ちょっと間が空きましたが、今日は不定期連載中の「小沢語録」の第5弾を提供したいと思います。昨夜、マスコミとは関係のない業界の人と話をしていて、向こうから「そう言えば、民主党の小沢代表はしょっちゅう体を壊しているが、あんなに体が弱くて首相が務まるわけはないだろう」と言われました。私は、「それでも、民主党が勝てば首相になっちゃうんですよ」と答えましたが、その「体調問題」について、昨日の
《記者:体調はいかがか。
小沢氏:私自身の体調は良くありません。ただ、「100里の道は99里を持って半ばとすべし」という家康の遺訓がある。私も2年半前に代表に就任して以来、走り続けてきたので、だいぶくたびれているが、あと、家康流にいえばあと1里だが、あと半分というつもりで、全力で体の続く限りがんばってまいりたいと思う。
記者:日程キャンセルについて。(インドのシン首相との会談のような)国際的な会談を欠席することで、激務に耐えられないのではという批判が出ている。選挙にとってマイナスではないか。
小沢氏:総理大臣になって、首脳会談ということであれば、多少、体調が悪くても何しても欠席することはありません。私、野党ですから。総理大臣じゃないですよ。国務大臣でもないですよ。勘違いしないでくださいよ。だから私の党の代表としては幹事長がちゃんと出席していますから。私が体調が悪い代わりに幹事長がちゃんと行って会談をしていますんで、何もおかしなことはないと思います。
国民のみなさん、選挙にも、別にマスコミがなんだかんだ言うが、そういうことは選挙民のみなさんがよくよく分かっておられることだろうと思います。何でマイナスになるの? 体悪くて休ませてくれと言っているのに、何でマイナスになるの? あんたどうする? 体悪い時、それでも新聞に出ていくか。具合悪ければしょうがないでしょうがよ。
私は今、選挙、とにかく政治家である以上、選挙のことに関する約束はね、たとえ這ってでも出てこないといけないが、その、今日のこともあるし、また私は月曜もまた地方出張しなきゃけない。その意味で私の今の立場は総選挙で勝つということなので、選挙の日程を最優先の課題にして、できるかぎりみなさんのお役に立ちたいというのが今、野党党首としての役目だと思っております。》
…ただねえ、これまで小沢氏の過去記事のスクラップを読み返してきて改めて感じたことは、この人は本当に何度も入院や療養を繰り返しているということです。いつか表にでもしてまとめようかとも考えていますが、本気で大丈夫か?と思いたくなります。以前もどこかで書いたと思いますが、小沢氏の元秘書の一人は、小沢氏が政治資金で都心にあれだけたくさんのマンションなどを買っている理由について、「先生は体が弱いので、いつでも必要なときにすぐ休める場所が必要だからだ。ホテルだと落ち着かないし」と語っていましたが、聞いていて内心、「どんな王侯貴族だってそんな贅沢は無理なんじゃないか」と思っていました。
ちょっと余談が長くなりました。それでは、「語録」をお届けします。今回は、平成8年10月の衆院選で、小沢党首率いる新進党が解散前議席を下回る大敗を喫してから、9年11月までとなります。今回もまだ自由党時代には到達できませんでした。道は長い。
・平成8年11月30日朝日、新進党党首、党の両院議員総会でのあいさつ
「政権を担うとなると、外交、安全保障問題を抜きにしては考えられない。これまで『話を詰めると角が立つ』という話があったので『丸く、丸く』でやってきたが、党ができて2年が経過しており、もう、そういう議論をオープンにしていいのではないか」
=では、民主党内でもきちんと議論してもらいたいですね。本当に衆院選後は政権を担うのかもしれないのだから。民主党ができて何年経つんでしたっけ…。
・平成9年1月21日朝日、新進党党首、宮沢喜一元首相との対談で(司会・若宮啓文氏)
「国連が信頼できないからといって、日本独自の道を歩むのは危険だ。憲法の理想に向かい、国際社会の共同作業に積極的に参加していくことが、日本にとり良い選択だと思います」
