2009年02月

 

 えー、私は前回のエントリで「自民党はもうどうあがいても、いかに野党の問題点を指摘し、批判してみても、勝てないでしょう」と書きました。自民党が下野することはもう自明の話であり、今考えるべき問題は近い将来、実現するであろう小沢民主党政権をどう評価し、またどう対峙するかという点にあるのだろうと思っています。

 

 民主党が次期衆院選で勝利した場合、小沢一郎代表が本当に首相になる気なのかそうではないのかどっちなのか、という議論もありますが、私は間違いなく首相になるだろうと見ています。だって、そうしなければ国民に対する詐欺みたいなものですし、何より、この「権力命」の人が旧田中派の派閥内抗争で小渕元首相に敗れて自民党を飛び出して以来の心境を慮るに、絶対に一度は首相になりたいはずだと思うのです。

 

自分よりはるかに格下だと見下していたかつての同僚や、小僧っ子どころか認識の範囲にすら入っていたかどうか分からない後輩たちが次々に首相の座につくのを、野党議員としてもう十数年も見てきたのですから。悔しくて悔しくて眠れぬ夜を過ごし、枕を涙で濡らしたこともあっただろうと推察します。

 

 それでは小沢内閣が発足したらどうなるか。これについて私は、先日のエントリで告知したボツ(または掲載延期)になった某雑誌用の原稿でこう書いています。

 

《小沢氏が首相となれば、これらの問題(政治資金問題)が再び注目を集め、野党となった自民党側から提起されることになるだろう。小沢氏自身は「法的に何の問題もない」としているが、首相として予算委員会などで質問を受けた場合、どんな「剛腕答弁」でしのぐのだろうか》

 

 「野党になったら、相当強力な野党になる。だって政治の仕組みだって、官僚制度だってこっちはよーく知っているんだから」(ベテラン秘書)と言われる自民党は、小沢首相をはじめ民主党内閣の閣僚の諸問題を、かなり厳しく追及することでしょう。決して弁舌さわやかではなく、それどころかキレやすい小沢氏が開き直った答弁、論理的に破綻した答弁、わけの分からない答弁をするであろうことは今から予想がつきます。内閣発足時はともかく、支持率はどんどん低下していくことでしょう。

 

 ただ、ここからが大事なことですが、それで民主党連立政権が倒れるということにはならないと思うのです。想像を絶する大スキャンダルでも発覚すれば別ですが、民主党が社民党や国民新党などと合わせ、衆参両院で過半数を制すれば、国会の「ねじれ」は解消します。そうすれば、少々支持率が低迷しようと人気がなかろうと政権は安定します。したがって、そう簡単には倒れないと考えています。

 

 また、仮に小沢氏自身がマスコミに諸問題を追及され、国会でもいじめられて毎度の話で例によって嫌になって政権を投げ出したとしても、その後は岡田克也氏だかだれだかが政権を「禅譲」され受け継ぐだけで、民主党連立政権自体は続くのだろうと思います。そう考えると、民主党が今やりたがっている政策はかなり実現するでしょうね。執行部全員が賛成の外国人参政権も、人権擁護法案(民主党案)も、いわゆる慰安婦謝罪賠償法案も教育基本法の日教組の意向に沿った再改正も選択的夫婦別姓法案も。あるいは、小沢氏も早くから言及している女系天皇容認論も再び頭をもたげるかもしれませんし、外交面では対中べったりの傾向が強まるのでしょう。小沢氏の妄想的としか思えない国連至上主義はどう政策に反映されるのか。

 

 こうした政策については、当然、党内外から反対論・慎重論も出るでしょうが、これらの推進者はもともと「左翼」であり「確信犯」ですからもう動じないでしょう。彼らは国民が少々反発しようがどうしようが、自ら正義と信じる「反日イデオロギー」に従うのみだと思います。一方、民主党内のいわゆる「保守派」はあくまで少数派ですから、ブレーキ役をどこまで果たせるか疑問です。野田佳彦氏の代表選出馬すらかなわかった党ですし。あの村山談話を後世に残した自社さ連立以上の悪夢が、これからの日本を襲うのだろうと思います。

 

 私の予想が外れれば、それはむしろ望外の喜びですが、そんなに大きく的を外すということもない気がします。これも、自民党が時代に取り残され、適応できなかったことが招いた事態だと思うと、国民はいい迷惑だとも感じますが、まあ仕方がないのかもしれません。日本が次のステージに上るためには、いったんはくぐり抜けざるをえないそういう時代であるのか。仮に自民党政権がこのまま続いても、もうたいしたことはできそうもないので、これも長期的にはチャンスだととらえて立ち向かうしかないのかな、と思っています。

