2008年04月


 えー、私は前エントリで新聞記事のあり方と限界について書いたので、本日は記事がどのように成立し、紙面に掲載されるかについて少し具体的にあれこれ記したいと思います。本当にどうということはない内輪話なのですが、われわれ現場の記者がどのように考えて記事を書いているか、また書いた記事がどのように処理されているのか、興味のある方はおつきあいください。

 さて、イザニュースの「政治も」には、近く来日する中国の胡錦濤国家主席と大阪府の橋下知事が会談するという私が書いたごく短い記事がアップされています。それは以下の通りです。

 《来月6日に来日する中国の胡錦濤国家主席が、大阪府を訪れ、橋下徹知事と会談することが23日、分かった。9日に大阪市で開かれる予定の橋下知事主催の歓迎レセプションにも出席し、在日中国人の多い関西と中国との交流強化を図る狙いとみられる。胡主席は来日時、創価学会の池田大作名誉会長との会談も固まっている。》

 これは、産経本紙の早版(印刷工場から遠い地方で配達される版)にも同じ内容で掲載されているはずです。12字組でわずか12行程度の本当に短いミニニュースです。ただ、私が最初からここまで短く書いたわけではなく、デスクに出稿した段階では次のようなものでした。

 《来月6日に来日する中国の胡錦濤国家主席が、大阪府を訪れ、橋下徹知事と会談することが23日、分かった。9日に大阪市で開かれる予定の橋下知事主催の歓迎レセプションにも出席し、在日中国人の多い関西と中国との交流強化を図る狙いとみられる。橋下知事は今月19日には、中国の楊潔●外相とも会談し、胡主席の関西訪問を要請。楊外相は「必ず胡主席を連れていきたい」と答えていた。
 楊外相は来日時に関西の政財界関係者らと会談を重ねたが、「外交問題は政府の問題」(橋下知事)として、チベット問題や中国製ギョーザ中毒事件などは一切提起されなかったとされる。こうした「大歓迎ぶりは当然、胡主席に報告されている」(外務省幹部)とみられ、胡主席の関西行きにつながった。
 胡主席は来日時、創価学会の池田大作名誉会長との会談も固まっている。》

 この段階では、記事は30行ありました。胡主席と橋下氏の会談は、他紙はまだ報じていないはずなので一応、「独自」記事ではありましたが、橋下氏が胡主席と会うことはこれまでの流れから言ってそれほど高い意外性やニュース性はないと判断し、私としては「30行以上書いても載らないな。30行でも削られるかもしれないが、それはまあ仕方がない」と考えてデスクに出稿したのでした。

 ここで、この記事の文章の拙さと説明不足を「行数制限」の観点から言い訳してみます。例えば、「在日中国人の多い関西」と私は書いているわけですが、在日中国人は当然のことながら東京や関東にも多いわけです。ただ、胡主席が来日時に東京にくるのは当たり前であることが一つの前提としてありました。また、胡主席は横浜中華街にも行くようですが、それを書いているとまた行数がふくらんでしまうので、こうした表現をした次第です。さらに、最後の池田名誉会長と会談するくだりの文章も日本語としてこなれていませんが、普通の日本語にすると、12字組では1行増えてしまいそうだったので、あえて悪文のまま送稿したのです。まあ、私の文章力がないのが本当の理由であることも認めますが。

 さて、原稿を出稿してしばらくすると、デスクがそれを手直しして見出しとレイアウトを担当する整理部に渡す「1次モニター」というゲラ刷りになる前の原稿のコピーが、記者のもとにファクスされてきます。それを記事を書いた記者自身が再チェックするわけですが、このとき私の原稿は12行になっていました。それで今回はそういうものだと思っていたら、どういう理由か首都圏などに配達される「遅版」の紙面を見ると、書いた原稿の一部が復活していました。具体的こは、私が書いたものから、楊外相のコメントと池田名誉会長のくだりを除いた24行程度の原稿に戻っていました。池田名誉会長との会談に関しては、私はすでに3月20日の紙面で一度書いているので、繰り返す必要はないとデスクは考えたのでしょう。

