2008年03月


 チベットで起きた僧侶らによる大規模騒乱事件で、またしても中国共産党政府のやり方が白日のもとに晒されていますね。チベットの住民たちの被害が少ないことを祈るしかありませんが、同時に、福田首相らがやたらと「友好関係」を強調するあの国が、国内には圧政を敷き、民族弾圧を繰り返している膨張主義の独裁・被民主主義国家であるという認識が、これを機会に日本国民の間に浸透するといいなと思います。

 この件について、わが国の政府は特別の反応を示そうとしていません。まさか親中派の福田首相も、今回は「中国は非常に前向きですね」とは言い出さないと思いますが、政府の立場は外務報道官談話によると、「懸念し、注視している」「関係者の冷静な対応を求め、今回の事態が早期にかつ平和裡に沈静化することを強く期待する」というものにとどまっています。欧米諸国のように、強く抗議するようなことはありません。わが国の中共に対するスタンスの特殊性が、これまた今回の件や中国製ギョーザ中毒事件を通じて国民に理解されることを望みます。

 さて、というわけで、こういう非常事態にもかかわらず、私はとりあえず本日は自宅にいるので、以前から一度取り上げたいと思っていたことを書こうと思います。私はこのブログで、これまでたびたび一般書籍や漫画について記してきましたが、きょうは、お薦めの幼児絵本を紹介(順不同)しようと思います。大人も幼児も楽しめるものを、独断と偏見と個人的趣味で12冊選びました。そのテーマはちょっと…という関心のあまりない方は、どうぞ飛ばしてください。

 まずは、人気が高い「フンガくん」シリーズです。NHKの教育テレビでもときどきこの絵本が、アニメ化したものではなく、絵本そのものの絵を使って放映されていますね。商店街や街の風景など背景描写が楽しく、お薦めです。このほか「おこりんぼ フンガくん」「あまえんぼフンガくん」などがあるのですが、肝心の第1巻がなかなか手に入りません。大手の書店をいくつか回って探したこともあったのですが…。

 

 次のこの作品は、読んでいてリズム感があり、本当に楽しくなります。一人がカレーライスをつくろうとすると、周囲にどんどん「カレー気分」が広がって、カレーの香りが街中に…という展開を読むと、こっちまでカレーが食べたくなります。ユニークな絵も素敵です。

 

 子供は好き嫌いが多く、特に野菜を苦手とする子はたくさんいますね。うちの子供もそうなのですが、この絵本を読むと、ふだんは口にしたがらない野菜も食べてみようかという気に(少しは)なるようです。これも、独特のリズム感が助けとなり、本を読み進めやすくなっています。巻末には、本に出てくるスープのレシピもついています。

 

 これは、なかなか個性的な絵本です。いま注目されている「食育」教育にも利用できるというのですが、それ以上に純粋に面白いです。また、ふつうの標準語のセリフのほかに、登場人物達が博多弁をしゃべる博多弁バージョンもついており、子供に読み聞かせたらけっこうウケました。でも今、小学校低学年にこういう「番長」と呼ばれるような少年はいるのかな…。

 

 この本は、どちらかというと、子供にはちょっと背景を理解しにくい部分もあった(まんぷくって何?ということから説明させられましたし、ギャグもよく分からないようでした)のですが、大人の目からは凝っているなあと感じました。私は絵本の世界はあまり知らないのですが、作者は人気作家のようですね。

 

 いやあ、これは何だかシュールな話で…。回転寿司たちが、ぐるぐる回る人生が嫌になり、世界旅行し、そして最後は宇宙にまで、という不思議なストーリーでした。でも、そういう奇天烈さも子供達は好むようです。これは何かの寓話になっているのかしらんとふと考えてみましたが、よく分かりません。面白いからそれでいいのでしょう。

 

 こっちは割と正統派のかわいい絵柄で、生き物の種類によってごちそうがそれぞれ違うことが描かれています。けっこうあちこちの書店で見かけるので、よく売れている本なのかもしれません。自分の子供だけでなく、親類の子供などにプレゼントする際にも安心して贈れます。

 

 次は外国の絵本です。ある日、お茶の時間に突然虎が訪ねてきて、家中の食べ物を食べ尽くす…というストーリーは単純なようでいて、何度読み返してもなんだか面白いのです。こういうのが、絵本の名作なのかなあ。子供にも繰り返し「読んで」と言われた作品です。不思議なユーモアを感じます。