 

 私個人としては、サラリーマン記者が考慮せざるをえない「大人の事情」(そりゃいろいろありますって!)を気にせずに、むしろ好き勝手、好き放題にのびのび書けるだろうと楽しみなところもあります。そのときも政治部に残っていたとしての話ですが。

 

 

 麻生内閣の支持率下落が止まりません。今朝の毎日新聞の世論調査記事によると、麻生内閣を支持する人は「11%」で不支持は「73%」、同じく日経新聞の世論調査記事では支持が15%で不支持が80%と、今後の回復はまず望めないところまで来ました。さらに、明日朝刊に掲載されるフジテレビと産経の調査でも、支持は11.4%で不支持は80.2%と、この傾向は各紙ともほぼ一致しているようです。

 

ここまで支持率が落ちた理由はいろいろあるでしょうし、このブログのコメントでもマスコミ報道のあり方を問題にする指摘がたくさんありますが、いずれにしろ不支持率8割というのは、やはり重く受け止めざるをえません。特に日経の調査では、自民党の支持率は1月の前回調査から5ポイント上がって34%にのぼっていることを考えると、この内閣支持率は麻生首相個人の資質がかなりの部分問われているのは確かだと思われます。

 

それは、ご本人自身に責任がある場合も、必ずしもそうではない場合もあったでしょう。本来、首相を支えるべき立場にある自民党幹部も、自民党という政党自体もぼろぼろとなり、あらゆることが取り繕いようもなくほつれ、ほころび、破れ、裂けてダメになっていったという印象があります。もうこういう大きな流れができてしまった以上、その一つひとつを切り分けてみても詮なきことだろろうと思います。

 

 といって、いまから自民党総裁選をまた繰り返して、首相のクビをすげ替えても、もうたいした効果はないだろうと思います。総選挙で国民の信を問わないままで自民党内で政権をたらい回ししていると批判されますすし、何より、自民党にはもう「タマ」がいないでしょう。与謝野、小池、石原、舛添…と名前を思い浮かべても、とてもこの追いつめられた情勢をひっくり返せるとは考えられません。自民党若手の中には、それでも麻生氏で選挙を戦うよりはマシという見方もあるようですが。

 

 自民党はもうどうあがいても、いかに野党の問題点を指摘し、批判してみても、勝てないでしょう。こんな当然のことを何をいまさら、と言われるかもしれませんが、私がどう見ているかこの際、一度表明しておいた方がいいと考えました。これはある意味、一昨年の参院選で自民党が大敗したしたときにもうすでに方向付けられていたことだとも思っています。

 

 自民党は参院選後、小手先の路線転換や先祖返りで昔の支持者の気を引こうと試みましたが、いったん心が離れてしまった支持者を振り返らせるには至りませんでした。また、その一方で新しい支持者を獲得する努力はほとんど何も見られませんでした。特定業種・団体への利益の再分配システムとしての自民党は、右肩上がりの経済構造の中でしか支持を維持・拡大できないし、むしろ不利益の分配を国民に納得させなければならない低成長・マイナス成長の少子高齢化社会にあっては、自身が大きく変わるしか生き残る道はなかったはずです。しかし、自民党はその逆を向いてしまったし、国会のねじれがネジのゆるみや油ぎれ、構造的欠陥を顕在化させたように思います。

 

 ですから、発足後5カ月でここまで支持率が下落したのは麻生氏に責任があるにしても、麻生氏以外の人が首相でも、程度の差こそあれ、似たような経過をたどっていたかもしれません。自民党はもともと、今の麻生氏と同じような支持率となった森政権末期に一度死にかかっていたのですしね。それを小泉元首相が延命させたわけですが、その結果、今ではゾンビ化してしまったと。

 

だからといって、民主党が政権をとったら、何か国民に将来に希望を抱かせるような政策が実行できるとか、日本がいい方向に変わるかと言えば、私には決してそうは思えません。あるいは、国家公務員改革はある程度進むかもしれませんが、自治労・日教組に支えられた民主党は、地方公務員には絶対に手を出せませんから、公務員全体のあり方を問い直すことは不可能でしょう。農業政策は社会主義的計画経済をうたっていますし、外交・安保、教育政策に至ってはどうなることやら。いずれにしろ、数年間は混沌と停滞と混乱は覚悟しておかないといけないと思います。

