2007年09月

 今日はブログとしてはちょっと反則(?)なのかどうか分かりませんが、民間のシンクタンク、日本政策研究センターの伊藤哲夫所長が書かれた論説「安倍首相の困難な『戦い』」(雑誌「明日への選択」10月号掲載」)が、私と認識を共有する部分が非常に多いので、ご本人の許可をとってそのまま転載させてもらうことにしました。このブログを訪問してくれる方々に読んでもらいたいと思ったからです。

 いま現在、安倍氏に対しては、病で力尽きた辞め方もあって、「未熟」という形容がつきまとっています。なるほど私も、本来であれば、首相に就任するのが3~5年早すぎたとは、就任当初から考えていました。しかし一方で、テレビなどで報じられた首相就任以降の安倍氏しか知らない人たちが、「未熟」「ひ弱」「甘ちゃん」などと決めつけているのを見ると、違和感を禁じ得ないのです。

 伊藤氏の論説も指摘していますが、安倍氏はヒラ議員、官房副長官、自民党幹事長…と、首相になるまでの間、「日本の前途と歴史教科書を考える若手議員の会」や「拉致議連」をはじめとする党内外の保守系議員連盟や諸活動のとりまとめ役であり、リーダーであり、ときに背後に隠れて運動を実質指揮する存在でした。この点については、よく知らない人が多いように感じるので、また機会を見てエントリを立て、もっと詳細に書こうかとも思っています。

 これは記者としての私自身の未熟さを表しているに過ぎないかもしれませんが、長年安倍氏の活動を取材してきた私にとって、安倍氏は未熟というよりしたたかで、ときに老獪ですらあり、また政治家として必要な「ずるさ」も十分持ち合わせているように思えました。それが、どうしてこのような事態に陥ったのか。

 そんなことを考えていた折に、伊藤氏の文を読み、ぜひ紹介したいと思った次第です。以下、掲載します。きょうはなぜか文字がゴチックになり、元に戻せないので、読みにくかったでしょうがご勘弁ください。

安倍首相の困難な「戦い」

 安倍首相の辞任について書かせていただく。

 なぜあのような突然の辞任になったかについては色々な見方もあったと思うが、要は二十四日の記者会見に尽きていると思う。倒れてもやるべきだった、との見方もあるが、そんな半端な体力・気力で切り抜けられるほどこの国会は甘くはない。最後はせめて特措法だけでも、とのメッセージを残しつつ辞任した、というのが真相ではないか。筆者としてはただただ残念と言うしかない。

 首相辞任後、「われわれは安倍さんを単騎突撃させ、討ち死にさせてしまった」との感想を漏らした国会議員がいたが、この一年の安倍首相の軌跡を振り返る時、筆者もその感を深くする。首相になるまでの安倍氏はあらゆる面で党内保守派のリーダーであり、また全てのまとめ役・推進役であった。ところが、その安倍氏が首相に就任するや、その安倍氏が果たしてきた役割をになうリーダーがいなくなってしまったのである。加えて、郵政選挙により本来ならその役割を担うべき人材が党内から排除されていた。以後、安倍首相は全て一人で論陣を張り、戦うという重荷を負ってきたように思うのだ。


 それも「任命責任」だと言われれば反論のしようもないが、この一年、われわれは最後まで安倍内閣の閣僚や側近と言われる政治家たちから、積極的に「安倍政治」のめざすものや意義といったものを説く言葉を聞くことがなかった(むろん一部の例外はあるが)。例えば、就任当初のあの中国・韓国訪問の真のねらいといったものも、また米議会下院における慰安婦決議問題の際の首相の真意といったものも、結局何一つ説明されることがなかったのである。

 首相という立場は、自分の抱懐する本音を率直に語れるような単純なものではない。時には本音とは逆のことも言わねばならない立場だと言える。であればこそ、「いや実は首相が考えていることはこういうことなのだ」と、国民にその真意を説明する人間が必要なのである。にもかかわらず、そうした言葉は一切聞こえてはこなかった。全ては首相が自ら発信し、自ら説明するという形にならざるを得なかったのである。