 

 せなけいこ氏の作品はどれも面白く、大人も子供も楽しめるものですが、この作品は
子供の関心が高い「食べ物」と「おばけ」を同時に登場させているので、より楽しいものになっています。さすがだなあ、と感じてしまいます。せな氏の作品では、「ちいさな たまねぎさん」もお薦めです。

 

 何だかよく分からない楽しさにあふれているのが、この本です。お父さんと娘が買い物に行き、いつもと違った非日常的なことに次々に出くわして冒険を味わい、でも平気で乗り越えていく。親子の仲の良い様子がとてもいい感じです。

 

 今回、一押しの作品で最近のお気に入りです。これは何度読んでも面白いし、不思議と共感を覚えます。鶏の親子がスーパーに買い物に行き、帰って風呂に入って、食事をして…というそれだけの話なのですが、「うんうん」「そうだそうだ」と登場人物(登場鶏ほか動物各種)の言動に妙に納得したり頷いたり。また、スーパーのリアルな描写も楽しいです。

 

 最後は、やはり正統派の絵本で締めくくります。私は、テレビで正月などに放映される「はじめてのおつかい」シリーズが大好きで、いつも涙腺を緩くして見ているのですが、この本も、初めておつかいを頼まれた子供の不安や頑張る様子をあますところなく描いています。さわやかな印象を残します。

 

 …以上、さまざまな絵本を紹介したわけですが、特定の方向性、ジャンルに偏っているように見えるかもしれません。でも、気ににしないでください。決して私が、子供に絵本を与えるときも自分の趣味だけで選んでいるというわけではない、と断言できないことは言うまでもないと認めることはやぶさかではないと、振り返って感じる部分があると言えばあるようなないような。

 ただ、絵本は紙質がよく、オールカラーであるためなのでしょうが、値段が高いのですよね。子供には、絵本を通じて本に親しむようになってほしいと思う半面、費用対効果はどうかな、なんてせこいことも考えてしまいます。この4月は果たして昇給はあるのだろうかと不安だし…。


   ちょっと前の話ですが、3月3日の朝日新聞4面の「ポリティカにっぽん」というコラムに、早野透氏という朝日の有名コラムニストが「堕落の果て希望あるか 安吾ならば」という文章を書いていました。私は、実は学生時代にかなり坂口安吾が好きで一時集中的に読んでいたもので、早野氏はどんなことを書いているのだろうかと興味を引かれたのですが、これがとても違和感を覚える内容でした。何だか納得しがたいものが残る読後感というか。

 早野氏はコラムで、最近久しぶりに安吾の「堕落論」を読み返したとして、「これは、60年前の敗戦後のことなのか。いや、現代にっぽんこそ、この『堕落論』そのままではないか」と感銘を受けたと述べています。その上で、中国製ギョーザ中毒事件や沖縄の少女暴行事件、イージス艦と漁船の衝突事故などの例を引き、福田首相や石破防衛相の姿勢を批判(それ自体は別に全く構わないのですが)して次のように指摘しています(太字は私が入れたものです)。

 「私は一個の政治記者として、現代の世相に思いを運ぶ。(中略)戦後にっぽんの『平和と繁栄』の虚飾がはがれ落ちて、新たなる『堕落』が始まったということではないか。(中略)防衛省は『省』を返上し、『庁』に戻って顔を洗って出直しますというべきではないか。以上、坂口安吾が生きていれば、こんな風に現代の『堕落論』を書いたかもしれない」

 …安吾の「堕落論」は、「人間は堕落する。義士も聖女も堕落する」「戦争に負けたから墜ちるのではないのだ。人間だから墜ちるのであり、生きているから墜ちるのだ」などと、魂の叫びのようなものを、奔流のような勢いのある文体で書いた歴史的エッセーですね。それを、自らの筆で現代に再現させてみたかのような書きぶりもどうかと思いますが、それ以上に、安吾がそんな床屋談義みたいな皮相なことを書くかなあ、という点にまず疑問に感じました。これって単なる早野氏の願望だろうと。だって、安吾は政治や制度に対して反逆するのが文学であると言っていたはずですし。

 と思ったら、早野氏自身、コラムで「安吾も『堕落論』を『希望』を呼び起こすことで結んだ。『墜ちる道を墜ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかないものである』。ウーム、それでは政治記者としては、身もふたもなくて寂しいが」とも書いていました。なんだ、やっぱり安吾がそんなことを言うはずがないと分かっていてこじつけだだけのようですね。私も、早野氏のキャリアには遠く及ばないにしても一応、政治記者ですが、安吾の言葉を寂しいと感じるほどには政治に多くのことは望んでいません。

