2008年10月

 

 ちょっと間が空きましたが、今日は不定期連載中の「小沢語録」の第5弾を提供したいと思います。昨夜、マスコミとは関係のない業界の人と話をしていて、向こうから「そう言えば、民主党の小沢代表はしょっちゅう体を壊しているが、あんなに体が弱くて首相が務まるわけはないだろう」と言われました。私は、「それでも、民主党が勝てば首相になっちゃうんですよ」と答えましたが、その「体調問題」について、昨日の青森市での記者会見で小沢氏自身が語っているので、まずそれから紹介します。相変わらず、偉そうな口調で小沢氏本人(とその熱心な信者)しか納得しないような理屈を述べています。

 

記者:体調はいかがか。

 

小沢氏:私自身の体調は良くありません。ただ、「100里の道は99里を持って半ばとすべし」という家康の遺訓がある。私も2年半前に代表に就任して以来、走り続けてきたので、だいぶくたびれているが、あと、家康流にいえばあと1里だが、あと半分というつもりで、全力で体の続く限りがんばってまいりたいと思う。

 

記者:日程キャンセルについて。(インドのシン首相との会談のような)国際的な会談を欠席することで、激務に耐えられないのではという批判が出ている。選挙にとってマイナスではないか。

 

小沢氏:総理大臣になって、首脳会談ということであれば、多少、体調が悪くても何しても欠席することはありません。私、野党ですから。総理大臣じゃないですよ。国務大臣でもないですよ。勘違いしないでくださいよ。だから私の党の代表としては幹事長がちゃんと出席していますから。私が体調が悪い代わりに幹事長がちゃんと行って会談をしていますんで、何もおかしなことはないと思います。

国民のみなさん、選挙にも、別にマスコミがなんだかんだ言うが、そういうことは選挙民のみなさんがよくよく分かっておられることだろうと思います。何でマイナスになるの? 体悪くて休ませてくれと言っているのに、何でマイナスになるの? あんたどうする? 体悪い時、それでも新聞に出ていくか。具合悪ければしょうがないでしょうがよ。

私は今、選挙、とにかく政治家である以上、選挙のことに関する約束はね、たとえ這ってでも出てこないといけないが、その、今日のこともあるし、また私は月曜もまた地方出張しなきゃけない。その意味で私の今の立場は総選挙で勝つということなので、選挙の日程を最優先の課題にして、できるかぎりみなさんのお役に立ちたいというのが今、野党党首としての役目だと思っております。》

 

 …ただねえ、これまで小沢氏の過去記事のスクラップを読み返してきて改めて感じたことは、この人は本当に何度も入院や療養を繰り返しているということです。いつか表にでもしてまとめようかとも考えていますが、本気で大丈夫か?と思いたくなります。以前もどこかで書いたと思いますが、小沢氏の元秘書の一人は、小沢氏が政治資金で都心にあれだけたくさんのマンションなどを買っている理由について、「先生は体が弱いので、いつでも必要なときにすぐ休める場所が必要だからだ。ホテルだと落ち着かないし」と語っていましたが、聞いていて内心、「どんな王侯貴族だってそんな贅沢は無理なんじゃないか」と思っていました。

 

 ちょっと余談が長くなりました。それでは、「語録」をお届けします。今回は、平成8年10月の衆院選で、小沢党首率いる新進党が解散前議席を下回る大敗を喫してから、9年11月までとなります。今回もまだ自由党時代には到達できませんでした。道は長い。

 

・平成8年11月30日朝日、新進党党首、党の両院議員総会でのあいさつ

「政権を担うとなると、外交、安全保障問題を抜きにしては考えられない。これまで『話を詰めると角が立つ』という話があったので『丸く、丸く』でやってきたが、党ができて2年が経過しており、もう、そういう議論をオープンにしていいのではないか」

 

 =では、民主党内でもきちんと議論してもらいたいですね。本当に衆院選後は政権を担うのかもしれないのだから。民主党ができて何年経つんでしたっけ…。

 

・平成9年1月21日朝日、新進党党首、宮沢喜一元首相との対談で(司会・若宮啓文氏)

「国連が信頼できないからといって、日本独自の道を歩むのは危険だ。憲法の理想に向かい、国際社会の共同作業に積極的に参加していくことが、日本にとり良い選択だと思います」

 

 =以前も書いたので繰り返しませんが、「日本独自の道を歩むのは危険だ」という言葉に、この人の日本と日本人に対する不信感が表れているように思います。

 

・平成9年2月27日産経、新進党党首、7時間にも及ぶ党両院議員総会で、オレンジ共済からの党岩手県連への献金問題に関連し、辞任要求をされて

「オレンジでも何でも、カネでももらっていりゃあみんなに言われなくてもすぐに辞めます。何のやましいこともない。私が党首にふさわしくないという人は12月に向けて党首選の準備をすればいい」

 

 =当時、オレンジ共済事件に関連して、新進党からの離党者が次々に出ていましたね。今となっては、そんなこともあったなあ、という感じですが。

 

・平成9年3月6日産経、新進党党首、記者会見で評論家の江藤淳氏から産経紙面で議員辞職して故郷に帰り、捲土重来を期せと叱咤されたことについて

「江藤先生は今日の政治的な状況、風潮を嘆き、その前提に立ちながら、私に試練を作り、紙面を通じて忠告を与えてくれたと思う。国民のためにどうあるべきか、私自身が判断する」

 

 =泉下の江藤氏がいまの小沢氏を見たら、何と言うのでしょうね…。

 

・平成9年5月15日朝日、新進党党首、記者会見で、3日前には認めていた自民党の森喜朗総務会長との会談を否定して

「森さんとはお会いしていません。たまたま同じ時間帯に(ロンドンに)滞在していただけです。(会談の情報は)間接的なものでしょ。私は本人だから」

 

 =この会談については、森氏は認めていたし、小沢氏自身も12日の党5役会議では「森氏から会おうと言われたから断る理由もないし、真剣な政策論議なら、ということで応じた」と説明していたのです。全く、いい加減というか、人を小馬鹿にしているというか。

 

・平成9年6月28日産経、新進党党首、名古屋市で開かれたパーティーであいさつし、支持労組の服部光朗友愛会会長らとの会合をすっぽかしたとの報道を批判し

「私は、今まで正当な理由なくして人様と交わした約束を反故にしたことはない。報道は全く事実無根だ」

 

 =ドタキャンの多さでは政界一かもしれないこの人ですが、本人の意識の中ではすべて正当化されているということでしょうね。

 

・平成9年7月23日産経、新進党党首、千葉県で開かれたゴルフ大会で前半、成績が振るわず、記者団を前に一言

「そろそろ引退しようかな」

 

 =すればよかったのに。

 

・平成9年9月2日産経、新進党党首、江藤淳氏との対談で

「今の政権(橋本政権)を構成している主要な人たちは、社民党と一緒になっている。ということは、理念とか、イデオロギーとか、哲学とか、そういうものは関係ないわけですね。(中略)社会党と一緒になることによって、55年体制の延長なんですけど、多少なりとも持っていた保守のその部分までおかしくなっちゃっている気がする」

