2007年08月


 どうでもいいことですが、民主党は今回の参院選で、全国キャラバン政策アピールミュージカルの上演という新しい試みを行いました。民主党のホームページなどによると、企画・政策は菅直人代表代行で、「ふるさと再生 土と緑と水に」「幸福の王子 逆転の夏」という2種類があったようです。全国の延べ30カ所以上で公演が行われたといい、「ふるさと」の方は、自民党の農業政策では農家は食べていけないということと、東京一極集中を描いた話で、「幸福の王子」の方は、医療格差と教育格差、年金問題を取り上げたものだそうです。

 まあ、いまさら終わった話を書いても仕方がないのですが、この民主党が「目で音で政策を分かっていただける」と自賛したミュージカルの歌詞集を読んでいて、何だか紹介したくなりました。こんなミュージカルを見て面白いのかな、と疑問を感じる内容ですが、実際に観ていないので分かりません。作詞は湯川裕光氏、作曲は松尾美佳氏だそうです。

 ・タイトル「農家の将来
   春なお寒き日に 種を蒔き
   代かきをして 初夏には田植え
   雨ごとに 青田うつくし
   緑なす 生命の輝き
   田の草とりに 手間をかけ
   夏、日は照りて 稲穂がみのる
   それが農家の仕事 ああ、わが仕事

   しかし農家に明日はない
   働けど働けど 報われることなし
   秋、待ちて久しき 収穫の日よ
   豊かな稔りも 新たな悲しみ

   だから農家に明日はない
   働けど働けど 報われることなし
   ああ、父母たちの 営々として
   耕しつづけた 大地は悲しき

 ・タイトル「都市と地方
   都会は自由 そして栄えてる
   ヒトもモノも東京に
   集まってしまうんだ!
   だけど私は 農家の娘
   生まれ育ったこの村が
   とっても好きなのよ
   土と緑と水に 抱かれて過ごす
   田舎暮らしは素敵よ
   あなたも知ってるはずね

   それでもヒトは 東京に集まるのさ
   地方は忘れられて 誰もいなくなった

   田舎には楽しみがない
   地方には輝きがない
   駅前には誰もいない
   商店は店じまい
   悲しいけど 現実

 ・タイトル「悲しき業者
   昼なお暗き 闇と知りつつ
   へつらい媚びて プライド捨てる
   部署ごとに 利権わけあい
   天下り 役人の楽園
   ご機嫌とりに 精を出し
   夜、酒盛りの 宴がつづく
   それが私の仕事 ああ、わが悩み

   しかし仕事は選べない
   働けど働けど  報われることなし
   悪、ついに染まりし 契約の日よ
   巨額の儲けも 大きな苦しみ

   そうだ私も立ち上がろう
   少しでも少しでも 世のためになるなら
   ああ、役人どもの 復讐なんか
   恐れることなく 勇気をふるおう

 ・タイトル「逆転の夏
   その日はいつかくる
   あきらめずに歩きつづけて
   勝利という名のあなたを
   この手に抱きしめられる しあわせ

   どこにいるのだろう
   あなたを探して
   きょうは見つからない
   明日もだめでも
   その日はいつかくる
   あきらめずに求めつづける
   勝利という名のあなたを
   この手でつかまえられる 時まで

 …煽っているなあ、と私は感じたのですが、そうでもないのでしょうか。「働けど働けど」というフレーズがお気に入りのようですね。公演では、ミュージカル上演後、地元選出の国会議員の演説や、参院選立候補者のあいさつ、菅氏の演説などがあったそうです。何というか、私には、センスがいいようには思えないのですが、民主党が本当に形振りかまわずに選挙を戦ったのはよく分かります。このイザにも、期間限定で民主党議員のブログが立ち上がっていましたし。

 自民党には今回、やはりいろんな意味で必死さが足りなかったのではないかという気がしています。別に、ミュージカル上演を勧めるわけではありませんが。私もいったい、何を書いているんだか。反省してきょうのところは、ここらでやめます。