 …ちなみに、私の手元にある角川文庫の「堕落論」では、「愚にもつかない」になっていますが、これは版によって表記が違うのでしょうか。一方、安吾は「続堕落論」の中で世界連邦論や共産主義に理想を見る人に言及し、「政治は、人間に、また、人性にふれることは不可能なのだ」とも強調しています。やはり、政治コラムに安吾を持ち出し、その代弁を気取ったたこと自体に無理があったような気がします。余計なお世話でしょうが、ちょっと気になったもので一言述べておきたくなりました。

 さて、その安吾に関してなのですが、明星大の勝岡寛次氏の著書「抹殺された大東亜戦争 米軍占領下の検閲が歪めたもの」によると、「特攻隊に捧ぐ」という昭和22年に雑誌に寄せた文章の中で、次のように特攻隊について讃えています(GHQの検閲で「軍国主義的」と指摘され、全文刑掲載禁止となったものです)。

 《敗戦のあげくが、軍の積悪があばかれるのは当然として、戦争にからまる何事をも悪い方へ悪い方へと解釈するのは決して健全なことではない。
 たとへば戦争中は勇躍護国の花と散つた特攻隊員が、敗戦後は専ら「死にたくない」特攻隊員で、近頃は殉国の特攻隊員など一向にはやらなくなつてしまったが、かう一方的にかたよるのは、いつの世にも排すべきで、自己自らを愚弄することにほかならない。もとより死にたくないのは人の本能で、…死にたい兵隊のあらう筈はないけれども、若者の胸に殉国の情熱といふものが存在し、死にたくない本能と格闘しつつ、至情に散つた尊厳を敬ひ愛す心を忘れてはならないだろう。》

 《彼らは自ら爆弾となって敵艦にぶつかつた。否、その大部分が途中に討ち落されてしまつたであらうけれども、敵艦に突入したその何機かを彼等全部の栄誉ある姿と見てやりたい。母も思つたであらう。恋人のまぼろしも見たであらう。自ら飛び散る火の粉となり、火の粉の中に彼等の二十何歳かの悲しい歴史が花咲き消えた。(中略)ゴロツキで、バクチ打ちで、死を怖れ、生に恋々とし、世の誰よりも恋々とし、けれども彼等は愛国の詩人であつた。いのちを人にささげる者を詩人といふ。唄ふ必要はないのである。詩人純粋なりといへ、迷はずにいのちをさざけ得る筈はない。そんな化物はあり得ない。その迷ふ姿をあばいて何になるのさ何かの役に立つのかね?
 我々愚かな人間も、時にはかかる至高の姿に達し得るといふこと、それを必死に愛し、まもらうではないか。軍部の欺瞞とカラクリにあやつられた人形の姿であつたとしても、死と必死に戦ひ、国にいのちをささげた苦悩と完結はなんで人形であるものか。》

 いかにも安吾らしい、迫力のある筆致の文章です。また、勝岡氏は、この本で安吾について次のように書いて、GHQの検閲による影響の大きさを指摘しています。

 「彼の心の、一番奥底にあつた英霊鎮魂の賦(ふ)は、かうして外国権力によつて丸ごと否定され、一度も世に出ることなく、人知れず消えていつた。その一方で、『堕落論』だけがベストセラーとなり、安吾の意図には全く反し、戦後の人心の『堕落』に一役買つたのである。」

 「堕落論」が人心の堕落に本当に一役買ったかどうかは私は分かりません。ただ、政治や社会制度がどうあろうと、人間はいったん堕落し、孤独と向き合うことで本来の自分を知り、それによって再生するしかないのだと書いた(と私は読んでいました)安吾が、防衛省が「省」であろうと「庁」であろうと、そんなことを本質的な問題ととらえてわざわざ書くだろうとは、私にはどうしても思えないのです。


 以前、一度食事をご一緒したことがある旧皇族の子孫、竹田恒泰氏から近著、「旧皇族が語る天皇の日本史」(PHP新書)が届きました。発売一週間で増刷したほか、台湾での出版も決まったそうで、初版どまりの私のブログ本に比べて、羨ましい限りです。もちろん、中身も体裁も全く違うので、比較する方がおこがましいのでしょうが。それはさておき、竹田氏には、以前も著作を送っていただきました。この場を借りて感謝の言葉を述べたいと思います。ありがとうございました。