 

 ともあれ、そういうせっぱ詰まった状況の中で麻生氏は昨日、青森市での講演で、次のように述べました。これはとても重要な発言でしたし、まさに私の関心事項でありましたが、いかにもタイミングとして遅すぎると感じもしました。

 

「相手(民主党)はご存じ日教組、それに支えられている。そういったところと、私どもは断固戦っていく。こういったものをきちんとやりきれる政党。これが自由民主党なんだ」

 

 実は、私の知る限り、現職の首相で日教組を名指しにして、それと戦うと表明したのは麻生氏が初めてです。首相は公人の中の公人なので、たとえ問題があっても、特定の労組の名前を挙げて批判するということは、これまでありませんでした。教育再生会議をつくり、日教組の嫌がる「ゆとり教育の見直し」「教員免許更新制」などの施策を実行した安倍元首相も、在任当時は日教組それ自体を取り上げて問題にすることはしませんでした。

 

 ですので、本来であれば私はこの麻生氏の発言に期待をしたいところですが、麻生氏に対し、国民だけでなく、党内の信すら揺らいでいる今、果たしてどこまでやれるのか、また本気なのかまだ疑問が残っています。20日に開催された自民党の有志でつくる「日教組問題究明議連」には、初めて北川知己副幹事長と坂本剛二組織本部長が出席し、「党としてもしっかり取り組む姿勢」(森山真弓元文相)を見せていました。でも、それまではこの議連は、党執行部からはちょっと遠ざけられている感がありました。

 

 麻生氏の今回の日教組発言が、こうした党側の新しい動きとリンクしているのであれば、その点はきちんとフォローしたいと思います。たとえ、衆院選後に野党になろうとも、日教組問題は厳しく追及してもらわなければなりません。いや、新政権が日教組の政策方針をそのまま取り入れて実行してくるだろうことを考えれば、遅きに失したように見えても、これからが戦いの本番であるかもしれません。

 

 しばらく前、自民党のある有力議員は日教組究明議連についてこう言っていました。自民党が社会の推進力として国民の将来を担う力をもはや持っていないとしたら、そういうのもいいかと私も賛意を示した次第です。

 

 「自民党は次の選挙を機に贅肉をそぎ落として、こういうところ(日教組究明議連とその活動)を核に、戦う野党となってもう生まれ変わった方がいいのかもしれないね」

 

 ※訂正(坂本氏の出席は初めてではありませんでした。お詫びして訂正します)

 

 

 

 前回の読書エントリから約1カ月がたったので、懲りずにまたまた本の紹介を試みたいと思います。世の中、些事に喜びを見出すためには、同時に些事に苦しまなければならないもののようですが、私の場合は面白い本とビールがあればとりあえず幸せに過ごせるようです。

 

 それはともかく、私は話題作はそのときは敬遠し、ちょっと時間をおいてから読む癖があります。というわけで、まずは1年前に刊行され、かなり評判になっていた「新世界より」から取り上げますが、いやあ、久しぶりに本格的なSF(といっていいのだろうと思います)小説を堪能しました。上下巻で計3800円プラス税という、本代としてはけっこうな大金を支払うだけの価値は十分にありました。

 

 舞台は科学文明のかなりの部分を失い、代わりに「呪力」こと念動力を手にした人々が一見、幸せな生活を営む1000年後の日本です。極端に数が減った人間たちが暮らす徹底的に管理された集落(結界)の内外には、「風船犬」「不浄猫」…といった数多くの異形の生き物たちが棲んでいるのですが、その中での「バケネズミ」という存在が重要な役割を担っています。外見は上野動物園にもいる「ハダカデバネズミ」(体長7センチ)を大きくしたような姿であるにもかかわらず、人語を解し、人に奉仕するのはなぜか…。

 

   

 

 決して明るいストーリー展開ではなく、むしろ死屍累々で陰惨という印象もありますが、とにかく「面白い!!」。評判は確かだったなあと改めて思いました。作者の実力のほどがよく分かりました。仕事帰り、電車の中で読み始め、どっぷりはまってとまらなくなって、駅から家までも暗い夜道を街灯を頼りに歩きながら読みました。目に悪いだろうなあ。

 

 次はこの読書シリーズでおなじみの時代小説家、宇江佐真理氏の新作ですが、これまた「うまいなあ」とため息をつきたくなる出来映えでした。6つの短編が収められているのですが、あれこれ解説するよりも一言、「いいですよお」と述べておきます。

 

     

 