 

 =いや、別にいいですけど、それってブーメランになってるような。

 

「(『この人』と思う政治家を聞かれて)やっぱり僕は大久保利通さんです。あれだけ憎まれても、あれだけやるというのは…」

 

 =この小沢語録シリーズでも紹介した通り、小沢氏は以前は好きな人物として西郷隆盛を挙げていましたね。心境の変化か、状況の変化がそうさせたのか。

 

・平成9年9月5日朝日、新進党党首、ゼンセン同盟定期大会でのあいさつ

「いちいち日常のことについて、ぐじゅぐじゅ文句を言われていては、ろくな政治家になるはずがない。私は政治行動の決断について後援会に相談したことはない。みなさんが国政に適任だと思って出した以上、カネと票は出すけれど、『あとはお前の見識でやれ』っと。こうでなくちゃんらない」

 

 =カネと票は出しても口は出すな、というわけですね。明快なものです。

 

・平成9年11月6日読売、新進党党首、記者会見で

「私は毎日反省している。朝起きるたびに反省している。全力で一生懸命やってきたが(昨年の)総選挙で第1党になれなかったのは、私の力が及ばないところがあるんだろうという意味で反省している。どうしてマスコミに嫌われるのだろうか、という反省もしている」

 

 =読売は記事を、「記者団からは『どこまで本心からの発言なのか』との声も――」と締めくくっています。まあ、反省だけなら○○でもできるわけですしね。

 

 …ふう。次は「その6」ですね。現在に追いつくまで、まだあと10年以上もありますね。いやはや、なんとも、はてさて、どうしたものか。

 

 

 産経を含め、あまり新聞記事にはなっていないようですが、個人的には重要だと思うのでここで取り上げますが、関西経済同友会の安全保障委員会(委員長・岡野幸義ダイキン工業社長)が20日、「『続』新世紀の日本の安全保障を考える」という興味深い提言を発表しています。関西経済同友会は、中国の圧力に屈して小泉元首相の靖国神社参拝に反対した東京の経済同友会と異なり、「見識」を示していますね。なぜだか理由は分かりませんが、たいしたものだと思います。

 

 さて、その提言の中で私が関心を持ったのは、集団的自衛権に関する部分です。提言には、「集団的自衛権の政府解釈の変更についての議論を活発に行うべき」とした上で、①今年6月24日の安保法制懇の報告書が今後の安全保障論議(※集団的自衛権の行使を認めるよう提言)の参考にされることを期待する②北朝鮮の核・ミサイルの脅威こそが集団的自衛権の政府解釈の変更を急ぐ最たる理由。集団的自衛権の政府解釈の変更は、現実論から引き戻して考え、国民にわかりやすく説明すべき――の2点を求めています。

 

 面白いのは、この種の提言にしては珍しく、書き手のナマの心情と見方があらわに記されていることです。例えば、①については、次のように説明してあります。

 

 《安保法制懇は、安倍元首相の肝いりで発足し、集団的自衛権の行使に関わる4類型について非常に前向きな議論を行ってきた。福田前首相の下では休会状態となり、なかなか最終報告書が出されないことに我々は苛立ちを感じていたが、6月24日、集団的自衛権についての政府解釈の変更を求める報告書が提出されたことには溜飲が下がる思いがした。

ただ、福田前首相は、報告書の内容について全く関心を示さず、事実上、お蔵入りの状況にあったが、麻生首相は、「集団的自衛権の政府解釈を基本的には変えるべき」と発言しており、報告書が今後の安全保障論議の参考にされることを期待したい。》

 

 …福田氏のこの問題を含む安全保障問題への関心と認識の低さについては、私も紙面でもこのブログでも何度も指摘してきたのでもう繰り返しませんが、関西経済同友会からこういう言葉が飛び出すとはけっこう愉快でした。集団的自衛権をめぐる麻生発言に関しては、私も10月4日のSANKEI EXPRESS「麻生政権考 集団的自衛権に踏み込む」などでその重要性と、現在の政府解釈(行使の禁止)が戦後一貫して継続してきたものではなく、岸内閣のときには「制限行使論」だったことなどを書きましたが、もっと議論されてしかるべきだと考えています。日本が対米関係でもっと対等な立場を占め、その政策決定にもっときちんとした影響力を持つためにも。

 

 また、この問題に関する福田氏の無理解とでたらめな言動については、現在発売中の月刊正論11月号に書いた「『生体反応なし』福田政権とは何であったのか」の中でもある程度詳しく触れてあります。…この文は露骨な宣伝ですが、今年冬のボーナスがかなり減りそうな見通しなので、形振り構わず社の営業活動に協力している次第です。すいません。

 

 ともあれ、麻生首相が9月の国連総会出席時に集団的自衛権見直しに言及して以降、内閣法制局が官房長官や官房副長官ら、政府・与党の要人を必死に回って、「解釈変更はダメ」だと刷り込み、根回ししているとの話を複数の人から聞いています。彼らは、安倍政権のときにはいったん安倍氏に解釈変更を了承させられそうになったのですが、その後の福田政権で一安心していたところ、麻生政権になってまた慌てだしたということのようです。私はこのブログその他でたびたび民主党の小沢一郎代表を批判したり、疑問視したりしてきましたが、彼の主張の中で「内閣法制局に過剰な権限を持たせすぎだ。衆院法制局があるんだから、内閣に法制局なんていらない」と言っている部分は頷けます。まあ、この問題に関する小沢氏の発言はぶれまくりで信用できませんが。

 

 余談ですが、それではなぜ、法制局はこれだけ必死に政府解釈の変更は認めまいとして運動しているのかというと、私が見るところ、実にくだらない理由に思えます。内閣法制局とは、各省庁にいる国家公務員の中から、司法試験にも通っていた人間を集めたような場所ですが、当然、それは役人にとっては確保すべき大事な「ポスト」なわけですね。そしてまた、歴代長官OBの影響が強いところだとも言われています。

 

つまり、現在の法制局員が仮にときの首相の指示で政府解釈を変えようした場合、どこかに天下っているOBたちが「かつてのオレの国会答弁を変え、恥をかかせる気か」とねじ込んでくるような構造があり、当然、職員たちはときの官邸よりも、将来の自分たちの天下り先を保証してくれる諸先輩方の言い分に耳を傾けるというわけです。実際、豪華に法制局長官官舎の使途は、「歴代長官の懇親会ぐらい」という話も聞いたことがあります。話半分だとしても、何だかなあという話です。

 

