵便局名が間違っていたとして、トップ級ニュースだと大騒ぎしたマスコミもありましたが、輿石氏に対してはスルーでした。当時も輿石氏は民主党の参院幹事長という要職にあったにもかかわらず、です。

 で、上に述べたように県政連会長と山教組財政部長が書類送検されたわけですが、それでも輿石氏は平成18年1月6日の山教組新年互礼会で「私どもは間違っていない。これからも山教組とともに歩んでいくことを誓います」とあいさつしていました。何がどうあっても、自分は間違っていないという宣言です。いっそ天晴れだとも思います。

 その後、18年3月には、山教組幹部や小中学校校長ら計24人について、県教委などは教育公務員特例法に抵触する行為があったとして、停職3カ月や戒告などの処分を下しました。こんなことがあってもなお、輿石氏はこの年の6月3日、産経の取材に対し、「(カンパを自分が)集めてくれと言ったわけではない」と言い切りました。不思議な人格だと思います。自分のために、罪を犯すことになったり、処分を受けたりした人たちのことを何だと考えているのでしょうか。

 そして、小沢民主党は輿石氏を重用し、参院選では各種労組との窓口として働かせ、今日の地位を与えたのです。輿石氏は今回の選挙でも、山教組を動員して民主党候補を当選させました。今の民主党は、衆院のトップが、関係政治団体に不動産を含む計35億円もの資金をプールしている小沢氏で、参院のトップが教職員を使い倒して一切の責任をとらない輿石氏という構図です。悪い夢を見ているような気分です。自民党は負けるべくして負けたというのは理屈ではよく分かるのですが、本当にこれでいいのかと、感情がなかなか納得してくれません。

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