2008年08月


 今朝の産経も報じていますが、昨日、NHKが昼のニュースで流した中国製ギョーザ中毒事件の続報について、外務省は事実関係を強く否定しています。NHKの報道は「
工場関係者が個人的な動機で毒物を混入した可能性が高いという見方を日本側に伝えてきたことが分かった」といった内容でしたが、外務省はそうした事実はないというのです。実は私も、昨日は土曜日だったので家族と外出していたのですが、社から電話がかかってきてNHK報道の裏取り取材をさせられました。

 

 そこで、何本か関係者に電話をかけ、やっと担当者をつかまえたのですが、その相手は「本来なら、『捜査中のことは答えられない』と言うべきなのだが、このNHKの報道は全くでたらめだ。間違った事実が一人歩きして広まるのはよくないので、明確に否定する」といったことを私に説明しました。さらにその後、外務省は報道を否定する文書を発表したわけですが…。

 

 ただ、この一連のギョーザ事件をめぐる報道も政府の姿勢も、私にはどうにも納得がいかないのです。今年2月の段階では、中国公安省は国内での毒物混入の可能性を否定し、責任を日本側に押しつけていたわけですが、それが8月6日付の読売新聞の特ダネ記事から様相がガラっと変わります。「中国トップの考えで、方針が変わった」(外務省幹部)のはその通りでしょうが、日中両政府の動向がいろいろと不可解というか怪しいというか。私はそれまでの自分自身の取材をもとに、8月9日付のSANKEI EXPRESSのコラム「福田政権考」に、「ギョーザ事件 謎の多い『ストーリー』」と題した次のような記事を書きました。

 

 《中国製ギョーザ中毒事件にからみ、製造元の中国・河北(かほく)省の「天洋食品」のギョーザが、中国国内でも中毒事件を起こしていた問題が波紋を広げている。主党など野党はこの問題に関して国会での閉会中審査を求め、マスコミは政府が情報を公表してこなかったとして批判している。さらには、政府部内からも「問題の早期決着を図るため、中国が創作したストーリーなのではないか」(外交筋)という観測まで出ている。

 

    不自然な展開

 発端は、読売新聞が6日付朝刊1面トップに掲載したスクープ記事だ。白抜きの大見出しで「天洋餃子 中国で中毒」と報じ、「『天洋食品』が事件後に回収したギョーザが通し、このギョーザを食べた中国人が有機リン系殺虫剤メタミドホスによる中毒症状を起こして、重大な健康被害が出ていたことがわかった」と書いている。

 これに対し、外交筋は「不自然だ」としてこう指摘する。

 「いったん回収したものを食べるなんて信じられないし、ふつう考えられない話だ。そもそも、中国側はこれまで、こんな具体的でよくできた話は日本に言ってきていない。それなのに突然、日本で一番発行部数の多い新聞にリークされた」

 マスコミは政治家の言葉に乗って、中国側から7月初旬に「中国国内で中毒事件発生」という情報を伝達された後も、政府が1カ月にわたりそれを放置してきたと断定的に書いている。だが、外交筋によると、そのころ中国側から伝わっていたのは、中国がギョーザ事件の捜査態勢を強化しており、何か動きがありそうだという感触レベルの話だったという。

 7月末の時点では、中国側は「北京五輪が終わるまで何もできない」として、ギョーザ事件の進展は五輪閉会後という見通しを示していたともされる。外務省関係者は「もし仮に中国から中毒情報が寄せられていたとしても、中国が極秘捜査を進めている内容について、日本が勝手に公表できるわけがないだろう」と述べた。

 

    すぐに認めた中国

また、読売の報道後、中国外務省がすぐにこれを追認し、6日付で「中国国内でも6月中旬に中毒事件が起きていた」と発表したことも不自然だ。

ただでさえ国内問題について秘密主義の傾向がある中国が、捜査途中の情報をあっさり認めるのも珍しい。また、こうしたすっぱ抜きの記事が日本の新聞などに掲載された場合、いつもは「日本の情報管理はどうなっているのか」と文句をつけてくる中国側が、今回に限って日本の外務省に何も言ってきていないという。

