2007年11月


 先日、日本文化チャンネル桜から、制作中の映画「南京の真実」のセットを取材しないかという誘いを受けたので、きょうは朝から東京都調布市にある日活の撮影所におじゃましてきました。「南京の真実」はご承知の通り、南京陥落70周年の今年、計7本の史実に基づかない南京大虐殺映画が中国や米国、カナダなどで制作・公開されたことに憂慮したチャンネル桜の水島総社長らが、南京戦の正確な検証と実態を伝えるためにつくることにしたもので、今月中に撮影を終える予定だそうです。これは3部作を予定しており、第1部「7人の『死刑囚』」は、12月14日に九段会館で完成試写会を行う予定だそうです。そのセットが収められたのが、この第7スタジオです。

   

  外から見ても、中がどうなっているのかさっぱり分かりませんね。私は映画の撮影所もスタジオも初めて訪れたので興味津々でした。で、最初に案内してもらったのが、この場所でした。これが何のセットだか分かりますか?

   

 東条英機元首相ら7人のいわゆる「A級戦犯」が絞首刑にされた巣鴨の処刑場を、できる限り忠実に再現したというセットです。二階部分にぶら下がっているのが、首を絞める縄です。そして、二階床のふたが開き、落下して吊されるという仕組みです。一度に5人同時に処刑できるようになっていますが、実際は4人と3人に分けて処刑は実行されたそうでした。最初はこれはなんだろうと思ったのですが、処刑場だと分かると厳粛な気分になりました。

 この処刑場は幅50尺で、二階の高さは9尺7寸5分、「13段」の階段は1段7寸5分で、日本の大工によって、尺寸法にのっとってつくられていたようだと聞きました。ちなみに1尺は30.3センチ、1寸は3.03センチ、1分は3.03ミリですね。真新しい白木が一見、処刑場らしくないようにも感じましたが、巣鴨につくられた実物も当時は新しいかったのですから、むしろ新しい方がリアルなのだと気付きました。次に見たセットがこれです。

   

 いわゆるA級戦犯たちが暮らした巣鴨プリズン1階の独房が並ぶ廊下です。とてもスタジオ内のセットだと思うえないほど真に迫った雰囲気がありました。ずっと以前にも書きましたが、私は大学時代、絞首刑にされた一人である広田弘毅元首相がつくった学生寮のお世話になり、命日(12月23日、当時の皇太子殿下誕生日)にはお墓参りなどもしていたので感慨はひとしおでした。

   

 これは1階独房の室内を再現したセットです。鉄格子のはまった窓が寒々しく感じます。この映画(第1部)は、主に死刑判決を受けた7人が刑死するまでの24時間を描いたものだそうです。死を目前にして、彼らは何を考え、何を語り、どう振る舞ったのか…。

   

 これは、7人が処刑前の最後の24時間を過ごした3階の独房のセットです。もともとは女囚用の部屋だったものだったとか。出窓の形に特徴がありますね。ここから見えた外の景色はどんなものだったのか。

 チャンネル桜の取材によると、巣鴨プリズンの初代教誨師だった花山信勝氏が、処刑の前に7人にふるまった葡萄酒は米国製で、カリフォルニア・ロスガトスの産だったそうです。金沢の寺院に残された花沢氏の遺品を撮影に行き、初めて気付いたそうですが、このロスガトスとはかの「レイプ・オブ・ナンキン」の著者、アイリス・チャンが暮らし、自殺した場所だそうです。南京事件の責を負わされ処刑された松井石根・中支那方面軍司令官が飲んだであろう葡萄酒が…と考えると、少し因縁話めいた感じもします。最後のセットはこれです。

  

 7人が死刑を通告されたチャンプレンス・オフィスという場所だそうです。正面の壇上には仏像があるそうなのですが、この日は白い布に覆われていて見えませんでした。どこか寒々しさを感じさせるセットでした。

 この映画は完成試写会の後は、まずはカンヌ、ベルリン、ベネチアなどの海外の映画祭に出品する予定だそうです。東京裁判といわゆるA級戦犯にスポットを当てた第1部に続く第2部は、検証ドキュメンタリー風の作品とするとのことで、第3部は「まだ秘密」(ちょっと教えてもらいましたが、まだ書かないでと言われました)なのだそうです。

 いずれも、正面から「大虐殺はなかった!」と声高に主張するよりも、映画を通じて「世間で流布されている大虐殺説(プロパカ゜ンダ)は何かおかしいぞ」と観た人それぞれが受け止めるような作品にしたいとのことでした。試写会は一般にも公開する予定だそうですが、会場スペースには限りがあるので立ち見も出るかもしれませんね。いずれにしろ、話題作となるのは間違いないでしょう。


 福田首相は初訪米の慌ただしい日程を終え、昨夜遅く帰国しました。もともと「つまらない日米首脳会談になるだろう。いい材料がないから」(自民党幹部)と言われていましたが、今朝の紙面を見る限り、本当に初顔合わせ以上の意味はなく、それどころか日本が米国による北朝鮮のテロ支援指定国家解除を黙認したかのような印象すら受けますね。外交交渉の実際については、なかなかリアルタイムでは真相が伝わらないため、現時点で断言はできませんが…。