 さて、この本には、竹田氏と現天皇陛下のいとこに当たる皇族の寛仁親王殿下(※正確には、「寛」という字の「足」の部分に「、」がつくのですが、パソコンで字か出せないので略字でご勘弁を)の特別対談が収録されていました。月刊「Voice」平成19年4月号に載ったものの再録ですが、寛仁さまは次のように語られています。これは私も日頃からおかしい、整合性がとれないと感じていることです。

 《あと不公平なのは、(皇族には)医療保険がないことですね。病気で何十回も入退院を繰り返していますが、そのほとんどは自費です。先日、転倒して顎を骨折したときも、もちろん自己負担です。癌だけは宮内庁病院では手術できないという理由で、たしか三度目から国(宮内庁)が面倒を見てくれることになっていますが…。》

 《もちろん所得に対して税を払うのはやぶさかではありません。ただ、許せないのは所得税には住民税、つまり地方税が抱き合わせですから困ります。われわれには一般でいう戸籍がありません。強いていえば宮内庁にある皇統譜に入っているので、動かすことはできません。しかし、たとえば札幌オリンピック組織委員会ではじめてサラリーマンとして働いていたとき、国民保険、社会保険、厚生年金、住民税、失業保険などすべてを払わされました。「私は失業しません」といったのですが、「給料活動をしたのだから、当然払わなければなりません」といわれて(笑)。
 あるとき公正取引委員会委員長、会計検査院院長、人事院総裁、国税庁長官といったお金に関わるトップたちが揃う場に居合わせたので、「その土地の住民でもないし、基本的人権(選挙権・被選挙権)もないし、政治や営利事業にタッチしてもいけないという制約があるのに、なぜ住民税を取られるのか」と聞きました。「初耳でございます」と皆、吃驚していましたが、それ以後も進展はありませんね。皇室経済法か何かを改変しなければ事態は動かないのでしょう

 寛仁さまは確かきょう、喉の癌で東京都千代田区の杏雲堂病院に入院され、あす癌の切除手術を受けられる予定です。これまでも食道や舌などの癌で8回手術を受けておられ、今度で9回目になるというから、これは大変なことですね…。無事のご回復をお祈りします。

 寛仁さまが指摘された問題点を整理するため、関連するこれまでの国会答弁をいくつか紹介したいと思います(参考・大原康男編著「詳録・皇室をめぐる国会論議」)。まずは、昭和38年の衆院予算委員会での質疑からです。

 受田新吉氏(民主社会党) 皇族の法的地位は、憲法の国民の権利義務関係の規定が完全に適用されているのか。

 山内一夫・内閣法制局第一部長 憲法の基本的人権の保障は、あると思います。ただ、皇族のご身分の点からして、現在の法律あるいは法律の解釈からいって、すべての点について国民と同じようにお取り扱い申し上げているというわけではなく、若干の例外があります。(中略)選挙権・被選挙権についても、現在の解釈としてご行使なさらないようなお取り扱いになっている。

 皇族が選挙権・被選挙権を行使できない理由は「政治的立場が中立でなければいけない」という要請からだそうです。じゃあ、母国に忠誠を誓う外国人に地方参政権を付与ですべきだという意見の人はどう思うのでしょうか。竹田氏との対談で寛仁さまは「」講演で障害者問題を話すことはできますが、本心では『いまの内閣は…』といいたいところですが(笑)、それはできません」と述べられています。本当に、いろいろと歯がゆいところでしょうね。さて次は、昭和59年の参院内閣委員会でのやりとりです。

 前島英三郎氏(福祉党) (皇族が)役職につかれる、あるいは役職にはおつきにならないがかかわりを持たれる場合について、何か一定の基準はあるのか

 山本悟・宮内庁次長 やはりいろいろな制約も考えなければならないわけですが、一般に、政治的でないこととか、営利を目的とするものでないこととか、あるいは宗教的活動と見られるようなものではないこととかが考えられる。