こうした点を踏まえ、外交筋は「これは中国当局のかなりハイレベルの人間による決定ではないのか。武装警察による日本人記者暴行事件などもあり、まずいと考えた中国側が、勝手にストーリーをつくって犯人を捕まえる絵図を描いたのだろう。中国は何でもありの国だから」という見方を示す。

一方、福田康夫首相(72)は6日午前、この問題について記者会見で「捜査上の問題もありますので説明するわけにいかないが、(日中間の協議が)進行中であるというように理解してほしい」と語り、中国での中毒事件発生を把握していたことを示唆している。

消費者行政の充実を掲げる福田首相としても、いつまでも日中間でギョーザ事件を引きずることは政権にとってダメージとなり、問題の早期決着は大歓迎であるはずだ。首相は、中国政府要人と独自のパイプを持つこともあり、「首相が外交当局の頭越しに、中国の描いたストーリーに乗っていた可能性もある」(政府関係者)との指摘が出ている。(政治部 阿比留瑠比)》

 

 …問題の早期決着のために、じっくり真相を解明するよりもとにかくスケープゴートを見繕って捕まえたり、自殺させたり(中国流)して、ギョーザ事件はもう終わりましたというストーリーを中国がつくり、それに日本側も官邸主導で乗ったのではないか、そして報道もそれに利用されているのではないか、という記事です。この話の複数の情報源は当然のことながら書けませんが、「ええ!そういう立場の人がこう言っているのか」と驚く人もいるのではないかと思います。

 これ以上は、何を書いても人物特定のヒントになるので触れませんが、私は現在でも基本的にこの線が正しいのだろうと考えています。この人は「対中外交というのは、ふつうの人が考えるような外交とは全然違う。ただ、どういう形であれ、中国側が折れてきたともいえるので、これはこれで成果だ」とも語っていました。ただ、明確な証拠と言えるものは示せないので、あくまで署名コラムの中で、「こういう見方が出ている」という書き方をするしか紙面では展開できなかったわけです。

 

 一方、この間、内閣改造後の大臣インタビューがあり、下の短い記事も書きました。これは、高村外相はこう述べたと、言ったことをそのまま書いたわけです。

 

《高村正彦外相は7日、産経新聞のインタビューに答え、中国でギョーザ中毒事件があったことをいつ知ったかについて「7月初めに『中国国内で(有機リン系殺虫剤)メタミドホスによる中毒事件が発生した。とりあえずお知らせします』と、(中国から)そういう報告があった」と述べ、7月初めに情報を把握していたことを明らかにした。

 これまで公表しなかった理由に関しては「今発表されてしまうと捜査に支障を来すので、これから捜査が進むまでは発表しないでくれとの縛りをかけた情報提供だった」と語った。

 また、「政府部内では一定の範囲で情報を共有した」と述べ、このことを知っていたのはごく小人数だったことを示唆。情報提供ルートについては「通常の外交ルートとみていただいてけっこうだ」と述べた。》

 

 ちょっと補足すると、高村氏は「中国からの報告に天洋食品という名前があったかどうかは覚えていないが、メタミドホスという言葉はあった」と具体的に語りましたし、私が「それは通常の外交ルートからの情報と考えていいのか」と聞いた際も、一瞬考えていましたが、「それでけっこうだ」と答えました。ただ、このときはまだ、中国からの通報時期については7月初旬という表現にとどまっていました。後に政府は、7月7日と特定して発表するのですが。また、「一定の範囲で情報を共有した」という言い方も思わせぶりですね。一定の範囲の人間で中国側と「握った」と言っているようにも聞こえましたが…。

 

 このインタビュー内容を伝えると、ギョーザ事件に関する情報源の1人は「ああ、政府内でもう口裏を合わせたようだね」と話していました。記者対応を含め、対外的にはこれこれこういうことにしておこうという話し合いができたのだろうと。確かに、上に述べた日時の発表にしても、当初は人によって言うことにあいまいさや食い違いがあった政府も、その後はどんどん発言内容が統一されていきました。