 安倍政治がめざしたものは、これまでのわが国の政治から言えば、まさに革命的なことであったと言える。それだけに左翼勢力からは常軌を逸した反撃がまた連日のように続けられたわけだが、それと戦うためにはそれなりの重層的な布陣が必要であった。しかし、その任に堪えうる政治家そのものがきわめて少なかったのだ。安倍政治の意味するところも、左翼勢力との戦いの困難さも、とてもわかっているようには思えない政治家が多かったのではないか。

 安倍首相辞任後、政権を支えていた政治家までもが「福田支持」に回るという信じがたい流れになったことは周知の通りだ。これなどはここ数年の政界の「保守化」というものがいかに「上げ底」的なものであったかの例証とも言えるが、同時に安倍首相の戦いというものがいかに困難で孤立したものであったかを示すものなのではなかろうか。安倍首相という柱が倒れたと同時に、十年前のあの薄汚れた「古い自民党」が復活するという現実は信じがたいものであったが、考え方を替えれば実に示唆的だったとも言えるからだ。

 いずれにしても、これからしばらくは「揺り戻しの時代」となろう。われわれ保守派としてはもう一度わが陣営を固めつつ、再挑戦していく他ない。一時的な揺り戻しはあろうとも、だからといってこれまでの日本再生の流れが全て無意味になってしまうはずもない。どこかでもう一度、「反転攻勢」のチャンスが訪れるのではないか。その日を信じ、今からもう一度やり直すのだ。

 安倍政治がめざしたものを筆者なりに整理してみれば、要は古い体制古い自民党と「官僚内閣制」からの脱却、原理も原則もない自虐的な外交から新しい「主張する外交」への転換、「開かれた保守主義」に基づく教育や社会政策の全般的見直し、日本版NSCに代表される「官邸主導体制」の確立による国家戦略をもった政治の実現といったものであったように思う。この戦いは一敗地にまみれたが、しかし種子は確実に残った。とすれば、いつかそれが花となって咲く日のくることを信じ、われわれも頑張っていかねばならないと改めて思う。(日本政策研究センター所長 伊藤哲夫)》

  「われわれは安倍さんを単騎突撃させ、討ち死にさせてしまった」。どの議員がこう言ったのか、だいたい想像がつく気がしますが、何とももの悲しい言葉だと胸に響きました。


 昨日、安倍内閣の総辞職と福田康夫氏の首班指名に基づき、福田内閣が発足しました。まあ、急場しのぎでもあるし、安倍改造内閣を大きく変えることはないと思ってはいたのですが、それどころかほとんど居抜きでしたね。福田首相自身、「必要最少限にとどめた」と言っていますが、確かに伊吹前文部科学相の自民党幹事長就任と、町村前外相の官房長官就任による玉突き人事があった程度で、安倍改造内閣とほとんど変わっていません。正直なところ、やはりという気持ちと、よくここまで割り切って徹底したものだなという印象と、両方の感想を抱きました。

 ただ、ここまで安倍改造内閣と違わない形にしたということは、福田首相は事情が許せば、この臨時国会閉会後に改造を行い、そこで「福田色」を出してくるつもりなのでしょう。その前提で、私なりに福田首相の組閣の狙いというか、事情について〝憶測〟を述べることにします。

 まず、この内閣は各方面からの批判を封じ込めることに主眼を置いたのだな、ということです。私もたびたび書いてきたことですが、福田首相は歴史観や特定アジアへの視線、拉致問題の優先順位などで安倍前首相(この表記は寂しいですね)とはかなり異なります。それが、昨日の記者会見では福田氏は「基本的には前内閣を踏襲する」と語りました。安倍氏が苦心惨憺して考えた布陣をそのまま引き継げば、当面は福田首相を警戒してきた人(私もそう)たちも、文句がつけにくいだろうと考えたのだと思います。何かあったら「前首相が起用した人物だ」と言い逃れることも可能ですし。

 この点では、閣僚もさることながら、中山拉致問題担当首相補佐官、山谷教育再生担当首相補佐官の二人を留任させたことも大きいですね。福田首相はこれまで拉致問題に冷淡だと言われてきましたし、教育問題について何か系統立ったことをしゃべるのを聞いたこともありません。昨日の就任記者会見でも、安倍氏と違って教育問題には触れませんでした。それなのに、この二人を使うというのは、とりあえず、そんなに急に路線を変えるわけではないですよ、というメッセージになっています。