 イザやMSN産経ニュースにアップされているのは最初の短い原稿のままですが、この「復活」は私にとっては有り難くうれしいものでした。というのは、この記事のニュース部分は胡主席と橋下知事が会うというところにあり、そこが優先されるのは仕方がないのですが、私が本当に伝えたかった部分は別のところにあったからです。私は何も言いませんでしたが、あるいは、デスクもそれを理解してくれたのかもしれません。

 遅版の紙面には、楊外相が先に関西を訪問した際に、会談した政財界関係者からまったくチベット問題やギョーザ問題が提起されず、それに気をよくしていたという部分が掲載されました。私は複数の外務官僚からこの話を聞き、それでいいのかと思っていたのです。もし、中国にモノを申すのはあくまで中央政府の役割であり、地方は経済交流を深めて利益を得ればいいのだという考えが地方にあるとしたら、中国べったりの親中派の政治家ばかりを批判していても仕方がないとも考えました。また、中国が日本全体が怒っているわけでも何でもないと誤解しても無理はないとも。一方で、熱烈歓迎しておいて、外交当局にだけ毅然たる態度を求めるというのも、なんだかなあ。

 この傾向は以前からで、今よりもっとギョーザ問題が連日大きく報道されていた2月に来日した唐国務委員に対しても、地方では大歓迎ばかりで苦言を呈する人はいなかったと聞いています。それは日本人の遠慮深さや礼儀正しさからくるのか、それともややこしい話は他人任せで自分だけは波風を回避しようとする姿勢からくるのか。楊外相は高村外相との会談時に、「チベット問題で文句を言ってくるのはアジアでは日本だけだ」と述べたと言いますが、巨大な(に見える)中国市場の前では、人権も食の安全もかすんでしまうのか、単に恐いのか。

 まあ、12行が24行になってもミニニュースであることには変わりませんし、ネットでも配信されていないので、どれだけの人が読んでくれたか、書き手の意図を汲んでくれたかは心許ない限りですが、このようにして記事は紙面化されているというわけです。今回の話は記者とデスクの判断についてしか触れていませんが、これが1面記事や大きな記事になると、部長や当日の編集長もかかわってきます。たくさんの人の目とチェックが加わり、ああ記事がよくなったと感じることもあれば、上の人と現場記者の意見が異なることも当然あります。

 たとえ署名記事であっても、紙面は社の商品なので、あまり我を通すことはできません。ときには、二重、三重の手直しの過程で書き手自身の意見・見方とは違う見解となった記事に、署名がそのまま残ることもあります。また、文章のクセや好みも人によって違うので、自分ではこんな表現はしないと思いつつ、受け入れざるを得ないことも珍しくありません。そういうときは、あまりうれしくないものですが、社としての記事だからやむを得ないと思うようにしています。もっとも、産経EXのコラムは、基本的に書いたままが掲載されますので、好き勝手に書いていますが。

 また、昨日は上の記事のほかに、書いた記事が一本ボツになりました。これは出稿した時点では「紙面調整用」とされ、紙面の混み具合で載るかもしれないし、載らないかもしれないという扱いでした。以下の記事です。

 《外務省幹部は23日、今月18日に社民党の福島瑞穂党首と中国の楊潔●外相が会談した際に、楊外相が近く米国が北朝鮮のテロ支援国家指定を解除するとの見通しを示したとされる問題について、「中国側に問い合わせたところ、『(楊外相は)そんなことは一切話していない』と言っている」と明らかにした。
 社民党が会談後に行った記者ブリーフでは、楊氏が「最近の米朝接触で積極的な進展があった。近い将来、米国は北朝鮮のテロ支援国家指定を解除するのではないか」と述べたとされていた。外務省はこの会談について「通訳も含めて一切かかわっていない」(同幹部)としている。》

 楊外相が実際にどう語ったのか、社民党がそれをどこまで正確に記者たちに伝えたかは不明ですが、とりあえず中国側が日本政府の問い合わせに社民党ブリーフにあった内容を否定したということは、書いておくべきかと考えました。ただ、やはり掲載スペースがなかったようです。これも一部削られ、15行となった1次モニターは送られてきたのですが。今はブログがあるので、こうしてボツ原稿の一部でも日の目を見せてあげられますが、これまでボツになった膨大な原稿を思うと、情報と思いを伝える難しさを改めて感じます。

