2008年08月


 先日、あるジャーナリストの新著を読んでいたところ、ある意味で懐かしい人物の名前が出てきました。ニューヨーク・タイムズ元東京支局長のニコラス・クリストフ氏がそれで、その本では「日本贔屓のクリストフ支局長が日本嫌いになるまで」という章が立てられていました。ふーん、日本贔屓ねえ。それはともかく、このジャーナリストは、クリストフ氏が日本人記者の心ない仕打ちや記者クラブの閉鎖性に嫌気がさして、もともと日本に対して好意的だったにもかかわらず、最後には「反日記者」のレッテルを貼られて日本を去ったと書いていました。

 

 でも、私はこのクリストフ氏について、この本の記述と相反するような記憶があります。ありていに言えば、彼の記事をめぐって取材を申し込んだのに断られただけでなく、本人の手配かどうかは分かりませんし迂闊なことは言えませんが、むしろ間接的に取材を妨害される結果になったという印象が残ったある出来事がありました。

 

 それは確か、もう11年以上前の1997年1月だったと思いますが、クリストフ氏がニューヨーク・タイムズ紙に書き、ヘラルド・トリビューン紙でも掲載されて世界に流れたある記事の真偽をめぐってのことでした。彼は「Veterans in Japan Haunted by Atrocities」という記事の中で、日本の老兵士が中国戦線で人肉を食べたと書いていました。

 

そこで、不審に思った私が、三重県に住むこの元兵士に電話で「あなたの証言が世界を駆けめぐっているが、本当に人肉を食べ、それをクリストフ氏に話したのか?」と聞くと、この人はしばらく絶句した後、「私はそんなことは言っていないし、人肉を食べたりしていない。とにかくそんな話はしていない」と全否定したのです。これは、どういうことでしょうか…。

 

 とりあえず、そのときのクリストフ氏の記事を私が当時、日本語に訳したものを紹介します。ろくに英語のできない私が自分の頭の整理用につくった訳文ですから、一部に不正確な部分や直訳調で意味がとりにくいところがあるでしょうが、だいたいこういう内容だということでご理解ください。また、全文はこの2倍ほどの分量になるのですが、著作権の問題に引っかかるかもしれないので、引用は一部とさせてもらいます。

 

 《ほぼ60年が過ぎても、赤ん坊を見ると、シンザブロウ・ホリエは内心ではすくみ、中国戦線の若い兵士だった彼にとって忘れられない、銃剣で中国の幼児の胸を突き刺した場面が心によみがえってくる。

 ホリエはわざと殺したのではないというが、その記憶はどこにでもついてまわり、妻にさえ話す気持ちにはなれなかった。同じようにふとしたことで、若い兵士だったとき、16歳の中国人少年の肉を食べたこともまた、語っていない。

 「人を食べた事実は忘れられない」。79歳の痩せた農民の手は、戦争の記憶を掘り起こすときには震えていた。「それはたった一度だけで、たいした量ではなかったが、60年たっても、その記憶を自分でごまかせない」

 日本中にいるホリエのような老人は、いまだに彼らが行ったことの記憶に取り囲まれており、第二次世界大戦についての議論は、東アジアの摩擦の大きな原因であり続けていて、寝かせ就けることも眠らせることもできない。

 例えば、中国と南北朝鮮は日本に対し、侵略の明確な謝罪と戦争中に残忍な仕打ちをされた個々人への補償を求めている。つい最近も、日本と韓国の間で、日本政府が昔の皇軍の韓国での性奴隷への国家補償を拒否したことをめぐり、新たな論争が始まった。

 戦争とその余波にもかかわらず、日本が何も大きく変わることがなかった今世紀中、こうした議論は多くの家族では事実上のタブーとなっている。もちろん、すべての国の兵役経験者はしばしば、自分の最悪の記憶について語りたがらないものだが、日本では、多くの若者も祖父が戦争に行ったことについてすら何も考えていない。

 老人たちは今、東京の南西約320キロの三重県の突き出した丘陵地に位置し、5700人が暮らす農村である大宮の墓場に、戦争の秘密を自らと一緒に葬り去ろうとしている。(中略)