 逆に中山氏や山谷氏にすれば、これまでの安倍路線を続けるためには、自分たちが踏みとどまらないといけないという思いもあったかと推察します。中山氏は安倍氏が官邸を去るときには自分も辞めることになるだろうと言っていましたし、山谷氏は教育再生への取組で、安倍氏に高く評価されていましたし。中山氏の留任で、拉致被害者家族会と官邸とのパイプは当面維持され、家族会の福田首相批判も表面的には抑えられるという計算もあったのだと考えます。

 総裁選で麻生前幹事長を支持した甘利経済産業相、鳩山法相を留任させたのは、入閣を固辞した麻生氏からとった人質とも言えます。公務員制度改革の旗振り役である渡辺行政改革担当相の留任で、「官僚大好き」という自分のイメージが中和されるのであれば、と福田氏は考えたのかもしれません。単に時間がなくて党内に人脈も少ないので、開き直ってそのままにしたのかもしれませんが。

 また、居抜き内閣とすることのメリットとして、「政治とカネ」の問題をある程度クリアできるということもありますね。安倍改造内閣発足時に、鴨下環境相や若林農水相の問題が指摘されましたが、一応クリアした形なので、福田内閣がこの問題で追及されることはあまりないだろうと。新たな閣僚をたくさん入れると、問題・疑惑をつくろうとすればいかようにもできるメディアの標的にされる可能性がありますからね。それにしても再任13人というのはすごいというか、何というか。

 山崎派から渡海文部科学相を初入閣させたのは、総裁選で真っ先に福田氏擁立に動いた山崎拓元副総裁への配慮でしょう。福田政権成立は、森元首相らがとりまとめ役になりましたが、山崎氏の貢献も大でした。そこで、永田町では「山崎氏を処遇しないわけにはいかないのでは。軽量閣僚は難しいし、まさか外相にするわけにもいくまい。また副総裁か?」などと、面白半分にささやかれていました。しかし、福田氏としても、かつて裁判で「変態」であるかどうかが争われた人物を直接登用することははばかられたようです。山崎氏自身は面白くないかもしれませんが、まあ常識的な判断です。

 臨時国会では、インド洋などでテロ対策の補給活動を継続するための新法が最大の焦点です。私は今回の組閣を見て、福田首相はとりあえず、臨時国会ではそれ以外のことはあまりする気がないのだな、と少しだけ安心しました。もちろん、油断はしませんが。

 ただ、臨時国会で何とか新法が通り(通るかどうか分かりませんが)、無事に国会を閉じることができれば、今度は福田氏自身がやりたいことをやるための改造を実施するかもしれません。そのときの布陣は要注意だと思います。すでに党4役の中には、人権擁護法案に熱心な二階総務会長、古賀選対委員長らがいますし、谷垣政調会長は女系天皇容認派です。現閣僚の中にも、公明党の中で最も外国人参政権付与に情熱を燃やす冬柴国土交通相が残っています。

 先のことは分かりませんが、一つ予想すれば、福田氏はもし内閣を改造することになったら、板東真理子・元内閣府男女共同参画局長を登用するかな、という気もしています。この人は埼玉県知事選に出て落選するぐらい政治志向があるし、最近は「女性の品格」という本が売れているようだし。実は、中山首相補佐官が小泉政権時代に拉致問題担当の内閣官房参与に起用される際、福田氏の初めの意中の人はこの板東氏だったと当時、政府関係者から聞いていました。そうなっていたら、中山氏ほど家族会と心が通っていたかどうかは分かりません。

 組閣翌日ということで、とりあえず感じたことを記しました。また具体的な動きが出てきたら、そのときどきに見聞きし、思ったことを報告したいと考えています。淡々と冷静に福田内閣を見つめていこうと思っているのです。


 本日、安倍内閣は総辞職しました。昨年9月26日の発足でしたから、ちょうど丸一年の安倍政権でした。安倍首相とその政権に対する評価や思いは、これまでさんざん書いてきたので、きょうはもう触れません。ただ、私がデジカメに収めた安倍首相の写真の中から、未紹介のものを掲載したいと思います。

