2008年03月


 このブログを始めて1年10カ月余、累計アクセス数が600万を超えました。ありがとうございます。もとよりいたらないところの多いのは自分でも重々承知していますが、玉石取り混ぜて(といっても「玉」はあまりないでしょうが)なんとかいろいろな情報、見方を訪問者のみなさんに提供したい、そして共有したいと思ってやってきました。ことの是非の判断、どうとらえるかは読んでくれた人にお任せするとして、とにかく知り得たこと、思ったことの中で、あまりメディアに流れないようなこと、一部しか報道されないことについて、書こうと心がけてきました。それが成功しているかどうかは分かりませんし、ときには反発を買うような内容になってしまうこともありますが、とりあえず、これだけたくさんの人が見にきてくれたことに感謝します。

 エントリでの表現や内容に関しては、新聞紙面とは書き分け、より本音や、紙面ではそのまま載せにくいような部分についても、あえて書くようにしています。そのため、ときどき、メディアの人間がスラングのような表現を遣うのはどうか、品がないなどとお叱りを受けることもありますが、紙面と同じようなトーンで、似たような抑制をかけて書くのでは、ブログの意味が薄れるかと思っています。あるいは、それは私の勘違いかもしれませんが、これまではそうしてきました。

 もちろん、ここが記者個人の私的意見・主張の表明の場であるにしても、所属名を明らかにして、産経デジタルのサイトで書いている以上、完全にフリーな立場とは言えないでしょうし、知り得た情報そのものも、産経の記者として取材、入手したことが多いわけで、社と無関係というわけにはいかないのもそうでしょう。某県庁からは、新聞の取材だと思って話したことが、ブログに掲載されたと抗議を受けたことがあります。これは境界線が難しく、その話が紙面で記事になると判断したらしていましたし、ならないと判断した部分を匿名でブログで短く引用したことへの抗議でした。

 これについては、県庁という公的機関の公の見解を紙面で載せようと、ブログで書こうと、情報公開の視点に立てば何の問題もないように思ったのですが、それを心外に思う人・団体があるのも事実ではあるのでしょう。だいたい、取材上知ったことをブログに書けないのであれば、記者ブログは意味がないというか、成り立たないものだと思います。

 会社は、私の対応を問題ではないとしているようですが、こうした点は、記者ブログという試み自体がまだ歴史が浅く、何がよくて何がダメなのか、そもそも何をかくべきで、何は書くべきでないのか…といったことが、まったくルール化されておらず、試行錯誤状態のままなので、今後もいろいろとあるだろうなと正直思っています。各記者の良識やセンスに委ねられているというか、最初から記者は放り出されているというか。今のところイザでは、大きな問題は起きていないようですが、社のスタンスも基本的には「問題は起きたときに考えればよい」というものであるようです。

 また、取材先から「読んでいますよ」と言われることが多いのも、これはけっこうプレッシャーを感じます。私は以前から、記者が匿名性の中に逃げ込むのはやむを得ない場合を除いてよくないと考えてきたので、ブログを読まれても「望むところだ」と思うべきかもしれませんが、新聞記事のような抑制、角を丸めた表現を通じてではなく、剥き出しの本音そのものを知られ、手の内を公開した形で取材を続けるというのも、なんというかまあ…。もちろん、私のブログなんて全然知らない取材相手の方が多いのでしょうが。どこまで本音で書くか各記者ブロガーの裁量なので、こういう点もまた自業自得ではあるのですが、自由に何でも書けるというのは、その分、良くも悪くも結果が自分自身にはねかえってくるものだと実感しています。当たり前ですが。

 …何だかよく分からないエントリになりましたが、改めて、今まで私の拙いブログにお付き合いくださりありがとうございます。

 ※追記 きょうの関東南部は土砂降り状態で、桜の花もだいぶ落ちてしまったようです。外務省の前でも、歩道が桜の花びらを敷きつめたようになっていました。…今年ももう4分の1が過ぎ、明日からは新年度ですね。新しく入学した学生さんや、新社会人の人たちが、将来に希望を持てるような社会であってほしいと心から願います。

     


 前エントリでも書いたことですが、昨日は私にとって残念の判決が二つありました。一つは沖縄集団自決訴訟で作家の大江健三郎氏らが勝訴した件であり、もう一つはKSD事件をめぐる最高裁判決で、一時は参院のドンとまで呼ばれた村上正邦氏の実刑が確定したことです。今朝、村上氏に電話して「残念でした」と伝えたところ、さすがに気落ちした様子で「国家権力にはかなわん」と語っていました。

 私は、よく耳にする「権力」とは、一体何であるのかとときどき考えます。特に、ジャーナリズムについてはいつも「反権力であるべきだ」という言い方がされ、確かにそれは一理はあるのですが、そもそもマスコミ自体が権力化している中で、ときに空しく響く言葉でもあります。新聞社のトップが、実質的に首相を誕生させたり、ときには大部数をかさに着て政治家を脅かしたりしているわけですから。また、メディアが自作自演する「空気」が、世の中の動きを方向付けていくこともあるのだし…。

 それはともかく、昨日は、軍命令は集団自決した住民に援護法を適用するために創作されたと証言した照屋昇雄氏について、昨年書いた記事を紹介しました。そこで、本日は、昨年12月17日に照屋氏に対して取材した際の一問一答を照屋氏の言葉通りに掲載しようと思います。このインタビューは、主に「沖縄の言論」に対するもので、直接今回の裁判にかかわるものではなかったことと、テープはとっておらず、私がその場でメモをとった範囲なので全文とはいかないことをあらかじめお断りしておきます。

