いろいろあった平成19年ももう残すところ1日とちょっとになりました。私は本を読んだり、子供と散歩したりでのんびりと過ごしています。それで今日、散歩途中に立ち寄った小さな書店で、学生時代からいずれ読もうと思いつつ、20年以上もほうっておいた勝海舟の「氷川清話」(講談社学術文庫)を見つけたので、これも何かの縁かと思い買い求めました。言わずもがなですが、勝海舟といえば、幕末の戊辰戦争の際、江戸幕府側を代表して新政府軍の西郷隆盛と交渉し、江戸の無血開城を実現した人ですね。で、早速読み始めたのですが…。
いや、評判(いつの評判だ?)通り、実に面白いです。明治期の世相を縦横無尽に、かつ飄々とべらんめえ口調でぶった切っているのですが、何だか現代日本にも当てはまりそうなことが多いのに驚きます。まあ、中世イタリア・フィレンツェの思想家、マキャベリの警句が現代日本の有様に見事に符合するぐらいだから、100年ちょっと前まで生きていた勝海舟の言葉にいまさら驚く方がおかしいのかもしれませんが。人間(日本人)って良くも悪くも変わらないものなのかもしれません。
というわけで、勝海舟の「放談」をいくつか拾って紹介し、今年のブログの締めくくりにしようかと思います。私の現在の気持ちを代弁してくれたようなものもあり、来年は、この点について気をつけようという戒めになっている言葉もあります。何にしろ、先人の話はためになるなあ。
《政治家の秘訣は、ほかにないのだよ。ただ正心誠意の四字しかないよ。道に依つて起ち、道に依つて坐すれば、草莽の野民でも、これに服従しないものはない筈だよ》(明治29年5月の新聞談話)…そうであるべきだと思います。問題は、政治家の正心誠意をメディアがきちんと伝えるかどうかという点にもありそうですが。
《天災とは言ひながら、東北の津波は酷いではないか。政府の役人は、どんなことをして手宛をして居るか、法律でござい、規則でございと、平生やかましく言ひ立て居る癖に、この様な時には口で言ふ程に、何事もできないのを、おれは実に歯痒く思ふよ》(明治29年に東北で津波が起こった際の談話)…何となく、薬害肝炎訴訟の件を連想しました。
《人はよく方針々々といふが、方針を定めてどうするのだ。およそ天下の事は、あらかじめ測り知ることの出来ないものだ。網を張って鳥を待って居ても、鳥がその上を飛んだらどうするのか。我に四角な箱を造っておいて、天下の物を悉くこれに入れうとしても、天下には円いものもあり、三角のものもある。(中略)マー世間の方針々々といふ先生たちを見なさい。事が一たび予定の方針通りに行かないと、周章狼狽して、そのざまは見られたものではないヨ》(明治26年の談話)…あまり原理主義的になるのはよくありませんね。国連中心主義でも何でも。だれのこととは言いませんが。
《主義といひ、道といつて、必ずこれのみと断定するのは、おれは昔から好まない。単に道といつても、道には大小厚薄濃淡の差がある。しかるにその一を揚げて他を排斥するのは、おれの取らないところだ》…以前から何度も書いてきたことですが、その人の例外をもって本質とみなす愚を犯したり、小異にこだわって大同を捨てるようなことは慎みたいなあと思います。
《行政改革といふことは、よく気を付けないと弱い物いぢめになるヨ。おれの知っている小役人の中にも、これまでずいぶんひどい目に遭ったものもある。全体、改革といふことは、公平でなければいけない。そして大きい者から始めて、小さいものを後にするがよいヨ》(明治26年の談話)…まずは国家公務員から始めて地方公務員へと広げようとした安倍内閣の公務員制度改革・行政改革ですが、首相交代によって入り口段階で半ば頓挫してしまいましたね。
《地方自治などといふことは、珍しい名目のやうだけれど、徳川の地方政治は、実に自治の実を挙げたものだヨ。名主といひ、五人組といひ、自身番といひ、火の番といひ、みんな自治制度ではないかノー》(明治26年)…うーん。まあ、確かに。300諸侯も自治行政を敷いていたわけだし。
《近頃世間の模様はどうだ。政府も政党も同じ事を繰返して居るではないか。ぐづぐづしないでしっかりやればよい。大西郷でさへ、空望ではやつて来なかったヨ。やれるといふ見込みが立つて居たからだ。それを今の人が、見込みもない癖に、大西郷のやうな考へを持つて居るから困る。よくよく自分の力を考へてからやるがよい》(明治30年11月)…あまり大言壮語することも、他人に課題な要求を押し付けることも、いい結果を招かないのでしょうね。「空望」では出発点からだめだと。