 今朝の産経は今回の福田外交について「注目されていた北朝鮮へのテロ支援国家指定解除については、会談での具体的なやりとりが公表されず、指定解除は受け入れがたい日本の立場を強く主張したのかどうか、判然としない結果となった」と書いています。また、拉致被害者家族は早速、「非常に残念だ。福田康夫首相に指定解除に反対してほしかった」と強い不満を表明しています。

 福田首相が本当に指定解除にまったく言及しなかったのか、したことはしたがあまり芳しい回答が得られなかったのであいまいにしているのかは今、私には分かりません。ただ、政府高官は訪米出発前から「初の日米会談ではもっと大所高所に立った大きな話をするべきだ」と、指定解除について話し合いがなくても仕方がないとの考えを示し、予防線を張っていましたから、推して知るべしという気もします。

 米国は政権末期にさしかかり、ブッシュ大統領はどんどん立場が弱くなっています。また、もともと米国の北朝鮮への関心は、中東に対するそれの「十分の一」(外交筋)ともされますから、ブッシュがともすれば対北融和派のライス国務長官やヒル国務次官補にこの問題で引きずられがちになるのは仕方ありません。でも、だからこそ、首脳会談で日本の強烈な意思を表明し、ブッシュ氏に強い印象を与えなければいけないと思うのですが…。もともと、「ヒルはすでに北に指定解除を約束しているのだと思う」(官房長官経験者)との見方もある中で、このままいくと残念ながら来年早々にも指定解除は実現しそうですね。

 ここでどうしても思い出されるのが、わずか7カ月前の4月の安倍前首相の訪米時のことです。このときはインド洋での給油も滞りなく続いていたし、現在とは状況が違うのも確かですが、それにしても安倍氏は堂々と指定解除反対を伝え、またブッシュからその約束を取り付けることにも成功していました。私が複数の取材源から得た情報では、ブッシュ氏は安倍氏の強い要請に対し、次のように確約しました。

 「日本の懸念(拉致問題)は、6カ国協議の拡大会合でもはっきり言ってもらっていい。指定解除の件は、自分に任せてもらいたい。ライスがいろいろ言っても、安倍とオレが決めればいいことだ。安倍を困らせることはしない」

 拉致問題と指定解除についてはその後、8月の日米会談時に、安倍氏はブッシュ氏からもっと厳しいことを言われたのではないかとの観測もありますが、少なくとも私が関係者から聞いた範囲では、必ずしもそんなことはありません。確かに、4月の時点では「協議したふり」で済ませていた牛肉輸入再開問題については、8月の会談ではけっこう言及があったようですが。

 今回の福田首相の訪米でも、ブッシュ氏の姿勢が安倍氏に対するようなものであれば、それが報道に反映されているでしょうが、きっとそうではなかったのでしょうね。もともと官僚タイプを好む福田氏が、ブッシュ氏とケミストリーが合うわけがなく、個人的信頼関係の構築は望むべくもないというのは、衆目の一致するところでしたし。インド洋での給油活動の位置づけに関しては、このイザ内でも必要論と無用論が拮抗しているようですが、「トヨタの関税の件も、牛肉の件も、日本が給油をしているから米国は要求してこなかった。ブッシュ氏だって、給油の件があるから拉致問題で(ライスたちが融和に走っても)最後まで踏ん張ってきたのだろう」(安倍前首相周辺)という見方があるのも事実です。また、「拉致はテロだ」と国際社会に訴えつづけてきた日本が、テロ対策から身を退いたのだから、拉致問題への協力を呼びかけるのもやりにくくなるというのも本当でしょう。

 まあ、その給油も中断し、在日米軍への思いやり予算もカットに向かう中で、福田氏にあまり大きな成果を求めるのも酷なのでしょうが、それにしても…。福田氏は、自分が媚中派とみられていることを気にしていて、それゆえに早くから最初の訪問国は米国にしたいと言っていたそうです。その通りになったのですから、もう少し何か華々しく打ち上げてほしかった気がしますね。

 しかし、この福田氏が媚中派とみられるのを嫌がっていること自体は、悪いことではないと思います。官房長官時代には、「武大偉にいつでも電話できる」と周囲に自慢し、チャイナスクールとくっついていた歴とした親中派ではありますが。こういう人の目を気にするところを、有権者が利用できると思うからです。

 例えば、中国との東シナ海の石油ガス田交渉などでもそうです。これについては、今年4月に温家宝首相が来日した際に、安倍前首相との間での日中共同声明で、「今年秋までの共同開発の具体的方策の報告」が確認されています。現在、これに何とか間に合わせようと日中間で交渉を続けているのですが、日中間の隔たりはとても大きいようです。昨日の産経紙面でお伝えしたように、交渉過程では、試掘開始を示唆した日本側に対し、中国側は「軍艦を出す」という恫喝まで行ったことがあるそうですから。