=以前も書いたので繰り返しませんが、「日本独自の道を歩むのは危険だ」という言葉に、この人の日本と日本人に対する不信感が表れているように思います。
・平成9年2月27日産経、新進党党首、7時間にも及ぶ党両院議員総会で、オレンジ共済からの党岩手県連への献金問題に関連し、辞任要求をされて
「オレンジでも何でも、カネでももらっていりゃあみんなに言われなくてもすぐに辞めます。何のやましいこともない。私が党首にふさわしくないという人は12月に向けて党首選の準備をすればいい」
=当時、オレンジ共済事件に関連して、新進党からの離党者が次々に出ていましたね。今となっては、そんなこともあったなあ、という感じですが。
・平成9年3月6日産経、新進党党首、記者会見で評論家の江藤淳氏から産経紙面で議員辞職して故郷に帰り、捲土重来を期せと叱咤されたことについて
「江藤先生は今日の政治的な状況、風潮を嘆き、その前提に立ちながら、私に試練を作り、紙面を通じて忠告を与えてくれたと思う。国民のためにどうあるべきか、私自身が判断する」
=泉下の江藤氏がいまの小沢氏を見たら、何と言うのでしょうね…。
・平成9年5月15日朝日、新進党党首、記者会見で、3日前には認めていた自民党の森喜朗総務会長との会談を否定して
「森さんとはお会いしていません。たまたま同じ時間帯に(ロンドンに)滞在していただけです。(会談の情報は)間接的なものでしょ。私は本人だから」
=この会談については、森氏は認めていたし、小沢氏自身も12日の党5役会議では「森氏から会おうと言われたから断る理由もないし、真剣な政策論議なら、ということで応じた」と説明していたのです。全く、いい加減というか、人を小馬鹿にしているというか。
・平成9年6月28日産経、新進党党首、
「私は、今まで正当な理由なくして人様と交わした約束を反故にしたことはない。報道は全く事実無根だ」
=ドタキャンの多さでは政界一かもしれないこの人ですが、本人の意識の中ではすべて正当化されているということでしょうね。
・平成9年7月23日産経、新進党党首、千葉県で開かれたゴルフ大会で前半、成績が振るわず、記者団を前に一言
「そろそろ引退しようかな」
=すればよかったのに。
・平成9年9月2日産経、新進党党首、江藤淳氏との対談で
「今の政権(橋本政権)を構成している主要な人たちは、社民党と一緒になっている。ということは、理念とか、イデオロギーとか、哲学とか、そういうものは関係ないわけですね。(中略)社会党と一緒になることによって、55年体制の延長なんですけど、多少なりとも持っていた保守のその部分までおかしくなっちゃっている気がする」
=いや、別にいいですけど、それってブーメランになってるような。
「(『この人』と思う政治家を聞かれて)やっぱり僕は大久保利通さんです。あれだけ憎まれても、あれだけやるというのは…」
=この小沢語録シリーズでも紹介した通り、小沢氏は以前は好きな人物として西郷隆盛を挙げていましたね。心境の変化か、状況の変化がそうさせたのか。
・平成9年9月5日朝日、新進党党首、ゼンセン同盟定期大会でのあいさつ
「いちいち日常のことについて、ぐじゅぐじゅ文句を言われていては、ろくな政治家になるはずがない。私は政治行動の決断について後援会に相談したことはない。みなさんが国政に適任だと思って出した以上、カネと票は出すけれど、『あとはお前の見識でやれ』っと。こうでなくちゃんらない」
=カネと票は出しても口は出すな、というわけですね。明快なものです。
・平成9年11月6日読売、新進党党首、記者会見で
「私は毎日反省している。朝起きるたびに反省している。全力で一生懸命やってきたが(昨年の)総選挙で第1党になれなかったのは、私の力が及ばないところがあるんだろうという意味で反省している。どうしてマスコミに嫌われるのだろうか、という反省もしている」
=読売は記事を、「記者団からは『どこまで本心からの発言なのか』との声も――」と締めくくっています。まあ、反省だけなら○○でもできるわけですしね。
…ふう。次は「その6」ですね。現在に追いつくまで、まだあと10年以上もありますね。いやはや、なんとも、はてさて、どうしたものか。