 《 沖縄タイムスは照屋さんのことを「捏造」証言の元職員と書いたが、沖縄タイムスから取材はあったのか

 照屋氏 とんでもない。私には聞きにきません。あの記事は、どこからか、「照屋さんの話は捏造だと書いた記事がある」と聞いた。その後、いろいろと分かったが、裁判で被告側が出してきた私の証言が捏造だとする証拠文書はどんなものか。職名がなく、伏せられているし、全部庶務係となっている。あんな書類の作り方はないんです。被告が出してきた書類の方が捏造ではないかとの疑問がある。

  沖縄タイムスはその後、訂正やお詫びはしたのか

 照屋氏 やりませんよ。新聞は記事でウソを言って頭からやりこめる。私は援護課、社会福祉事務所…と異動しましたが、当時そこに在籍した人に聞けば、私が分からない人なんていないでしょう。私は主任(旧軍人軍属資格審査員)をしていたのだから、知らない人はいない。逆に、沖縄タイムスが、私の話は捏造だという記事で出してきたKの証言が捏造です。彼は高校卒業後、謄写版刷りのアルバイトをしていました。それがね、私たちが極秘で行った問題(※集団自決を軍命令だったことにして援護法適用を申請すること)を耳にしていた、ということがおかしい。局長ほか数名しか知らんのに。

  ちょっとその間の経緯を説明してもらえますか

 照屋氏 確か、昭和26年に本土で特措法ができ、27年に南西諸島にもカネを出そうとなった。その処遇規定の中に、取り扱い要綱があり、22項目があった。戦死した者、スパイ嫌疑でやられた者、部隊から脱走したとされたが、実は脱走ではなくて突撃したもの、道案内…。その中で、集団自決という問題が出てきた。また、軍務に服せない16歳未満の取り扱いの問題と。
 渡嘉敷、座間味の集団自決が問題になり、私らはこの人たちを法律の中に適用するかしないかが大変だった。適用範囲にはめ込むのに苦労した。適用するしないの調査が僕の仕事だった。最初は認められなかったが、次第次第に拡大され、責任ある上司の「命令」があれば適用できるとなった。それが問題でね。私も昭和29年か30年ごろ、一週間渡嘉敷に泊まって調査した。
 戦時は島民は究極の人間の心理状態にあった。あんな小さな島を千数百隻の船が囲み、1万2、3000人の住民を3万人の米軍が包囲した。それは精神状態は異常になる。赤松隊長はそれを落ち着けようとして、敵の姿が見えないところに住民を誘導している。
 私は調査で、住民一人ひとりから「(自決の件は)お父さんがやったのか、お母さんが死のうと言ったのか、隊長が命令したのか」といちいち聞いた。沖縄には死んだらお墓で一緒に、という文化があるしね。本当に隊長の命令があったのか尋ねたが、そう答えた人は一人もいない。これは断言するよ。

  照屋さんは、赤松隊長は立派な人だと言っていますね

 照屋氏 十字架を背負うというのは、彼の行為のことだと思うよ。実は渡嘉敷の村長は私の友人だった。彼とも話し合い、「隊長が命令したという一言があれば、8000人~9000人の島民が全部、援護金をとれる」ということになった。だから、赤松隊長は神様なんだ。それで村長が赤松隊長から一筆もらった。昭和31年1月15日の閣議に出さないといけないから持ってこいと厚生省からは言われていた。間に合ってよかったねと、村長と二人でお祝いしたよ。

  そうした照屋さんの経験を地元紙は取材し、話も聞きにこないと

 照屋氏 (大江氏の沖縄ノートが引用した)沖縄タイムス刊の「鉄の暴風」は、本土に対する「沖縄をほったらかしにして…」という感情もあって、悪いやつらが流言飛語で流したことがもとになったんじゃないか。あの本の著者の一人はサイパン帰りで、サイパンで見た話とミックスしたのではないかと思う。その「鉄の暴風」を盗作して話を大きくした大江氏は、裁判でかけて罰するべきだと思うよ。沖縄タイムスは、自分たちの本(の正当性)を守るために、沖縄県民100万人以上に、今も誤解を与え続けているのだと思う。》

 …直接関係はありませんが、最初に書いた村上氏が平成16年の年末に送ってきた挨拶文には、次のように書いてありました。

 《今年から控訴審が始まりました。去る十月の公判では、KSD元理事長の古関忠男氏が「一審では不本意ながら、事実を曲げて、虚偽の証言を行いました。このままでは死んでも死にきれません。真実は一つです」と、検事調書と一審での証言を根底から覆す証言を致しました。ようやく真実の光が差し込んできたと感じております》

 しかし、この古関氏の証言はなぜか裁判では重視されず、村上氏は検察が当初に描いた絵図通りに実刑に服することになりました。司法には司法の論理があるのでしょうが、あまりに分かりにくく、かつ納得がいかないことが多いとつくづく感じます。私は警視庁を担当していた時代、ある証券会社の顧問におさまっていた元検事に名刺を渡したところ、「産経のあの記事(証券会社の飛ばし事件を報道)はなんだ」と手ごと名刺をはたき落とされたことがありますが、その後、記事が正しかったことが証明されました。まあ、法の番人なんて、マスコミがろくでもないのと同じくらい、ろくでもないのかも知れませんが。

 ※追記 さて、せっかく気持ちいい天気の休日なので、おまけです。さきほど某都立公園に行ってきたので、そこで撮った写真を掲載します。私は最近は桜づいているので…。ほぼ満開状態でした。

   

 この公園からは、なぜかお城のような建物も遠望できました。さて、これはどこの何でしょう?