 彼自身の記憶の殻をはがし始めると、緊張は高まり、彼の手は風に揺れる枯れ葉のようにふるえた。2時間後、深く息をついて、人肉を食べたことを自分から話し出した。

 自分と仲間たちは1939年のある日、北東中国の地方市場で突然、手に入るようになった珍しい新鮮な肉を食べたと、ホリエは回想する。それから、憲兵隊が、だれかが市場で肉を買ったかどうかを尋ねに巡回してきた。

 「腹をすかせた何人かの日本兵士が少年を殺してその肉を食べ、残りを中国人の商人に売った。われわれはその商人から買った」とホリエ。彼は、この日本兵たちは殺人と人食いで罰せられたと聞いたと付け加えた。(後略)》

 

 …さて、この元兵士の話は、この記事だけでは、本当にこんなことがあったのかどうかも含めて、よく分からない部分がありますね。例によって慰安婦のことを性奴隷なんて書いているし、所属部隊やもっと詳しい時系列などが分かれば、専門家に聞けばある程度、どういう状況下にいたかが分かるはずだと考えました。そして何より、この元兵士がクリストフ氏には本当のことを打ち明けた一方で、私には嘘を言って誤魔化したのか、あるいは誤解か何かで、本人が語った以上のことをクリストフ氏に書かれてしまったということもありえると思いました。

 

 そこで当時、私はいずれにしてもこの元兵士とクリストフ氏の双方からきちんと話を聞きたいと思い、取材を申し込んだのですが、クリストフ氏に断られた(はっきり覚えていませんが、取材拒否の理由はたいしたものではありませんでした)のは先に述べました。そして、いったんは電話に出てきた元兵士が、今度は突然、取材は受けられないと言い出し、電話口には奥さんしか出てこなくなったのです。

 

 いろいろと事情を聞くと、クリストフ氏がこの地で取材をするときには、地元の昔からの有力者の全面的な協力を受け、すっかり意気投合していたそうなのですが、この有力者が元兵士に「産経の取材には答えるな」と言ってきたということでした。私は、元兵士に手紙を書いてクリストフ氏の記事に疑問を持っていることなど取材の趣旨を伝え、当時の上司と二人で、三重県の元兵士の自宅にまで行き、「日本の名誉もかかっていることだから、きちんと本当のことを話してほしい」と取材に答えてくれるようお願いしたのですが、玄関に出てきた奥さんはやはり「手紙は地元有力者にも見せたが、やはり産経の取材は受けるなと言われたので、勘弁してください」と改めて懇願され、引き上げざるをえませんでした。狭い地域共同体の中で、有力者には逆らえないとのことでした。

 

 私はその後も、手紙を出すなどして考え直してほしいと要請しましたが、返事は来ませんでした。この件は私の心の中で、未消化で納得がいかないままずっと引っかかっていたのですが、それが今回、久しぶりにクリストフ氏の名前を見たことで記憶の奥から引っ張り出され、昔の資料をがさごそやって、当時の拙い翻訳文を引っ張りだしてきたという次第です。どうもすっきりしないエントリでごめんなさい。私自身がいまだにもやもやしているもので、書いた内容も不得要領となってしまいました。


 昨日の産経は政治面で、9月21日投開票の民主党代表選に野田佳彦広報委員長が立候補する方向で最終調整に入ったと報じました。今朝の新聞各紙も野田氏の動向を大きく書いていますね。小沢一郎代表の無投票当選というシラケた代表戦になりかねないところでしたし、小沢氏側近は「代表選に立とういう奴は、選挙後に徹底的に干してやる」と恫喝していましたから、まずは野田氏の勇気と心意気を評価したいと思います(推薦人が20人必要な関係で、まだ出られるかどうか微妙だとの情報もありますが)。

 

 さて、小沢氏と野田氏の一騎打ちになりそうなこの代表戦で、実際の論争の争点にはならないでしょうが、私が一つ注目していることがあります。それは、二人の歴史観の相違についてです。野田氏はとかくリベラル派が幅をきかす民主党の中にあって、東京裁判を否定し、いわゆるA級戦犯の分祀論にも異を唱えている人物であり、そこに旧社会党左派の全面的な支持の上に乗っかっている小沢氏との違いが見えるからです。