 そういうわけで、安倍氏が首相に就任して集団的自衛権の政府解釈を見直そうとした際には、「長官だけでなく、何人もの職員が辞めかねない状況だった」と言います。もしそういう事態になると、残念ながら現在のシステムでは政府提案の法案づくりにも支障が出ますし、第一、野党や与党内の反安倍勢力から「役人も使いこなせず、混乱を招いた」などと格好の攻撃材料とされたことでしょう。というわけで、迂遠なようでも解釈変更で法制局を押さえつけ、言うことをきかせる道筋をつけるため、手続きとして有識者からなる「安保法制懇」をつくり、その提言を受けて解釈変更を実行に移そうと安倍氏は考えていたのだろうと思います。

 

 一方、福田氏はこの安保法制懇の提言を受け取ること自体にも抵抗したと言いますが、今年6月にいやいやながらも受け取ることは受け取りました。それでも福田氏は報告を無視するつもりだったのでしょうが、麻生首相は報告書を重視する旨の発言をしていますから、期待したいところです。まあ、いつになるのか分からなくなってきた衆院選後も麻生政権が続けばの話ですが。小沢政権になれば、政権を担う政党が違うのだから、政策を引き継がなくても誰も文句は言わないでしょうしね。

 

 話が拡散しましたが、せっかくだから関西経済同友会提言の②の説明も紹介しておきます。以下の内容です。

 

 《数々のミサイル発射、核実験によって、北朝鮮の脅威が増していることは紛れもない事実である。また、今回の米国による北朝鮮へのテロ支援国家指定解除が今後北朝鮮問題にどのような影響を及ぼすのか予断を許さない状況にある。そういう意味では、現在日米で整備中のミサイル防衛網が、いかに効果的に運用されるかが、今後の日米同盟にとって死活的に重要な意味を持ってくる。

もし仮に米国に向かう蓋然性が非常に高いミサイルを日本がレーダーで感知し、それが公海上あるいは日本の領海内で迎撃できるにも関わらず、それを憲法で禁じられている集団的自衛権の行使に当たるとして、迎撃しなかったとしたら、日米同盟は危機に瀕すると言っていい。

日本の安全保障の基軸は日米同盟にある。その日米同盟に対し、重大なチャレンジがあった時に、同盟を有効に機能させることこそが日本の国益に適う。集団的自衛権の政府解釈の変更の議論は、そういった現実論をベースに行い、国民にわかりやすく説明すべきである。》

 

 …まあ、私もできることならば日本は自主防衛の道をもっと探るべきだと考えていますが、仮にそれを今志して準備を始めても、法改正も装備見直しも全部必要になり、実際にそれができるのは何十年も先のことでしょう。当面、気にくわないことや不安な点がいくらあろうとなかろうと、日米同盟が日本の安全保障の基軸というのは否定しようのない事実だと思います。また、ミサイル防衛に関しては、その効果を疑う見方も提起されていますが、これについては石破農水相が防衛庁長官だったときに、聞いてみたことがあります。

 

 石破氏は、「あらゆる可能性を考えに考え、検討に検討を重ねてこれしかないという結論に達した」と言っていました。実際、ドクター中松が「発明」した敵ミサイルがUターンするという「ドクター中松ディフェンス(DND)」まで、防衛庁の技術研究本部で検討させたということでした。石破氏については評価はいろいろでしょうが、少なくとも、安全保障に関する知見はたいしたものだと思っています。その彼がこれが一番、合理性があると判断したものがミサイル防衛システムだということは、一定の信を置くしかないと考えている次第です。

 

 

 現在、産経新聞は、韓国による長崎県の離島、対馬への侵食ぶりをルポした「対馬が危ない」という大型記事を連載しています。私の苗字ももともと対馬のもので、子供のころに何度か博多港からフェリーに乗って渡り、海水がどこまでも透き通った磯や小島で遊んだことが、今も楽しい記憶として残っている場所なので、とても気になるところです。この問題について政府は、過去の質問趣意書に対する答弁書で、韓国内で流布されている「対馬は韓国の領土」などの言説に対しては「『言説』に関連する状況を引き続き注視していく」と一応は指摘していますが、とりあえず静観するしかないという状況のようです。

 

 私も、07420日のエントリ「国境の島・対馬と西村慎吾氏へのミニ・インタビュー」で対馬の現状について触れたことはありますが、韓国には本当に困ったものです。で、対馬について考えているうちに連想したというか、飛躍するのですが、話は島根県竹島の問題へと変わります。私は3年半ちょっと前に、韓国の『NEXT』という雑誌に竹島問題について書く機会がありました。最初は弊紙のソウル支局に依頼があったそうですが、その下請けがなぜか私のところに来て、「いくらか原稿料も出るらしいよ」と言われたので執筆を引き受けたものです(もちろん日本語で)

 

     

 

 後に掲載誌はちゃんと郵送されてきましたが、すべてハングルなので、私にはいまだにどれが自分の記事なのか、果たして正確に訳してくれたのかもさっぱりわかりません。原稿料は確か2万円ちょっとでしたが、銀行から電話がかかってきて「外国から送金があったがどういう性質のものか」と聞かれたのが印象的でした。まあ、そんなこんなで、本日はそのときの原稿を紹介します。韓国人読者向けに、ちょっとだけソフトに書いたつもりですが、どうかな。

 

■仮題 竹島領有権をめぐる日本側の主張

 

 日本の47都道府県の一つ、島根県議会が2月下旬に「竹島の日」制定条例案を提出したことに対し、韓国で激烈な反発が起き、さまざまな抗議行動が続いていることが日本でも報じられている。潘基文外交通商相の来日延期やソウルの日本大使館周辺での抗議デモ、韓国国会における「韓日友情年」の行事再検討決議案の採択、島根県と姉妹提携している慶尚北道による派遣職員の引き上げ…などのニュースは、日本のテレビや新聞でも連日のように目にするが、実のところ、日本国内での関心はそれほど高くない。韓国では歴史教科書問題など何かことあるごとに「日本の急激な右翼化の表れ」「軍国主義的妄動」といった報道が相次ぐようだが、日本人は韓国人が思っている以上に、敗戦後遺症とその後の連合国軍総司令部(GHQ)による「日本イコール悪」とする洗脳政策にどっぷり漬かっており、国際社会で自己主張ができない心理状態が続いている。そのため、領土や主権といった国家的問題からは反射的に身を引いてしまう傾向がある。

 韓国では独島と呼ばれ、「独島はわが土地」という流行歌まである竹島について、日本人の多くはどこにあるかも知らないのが本当のところだ。日本では数種類発行されている中学公民教科書(日本の教科書は国定ではない)のうち、竹島問題に触れているのは1社だけ。一方で、日本でどんどん増えている韓国料理店なは「韓流ドラマ」の影響で韓国俳優・女優のポスターが張られ、ビデオショップには韓国コーナーが特設されて人気を集めている。竹島問題をきっかけにした反韓国ムードなどかけらも感じられない。国民が一丸となって日本非難を展開し、熱くなれる韓国人がうらやましいぐらいだ(正直なところ、少々大人気ない反応だとも思うが…)

