2007年12月


 本日は天皇誕生日で、私も休みをもらっています。そこで、二ヶ月前から突如として私の中で恒例行事となった、ここ一ヶ月ほどの間に読んだ本の紹介をしたいと思います。月刊「正論」(http://www.sankei.co.jp/seiron/)や「WiLL」、週刊新潮、文春なども目を通していますが、きょうは政治とは関係のない単行本・文庫本を中心にします。正論にだけアドレスをつけたのは、上司からゲンメイされたからでは決してなかったように記憶していますがよく覚えていません。まずは10年ぶりに続編が出た時代小説からです。

     

 1997年12月に出た前作「泣きの銀次」の帯には、「注目の新進女流時代小説作家、初の書き下ろし長編」とあります。今では、時代小説作家としては超がつく売れっ子作家ですね。話自体は、割とあっさりとした、それでいて読み出したらなかなか泊まらない捕り物小説に仕上がっています。上手い作家だなあと思います。次は、先日、安倍前首相取材で山口県に行った際、山口県庁の売店で買い求めた本です。

     

 赤瀬川氏の作品では、野球小説「白球残映」「それ行けミステリーズ」「深夜球場」などが好きなのですが、この本は中年、初老の男性の恋愛ものでした。私は、恋愛ものがどうにも苦手なので、読後感はいまひとつでしたが、たまにはこんなのもいいかと感じました。移動中、バスに揺られながら読みました。

 さて、次の2作品は最近はまっている今野敏氏の話題作です。家人も読み、「読み終わるのがもったいなかった」と言っていましたが、私も同感でした。融通のきかない、しかし強い信念と正義感を持ったキャリア警察官僚が主人公という、ちょっと珍しいパターンの警察小説です。

     

     

 最初は主人公はただ頑迷で偏見に満ちているだけのように感じるのですが、読み進めていくうちにそう単純ではない内面にも気付かされます。うまいなあ。この連作にうちのめされた私は、続けて同じ今野氏の作品で、自己評価が低くいつも他者の目を気にしているのに、周囲の評価は極めて高いという警視庁捜査一課の刑事を主人公にした次の二作を読みました。この主人公の人物設定も面白いです。

   

 これまで紹介した今野氏の4作品は割と硬派な作品なのですが、次のシリーズものはもっとエンターテインメント色が濃いかな。はまりついでに次々と読みました。あまり書くと、ちゃんと仕事をしているのかと疑問をもたれそうですが、別に勤務時間内に読んでいるわけではありません。

   

 警視庁科学特捜班という架空の部署に所属する個性豊かなメンバーが、それぞれの特技を生かして事件を解決に導くという内容です。先に紹介した四作に比べ、軽妙なタッチで書かれていますが、これもクセになりました。先日の沖縄出張の際も、行きと帰りの飛行機で一冊ずつ読みました(これは勤務時間内になるのかな)。

 で、最後に野球漫画を一点紹介します。21日に最新刊の9巻が出たばかりなのですが、5月に8巻が出てからこれまで続きが本当に読みたかったこと。ようやく9巻を読んでも、すぐに10巻が読みたくなり…。ものすごく気弱で人の顔色をうかがってばかりのピッチャーと、そのピッチャーの態度にいらいらしながらも徐々に本当の仲間となっていくナインが、高校生っていいなあと感動させてくれます。

     

 「ドカベン」に出てくるような超人的選手は一人も出てきませんし、みんなこういう子もいるだろうなと感じさせるキャラクターばかりですが、おおいに感情移入させられます。私も小学生のころは、近くの原っぱで毎日野球に明け暮れていましたが、そのころの気持ちを少し思い出させてくれるうえ、ああ野球の試合における駆け引きってこういうことなのかと初めて気付かせてくれるような細かい描写もあって、本当に次巻が待ち遠しい名作です。アニメ化されたDVD作品も原作に忠実でなかなかいいです。年末年始にお時間がある方にはお薦めです。

ブログ更新が滞っていてすいません。沖縄出張関係の記事執筆や、年末のいろいろな雑務処理含む飲み会)に忙しく、新規エントリを立てる余裕がありませんでした。で、本日は子供と一緒に近くのスーパーでこんな人気アニメ番組のショーを見物し、土曜日だというのに午後から外務省に行ってたまった仕事(の一部)を片付けていた次第です。

  

 

