2008年12月

 

 当たり前のことですが、今年もいろいろありましたね。日本を取り巻く状況は厳しいものですし、個人的にも、本厄が関係あるのかないのか、家族や親族に病気や不幸が何度も起きました。正直なところ、あまりいい年ではなかったという気がします。

 

   

 

 このブログについても、一つの区切りである1000万アクセスは年内に達成できたものの、私の運営の拙さから、訪問者のみなさんと気持ちのすれ違いや誤解、軋轢のようなものも生まれ、非常に残念な思いをしたこともありました。

 

   

 

 また、私自身は、気持ちの切り替えがなかなかできない人間なので、日本の将来への希望を抱かせた安倍政権の終焉後は、政治と距離を置きたい、あまり積極的にかかわりたくないという思いが強く、この1年数カ月、政治記者としては中途半端な仕事しかしてこなかったという反省があります。適当に、一通りの仕事をこなせばそれでいいと…。

 

   

 

 ただ、そろそろ本当の意味で心機一転し、再び向上心を持って仕事に臨まないといけないという思いもまた、頭をもたげてきました。笑っても泣いても同じことなら、笑っていたいというか…。 

 

 

   

 

 

 というわけで、来年は少々、開き直って物事に取り組もうかなと考えています。少し前に出てみようかと。だからといって、別にたいしたことができるわけではないのですが。

 

   

 

 本当に、この1年間、ご愛顧ありがとうございました。来年が日本にも訪問者のみなさんにも、いい年でありますように祈ります。そして、来年もこの拙いブログを、産経新聞ともどもよろしくお願いします。

 

   

 

 それでは、良いお年を!!

(※写真は九州某県の高地で撮ったものです。)

 

  何か大きな突発事項でもあれば別ですが、とりあえず本日から正月休みに入っています。不景気のおり、会社も残業手当やタクシー代などの経費を払いたくないようで、できるだけ休めという指示も出ていますし、ゆっくりしようと思っています。というわけで、本日は11月30日のエントリ「最近読んだ本について・わりと豊作でした」以来、久しぶりに読書シリーズでいきます。

 

 まずは、前回第1作を紹介した「ジウ」シリーズ3部作の続きですが、はっきり言ってラスト数10ページの迫力と強いメッセージには感動しました。第1作を読んだときには、面白いとは思っても感動は覚えませんでしたし、警察小説の新しいパターンかなという程度の感想を持っていましたが、通して読むと、これはなかなかの作品でした。「我在這里」と叫ぶ中国人の誘拐犯、ジウと2人の女性主人公の関わり方が実に面白い。うん、傑作だ。ちょうど最近、第1作が文庫版になって書店で平積みになっているようですから、お薦めします。

 

   

 

 次もまた、前回第1作を紹介した捌き屋(企業交渉人)シリーズの続きです。特に第3作は山梨県甲府市が主舞台になっていて、知事、市長、地方議員に中央官庁が絡む巨大利権がテーマとなっていて興味深いものがありました。残念ながら(まあ当然ですが)、本当ならここに間違いなく何らかの形で介在するはずの山梨県教職員組合は出てきませんでしたが(笑)。登場人物がみなそれぞれ魅力的です。 

 

   

 

  中場利一氏の作品は、初めて読みました。で、これは実は「ノーサラリーマン・ノークライ」という作品の続きだったようですが、丁寧に書かれているので、この第2作目から読んでも問題なくストーリーが把握できました。合併で大きくなったメガバンクの、呑み込まれた側の銀行出身の若手行員の日々を描いたものですが、主人公もたいした奴じゃないし、出てくる上司も仕事先の人間もみな自分勝手だったり、癖があったりします。でも、それがとてもリアルに感じます。表紙だけみると、何だか暗そうな小説にも思えますが、実際は必ずしもそうではありません。いや、いじめや嫌がらせを受けた同僚たちが壊れていく場面もあるし、暗いと言えば暗いのですが、どこかに救いがあります。

 

   

 