 ここで大事なのは、福田氏が今年中の決着なんて無理に目指して大幅な譲歩など行わないことだと思います。中国側にとってみれば、わざわざ温氏が訪日してまで結び、発表したことが実現できないのは、温氏のメンツをつぶすことになるので、担当者も自らのクビと安全をかけて必死なのかもしれません。そうした事情もあり、外務省内には、けっこう「困るのは中国側。こっちは別に秋や年内に妥結しなくてもいい」という突き放した見方もあるのです。ここで福田氏がトップダウンで「妥協でも何でもして決着させろ」と指示してきたらどうしようもありませんが、福田氏とて、変な妥協をしたら「やっぱり媚中だ」と言われるのは承知しているでしょうから。国民の不断の監視と声(官邸へのメール、投書その他)を上げ続けることが有効です。

 ただ、福田氏は試掘までは踏み切れないでしょうね。軍艦を出すというのは、あくまで脅かしであり、「日中関係を決定的に悪化させて困るのは中国側」(自民党幹部)であるのは、中国も重々承知しているでしょう。東シナ海のガス田交渉でも、「大陸棚論」で譲らない中国側に対し、日本側が強気に「そんなに言うなら、現在の中間線論ではなく200海里論を主張するぞ」と反論したら、中国側は白樺(春暁)の操業を停止したといいます。対中外交では、ブラフも含めて一度高めにふっかけないと交渉が進まないと考えます。福田氏が試掘を強力に進めるぐらいのことをすれば、私も少しは見直すのですが。まあ、期待薄ですね。


 実はちょうど1カ月ほど前、評論家で元台湾総統府国策顧問の金美齢さんから電話があり、「私が送った本は届いたかしら?あなたのブログで書いてよ」ということでした。ちょうどその日、会社でその本を受け取ったばかりだった私は「はい、承知しました。ただ、予定している他のエントリがあるので、すぐにはとはいかないかもしれません」と簡単に引き受けたのですが…。

 私が四の五の言ってぐずくずしているうちに、10月27日に産経抄がこの本を取り上げました。で、似たようなことを書くのも何だから、少し時間を置くかと思っていたら、今度は11月4日には、このイザの記者ブログで古森記者が「金美齢さんの亡夫・周英明さんへの想い-新刊書『夫婦純愛』から」というエントリを立ち上げました。これでまたしばらく書きにくくなったというわけですが、要するに私はもたもたしているうちに出遅れ、いま追いかけ記事を書いているというわけです。古森記者が表紙の写真をアップしていたので、私は裏表紙を紹介します。帯に書かれた金さんの文章が、そのまま内容を示してくれています。

 

  外務省記者クラブの私の机上はとても散らかっていて、うまく写真を撮るスペースがとれないので開き直ってパソコンの上で撮影しました。表紙の写真はウエディングドレスでしたが、裏表紙は和装ですね。私は昨年11月に亡くなった金さんの夫で、東京理科大教授だった周さんとは、数年前に金さんのホームパーティーに招かれたときに挨拶した程度で付き合いはごく浅いのですが、その際もとても温厚そうな方だなと感じたのを覚えています。

 さて、肝心の本の内容はというと、同じ台湾からの留学生として金さんと周さんが出会うところから結婚、同志としての会話、家族との生活、そして闘病と悲しい死別に至るまでのさまざまなエピソード、夫婦の歴史が記されています。これは、全編、金さんから周さんに宛てたラブレターだと感じました。 詳しくは直接お読みいただいた方がいいと想いますが、亡夫がいかに素晴らしい人物であったか、得難いパートナーであったか、その大切な人を失った現在の想いが、「私たち夫婦は結ばれたその日からずっと二人でひとりだった」「私は、周英明ほど率直で純粋な人を知らない」などと金さんらしい率直な筆致でつづられています。

 プロローグの部分から、「どうして普通の夫婦の間にも真の愛情が成り立つということを、誰も書かないのかと思っていた」と直球が飛んできて、思わず引き込まれました。また、「悲劇の主人公というのは、優れた人間でなければその資格がない」などと、警句のような真実をうがつ言葉が散りばめられていて、金さんと直接会って話を聞いているような気分になりました。

 また、「台湾独立を叫ぶ台湾人は国の内外を問わず命がけだった。留学生として国外で同様の運動をすれば、パスポートを剥奪され、二度と祖国の土を踏むことはできなかった」「周と私、全く性格が違う二人がなぜ夫婦となって、生涯をともにすることができたかといえば、同じ祖国を持ち、政治理念がまったく一緒だったということに尽きる」「日本人はそんなこと(政治的アイデンティティなど)を考えなくてすむからだ。日本人であることになんの疑いも感じないからだ。考えないですむからこそ、その重みも、大切さも考えないですむし、一般には考えようとさえしないだろう」…といった文章からも、夫婦が真摯に互いに向き合い、互いを必要とした姿がうかがえます。