 でも、さすがに年末らしく、夜には都内某所で開かれたホームパーティー形式の忘年会に顔を出してきました。雑誌編集者や外交関係者、テレビでよく見る顔、名前と記事は紙面でよく見ていたけれど、顔は初めて知る弊紙関係者…など、たくさんの人の話を聞き、楽しい一時を過ごしました。たまにこのブログにコメントを寄せてくれているという人もいて、ちょっと照れくさい思いもしましたが、私は勧められるままに、めったにありつけないお寿司(青森・大間のマグロほかとお肉松坂牛)をおおいにパクつき、とても満足しました。

 

 プライベートな会合なので詳細は書けません従って写真もアップできません)ただ、この場で少し話を交わした某国外交官の言葉に「なるほど」と思ったので、少し紹介しようと思います。それは、小泉純一郎元首相の現在のあり方に対する会話でした。やりとりはおおよそ次のような感じでした。

 

 外交官 小泉元首相は何をしているのか。首相までやったのだから、もっと日本のために働こうとはしないのか

  政界再編の動きがあれば動くかもしれないが…。また、小泉さんの秘書官だった飯島氏は、いま汚職事件で批判されている防衛省の守屋前次官とあまりにも近い関係だったこともあり、動きにくいのではないか。

 外交官 そういう政局の話ではない。元首相の存在は、その国にとって一つの財産だ。もっと外国に行って講演するとか、日本の考えを伝えるとか、やるべきではないか。退任後、一年間は目立たないようにするというのは、後任首相の立場を考えれば分かるが、もうその時期は過ぎたろう

  小泉さんはかなり変わった人だし、そういう外交的な発想はあまりないようにも思える

 外交官 そういう意味では、森元首相は非常によく働いている。首相が都合が悪くていけない外交行事などて、首相の名代、代理としての役割を果たしている。元首相という財産は、そう何人もいるものではない。安倍前首相はいずれ、その役割を果たすだろうが、まだ病気がよくなったばかりで外遊はできないだろう。でも、小泉さんにはそんな制約はない。小泉さんはいろいろな逸話もあって外国でも人気があるのに。今のままでは、小泉さんはあまりに利己的に見える。

 …私は当初、現福田政権があまりに頼りないので、小泉氏再登板の話でもしているのかと勘違いしたのですが、そうではなく、元首相としての役割を果たしているのか、という話でした。確かに、小泉氏は悠々自適を楽しみすぎているような気がしないでもありません。政局好きの人ですから、今はそっちに意識が向いているのかもしれませんが。

 きょうはこのほか、この外交官と中曽根元首相や某国元元首の評価などについても意見を交わしたのですが、外国人外交官の視点は参考になるなあと感じました。聞けば納得するのですが、聞かないとなかなか気づかない視点があるなと。まあ、私が単に愚かであるだけなのかもしれませんが、率直で辛らつな見解を示してくれたので勉強になりました。

 ところで、話は飛びますが、昨日、財務省の前を通りかかった際に見かけた風景の写真です。全日本教職員組合の人たちが、何やら騒いでいました。民主、社民両党に近い日教組とは異なり、より共産党に近い全教の方々ですね。

 

 近くで聞いてみると、教育予算増と、教員大幅増を来年度予算の復活折衝で勝ち取れ、と主張していました。でもねえ、ここに座り込んでいた人たちが持つ幟旗を見ただけで、十数の都府県から教員たちが大量に動員されているのが分かりました。少子化がどんどん進む中で教員大幅増ねぇ…。平日の昼間っから、わざわざ東京に出てくる余裕があるのに。

 最後に、これも昨日撮影したなぜか気になる鴨の写真です。鴨を見つけたら、とにかく写真に収めたくなる自分の心理が自分でも分かりません。

   


   

 二泊三日の出張を終え、帰京しました。きょうは午前中に那覇市内からバスで与那原町に取材に行った後、飛行機の時間まで少し間があったので、しばし商店街や市場を散策しました。少し観光気分を味わえましたが、この皮をむかれたハリセンボンの二人(尾)組には「なめるなよ。俺たちは見せ物じゃないんだ!」と眼光鋭くにらまれた気分になりました。みそ汁の具にするなんて畏れ多い感じです。さすが沖縄、たまにのぞきに行く築地の場外市場とは主役を張る魚が違いますね。

   

 私は貝類が好物なのですが、シャコ貝は食べたことがないなあ。独特な潮の香り、なんだかひかれますね。どんな感じなのだろう。そういえば以前、テレビで南洋の巨大シャコ貝を特集している番組を観ましたが…。