 

最近は、河野洋平衆院議長や自民党の古賀誠選対委員長が相次いで「分祀論」を蒸し返すなど、古くさい亡霊のような議論が横行していますが、小沢氏もまた分祀論を唱えていますね。ですから、まあ、そんなことにはならないでしょうが、代表戦でこうした歴史認識をめぐる論戦があれば面白いだろうなと、ちょっと夢想した次第です。そこで、まずは野田氏が提出した質問主意書に関する過去記事を紹介します。2年ちょっと前のものです。

 

A級戦犯分祀論を牽制 民主・野田氏[ 20060608  東京朝刊  総合・内政面 ]

民主党の野田佳彦前国対委員長が7日までに提出した質問主意書で「『A級戦犯』を含む全国戦没者の追悼に問題がないのなら、天皇皇后両陛下や首相の靖国神社への公式参拝は『A級戦犯』を追悼することにつながるとの理由から制約されるべきなのか」と指摘し、「A級戦犯」分祀(ぶんし)論を牽制(けんせい)した。

野田氏は、平成14年2月に開かれた福田康夫官房長官(当時)の私的懇談会「追悼・平和祈念のための記念碑等施設の在り方を考える懇談会」の議事録に着目。委員からの「(全国戦没者追悼式の)『戦没者之霊』の中にはA級、B級、C級も含まれるのか」との質問に、厚生労働省が「そういう方々を包括的に全部引っくるめて全国戦没者という全体的な概念でとらえている」と答えている点を改めて問うた。

「政府はこれまで『A級戦犯』が追悼対象に含まれる追悼式・施設等で天皇皇后両陛下や首相が公式に追悼することは国内的にも、また国と国との関係においても何ら問題ないと判断してきたものと考えられる」と指摘している。

 

 …短い記事なので分かりにくいかと思いますが、要は、8月15日に日本武道館で開催されている全国戦没者追悼式の対象にはいわゆるA級戦犯も含まれているのに、そこに天皇陛下や首相が出席しても何も問題になっていないではないか、A級戦犯が祀られているから靖国神社に参拝できないという理屈はおかしいではないか、ということですね。念のため、質問主意書の関連部分も貼り付けておきます。

 

200666日提出

 「サンフランシスコ平和条約第十一条の解釈ならびに「A級戦犯」への追悼行為に関する質問主意書」及びそれに対する616日答弁書

平成十七年十月十七日提出質問第二一号「『戦犯』に対する認識と内閣総理大臣の靖国神社参拝に関する質問主意書」(以下、先の質問主意書)において、いわゆる「A級戦犯」ならびに東京裁判に対する政府の認識について質問した。

 それに対する平成十七年十月二十五日付答弁書内閣衆質一六三第二一号(以下、先の答弁書)は「平和条約第十一条による極東国際軍事裁判所及びその他の連合国戦争犯罪法廷が刑を科した者について、その刑の執行が巣鴨刑務所において行われるとともに、当該刑を科せられた者に対する赦免、刑の軽減及び仮出所が行われていた事実はあるが、その刑は、我が国の国内法に基づいて言い渡された刑ではない」と回答した。

 国内法に基づいて刑を言い渡されていないものは、国内において犯罪者ではないのは明らかである。政府が、「A級戦犯」は国内において戦争犯罪人ではないことを明確にした意義は大きい。

 しかしながら、政府見解には未だあいまいな部分が残されている。もし政府が、一方で、「A級戦犯」は国内の法律で裁かれたものでないとして「国内的には戦争犯罪人ではない」としながら、もう一方では、日本はサンフランシスコ平和条約で「諸判決・裁判の効果」でなく「裁判」を受諾したのであり、国と国との関係において、同裁判の「内容」について異議を述べる立場にはないとするのならば、これによって他国からの非難に合理性を与えていることとなる。