   

 また、次のような生き物もいました。このグニャグニャ感は、私の今の心象風景に近い、かな。ガラスに映った人影なども一緒に写ってしまいましたが。ただ漂っているだけなのに、いくら見ていても飽きない不思議な生き物です。
   

 自宅の近所では、こんなもの(私は卵とじにして食べるのが好き)がありました。春もまた、いつのまにか通り過ぎていくのでしょうね。4月になれば、あっという間にゴールデンウィークですが、福田首相は連休中に予定していた訪露も決まらず、連休明けの中国の胡錦濤国家主席の来日も、まだ中国側から正式な返事が来ないので日程が固まっていません。諸外国としても、当然、日本の政治情勢を見ているでしょうから。分かりやすい言葉で言うと、足元を見る、というやつですね。

   


 本日、大阪地裁は沖縄集団自決訴訟をめぐり、被告で作家の大江健三郎氏を勝訴させるという不当な判決を下しました。これまでの法廷での議論などを通じ、原告側は間違いなく勝つつもりでいたでしょうから、さぞや驚き、失望したことと思います。それでも原告側は当然控訴し、舞台は高裁へと移ることになるのでしょうが、判決文の要旨を読んでいて、ひっかかることがありました。いや、はっきり言えばひっかかるところだらけなのですが、その中で一点、次の部分を取り上げます。

 《原告らの主張に沿う照屋昇雄の発言はその経歴等に照らし採用できず…》

 採用できないというのは、どういうことでしょうか。この照屋氏に関しては、私も昨年12月に沖縄でインタビューし、12月27日付の「詳説・戦後 沖縄の言論」という特集記事で、次のように書きました。

 《(前略)取材を受けないまま、地元メディアに一方的な記事を書かれた点では、戦後の琉球政府で旧軍人軍属資格審査委員として軍人・軍属や遺族の援護事業に携わった照屋昇雄氏(83)も同様だ。
 照屋氏は昨年8月(※平成18年)、産経新聞の取材に対し、「遺族たちに戦傷病者戦没者遺族等援護法を適用するため、軍による命令ということにし、自分たちで書類をつくった」と証言し、当事者として軍命令説を否定した。
 それに対し、沖縄タイムスは今年(※19年)5月26日付朝刊で、慶良間諸島の集団自決をめぐり、当時の隊長らが作家の大江健三郎氏らに損害賠償などを求めている裁判での被告側主張を引用。「『捏造』証言の元援護課職員 国の方針決定時 担当外 人事記録で指摘」などと、4段見出しで大きく報じた。証言を否定する趣旨の記事で、名指しこそしていないが、すぐに照屋氏だと分かる書き方だ。
 しかし、照屋氏は当時の琉球政府辞令、関係書類などをきちんと保管している。被告側が提示した記録について、照屋氏は「人名の上にあるべき職名が伏せられていたり、全員、庶務係となっていたり不自然だ」と指摘するが、こうした反論は地元メディアには取り上げられない。
 照屋氏は渡嘉敷島に1週間滞在して住民の聞き取り調査を実施しており、「隊長命令があったと言った人は1人もいない。これは断言する」と述べている。「捏造」と決めつけた沖縄タイムスから謝罪や訂正の申し入れは一切ないという。》

 この沖縄タイムスの記事には、《被告側は同職員の採用時期が証言にある昭和20年代後半ではなく昭和30年で、援護課職員ではなく中部社会福祉事務所職員として採用されたことなどの人事記録を証拠として提出、「元職員の証言は信用できない」と反論した。》《被告側は「(19)58年10月まで援護事務に携わる援護課に在籍していない元職員が、渡嘉敷島住民から聞き取りをしたり、援護法適用のため自決命令があったことにしたとは考えられない」と指摘した》とあります。

 つまり、大阪地裁は、この照屋氏よりも被告側が出してきた証拠書類を信用できると判断したということでしょうか。判決がいう「その経歴」とは、何のことなのでしょう。私は納得ができません。そこで、照屋氏が今も保管している当時の辞令などの写真(コピー)を改めて掲載します。これを見ると、上の記事と明らかに矛盾し、照屋氏が少なくとも昭和29年10月からは援護事務に就いていたことが分かりますが、裁判官はこっちの方が、偽物だとでも言いたいのか…。

 

 

 

 明日の新聞各紙は、この判決のことを大きく取り上げるでしょう。特に、地元紙2紙は、判決がどう出るか、今までの自分たちの報道ぶりが否定されるような結論になるのではないかとびくびくしていたでしょうから、大喜びして鬼の首を獲ったかのように大騒ぎすることでしょうね。そこで、ついでに琉球新報の社是を紹介します。ここにある「不偏不党」「公正」「品格」などの言葉が、本当であるのかどうか、明日の紙面を見ればよく分かることだと思います。

 

 きょうは夕刊当番なので、会社で他の記者が書いてきた原稿をチェックしたり、簡単な手直しを入れたりする作業をしています。いままた、新しい原稿が到着したので、とりあえずここまでにしますが、私は正直、怒っているのです。