 まずは今年4月29日、中東歴訪中の安倍首相が、テロ対策特別措置法に基づき洋上補給活動で活躍している護衛官「はまな」を訪れたときの写真です。安倍首相は「はまな」の甲板で、遠く日本を離れてテロと戦う海上自衛隊員たちと記念撮影を行いました。民主党の小沢一郎代表らは、この隊員たちの活動を憲法違反だの、対米追随行為だのと言っているわけですね…。



 次の写真は、安倍首相が「はまな」を去る際、船内から帽子を振る隊員たちの写真です。今日のことを思うと、なぜだか切なくなる写真でもあります。

 

 今度は、5月1日、クウェートのアリ・アルサレム空軍基地に駐留する航空自衛隊のイラク復興支援派遣輸送部隊を訪問した際の安倍首相の写真です。隊員から栄誉礼を受けているところです。

 

 同じくアリ・アルサレム基地で、訓辞を述べるため隊員の前に立っているところです。ここで安倍首相が語った内容は、以前のエントリで紹介したので省きますが、心のこもった温かい訓辞でした。

 

 次は基地の周囲の風景です。私の日本人としての感覚では、ひたすら荒涼として変化に乏しい寂しいものに感じました。隊員たちの労苦、寂寥感はいかほどかとしのばれました。

 

 そして、本日午前10時ごろ、首相官邸を去る際の安倍首相です。官邸玄関には職員たちが立ち並び、去りゆく安倍首相を拍手で送りました。写真が下手なうえに逆光でわかりにくいでしょうが、中央で女性職員から花束を渡されているのが安倍氏首相です。

 

 さらに、花束を持ったまま、官邸の外を見つめる安倍首相の姿です。どのような思いが去来しているのでしょうか。安倍首相は退院後も、しばらくは自宅で療養すると聞いていますが…。

 

 私が玄関に突っ立っていると、ある政府関係者が「さきほど首相と話したが、まだ十分によくなっていない感じだ。でも、きっとよくなりますよ」と話しかけてきました。私も、まだ53歳と若い安倍首相には、また活躍できるときがきっとくると思っています。この1年間は苦しみの連続だったかもしれませんが、それも糧として。

 安倍首相は内閣総辞職に当たって発表した首相談話の中で、「今後、新たな内閣のもとで、時代の変化を見据えた新たな国づくりが、力強く進められることを切望します」と述べています。私には、この「時代の変化を見据えた」という部分こそが、安倍首相の本当に言いたかった部分だと感じましたが、さきほど見たNHKニュースではこの最も大事な部分が省かれていました。安倍首相の言葉が国民に十分に届かなかった理由が、改めてよく分かるような気がしました。


 本日夕、都内の慶応大学病院で行われた安倍首相の記者会見に行ってきました。私は一番前の列に陣取りましたが、きょうは質問はしませんでした。多くの人がテレビで会見の様子をごらんになったでしょうから、あえて付け加えることはありませんが、安倍首相がまだ十分病気から回復していないのは現場で見ても明らかでした。一人の理想に燃え、溌剌とした志ある政治家を、たった一年の間にこれほど心身ともに傷つけダメージを与える政治とは、何と残酷なものなのかと、改めて感じた次第です。

 

 現場で、何枚か写真を撮りました。その中で、比較的写りの良かったものを掲載します。安倍首相は、正式に退陣する前に、とにかく国民に一言、今日の事態についておわびを述べたかったようです。また、自民党の麻生前幹事長らによる「クーデター説」を明確に否定していました。ここに安倍首相の会見全文を載せて、記録に残したいと思います(※ご指摘がありましたので追記します。記者の質問の方は大意を伝えたもので、正確にテープ起こししたものではありません)。
 

【冒頭発言】

安倍首相 13日以降入院して治療に専念してまいりましたが、思うように体調が回復せず、今まで国民の皆様にご説明をする機会を持てずにおりました。内閣総理大臣の職を辞する前にどうしても一言国民の皆様にお詫びを述べさせて頂きたいと考え、不完全ではありますが本日このような機会を設けさせていただきました。まずお詫びを申し上げたいのは私の辞意表明が国会冒頭の非常に重要な時期、特に所信表明の直後という最悪のタイミングになってしまったことです。このため国会は停滞し、国政に支障を来し、閣僚をはじめとする政府関係者の皆様、与野党関係者の皆様、何より国民の皆様に多大なご迷惑をおかけしたことを改めて深くお詫び申し上げます。