 ただ、そうした領土問題に冷淡な日本の現状と、竹島が日韓のどちらに属するのが論理的に正しいかは当然のことながら別の次元の話だ。これから日本側の主張を記すが、読者諸兄には最初から「妄言」と決め付けず、ぜひ冷静に呼んで判断してもらいたい。筆者は特に竹島問題の専門家というわけではないが、この文を通じて日本側の言い分が決して「侵略的」でも「無理難題」でもないことを少しでも理解していただければ幸いである。

 竹島について日本政府の立場は「歴史的事実に照らしても、かつ国際法上も明らかにわが国領土。韓国による竹島の占拠は、国際法上何ら根拠がないまま行われている不法占拠で、韓国側からは、韓国が同島を実効的に支配してきたことを示す明確な根拠は提示されていない」というものだ。ここから問題の論点となることとしては、主に「歴史的な事実関係とはどういうものか」「1905年の日本による竹島の島根県編入の国際法上の正当性」「戦後処理の過程で日本が放棄した『朝鮮』に竹島が含まれるか」「韓国によるいわゆる『李承晩ライン』設定と、日韓基本条約締結時に取り決めた問題解決のための約束が履行されていないこと」--4点が挙げられよう。

 まず、歴史事実については、元島根県職員の故田村清三郎氏が半世紀以上前の1954年に発刊した著書『島根県竹島の新研究』が古文書や古地図に照らして詳しく検証しており、日本の竹島研究の先駆けとなっているので紹介したい。

 それによると、竹島は江戸時代初期(17世紀初頭)かそれ以前に発見され、当時、日本ではこれを「松島」と呼び、江戸時代を通じて鬱陵島のことを「竹島」と呼んでいた。「松島(竹島)」は日本側から「竹島(鬱陵島)」へ渡る際の中継地などに利用されていた事実が多数の文献資料から証明され、米子(現在の鳥取県米子市)の大谷九右衛門の「竹島渡海由来記抜書控」などには、1618年以降、鳥取・伯耆藩の大谷、村川両氏が徳川幕府から両島を拝領・経営していたことが記録されている。

 一方、韓国側の論拠は、19539月の韓国政府声明などによると①新羅時代の于山国を編入したとする文献があること。竹島は于山国の一部②李王朝の世宗編纂の世宗実録にある于山島(独島)の記述③『東国輿地勝覧』によれば、独島は李朝の初めから三峯島と呼ばれていた④粛宗実録によれば1696年、韓国人の安龍福ら一行が鬱陵島に渡り、日本船が近づかないよう厳重に警告した⑤1923年発行の島根県誌によると、中井養三郎という日本人は、独島が韓国領と信じ、韓国政府から島の賃下許可を得るため農商務省に請願を行ったなどだ。

 田村氏はこれらの一つひとつに反論している。紙数の限度があるので大幅に端折らざるをえないが、例えば、①~③については「竹島は于山島あるいは三峯島と呼称されたというが、于山は鬱陵島の別名にほかならない」「『三国史記』『東国輿地勝覧』『芝峯類説』その他いずれも新羅の(第23代国王)智証王のとき于山国を征服し、于山国が鬱陵島であることを明記している。また、『東国輿地勝覧』は一個の鬱陵島を于山、鬱陵の2島に誤るほどでたらめである」「三峯島とは、鬱陵島自体の別称にすぎず、三峯島には多くの人間が居住していたことを記録している(竹島は面積わずか0.23平方キロの岩石島で飲料水も乏しく、人が常駐するのには適さない)」など。

 また、④に対しては「事件は鬱陵島(の領有権)に関する紛争であり、日本側が放棄したのは鬱陵島」、⑤に関しては「中井養三郎は独島を朝鮮領土と信じた云々は、根拠のない後人の記述であり、韓国から借りるよう請願した事実はなく、中井が内務、外務、農商務の3大臣に提出した付属説明書も、竹島を古くから日本人が認知し、経営してきた事実を述べている」と説明している。

 村田氏の指摘にさらに付け加えれば、李朝は島民が倭寇を装って朝鮮半島で略奪行為を行うのを防ぐため、1438年から鬱陵島で「空島政策」をとっており、以後1881年まで朝鮮政府により事実上、放棄の地とされていた。竹島の約300倍の面積がある鬱陵島ですら、長年にわたって無人島となっていたのであり、いわんや竹島においておやである。韓国の高校歴史教科書には、「鬱陵島と独島は、三国時代以来わが国の領土だった」と、まるで韓国が千数百年にわたって竹島を実効支配していたかのように書いてあるようだが、かなり無理があるのではないか。むしろ、竹島の認知に関しても、統治実績についても日本に連続性があるのは明らかだ。

 韓国の教科書には「安龍福が日本の漁民たちを鬱陵島から追い出し、日本まで渡って行って、鬱陵島が朝鮮の領土であることを確認させたこともあった」との記述もある。しかし、実際には安龍福ともう一人の漁師が海禁時代に鬱陵島に渡って日本人漁師に捕まって取り調べを受け、対朝鮮外交の窓口だった対馬藩を通じて朝鮮に送還されたというのが事実である。安は後に海禁を犯した密航者として李朝の役人に取り調べを受けるが、その中で「日本で関白(将軍?)から鬱陵島と于山島が朝鮮領であるとの書付をもらったが対馬藩に奪われた」「鳥取藩主と対座した」などと供述しているが、当然、そんな記録は日本側には一切ない。でたらめだからである。

 ところが、何ら信憑性のないどころか、「関白から書付」などと日本人からみるとあり得ず、全く不可解な安龍福の〝与太話〟が李朝の公式記録である粛宗実録に記載され、さらに英祖編纂の『東国文献備考』で引用され、現在の韓国政府の「于山島イコール竹島説」に受け継がれた。しかし、韓国の韓南大講師、仁川大客員教授などの経験もあり、竹島問題に詳しい下条正男拓殖大教授は「于山島が松島(現在の竹島)だとする根拠はもともと安の証言しかないが、それは嘘だ。韓国側の主張には明らかな文献解釈の誤りがある。それにもかかわらず、韓国側は自国の主張に全く疑いを持っていない」と指摘している。

 次に、竹島の島根県編入の国際法上の正当性について考えてみたい。きっかけは、前述の中井養三郎という人物が、アシカ漁の独占をもくろみ、竹島の貸し下げを受けようとした際、日本のどの県に所属しているのかが未定であることを知り、政府に「領土編入及び貸し下げ願い」を提出したことによる。

 これを受けて日本政府は他国の占領形跡のないことを確かめた上で19051月に閣議決定、2月に島根県告示を行い、もともと実行支配していた竹島について近代国家として領有の意思を明らかにした。今回問題となっている島根県条例案の「竹島の日」は、県告示があった222日である。編入は、無主の地に対する領域取得の「先占」という国際法の原則に従って行われ、当時の大韓帝国政府から抗議などはなかった。ここでいう「先占」とは、仮に韓国側が竹島を日本人より先に発見していたとしても、領土と認定されるためには国旗を立てたり、国家の行政事務や法令の対象としたりするなどの要件を満たす必要があるということを指している。