 この題名の「ひゃくはち」とは、煩悩の数と、野球のボールの縫い目の数をかけたものです。主人公は地方転勤が決まった若手の新聞記者なのですが、記者としての仕事の場面はまったくと言っていいほど出てこず、高校球児だったころの回想と、現在の彼女との関係で話が紡がれていきます。非常によくできた作品だとは思いますが、高校時代の生活ぶりが、私のころとは違いすぎて、「そんなものかなあ」とついていけない部分もありました。 

 

   

 

 これは、これまでも紹介してきたシリーズの「天の巻・嘉納流柔術」の最終巻(第4巻)です。 史実をもとにして、そこに作者の推理と創作を加えて作品にしており、明治の時代にはこんなことがあったのかと、改めて感じ入ります。4巻の最後で、ようやくもともと作者が描こうとしていたブラジリアン柔術の祖となったコンデ・コマこと前田光世が少年として登場してきます。何ともスケールの大きな物語です。

 

   

 

 さて、この本は文庫本が出ていたので買って読んだのですが、おそらく単行本でも読んでいたはずだと思います。読み返して分からないのかと言われると恥ずかしいのですが、何となく記憶にはあるものの、はっきりとはせず…。まあ、楽しめたからいいか。南部・津軽両藩の諍いの実話をベースに、本人の意思とはかかわりなく巻き込まれた主人公が翻弄され、やがて自分がどうしたいのかを見出していく過程がいいですね。主君の仇討ち(の一種)に失敗した主人公は、最後は朋輩たちに冷ややかな目で見られながらも「死んだふり」の境地で生き抜き、やがて再生していきます。世の中、難儀なものですね。 

 

   

 

 で、最後は身に覚えのない横領の疑いをかけられ、それまでの出世街道から外れて左遷され、甲府へと「山流し」(甲府勤番)された主人公が、ひたすら不条理に憤り、不平不満を覚える日々から、立ち直っていくまでの話です。またまた甲府ですね。作者一流の味わい深いストーリーに、一気に読めました。重要な役割を担う登場人物の武陵先生が発する智恵の言葉が要所要所を締めています。「千丈の堤も螻蟻の穴を以て潰ゆ」か…。

 

   

 

 私は、何もせずにぼーっとするということが苦手で、常に何かすることや読むものを探しているので、あまり自分で深く物事を考える機会(能力)も持てません。でも、読書をしていて、作中の言葉にふと心を動かされたり、何か「そうだったのか」と思い当たったり、ストーリーから類似する現実を連想させられたり、未来を考えさせられたりするのは好きで、とても貴重に感じています。私を楽しませ、勉強させてくれた沢山の書物に感謝し、自由に好きな本が読める時代に生まれ合わせたことを喜んでいる次第です。

 

  きょうは、参院議員会館の会議室で自民党の「日教組問題を究明し、教育正常化実現に向け教育現場の実態を把握する議員の会」(日教組問題究明議連)の第2回会合が開かれたので、取材に行ってきました。国会会期末にもかかわらず、議員の本人出席が私が気付いた範囲で20人を数え、この問題に対する議員の関心の広がりを感じました。一方、報道関係者は少なく、会合はフルオープンだったにもかかわらず、某テレビ局の記者はずっと椅子に座ったまま寝ていました。まあ、そんなものです。

 

 ちなみに、出席議員の名前を順不同・敬称略で挙げれば

 

 森喜朗、森山真弓、山谷えり子、義家弘介、中川義雄、衛藤晟一、戸井田とおる、原田義昭、萩生田光一、中山成彬、中山恭子、有村治子、玉沢徳一郎、松浪健四郎、中野正志、西野あきら、大野松茂…らでした。こういう議連への総理経験者の出席は珍しいのですが、森氏は会の最高顧問に就任したこともあり、顔を出したようです。

 

   

 

 で、この日は講師として、このブログでも何度か登場してもらった元神奈川県教職員組合委員長で、元社会党参院議員でもありながら、保守派へと路線転換した小林正氏(写真奥左から2番目)が招かれていました。会合が始まる前、少し雑談したのですが、議員会館のエレベーター内で民主党の輿石東参院議員会長とばったり顔を合わせたそうです。元県教組委員長同士、当然のことながら顔見知りなわけですが、きょうは目が合っても口は聞かなかったそうです。まあ、いまや日教組の親玉とその追及者として大きく道が分かれたわけですから、当然なのでしょうが。