  

 ※追記 午後3時10分すぎ、霞が関の外務省(右側の建物)前に到着したところ、桜がほぼ満開状態でした。きょうは、上の沖縄集団自決の裁判のほかに、KSD事件をめぐる裁判で、村上正邦元労相に対する実刑が確定しましたが、私は実はこの裁判にも疑問を持っています。はっきり言えば、功を焦った検察の決めつけによる無理筋の立件ではないかと。私は社会部記者ではないので、裁判の詳細については承知していませんが、村上氏に対しては、取材その他を通じ、話を聞く機会が幾度もあり、そんな印象を受けています。二つの裁判について考え、沈んだ気持ちで歩いていたのですが、桜の花には少し癒されました。季節はめぐりうつろい、人もまたうつろい行くのでしょうね…。


     

 通勤途上に桜並木を写したものです。花がほころび、つぼみもふくらんで満開も近いなと思いました。春爛漫という言葉がありますが、やはりこの季節はいいですね。学生だった随分昔は、春はクラス替えや卒業といった別れをイメージして何だか寂しさも感じたものですが、最近は純粋にいい季節だなと楽しんでいます。日本の政治状況はいま、まさに厳冬といった趣きですが、いつかは春が、そして灼熱の夏が到来することを祈りたいと思います。

 さて、今朝の産経新聞の第3社会面に、小さく「映画『靖国』に最優秀賞」という記事が出ていました。読むと、「靖国神社を題材にした映画『靖国 YASUKUNI』が、第32回香港国際映画祭で最優秀ドキュメンタリー賞を受賞した」とあります。おいおい、待ってくれよという気分です。これは、偏向・反日映画として話題になった作品のことですね。まったく中国のやることは…。

 実は25日、国家基本問題研究所の外国人参政権問題に関するシンポジウムを取材した後、会場にいた山谷えり子首相補佐官(教育再生担当)と立ち話した際に、山谷氏から「靖国の映画は観た?ひどいわよ、あれは」と聞いたばかりでした。でも、この反日映画に、政府は750万円もの助成金を出しているわけですから、中国のことばかり批判してはいられないなと思いました。日本人自身がしっかりしていないから、外部に付け入られるのだと。

 で、このとき山谷氏から、「きょうの参院文部科学委員会で水落さん(自民党)がこの映画のことを、義家さん(同)が北教組(北海道教職員組合)のことを取り上げるから、チェックしておいたら」とも勧められました。ただ、私は別の仕事があって難しかったので、政治部の原川貴郎記者、社会部の小田博士記者にそれぞれ連絡し、委員会の様子を見てもらいました。ありがとう。

 二人はあとで取材メモを送ってくれたのですが、水落氏と義家氏がそれぞれ文科省の答弁に「残念」「がっかり」と似たような感想を述べているのが興味深いと思ったので、そのメモに基づき国会でのやりとりを紹介します。一般のテレビで放映されない国会質疑で、議員がどんな質問をし、それに役所側がどんな回答をしているかは、あまり新聞やテレビにも出てこないでしょうし。もとより、文科省にはその権限に基づく限界があるのは分かっているのですが、確かに答弁にはやる気というか、前向きさが感じられないというか。これも福田内閣だからこうなっている、という部分も否定できないでしょう。以下、25日の参院文部科学委員会でのやりとりです。

 《水落敏栄氏 (「明日への遺言」を見て、岡田中将の態度に日本の武士道を観て感動したと話した上で)もう一つ観た「靖国」という映画、これはまことに不愉快、不快極まりない映画でありました。映画をどう感じるか、観た人の問題でさまざまですけれども、私はこの映画、反靖国の映画と見ました。それは国や靖国神社を相手取った、いわゆる靖国神社訴訟の原告である真宗の僧侶や台湾の高砂族を登場させて、かれらの主張を語らせていますけれども、靖国神社支持者のコメントは断片的で、映画に盛り込まれているさまざまな映像とか写真の中には、中国側による事実誤認やねつ造が指摘さされるものが多く含まれている。そして靖国神社、日本刀、軍国主義など、残虐なイメージをすり込もうとしておりまして、反靖国プロパガンダ映画と私は思っています。
 しかし、どう感じるかは観た人の問題ですから、反靖国がどうのこうのということはこの際、問題にはいたしません。しかし、この映画ですけども、極めて客観性に欠けることは否定できない。こうした客観性に欠けるものや、政治的なものを意図する映画に、われわれの税金が出ていることに問題があるわけです。すなわち、文化庁が指導する芸術文化振興基金からこの映画に750万円の助成金が出ていることはまことに大きな問題であると思っています。

 まず文化庁にお尋ねしますが、この映画は日本映画でしょうか?会社は日本で登記をしていると言っているが、監督の李纓は中国人であって、共同プロデューサーには日本人の名前もありますけども、共同製作は北京電影学院など中国で、しかも、タイトルは「YASUKUNI」と英語で示されております。スタッフ紹介等も8割方が中国名です。こうしたことから私は中国の映画と思っていますけれども、助成の対象となるのは日本映画ですから、まずこの点について文化庁の答弁を聞きたい。

 