 あの参院選から3週間以上がたったというのに、いまだにその衝撃から完全に抜け出すことができずにいます。27日の内閣改造で、私自身も心機一転、気分を切り替えることできるかどうか、期待と不安を抱えて見守っているところです。で、本日もそんなことをぼーっと考えながら某所を歩いていて、こんなポスターを見つけました。もういいかげん、撤去してほしいものです。



 ポスターで参院選のことを思い出してなんだか、憂鬱な気分にさせられたので、総務省選挙課に電話し、「どうにかならないものか。取り締まることはできないのか」と自棄気味に聞いてみたのですが、「本人か事務所にでも言って、撤去してもらうしかないでしょう」と簡単にあしらわれました。まあ、しかし、こうしたポスターも民主党ばかりが目についた選挙でもありました。今回の参院選にかける熱心さと用意周到さが、自民党に比べて一枚も二枚も上手だったのかもしれません。

 ところで、全く話は違いますが、先日、憲法改正反対と安倍首相を批判する立場から安倍政権について検討し、論評した「安倍政権論 新自由主義から新保守主義へ」(旬報社、渡辺治著)という本を読んでみました。私とは考え方や主張は全く異なりますが、これがけっこう面白く、安倍首相の背景や小泉前首相との相違点などに関する分析それ自体には、頷ける点も多々ありました。例えば、第1部第5章「安倍政権の担い手、ブレーンと支持基盤、政権の矛盾」の「安倍首相のブレーンたち」には、次のようにありました。

 《(前略)国内政治では強いナショナリズムの思想をもち、靖国神社への参拝、教育基本法改正による伝統と文化の教育の強化、皇室典範改正による女性天皇・女系天皇容認への強い反対、そして憲法改正などを主張する。反面、構造改革や日本の経済などにはあまり強い関心をもたない。せいぜい日本経済の活性化による「強い日本」の復活を漠然と望むくらいである。
 以上のような安倍ブレーンの構想には、いくつかの特徴がある。一つは、その主張する領域が極めて狭く限られている点である。経済政策や福祉、社会保障などにはほとんど独自の主張をもたないことが最たるものである。
 二つ目は、彼らの構想は明らかに従来の保守勢力主流や財界の思想とはかけ離れており、そのため、一貫して保守の傍流に追いやられていたという特徴である。今やそうした構想の担い手が安倍の政権掌握によって主流的位置に浮上してきた点が注目される。》

 私は、安倍首相には一般に言われるような固定的な「ブレーン」はいないと思っています。人の意見には耳を傾けはするものの、結局いつも自分で判断して決める人だと考えているからです。ただ、安倍首相がときに夜会合などで意見を交わす相手を広い意味での「ブレーン」だとすると、この本の指摘する点はけっこう当たっているのかもしれません。私自身は、ブレーンでもブレーンもどきでもなく、ただ周辺をうろうろ取材しているだけですが、傾向性としては私も同じだなあと苦笑いするしかないような。

 それにしても、保守の傍流か。自民党の宏池会的なあり方が「保守本流」であるとすれば、確かに安倍首相もその周囲も傍流でしょうね。私もかねて、安倍政権は自民党内の少数派が政権を握った希有な政権だと考えてきました。ですから、この点でも同意できます。安倍首相は官房副長官に就任するまでは、自宅では産経1紙だけを購読(もちろん、事務所は別)していましたが、これもある意味、マイナーな話ではありますね。残念ながら。

 この渡辺という人(著者紹介を見たら一橋大教授とありました)は、《安倍のようなタカ派のイデオロギーをあからさまに表明する政治家は、小国主義の政治が安定していた1990年代初頭には、保守政治の主流には、いわんや首相にはとうていなれる展望はなかった》と書いています。私もその通りだろうと思います。だからこそ、安倍首相のそうした主張が広く受け入れられるような時代に変わってきたのかと期待していたのですが…。参院選で示された「民意」は、あまりに厳しく、多くの国民の政治への期待は別の場所にあると指摘するものでした。