 さらに、先の質問主意書に示したとおり、サンフランシスコ講和条約第十一条の手続きに基づき、関係十一カ国の同意のもと、「A級戦犯」は昭和三十一年に赦免され釈放されている。刑罰が終了した時点で受刑者の罪は消滅するというのが近代法の理念である。したがって、極東国際軍事裁判所が「A級戦犯」を戦争犯罪人として裁いたとしても、その関係諸国は、昭和三十一年以前に処刑された、あるいは獄中死したものも含めた「A級戦犯」の罪はすでに償われていると認めているのであって、「A級戦犯」を現在においても、あたかも犯罪人のごとくに扱うことは、国際的合意に反すると同時に「A級戦犯」として刑に服した人々の人権侵害となる。

 政府は、内閣総理大臣の靖国参拝が国際的に非難される根拠がないことを示すために、また、「A級戦犯」として刑に服した人々の人権を擁護するためにも、日本が受諾したのが、極東国際軍事裁判所の「諸判決」・「裁判の効果」なのか、あるいは「裁判」なのかを、あらためて明確にするとともに、「A級戦犯」の現在の法的地位を再確認し、国民ならびに国際社会に対して顕示する責任を有している。また、同じ趣旨から、「全国戦没者追悼式」をはじめとする追悼行為の位置づけも明確にする責任がある。

 

 …一方、小沢氏の考え方はどうなのでしょうか。19日の記者会見ではこんなやりとりがありました。明確な言い方はしていませんが、「非合理な形で靖国に合祀されているということについては、ケリをつけなければいけない」と述べていますね。これは、小沢氏のこれまでの発言からして、A級戦犯の分祀について言っているのは明らかでしょう。

 

記者:戦没者追悼施設について。河野が建設を求めたが。代表はA級戦犯合祀をやめるべきだといってきたがどういう考えか。民主党は03年に必要なら新施設の法案化を検討するとしているが、国会でどう対応するか。

小沢氏:この問題に関しても私が以前からずっと申し上げてきた考えは何も変わっていない。いちいち誰が発言したからと私の考えが変わるわけじゃないから。靖国と新施設の問題については、こういう英霊を祀るという問題なので、大多数の国民が新しい施設でやった方がいいということであれば、それでもいいと思う。ただ、靖国でもって、やはりせっかくあるのだから、靖国でいいじゃないかというのが多数意見であれば靖国で一向に構わない。それでいいんじゃないかと思う。もちろん、非合理な形で靖国に合祀されているということについては、ケリをつけなければいけないということは当然のことです。》

 

 また、小沢氏は一昨年の8月には、夕刊フジのコラムで小泉純一郎首相(当時)の8月15日の靖国参拝を批判し、「首相はあの戦争を『間違った戦争』と認め、いわゆるA級戦犯について戦争指導の責任がある『戦争犯罪人』と言及していたではないか」と指摘し、「靖国神社にA級戦犯が祭られている。国内的にも国外的にも『日本国を代表する首相が、戦争責任にケジメをつけない行動をした』ということになる」と述べています。また、民主党代表就任後には、「(祀られている人の氏名が記されている)靖国神社の霊璽簿(れいじぼ)からA級戦犯を削除すべきだ」「当時の国家指導者たちは、日本国民に対し戦争を指導した重大な責任を負っている。本来は祀られるべきではなく、英霊に値しない」とも語ってきましたね。

 

 まあ、この小沢氏が自民党に所属し、自治相だった昭和61年4月2日、参院地方行政委員会で佐藤三吾氏=当時社会党=に靖国に公式参拝するかどうかを問われ、次のように淡々と答弁しているのは、今と立ち位置や発言内容が大きく変わっていることがわかり、興味深いものがあります。何がブレない、だか。

 

 「お国のために一生懸命戦って亡くなった戦没者に参拝することによって、誠の気持ちを表すということだ」「A級(戦犯)であろうがB級であろうがC級であろうがそういう問題ではない」「責任論と私どもの素直な気持ちは、別個に分けて考えていいのではないか」。

 