 私はこれまで、紙面に入りきらなかった原稿や、インタビューの詳報などをネットで掲載することで、新聞紙面とネットが補完関係になればいいと書いてきたのですが、これもそう簡単ではないようです。というのは、現場から送られてくる記事を、次から次へとネット上にアップしていくと、重要な記事、アクセスを集める記事がどんどん画面上は過去記事の中に埋没していってしまうからです。ピックアップニュースに載せられる記事は数に限りがありますから。そういうわけで、同僚記者の話では、紙面からあふれた記事をネットで配信してくれるよう頼んでも、担当者に断られることがあるということでした。うまくいかないものです。

 とうわけで、本日は楽屋話のようなささいで小さなお話でした。こんな話でもまた読みたいという方がいれば、また別の角度で新聞の作り方、あり方、あるいは取材の仕方とどう記事にするかなどについてもいつか書いてみようかと思います。私はできるだけ多くの人に、良いも悪いも含めて報道の実態を知ってもらいたいと考えています。


 このブログのコメント欄に寄せられる情報は、いつも参考にさせてもらっています。昨日もコメント欄に、福田首相が行った衆院山口2区補選での応援演説が非常に不評だと書いたスポーツ報知の記事が紹介されていたので読んでみて、ちょっと考えさせられたことがあります。それは、産経をはじめ、一般紙だけ読むと、福田氏の演説のどこがそこまでひどかったのかがなかなか分からないということです。

 別に印象操作だとかそんな大げさな話ではなく、一般紙の記事は、話の意味を通じやすくするためと、紙面を上品につくるために、言葉を丸めることがよくあります。実際、よほど話がうまい人でなければ、しゃべったことをそのまま字に起こすと主語と述語がかみあわず、何を言っているのだか分からず、またそれぞれの言葉がどこにかかっているのだかもよく理解できないことが多いという事情もあります。また、何より話の全文は載せるスペースがないので、記者やデスクが価値判断して必要だと考える一部分を適当に切り取っていることもあります。ただ、そうしたことを含めて今回、改めて一般紙は政治家の演説ぶりを伝えるには不向きなのかなと感じました。

 例えば、今朝の読売新聞は政治面で、27日投開票のこの補選について、「『後期高齢者』焦点に」と見出しをつけ、民主党候補の先行は4月から始まった後期高齢者医療制度(長寿医療制度)が影響しているとの見方を紹介しています。そこで福田氏がこの問題についてどういう演説をしたかを21日の産経紙面で探すと、こうありました。

 《後期高齢者医療制度については「半分は税金、4割は若い人たちが支えている。1割を負担いただくのが今度の医療制度だ」と理解を求めた。》

 …これだけ読むと、福田氏はごく普通に制度の説明をしているだけで、どこがそんなに有権者の反感を買う内容であるのか飲み込めません。他紙も私が見た範囲では似たような感じでした。そこで、福田氏が山口県下松市のショッピングセンター前で行った演説の取材メモをみると、ああ、こりゃウケがいいわけないなと思いました。聞いた人によって受け止めもいろいろなのでしょうが、内容はともかく、私だったらこういう口の利き方をされればいい気持ちはしません。現地に同行した記者は、福田氏は「上からの目線でものを言っている物言いが目立つ」とメモに感想を添えていました。関連部分を掲載します。

 《…年金も老後の医療の問題もありますよ。お金いるんだけどね、若い人も支えてくれる。お年寄りの医療はお金かかるが、若い人もせっせと支えようと言っているんだから。そういう、医療を必要とする高齢者の方は幸せですよ。だけど、少しぐらい負担してくれてもいいじゃないの、というのが今度の医療制度なんだけどね。若い人も支えている。医療制度の半分は税金です、ね。4割は若い人が支えてくれている。1割負担してください。これが今度の医療制度で、いろいろ混乱あってみなさんに迷惑かけたかもしれんけども、考え方はそういうことなんです。みんなが支えあって楽しい、安心できる社会にしようというのがこれからの社会保障制度なんですよ。》