 今回の内閣改造がどうなるかは、安倍首相がこれからどういう政治をやろうとするのかに直結しますから、昨年の組閣以上に注目したいと思います。何としても態勢を立て直し、来るべき本当の政権選択選挙である衆院選に向け、成果を出してほしいものだと思います。

 


 私は今月2日のエントリで某与党の参院選広報戦術についてちょっと触れました。某与党とは、中国で最も有名な日本人の一人として知られる名誉会長がいる裕福な宗教団体を支持母体に持ち、憲法の定める政教分離の原則が、いかにどうとでも解釈できるものかを示す実例となっている政党のことです。こんな少ないヒントでは、何党のことかちょっと分からないかもしれませんね。

 政治と宗教との関係を語るとき、公明党と創価学会(面倒なので実名にします)、そしてその支援を受ける自民党が取り上げられることが多いように思います。それも当然なのですが、実際には永田町をうろうろしていると、立正佼成会、仏所護念会、世界救世教…といろいろな宗教団体が政治や政党とかかわりを持っていることが実感できます。果たして票に結びつくものなのかは分かりませんが、統一協会の機関誌を議員会館で見かけることもあります。

 さて、このたびの参院選での宗教団体の動向を見るとき、注目されたのが浄土真宗本願寺派でした。今回、初めて民主党から僧侶の藤谷光信氏を「特別推薦」し、当選させたからです。それまでは自民党から出馬させて僧侶を国会に送り出すことはあったのですが、民主党は初めてのことでした。背景には、教育基本法や国民投票法などをめぐる自民党の政治路線との不協和音もありましたが、やはり大きいのは創価学会と自民党との結びつきでしょうね。創価学会VS伝統仏教という構図が顕在化し、それを民主党がうまく利用したと。

 そこで、本日は民主党が仙谷由人氏と平岡秀夫氏の名前で、6月27日付で所属議員などに送った文書「藤谷光信候補予定者との協働行動について(連絡)」を紹介します。ああ、政党は選挙の際に、こういう風に宗教団体に働きかけるのだなという一端が分かると思ったからです。

 《6月19日に行われました藤谷光信(ふじたに・こうしん)・国会議員選対会議につきましては、国会の混乱を受け、会議開始の時間等につき、大変ご迷惑をおかけ致しました。心からお詫び申し上げます。
 さて、藤谷光信氏は浄土真宗本願寺派(西本願寺)が、33年ぶりにただ一人「特別推薦」をしている候補予定者でありますが、ご案内の通り、約1万カ寺の一般寺院にいたるのでの浸透には、なかなか困難な面も見受けられます。かと思えば、藤谷光信氏は、東西本願寺をはじめ、曹洞宗、真言宗など伝統仏教教団の連合体である全日本仏教会の推薦も頂戴しておりまして、その推薦状や「民主」号外(教育基本法特集号)などを持参しながら面談をいたしますと、本願寺派(西本願寺)以外の伝統仏教教団からも、熱いご支援を頂けているところであります。
 つきましては、「都道府県における宗教法人事務主管部局一覧」をご送付申し上げますので、その部局にご連絡の上、各都道府県の宗教法人名簿を入手なさり、その名簿所蔵の伝統仏教団(各宗派の寺院)をご訪問の上、藤谷光信候補予定者との協働行動をぜひおとりくださいますよう、お願いをする次第です。
 なお、都道府県によっては、例えば、東京都宗教連盟、大阪府宗教連盟などが、有料にて名簿を頒布しているところもありますが、原則として無料の情報公開資料ですので、この機会に入手されておきますと何かと便利ではないかと存知ます。
 また、浄土真宗本願寺派(西本願寺)のほか、真宗大谷派(本山、東本願寺/約8600カ寺)、真宗高田派(約637カ寺)、真宗興正派(約600カ寺)、真宗仏光寺派(約360カ寺)、真宗出雲路派(約57カ寺)などで構成する「真宗10派連合」(事務局、西本願寺内)という組織があり、その各派からも推薦状を頂いておりますので、真宗各派の寺院を訪問する際には、推薦状をご持参いただくと、より効果的かと存じます。
 両推薦状のコピーは、本日、藤谷事務所から発送しますが、それをコピーして御利用ください。推薦状に関するお問い合わせは、藤谷選対事務所・○○事務局長までお願いします。
 お問い合わせ先:民主党宗教と政治を考える会》