 税金に関する答弁もあります。同じく昭和59年の衆院内閣委員会での質疑です。こういう事実は意外と知られていないのかな、と思い紹介します。

 松浦利尚氏(日本社会党) 地方税は天皇は千代田区に納めておられるのか。

 山本悟・宮内庁次長 内廷会計主管という名前でもって納税をいたしています。

 平成元年の衆院法務委員会では、こんなやりとりもありました。現行法制の壁というか、本当にそういうことでいいのかなという疑問を感じました。

 滝沢幸助氏(民社党) 陛下に税金を納めていただくということは日本の歴史的皇室というもののご存在からいうとなじまない。陛下に所得税を課するというようなことのないようにご配慮をいただきたい。

 野村興児・大蔵省主税局税制第三課長 有価証券や預金、こういったものは一般私人の財産と同様の性質を持つと考えられるので課税対象となっている。非課税措置を講ずべきではないかというお話ですが、この問題については現行法制全体、すなわち憲法であるとか民法であるとかあるいは皇室経済法であるとか、そういった全体の問題ですので、私ども相続税法を所管するものの一存でどうこうということは困難です。

 同じ年の参院内閣委員会でも、次のような疑問が呈されました。

 柳沢錬造氏(民社党) 自由はないと言った方がいいくらいに天皇の生活というものは規制されている。だけれども、税金の一部のところだけ一般国民並みに扱えというから私には理解できない。

 宮尾盤・宮内庁次長 なぜ相続税は一般の国民と同じになるのか。これはいろいろお考えがあり、そういうことはおかしいではないかというご議論は十分承っているが、関係方面とも十分いろいろご相談し、また現行の相続法の規定等についてもいろいろご相談したが、現在の税制の建前が由緒ある物については相続税は非課税となっているけれどもそれ以外の一般的な金融資産等については相続税の対象になる、こういう考え方に今の税制はつくられている、こういうことを申し上げている。

 …こうした現状に対し、平成18年10月に発足した自民、民主など超党派議員連盟「皇室の伝統を守る国会議員の会」は、「基本的人権や私的経済行為を制限されている皇族は、一般国民と同様に住民税や相続税を支払うなどの義務を課せられている」と指摘し、皇室経済法の見直しなどの活動方針を掲げましたが、残念ながら今のところ活発に動いているとは言えないようです。

 現在、国会では日銀総裁人事やガソリン税の問題をめぐり、与野党が対決して物事が進まない状況が続いています。政権選択をかけた衆院選も控えていますし、対決ムードを演出したいのは分かりますが、議員のみなさんには、超党派で協力して取り組める問題にももう少し目を向けて、もっと立法府としての成果を見せてほしいなと思います。まあ、当分は無理かもしれませんが。


 さて、今回は昨夜読んで「うーむ」とうならされた漫画について紹介(宣伝)します。ホテルを舞台にした「コンシェルジュ」という漫画の第12巻がそれで、実はこの作品は昨年8月26日のエントリ「最近読んでみた漫画の認識の真っ当さについて」でも取り上げています。ただ、この巻に収録されている第73話「総裁選の裏側」が、あくまでエンターテインメントながら私にとって、とても得心がいく内容だったので、もう一度書いてみようかと思い立ちました。

     
   (c)藤栄道彦 いしぜきひでゆき/新潮社 COAMIX

 で、きょうは出版元の新潮社に電話して、中身の絵の部分をブログに掲載する許可もとりました。著作権の関係で難しいのではないかと思ったのですが、快く了承していただきありがとうございます。何事も引っ込み思案をしていないで、試しに言ってみるものですね。

 さて、下手な接写ですいませんが、題名の通り、これは昨年9月の自民党総裁選をテーマにした架空のお話です。まずは、麻生太郎氏をモデルにしたとみられる不破議員(顔は全然違うタイプですね)が、報道陣に囲まれているシーンからどうぞ。

   

 ここに出てくる任期半ばで退陣した「田辺首相」とは、安倍前首相のことですね。そして、記者が不破議員に「何もかも途中で放り出すことを『タナベする』なんて流行語まで生まれてるようで…」と話しかけています。これは、朝日新聞がコラムで流行らせようとした「アベする」という言葉(私が最も嫌いな言葉です)をもとにしたものでしょう。「アベする」は、朝日や東京新聞の後押しにもかかわらず当時も今も全く聞いたことがありませんし、逆にこの一件をきっかけに生まれた「アサヒる」という言葉は今も流通していますね。皮肉な話というか、正義は勝つというか。

   

 この記者の問いかけに対し、不破議員は「どこで流行ってるの。聞いたことないけど…」とつっけんどんに答え、焦りながら「あちこちで聞きます」と返答した記者をさらに「なんて雑誌?」と追及します。記者が返事に窮する姿が、私も記者の一人でありながらとても気持ちいいのはどうしてでしょうか。実際には、安倍氏の盟友である麻生氏に対し、記者がこういう会話をしかける場面はなかったろうと思いますが。