 これでは確かに、少なくとも選挙応援の役には立たなかったのではないでしょうか。変に馴れ馴れしく、無意味な語尾の「けどね」「だから」「かもしれんけども」が耳障りです。福田氏が官房長官時代、また首相になってからも、この人の記者会見などでのやりとりが上手だとか、言葉遣いが優れているといった類の論評をした言語学者や政治評論家がいましたが、本当にいい加減なものだと思います。それともこれも現場記者が、福田氏の実態をうまく報道できなかったがゆえの誤解なのか。ともあれ福田氏にしてみれば、これでも一生懸命、有権者に訴え、理解してもらおうと考えているはずで、その挙げ句がこれでは…。

 新聞記事にもいろいろありますが、字に起こすと膨大な分量になる講演や演説を適切にコンパクトに、かつ元のニュアンスを生かしてまとめるのは難しいとつくづく思います。まあ今は、こうしてネットである程度は補完できるようになったわけですが、まだまだですし。先日も他社の記者と雑談した際、どうしたら政治家や政治の実像をもっと読者に伝えることができるのかという話題になったのですが、能力不足もあってなかなかいいアイデアは浮かびません。

 また、この記者も言っていたのですが、年々、記事により「分かりやすさ」を要求される傾向が強まっているようです。各紙が紙面の字を大きくし、情報量をカットせざるを得ない現在ではなおさらそうです。しかし、複雑で多面的な問題を単純な構図に置き換える手法は実に危険だとも思うのです。それは物事を正邪善悪の二元論にすぐ閉じこめたがるワイドショーのやり方にも似ていますし。限られた字数の中でできるだけいろいろなファクトを伝えようと思えば、このエントリで書いたような言葉のニュアンスはいよいよ削らなければなりませんし、日々いろんなジレンマにぶつかっています。どんな仕事でもそうでしょうが。

 ところで、何の関係もありませんが、本日見上げた外務省の屋上には、いつもの日章旗のほかに、鯉のぼりがひるがえっていました。日の丸は、本当に青空に映える美しい国旗だと思います。

   


     

 某省庁内をうろうろしていて、たまたま出会った一期一会の風景。特別な意味はありませんし、またあろうはずもない日常の事務処理の一シーンでした。篠原さん、猪谷さんすいません、つい出来心で…。


 いま、テレビでは福田首相と韓国の李明博大統領の共同記者会見の模様が流れています。李氏は、前任の大統領がアレなだけに随分マシに見えますが、それでも例の外国人地方参政権付与の件などを持ち出しています。まあ、福田氏もこれについては「議論は収束していない。国会などでの議論の行方に引き続き注意を払っていきたい」と従来の見解を繰り返すにとどめたようです。福田氏自身が前向きでも、自民党内には慎重・反対意見が強いですし、李氏の申し入れに「はいやります」と答えるわけにはいかないでしょうね。ただでさえ政権がぐらついているところに、新たな波乱要因を投じようとは考えないでしょうし。

 さて、この日の韓首脳会談に合わせ祝福するように、今朝の朝日と日経は福田内閣の支持率に関する世論調査結果を報じていました。朝日は1面トップで「内閣支持率急落25% 高齢者医療71%不満」「福田政権、手詰まり感」と見出しをつけています(3週間前の調査では支持率31%)。本文のリードにはこうあります。

 《内閣支持率が20%台に落ち込んだのは、07年7月に自民党が参院選で大敗した直後の調査で、安倍内閣の支持率が同内閣で最低の26%となって以来のことだ。》

 また、解説記事はこう書いています。

 《福田内閣の支持率が危険水域と言われる3割を一気に割り込んだ。07年夏の参院選で自民党が惨敗した時の安倍内閣の水準だ。》

 穿ちすぎかもしれませんし、私が変にこだわっているだけかもしれませんが、私はこの記事を読んでいて、書き手の記者か、あるいは記事を手直ししたデスクのある意思か思惑を感じました。それは、現在の福田内閣の支持率が、参院選後の安倍内閣の支持率より「低い」ということはストレートに書きたくない、というものです。現在の福田内閣に満足しているわけではないが、あれほど憎み、今もことあるごとに貶めようと狙っている安倍内閣より福田内閣の方が評価されていない事実には素直に触れたくないのかな、と思った次第です。