 …まあ、実際は、藤谷氏の得票数は7万9656票で、当選順位は民主党の比例代表で17位ですので、創価学会が脅威を感じるほど、今のところ伝統仏教団体から票が集まったとはいえません(自治労など労組票に比べても、たいした数字ではありませんね)。しかし、今回の藤谷氏の当選で、今後、さらに選挙への関与を高める可能性はありますね。分かりませんが。

 話は飛びますが、民主党が6月2日の全国幹事長会議に提出した「2007年参議院選挙 確認団体政治活動用ポスター証紙 配分案」をみると、各都道府県選挙区にポスターが傾斜配分されていることが分かります。当然なのでしょうが、人口に比例させず、候補者が強いところは少なめにしたり、接戦となりそうなところは多めにくばったり。例えば、東北ブロックを見ると、青森、岩手が2600枚なのに対し、宮城1800、福島1500などと。いやあ、選挙って本当に大変なのだと思います。それにしても、民主党はやはり、用意周到に今回の選挙に臨んだのでしょうね。自民党の方が、「なんとかなるさ」という空気が充満し、準備不足だったように思います。

 昨日、かつて参院で権勢ふるった某元議員と話をしたところ、彼は今回の参院選についてこう言っていました。いわく「安倍首相もかわいそうだ。候補者はあらかじめ決められ、差し替えは許されなかった。参院選を仕切る人物も戦術も決められた上で負けると分かっていた選挙を戦い、責任だけとれと言われてもな」。まあ、立場によっていろいろな見方があるというお話でした。


 終戦の日である昨日、東京・北の丸公園で開かれた全国戦没者追悼式での河野洋平衆院議長のあいさつ文を読んで、私は言葉を失いました。この人のあいさつ文が独りよがりで変なのはいつものことですが、よりによってこれが、全国から集まった戦没者遺族に投げかける言葉なのかと。これは、肉親を失った遺族への深い思いや共感のたぐいでは決してなく、単なる河野氏自身の安っぽい自己満足のせりふの羅列ではないかと。こんな人を3権の長として奉っているわが国の不幸に今更ながらに気分が暗くなります。

 まずは、河野洋平衆院議長の追悼の辞全文を掲載します。

 《天皇皇后両陛下のご臨席を仰ぎ、全国戦没者追悼式が挙行されるにあたり、謹んで追悼の辞を申し述べます。
 終戦のご詔勅のあの日から62年の歳月が流れました。国策により送られた戦場に斃れ、あるいは国内で戦火に焼かれた戦没者の御霊に中新り哀悼の誠を捧げます。
 今日のわが国の平和と繁栄は、戦没者の方々の尊い犠牲の上に築かれたものであり、私たちは日本人として、これを決して忘れてはならないと思います。300万余の犠牲は、その一人一人が、一家の大黒柱であり、あるいは前途に夢を持ち、将来を嘱望された青年男女でした。残されたご遺族の悲しみを思います時、私は失ったものの大きさに胸が潰れる思いであります。
 そしてそれは、わが国の軍靴に踏みにじられ、戦火に巻き込まれたアジア近隣諸国の方々にとっても、あるいは真珠湾攻撃以降、わが国と戦って生命を落とされた連合国軍将兵にとっても同じ悲しみであることを私たちは胸に刻まなければなりません。また私は、日本軍の一部による非人道的な行為によって人権を侵害され、心身に深い傷を負い、今もなお苦しんでおられる方々に、心からなる謝罪とお見舞いの気持ちを申し上げたい思います。
 私たち日本国民が、62年前のあまりに大きな犠牲を前にして誓ったのは「決して過ちを繰り返さない」ということでした。そのために、私たち一人一人が自らの生き方を自由に決められるような社会を目ざし、また、海外での武力行使を自ら禁じた「日本国憲法」に象徴される新しいレジームを選択して今日まで歩んでまいりました
 今日の世界においても紛争は絶えることなく、いまも女性や子どもを含む多くの人々が戦火にさらされ苦しんでいます。核軍縮の停滞がもたらした核拡散の危機は、テロリズムと結びついて私たちの生存を脅かそうとさえしています。私たちは、今こそ62年前の決意を新たにし、戦争の廃絶に向け着実な歩みを進めなければなりません。その努力を続けることこそ、戦没者の御霊を安んずる唯一の方法であると考えます。
 私は、国際紛争解決の手段としての戦争の放棄を宣言する日本国憲法の理念を胸に、戦争のない世界、核兵器のない世界、報復や脅迫の論理ではなく、国際協調によって運営され、法の支配の下で全ての人の自由・人権が尊重される世界の実現を目ざして微力を尽くして参りますことを全戦没者の御霊を前にお誓いし、私の追悼の詞といたします。》