 高塩至文化庁次長 独立行政法人の日本芸術文化振興会の芸術文化振興基金によります、映画の製作活動の助成対象者につきましては、映画の製作活動を行うことを主たる目的とする団体で、過去に国内で一般公開をされた日本映画を製作した実績を有する団体とされているところです。そして日本映画とは、我が国の法令により設立された法人により製作された映画です。また外国の製作者と共同製作された映画につきましても、日本芸術文化振興会がその著作権の帰属につきまして検討して、日本映画として認めているところです。ご指摘の映画「靖国」の製作者でございます有限会社「龍影」は、わが国の法令により設立された法人でして、また過去に日本映画を製作した実績もあることから、独立行政法人日本芸術文化振興会の審査会において、助成の対象になると判断されたものと承知いたしておるところです。

 

 水落氏 文化庁はそう言うんでしょうけども、映画の中では日本語で話していますから、錯覚するんですけども、私は日本の映画とは思えない。中国映画になぜ日本の芸術文化の金を出すのか、「問題ない」とお答えいただいても、私は到底納得いかない。そして商業的、政治的、政治的な宣伝意図を有するものには、助成金は出せないとあるが、小泉首相が総理就任以来、靖国神社参拝を続けていることを、中国は大きく問題視していた政治的背景がある。小泉さんの靖国参拝、こうしたことをこの李監督は、中国側の考え方を十分意識していたんじゃないかと私は思っているんです。反日的で客観性に欠ける、また政治的背景がある映画に助成金を出していいのか、この点をお尋ね致します。

 

 高塩次長 芸術文化振興基金の助成交付の基本方針として、基金による助成についきましては、ご指摘がございましたように、政治的宗教的宣伝意図を有するものではないということとされているところです。また本記録映画を審査いたします専門委員会の評価の観点として、活動の目的、内容が優れていること、また具体的であること、社会的に開かれていること、さらに過去の実績から推測して実現可能であること、さらに予算や経理が適正であること、などの評価の観点が備えられているところです。この「靖国」の審査を行いました平成18年度の記録映画専門委員会におきましては、ただいま申しあげた基本方針や評価の観点をもとに、6名の専門委員の合議の上、審査が行われ、助成が決定されたと承知しています。

 

 水落氏 いや、問題ありますよ、これね。この映画が記録映画の助成金対象活動に採択されて、助成金が出ている、こういうことですけど、そして一方記録映画の審査は、審査委員会の決定に委ねられて、特に台本が存在しないことが多い記録映画については、提出された企画書等を中心に審査審議して助成するということになっていますね。つまり完成された作品の内容審査は行われずに、映画が完成すれば助成を行うということですから、いい加減としていいようがない。750万円のも税金を出すのに審査もしないというのは、文化庁としても指導監督上責任があると私は思っています。今から1年前に審査会は試写会で映画を見ていると発表していますけども、そのときの委員の皆さんの意見はどうだったのか。議事録があれば、ぜひお聞かせいただきたいし、繰り返しますけれども、客観性に欠ける映画であって助成の対象にはならないんじゃないかと思いますよ。したがいまして、この助成金750万円は、この際返還すべきだと思っていますけれども、この点をお伺いいたします。

 

 高塩次長 芸術文化振興基金の映画製作支援に当たりましては専門委員会におきまして合議審査が行われ、助成を内定したのちに、完成試写会を実施いたしまして、映画の完成を確認してから助成金の支払いを行う手続きを執っているところです。映画「靖国」につきましても、平成18年の9月に専門委員会において合議審査が行われ、同年10月に助成が内定した後、平成19年3月に完成試写会が実施され、専門委員会として映画の内容を確認した上で、同年4月に助成金が支出されたところです。このように今回の件につきましては、独立行政法人日本芸術文化振興会におきまして、一つ一つ所定の手続きに従いまして審査が行われているものであると承知しております。独立行政法人に対しましては、定められました中期目標、中期計画にしたがいまして業務の運営が行われていることにつきまして、国として評価を行うという仕組みになっているところでして、所管の官庁として一般的な監督権限はない考えているところです。

 

 水落氏 まことに答弁については残念であります。委員長にお願いします。資料要求としてこの審査会の委員のメンバーをぜひご報告いただきたい。よろしくお願いします。やはりですね、そうしたこういう客観性に欠けるまた政治的な意味合いも含めたこうした映画はやはりあの、観る人によっていろいろ違いはあると思いますけれども、明らかにこれは中国の映画であって、客観性に欠ける映画だと思っております。これはぜひ、再検討いただいて、われわれの税金である750万円を返していただきたい、このようにお願いをして私の質問を終わらせていただきます。

 …文科省は、「監督権限はない」と逃げていますが、本当でしょうか。私は、教科書問題などをずっと取材してきて、文科省が自民党の保守系議員らにする説明や言い訳は信用できないという思いを持っているのです。文科省は、明らかに保守系議員や保守系論壇よりも左翼勢力を怖れ、その言うことに従っているという印象があります。日教組とも馴れ合っていますしね。この映画の件にしても、某自民党幹部は私に「文科省の某氏が説明に来たけど、彼は『文化庁が映画に協力しているかのように宣伝されて困っている』と言っていたよ」と話していました。でも、実際に750万円も助成金を払っているのですから、十分協力していることになると思います。

 もう一つ、今度は北教組のスト問題に関するやりとりです。北教組と言えば、国会前の座り込みの常連で、日教組の中でもアクティブな単組ですね。昨年、北海道教育委員会によるいじめ実態調査や、札幌市教組による学力調査に対し、「協力するな」とする指示を出していたのは記憶に新しいと思います。