 参考までに付け加えれば、安倍晋三前首相は首相時代の一昨年10月6日の衆院予算委員会で、やはり民主党の岡田克也氏の質問に対し、「(いわゆる戦犯は日本国内の)法律によって裁かれていないにもかかわらず、首相として、政府として、この人が犯罪者だというべきではないのは当然のことだ」と強調し、「戦犯は戦争犯罪人であるとの認識がある」と述べていた小泉氏の政府答弁をひっくり返し、戦犯は国内法では戦争犯罪人ではないとの立場を表明しています。

 

 これに対し、岡田氏は、小泉答弁を引用してA級戦犯を戦争犯罪人だと認めるように執拗に迫ったのですが、安倍氏は「A級戦犯とされた重光葵元外相はその後、勲一等を授けられている。犯罪人ならばそういったことは起こりえない」と反論し、さらに「(法なくして罪なしとする)罪刑法定主義上、そういう人たちに対して犯罪人であるということ自体、おかしい」と付け加えました。確かに、A級戦犯として有罪判決を受けた人物では、重光氏(禁固刑7年)のほか賀屋興宣氏(終身禁固刑)も釈放後、法相に就任しており、名誉回復している人たちを今になって貶めようとする岡田氏の論理の方に無理があると思います。

 

 話を野田氏の件に戻すと、私は、この野田氏と岡田氏の歴史観の違いについても一昨年8月25日のエントリ「民主・野田氏と岡田氏が『東京裁判論争!?』」でも取り上げていますので、もしよければご参照ください。なかなか厳しい戦いになるのでしょうが、民主党代表選での野田氏の健闘に期待したいと思います。


 いまさっきチェックしたところ、このブログの累計アクセス数が800万を超えていました。苦節2年3カ月弱、ようやくここまで来ました。訪問者のみなさんに改めてお礼を申し上げるのと同時に、とりあえずまだまだ続けようと思っていますので、今後もよろしくお願いします。というわけで、本日は日頃私が抱いている仕事とブログに対するくだらない思いと迷いについて、だらだらと記してみます。

 さて、このブログは、人によって評価してただくこともありますし、論じる価値もないとけなされることもあるわけですが、書いている本人は日々、何をどう書くべきか悩んだり、どこまで書いていいのかなどといろいろな壁にぶつかったりで、相変わらず何がなにやらわけが分からないまま、流れに任せてエントリを続けているのが本当です。硬軟取り混ぜと言えば言葉はいいですが、その実、単に私の趣味に過ぎないようなこともアップしていますしね。読み手のみなさんのニーズに合うのかどうかは分かりませんが、やはり私自身ができるだけ楽しんで書きたいという気持ちもあるもので。

 で、最近、よく思うのは、私的な放言ブログではあっても、取材中のことや、いろいろな情報があっても裏付けがとれていないか、反証がある話は本当に書きにくいなあ、ということです。取材現場の表の話、記者会見や発表については何の問題もないのですが、その背景について取材したり、情報提供を受けたりしたことは、すぐにはエントリには書けません。それは、産経紙面で「独自ダネ」として載せるまで明らかにできないという場合もあるし、大事な問題であればあるほど情報は錯綜し、普段なら疑いようのない確かな筋からの話であっても、簡単には確認もできないし、反証も出てくるということがあります。

 また、さまざまな情報源の立ち位置、思惑が微妙に情報そのものの照らし出す角度に偏差を与えていたり、あるいは都合のよい解釈が加わっていたりすることもあります。ですから、複数の相手に確かめるわけですが、その過程で、ある人にはその情報が全否定されたり、また別の人には暗に肯定されたりもします。

 政府の公式発表や、産経を含めた全マスコミが同じように一斉報道している件について、「それは全く違う」という情報を、当事者や、事実関係を知りうる人から耳打ちされることもあります。その場合、私だけが事実はこうだと思っても、なかなか紙面には反映できません。ある問題に関して取材している人間は常に複数いるわけで、なおかつ政府や当局が公式見解を発表し、それに従って物事が論じられているときに、「それは前提からして違う」と言っても、「どんな証拠があるのか」と言われると、「証言がある」としか言えません。そして、個人の「証言」は、必ずしも重視されない場合があります。