 韓国側には、一部で当時の大韓帝国政府は日本に外交権を奪われていたという主張もあるようだが、これは事実誤認である。日本が韓国の外交権を管轄するのは竹島編入の9ヵ月後、190511月の第2次日韓協約のあとからだからだ。下条教授によると、韓国の中学歴史教科書は日本による竹島編入について「独島を不法に奪った」「一方的にその領土に編入してしまった」などと記しているというが、この認識そのものが間違っている。

 第3の論点として、日本が戦後、果たして竹島を放棄したのかという問題がある。韓国政府は194661日のGHQの「若干の外郭地域を政治上行政上日本から分離することに関する覚書」(SCAPIN677)によって、日本の行政範囲から鬱陵島、済州島に加えて竹島も分離されたことから、連合国が日本が占拠していた小島を領土から外した、と主張する。しかし、覚書の第6項には「この指令中の条項はいずれも、ポツダム宣言の第8条にある小島嶼の最終的決定に関する連合国の政策を示すものと解釈してはならない」とあり、領土の変更とは無関係だ。

 また、韓国は同年9月、駐米大使名で米国に独島の領有権を主張する意見書を提出したが、米側の正式回答は「独島または竹島は、朝鮮の一部として取り扱われたことが決してない」というものだった。さらに1951年のサンフランシスコ平和条約では、日本が放棄する朝鮮の領域は「済州島、巨文島及び鬱陵島を含む朝鮮」と規定され、竹島は含まれていない。

 最後の第4の論点に関しては、竹島問題が日韓両国間の紛争となったのは、19521月の李大統領の一方的な海洋主権宣言により、朝鮮半島の周囲に広大な水域を含む「李ライン」が設定され、その中に竹島が入れられたことに始まる。これは日本では、国際法上の慣行を無視して公海上に勝手に線引きし、漁業規制を行った行為だと認識されている。事実、日本だけでなく米国、英国、中華民国も抗議を行った。ところが、韓国は翌53年には竹島に近づく日本の海上保安庁の巡視船に砲撃を浴びせ、日本政府の「平和主義路線」に付け入る形で54年には警備隊を常駐させるようになった。

 1965年の日韓国交正常化の際には、韓国による竹島占領を問題とする日本側の要求により、両国外相間で「紛争の解決に関する交換公文」が取り交わされた。そこでは「両国間の紛争は、まず、外交上の経路を通じて解決するものとし、これにより解決することができなかった場合は両国政府が合意する手続きに従い、調停によって解決を図るものとする」との合意が確認されている。

 ところが、その後の韓国は「独島は韓国固有の領土であって同島の領有権の問題は韓日間の紛争の対象たり得ない」と主張して外交交渉にも応じていない。日本側は国際司法裁判所に提訴し、そこでの問題決着を求めるとの提案もしたが、「国際法廷に提訴するという日本側提案は全く非常識である」と拒否している。この点について、帝京平成大教授で元内閣府副大臣の米田建三氏は「韓国が領有権に自信があるなら国際司法裁の判断を仰げばいい。韓国が提訴に応じないのは、勝てないと分かっているからだろう」とみる。この提訴提案については、韓国ではあまり知られていないようだが、こうした経緯を知る日本人の多くも「韓国は自信がないのだろう」と受け止めている。

 竹島問題について、島根県松江市に住む田村氏の未亡人で詩人の、田村のり子さん(75)はいま、次のように語る。

 「韓国としては、日本による竹島編入はちょうど日本に併合された時期と重なっているし、穏やかな気分になれないのは分かるけど、地方自治体や民間による交流や職員の相互派遣などは領土問題とは別だと考えられないか。島根県民は日韓の相互交流を壊すようなことは望んでいない」

 この言葉は、日本人の偽らざる率直な気持ちを代表していると思う。盧武鉉大統領も「歴史問題を外交問題化しない」と表明している。竹島は日本領土だとする日本側の主張はあくまで間違いで韓国側が正しいというなら、外交通商相の来日延期や抗議デモなどの「実力行使」ではなく、論理的な言論によって冷静に日本人を説得すればいいのではないだろうか。一方の日本政府はといえば、島根県による「竹島の日」制定の動きが分かった2月中旬には、町村信孝外相が細田博之官房長官に「とりたてて今やる必要があるだろうか」と述べて県議会側の自粛を暗に促した。32日には、外務省が島根県と県議会にあてて、条例案の制定の動きが浮上した後に韓国内で起きた抗議活動などを列挙した文書を送付するなど、竹島問題を知る日本国民からすれば物足りないほど自制的に対応していることを知ってほしい。

 最後に日本の一記者の立場で感想を述べれば、韓国は何かというと、日本に「正しい歴史認識を持て」と自身を高みにおいて迫ってくるが、事実関係の検証、資料批判を抜きに「常にわれわれは絶対的な正義である」と言っているように感じることが多い。国と国の関係でも個人と個人の関係でも、片一方だけが常に法的にも道徳的にも正しくて相手は間違っているなんてことは、あり得ないように思うのだが。()

 

 …外国の雑誌に何か書いたのはこれっきりですし、このまま掲載されたかどうかも分からないので、果たしてどんな反応があったのか、反応なんてなかったのかも承知していませんが、まあ、こんなこともあったな、というお話でした。領土問題で熱くなれる韓国がうらやましいと感じているのは本当です。

 

 今朝、いつものように新聞各紙をチェックしていたところ、森喜朗元首相が20日に名古屋市で行った講演に関する記事が目につきました。この講演については、産経、毎日、読売、朝日の4紙が取り上げていて、日経と東京には載っていませんでした。私が興味を覚えた部分は森氏の日教組批判に関してなのですが、この点は産経と毎日は書いているものの、読売と朝日は言及していません。中山前国土交通相の日教組批判には過敏に反応しても、現在、役職についていない人の発言は無視、黙殺という、マスコミの不思議な慣習の表れですが、私はそれは何だか変だなあと思っています。

 

 ちなみに、毎日は「自民党では、中山成彬衆院議員が同様の日教組批判などで失言し、国土交通相を辞任している」と書いていますが、中山氏の他の発言はともかく、日教組に関する批判は失言ではなく、正当なものだったと考えます。この書き方は、意図しているかしていないかは分かりませんが、中山発言にレッテルを貼り、矮小化するもので、いかがなものかと思います。余談ですが、昨夜、会食した外務省の中堅官僚も「中山さんの発言の一体どこが問題なのですか」と話していました。

 

 さてそこで、森氏が自民党の愛知県連主催の時局講演会で語った発言について、現地で取材した加納記者のメモで確かめると、日教組関連部分だけでなく、小沢一郎論も大連立話も全体に面白く、このまま埋もれさせるのはもったいないので紹介します。森氏については、「もういいかげんにしてほしい」と困らされることも少なくなく、これまで批判もしてきましたが、やはり話は実に面白い。インタビューに行ったときなど、話が本題からずれて雑談になると、この人は本当に「座談の名手」だなあと感じさせられる人です。それでは、加納記者が仕分けしたテーマごとにどうぞ。