 

  《義家弘介氏 1月に、メリハリある給与体系をめぐって、大きな問題があった。北教組が時限ストを行い、処分された。道内の4万5000人の教職員の3分の1にあたる約14000人が勤務中に校外に出て時限ストをしたが、この大問題についてどうか

 

 渡海文科相 今、ご指摘があった件については、極めて遺憾なことだと考えている。そういえば、私が子供のころも、「今日はストで学校は自習だということがあったなぁ」と思い出していた。我々は今、北海道教委および札幌市教委からも、文部科学省に(2月~3月にかけて)呼びまして、状況の報告を受けるとともに、スト参加者においては、任命権者としての権限と責任ということで、厳正に対処して頂きたいということを申し上げて要請したところです。文科省としては、北海度教委および札幌市教委に対し、教職員の服務規律の確保に厳正をきしていただくようにしていただきたいと。そのように考えているところです

 義家氏 私も北海道に12年いた。北教組は北海道の教育界には、かなり大きな影響力をもっているが、地方公務員法違反は明らかだと思う。教育基本法16条違反に該当するかどうか。大臣はいかがか

 

 渡海文科相 ……。(質問が理解できなかった様子)

 

 義家氏 すいません。説明が足りなかった。(16条の)教育は、不当な支配に服することなく、この法律に定めるところにより、という規定について

 

 渡海氏 職務命令違反なのですから不法行為だという認識だ。

 

 義家氏 子供達は失敗すると裁かれる。どんな行為だろうと。昔の私もそうだったが、責任をとるべきだ。教員は明らかな法律に抵触する行為を3分の1もが堂々と行えてしまう。この状況でメリハリある給与体系とは、大きな戦いになると思う。私の友人にも北教組加入者がいる。その先生は真面目で熱心な男だが参加して処分された。「何でお前が部活を放り出してこんなことをするのか」と連絡したところ、「自分だけ参加しないと大変なことになるんだ」と。大袈裟かと思ったが、そう言っていた。そういう縛りも存在する。この処分者のなかには、教頭昇進試験合格で登録された49人、試験受験者67人も含まれていて、教頭がいなくなる事態を避けて、登用するという方針がでている。そういう人も管理職になる。私の友人いわく、「そんなことしたら、公務分掌とか時間割とか大変なことになる。結果として、自分は部活をやりたかったけどできなかったんだ」という話だった。平然と時限ストをうってしまえる人が管理職になることについては渡海文科相はどう考えるか

 

 金森越哉初等中等教育局長 教頭登用者が参加したのは、極めて不適切であると言わざるをえないと考えている。過去に処分を受けた者を教頭として登用するかどうかについては、任命権者の北海道教委において、権限と責任に基づき判断されるべきだが、学校の責任ある管理運営態勢を確立するためには、管理職の登用を厳格に行い、適格者を任命することが重要だと考えております。いずれにしても、文科省としては、北海道教委に教職員の規律確保に厳正にするよう引き続き指導したいと存じます。

 

 義家氏 札幌は政令市。この処分は同一性がない。北海道は参加者の大半を処分した。99%を処分したが、札幌は授業を放棄した、授業をしなかった人間だけを処分し、他は文書訓告としたわけだが、この違いがある。同じ北海道でありながら、同じ組合活動で行われたのに、教委の対応が違う。このへんについては、どう考えるか

 

 金森局長 北海道において、教職員のストという法令上禁止されている違法行為により、約1000人の教職員が懲戒処分を受けたのは極めて遺憾だ。実際にどのような処分を行うかは、基本的には任命権者の裁量に委ねられている。今回の処分については、北海道教育委員会と札幌市教委での権限と責任に基づき、それぞれ判断したと考えている。いずれにしても、教職員の職務規律の確保を厳正に期していただくよう、北海道、札幌市に引き続き指導したい。

 

 義家氏 行為が同じでも、教委によって処分がバラバラだ。教育としてまったく説得がないと思うが

 

 金森局長 ご指摘のように、北海道教委と札幌市教委で、今回のストに対する処分の内容に違いがある。先ほど答弁したように、実際にどんな処分を行うかは、基本的に任命権者の裁量に委ねられていることから、こういった違いが生じたと考えている。

 

 義家氏 違いが生じたと考えるのはよいが、本当にこれでよいのか。同じ行為、同じ場所で、同じ目的だが、管轄者によって処分が異なる。これは良いというしかないというのが文科省の姿勢でしょうが、今後とも、こういうのは起こりうる。教育の説得力はまったくない。同じ行為で、ある子は無罪放免である子は処分。こういうところについて、文科省としてどんなガイドラインを出すのか。どんな要求をするのか。今後が問われる。北教組はいじめの再調査も、学校に対して拒否しろと指示していた。滝川事件も含めてイジメ自殺がおこったなかで、再調査さえ拒否しろと。かなり問題がある部分だと思う。これに対し、国も後押ししていかなければいかんと感じる。

 北教組は日教組に属する組織だが、中教審にも日教組関係がいる。本当にスピードを持った教育再生はできるのか心配だ。文科省は一足退いて対応している。中教審に日教組が入っていることについての資料は持ってきてくれなかったが

 

 加茂川幸夫生涯学習局長 委員構成と運営についてのおたずねだ。事実関係だと、委員には30人の学識経験者がいる。総会を構成している。この委員には含まれていない。臨時委員もいる。臨時委員としては、出身者の一人が1名(注:渡久山元日教組書記長のこと)おり、初中分科会に分属されている。議事は報道機関に公開されている。会議終了後には議事録を公開している。制約はない。