 私がこの壮大なラブレターの中で特に気に入った部分は、こんなところです。とても素敵な表現だと感じました。

 「率直な彼は、私たちが出会った最初から、なんでもぬけぬけといった。女たらしのプレイボーイがいうような甘い言葉、殺し文句を私はどれほど聞かされたか分からない。
 でも、それは決して彼が計算でいうのではなく、駆け引きなしに純粋に思ったことをいっているのだと、私にはわかった。そして、私の中の生意気さが、そんな彼に敬意を持ってしまった。だから、私は結婚したのだ」

 ご一読をお勧めします。本のタイトルがすべてを表しています。…というところで、全然関係ない写真を一枚。晩秋から冬にかけての風物詩だなあと思ったもので。あんまりきれいな川ではないので恐縮です。

   


 本日、ジャーナリストの西村幸祐氏がメールで、11月7日に東京・日比谷野外音楽堂で開催された在日本大韓民国民団主催の
「『永住外国人に地方参政権を!』11・7全国決起大会」に潜入したある人のルポを届けてくれました。早速読んでみると、現在、公明党が国会に提出している永住外国人地方参政権付与法案について、民団が成立に強い期待を持っていて、それに対し、各党から出席した政治家がなんと発言したか克明に記されていました。

 この法案について、どの政治家がどんな考えを持ち、何を言っているのか。あまり日頃のマスコミ報道では報じられない貴重な情報だと感じました。そこで、ルポを書いた人の名前は出さないという条件で西村氏の許可を得て、私のブログで紹介することにしました。以下がそれです。スペースの関係などで若干、省略しましたが、原文はもっと詳細に会場の様子を伝えています。

 

《午後1時から日比谷野外音楽堂で行われた標記大会に潜入した。すでに場内満席であり正面で前の方に割り込んで座る。プラカードや幟が林立し雰囲気はかなり盛り上がっていた。全員が黄色のゼッケン「差別の無い共生社会を 永住外国人に地方参政権を」を着用、私も入り口で貰ったゼッケンに身を固める。 


 壇上で白真勲(参院議員・民主党比例)がマイクを持って我が物顔で歩き回りながら会場を盛り上げていた

白真勲「日本は古代からたくさんの異民族を受け入れてきた。皆様が日本人と一体となって地域社会の一翼を担っていることは厳然たる事実である(拍手)韓国人を受け入れ参政権を与えることは日本の国益になる。小沢一郎党首は参政権に積極的に賛成している。民主党に反対する議員はいない!他党の国会議員の中には『外国人を国政に参画させろ』と言っていると誤解している議員がいる。そうじゃないんだ。地方に限って選挙権を与えろって言っていることを徹底したい。私たちの生まれ故郷である日本を一緒に作って行こうではないか!」得意満面・有頂天とはこのことであり、歩き回りながらマイクで会場を煽る。

 

会場は満席で立ち見もかなり出ていた。立錐の余地なし。翌日の民団新聞によると参加者5,000名とのことだが日比谷野音の定数は2,664名、2,781名が実際の数(参加者数)である。参加者は東京韓国学院の中高校生以外は殆どが中年男女で平日であり主婦・自営業風が多かった。

 

開会宣言は民団東京本部団長 李時香氏(男性)

李団長

 「積年の思いを必ず遂げよう!地域社会の住民として発展に貢献してきたと思っています。日本社会が本当の意味で国際化され共生社会と生まれ変わる。」

 

続いて民団中央本部長鄭進団長挨拶

鄭団長

 「ヨロブン アンニョンハシムニカ 私は日本政府がこれ以上先送りすること無く早期に立法化することを強く訴える。在日の総力と日本人良識市民とが力を結集し世論を喚起し日本の果たすべき国際化、民主主義の成熟、外国人との共生によるグローバルな国際化の役割を担うべきである。現在6回目の法案が継続審議中であります。10年前にはじめて法案が提出され(実際は9年前)7年前は参考人招致もありました。6年前に小泉政権が登場して以来実質的な審議がなされていない。一部の偏見に満ちた反対派の動きは日本の開かれた市民国家にブレーキをかけるものであり良識ある多くの市民を失望させている。しかし参院選挙の結果を踏まえ今度こそ立ち上がらねばなりません(そうだ!大拍手)既に12年前に最高裁の判決があった。1,500以上の自治体が意見書を採択している。200以上の自治体が既に住民投票の権利を付与している。にもかかわらず、与党があれだけ約束したにも関わらずこの状況である。日本側の約束を果たすことを切に願っております。韓国では二年前、人権保障の一環として民主主義の一層の進歩のため19歳以上に参政権を付与し昨年5月の統一地方選挙でアジアで初めて日本人を含む永住外国人が投票した。私たちはこれ以上の先送りには断固反対するものであり、住民としてのみならず自らの権利を勝ち取るため今こそ立ち上がろうではありませんか。反対派の根拠は既に崩れ去っております、と言うのは彼らは外国人が資本の50%以上保持する外国の優良企業が政治資金を提供することを国民主権を侵害するとして反対してきたのにここに来て解禁しました。国際化の波が押し寄せている。私たちの人権を保障すべきです。このような望みが許されて良いのではありません。皆さんどうですか!(大拍手)

時代の流れは私たちの味方です、遠く有りません。情熱を持って共に突き進みましょう。(拍手大喝采なりやまず)

