2009年05月

 

  前回読書エントリを投稿したのが4月26日でしたから、もう1カ月以上がたちました。ですので、読んだ本もたまってきたこともあり、きょうは久しぶりに最近読んだ本について感想を記します。今回は、読み応えある大作というよりも、どうも気軽に読めて手頃な感じの作品が多くなりました。前回に引き続き、「☆」マークで私の独断と偏見と嗜好と気分に基づくいい加減な評価も加えていきます。

 

 まずは、前回読書エントリのコメント欄で一閑様が紹介してくれた万城目学氏の「鴨川ホルモー」(☆☆☆☆)からです。これは、ストーリー、登場人物の設定ともにかなり気に入りました。ちょうど映画化されてもいたので、わざわざ映画館にも足を運んだのですが、タッチの差で「もう(上映期間は)終わりました」とのことでした。あいかわらず愚かな日々を送っています。

 

 学生時代に、漠然と小説家に憧れたときもあった(実際は何も書かず、いや思いつかず挫折)のですが、当時、書きたかったのはこういう話だったかもしれないなと思い出しました。で、読み終わって作者のプロフィールを読むと私より10歳も下で、かつこれがデビュー作なんですね。ともあれ、京都を舞台に、大学生たちがちょっと変わったサークルに入ったつもりが、知らないうちに式神、鬼を操る競技をするはめになり…という恋あり、青春の蹉跌あり、スポ根的要素ありのバカバカしくも楽しいお話です。

 

   

 

  次は、その続編というか、本編を補うエピソードを集めた短編集「ホルモー6景」(☆☆☆★)です。これも面白かった。万城目氏はこの中の短編「もっちゃん」で、登場人物にある有名作家について「何というか、うますぎる。俺はもっと不器用な感じがいいんだ」と語らせていますが、読みながら、自分も相当うまいではないかと突っ込みたくなりました。

 

   

 

  勢いがついたので、続けて万城目氏の作品に手を出し、今度はテレビドラマ化されていた「鹿男あをによし」(☆☆☆★)を読みました。今度の舞台は奈良で、ふとしたことで大学の研究室を休み、奈良の女子高で教鞭をとることになった「おれ」がそこで見たものは…。そして鹿へと変貌していく顔…。主人公と少し目の離れた野性的な魚顔のヒロインとの心の交流を示すシーンが、もう少しあった方がいいのではとも思ったのですが、同僚の女性記者にそう感想を述べると、「あれぐらいだからいいんじゃないですか」と却下されました。

 

   

 

  で、とうとう万城目氏の最新刊の「プリンセス・トヨトミ」(☆☆☆)となります。これは大阪をめぐる物語、帯には最高傑作とありますが、これは好みが分かれるところでしょうね。私は続けてこの人の作品を読んだせいか、ちょっと悪乗りかなあとも感じました。あるいは、自分が大阪に地縁があれば、もっと面白いのかなあとも。登場人物のキャラが立っているのはいいのですが、立ちすぎで、続編でも出さないとこの1冊では描き切れていない気もします。まあ、趣味の問題でしょうが。

 

   

 

  さて、またまた警察小説の登場です。堂場瞬一氏の新シリーズ第2作「相克」(☆☆☆)では、謎の多い阿比留真弓・失踪人捜査課三方面分室長のプライベートの側面がちらりとのぞけました。また、同室所属刑事、醍醐塁もただのバカではなく、なかなか複雑な境遇にあることが描かれています。ストーリーは…うーん、まあこんなものかなあ。

 

   

 

  この山本甲士氏の「かび」(☆☆☆★)は、何年も前に買ってあったものの、暗そうな話なのでずっと積ん読になっていた作品でした。読後感も、決して明るくはないのですが、ストレス解消にもなるという不思議な本でした。日常生活で不満を溜め込んだある平凡な主婦が、勤務中に脳梗塞で倒れた夫を退職に追い込もうとする会社のやり口にぶち切れ、手段を選ばぬ報復に…という山本氏の得意とする内容でした。

 

   

 