  ( ※22日追記 朝日は22日の社説「内閣支持率 『25%』を読み解けば」でも、《昨夏、参院選で大敗した直後の安倍前内閣とほぼ同じ厳しい数字だ。》と書き、ここでも「ほぼ同じ」という表現でした。やはり、安倍内閣より低いとはどうしても記したくないようです。)

 また、興味深かったのが、福田氏と民主党の小沢代表の言動のどちらを評価するかという質問に対する答えが、福田氏が32%で小沢氏が28%だったことです。どんどん国民から見放されつつある福田氏よりも、小沢氏はさらに評価されていない、ということですね。まあ当然である気もしますが、民主党はつくづくチャンスを生かせない政党だと思います。現在の代表が小沢氏ではなく、もっと若くフレッシュなイメージのある政治家だったら、自民党をもっと追い込めたでしょうに。

 次に日経をみると、福田内閣の支持率は29%でしたが、日経の調査は他社より比較的高めに数字が出るので、これも相当低いと言えそうです。記事には「内閣支持率の30%割れは昨年7月の参院選直後の安倍内閣(28%)以来」とありました。こちらは安倍内閣の支持率が一番低かったときよりは1ポイント上ですね。ふむふむ。福田内閣を支持する理由で最も多かったのは「人柄が信頼できる」の46%ねえ、ふーん。で、日経の解説記事はこういう風に分析しています。

 《首相の不安材料は、これまで政権を支えてきた高齢者層で「福田離れ」が進んだことだ。内閣支持率は60歳代で(3月の)前回から11ポイント低い19%、70歳以上で12ポイント低い32%と低下が目立っている。》

 71歳の福田氏が率いる福田内閣に対しては、当初は60歳代以上の支持率が非常に高かったのですが、頼みの支持層が離れだしたとなると、これはけっこう今後響いてくるかもしれませんね。でも、福田氏にとって「救い」となる材料も記事に載っていました。次の部分です。

 《内閣支持率が20%台になったものの、民主党の支持率は29%と前回よりも1ポイント低下した。政権の受け皿としての期待を受け止め切れない状況は変わっていない。》

 現在の国会のありようについて、国民新党の亀井静香氏は記者会見などで繰り返し「バカとアホの絡み合いだ」と言っていますが、同じような印象を持って見ている国民も多いのではないでしょうか。国民の選択の結果とはいえ、このねじれ国会の現状と、それを利用した「政局ごっこ」はまさにどうしよもなくひどいありさまに思えます。一日一日と国益が失われ、流出しているかのような気分にすらなります。

 ところが、さっき新聞をスクラップしていて気付いた(遅い)のですが、19日の朝日夕刊のコラム「窓 論説委員室から」には、「今国会の方がまし?」という記事が載っていました。中身を読むと、こうありました。

 《こんな政治の現状に、朝日新聞は先日の社説で「この機能不全をどうする」と書いたが、ある議員から「なに言うてんの」と怒られた。自民党でも民主党でもない。社民党の辻元清美衆院議員である。辻元さんいわく、去年のいまごろ安倍政権は、数の力を頼みに国民投票法案や社会保険庁改革関連法案など、重要法案の採決を相次いで強行していた。それにくらべれば、いまの国会の方がよっぽどまし。》

 …朝日の論説委員室と社民党や辻元氏との親密さとフランクなやりとりが伝わってきてほほえましい限りですが、趣旨には当然のことながら賛成できません。辻元氏や朝日にとっては痛恨時だったのでしょうが、国民投票法や社会保険庁改革関連法が成立していてよかったなあ、と改めて思います。そして、辻元氏に「まし」と言われるような現在の国会のあり方に、脱力させられてしまいます。

 おまけの写真です。本日は外務省の道を隔てた隣にある財務省の前庭の花をお届けします。まずは、淡い黄色の花弁がかわいらしいウコンサグクラです。サトザクラの代表園芸種なのだそうです。

   

 次はウコンザクラのアップ写真ですが、ピンぼけ気味になってしまいました。すいません。そう言えば、最近はウコンを飲んでいないなと、つまらない連想をしたり…。

   