 

 さて、会合で小林氏が話した内容は多岐にわたるのですが、この日一番のテーマは、神奈川県教組が所属教員らから26年間にわたって徴収し、2002年の残高が約30億円に上っていたという主任教員手当についてです。これに関しては、私も10月7日のエントリ「主任教員手当・神戸市教組の指令文書」でちょっと取り上げているのですが、最近になって週刊新潮の12月25日号(先週発売)が「神奈川県『日教組』を震撼させる『消えた30億円』告発文書」という記事を掲載したので、読んだ方もいると思います。記事の一部を引用します。()内は私が補足したものです。

 

 《79年、公立学校に主任制度が発足。学年主任や教務主任になると、神奈川県では主任手当として月3000円が支給されることになった。全国屈指の組織率を誇る神教組はそこから2000円を拠出させ、この基金(教育振興基金)を設立したのである。

 06年度に主任手当は廃止されたが、04年までの26年間で、主任手当の総支給額は78億円。その3分の2がこの基金に入った計算となる。

 神教組はこれを教育相談などを行う施設の設置・運営などに充て、02年の残高は約30億円だったという。

 が、問題はここから。(告発)文書は03年度以降、その残高や使途が公開されなくなり、最近になって基金の一部が横浜市教組に移譲されていると指摘。さらに今年4月に就任した公認会計士がこの基金の杜撰な運営を見て監査を断るなどの事態が発生しているとし、「『基金』が政治闘争資金として流用されるのではないかとの疑惑が浮上しています」と警鐘を鳴らすのだ。(中略)

 一方の神教組は、文書の内容については全て事実無根だと言い張り、基金の現在の残高についても「国民、県民に公開する筋合いのものではない」と言い放つ始末。》

 

 …ちょっと引用が長くなりましたが、日教組は主任手当について、教員に格差をつくるものとして反対する一方、天引きするなどして徴収し、組合活動に使ってきた歴史があります。神奈川では、神教組委員長だった小林氏自身がその「制度設計者だった」といいます。小林氏はこう語りました。

 

 「受け取るべき金ではないので、教育・文化に資する目的にすると決めた。もう一つ、いじめ自殺問題が大きかったので、相談事務所を24時間開設し、その費用にも使うことにした。しかし、これは公金であり、ガラス張りでなければならない。教職員はもとより、父母や県民にも使途は明らかであるべきだ」

 

 そして、こう続けました。

 

 「03年の神奈川県議会でこの問題が取り上げられて以降、組合の機関会議などでも(使途・残高などが)報告されなくなった。それが今年6月の組合定期大会で、一部の金が横浜市教委に移譲されたということが明らかになった」

 

 その理由、目的については

 

 「最近では、あからさまな選挙資金カンパなどは集めにくくなった。しかし、日教組は組織内候補議員の選挙支援を行う。その資金需要をどうするか。主任手当をおいてほかにはない。市教組出身の某議員(講演では実名でした)の政治資金として移譲されたのは疑いようがない。これは、立場を利用した背任、横領であり、また、もともとの使途とは違う政治活動にこれが使われたとなると、組合員に対する詐欺行為ともいえる」

 

 小林氏は、主任手当をめぐる北海道教組の事例も語りました。

 

 「北教組の場合、集めた億単位の主任手当を台車に積んで、道教委の前に持ってきてマスコミに写真を撮らせるなどもした。じゃあ、その金はどうなるか。道教委が使うわけにもいかず、結局、組合の口座に振り込まれることになる。そういう道民をバカにしたようなことも行われてきた」

 

 この問題提起の後、議員たちとの質疑が行われました。日教組と教育委員会の癒着、教組が教員人事を握っている問題など、さまざまな論点が出た中で、中野議員は日教組をめぐり、こんなエピソードを披露しました。これも実名だったのですが、ウラがとれた話ではないので匿名にします。