  この鳥羽亮氏の「わけあり円十郎江戸暦」(☆☆★)はまあ、あっさりと読めました。この作家の「剣客春秋」シリーズなどはけっこう読み応えがあるのですが、これは…ご本人も気軽にさっさとやっつけたのかな、という感じです。面白くないわけではないのですが、特に紹介するべきことも思い浮かばず…。

 

   

 

  次の北森鴻氏の「メイン・ディッシュ」(☆☆☆)も、おそらく買ってから5年はたっていることと思います。職場に置いていた資料に紛れてずっと忘れていました。小劇団を主宰する女優の周りで起きるさまざまな事件、出来事をおいしい料理のスパイスで包んでいて、楽しめます。連作短編集の形になっているのですが、それが読者が思わぬ形でつながっているという仕掛けもいいですね。それにしても、この作家は料理の描写が本当にうまい。

 

   

  

 次は、林業青春もの、とでも言いましょうか。三浦しをん氏の「神去なあなあ日常」(☆☆☆★)は、自分の知らないうち就職先を決められ、三重県の山間部で林業の修行をすることになった横浜の高校生が、ゆるゆるとした日常の中で少しずつ成長(かなあ)していく姿を描いた気持ちのよい作品です。 

 

   

 

  前々回のエントリで「かつどん協議会」を紹介した原宏一氏の「東京箱庭鉄道」(☆☆☆★)は、最初はバカバカしく思えて、でもすぐ引き込まれ、最後はちょっと切なくなるという王道的な小説でした。牛丼屋でビールを飲んでいた主人公が持ちかけられた話とは、「400億円出すから東京に鉄道をつくってほしい」という突拍子もないもので…。皇室弱体化のためGHQに臣籍降下されられ、財産を失った旧皇族の悲劇もからみ、一気に読みました。

 

   

 

  最後は、同じく原氏の短編集「天下り酒場」(☆☆☆)となります。表題作は、ある地方の小さな割烹居酒屋が頼まれた定年後の県庁職員を雇ったところ、役人ネットワークで経営状態は好転したものの、やがて拡大していく店は役人の新たな天下り先となり、いつのまにか第三セクターになって…という実に恐ろしいストーリーです。この作品は2001年に発表されたものですが、いま世に問うた方がうけるのかもしれません。

 

   

 

 それではまた、約1カ月後に読書エントリをアップしようと思います。もしよろしければ、ご推薦の本を教えてください。時間の許す限り、毎日書店をのぞくようにしているのですが、知らない作家の作品にはなかなか手が出ず、判断基準が分からないので、ご紹介いただけると幸いです。

 

 

 今朝の産経は政治面で、「政治活動 教職員にも罰則 自民WTが法改正案」という記事を掲載しています。これは私の書いたものではありませんが、先日のエントリで伝えた自民党内の動きが一応、軌道に乗ってきたということのようです。まずは以下の記事をご参照ください。

 

 《自民党の「教員の政治活動の規制に関するワーキングチーム(WT)」(座長・義家弘参院議員)は29日、教職員の政治活動に国家公務員と同様の罰則を科すため教育公務員特例法(教特法)の改正案をまとめた。議員立法として今国会に提出し、成立を目指す。だが、日本教職員組(日教組)の支援を得ている民主党などの野党は、日教組の活動を制限することになるとして激しく反発するとみられる。

 一般の公務員には、政治家の後援会結成や勧誘などの政治活動が禁止されており、国家公務員法では違反すれば3年以下の懲役か100万円以下の罰金を科すとしている。一方の教特法は、教職員の政治活動を制限する条文はあるが、罰則の規定がない。WTは、教職員に対しても「国家公務員法と同一の法定に処する」ことにした。

 教職員の政治活動では、平成18年1月、民主党の輿東参院幹事長(現・参院議員会長)を支援するために教員から集めた寄付金を山梨教職員組合の政治団体の収支報告書に記載しなかったとして、山教組の財政部長と政治団体の会長が政治資金規正法違反で罰金刑を受けたことがある。》