 河野氏は、型どおりに遺族たちへの同情を示した上で、いきなり、その思いはアジア諸国民や連合国軍将兵の家族も同じなのだとお説教をたれています。真珠湾攻撃にまで言及して。まるで、悲しいのはあなた方日本の遺族だけではない、日本が悪いのだから我慢しろと言っているようにも感じました。また、河野氏が言う「日本軍の一部による非人道的行為」とは、明言はされていないものの、これまでの彼の言動から慰安婦に関することだと分かります。そして、謝罪とお見舞いの気持ちを改めて強調していますが、それが戦没者を慰霊する日に遺族にわざわざ話すことでしょうか。

 河野氏はさらに、私が前回のエントリで触れた広島の原爆慰霊碑の碑文と同じ言い回しで、日本国民は「過ちを繰り返さない」と誓ったと決めつけています。先の大戦の評価に関しては、悲惨の結果を生んだこと自体はだれしも認めることであっても、「あの状況下では、戦争に至ったのもやむをえない」という考え方も決して少なくないと思います。終戦50年の年の平成7年のことですが、サヨク・リベラル路線で有名な岩波書店の編集者と意見交換した際も、相手は「戦争自体はやむをえなかった」と率直に語っていました。要するに、多様な考え方があるのは分かり切っているのに、河野氏は評判の悪い碑文の言葉を日本国民の共通認識だとしたわけです。

 その上で河野氏は、これまた文脈上、不必要な「新しいレジーム」という言葉を用い、安倍首相の掲げる「戦後レジームからの脱却」を皮肉ってみせました。河野氏の政治信条が安倍氏と正反対だとして、それが武道館に集まった遺族たちに何のかかわりがあるというのでしょうか。天皇皇后両陛下の目の前で、ときの首相をあてこすり、厳粛な式典の品位を落とすような行為を、この人はどうしてしなければならなかったのかと疑問でなりません。英霊の鎮魂についても、勝手に自分の考えが唯一の方法だと述べています。

 河野氏は最後に、報復や脅迫の論理ではなく、法の支配の下で全ての人の自由・人権が尊重される世界の実現に尽くしていると自賛しましたが、河野氏が愛してやまない中国が、そんな国ではないことは、地球人類の半分ぐらいは知っている常識だろうと思います。あまり下品な言葉は遣いたくありませんが、私はこのあいさつ文に、正直なところ吐き気すら覚えます。きっと河野氏は、自分自身のことを、世界平和をまじめに祈る同情深いいい人だとでも認識しているのでしょうが、この文章から浮かび上がる姿は、自分勝手で他人の気持ちが分からないナルシストという感じでしょうか。たぶん、何を指摘されても決して反省せず、いつも自分は正しいと思うタイプの人なんだろうないう気もします。私は他人のことを言えるようなまともな人間ではありませんが、この人に対しては…。

   さて、一方、江田五月参院議長の追悼の辞は次の通りです。この人も憲法を前面に打ち出し、わが国の加害を強調している点では河野氏と似ていますが、まだ抑制が効いているように思いました。まあ、北朝鮮の拉致実行犯、シン・グァンス元死刑囚の釈放嘆願書に署名した人ですから、河野氏と同じような考え方をしているのかもしれませんが。