 私は内閣改造後最重要課題として、テロ特措法の延長を掲げ、APECまでの各国首脳との議論を通じて我が国の国際貢献に対する期待の高さを痛感し、シドニーでもその決意を申し上げました。しかしこの1ヶ月間体調は悪化し続け、ついに自らの意志を貫いていくための基礎となる体力に限界を感じるに至りました。もはやこのままでは総理としての責任を全うし続けることはできないと決断し、辞任表明に至りました。

 私は内閣総理大臣は在職中に自らの体調について述べるべきでないと考えておりましたので、あの日の会見ではここ1ヶ月の体調の変化にはあえて言及しませんでしたが、しかし辞任を決意した最大の要因について触れなかったことで、結果として国民の皆様に私の真意が正確に伝わらず非常に申し訳なく思っております。総理大臣在職中、多くの国民の方々に暖かく力強く応援していただいたことに感謝申し上げます。皆様の期待に十分お応えできず申し訳なく残念に思っております。

 先日自民党両院議員総会において選出された福田康夫新総裁に対し、心よりお祝いを申し上げます。私は明日で内閣総理大臣の職を辞することになりますが、新たな総理のもとで国民のための政策が力強く進められるものと信じております。麻生幹事長、与謝野官房長官の2人をはじめとする政府・与党の皆様には最後の最後まで、私を力強く支えていただいたことに対し、深く感謝しております。私も1人の国会議員として引き続き、今後力を尽くしていきたいと考えております。

 

【質疑】


記者
 一国の首相として首相辞任の最大要因について、辞任会見で話さなかった責任をどう考えるか。もし党首会談が実現してインド洋給油継続にメドがつく見通しなら続投したのか。臨時代理をおかなくて執務に問題はないのか。

 

安倍首相 初めの質問でありますが、やはり辞任の会見においては最大の要因である健康問題について、率直にお話しすべきだったと、このように思います。もちろんあの時申し上げましたようにテロとの戦いを続けるために全力を上げていきたいし、その状況が大変困難な状況になったと。自分がいることによって困難な状況を打開をしていくことは難しいと、いう中に私の健康の状況を込めたわけでありますが、そこはやはりはっきり申し上げるべきであったと思います。

 また、小沢党首との会談でありますが、衆院は自民党が与党で過半数を制している。他方参議院は野党が過半数を制していて民主党が第一党であるという状況の中で、国政を進めていく上においては、両党党首が適宜会談を行いながら、国政を進めていくことが大切でないかと考えておりました。特にテロとの戦いのような外交安全保障については、基本的に同じ基盤を共有することも必要でないか。その観点から共通点を互いにみつける意味においても、新しい信頼関係を構築しながらそういう関係を作っていくことによって打開できないかという思いで党首会談を申し入れたわけでございますが、その段階では健康上の理由もあり、私は辞任するという決意を固めておりましたが、その上に立って両党でそういうこの問題については特に関係をつくってもらえないか。というつもりでお願いするつもりでした。

 
 臨時代理については法律にのっとって職務にどの程度支障をきたすかどうかという判断の上に今回は臨時代理をおかなかったということになりました。

 

記者 総裁選について。麻生が辞意を知っていながら結果的に退陣に追い込んだというクーデター説が流れた。事実関係と受け止め。総裁選の投票先は。福田新総裁、自民党執行部に対しどういう政権運営を臨むか。

安倍首相
 麻生幹事長には総裁と幹事長という関係ですから、辞意ということでなく「最近少し体調が思わしくない」という話をしたことはございます。そして巷間言われているようなクーデター説というような、そういうことはまったく違います。そもそもそんな事実は存在しないとはっきり申し上げていいという風に思います。

 むしろ、幹事長としてこの困難な状況の収拾に汗を流して頂いたと感謝しております。総裁選につきましては、新たに福田新総裁が誕生したわけでありまして、福田総裁は官房長官として長いキャリアを積んだ方でありまして、安定感のある政策に通じた方でありまして新総裁を中心に党が一丸となって、政府・与党で政策を協力に実行してまいりたいと考えております。