 

【小沢一郎論】

 細田さん(自民党幹事長)は「麻生内閣に小沢さんと行動をともにした人は3人。自民党で行動をともにした人は16人以上いる」と言った。そして、今、小沢さんが党首をしている民主党にはわずか5、6人しかいないと言った。小沢さんと行動をともにした人はなぜか帰ってくる。小沢さんと行動をともにしたくない。

 今でもぶつぶついいながら付いているのが5、6人いる。羽田さん、渡部さん、私の同期生です。石井一、山岡もそうだ。なぜか全部マルチに関与していますけどね。小沢さんには人間的に色々癖がある。「一緒にやってられねえよ、この人とは」と言って帰ってきた人がこれだけいるということ。今の民主党の皆さんは心から尊敬して付いていったのか。そうではないと思う。鳩山さんも菅さんもきっと「どうせ小沢はそう長くないだろう。体も強くないし、そしたらきっと俺のところに後釜が来る」と思っている

 思い出すのだが、この米国の国際金融がこういう状況になる前の話。住専が潰れ日本の銀行がバタバタとおかしくなった。銀行は残したが名前を変えた。東海銀行は潰れるなんて思っていなかったでしょう。りそなか、大阪の三和かなんかと一緒になって。あおぞら、スターとか、東京三菱UFJとかお年寄りを排除するような難しい銀行でしょう。厳しくやって公的資金を入れた。マスコミは毎日、政府批判だ。潰れかかった銀行に税金入れるとは何事だとか、朝日も毎日も書いていた。昨日、(橋下)大阪府知事が「朝日はけしからん」といったのはよく言ったと思うよ。それを米国がやるとなったら、「なぜ日本に学ばないんだ。早く米政府は資本注入やりなさい」と、よく社説にあんなことを書けるねと思うね。

 あの時に、私は幹事長をしていて小沢さんにも羽田さんにも菅さんにも鳩山さんにもお百度参りをした。「こういう問題は政局はやめようやな」とお願いに回ったが、「いいよ。なら解散約束するか? 小渕内閣のクビ出すか」。結局、今やっていることと同じ。やるなら解散しろでしょ。こういう難しい問題を必ず政局にするやり方は小沢的手法だろうが、昔から全然変わっていない。この間の国会(通常国会)はすべて審議しない、拒否でしょう。かつて座り込み専門の社会党でもやらなかった。日銀総裁を議決させない。まさに、議会制民主主義があるのかなと思うようなことを平気でやる。こういう政党、党首に従っている幹部だと考えてもらいたい。

 しかし、あのときは公明党の判断で助かった。当時は野党だったが、草川さんが中に入ってくれて、神崎さんや冬柴幹事長と我々との仲を取り持っていただいた。公明党が賛成をするという立場でどうやら難局を切り抜けた。神様仏様神崎様、神様仏様冬柴様といいましたよ、公明党に行って。それくらい賢明な判断をしてくださった。それが結果として自公の協力態勢になった。世の中に「一度民主党にやらせてもええじゃないか」、財源がないが、20兆出せるんですかと言っても「やらせてみなければ分からないじゃないか」という声が何となく巷にもあるし、朝からみのもんたから最後の古舘なんとかまで自民党をコテンパンに叩くことで稼いでいる。いっぺん民主党にやらせてみるかあ、そうでもいいわなあという空気が出るのが一番怖い

 

【大連立】

 もう少し大事なことは、小沢さんと福田さんの大連立を(お膳立て)したのは私。ある偉い人(ナベツネ)がやったんだが、マスコミの方なので両方と話せるということで私がやった。小沢さんから持ちかけた。税の問題や福祉の問題、良い案を作り上げていこうよという新しい議会制をやろうよと、ドイツでもやっているし、米国でもやる。福田さんにそうしなさい、そういう時代なんだろうということでやって、小沢さんが(民主党に)持ち帰ったら「駄目」と。会社でもままあるが、政党同士でこんな無様な情けないことを小沢さんはやった。「俺はやめる」と言って、辞めればいいのに、みんなが辞めるなという。合併、連立を出さない約束ならいいと言って残っている。これもおかしな話だ。こんな政党なんです、民主党なんていうのは。いっぺん、民主党にやらせたらどうかという声があるが、こういう結果しか出なかったのはあの時をみりゃいいじゃないですか。

細川内閣を作ったのも小沢さんでしょう。8党が一緒になって、細川内閣を作った。どれだけ持ちましたか。安倍君がどうだとか、福田君がどうだとか、辞めたのはけしからんとか言っているが、自分のときはどうだったんだっていうんだ。細川は8カ月かな、羽田君が引き受けて60日? 人のことを言えたあれではないでしょう。その中枢にいたのが鳩山であり菅だったんでしょ。その連中が今でも残っている。なんとか飴ではないが、どこ切っても顔が出てくるあれ、民主党はどこを切ったって鳩山、菅、小沢しか出てこない

(細川政権が)何で8カ月で倒れたか。小沢さんが権力を振るったんでしょ。国民福祉税。公明党にも社会党にも相談しないで夜中に記者会見をやった。それでみんな大騒ぎになった。

今のインド洋の給油作戦、給水作戦なんて小さなもので、米国に言いなりになって30兆だかの米国向けの公共事業をやるといって約束してきたのも小沢さんじゃないですか。その結果が日本の財政の硬直化になったんでしょ。バブルになっていくんでしょ。民主党に一度やらせてみたらいいというが、当時のことをからっとみんな忘れている。

 

【日教組、官公労批判】

 あの政党でまとまって、ものがやれるはずがない。一番大事なことを言えば教育がそうでしょう。まだ日教組にへいへいしているんでしょ、あの政党は。道徳教育反対、粉砕。可哀想に中山さんが本当のこといったら、マスコミで寄ってたかってつぶしちゃったけど、言った中山君も考えなければならなかった面もないこともないが、文部(科学)大臣をやっているから彼はよく分かっているんですよ。日教組は加盟者が少なくなったとはいうけれども、根っ子にはかつて社会主義の世の中を作ろうと思った連中がまだいっぱいいるんですよ。その連中に子どもを任せられますか? 国旗はいけません、国歌はいけません、道徳教育を受けてません、そんなことを思っている輩が教育界にいて、可哀想な子供たちの教育をしている。親を殺す、子供を殺す、何にも恥部だと思わなければそう珍しくもないような世の中になったのはなぜか。戦後の日教組教育の大きな過ちでしょ。過ちを過ちと認めていない教組の諸君たちが、民主党の支持団体ではないか。