 私個人の私的な見解であれば、結果的に間違えても、言いたいことは言うという姿勢もとれるのですが、新聞紙面ではそうした態度はとれませんし、ブログであっても安易には書けません。また、なまじ自分が今現在それについて取材していて、自分自身が情報をどう扱っていいのか、どこまで信じていいのか、あるいは他者を説得するにはどうしたらいいのか悩んでいる状態では、力量不足もあって表層的になぞるようなことしか書けないということがあります。

 それと、自分が書いたことが誤解されて受け取られるのではないかという危惧もあります。毎日、ならすと1万3000~1万5000アクセスぐらいあるわけですが、コメント欄を通じて何度もやりとりし、私の言いたいことが手に取るように分かっていただける方もいるでしょうし、新しい読者の方には、これまでの議論や対話の経緯は分からないでしょうから、本来はきちんと説明しなければならないのだろうなと思います。しかし、そこでの重複は、これまでこのブログを継続して読んでいただいてきた人にとっては、繰り返しであり、退屈なやりとりであるかもしれません。

 たとえば、ときどき、いただいたコメントを読んでいて違和感を覚えるのは、政府や政党が一枚岩であるかのような見方をしている方が少なくないことです。政治家も官僚も、みんな互いにライバル関係や利害関係、あるいは好き嫌いや縁のあるなしがあり、同じ内閣、同じ省庁であっても、何でも情報を共有するような関係にはありません。それは、上司と部下、首相とその下、という関係においてもそうです。特に政治家はみんな一国一城の主でもありますし、同時に選挙区での選挙運動に急がしく、同じ派閥であっても他の政治家のことをあまり知らないということは珍しくありませんし。この点は何度も過去に書いてきたことですが、やはり重複を恐れずに何度も強調した方がいいのかどうか。

 私自身、かつては政府・自民党の熱心な支持者であるように誤解(曲解)され、いろいろな場所で政権の幇間だの福田政権ができたらすぐ福田氏にすり寄るに決まっているだの書かれたわけです。さすがに現在はそうした書き込みやトラックバックは減っていますが、私の意図や思い、真情は、私自身の文章の拙さもあるし、ある種の先入見を持った人もいて、必ずしもストレートに伝わらないということも痛感しています。

 そういえば、最近も後輩記者に「また阿比留さんのことが出ています」と言われて読んだ某政治ジャーナリストの新刊に、私は古い「派閥記者」のように書かれていましたが、実際のところは私はまともに派閥を担当したことがありません。私の政治家の人脈は、一切派閥とは関係ありませんし、当然、特定の派閥に思い入れも何もありません。過去には山崎派を1カ月だけ持ったほか、亀井派も受け持ちましたが、そのときは平河(与党)サブキャップで、夜は原稿処理のためなかなか取材に出れませんでしたし、派閥にのめり込むも何も、とてもそんなところまで…という感じでした。この方は著書や雑誌で繰り返し私の名前を出しているわけですが、一度も会ったことも話したことも、もちろん、取材を受けたこともありません。不思議だなあと思います。

 話が飛んだので戻します。取材過程で、時に希薄で時に複雑な関係にある複数の人物から得た情報をつなぎあわせ、点と点を結びつけて線とし、できることならば面にし、さらに可能ならぱ立体として把握し…という努力をいろいろな情報を通じてやっているわけですが、正直に言うと、次から次へと起きる新たな事態に対応せねばならず、途中まで調べかけて放り出した問題の方が多いというのが実態です。新しい問題を追っているうちに、実際、忘れてしまうのです(素直に認めますが愚か者ですから)。

 というわけで、この人間としても記者としても欠落したものが多い、私のようなものがろくに推敲もせずに書き散らしたブログでよろしければ、今後ともおつきあいのほど改めてよろしくお願いします。上に書いたような事情で、本来は伝えるべき新鮮な情報についても、真っ先にここで書くということはときに難しいのですが、どうか私の真意を御理解いただければと思います。つまらない内輪・私的な話で申し訳ありませんでした。