 これは、サトザクラの代表品種、カンザンです。昔はソメイヨシノの方にばかり目が向いていたのですが、最近はサトザクラ系のぼたっ、もさっとしたかわいらしさが気に入っています。ちょっと重たげで野暮ったくもあるのですが、それがまた味があるというか…。

   


 本日は久しぶりに民主党の小沢一郎代表について書いてみます。小沢氏が17日に北海道釧路市で行った講演について、18日付朝刊での新聞数紙が取り上げていました。産経が一番扱いが大きく2段見出しで「チベット問題 小沢氏『中国は変化を』」、読売はミニニュースで「中国は自ら変化を」、日経も同じく「小沢氏『中国は変化を』」、朝日はベタ記事で「中国の対応を小沢氏が批判」…という風で、みんな小沢氏が共産主義独裁と政治の自由の矛盾を指摘した部分を取り上げていました。

 それはそれでいいのですが、私は小沢氏の講演メモを読んでいて、天の邪鬼であるせいか、別の部分が気になりました。それは、小沢氏が「拉致問題は解決しっこない」と語った部分です。これは、「北朝鮮に言ったって」という条件をつけた上での発言ではありますが、正直なところ「よくもそんなことが言えたものだ」と少し反感を覚えたのでした。以下、小沢氏の講演の関連部分を掲載します。
 

《となりの中国。チベットの問題が発生した。このチベットは古来から何千年前からの民族闘争の歴史の中にあるが、民族問題だけではない。やはり中国の政権がかかえている矛盾がその民族問題を契機として持ち上がってきたということだ。だからチベット問題も台湾問題も、新彊のウイグル自治区という西の地域がある、あるいはモンゴルでもそうだ、満州でも言えばそういうことになるが、そういう民族問題と同時に、いわゆる社会主義的市場経済と中国は言っているが、市場経済というのは自由な取引を原則とする。そうですよね。自由に売ったり買ったりできるということだ。そして、この経済の自由化というのは結果として政治の自由化を求めることになる。共産主義独裁の政権と政治の自由というのは原理から言ってなりたたない。私はこのことを中国の指導者のみなさんにも言っている。「本当に中国共産党政権が時代の変化に応じて生き延びようとするならば、その変化に応じた、自分自身が変化しなければならないんだ」ということを言っているが、それはそれとして、この極東、日本の位置する北東アジアはようやくチベット問題で、みなさんが「おや」と認識されたと思うが、非常に不安定な状況下におかれている。

北朝鮮の拉致問題、北朝鮮の問題もしょせんは中国問題。いくら北朝鮮に言ったって、日本なんか相手にしないとは向こうも言っているが、拉致問題なんて解決しっこない。北朝鮮問題というのは中国問題だ。中国は朝鮮半島の現状維持をその国策にしている。金正日の今の政権を良いとは思っていなくても、それを変えようという気はない。

しかしながら、この中国が経済的にも、米国経済の後退と同時にちょっとおかしくなるのではないかと言われているが、結果として中国の政治経済的混乱は政治的動乱につながる。中国の政治的動乱の前に、北朝鮮、朝鮮半島の動乱につながるというのが私のずっと前からの考え方だ。そういう状況になりかねない、このわれわれ日本の位置する極東だ。ですから、日本の政治をまず本当にきちんとしたものにしなければいけない。》

 現在も中国が北朝鮮に対し、そんなに強い影響力を本当に持っているかどうかは少し疑問ですが、それはともかく、ここで思い出したのが、安倍前首相が靖国に参拝するともしないとも言わない「あいまい戦術」をとった理由でした。安倍氏は、これを明言しないことで、中国に対して「いつでも靖国には行く用意がある」という姿勢を示してフリーハンドを確保しつつ、拉致問題で中国に最大限の協力をするようプレッシャーを与えていました。実際、安倍政権下では、中国はそれまで伝えてこなかったような北朝鮮と拉致に関する情報を日本側に報告していたそうです。最初から靖国不参拝を明言した福田政権になってそれがどうなったかは分かりませんが。