 

 さて、そういうところに今回のNHK報道があったわけです。私としては、7月7日に政府が言うようなきちんとした通報があったということ自体、疑っているわけですが、本当にそれが事実かどうかとは別に、政府が報道や事実関係について何と述べるかは取材して押さえておかなければならないわけです。また、当然、関心もあったわけですが、結果は冒頭に述べたような全否定でした。以下が外務省の発表文です。

 

《本日16:45付けで以下の外務省報道発表を発出致しました。

本30日、一部報道において、中国政府が、中国国内で起きた中毒事件について、工場関係者が個人的な動機で毒物を混入した可能性が高いという見方を日本側に伝えてきた、毒物が中国国内で混入した可能性が高いことを初めて正式に認めた旨、報じられているが、日本政府として、中国政府からそのような情報の提供を受けたことはない。》

 

 さて、これをどう見るか。私は読売さんやNHKさんや他のマスコミがどんな取材をしているのか知りませんし、だれにどのように聞いて記事を書いているのかも当然知りません。ですので、現在のところ、あくまでただ私がどう感じたかというだけの戯れ言の一種に過ぎないということを断った上での話ですが、今回はNHKが中国側がアドバルーン情報を流すのに利用されたのではないか、と咄嗟に受け止めた次第です。そして、事態が今後、報道通りに進もうと進むまいと、それは今回は日本側に根回しされたものではなかったのだろうと。

 

 拉致問題について、北朝鮮かその出先機関、シンパ議員らが情報の出元と思われる記事がときどき他紙に大きく載りますが、中国も東シナ海のガス田問題などで、日本人記者にときどき「中国側の主張」や「議論過程で消えた話だが、中国側に都合のいいこと」などをリークし、書かせていたようです。そして、それに対する日本国内の反応や、政府や他のマスコミの対応などを見極めたり、議論そのものをミスリードして混乱させることを狙ったりいうこともあったのでしょう。

 

 情報の真偽は定かではなくても、いわゆる大マスコミが大きく報じると、その情報はインターネットを駆けめぐり、とりあえずその報道を前提とした議論が行われますね。それに対して、あとから違う事実を示してみても、最初に受けた印象を覆すことはあまりできません。で、何が言いたいかというと、一連のギョーザ報道・発表には、典型的な「謀略」の気配を感じざるを得ないなあとずっと思っているということです。中国にとっては、まさに国益のかかった謀略戦であるのかもしれませんし。ただ、そのような疑念は覚えつつも、それでただちに対抗策をとるような力はなく、こうした場で細々と「本当にそうか?」と問い続けるしかできませんが…。


 

 JR某駅で電車を降りてふと空を見上げると、そこには大きな大きな飢えたホオジロザメが口を開けて待ちかまえていて、誰彼かまわず、通りかがる人すべてに噛みつこうと身構えているように見えました。

 

 すべてを見逃すまいと狙い、でも実は何も見えていないかのようにも思える濁った目は虚空を見据え、とがった鼻はどんなかすかな血のにおい、傷ついた者のにおいも捉えようと常に何かが起こるのを待っているようでした。それは、想像を絶するような巨大なひとりの修羅をも思わせる圧倒的な量感を備え、四方を睥睨していました。

 

 しかし、「二億年続く悦びはなし 二億年続く哀しみもなし」(夢枕獏氏)。色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 受想行識亦復如是…。

 

 雲は、みるみるうちに姿を変え、恐ろしいサメの姿はどんどん溶けてやがて消えていきました。私は流れゆく雲の姿を眺めるのが大好きなのですが、「雲は天才である」(石川啄木)という言葉は、実に言い得て妙だなあといつも思います。

 
 たくさんの方からご要望があったことと、私自身、現在のような状況には嫌気がさしてきたこともあり、今までは書き込み自由とし、原則として削除は行わないとしてきたコメント欄の運営について、見直すことにします。ありていに言えば、今後は、私が不適切だと判断したコメントについては削除します。