 

来賓激励辞 

韓国国会元議長・韓日議連会長、金守漢議員

金守漢議員

「ヨロブンアンニョンハシムニカ 通訳の時間の節約のため日本語でしゃべります。(大拍手)

 6年前6月の今日と全く同じ立場でお話しました、思えばこのとき自民党代表が今は亡き三塚博先生、民主党が当時副代表の中野寛成先生、公明党が冬柴鉄三先生ら各界の先生が口を揃えて『即成立に全力を尽くす』と堅く誓ったのであります。そのお姿が面前にありありと甦ります。その後状況は漂流し何一つ変わっていない。またこの決起大会を繰りかえさなければならないという冷厳な事実には悲しさむなしさをしみじみ感じるのであります。日本により植民地統治という屈辱な的時代があった。1945年からあらたな苦渋の始まりであったこうした厳しい環境に堪え日本の一構成員たらんとする義務を果たしてきた住人であります。こうした皆様に国家として日本人社会は何を報いたのでしょうか(大拍手)四世五世が定着し地域同胞は紛れも無く日本を愛しています。この愛に日本はどうこたえているのでしょうか(大拍手なりやまず)日本が問われているのはまさにこのことであり道義であり信義が問われているのである。(大拍手なりやまず)

 

元法務部長(法相)金淇春韓日議員連盟理事長

金淇春議員(すべて韓国語で話す)=略

 

司会者

「ではここで願いをこめた要望書を各政党にお渡しします。まず自民党 公明党・民主党・共産党・社民党・新党日本。」(盛大な拍手と『頼むぞ!』『まじめにやれよ』との声援やまず)

 

各政党の挨拶

自民党広報本部長 日韓議連運営委員長河村建夫(衆院山口3萩市) 

「私は30年前山口県会議員だったがたくさんの在日の方にお世話になった。金さんが『私どもはみなさんと一緒に税金を払いながらこのふるさと山口県を良くしたいと思う。早く国会にでてこの参政権問題に正面から取り組んでほしい。』と云われた。

 日韓議員連盟はこの問題をこれ以上放置できない(拍手)福田赳夫先生も森先生もこの問題には熱心であった。竹下登先生がそもそも最も熱心であった。毎年日韓議員連盟総会開かれており今年の93日のソウルにおける総会で強い誓いを表明し約束した。(拍手)」

 

ここで自民党の二人の壇上の議員が紹介された

 

中川雅治参院議員(東京選挙区) 原田令嗣(よしつぐ)衆院議員(静岡2区)

 

続いて公明党の北側一雄幹事長(衆院議員大阪16堺市

北側議員

参政権問題に全力を挙げて戦うことを約束いたします。私事ですが私は大阪の生野区の出身であります。(場内ものすごいどよめきと大拍手)小学校中学校と生徒の三分の一は在日の方でした(拍手)今でも親しく付き合っています。私は54歳ですが同級生は大半は二世であり地域を支え貢献してきたことをヨーク知っています。ます。公明党は一貫して実現に向けて邁進してまいりました。そもそも今国会にかかっている法案は公明等が提案したものであります。(拍手)皆様の熱意を必ず国会に伝えます。」

 

他に壇上の政調会長代理山口那津男参院議員(東京選挙区 葛飾区が紹介される。

 

次に民主内藤正光NC総務副大臣(参院議員比例代表 全電通 足立区

内藤正光議員

民主党内ではすでに当たり前のことになっております(大拍手)。すでに他の党の問題になっている。私たちは過去何回もこの法案に努力してきた。皆様方のおかげをもちましてこの前の参院選で大きく状況は変わったのです。熱い思いは全力をもって伝えます。お誓い申し上げます。友好の架け橋として頑張ってください。」(大拍手)

 他に福山哲郎参院議員(京都選挙区・紹介されたが欠席)谷博之参院議員(栃木選挙区) 白眞勲参院議員が紹介された

 

次に日本共産党 市田忠義書記局長(参院議員比例)

市田議員

「参政権は憲法に明記された地方自治の原則として当然のこと。意見書採択の声はいまや多数派である。5月の韓国の統一地方選等世界の流れに合流しなければなりません。

かつての侵略戦争と植民地支配と深く関わっている問題でもあります。未来の若い在日の方々と協力は不可欠の問題であります。共産党は戦前から命がけで植民地支配に反対して主権在民の旗を掲げて戦ってまいりました。引続き全力を尽くします。

私は6年前のこの集会に来ました。その時に機は熟しつつあると申し上げました。

先の参院選で憲法を守る機運が高まっている。同じ会場で再びこの大会が行われたことは感銘深いものである。国会の内外で訴えていきたい。所定の3分になりましたので終わります。(笑いと拍手)

 

社民党 日森文尋副幹事長 (衆院議院比例北関東さいたま市議員で一人だけゼッケンを着用して登場

日森議員

「EUや特に北欧では互恵主義の下、参政権は当たり前のことであります。国際化グローバル化を言うのなら直ちに実現しなければならない。互恵じゃないからという理屈はもう破綻している。互恵主義に立って2年前に韓国で永住外国人に参政権を与えた。だったら当たり前じゃないですか、世論調査も行っているが過半数が賛成している。最高裁も言っており客観的条件は出来上がっている。直ちに与えなさい。政治の決断あるのみ。