 

 義家氏 非常にガッカリする回答だ。議事に起こされる問題ではなく、裏側で思惑が交錯するのが行政の世界だ。私は心配している。》

 …教育委員会が行政処分を行っても、教職員組合が強い地域では、逆に処分を受けた人の勲章にしかならないという場合が存在します。以前、私が取材していた山梨県教職員組合の違法な政治活動問題でも、県教委から処分を受けた人物が、次の定期異動で平気で昇進していました。山梨の場合は、教委幹部に組み合い出身者が一定数入っていて、教職員人事自体、半ば組合が決めるので、熱心に選挙運動などをやった教員の方が出世するのです。ここでも文科省は無力というか、きちんとした影響力を行使できずにいます。渡海氏などは、どこか他人事と思っているような印象すら受けます。

 これは弊紙も含めてですが、新聞にはよく「政治家が官僚に圧力をかけてうんぬん」という記事が掲載されます。しかし、官僚に本当に言うことを聞かせることができる政治家など、よほどその省庁の利権に食い込み、人事にも影響力を持つようなほんの一握りの存在で、ふつうは「のらりくらり」と誤魔化され、あるいは役人答弁ではぐらかされて悔しい思いをしているのが政治家の実態だと感じています。
 
 一般に考えられているより、政治家と官僚の関係では官僚の立場は強く、政治家は、たとえ大臣であっても、官僚の更迭(配置換え)はできても、クビにすることはできません。公務員制度に守られた官僚は、開き直ればとても強く、選挙のたびにただの人になるかもしれない政治家より、むしろ強気に振る舞えるのだと思っています。どうせ1~2年で交替する大臣よりも、ずっと天下り後まで永続する官僚同士の上下関係とその指令の方が重要に思えるでしょうし。

 まあ、福田首相は、自分は民間出身のくせにその官僚が大好き(官僚の言いなり)ですからね。福田氏はいま、石破防衛相を信頼し、重用しているように見えますが、もともと小泉内閣で石破氏が防衛庁長官に登用されたときには、石破氏が拉致議連会長を務めていたことなどから、「右派」だと勘違いして警戒していました。ところがあるとき、石破氏が建設省の事務次官の息子であることを知ると、とたんに「君は次官の息子かあ」と親愛の情を示すようになったと聞いています。何かコンプレックスでも抱えているのでしょうね…。


 本日は予告通り、保守系の民間シンクタンク、国家基本問題研究所の「外国人参政権」シンポジウムを取材してきました。下の写真の右から、研究所理事長でジャーナリストの桜井よしこ氏、東京基督教大の西岡力教授、首都大学東京の鄭大均教授(元在日韓国人で日本に帰化)、ジャーナリストのサム・ジェームソン氏です。衆院第2議員会館の狭い会議室は、約160人の参加者で満席となり、立ち見の人もいました。

   

 国会議員も、私が気付いた範囲で無所属の平沼赳夫氏、自民党の島村宜伸氏、古屋圭司氏、下村博文氏、山谷えり子氏、萩生田光一氏、西川京子氏、岩屋毅氏、衛藤晟一氏、江藤拓氏、中川義雄氏、民主党の笠浩史氏、渡辺周氏、松原仁氏、蓮舫氏、河村たかし氏、松野頼久氏…と約40人ほど来ていました。ただ、その割にあまり報道関係者の姿は目立ちませんでした。

 シンポジウムでは、写真の4人がそれぞれの考えを述べたわけですが、その概要は国家基本問題研究所の「参政権行使は国籍取得が条件-特別永住者には特例帰化制度導入を」という提言にまとめられているので、まずはその提言を紹介します。以下の通りです。

 【提言】
 1.国政選挙、地方選挙を問わず、参政権行使は日本国籍者に限定されるべきである。
 2.昭和20年以前より引き続き日本に在留する者とその子孫である特別永住者への配慮は、外国人参政権を認めることではなく、特例帰化制度導入でなされるべきである。

 【基本的視点】
 ・地方選挙の争点には米軍基地問題など国家の将来に大きな影響を及ぼすものが含まれる。北朝鮮金正日政権や中国共産党の介入は許されない。
 ・最高裁も「地方公共団体が日本の統治機構の不可分の要素をなす」とし外国人参政権を否定している。
 ・韓国、EU諸国などの永住者への参政権付与は、日本と状況が大きく異なり、同一基準で議論できない。
 ・歴史的経緯を踏まえ、昭和20年以前から在留する在日コリアンに対して特別な法的地位(特別永住)が与えられている。社会保障の内外人平等も実現している。
 ・地方参政権要求の背景には、在日コリアンの外国人意識の希薄化がある。
 ・帰化をしてコリア系日本人として参政権を行使する道が自然であり、日本社会の多様化を進展させることにもつながる。
 ・現行の帰化制度は、特別永住者に一般外国人と同じ煩雑な手続きを求めている。

 …ここで言う「特例帰化制度」とは、日本において特別永住を認められている外国人が、帰化により日本国民としての権利を獲得し、義務と責任を果たそうと決断した場合、現行の煩雑な手続きを廃し、①本人確認(「本国戸籍謄本」等と「外国人登録済み証明書」提出)②帰化意思確認(「帰化許可申請書」と、法律を守り善良な国民となることを誓う「宣誓書」提出)-の2点をもって日本国籍取得を認める制度のことです。