 《天皇皇后両陛下の御臨席を仰ぎ、全国戦没者追悼式が行われるに当たり、参議院を代表して、謹んで追悼の言葉を申し上げます。
 幾多の悲しみをもたらした先の大戦が終わりを告げたあの夏の日から、はや62年の歳月が過ぎました。あの苛烈を極めた戦争の犠牲となられた多くの方々の無念の気持ちに思いを馳せ、最愛の肉親を失われたご遺族の皆さまの深い悲しみと戦中戦後の長きにわたるご労苦を思うとき、今なお痛恨の情が胸に迫るのを禁じ得ません。
 戦後、わが国は、日本国憲法の掲げる平和と民主主義の理念の下で、国民のたゆまぬ努力によって、焦土の中から今日の飛躍的な発展を遂げてきました。今日、平和と繁栄を享受しているからこそ、それだけ一層、私たち国民一人ひとりが平和の尊さとそのための努力の大切さを改めて深く胸に刻み、わが国だけでなく広く世界のすべての人々の平和と幸福の実現に努力していかなければなりません。
 先の大戦では、わが国の侵略行為と植民地支配により、アジア諸国をはじめとする多くの人々に多大な苦しみと悲しみを与えました。その深い反省の上に立って、悲惨な戦争を二度と繰り返さないという固い決意を改めて確認し、世界の人々から信頼される平和国家を築いていくことは、私たちの責務であります。そして、世界の人々と手を携えて、核兵器の廃絶はもとより、あらゆる戦争の根絶に向け、積極的に訴え行動していかなければなりません。
 世界では、地域紛争や民族・宗教間の対立など、現在も争いが絶えることなく続いているのが現実です。世界が様々な困難を克服し、この地球上に生を受けたすべての人々に平和で希望に満ちた未来を約束できるよう、参議院においても、国政審議等を通じ、今後とも渾身の努力を傾けていくことをここに固くお誓い申し上げます。
 終わりに、戦没者の方々にあらためて追悼の意を表し、ご遺族の皆さまのご健勝とご多幸を心からお祈りして、私の追悼の言葉といたします。》

 この戦没者追悼式には私は行っていませんが、式典と同じころ、靖国神社に参拝(取材)に行ったのでそのときの写真をアップします。過去最高の人手だった昨年に比べ、参拝客は少なかったのですが、暑さは半端ではありませんでした。

  

 若者の姿が、心持ち昨年より目立ちませんでした。昨年に比べ、靖国神社に対する世間の関心が薄れているのかなと思いました。

  

 英霊には感謝の気持ちをささげる一方、どうか日本のこれからを見守ってくださいと祈りました。

  

 この集会では、安倍首相への評価と失望、厳しい政治情勢などが語られていました。古屋圭司衆院議員のあいさつが予定されていましたが、列車事故に巻き込まれたとのことで、残念ながら話は聞けませんでした。

  

 大鳥居から地下鉄の駅に向かう路上では、さまざまなビラが配られていました。また、左翼過激派らしい集団が、「国会議員の靖国参拝を許すなぁ」「靖国神社粉砕!」などと騒いでいましたが、どうでもいいので特に注意を払うこともせず通り過ぎることにしました。


 今朝の産経新聞1面には「インドに4000億円借款 関係強化、中国牽制狙う」というトップ記事の下に、小さく「パール判事の長男と面会へ」というベタ記事が掲載されていました。記事の中身は《安倍晋三首相がインド訪問中、極東国際軍事裁判(東京裁判)で判事を務めた故パール判事の長男と会うことが13日固まった。パール判事は、戦勝国が敗戦国指導者を裁くことに疑問を提起、判事の中で唯一被告人全員の無罪を主張した。靖国神社には顕彰碑が建立されている。首相はインド独立運動の指導者、故チャンドラ・ボース氏の子孫とも会談する。》というものでした。