 できることならぱ、こういう手段はとりたくなかったのですが、最近は自分でも、コメント欄を読むことが苦痛になっていましたし、また、そういう荒れた気持ちが私自身の返事をも粗雑なものにしてしまい、コメントを寄せてくれた方を傷つけ、不愉快にさせるような結果も生んでしまったようです。反省するしかありませんが、私はもとより欠落の多い至らない人間であり、完全な対応もできなければ、その日の体調や出来事次第で、すぐに気分が上下してしまうような不安定な人間でもあるのは、いまさらどうしようもありません。

 本来は、異論や批判も包み込んだ自由で建設的な言論空間であってほしいと願っていたのですが、感情的な言葉や誹謗・中傷的なやりとりがいつまでも延々と続くようでは、訪問者のみなさんも居心地が悪いばかりだろうと考えました。ことここに至れば、もうきれい事を言っている段階ではないのだなと思った次第です。それも私自身の不徳の致すところではありますが、今のような殺伐としてぎすぎすとしたコメント欄の運営を続けることに何の意味があるのかという疑問も感じました。自分にとってもみなさんにとっても。

 コメント削除に当たっては、イザの利用規約にある下のような禁止事項を参考にします。ただし、個々のコメントがどれに当たるか厳密に照合するというよりも、こうした事例に代表される悪質・不適切なコメントについて、社会常識に照らして、あくまで私が「これはよくない」と判断したものを削除することとします。これははっきり言えば独断であり、批判も浴びるかもしれませんが、どこまで突き詰めても真の意味での客観評価などできるわけもないし、ここはあくまでも私のブログであるということで、そういうことにします。


 

    ①     当社サイトの利用を阻害する行為

    ②     法令に違反する行為または法令違反を誘発する行為

    ③     他人に経済的な損害を与える行為

    ④     他人の名誉や信用を毀損する行為

    ⑤     他人のプライバシーを侵害する行為

    ⑥     他人を誹謗中傷する行為

    ⑦     ストーキング等の他人に対する嫌がらせ行為

    ⑧     品性を欠いたり、嫌悪感を与えたりする等社会通念や倫理的な観点から問題があるとされる行為

    ⑨     公序良俗に反し、他人に不利益を与える行為
     その他社会通念上好ましくない、公序良俗に反する、他人の権利を侵害する等の理由で、当社が不適切と判断した行為

  今回のことを決めるに当たっては、イザを運営する産経デジタル側にも相談しました。産経デジタルからは、削除は万能ではないことや、削除によってかえってエントリが炎上する可能性なども指摘されましたが、最終的には私の考えを尊重してくれました。

  場合によっては削除すると決めたからといって、「だれだれは機械的に即削除」というやり方はとらないつもりです。ただ、あるいは思い切った削除を行わないといけないケースも出てくるかもしれません。これも今後の試行錯誤の中で少しずつやり方を改め、少しでもマシな方向にもっていきたいと思っているので、いつまでも同じようにやっていくかどうかは分かりません。あしからずご了解いただきたいと思います。

  また、コメント数が100を超えた場合など、返事を書く物理的な時間と労力を確保することが難しい場合には、今までのようなすべてのコメントに返事を書くということは、もうやめようと思っています。勝手ですが、特に必要を感じたものや、どうしても一言述べたくなったものに絞ります。

  この決定は、あるいは私にとっては「敗北」ないし「後退」であったのかもしれません。しかし、生身のふつうの人間として、ここでの精神的負荷に耐えがたくなってきたのも残念ながら事実です。またまた愚痴っぽくなってしまいましたが、そういうわけで、どうかよろしく御理解のほどお願いいたします。

 

 今朝の産経、読売、東京各紙はそれぞれ、農水相に就任した太田誠一前会長の後任が決まらず、自民党の人権問題等調査会会長が空席となっていることを小さく報じていました。「希望者がいない」ためだそうで、これで当面は天下の悪法と呼ばれた人権擁護法案の推進の動きは沈静化しそうですね。まあ、推進派の古賀誠選対委員長らも、完全に諦めたわけではないでしょうが、これはやはり「ネット世論の勝利」だと思います。新聞やテレビが派手に取り上げなくても、ネットを通じて法案の問題点や危険性への認識を共有した人たちが、自民党や個別議員らに大量のメールを送ったり、電話で直接抗議したことが、今回の結果を生んだのだろうと思います。