 

 「民主党の参院議員に某女史がいる。この人の選挙事務所で働いていた人からのタレコミだが、選挙中に、日教組本部から陣中見舞いで100万円を持ってきた。(情報提供者が)領収書を渡そうとしたら、相手は『本部ですでに処理したのでいりません』と受け取らなかったそうだ」

 

 また、大分県議時代を含めて、長年、日教組を追及してきた衛藤議員はこう嘆きました。

 

 「地方では、保守系の知事でも、お金も票も運動員も持っている教組と妥協してしまう。今までの知事も全部だめだった。われわれはどういう具合に手を打ったらいいのか」

 

 …週刊新潮の記事は《日本の教育を荒廃させた日教組の闇が、白日の下にさらされようとしている》と結んでいますが、本当にすべてを明るみに出し、すっきりさせたいものです。この議連は今後、地方視察などを行い、教委と組合の関係の実態把握などにも取り組むそうですが、今度こそ、持てる力を注ぎきってほしいと思います。

 

 会合の中で、原田議員は「自民党の悪いところは、議論はするが、最終的な行動のところで尻切れトンボになってしまうところだ。例えば、小沢一郎氏の政治資金問題もそうだった」と反省の弁を述べましたが、教育は子供たちの将来、ひいては日本の将来を左右する重要なものだけに、その暗部を早急に取り除く覚悟で臨んでほしいと願います。

 

 2年8~9カ月前だったか、会社から記者ブログを始めるようにと言われたときに、不安を覚えると同時に、「しめた。これで書ける」と思ったことがあります。それは、全国版では産経しかまともに取り上げなかったため、いつのまにか初めからなかったことのように沈静化してしまった山梨県教職員組合のさまざまな問題点について、これからも書く場が与えられたという喜びでした。また、日本をその土台から腐らせ続けている日教組やその仲間たちを好きなように取り上げられるという点もうれしく思いました。

 

 新聞は、原則としてそのときどきの「ニュース」や「トピック」でないと紙面に載せられません。産経は山教組問題と民主党の輿石東参院議員会長のかかわりについて一時はキャンペーン的に報じてきましたが、新たな動きがない限り、何度も繰り返し同じ問題を追及することは、限られた紙面の中ではできないのです。

 

 それで、2006年6月13日に「命がけの告発と民主党」というエントリをアップしたのをかわぎりに、これまで何十本もの関連エントリを書いてきました。私がこの場で細々と何を書こうが、大勢には何の影響もありませんが、それでも、「初めて知った」「驚いた」という反応が少なからずあるので、決して無意味だとは思っていません。というわけで、本日も山教組・輿石氏ネタです。

 

 きょう取り上げる話については、2003~4年ごろから聞いていたことですが、資料(コピー)が手に入ったので紹介します。要は、山梨県の小中学校の修学旅行や社会科見学で国会見学を行う際は、なぜか輿石事務所を通すという意味不明な慣習が、長年にわたって続いているというお話です。まずは、2枚の文書にざっと目を通してください。

 

   

 

 

  

 

 …つまり、来年の修学旅行や社会科見学の日程を担当者が計画する時期になると、輿石事務所からの案内文が山梨県に9つある教育会館を通じ、まるで指令のように各小中学校にファクスされてくるというわけです。

 

 ここで言う教育会館については、今年10月20日のエントリ「山梨県の教育会館に関する平成16年の自民党調査報告」を参照していただければ幸いです。ざっとおさらいすると、教育会館とは、県教育委員会の公益法人の形をとっていますが、「実態は山教組の支部事務所」(山梨県の教員)であり、現に各教育会館の管理責任者は山教組支部の書記長が務めています。

 

 山教組元委員長で、現在は民主党のネクスト副総理である輿石氏の事務所から、山教組の地域支部を通じ、現場の各学校に流れくるわけですから、山教組の組織率95%といわれる山梨県ではこれは絶対です。もともと国会見学は、何も輿石氏の事務所を通さなくても他の議員事務所でも便宜を図ってくれるでしょうし、もっと言えばそもそも国会議員に頼らなくても直接、国会(参院)に申し込めばきちんと案内者をつけて対応してくれるものです。