 さて、次の「のぼうの城」も、1年以上前に発売され、ずっと書店で平積みになっているものですが、なんとなく手が出ないでいました。帯の表には「石田三成二万の兵に、たった二千で立ち向かった男が、いた」とあり、まあ、そういうお話なんだろうなあと思っていたもので。でもある日、読む本につまってこの本を手に取り、帯の裏を見ると、

 

 「智も仁も勇もないが、しかし、誰も及ばぬ『人気』があった-。この城、敵に回したが、間違いか」とあり、主人公に「智も仁も勇もない」というところに思わず吹き出しそうになり、読んでみることにしました。こっちのコピーを表に出せばいいのに。

 

 で、結論は、確かに面白かったです。史実を下敷きにしているのでしょうが、いい着想、設定だなあと感心しました。ただ、私の好みでいうと、小説としてはもっと書き込んで、主人公の「将器」を読者が実感できるエピソードをあと二つぐらい加えた方が説得力があるのではないかと思いました。あくまで趣味の問題ですが。

 

     

 

 今度は私がかなり好きな作家の半村良氏の新刊でした。亡くなってしばらくたつのにどうして今頃?と首をかしげつつ、楽しみながら読み進めていたところ、最後に「未完」とありました。ああ、そういうことかと納得しつつ、この物語を永久に最後まで読めないことに一抹の寂しさを覚えました。

 

     

 

 そうこうしているうちに、今度はこれまた大御所、山本周五郎氏の新刊が出ていたので買ってしまいました。収録されていた5本の短編のうち、3、4本は過去に読んだ記憶がありましたが、それでも泣かされました。「ちいさこべ」などは、何度読んだか分からないのに、電車の中で朝から涙が…。メタボ中年が朝から目をはらした姿など、公衆道徳上も問題だとは思いましたが我慢できません。言うまでもないことですが、やっぱり名手ですねえ。

 

     

 

 少し気分を変えて、三浦しをん氏の作品もまた読んでみました。東京の外れ、まほろ市に住むくたびれた中年便利屋のところに、高校時代の同級生がころがりこんできて…。これは「再生」の物語でした。派手なシーンや大きな感動はありませんが、こういう淡々としていて、かつしみじみとした話もいいですね。

 

     

 

 私はここ十数年来、地球最期の日、最後の晩餐には何を食べようかとずっと懊悩してきたわけですが、最近では「カツ丼でいい」と心を決めました。というわけで、タイトルにひかれて原宏一氏の作品を初めて読んでみました。これには3つの短編が収録されていましたが、中でも「くじびき翁」という作品が楽しいものでした。毎日、駅前で政治演説を続けている老人の主張は…。

 

     

 

 「すべて政治はくじびきをもってなすべし」-。日本の政治がちっともよくならないのは、民主主義の基本原則である多数決のせいだというものでした。一見、公平に見える多数決も、その本質は、じつは多数派工作を制したものだけが勝ち残れる、ごり押し制度だと。…これは一面の真実を突いていますね。政治に手練手管、権謀術数、ドロドロした人間関係がつきものなのも、それを報じる政治記者(私も)の側もそうした視点にとらわれるのも、そういう人間の恣意的工作の余地が多分にあるからだとも言えます。くじびきか…うーん、意外といいかも。

 

     

 

 この本の作者、内海隆一郎氏は、2006年11月25日のエントリ「好きな本をめぐるどうでもいい話」(http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/78125/)でも特集した大好きな作家です。その人気シリーズ「人びとシリーズ」の中から選んだベストセレクション20ということで、書店で見つけて中身も見ずに無条件で買ったのですが、いやあ、これもかなりの部分、読んだことのある話でした。でも、やはりいいいなあ。今回、冒頭で紹介した「新世界より」のような大作もいいですが、短編集には短編集の魅力があります。

 

 特に、収録作の中で「彼の故郷」「じゃがいも畑」「雨傘」「再会」にはジーンときます。「彼の故郷」と「雨傘」、「再会」は、内海氏の原作で読む前に、谷口ジロー氏による漫画家作品「欅の木」(8作品を収録)の中で繰り返し読み、親しんだ作品でした。これは本当に泣けます。

 

 

     

 

 原作世界・ストーリーを忠実に再現し、しかも「絵」による説得力を付加して独自の作品に仕上げた谷口氏の実力はたいしたものですね。小説の中で文字で語られた芸術作品を実際の絵で、しかも違和感のないように表現するのは、かなり難しいことでしょうに、見事に成功させています。私の手元にあるものは、1993年に小学館から出た本なので、現在では書店で簡単に手に入るとは限りませんが、ご一読をお勧めします。