   

 「あんな下品な流行語でっちあげて個人を中傷しようなんて連中」…。いいセリフです。あの悪夢の参院選とその後の自民党総裁選前後にあったいろんな出来事、醜悪なメディアの現実が、こうして実名は登場しないまでも、漫画作品として記録にとどめられるというのは面白いなあと思います。この「コンシェルジュ」がどの程度人気のある作品なのかは知りませんが、まだまだ続き、たくさんの人が読めば、その人の記憶にはなにがしかの印象が残るでしょうし。

 次のシーンは、総裁選目前の帝都新聞が行った世論調査で、福田首相をモデルにしている添谷議員が、不破議員を大きく引き離して国民の期待を集めているという場面です。登場人物(主人公)が、この結果に疑問を示します。何か当時を思い出しますね。この帝都新聞とは、どう読んでも読売新聞をモデルにしているとしか思えません。

   

 調査結果に驚く女性に対し、ホテルの同僚が裏事情を説明します。ここに出てくる「上層部」とは、ずばりナベツネ氏のことでしょうね。世論調査で、そこまで極端な操作ができるとは私は思っていませんが、あくまでフィクションですからそこはさておき。総裁選前、確かに各種世論調査では福田氏に期待するという声が多かったのですが、そういう人たちは福田政権の現状についてどう考えているのでしょうか。裏切られたと思っているのか、それとも自らの不明に思いを致しているのか。

   

 この作品は、このほか例の「クーデター説」などについても言及していますが、まあ、これだけ宣伝すれば十分だと思うのでここらでやめます。本日、道を歩きながら「あとでこの作品についてブログでアップしよう。朝日と読売、ひいてはマスコミ全般に対する批判にもなっているな…」と考えていたところ、ばったり宮内庁担当時代に一緒だった読売の記者と数年ぶりに出会い、「ブログ読んでいるよ」と言われました。悪いこと(?)はできないなあと、観念した次第です。

 さて、ホテルつながりで思い出したので、ちょっと以前のことを書きます。2月22日に、赤坂プリンスホテル(グランドプリンスホテル赤坂)で安倍前首相と中国の唐国務委員の会談があったのですが、そのときの会場のテーブル写真がこれです。日本と中国の国旗が並んで飾られていますね。

   

 実はこのとき、最初は日の丸はカメラ側を向いておらず、反対側にしぼんだ形で垂れ下がっており、中国国旗ばかりが目立つ形になっていました。中国の報道陣も多数来ていましたし、そこで私がおせっかいとは知りつつ、ホテルマンに「きちんとこっちを向けて整えたらどうか」とお願いしたところ、ホテル側はだれとも分からない記者のいきなりの要請に嫌な顔一つせず協力してくれました。ありがとうございます。

 事後ブリーフによると、この会談で安倍氏は唐氏に対し、中国製ギョーザ中毒事件について「政府よりも、消費者がきちんと納得することが大事だ」と述べ、日中両政府間で政治決着を図ることは解決にならず、徹底的な真相解明を行うことが必要だとの考えを伝えました。今のところ、消費者が納得できるような状況には全然なっていませんが、日本のリーダーである福田首相はどう思っているのでしょうね。案外、何も考えていなかったりして。

 
 今回は、また人権擁護法案に関するお話です。昨日はこの法案の提出を目指す自民党の人権問題調査会の第4回会合が開かれました。それについては、産経は今朝の政治面で「推進の審議会元会長に異論」という2段見出しで記事を載せています。《平成13年に法案の必要性を答申した「人権擁護推進審議会」(法務、文科など3相の諮問機関)の元会長、塩野宏東京大名誉教授が経緯などを説明したが、出席議員から異論が相次いだ》という内容です。

 この会合自体は、記事にある通りなのできょうはこれ以上詳しくは書きませんが、私が興味を覚えたのは、会合冒頭の太田誠一調査会長のあいさつでした。いきなり、自らの発言に対する陳謝から始まったからです。身から出た錆ではありますが…。