政治の言い分を後ろから蹴飛ばしてその動きを封じるためすばらしいデモ行進になることを期待しております。頑張りましょう。」

 

司会者「長らくお待たせいたしました。新党日本の田中康夫代表です」

 

新党日本 田中康夫代表(参院議員比例)

田中議員

「カモシカの田中康夫です。私は笑いをとりに来たのではない。(笑い・大拍手大人気)地方自治は一部の官僚や政治家がやるものではない。自治を全うするには皆様住人お一人お一人が政治のあり方を決めてこそ自治である。

私は10年前に南アフリカに行っていた。アパルトヘイト(シーンとしらける)。

未来こそ黒人、白人は過去だと言われていた。 ネルソンマンデラは『 南アフリカの地に産まれた人はすべて肌の色の違いは関係ない、生まれ育った人すべてのものである。』

 (在日を南アフリカの黒人に喩えており場内白ける、田中は気づいて慌てて話題を変える)私は子供のころ君たちは二十歳を超えると勤労の義務納税の義務がありその上で参政権が与えられると教わった、投票の義務を負うというなら今ここにいる皆様こそ義務がある(拍手)地域活動に参加しお祭りにも参加している。私は長野県の知事をしていたが県はもちろん82の市町村もすべて参政権の意見書採択の決議をしている。私はあまり利権をつくらなかったので追い出されたが畑を変えて参院選挙で177万票いただいた。

 私の祖母は道修町の出身。鶴橋の焼肉お好み焼き屋によく連れてってもらいアボジやオモニにかわいがられた。まさに今まっとうに働き日本の各地でまっとうに生きている多くの永住外国人に参政権を与えるときである。」

 

司会者「本団体(民団)と二人三脚でやってきた日韓親善協会中央会理事長越智道雄様(福田首相の義兄)にお願いします。」

 

越智理事長

「私は衆院議員を25年やって卒業しました。6年前は暑かった。私は各県の親善協会の束ね役をやっているが立ち上げの時は各地の民団の皆様に本当にお世話になりました。指紋押捺拒否は成功、外国人登録証携帯義務は免除、名前!韓国名で帰化できるようになった。白真勲さんはペクで出てきた。(議員になったという意味)白山さんでもなく本来のお名前で議事堂に入ってきた。地方公務員にも採用されるようになった。

最後に残ったのはこの参政権です。公職選挙法第二条に国民とあり難しいこともあるだろうが各党の議員さんは今あれだけの事を言ったんだからちゃんとやって貰いましょう(大拍手)去年5月の韓国の統一地方選挙で現に永住外国人が投票したことは日本に厳重な事実を突きつけている。

 

来賓のスピーチは終わりメッセージの読み上げ

 

元自民党幹事長元内閣官房長官 野中広務先生から

「私が現職にあるときに手がけた法案である。強制連行等ご苦労されたことと思う。日本は国際国家として充分に責任がありえる。自公保連立政権の幹事長として尽力してきた

同志は自民党以外にも多数いたが様々な理由でいなくなってしまった。法案が棚晒しになっていることはまことに忸怩たるものである。一人の老兵として協力していきます。」

 

国土交通大臣 冬柴鐡三(衆院議員兵庫8尼崎市のメッセージは「極めて長いので要約して発表します」とのこと。 

「この法案は公明党として5度提出したが力不足であった。 今度こそ全力を尽くし必ず成立させることを断言します。」》

 …複数の来賓・議員が参院選の結果、情勢が変わったことに言及していますね。それはそうで、安倍前首相のときは、公明党も他党もこの法案を「提出するだけ無駄」という空気でした。首相である安倍氏が絶対反対なのは明確でしたから。ただ、現在の福田首相はどうかというと、とにかくリベラル路線が好きな人ですから、みんな「今がチャンスだ」と思っているようですね。意気盛んなのがルポから伝わってきます。現職の閣僚が「必ず成立させることを断言します」と言うのですから、内々に福田首相とも話がついているのかもしれません。

 また、民主党の白氏が「民主党には反対する議員はいない」と言い切っていますが、衆参で与野党の議席が逆転したねじれ国会となった今国会では、今まで一本も法律が成立していないという問題もあります。そういうときに、福田首相が野党も乗ってきやすい法律を通して実績を上げようと考えたら、この外国人参政権の法案か、選挙区事情からか鳩山法相が大乗り気の人権擁護法案を進めようとする可能性がありますね。

 福田首相は性格的に「とにかくもめ事を嫌う。衝突を避ける」(自民党幹部)というところがあるので、これらの法案に慎重・反対の保守派が大きな声を上げれば、当面は見送るかもしれません。しかし、いよいよ予断を許さない状況になってきたような感じがします。