   

 茹でて食べるのかな。なかなかの迫力がありました。戦闘力がありそうな…。色合いが何か、まるでユニフォームであるかのような印象を受けました。

   

 「夜光貝」と伊勢エビです。写真では分かりにくいでしょうが、夜光貝ってかなり大きな貝なのですね。これも食べたことはありません。ここまで大きいと、身を刻んでバター焼きにでもするのか。

   

 グルクンの唐揚げならば、随分以前に食べたのですが、今回の沖縄取材では、魚は食べませんでした。沖縄そばなら計三食もいただいたのですが。イラブチという魚の青光りした姿はなかなか美しいものでした。

   

 いいですねえ。でも、残念ながらここで食事をする時間はありませんでした。今度は仕事ではなく、ゆっくりとした旅行でここにきて、新鮮な魚や貝をぜひ調理してもらいたいところです。そういう日がいつ来るかなあと考えると、あてはないのですが。いつか日本中を旅して回りたいなあと、ときにそんなことを考えますが、とりあえず夢のまた夢ですね。


 引き続き沖縄で取材をしています。きょうは、沖縄県公文書館でメモしてきた、公文書における渡嘉敷島の集団自決の描写を紹介します。ノーベル賞作家の大江健三郎氏や、文部科学省の教科書検定を厳しく批判している沖縄の地元紙などは渡嘉敷島の守備隊長だった赤松嘉次氏による「軍命令」「強制」に仕立てたいようですが、公文書はこの問題をどう記述しているでしょうか。

 まず、琉球政府と沖縄県教育委員会が編集・発行した「沖縄県史」第10巻にある元渡嘉敷郵便局長、徳平秀雄氏の手記です。ここで出てくる「防衛隊」とは、在郷軍人会が発展した地域住民の防衛組織で、正規の日本軍ではありません。

 《(前略)艦砲、迫撃砲が撃ちこまれました。上空には飛行機が空を舞うていました。そこへ防衛隊が表れ、わいわい騒ぎが起きました。砲撃はいよいよ、そこに当たっていました。
 そこでどうするか。村の有力者たちが協議していました。村長、前村長、真喜屋先生(※元渡嘉敷小学校校長)に、現校長、防衛隊の何人か、それに私です。
 敵はA高地に迫っていました。後方に下がろうにも、そこはもう海です。自決する他ないのです。中には最後まで闘おうと、主張した人たちもいました。特に防衛隊は、闘うために、妻子を片づけようではないかと、いっていました。(中略)
 そういう状態でしたので、私には、誰かがどこかで操作して村民をそういう心理状態に持っていったとは考えられませんでした。》

 …村の有力者たちが集団自決を決めた様子が証言されていますね。次に、沖縄県警察本部が発行した「沖縄県警察史」第2巻に掲載されている、渡嘉敷駐在所勤務だった安里喜順巡査の手記です。

 《(前略)住民を誘導避難させたが、住民は平常心を失っていた。空襲や艦砲が激しくなってから避難しているので、部落を出発する時からもう平常心ではない。
 集まった防衛隊員たちが、「もうこの戦争はだめだから、このまま敵の手にかかって死ぬより潔く自分達の手で家族一緒に死んだ方がいい」と言い出して、村の主だった人たちが集まって玉砕を決行しようという事になった。
 私は、住民を玉砕させる為にそこまで連れてきたのではないし、戦争は今始まったばかりだから玉砕することを当局としては認めるわけにはいかないと言った。しかし、当時の教育は「生きて虜囚の辱めを受けず」だったので、言っても聞かなかった。
 そこで、「じゃあそれを決行するのはまだ早いから、一応部隊長の所に連絡を取ってからその返事を待って、それからでも遅くはないのではないか」と言って部隊長の所へ伝令を出した。
 だがその伝令が帰って来ないうちに住民が避難している近くに迫撃砲か何かが落ちて、急に撃ち合いが激しくなった。
 そしたら住民友軍の総攻撃が始まったものと勘違いし、方々で「天皇陛下万歳、天皇陛下万歳」と始まった。(中略)
 赤松隊長は、「私たちは兵隊で戦って死ねばいいが、皆さんは生きられるだけ生きてください」と言って、自分たちの味噌や米を住民に分けてあげたりしていたこともあった》