 

 「希望者がいない」ということは、自民党執行部としても何人かには会長就任を打診してみたものの、みんなに断られたということでしょう。福田政権もいつまでもつか分からないこんなときに、わざわざ厳しい批判を受けるのを覚悟してまで会長になりたいという議員は、さすがにいなかったのかもしれません。それだけ、この法案が一部の団体の協力の後押しはあるものの、国民には評判が悪いということが、永田町で浸透してきたとも言えるかもしれませんね。

 

 人権擁護法案に関しては、私もこのブログで繰り返し取り上げてきましたが、よくいただいたコメントに「自民党や議員の事務所に抗議電話やメールを送ったが、効果が見えない」「相手にされていないのではないか」という趣旨のものがありました。私はそのたびに、国会議員ほど有権者の顔色に脅えている人種はいないのだから、間違いなく効き目はありますと強調してきましたが、やはりそうした一人ひとりの積み重ねが今回の結果につながったのではないかと考えています。これで安心していてはいけませんが、この法案にこれでまた一つケチがつき、手を出したがる議員も減るのではないかと見ています。

 

 参考までに、昨年11月以降に人権擁護法案に関して書いたエントリ17本を紹介します。自分でも、ずいぶんアップしていたものだと改めて呆れますが、これらが何かの役に立っていれば幸いです。

 

07年

    11/27 人権擁護法案、外国人参政権付与の動きにご注意を

    12/3 速報・自民党人権問題等調査会が「笑顔」で再開

    12/4 続報・自民党人権問題等調査会での各議員の発言

08年

    2/14 自民党・人権問題調査会は法案反対派が押していたけれど

    2/16 真・保守政策研究会で平沼氏が明かした人権擁護法案の裏

    2/18 人権擁護法案と山崎拓氏の選挙をめぐる「密約」

    2/29 まずは第一報・自民党の人権問題調査会の会合について

    3/1 解放同盟は人権擁護法案について何を要望しているか

    3/1 資料編・自民党人権問題調査会での主なやりとり

    3/10 速報・所謂「人権擁護法案」再提出に対する要請受付国民集会

    3/12 太田人権問題調査会長が「罵詈雑言」発言を陳謝しましたが…。

    5/30 動員・昨日の人権問題調査会は法案推進派が目立ちました

    6/5 4日の自民党人権問題調査会で語られた問題の本質

    6/7 人権擁護法案の今国会提出見送りと議員たちが語る「本音」

    6/22 人権擁護法案・国民は西田議員の訴えに注目を!!

    6/24 西田参院議員の人権発言に対して配られた文書

    6/26 太田人権問題調査会長、にやにやしながら「永遠にやる」・

 


 遅い夏休みで東京を離れていたことと、1日だけですが、体調を壊してとてもブログに取り組むような余裕がなかったことなどで、エントリ更新がちょっと滞っていました。その間、このブログのコメント欄の在り方について、さまざまな方が意見を述べあい、また議論を続けておられたのですが、私自身はというと、ブログに物理的に割ける時間もほとんどなく、ネットに接続できる環境にもいなかったため、いよいよ私抜きで事態は進行していったように感じています。

 その件に関しては、前回のコメント欄で何度も記したように、近いうちに結論を提示したいと思いますが、きょうはとにかく頭を冷やしたいので、不定期的にアップしている読書シリーズにします。今月9日の「趣味なので・最近読んだ本について」はわずか17コメントと平穏(寂しい?)な状況でしたしね。

 

 まずは、とうとう読み終えてしまった刑事・鳴沢了シリーズの最終巻です。結末は…ある意味で予想通りでしたが、非常に楽しめるシリーズでした。主人公は巻を重ねるごとに成長し、人間味を増してはいくのですが、やっぱり周囲にあまりいてほしくないタイプであるのは最後まで変わりませんでした。物語のキャラクター造形としては、実に優れていると思いますが。