 

  ただ、今回は教育公務員特例法の改正にとどまり、地方公務員法改正は見送られます。地方公務員法にも踏み込めば、あの強力で活発な自治労の政治・思想闘争もある程度抑え込めるところなのですが、どうも公明党が嫌がることに手をつけ、かえって教育公務員特例法改正の方までストップしては元も子もないという判断があるようです。

 

 何度も書いていますがおさらいすると、公明党は支持母体の創価学会の信者が地方公務員の現業職に比較的多いため、彼らの政治活動まで制限してしまうと自分の首を絞めると考えているわけです。はい、党利党略そのものです。こうして国の正常化の足を引っ張り続けてきたのが公明党ですね。

 

 この教育公務員特例法改正に関しては、もともと自民党の次期衆院選の選挙公約に入れたらどうかという意見もありました。でも、29日のWTでの議論では、「マニフェストでは遅すぎる。延長国会でやってしまおう」「選挙公約にすると、自民党は選挙が厳しいので嫌がらせをしているのではないかと見られる」などの意見が相次ぎ、今国会成立を目指す方向となりました。

 

 何の政策であれ、不備・欠陥のあるものの整備を急ぐことはいいことなので特に異論はありませんが、日教組のドン、輿石氏が支配している「参院の壁」があるので、いくら現在、衆院文教委員会がたいして審議する法案もなく「がら空き」だとは言っても、実際の成立は難しいのでしょうね…。ともあれ、自民党は来週に文教関係合同部会を開き、法案化作業と党内手続きを進めると聞いています。期待しても失望するだけかもしれませんが、やはり望みをつなぎたいという思いでいます。

 

 さて、関連してのお話です。これは政治活動ではありませんが、山梨県の教員からまた情報が寄せられたので紹介します。それには「学校のファクスを使った、組合活動です。組合活動に学校のファクスが、遠慮なく使われ、公費と公機を使った組合活動が、行われている証拠です。つまりは、国民の税金を使って、組合活動を行っているのです」としたためられていました。

 

 これは何のことかというと、輿石氏の支持母体、山梨県教組による教員採用試験受験者の「青田買い」文書でした。送付状の宛先は「各学校 期間採用・臨時採用・町単(担)講師の先生方へ」とあり、件名は「県青年部教員採用試験1次学習会について」となっています。つまりは、山教組が教員採用試験を受ける一時採用の先生らの受験を手伝うから、採用後は組合に入れよ、という囲い込み、リクルート活動なわけです。送付状には、ご丁寧に「該当の先生方がいらっしゃらない場合は申し訳ありませんが、破棄してください」とも記されていました。(※上の「町単」とは、市町村教委が採用する講師のことです。)

 

 その写真がこれです。ネットは便利だなあ。

 

   

 

 …どう思いますか。「過去の採用試験の傾向・採用試験に臨む心得」を伝授する講師が、山教組の書記長です。さらに、昨年度の専門教養問題・解答の配布まであります。山教組がどうやって過去問を入手しているかについては、山梨県の教員は「県教育委員会と山教組はなれ合っているから、いくらでも手に入るでしょう」と話していました。そりゃ、正教員になる前から手取り足取り指導され、何重にも雁字搦めにされていれば、もう組合に逆らうことなどできないでしょう。こうして山教組の95%もの組織率と結束が維持されているわけです。

 

 この教員によると、学校にはこのほか、支部青年定期大会の動員依頼や県退職女性教師会総会への動員依頼など、組合や関連団体からたびたびファクス連絡があるそうです。こうした強固な組織体制が、選挙の際には集金・集票マシーンとなって活躍するという構図です。

 

 今回の民主党代表選で、輿石氏をはじめとする参院民主党の多くは鳩山由紀夫氏支持で固まっていました。その理由の一つは、岡田克也氏が代表時代に、参院民主党のカネの問題に手を突っ込み、使途その他の明朗化を求めたからだという指摘もあります。鳩山氏が代表となり、人事を行った際も、輿石氏は岡田氏の幹事長起用に反対したという情報が、民主党幹部らの間で駆けめぐっていました。ふぅ…。