 …こちらにも、村の主だった人たちが集まって自決を決めたくだりがあります。もちろん、軍命令があろうとなかろうと集団自決の悲惨さに変わりはありませんし、こういうことが二度とあってはならないと思います。でも、どうして沖縄県の公文書にもはっきりとこう書いているのに、教科書に限って軍命令・強制だと強調しなければならないのか私には理解できません。

 今回の訪沖で取材した一人は、集団自決の前後の島の様子について「高台や松の木などに上ると、特攻隊の飛行機が米艦船に突っ込み炎上する姿が何度も見えた。当然、島民もそれを見ただろう」と話していました。周囲の海は米艦船に埋め尽くされ、逃げ場のない極限状況での出来事だったのだということ、戦争の容赦ない現実を、私は今回の取材を通じて改めて感じました。
 
 9月29日の県民集会では、高校生が教科書検定を批判して「おじい、おばあがウソを言っているというのか」と述べるシーンが繰り返しテレビで流れましたが、この公文書の証言だって「おじい」たちの偽らざる体験記ではないのでしょうか。集団自決における軍命令や強制について「必ずしもあったと明言できない」という検定のスタンスを批判するのであれば、公文書の記述もまた否定しなければ理屈に合わない気がします。

 ちょっと硬い話になったので、お約束で本日の私の昼食の写真を投稿します。宜野湾市の路地裏のような場所にあった沖縄そばの専門店で食べた「ソーキそば」(740円)です。麺はもちもちしこしこ、透明なスープは旨味が強いのにあっさりした味わいでなかなかでした。薄焼き卵入りというのが珍しいですね。

   


 前回のエントリで予告した通り、現在、那覇に来ています。何しに来ているのかというと、沖縄という中央から遠く離れた離島であり、歴史的背景もいわゆる本土とは異なり、かつ27年間も米国の施政権下に置かれたある地域で、どのような言語空間、情報空間が形成され、どう流通し、どんな影響を及ぼしているかを取材するためです。…まあ、そんなに本質的で深い洞察力と知力を要求される仕事は私には無理なので、冒頭に書いたことの上っ面をなぞろうというのが趣旨でした。

 で、那覇について今朝の琉球新報、沖縄タイムスの地元紙2紙の一面を見て、何と似ているのだろうと思った次第です。もちろん、いつもそうだなんて言いませんが、先日のエントリで紹介したように、9月29日の沖縄集団自決をめぐる両紙のそっくりなつくりと、相通じるものはありそうです。双方とも、共同電で1面トップをつくっていますね。130数万人の県民に対し、地元紙2紙がそれぞれ20万部ずつをシェアし、中央紙は全部合わせて1万部かもうちょっとという特殊性があります。

   

 というわけで、本日は地元紙2紙が沖縄の言論空間をほぼ支配し、他の論調は排斥されがちであることを憂慮する人たちに取材してきました。明日もまた別の人にその続きの取材を行い、資料に当たる予定です。ここしばらくの東京での識者取材と合わせて、紙面1ページを使って特集を組むことを想定しています。ブログのプロフィールにある通り、私は外務省兼遊軍担当でして、遊軍としての仕事です。

 詳しいことは取材過程ですから書けませんし、所詮私のやることですからもとよりたいしたことではありません。そこできょうは、イザブロガーでもある那覇支局長にごちそうになったものを記し、お茶を濁したいと思います。すいません。

   

 すいません。また箸をつけてから写真を撮ることを思い出しました。石垣牛のステーキです。脂身が少なく、肉自体の味の濃い私好みの味でした。支局長、ありがとうございました。次は壁に貼ってあったメニューです。

   

 支局長によると、この中にある「オオタニワタリの天ぷら」と、「アダン新芽と豚肉炒め」は、石垣島独特の料理で、沖縄本島ではめったに食べられないそうです。これが「オオタニワタリ」です。アロエの先っぽを揚げたような何だかもっちりとした味わいでした。

   

 …沖縄と本土はもちろんいろいろな相違がありますが、どこかいっしょくたにされている感がある沖縄県内の本島とその他の島々も、相当の違いがあるのだと思います。今は旅先で手元にありませんが、司馬遼太郎氏の沖縄紀行でも、その点について言及していたと記憶しています。私はきょうは、石垣料理の店に連れて行ってもらったわけですが、沖縄本島と石垣島がどれだけ離れ、どんな文化や習慣の違いがあるか。昔は、流通している言葉がどれだけ異なったか。短期間の沖縄滞在ではとても取材できませんが、以前から関心を持っているところです。

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