《おれはいつもつらつら思ふのだ。およそ世の中に歴史といふものほどむつかしいことはない。元来人間の智慧は未来の事まで見透すことが出来ないから、過去のことを書いた歴史といふものにかんがみて将来をも推測せうしいふのだが、しかるところこの肝腎の歴史が容易に信用せられないとは、実に困った次第ではないか。見なさい、幕府が倒れてから僅かに三十年しか経たないのに、この幕末の歴史すら完全に伝へるものが一人もいないではないか。それは当時の有様を目撃した故老もまだ生きて居るだろう。しかしながら、さういふ先生は、たいてい当時にあつてでさへ、局面の内外表裏が理解なかつた連中だ。それがどうして三十年の後からその頃の事情を書き伝へることが出来ようか》…歴史問題を取材したり、記事に書いたり、またその反応を見たりするたびに、これと似たようなことを感じます。確かに本当に難しい。
《全体、政治の善悪は、みんな人に在るので、決して法にあるのではない。それから人物が出なければ、世の中は到底治まらない。しかし人物は、勝手に拵へうといつても、それはいけない。世間では、よく人材育成などといつて居るが、神武天皇以来、果たして誰が英雄を拵へ上げたか。誰が豪傑を作り出したか。人材といふものが、さう勝手に製造せられるものなら造作はないが、世の中の事は、さうはいかない。人物になると、ならないのとは、畢竟自己の修養いかんにあるのだ》…その通りだというしかありません。
《近頃世間で時々西郷が居たらとか、大久保が居たらとかいふものがあるが、あれは畢竟自分の責任を免れるための口実だ。西郷でも大久保でも、たとへ生きて居るとしても、今では老耄だ。人を当てにしては駄目だから、自分で西郷や大久保の代りをやればよいではないか。しかし今日困るのは、差当り世間を承知さするだけの勲功と経歴とを持つて居る人才が居ないことだ。けれども人才だつてさう誂へ向きのものばかりはどこにもいないサ。太公望は国会議員でも、演説家でも、著述家でも、新聞記者でもなく、ただ朝から晩まで釣ばかりして居た男だ。人才など騒がなくつても、眼玉一つでどこにでも居るサ》…私もついこのブログで政界をはじめとする人材不足を言い募ったことがありますが、こう言われてみると、「人才」を探す眼力のなさを恥じずにはいられません。しかし、この太公望のエピソードでつい「釣りバカ日誌」を思い浮かべてしまった私には、もとより眼力など望むべくもないのかとも…。
《世の気運が一転するには自から時機がある。(中略)気運といふものは、実に恐るべきものだ。西郷でも、木戸でも、大久保でも、個人としては、別に驚くほどの人物でもなかつたけれど、彼らは、王政維新といふ気運に乗じてきたから、おれもたうとう閉口したのヨ。しかし気運の潮勢が、次第に静まるにつれて、人物の価も通常に復し、非常にえらくみえた人も、案外小さくなるものサ》…時の勢いに乗った人は輝いて見えますが、それと個人の能力・識見とは必ずしも一致しないのでしょうね。長年、政界を取材してきた知人の元週刊誌記者は「大物など一人もいなかった」と言っていましたが。
《世の中に無神経ほど強いものはない。(中略)無闇に神経を使つて、矢鱈に世間の事を苦に病み、朝から晩まで頼みもしないことに奔走して、それがために頭が禿げ鬚が白くなつて、まだ年も取らないのに耄碌してしまふといふやうな憂国家とかいふものには、おれなどとてもなれない》…一人で勝手に憂国者ぶって空回りしても仕方がないと。この無神経という言葉を肯定的にとらえた評価は、最近流行った「鈍感力」にも通じる気がします。
《仕事をあせるものに、仕事の出来るものではない。セツセツと働きさへすれば、儲かるといふのは、日傭取りのことだ。天下の仕事が、そんな了見で出来るものかい》…別に天下の仕事をしているわけではありませんが、焦らず淡々と、着実に仕事をこなしていきたいと思います。焦ったってどうせたいしたことができるわけでもないし。
現在、私が滞在している東北某県はしんしんと冷えてきました。寒い年末年始となりそうですが、みなさま身体に気をつけて、ご自愛ください。
※追記 ゆく年を惜しんで、大晦日に最後の日の光を写真に撮りました。夕焼けちょっと前のものです。日は沈み、そしてまた昇ると。