 

 書店に派手に平積みになっていましたし、「ミステリーランキング1位」(1994年週刊文春ミステリーベスト10)という帯の文句にも引かれて読んでみました。作者は現役の弁護士ということで、検察の内部事情などが詳しく書かれていて、確かに面白くは読めましたし、女性検事と、微妙な男女関係にあるお付きの検察事務官など、キャラクター設定も上手いとは思いましたが、難を言えば登場人物に感情移入しにくいような。趣味の問題でしょうが。

 

 これは、たびたび取り上げている今野敏氏の1991年の作品を、今年改題して出したものだそうですが、原題は「聖王獣拳伝」だったそうです。当時の編集部がつけたそうですが、改題されたものと比較すると、一体何のことやら分かりませんね。時代のノリのようなものが表れている気がします。作品自体は、あとがきで作者本人が「正直に言って、小説になっていないという気がします」と認めているように、そうお勧めできるものではありませんが、バブル期に環境と犯罪の関係に着目した視点は面白いと思います。

 

 その同じ今野氏の最新刊も読んでみました。これも、どちらかというと、この作者の「ST(警視庁科学特捜班)シリーズ」に似た少しライト感覚のある作品なのですが、話の展開はうまくてスマートで、2作品を読み比べて歳月を感じました。そりゃ17年もたっているわけですから、当たり前ですね。さらっと読めて、読後感もいいと思います。

 

 初めて読んだ作者ですが、この本は読み応えがありました。マタギという生き方を通して人間社会と自然の関係、また、安易に語られがちな「共生」という言葉の薄っぺらさ(政治家が使うと余計にそう感じます)、そして生きるとは何なのかなどが、読み手に突きつけられてくる感じがします。なかなかいい作品だなあと感心していたのですが、主要登場人物の一人が先の大戦を論じるところだけが妙に「浅い」ように思えました。社会や生にこれほど深い洞察を示す作者が、なぜ戦争については、これほど表面的な理解を得々と展開してみせるのかと…。

 

 実は山本一力氏の作品は、ここのところ読んでいなかったのですが、読む本に窮してまた手を出してしまいました。好きな方には申し訳ありませんが、私は山本氏の作品はどれも同じメッセージばかり感じて、どれを読んでも同じように思えるので避けていました(浅田次郎氏にもそういう印象があります)。この作品でも、いつものようにやたらと「器量」という言葉が出てくるのには「ああまたか」という気がしたのですが、まあ、読めば読めるな(失礼!)。

 

 次は、私が好きな佐藤雅美氏の最新刊です。これは、「物書同心居眠り紋蔵」シリーズの9作目か何かにあたり、今回も楽しく読んでいたのですが、途中で舞台設定を同じ作者の「縮尻鏡三郎」シリーズと混同していたことに気付きました。山本一力氏の作品をどれも同じようだなどとくさしておいて、これですから、私も本当にろくなものではありません。でもやっぱり佐藤氏の作品は合うなあ。エピソードや話の顛末に「そうだよなあ」と納得がいき、安心して物語世界に没入できます。

 

 今回の最後は、やはりたぶん初めて読んだ山本兼一氏の作品です。で、結論から言うと、もう少し期待したのだが…という感じでした。これはこれでいいアイデアだなあと思うし、面白くないわけではないのですが、せっかく何人も登場させている幕末維新の英雄英傑たちも、どこか表面的になぞった感じだし、主人公夫婦の掛け合いもいまひとつでした。続編があるのかもしれないし、他の作品も読んでみないとまだ確たる評価はできませんが…。

 このほか、新書本の類も何冊か読んだのですが、読書シリーズでの紹介は別エントリを立てるとき以外は、小説を対象としています。私には、煩わしい現実からフィクションの世界へと逃避する時間がとても大切なのです。それだけ弱い人間だということかもしれませんが、実際そうなので仕方ありません。

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