 きょうは夏休みをとって自宅にいます。それにしても連日、テレビも新聞も北京五輪一色ですね。実は私は、スポーツ観戦にあまり関心がない(格闘技は好き)方なので、子供が楽しみにしている番組が五輪特別番組で吹っ飛ぶことに迷惑しています。まあ、産経自体、連日大々的に五輪報道をしているわけで、もとより文句を言えた義理ではありませんが。

 

 さてその産経の昨日の紙面では、五輪に関していくつか気になる記事がありました。例えば、2面の「本紙記者拘束 見解食い違い 中国『身分証提示せず』」という記事には、私の同期の野口東秀記者が新彊ウイグル自治区で公安当局に不当拘束されたことについて、中国外務省が「警官が身分証提示を求めたのに対し、中国語が分からない」として提示しなかったため連行したと主張し、いきなり身柄拘束されたという野口記者の記事に不満を表明したことを伝えています。

 

 でもねえ、だれが中国のこんな言い分を信じるでしょうか。因みに、野口記者は中国の大学を卒業しており、入社当時から中国語は自在でした。中国製ギョーザ中毒事件の件でもそうですが、中国外務省の報道発表など、私は参考にはしますが、とても信じる気にはなりません(中国と裏で手を握っている様子の現福田政権の発表についても、眉につばをつけていますが)。こんな見え透いたことを言って、世の中に通用すると思う中国の拙劣さ、自己都合だけを優先させて他者の目にどう映るかが分からない愚かしさにはため息が出ます。

 

 また、昨日の紙面にはこのほか、3面に外国メディアが「共産党支配の現実と五輪前の約束の矛盾が露呈するのに1週間もかからなかった」(英紙フィナンシャル・タイムズ)などと報じていることや、開会式で56人の子供たちが各民族衣装を着て入場するシーンについて中国側は「中国の56民族の子供たち」としていたのが、実は多くは漢族の子供だったことなども載っていました。何より、公正さや厳密さが求められる五輪の場で、こういう誤魔化しや「やらせ」が堂々と展開されるところに、中国という国の異質性や、また、勘違い、何も分かっていない姿が浮き上がって見えます。

 

 そして今朝の紙面はと見ると、1面トップで女子マラソンに関連して「冷めた『文明的応援』」という記事を載せ、公安に許可をとらないと安心して応援できないような中国流の応援風景を詳しく報じています。つまるところ、中国は、「演出」は上手であっても、何が本質で何が大事なことであるのかは理解していないのではないかという気がします。それだけ独自のルールと世界観の中で生きているのだろうと。

 

 とまあ、新聞を読みながらそんなことを考えていて、もう20年以上前の学生時代に読んだ竹山道雄氏の文章を思い出し、本棚をがさごそ漁って探し当てました。講談社学術文庫「尼僧の手紙」に収められている紀行文「北京日記」がそれでした。今から約70年前の昭和14年に書かれたものですが、改めて読みかえすと、今でもそのまま通用するような部分がけっこうあると思いました。以前も少し触れたことがありますが、竹山氏の評論は、私は非常に好きで、「昭和の精神史」などはときどき読み返していますが、これは本当に久しぶりでした。それではちょっと引用します。

 

 《支那人!なんという壮大な、限りなき、神秘的な、謎のような人間だろう!なんという均衡なき調和、架空なる現実だろう!考えうる限りの威厳と優美さと、考えうる限りの汚辱と褻涜と!神のごとき天子と蟻のごとき民衆と!――この大陸ではすべてがあまりに無際限である故に、人間が自然の中に己のあるべき地位を定めるのが難しいのである。人間が人間である故にその存在の尊厳をもつ、そういうことはここでは考えられないことである》

 

 《支那人はリアリストではない!かく言えば人は笑うであろう。しかし疑う者は支那の現実を見よ。真のリアリストならばかかる現実はつくらぬ筈である。ここに実現されているものはむしろ、悪の華咲く人工楽園か、羊のごとく蟻のごとき従順なる奴隷の群か、あるいは破壊的なエレメントであり、偉大なものはすべて観念か芸術であって、日本人に於けるような、堅実な周到な計画的な、夢なき実質のみの、能率の生活は痕方も見られない》