 ふーん。なるほど。この「長男」とは、私がかつて握手してもらったプロサント・パール氏のことかな(※昨年7月12日のエントリ「朝日新聞がパール判事について触れなかったこと」を参照してください)。パール氏については、森喜朗元首相も小泉純一郎前首相もインド訪問時に名前を挙げていましたが、日本の首相が息子さんと直接会って話をするのは珍しいのではないでしょうか。実は私は、平成12年8月の森氏インド訪問、17年5月の小泉氏インド訪問の両方に同行記者としてついて行ったのですが、そのときにもそんな記憶はありません。

 今回の会談について、時事通信は《パール氏の遺族との懇談は、A級戦犯を「アジアや世界に災難をもたらした元凶」(2006年8月15日の中国外務省声明)と非難する中国などを刺激する可能性もある》と先回りして書いています。さて、安倍首相はパール判事についてどんな言葉で語るのでしょうか。ああ、どうせなら、今度の安倍首相インド訪問にもついて行って直接取材したいところですが、もう官邸担当の後輩記者が行くことに決まっているので残念です。

 森氏と小泉氏のインド訪問時のパール判事についての言及に関しては、当時、私は短い記事にしました。本当はもっと大きく詳細に取り上げたかったのですが、他紙はほとんど記事にしていなかったので、載っただけマシかと。以下の文がそれです。

 《インド訪問中の森喜朗首相は、24日(日本時間同日)にニューデリー市内の国際会議所で行った政策演説で、先の大戦で日本とともに戦った独立の志士、チャンドラ・ボースや極東国際軍事裁判(東京裁判)で日本無罪論を展開したパール判事らの存在に言及した。日本に関係が深く、〝東京裁判〟とは異なる歴史認識を代表した二人を取り上げることで、独自のアジア外交を展開したいという首相の思いとともに、「親日国インド」への親近感を表明したかったようだ》(12年8月25日付)

 《小泉純一郎首相は28日深夜にインド入りし、29日午後、ニューデリー市内で開かれたインド経済3団体との昼食会で演説した。首相は「東京裁判でのパール判事の真摯な姿勢や、ネール首相から贈られた象は、両国の友好の象徴として今日でも多くの日本人の心に刻まれている」と述べた。パール判事は極東国際軍事裁判(東京裁判)で連合国が一方的に裁く裁判のあり方を批判して日本無罪論を展開した。インド初代首相のネールは、占領下の東京・上野動物園にまな娘の名前をつけたインド象「インディラ」を贈っている。こうしたエピソードに触れながら首相は親近感を込めて「アジアにはインドという日本の友がいる」と強調した。》(17年4月30日付)

 この小泉氏の「インドという日本の友がいる」という言葉は、当時、けっこう重たいなあと感じたのを覚えています。あのころ、日中関係は冷え切っていて、それを快く思わないメディアがまるで日本が世界の孤児になるかのような書きぶりをしていましたから。日本の首相のインド訪問は、森氏によって再会されるまで10年間途絶えていましたから、森、小泉、安倍と3代続くのは、とてもよいことだと思います。

 話をパール判事に戻すと、先日、夕刊当番の際に会社のロッカーを整理していたところ、「パール博士のことば 東京裁判後、来日されたときの挿話」(田中正明著)という40ページほどの小冊子が出てきました。それを改めて読み返していて、よく知られているエピソードですが、やっぱり何度読んでも新たな感慨を覚えるなと思った部分がいくつかありました。ちょっと引用します。昭和27年の話です。