 民主党のマニフェストに、公務員の給与を2割下げると書いてある。本当に下げるのか。この間、前の町村官房長官が人事院総裁と人勧改正の話をするときに、今年はこういう状況だから値上げを待とうという話をしたニュースが伝わっただけで、民主党の政策審議会長の直嶋さんが来て、町村さんに「人勧を遵守しなければならない。何を言うんだ」と抗議を申し入れてきた。どうやってマニフェストの公務員給与を下げることができるのか。こういう政党だということを、どうぞ、世の中に間違った情報が流れて「一回はやらせてみたらどうか」「自民が目を覚ますかもね」ということを試しにやったら大変な混乱した世の中になる。なぜなら、最後まで今でも親方・日の丸でやっているのが日教組と教組と公務員でしょ。そういう皆さんが今の連合の主力だ。そして、民間の正しい労組をうまく立てながら背景にいるのがこの連中だ。まだ目が覚めないのかなと思う。そういう支持団体に支えられた民主党なんだよということを、皆様方で賢明な判断をして我が党へのご支援を。(了)

 

 …森氏は、日本社会に蔓延してきた感のある「民主党にいっぺんやらせてみよう」「とにかく自民党はもういいよ」という声を必死に牽制していますが、それだけ危機感があるのでしょうね。実際、最近の各社の世論調査を見ても、麻生首相と小沢氏のどちらが首相にふさわしいかという問いでは、麻生氏がダブルスコアで勝っているのに、「次の衆院選でどちらの政党に勝ってほしいか」については民主党と答える人が多いようです。自民党もよほど嫌われたものですが、非自民の受け皿が民主党で果たして本当にいいのかどうか。

 

 さて、森氏は以前も日教組を批判する発言をしているので、ついでに紹介します。06年10月の産経新聞のインタビューに対するものですが、地方自治体と日教組の関係への指摘はけっこう鋭いと思います。

 

「一番の問題は知事だと思うね。知事は必ず自治労と日教組と妥協するんです。それで次の選挙で応援させる。そうすればよほど失政がない限り、2期、3期はやれる。さらに4期、5期。地方議会も知事の子分に成り下がっている。だから日教組、自治労を壊滅できるかどうかということが次の参院選の争点だろうね。どう決別できるか。民主党にはできないんだから、自民党はそれを争点にすべきだと思うよ」

 

 首相経験者の日教組に関する発言では、中曽根元首相も1997年2月に「今、日本の指導層になっている50歳から60歳の人たちは戦後の日教組の教育を受けた画一製品で個性がない」と述べています。中曽根氏はまた、98年12月には加藤紘一氏らについて、「戦争中の勤労動員で基礎学力が乏しかったり、(青年期は)日教組がいちばん鋭かったときに教育を受けた。だから考え方が安定しておらず、ジャーナリズムやマルキシズムの影響を受けすぎている」と語り、保守政治家として心もとないとの認識を示しました。

 

このほか、首相経験者ではありませんが、町村信孝前官房長官も文相時代の98年4月、「これまで、道徳教育がなおざりにされてきた。日教組が道徳教育を『亡き者』にする努力をしてきたのは事実。もっといい道徳教育をつくる努力をしていきたい」と言っていました。きょうの産経の正論欄でも、初代内閣安全保障室長の佐々淳行氏が「日教組よ、まず『自己批判』せよ」と自らの体験談を交えて書いていましたが、いまだに日教組の危険性、害毒について「知らない」人も少なくないようです。どうやったら伝わるか、理解してもらえるのか、けっこう悩んでいます。

 

 

 このところ、民主党の小沢代表の話題を取り上げることが多かったので、きょうは「原点」(?)に立ち返り、輿石東参院議員会長にかかわる問題について紹介しようと思います。まあ、ありていに言えば、家人にたまりにたまった自宅の資料整理と廃棄を命じられ、がさごそしていて出てきた、ずっと前に入手していた自民党の内部文書を、この際だから表に出したいと思っただけですが。写真にある通り、平成16年12月10日付の「山梨県下の教育会館に関する調査報告」というものです。

 

 

 

 これは、山梨県内に9つある県教育委員会所管の公益法人である教育会館が、山梨県教職員組合の政治団体、県民主教育政治連盟(県政連)の先生方が集まって輿石氏の選挙活動を展開する拠点となっているという情報について、現地に行って確かめてきた際の調査報告という位置づけで、生々しいルポとなっています。ちなみに、甲府市に所在する山梨県教育会館の目的は「教育関係者の提携の強化、教養の向上、児童生徒のための諸活動の発展」となっていて、理事長の新藤純世県議は山教組の組織内候補です。それでは以下、文書から引用します。

 

《【調査の結果報告】

1.           教育会館と輿石議員、連合との密接な関係

 上記、教育会館を訪ねたところ、いずれの会館も、県政連を表示するような立て札、看板等の類は備え付けておらず、外見的には、教育会館と県政連を直接結びつけるものは見受けられなかった。

 しかし、中巨摩では、事務室の中に、輿石氏のポスターが貼られ、東八代でも、同じく、輿石議員の顔写真が額に納められて掲示されているなど、輿石議員との非常に強い結びつきを感じた。また、教育会館の玄関入り口には、連合の小冊子が多数積まれて置いてあり、教育会館、輿石議員、連合との密接な関係は十分に窺うことができた。

 

2.           各教育会館の管理責任者は山教組支部の書記長であることを確認

 教育会館を訪問し、実際に、会館の管理責任者に会うことができたのは、中巨摩、南巨摩、西八代、南都留の4つであった。(これ以外の会館は、本人不在のため女性職員が対応。なお、会館は、基本的には、管理責任者である男性1名と女性職員1名で運営されている)

 そこで、これらの者に、率直に、『報道によれば、選挙時には、教育会館を舞台に、県政連の現職職員が出入りして、政治活動・選挙活動をしていると言われているが、そうした事実はあるのか』といった質問をぶつけてみた。すると、判を押したように、『県政連については、県本部に尋ねて下さい』との答えが返ってきた。

 続いて、『本会館の管理責任者である貴方の名前を教えていただきたい』と尋ねると、それぞれ、「(実名が書かれていますが略します)」であると答えた。

 これらの者は、〝山梨県教職員組合〟の名簿によると、例えば、T氏(現物は実名)の場合は、常任執行委員(東山支部担当)、S氏の場合は、常任執行委員(東八支部担当)と明記され、他の者も同様に記載されている。

 また、西八代のU氏からは名刺を入手することができた。名刺には、〝山梨県教職員組合常任執行委員〟、〝山教組西八代支部書記長〟、〝西八代教育協議会事務局〟という3つの肩書きが記されていた。※ちなみに、〝教育協議会〟とは、教育研究所(山教組の研究所)のことだそうである(南都留のM氏の答え)。

 そこで、本人が不在のため対応にでた女性に対しては、この名刺を用い、『ここの責任者の○○さんも、この名刺のような肩書きですか』と尋ねたところ、それぞれ皆、『はい』と認めた。

 以上により、事情通の話として報道されている『山教組は、9つの支部に分かれており、各支部に委員長と書記長がいる。そして、各支部に教育会館があり、書記長はそこに常駐しているのですが…』という話は、事実であることが確認された。

 