 今朝の新聞各紙の世論調査では、福田内閣の支持率は日経55%、読売52.2%、産経(フジ)41.1%と、下降傾向はあるものの依然として高い水準にあります(何が支持されているのか分かりませんが)。民主党は、例の小沢代表のプッツン騒動でいまひとつ元気がありませんし、次期衆院選後も福田自民党政権が続くようだと上記2法案のほか女系天皇を認める皇室典範改正案、夫婦別姓法案、国立・無宗教の追悼施設建立…と福田氏が自分のカラーを出してくることも考えられますね。

 比較的高い支持率の要因に関しては、自民党内にも「最初のご祝儀支持率をもらった後、それを預金して何もしないで利子で食べている」(幹部)という冷めた見方もありますが、いつまでも利子をくいつぶしているわけにもいかないでしょうし。詳細な集会ルポを読んで、ついこんな連想をしてしまいました。


  先日、経費精算のため会社に行ったところ、私あてに一枚のCDが届いていました。仕事柄、献本を受けることはたまにあるのですが、門外漢の私に音楽CDを送ってくることは珍しいのです。添えられた手紙には「是非一度お聴き頂きたく思いCDを送付させて頂きます」「必ずや日本の現状に一石を投じる一枚になると確信しています」とありました。そこで、持ち帰って昨日の休みの土曜日に、自宅で聴いてみました。夕食後、ビールを飲みながら…。結論から言えば、家人ともども不覚にも泣かされてしまったので、紹介(宣伝)したいと思います。知っている人には何をいまさらでしょうが、迂闊な私は全然知らなかったので。

   

 英霊来世(エーレイライズ)という三人組のラップ音楽バンドが今年8月15日に発売した「矜恃」(大東亜レコーズ)というファーストアルバムです(見れば分かりますね)。この三人の芸名が、「斉藤〝七生報国〟俊介」「ムック〝五穀豊穣〟モノノフスキー・雅人」「アキーム・万世一系・吉村」というものでした。あと、「山崎〝八紘一宇〟剛史」という人も参加しているようです。気合いが入っているというか、ぶっ飛んでいるというか。添えられたパンフレットのカラーコピーには年齢は記されていませんでしたが、写真を見たところ20代かせいぜい30歳そこそこに見えます。私はラップと言われても疎いので、歌詞カードを読みながら聴いていたのですが…。

 憲法をテーマにした「まもるべきもの」という曲の歌詞はこんな感じです。まずこの曲に聴き入ってしまいました。こういうメッセージを伝えるラップ音楽があるのかと。

 《理想は悪くねぇと思うぜいつも 忘れねぇ昭和のデケェ傷も
 掲げる平和憲法 武力の威嚇行使なき白旗戦法
 それで済むなら一番いいさ 外からすれば関係ねえ一切
 未だキナ臭いアジアのEAST SIDE 拉致占領されてるし実際
 守るべきもの 人・文化・故郷 いざミサイル撃たれてからどうしよう
 それで間に合うかもう考えろ 何を守るの憲法九条

 今こそ見直そう
 守るべきもの 守るべき人 守るべき文化 守るべき故郷(中略)

 どこの国にも依存しねぇ 自存自衛 それが基本姿勢
 60年分溜まったツケ さっさと払って次に進め
 今決めなきゃならん自分達で 考えねばならん国民として
 平和主義の人間 そして 日本に生まれた男として
 一人一人がやるべき事 少しずつでいい まず考えよう
 憲法とはいったい何なのか? 平和とはいったい何なのか》

 そして、特攻と靖国神社について歌った「九段」という曲には、涙腺が思い切り緩んでしまいました。12年前、毎日のように戦没者遺族に会い、話を聞く取材をしていたころの思いがよみがえってくる気がしました。例えば、こんな歌詞を読み、聴きながら、当時、集中的に読み込んだ特攻隊員の遺書を思い出さずにはいられませんでした。「英霊来世」のメンバーも、きっとたくさんの遺書を読んだのだと想像します。

 《誰よりも命の大切さ 解っているからこそ命より大切な
 何かを護る為に立ち上がる その命に何よりも価値が在る

 その真っ直ぐな覚悟には到底及ばない
 けど同じ方向は向いていたい
 今 彼らの声に耳を澄ませ その想い 未来へ繋げ

 風薫る空 あの雲の上 俺はいつもここにいるから
 友が待つ あの坂の上 俺はいつもここにいるから
 お前が此処にに来れば必ず 俺はいつもここにいるから》

 戦没者遺族取材班にいたころには、私も特攻隊員の記事を書きました。自分のように戦争を知らない若造が書いていいのか、という思いもありましたが、その年の8月15日に靖国神社に行ったところ、私のその記事のコピーを掲示して活動している団体(遺族団体だったか戦友会だったか忘れてしまいました)を見つけ、ああ、あれで良かったのだと安堵したものでした。それはこんな記事です。
 

【声なき声語り継ぎ】戦没者遺族の50年 第4部(3)命の重さ

[ 19950525  東京朝刊  1面 ]

 寒風がしみる昭和十九年十二月十五日の早朝、埼玉・深谷の南を流れる荒川の岸辺で、お互いの体をひもで結びつけた母子三人の遺体が見つかった。駆けつけた熊谷陸軍飛行学校第二中隊長、藤井一中尉は冷たくなった妻子の足にまとい付いた砂を、ていねいに払い落とした。