何か言おうとする司会を遮って一票についてのお話でございますが、昨日総裁選は終わったわけでありまして、福田総裁のもとに一致結束していくことが大切であろうと思います。去っていく前総裁が誰にと申し上げるべきでないだろうとこのように思います。麻生幹事長にも本当に、幹事長としてよく補佐をしていただいたと感謝申し上げたいと思います。

 

記者 退院後はどう福田総裁を支えるか。次期総選挙には出馬するのか。

 

安倍首相 健康を1日も早く回復したいと。段々食事もできるようになってまいりましたので、一日も早く退院できるようにと思っておりますし、明日かな。首相指名選挙には行きたいと思っております。一国会議員として今後は活動していくことになるわけですが、新しい総裁のもと困難な国会状況でありますが、一因として力を尽くしていきたいと考えております。またもちろん選挙についても地元の皆様の理解をいただき、私もまだ政治家を続けていきたいとこのように考えております。

 

(※医師補足…8月のインドなど外遊中に急性腸炎を患っていたこと、全身衰弱、食欲がなかなか戻らず、5キロ減った体重が全く戻っていないことなど)

記者 総理が麻生幹事長に騙されたとか、与謝野官房長官に主導権を奪われたと述べたと、一部の国会議員が総裁選の最中に流布したようだが、本当に話したのか。

 

安倍首相 そういう事実はまったくございません。特に今回突然の辞意表明になったわけでありますが、その後の事態の収拾に対し大変麻生幹事長も与謝野官房長官も本当によくやっていただいたと感謝しております。そういう事実はまったくございません。(了)


  本日、自民党の新総裁に福田康夫氏が就任しました。とても残念ではありますが、昨年の総裁選に安倍首相が出馬していなければ、そのときに1年早く福田政権ができていたことでしょう。もしそうなっていたら、日教組を追いつめた教育基本法改正も、防衛庁の省昇格も、国民投票法、社会保険庁解体法、公務員制度改革法などの成立もなかったはずです。福田氏は、そういう志向・方向性は全く持っていないでしょうから。その意味で、安倍政権のこの1年間を、改めて評価したいと思っています。

 また、安倍首相は、もし福田氏だったら何の抵抗も感じずにゴーサインを出したかもしれない外国人地方参政権付与法案、人権擁護法案、夫婦別姓法案、女系天皇を認める皇室典範改正案…などにノーを出し続け、公明党から要求されても自民党内から話がきても防波堤となって歯止めをかけてきました。先日の日本記者クラブの公開討論会で、福田氏は靖国神社代替施設建設について、今は反対が多いのでやる気はないという趣旨のことを明言していましたが、今後の世論調査次第ではどう転ぶか分かりません。

 外国人参政権法案にいたっては、公明党が今国会に提出しており、さらに小沢一郎代表率いる民主党も賛成ですから、油断していると与野党協議の行方次第で今国会で成立する可能性すらあります。皇室典範に関しても福田新総裁は、正統な皇位継承者である悠仁親王殿下が誕生されたにもかかわらず、女系天皇容認の方向で検討することも示唆しています。

 これが実現すれば、有史以来続いた皇室の男系継承という大伝統をいま変更することになり、法律上の正当な皇位継承者と、伝統上の正統な皇位継承者とで争う南北朝時代の再来のような事態を招きかねません。皇室に何の関心もなく、「皇室にも改革が必要だ」と伝統行事の在り方に疑義をはさんだ小泉前首相ですら、悠仁さまが誕生された後は、女系容認方針を引っ込めました。そうであるのに、悠仁さまが順調に成長されている今、その皇位継承権を奪いかねないことを、淡々と福田氏は述べているわけです。なんと言葉が軽い…。

 もちろん、秋篠宮さま以降、男系男子の皇位継承権者は悠仁様しか生まれていない現状を考えれば、旧11宮家から適性とその意志のある人を皇族に復帰してもらい、皇族の範囲を広げるなどのいろいろな方策は検討すべきでしょうが、福田氏はかつて「男系維持派は相当頭が悪い」と言い放っていたそうですから、そういう考えはないのでしょう。…大きな懸念を覚えているだけに、ついこの問題にこだわってしまいましたが、本日のエントリの目的は違いました。