 

 それなのに、なぜかすべて輿石事務所に申し込むような形になっていて、実際の見学にも輿石氏の秘書が立ち会い、あいさつを行うこともあるのです。では何のためにこんなことを続けているのか。山梨県のある教員は「おそらく、教員に対して力を誇示し、支持を訴える輿石氏の間接的な選挙運動みたいなものだろう」という見方を示しています。そして、山梨では教育現場は輿石氏が支配する聖域のようになっているので、自民党議員も含めだれもこれに異をはさまないと。

 

 私の個人的体験を語ると、小学校の5年生ぐらいまでは、尊敬する先生方が支持する社会党が一番立派な政党なのだろうと漠然と信じていました(この迷妄からは後に覚めましたが)。ですから、山梨の児童・生徒の中にも、国会見学をセットしてくれ、担任の先生方がぺこぺこしている輿石氏はさぞや立派で偉い人なのだろうと勘違いする子もいるかもしれません。そんな素直な子が将来、その素直さゆえに反日教科書を頭から信じ、道を踏み外さないことを祈るばかりです。杞憂であればよいのですが。

 

 さきほど午後2時20分ごろにチェックしたところ、このブログのアクセス数が総計1000万を超えていました。イザでは、たぶんすでに11月13日の段階で1000万アクセスを達成している「韓流徒然日記」に続いて2番目だと思います。本当にありがとうございます。3年前の今頃は、パソコン操作もろくにできない自分がブログを書くことになるとは想像もしていませんでしたから、世の中何がどう転ぶか分かりません。

 

 平成18年5月22日(当時はまだイザの正式スタート前でした)に初エントリ「ポスト小泉と世論調査」をアップして以来、ちょうど2年7カ月、737本目のエントリでのことでした。これまで何度も行き詰まったり、厳しく批判されてまで続けていくことの意味を見失ったりもしながらここまでこれたのも、管理者である私自身ですら、一体何を書いているのかよく分からなくなることもあるこの迷走ブログを、それでも楽しみにしてくれた訪問者のみなさんの励ましがあってのことでした。別に1000万に到達したからといって何かあるわけではありませんが、個人的には一つの区切りになりました。重ねてありがとうございます。

 

 そこでこの際、このブログの執筆方針について改めて確認しておこうと思います。ここは、産経デジタルのサイトであり、実名記者ブログではありますが、社からは「社論と違うことでも何でも好きに書いていい」と放任されている個人ブログでもあるので、今後も「私自身が面白いと思ったこと、興味を覚えたこと、重要だと考えていること、伝えたい、知らせたいこと」を書いていきます。

 

 正直なところ、このブログを通じて何か影響力を発揮したいとか、社会に働きかけたいとかは、私はほとんど考えていません。ただ、たまたま知り得たこと、分かったこと、思ったことなどに関し、より多くの人と情報を共有したい、できれば思いを共有したいという気持ちはあります。私がたまたまこの仕事に就いているからこそ、アクセスしやすい情報はあるわけですし、紙面では伝えきれないそういう内容について、これからもここで紹介していきたいと思います。それによってどうしたいとか、特定の目的などありませんが、ただ、世の中はもっともっと、基本的な情報を共有する方向に向かった方がいいのではないかと漠然と考えています(ネットを通じたやりとりでも、なかなか情報も思いも相手に伝わらないというジレンマもありますが)。

 

 といっても、もとより隠しようがなく偏った、欠落や苦手分野の多い人間なので、あまり幅広い問題はフォローできません。お届けできるのは、私の関心がある狭い範囲の問題に限られますし、私が示すものの見方も一面的だったり、不見識だったりもするでしょう。私は自分の書いていることが、立派だとも正しいとも言う気は全くありません。ただ、聞いたことや思ったことを書き、そういう見方や意見もあるなと感じてもらえれば幸いだと考えてやっています。そして、ここがそういう場でも構わないという方は、今後もよろしくお願いします。

  

 

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