 また、安倍氏は世界各国の首脳とのすべての会談で拉致問題を取り上げ、理解と協力を求めました。昭恵夫人が約100カ国の在京大使夫人を公邸に招き、拉致事件のドキュメント映画を上映したことは以前のエントリにも書きました。北朝鮮を動かすには、北朝鮮との二国間交渉だけでは難しいのは小沢氏の言う通りだと思いますが、少なくとも安倍政権はそんなことは当然だとして行動していました。それを前提にしても、やはり小沢氏の「解決しっこない」という突き放した言い方は気になります。

 小沢氏のこれらの言葉の中には、当たっていると思う点も微妙に違う話だろうという部分もありますが、私がこれに注目したもう一つの理由は、かねがね小沢氏はずっと政治の表舞台でメインプレーヤーを務めてきた人物にしては、拉致問題に対してどういう発言をしてきたかあまり記憶になかったこともあります。小泉元首相の対北朝鮮外交を批判していたのはなんとなく、覚えていましたが。そこで、産経の記事検索システムで、「小沢」「拉致」の二つをキーワードに検索してみたのですが…。

 結論から言うと、やはり、少なくとも産経の記事になったものを見る限り、小沢氏の拉致問題に対する発言は非常に少ないものでした。1992年から現在までで計131件がヒットしたのですが、そのほとんどは記事の文中に「小沢」「拉致」の二つがたまたま出てくるだけで、小沢氏が拉致問題について何かを語ったという内容ではありませんでした。それでもいくつかは小沢氏の見解が示された言葉がありましたので、それを紹介しようと思います。自民党幹事長を務め、社会党の土井たか子らと訪朝したこともあるご自分のことは棚に上げていらっしゃるようです。

 「北朝鮮は政治、社会体制が特殊な仕組みになっており、拉致事件や軍事的な脅威の問題も指摘することは必要だ」(1997年4月19日の新進党党首としての記者会見)

 「国民の生命、財産を守るという観点から、この問題を取り上げていくことが大事だ」(98年4月1日の自由党党首としての記者会見)

 「(日朝平壌宣言は)拉致、核査察、工作船、テポドンなどの問題が一般論でごまかされている。北朝鮮の言いなりの共同宣言であり、署名すべきではなかった。『はじめに国交正常化ありき』で進めるべきではない」(02年9月18日、小泉首相と野党四党党首会談で)

 「(拉致被害者)5人の家族が帰るかどうかについてはいい結果を望んでいるが、そのことが問題ではない。首相、政府が、国民の生命を守り得なかったことへの反省も何もなく、さらわれた人をただ『お願いだから返してください』というバカな国家は日本だけだ。(小泉首相は前年9月の日朝首脳会談で)北朝鮮から『(核開発は)日本など関係ない』とはねつけられて黙った。すべて表面上のパフォーマンス、人気取りに政治の主眼が置かれ、中身は何もない」(03年1月13日の自由党党首として講演で)

 「(経済制裁は)北朝鮮はそれを宣戦布告とみなすと言っている。アルカーイダどころではない国家テロ組織だ。(制裁を加えれば)日本国内でテロを仕掛けてくる。(制裁には)北朝鮮によるテロと断固と戦う覚悟や決意が必要だ」(04年2月17日、民主党の代表代行としてラジオ番組で)

 「(北朝鮮の核実験を受けた日本国内の核保有検討論について)残念に思う。ひと昔前ならハチの巣をつついたような騒ぎになっていただろうが、拉致問題の流れの中で、何となく国民がそれを受け入れてしまう風潮にあり、一抹の危惧を覚える」(06年10月27日、民主党代表として訪中、呉邦国・全人代常務委員長との会談で)

 …これらも肯ける内容もあれは、それは違うと思うこともあります。特に対北経済制裁に関しては、小沢氏はいろいろなところで「そうなったら戦争になる」と警告していましたが、今のところそうはなっていませんね。核保有検討論に対する発言も、自分の過去の言動をすっかり忘れているかのようです。まあ、そういう人なのでしょうが。ずいぶんと「上から目線」で他者を批判していますが、特にはっとさせられるような見識も感じられませんし、拉致問題解決に向けたアイデアが何かあるわけでもなさそうですね。もしそんな程度であるならば、私は小沢氏に「解決しっこない」なんて冷笑的な言い方をする資格はないように思いますが、どうでしょうか。

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