 また、シンポジウムで語られたことの中から、気になったことと、重要だと思う点についていくつか抜き書きしたいと思います。とても全部は書ききれないので、あちこち端折ることをお許しください。まずは、鄭氏の率直な意見からどうぞ。私は十年ほど前に鄭氏の著書「日本(イルボン)のイメージ-韓国人の日本観」を読んで以来、鄭氏の指摘に関心を持っており、産経にコメントをしてもらったこともあります。

 鄭氏 朝日新聞に在日韓国人の中には参政権待望論があるという記事が載ったが、それは非常に大きな誤りであり、ミスリーディングだ。在日コリアンに待望論があるとしたら、それは参政権というより、品位ある形で日本国籍を取得する機会だと思う。ニューカマーではない、以前からいる在日は、1930年代に日本に来た。今はその孫の世代が中心であり、日本語を母語にして世界を眺めている。実は本国に対する帰属意識は極めて薄い。日本との関係で、自分が本物の外国人だと考える在日コリアンはほとんどいないと思う。ペーパー外国人的存在になっている。いわばアイデンティティーと国籍の間にずれがある。外国人参政権は、そういう不透明さを永続させることにつながる。そういうことを本気で望んでいる在日コリアンはほとんどいない。
 韓国民団が昨年11月7日に参政権を求める決起集会をやって、5000人が集まったと言っているが、実際は3000人ぐらいだろう。決死の動員をかけて集めたものだ。しかし、現在、一年間に帰化する在日コリアンは一万人になる。在日コリアンの期待、待望が参政権というのはかなり嘘っぱちの議論だ。民団は、自分たちが在日コリアンを代弁して語っているふうを装っているが、実際はほとんど代表しているとは思わない。在日コリアンと民団は、ほとんど何の関係もない。大部分は形式的に登録されているだけだ。それはいろいろな付き合いがあるから、動員されれば参加することはあっても、それ以上ではない。

 …これに対し、会場からは、「帰化した人が日本に対する忠誠心を持つとは限らないという見方がある」「日本社会を壊す目的で帰化を望む人もいる」「日本人となって政治家その他の要職について反日活動をしている例も実際にある」といった趣旨の懸念が示されました。これまで私のブログのコメント欄でも、同様に帰化要件の緩和は望ましくないのではないすという意見がたくさん表明されてきました。そのたびに私はだいたい、在日韓国人の三世、四世のアイデンティティーは日本人そのものと言ってよいのではないか、また、日本人自身にも反日活動を使命とし、外国勢力と内通しているような人はたくさんいるから、今更あまり気にしても仕方ないのではないかといった返事を書いてきました。きょうのシンポではどうだったかというと、次のようでした。

 桜井氏 確かに帰化したからと言って、日本に忠誠心を持ち、日本を愛する人ばかりではないだろう。しかし、日本人の中も、日本を愛している人ばかりではないと思う。それはしょうがないことだ。(日本人となって内部から日本を壊すなど)そんなことを怖れてはいけない。どうぞどうぞおやりください、私たちは論破してみせますよ、いつでも来いという気持ちを持たなければいけない。日本で生まれた日本人で、立派なメディアに務めている人が、反日の論説を実際に書いているということはいくらでもある。そういう人は日本人でも石を投げればあたるぐらいいる。

 鄭氏  今の在日コリアンは、与党系よりも野党系が多いというか、そういう傾向にあると思う。ただ、日本国籍を与えられた場合、どういう日本人として生きていくか。いろんな可能性があると思うが、今ここにいる日本人より高い比率で「はりきり型」の日本人が出てくると思う。少数は、日本批判を使命とするような人もいると思うが。

 西岡氏 在日の人たちの反日傾向が強いというのは、反日日本人に同化しているのではないか。日本社会が抱えてしまっている問題の反映として、そうなっているのではないか。在日の人たちを帰化させていけば、国内に反日勢力ができるという議論があるが、今でも、特別永住者は日本に住み続けている。特別永住者のままでも反日活動はできる。

 …3氏ともだいたい、私が素人考えで日頃思っていたことに近いことを言ってくれたので、私の意見もそんなに間違ってはいなかったのかなと、少しほっとしました。あと、衛藤参院議員から、今までの帰化要件の緩和でだいぶ帰化しやすくなったのに、なぜこれ以上の特例帰化制度が必要なのかという疑問が示されたのですが、これに対する回答も興味深いものでした。

 この3氏が異口同音で話したことは、「対外メッセージになる」ということでした。在日韓国・朝鮮人の存在とそれを反日活動に結びつける勢力とによって、日本で意識されている以上に、諸外国では「在日」が差別社会・日本のイメージをつくっているといい、そうではないということを発信するには、今までのなし崩し的な帰化手続きの運用改善・条件緩和ではなく、きちんと「こうだ」というメッセージを一度発すべきだというのです。これまでそういう視点でこの問題を見ていなかったのですが、国際情報戦に勝ち抜くためにも、確かにそうかもしれないと考えました。

 以上、メモができた範囲、時間が許す範囲で急ぎ書き留めました。この問題については、異論も含めていろいろな意見があることと思いますが、このエントリが少しでも何かを考える際のヒント、情報源となれば幸いです。今後も、この問題について何か動きがあればウオッチして報告するつもりです。

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