 二十四歳だった妻、福子さんは前夜、晴れ着を着せた三歳間近の長女の一子ちゃん、生後四カ月の二女の千恵子ちゃんを連れ、入水を遂げた。

 自宅の机上には、「私たちがいたのでは後顧の憂いになり、思う存分の活躍ができないでしょうから、一足お先に逝って待っています」という趣旨の遺書が残されていた。

 当時二十九歳、少年飛行兵の訓育(精神訓話)を受け持っていた藤井中尉の座右の銘は言行一致。生徒には「事あらば敵陣に、あるいは敵艦に自爆せよ。中隊長も必ず行く」と言っていた。それだけに「教え子だけを死なすわけにはいかない」と、特攻を志願する。

 が、中尉はもともと歩兵科機関銃隊出身のうえ、昭和十二年ごろ中国戦線で迫撃砲の破片を被弾、左手指が内側に湾曲していて操縦かんはうまく握れない。また、少年飛行兵を指導する中隊長という立場から、特攻は許可されないでいた。

 だが、妻子の死後、小指を切って再度の血書嘆願を行うと、今度はすぐに特攻隊員に任命された。異例のことだった。

 福子さんは群馬県高崎市の商家の三女に生まれ、高崎高等女学校を卒業。陸軍の演習で高崎に来た藤井中尉と知り合い、十六年の初春に結婚する。

 「義姉は背が高く、ピアノが上手でおしとやか。でも、しんはしっかりしていたのでしょう」。中尉の四歳年下の妹、大里あき子さん(七五)=東京都江戸川区=は、そう回想する。

 「私も『どうせ一度は死ぬ命。早いか遅いかの違いだけ』と言っていた兄が、特攻を志願しているのは知っていましたが、当時は止めることのできない時代でした」

 あき子さんの夫、栄三さん(七七)は、藤井中尉と同郷で、小学校と農業青年学校で二級下の後輩に当たり、中尉と親しかった。

 「五尺七寸二十貫(約一七三センチ、七五キロ)のがっしりした体格で柔剣道も抜群。射撃もうまく、教え子には優しかった。少年飛行兵らと一緒に、上野の博物館にお付き合いしたのを覚えています」

 夫妻によると、福子さんは当初、中尉の特攻志願を思いとどまらせようとしたが、決意の固いのを知ってあきらめ、自身も覚悟を決めたようだという。

 義姉の突然の訃報(ふほう)に驚いたあき子さんが、茨城県水海道市の実家から電車を乗り継ぎ、ようやく深谷の兄の家へ着いたのは十五日深夜。やはり身を切るように寒い夜だった。葬儀は翌日、行われた。

 「私が着いたときには、もう兄は涙を見せませんでしたが、後で聞いたところでは、『きょうだけは勘弁してくれ』と部下の前で泣いたそうです」

 今、あき子さんの手元には葬儀のときの軍服を着て手をぎゅっと握り締め、正面をにらみつけて正座した兄の写真が残っている。

 それから五カ月後の二十年五月二十八日午前四時。藤井中尉は第四十五振武隊の隊長として、隊員十人とともに鹿児島・知覧基地を複座戦闘機「屠竜(とりゅう)」の後部座席に乗って飛び立ち、沖縄西方洋上で米艦隊に突入した。出撃と同時に二階級特進、少佐となった。

 そのころの沖縄の海は、地元で「海の七割が米艦で埋まっていた」といわれるほど敵艦が多かった。

 「実家でお昼のラジオを聞いていたら、『ただ今、第四十五振武隊の藤井隊長が突入しました』と流れて。私は思わず泣きながら、あわてて外にいた父母を呼びに行ったけど、放送はそれ一度だけだった」とあき子さん。疎開先の群馬県桐生市にいた栄三さんも、この放送を聞いた。

 藤井中尉は出撃一週間前の五月二十一日、移動途中の下関から高崎の福子さんの父親あてに手紙を出し、こう報告している。

 「近く立派に出撃します。福子、一子、千恵子と逢える事を楽しみにしております」

 飛行学校の教え子で駒沢大教授、鈴木格禅さん(六八)は、中尉を「熱血の人。を絵にかいて、火だるまにしたような方だった」と振り返る。「命の重さを伝えよう」と、大学の講義でもよく中尉夫妻のエピソードを紹介するという。

 「日本のために亡くなった人のことを語り継ぐのは、私たちの義務だと思うのです。生徒には涙を流すものもいて、みな私語一つせず、真剣に聞いています。誠は通じるものです」 (戦没者遺族取材班)

 …何も戦争を美化するとかそういうことではなく、こうした人々がいて、今の私たちが生かされているのだということは、日本人は忘れてはならないと思っています。当時の人の思い、願い、希望を受け継ぐ子孫として。「英霊来世」の頼もしさと将来への希望を感じさせる曲を聴きながら、何だか私も「初心」にかえらなければと、そんなことを考えさせられました。



 

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