 太田氏は今月3日に都内で開かれた部落解放同盟の全国大会に来賓として招かれ、これまでの人権問題調査会の議論について「罵詈雑言の嵐だが、最後にはきちんとした法律にまとめたい」とあいさつしていたのです。これは、法案に反対の論陣を張っている保守系議員たちの神経を逆撫でするだろうな、相変わらず言葉が軽い人だなあと思っていたのですが、案の定、謝罪するハメになったようです。以下が、調査会での太田氏のあいさつです。

 《今日は、人権擁護推進審議会の答申を書いていただきました塩野先生のお話をうかがう。ここで私どもが申し上げてまいりましたけれども、最初の原点に返って法案を作り直すというか、もう一回やりなおすということを申し上げてまいりましたが、答申の内容までは、多くの方々もそれを踏まえてご発言いただいてますので、その辺りに帰って行くということだろうと思っております。
 いろんな関係の人権について関心の強いいろいろな団体がですね、活発にこの主張しておられるようでございます。私もですね、ある団体(部落解放同盟)に自民党の代表としてお招きをいただきまして、ご挨拶をいただきましてちょっと不適切なことを言いましたので、修正をしておきます。自民党の人権問題調査会は罵詈雑言の嵐であるというふうに申し上げたわけでございますが、これはとんでもない間違いでありましたので、まさに正しいご意見のご開陳が相次いでいるところでございます。以後気をつけますので、お詫びを申し上げます
 それからここにいてご発言を聞いているわけでございますが、その都度反論を申し上げていると、法務省の反論じゃなくて、私が感じていることで反論をすることはないわけでございますが、一つだけ途中で申し上げておきたいことは、私は二十年近く衆議院の法務委員会の理事をしておりました。十五年ぐらいは筆頭理事をしてまいりました。ですから、法務省の関係する法律やあるいは制度、仕組みというのは大体普通の人よりは知っているわけでございます。
 そこで人権擁護局というのは何なのかということを申し上げますが、まあ、この一部には何かこの、省益ということと、この法案が関係あるかのごとき誤解をしておられる向きがありますけれども、人権擁護局はおよそ法務省の中でもほとんどそういう省益と関係のないセクションでありまして、自分たちで言うことはでいないかもしれませんけれども、ここにおられる方々は判事さんでございます。判事が検事になり、検事の身分でもって法務省にいるということでございます。それがいいことかどうかは別として、判事さんの形成している、形づくっている世界なんだというふうに私は思っております。
 だからですね、そういうことだから、裁判外の手続きというふうなことをここで導入したらどうかというような発想がそもそもそこら辺から出てくるのではないかと思っております。
 また人権擁護委員という人たちが全国にたくさんおりまして、皆さん方も接触をされたことがあると思いますけども、ちゃんと、何と言いますか、その何と言いますか、無害というかですね、おとなしいというかですね(会場失笑)、この、そういう方々でございます。で、そのそういうですね方々が形成をしておられる、方々の世界であるということを強調しておきたいと思います。また何か皆様方の中で私の知らないことをご存じだったら、この場で教えていただきたいと思うのでございます。ぜひ、建設的なご義論を今後ともお願いいたします。》

 …解放同盟大会での発言は「間違いだった」というより、「本音」だったのでしょうけれどね。まあ、ひたすら低姿勢で謝ってはいるものの、まだ粘り腰で法案成立に意欲を示しています。やれやれです。太田氏のブログのコメント欄には、人権擁護法案に反対する書き込みが殺到して炎上状態になっていますね。私は、これについてもニュース価値があると思い、記事にしたらどうかと進言したのですが、「太田氏個人をいじめることになる」という上の判断もあって記事化は見送られました。まあ、いろいろと難しいこともあります。

 それと、一昨日のエントリ「速報・所謂『人権擁護法案』再提出に対する要請受付国民集会」で紹介した中川昭一氏の「この法律ができたら、中川も島村も平沼もここにいる議員のみなさんも、3日か1週間で政治生命を終わらせてやるんだと言っている人がいるそうです」という発言について、続報を少し。

 この発言はどういうことなのか気になっていたのですが、昨日、たまたま中川氏とちょっと話す機会があり、「あれは誰が言っているんですか」と聞いたところ、「記者に言われた。政治生命はオレは3日で安倍さんは1週間だそうだ。本気で言っているのかどうかは分からないが、この法案はそれほどひどいものだから」ということでした。ふうむ、その記者が冗談で言ったことを、中川氏が法案が通れば現実にそういうことが起こりうるという意味で引用したのでしょうか。記者がもし本気だったら…うーん、しかしそれにしても…。
 

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