3.           県教育会館に〝県政連〟なし

 県政連の本部は、県選管に届け出ている収支報告書によると、甲府市丸の内3-9-10の県教育会館内にあることになっている。(中略)

 教育会館には、教組をはじめ、教育研究所、PTA協議会、教職員互助組合等々が入居しており、2階には、教職員組合の事務局がある。しかし、県政連の存在を示す、立て札、看板等の類は、会館の内外に見受けられず、郵便箱にも、それを示すスペースはなかった。

 県政連について、〝県教育会館に無償入居〟、〝選挙資金集め、山教組と連携〟、〝不透明な運営実態〟などと報道されている。

 思うに、県政連は、県選管に届けている所在地、すなわち、県教育会館内に〝ある〟とすれば、入居費の問題が生じ、〝ない〟とすれば、県選管の届出に疑義が生じるとともに、下記4で述べているように、県政連カンパの納入先がどこなのかという点で、決定的な問題となる。

 いずれにしても、県政連、山教組のこれまでの説明は、県政連と山教組の関係について疑惑をはらすものとは到底いえず、まさに、二律背反と言わざるを得ない。

 なお、東明会(輿石東とともに明日を拓く会)については、その所在地が、甲府市丸の内3-9-7とあるように、山教組本部が入居する県教育会館と、目と鼻の先の距離、およそ、10メートルぐらいの所にあることが確認できた。

 

4.           南都留教育会館責任者 M氏(山教組南都留支部書記長)との問答

 M氏との話は極めて有益だったので、Q&A形式で以下に記す。

 

Q.県政連所属の現職教員が、教育会館内において、政治活動・選挙運動をしている事実はあるのか?

 

A.承知していない。しかし、教員OBの県政連役員宛ての電話を取り次ぐことはある。

 

Q.県政連のカンパ要請に際して、現職教員がカネ集めをしているとの報道があるが、貴方は、関与しているか?

 

A.(暫く考えた後、)この支部では、現職教員が700人ぐらいいるが、そのうち、350人ぐらいの者から、カネを預かって、私が甲府の県本部(教組本部)に持って行った。

 

Q.カネの受け渡しは現金か?それとも振り込みのような場合もあるのか?

 

A.カネは現金を持っていき、振り込みはしていない。

 

Q.教組本部の誰に渡したのか?県政連の会計責任者であるT・Sさんではないのか?

 

A.Tさんではない。教組本部の会計担当の女性だ。

 

Q.「預かった」と言う以上、当然、会計担当の女性からは領収書を受け取り、預けた人に対して、その領収書は渡したのか?

 

A.領収書はもらっていない。

 

Q.領収書ももらっていないというのは、おかしいのではないか?預かった者として、それで、責任が果たせるのか?

 

A.預かった人たちの名簿を添えて、教組本部の女性担当者に渡しているので問題はない。

 

Q.残りの350人については、どのようなカンパがなされているのか?

 

A.おそらく、個々に、甲府へ持って行くケースや、私のように、誰かが預かって持っていくケースだと思う。

 

Q.ところで、貴方がカネを渡したという、山教組の女性担当者は、そのカネをどうするのか?

 

A.県政連本部に持っていく。

 

Q.県政連本部は、どこにあるのか?

 

A.知らない。

 

Q.政治団体である県政連のカンパとして預かった以上、そのカネは、政治献金であるはずだ。それを、教職員組合の女性担当者に預けた後、そのカネの行方について、あなたが「知らない」というのは通らないのではないか?

 

A.教組本部の女性担当者が、県政連に納入しているものと信頼している。

 

Q.貴方が、教組本部の女性担当者を信頼するのは勝手だが、政治資金の流れを明確にしなければならないことは、法の定めるところだ。まして貴方は、納入先の県政連の本部を「知らない」という。私たちが承知している県政連の所在地は、選管に届け出ている収支報告書によれば「県の教育会館内」だ。しかし、5階建ての教育会館の建物の中に、県政連は存在していない。県政連と山教組本部は同一なのではないか?

 

A.判らない。教組本部に聞いてほしい。※なお、ちなみに、M氏は、平成15年12月の臨時カンパ要請について、「自分は、12月中には払っていない。確か、2月に払ったと思う」と答えている。

 

結論~教組と県政連の一体性・同一性は濃厚

 今回の調査目的は、教育会館(もしくは教組)と県政連の関係が一体であるか否かという点を調べることにあった。

 外見的にはこれを裏づけるものを見出すことはできなかったが、しかし、これまでの、報道や告発資料の中でも言われているように、両者の一体性については、さらに、疑いが深まったと言えよう。

 今後は、カンパされたカネの流れを具体的に詰めて行けば、必ずや、両者の関係がどのようなものであるかは、明らかになるものと思われる。

 なお、現職職員から見た、教組、県政連は、例えて言うならば、「教組は〝コート〟。県政連はコートの内側に付いている取り外し可能な〝ライナー〟」と言えるのではないだろうか。

 教員は、コートを着ている認識は持っているが、コートの内側にライナーが付いていること、すなわち、自分が県政連の構成員であるという認識は希薄なのかもしれないということである。

 教組幹部は、この〝コート〟と〝ライナー〟を巧みに使い分けているため、外見からは、ライナーの存在が見えないということかもしれない。

 事実、事情通によれば、「現職職員は、県政連という存在を知らない者が多数いる」と行っている。

 従って、実態に即して言えば、教組と県政連は、一体というよりも、同一のものであると考えた方が教員の感覚に近いのではないだろうか。だからこそ、県政連の実態(支部の所在地、構成メンバー等)が浮かび上がってこないのだと考えられる。

 今回の調査によって、県政連は、山教組にとって、政治資金を賄うための、「山教組のための政治団体」(ひいては、それが輿石議員へと関連することは当然)であるという思いを一層強くしたものである。     以上》

 

 …というわけです。自民党も産経などの報道をきっかけに、自分でもいろいろ調べようとはしていたようですね。実際、衆院では複数の議員がこうした問題を追及しましたが、産経を除く各紙はろくに取り上げなかったこともあり、いつのまにか忘れ去られていきました。また、参院では輿石氏が青木幹雄氏に要請したためか、自民党議員も追及しませんでしたし。当時、ある参院議員から「輿石氏がしょっちゅう、自民党の参院国対の部屋に怒鳴り込んできて、『衆院の質問はあれは何だ』と抗議してくる」という話を聞きました。参院は55年体制的なれ合いが衆院に比べはるかに強固に続いていましたからね。少なくとも、昨年の参院選までは。

 

 さて、おまけの写真です。これは、県政連が各学校の分会長あてに、輿石氏のポスター張り替え作業を指示している「Fax通信表」ですね。私の手元にあるファクスの感熱紙が色あせてきて、年々判読しにくくなってきたので、ここにアップして記録にとどめておきます。

 

  

 

 こちらは、輿石氏の後援会の入会申込書です。これを集めることも教員のノルマとして課されてきました。一般教員は80枚以上などと、これも指定があるそうです。一体、何をやっているんでしょうね…。

 

 

 

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