 

 それではまた、さいなら、さいなら、さいなら…。

 

 私に関する事実と異なる記述でさんざん迷惑をかけられ、あちこちでいい加減な聞きかじりを言いふらされているので、私はもうこの人の書いたものは読まないことにしていたのですが、先日、某氏から「今週の週刊文春で、上杉隆氏がまたやらかしてるよ」と電話がかかってきました。ですので、渋々350円も出して同誌を買い求め、くだんの記事「安倍、福田…ひ弱な二世をつくる『後援会』」を読んでみました。

 

 上杉氏が最近執着しているいわゆる政治家の二世、三世批判の記事で、彼らの選挙は親がかりだという内容です。まあ、それはそれでいいのですが、某氏によると、「事実関係が明らかに間違っている」というのです。で、どこがどう違うのかと聞いてみると、この記事の構成上の骨格をなす昨年1月に山口県下関市での安倍元首相のパーティーに関してだといいます。まず、上杉氏の記事のその部分を引用します。

 

 《昨年一月二十七日、筆者は、安倍の地元・山口で開かれた「安倍後援会総会」を取材した。約二千七百人の支持者の集まった海峡メッセ下関のホール壇上には、安倍夫妻の他に母・洋子の姿も見える。いや正確に記したほうがいいかもしれない。安倍母子がステージの中央に並び、妻の昭恵は隅に立っている。

 政権を投げ出した子のために、母がマイクを握る。圧倒的な拍手。まるで洋子のために後援会が存在するかのようなワンシーンだった。》

 

 これを読むと、上杉氏はその場にいたらしいし、ふーんそうだったのかと思ってしまいますが、自身もその場にいたという某氏は「全然ウソだ」として、こう語りました。

 

 「洋子夫人は壇上の一番はじっこのところにいたし、しゃべってもいなかったよ。また、記事には《母の洋子自らが陣頭指揮を執って、大選挙キャンペーンを展開した。二千人以上収容可能な巨大選対事務所を設営し…》とあるけど、2000人以上収容の事務所なんてつくれるわけないだろう」

 

 さて、どうなんでしょうね。その場にいたという二人と違い、私は現場取材をしていないので、どちらに軍配を上げていいのか分かりませんが、記事によると、その場には約2700人の支持者がいたそうですから、正確に記憶している人もきっといることでしょう。まあ、私の個人的感想を述べると、「上杉氏ならやらかしかねないな」とは思いますが。

 

 上杉氏は、政治家の世襲批判であるとか、記者クラブ批判だとか、多くの人が昔から問題視していて「それはそうだな」と思う題材を取り上げるのがうまいですね。確かに、その指摘には頷ける部分もありますが、ご自身も、三世の鳩山邦夫総務相の秘書だったわけですしねえ。そのあたりをどう考えているのか。また、民主党の小沢代表も二世である上、社会人経験もないということをどう評価しているのか。

 

 一瞬、そんなことを知りたいという気もしましたが、もう彼の記事は読みたくないので、まあいいか。もうどうでも。 

 

 いまネット上で見ただけで詳細は分かりませんが、どうやらアルファブロガー・アワード2008のブログ記事大賞12本の末席に、私の2008年10月11日のエントリ「小沢一郎氏の初当選からの言動を振り返る・その一」(http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/750570/)がすべりこんでいるようです。面識もないのに推薦していただきました「おおすぎBlog」の大杉謙一様、そして応援・投票していただきました皆さん、本当にありがとうございます。心から感謝いたします。

 

 果たしてこの賞がどう選考されたのか、賞を与えられたことにどういう意味があるのか、素直に喜んでいいのかどうか…と実はよく分からないことだらけなのですが、根が単純なので賞と言われるものをもらうと、とりあえず嬉しくなります。というか、会社内の特ダネ賞の類(それも小さなもの)を除いて、私の人生はあまり賞とは縁がなかったので、少し感動しております。

 

 ほとんど初めてと言っていい受賞が、どうして上のエントリなのかもちょっと不思議ですが、まあ、ともかく

 

 いやあ、めでたい。発泡酒(サントリー金麦)を飲み、一人祝杯をあげることとします。明日は土曜日だというのに夕刊当番で朝が早いので、深酒をするわけにはいきませんが(といいつつ、したたかに飲む日々)。

 

 本日の結論 もらえるものなら何でももらう。遠慮はしない。

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