 《11月5日、博士は原爆慰霊碑に献花して黙祷を捧げた。その碑に刻まれた文字に目を止められ通訳のナイル君に何と書いてあるかと聴かれた。「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから」…博士は2度3度確かめた。その意味を理解するにつれ、博士の表情は厳しくなった。
 「この『過ちは繰り返さぬ』という過ちは誰の行為をさしているのか。もちろん、日本人が日本人に謝っているのは明らかだ。それがどんな過ちなのか、わたくしは疑う。ここに祀ってあるのは原爆犠牲者の霊であり、その原爆を落とした者は日本人でないことは明瞭である。落とした者が責任の所在を明らかにして『二度と再びこの過ちは犯さぬ』というなら肯ける。
 この過ちが、もし太平洋戦争を意味しているというなら、これまた日本の責任ではない。その戦争の種は西欧諸国が東洋侵略のため蒔いたものであることも明瞭だ。さらにアメリカは、ABCD包囲陣をつくり、日本を経済的に封鎖し、石油禁輸まで行って挑発した上、ハルノートを突きつけてきた。アメリカこそ開戦の責任者である。」
 このことが新聞に大きく報ぜられ、後日、この碑文の責任者である浜井広島市長とパール博士の対談にまで発展した。
 このあと博士はわたくしに「東京裁判で何もかも日本が悪かったとする戦時宣伝のデマゴーグがこれほどまでに日本人の魂を奪ってしまったとは思わなかった。」と嘆かれた。そして「東京裁判の影響は原子爆弾の被害より甚大だ。」と慨嘆された。》

 《11月6日、博士は広島高裁における歓迎レセプションに臨まれて、「子孫のため歴史を明確にせよ」と次のように述べられた。
 「1950年のイギリスの国際事情調査局の発表によると、『東京裁判の判決は結論だけで理由も証拠もない』と書いている。ニュルンベルクにおいては、裁判が終わって3ヶ月目に裁判の全貌を明らかにし、判決理由とその内容を発表した。しかるに東京裁判は、判決が終わって4年になるのにその発表がない。他の判事は全部有罪と判定し、わたくし1人が無罪と判定した。わたくしはその無罪の理由と証拠を微細に説明した。しかるに他の判事らは、有罪の理由も証拠も何ら明確にしていない。おそらく明確にできないのではないか。だから東京裁判の判決の全貌はいまだに発表されていない。これでは感情によって裁いたといわれても何ら抗弁できまい。」
 このように述べた後、博士はいちだんと語気を強めて、
 「要するに彼ら(欧米)は、日本が侵略戦争を行ったということを歴史にとどめることによって自らのアジア侵略の正当性を誇示すると同時に、日本の過去18年間のすべてを罪悪であると烙印し罪の意識を日本人の心に植えつけることが目的であったに違いない。」》

 パール判事については、インドのシン首相も昨年12月14日に日本の国会で行った演説で「1952年、インドは日本との間で二国間の平和条約を調印し、日本に対するすべての戦争賠償要求を放棄しました。戦後、ラダ・ビノード・パル判事の下した信念に基づく判断は、今日に至っても日本で記憶されています」などと触れていましたね。「今日」だけでなく、これからもずっと、日本人が記憶にとどめておくべき人物だろうと思います。パール氏は、日本のすべてを褒め称えたり、美化したりしていたわけではありません。パール氏が日本に厳しい目も向けながら、それでも被告全員無罪の意見書を出したことの意味は小さくないと思うのです。

 ※追記 きょう夕方の安倍首相のぶらさがりインタビューで、パール判事の息子さんとの面会に関するやりとりがありましたので、紹介します。

 記者 パール判事の長男と会うという一部報道があるが、事実関係はどうか、どういう会談を期待するか

 安倍首相 インドを訪問した際、コルカタを訪問する予定です。コルカタは大変親日的な地域です。ぜひ私も一度訪れてみたいと思っています。その際、パール判事のご子息の表敬を受ける予定で調整中です。パール判事はご承知のように日本とゆかりのある方です。お父様のお話などをうかがえることを楽しみにしています。

 記者 今回の会談をめぐっては、A級戦犯を非難しているアジア諸国などを刺激するとの見方があるが

 安倍首相 いや、そんなことにはならないと思います。

 …たったいま、NHKニュースで安倍首相とパール判事の息子さんの面会について報じていました。パール氏の肖像写真も登場しました。こういう報道の積み重ねで、パール氏に対する国民の関心が高まるといいな、と感じました。うーん、やっぱりインドに同行して現場で取材したいなあ。

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