 

 《雑踏する支那人の群の間を歩きながら、僕はよく、ファーブルの『昆虫記』で読んだ「本能の慧さと本能の愚かさ」という章を想いだした。――何とかという種の蜂は、その餌食の昆虫をただちに殺さないで、その頸の一部を開いて、そこの神経節を咬んでかるい傷をつける。するとその犠牲は麻痺した仮死の状態のまま生きている。(中略)かかるおどろくべき知識、おそるべき手際を本能は持っているのである。――しかるに一方この蜂は呆れるほど愚かである。すなわち、一定の機構以外の外的事情に出会うと、この大手術家は全然無力に堕してしまう。たとえば、この蜂が、その犠牲を運ぶときはその触覚を咬えて引きずって行くのであるが、もし人がその仮死せしめられた昆虫の触角を切りとってしまうと、蜂はもはやいかにしても之を運ぶすべを知らない。(中略)本能は、その働くべき外界の所与の条件にちょっとでも狂いがあると、外界をいかんとも処理できないのである》

 

 《「すべては量の問題にすぎない」と僕の頭はさっきから同じところを旋っていた。「…人間は万物の尺度だ、という、その尺度がここには欠けているのだ。絶対の立場から見れば、人間だって蟻だって同じことだ。(中略)…一体この量感とは何だろう?どこからこんなものを我々は与えられたのであろう?…体温が三四度高まると、我々の理性は狂ってしまい、この世界のこの秩序を失ってしまうのだが、我々のもっている量感というもの、均整感というものも、いつ狂うか分からないではないか。あの遠くの正面に見える、夕方の光の中に溺れている巨大な正陽門と城壁と、それからその下に集う蟻のような群衆…ああ、僕のもっている、この肉体の大きさを基準としたこの量感はここではあてはまらない」》

 

 …最後におまけとして、先日、中国・瀋陽空港で、間違って国内線のゲートに入ってしまい、そこから何とか抜け出して、日本に帰る国際線のゲートに入り直したときの航空券の写真を紹介します。お分かりのように、検印が二つ押してありますね。最初に「中でつながっているだろう」と安易に考えて国内線のゲートを通過しようとした際、係員は私のパスポートと航空券を穴が開くくらい見つめていたのですが、結局、厳重警戒下でも検問はこんなものだったようです。もちろん、最初に間違えて入ろうとした私が一番間抜けなのは重々自覚しているのですが。

   


   

 午前9時ごろに到着しました。ふと考えてみれば、私は少なくとも政治部に配属された10年前からずっと、毎年この日にここを訪れているようです。政治部に別に「靖国担当」などという担当分けはないのですが、ずっとかかわってきました。

   

 砂利を集めて無心に遊ぶ子供の様子がほほえましかったので、一枚写真に収めようと近づいたら、この子のお祖母さんでしょうか、携帯電話の写真でやはりパチリとやっていました。この日の靖国は、例年に比べ喧噪が少なく、毎年来ている身には、静かに感じるぐらいでした。

 

 今朝の産経紙面で小さく報じていた通り、安倍前首相が参拝に訪れました。私は空港から直行すると聞いていたのですが、萩生田光一衆院議員が一緒だったので少し驚きました。「安倍さーん」と声がかかり、手をあげて応じていました。感慨深いものがあります。

 

 この集会を取材していたら、途中退席となった民主党の某議員と目が合い、話しかけられました。某議員がにこにこしていわく「気合い入れて地方参政権の件、51人の署名を集めましたよ」。これは、民主党の永住外国人地方選挙権検討委員会が外国人参政権付与の方向に前のめりになり、今月中にも小沢代表にゴーサインを示す答申書を出そうとしていた流れを止めようと、「意見集約は拙速だ」とする51人の署名入り要望書を党幹部に提出した件のことでしょうね。某議員の努力に感謝して、握手して別れました。

 取材結果については、明日の新聞にルポもどきが掲載される予定です。拙い文章ですが、気が向いたら読んでみてください。

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