 新聞記者にとっては、自分がどういうスタンスで、取材対象についてどういう評価をしているのかなど、表に出さない方が得なのは当然です。本心や本音は隠し、相手に話を合わせてネタを聞き出すほうがいいに決まっているからです。しかし、私は弊紙がイザを立ち上げ、自分がこのブログを始めることになったときから、これから本格化していくであろう記者ブログの実験台として、正直に自分の意見や考え方を出し、それで大きく批判を浴びたり、炎上したりすればそれはそれで前例になるならいいやと思ってやってきました。また、私自身が、自分の思うように情報を発信し、言いたいことを書くには紙面では不自由さを感じていましたから、ブログでの意見表明が楽しかったのも本当です。

 まあ、長々と前置きを書いてきたのは何でかというと、今後、福田新総裁が日本をどうしていこうとするのか、私は基本的に今まで彼を観察してきたことから、厳しくかつ批判的に書くことになるだろういうことを、新総裁誕生の日に、改めて表明しておこうと思ったからです。もちろん、ごく希にでしょうが、彼がまともなことをした際には、それは当然ながら認めようと思いますが、果たしてそんなことが…。

 そして、これまでのエントリで何度も書いてきたことですが、私は民主党の小沢一郎代表のことも全く信用していません。日教組と手をにぎり、いったい何の根拠があってか国連中心主義という迷妄に固執しているように見えるこの人と、その支配を簡単に受け入れている政党に、何を期待できるというのか。というわけで、私は政治情勢が変わらない限り、兵法上、愚策そのものの二方面作戦をとらざるをえません。まあ仕方ないか、という感じです。何度か書きましたが、私はもともと自分をマイナーだと意識していましたし、たまたま安倍首相という自民党内でマイナーな理念派保守の人を応援してきましたが、別に多数派には何の思い入れもありませんし。

 繰り返しますが、私は安倍政権のことを、自民党内の少数派である理念的保守派が頂点をとった、今までの歴代政権にはない本当に希有な例だと思ってきました。よく「お友達内閣」などと言われましたが、安倍首相の以前からのお友達は、塩崎前官房長官ぐらいで、あとは比較的最近になって将来性のある安倍首相の周囲に集まってきたという人が多かったのでしょう。百歩譲って「お友達官邸」という言い方ならまだ分かりますが、「お友達内閣」というネーミングは実態からはかなり遠かったと思います。佐田行革相、柳沢厚労相、松岡農水相、久間防衛相、赤城農水相…と問題を起こして辞任などした閣僚に、安倍首相の「お友達」などいませんでした。

 本日はいつにも増して脈絡がよく分からないようなフラフラした酩酊状態のような文章を書いてしまい、すいません。ただ、新聞社にしろ、個々の記者にしろ、思想・信条や一定の方向性はない、という社・人など存在しないと思います。仮に存在したとしてもだれにも相手にされない気がします。その中で、社によって、個人によって違うモラルや常識があり、それぞれ定義が違う公正さ、中立さを装い、あるいは目指して記事を書いているのでしょう。

 今回、というか前回の総裁選もそうでしたが、読売新聞のナベツネというご老人や、その他の報道機関が福田氏擁立でいろんな働きかけをしたのは、周知の事実でしょう。それに気付かなかったなんてことを言う恥知らずの政治記者はいないと思います。そうでありながら、報道の公正・中立を錦の御旗に安全地帯から気にくわない対象だけを攻撃し、これが「民意」だなどと、よく言えたものだと心から呆れ果てつつ感心します。

 今、麻生氏を支持した某ベテラン議員から「総裁選では思ったよりは、国会議員も自分で判断したが、福田新総裁で中国、韓国は大喜びだ。7、8年後には、日本は中国に飲み込まれてしまうかもしれない。とにかく中国は狼のように日本を狙っている」という電話が入りました。福田氏が実際、何をするのかしないのかは、今後を見守らないと断言はできませんが、こういう危機感がなく、国内の不平・不満にばかり耳を傾ける内向き路線で本当にいいのかと、疑問に思わざるをえません。

 すいません、とりとめのないエントリで。本日は福島県猪苗代湖の地ビールで少し酔っております。
 

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