 

  昨日、今日とまるで梅雨を先取りしたような雨天が続いています。ちょっと鬱陶しいですが、通勤途上で目にした紫陽花が雨露をはらんでとてもきれいで、こういう天気もまあいいか、という気分になりました。

 

   

 

 さて、今朝の東京新聞は1面トップで、「厚労省分割 首相 選挙公約を断念」「政府与党反発受け『こだわりない』」と報じています。産経も1面の下の方で「厚労省分割見送り 首相一転『こだわりない』」と伝えているほか、政治面でも「首相 またブレ」と書いていました。麻生首相は今朝の閣僚懇談会で、これを意識してか「自分はブレていない」と強調していたようです。

 

 

   

 

  この問題が大きな話題となった発端は16日の読売新聞が1面トップで、大きく「『社会保障』『生活』2省新設」「首相検討へ 厚労省を分割」とまるでスクープのような扱いで掲載したことに始まります。その記事をよく読むと、15日の安心社会実現会議の第3回会合で、《会議の席上、渡辺恒雄委員(読売新聞グループ本社会長・主筆)が、厚生労働省を「雇用・年金省」と「医療・介護省」に分割することを提言したのを踏まえたものだ。》とありました。

 

   

 

  この時点で、なんだ、ナベツネ氏が言ったことだから読売はあんなに大きな紙面の扱いにしたのかと納得した次第でした。16日の産経新聞は政治面に3段見出しの記事でしたし。同僚記者も私と同じ感想を語っていました。なんか公務員のポストを増やすばかりで、筋の悪そうな話だけど、読売は本気でその方向に持っていくつもりなのかな、とも考えましたが…。

 

   

 

  ところがその後、麻生首相が割と前向きだと伝えられ、あまつさえ自民党の次期衆院選マニフェストに入れろと指示したなどという話も伝わってきました。もともと麻生氏は、ナベツネ氏が担ぎ出した福田前首相に自民党総裁選で敗れた経緯もあり、パーティーなどの席でナベツネ氏と同席した際にも目を合わせようとしない姿を目撃したこともありましたが、やはりこの人には取り入っておいた方がいいということだったのでしょうか。まあ、こういう会議の委員に選んでいるのですから当然か。

 

 おいおい、こんなこと別に国民は望んでいないだろうと、たまたま話す機会があった自民党議員には「結局、今より人数も膨らむだろうし、役人の焼け太りにならないか」と言っておきました。この議員も、「もし分割するにしても定数は増やさないようにしないと…」と懸念を示していました。

 

   

 

  で、昨夜、第4回の安心社会実現会議が開かれ、冒頭に書いた通り、厚労省分割は見送りとなったわけですね。昨日の会合については、今朝の毎日新聞が「渡辺恒雄・読売会長『無礼だ!』政府安心会議で怒声」「厚労省分割論『党利党略のパフォーマンス』と批判され」という興味深い記事を掲載していました。

 

   

 

 それによると、薬害肝炎全国原告団代表の山口美智子氏が「1委員が提案した厚生労働省分割が報道され、衆院選のためのパフォーマンスだとの思惑が広がり残念だ。国民は党利党略に嫌気がさしている」と発言したのに対し、ナベツネ氏が声を荒げて反発し、「党利党略に新聞社の主筆たるものが便乗して振り回されているようなことを言われた。取り消していただきたい」と反論したとあります。 

 

   

 

  まったくよく言うよ、という気がします。ナベツネ氏は会議終了後、記者団に次のように語りました。でも、いつまでこういうご老人に日本は振り回されなきゃいかんのか。…この人の話はだいぶ長いので一部省略させてもらいます。あしからず。

 

   

 

  《与党の一部から、族議員がいるから、既得権益があるんで反対があるんでしょう。そういうことを気にしてたら何もできない。

 連合の高木さんも賛成論だ。民主党の中に、2つにするべきだって意見がかなりあるんだよね。ただね、自民党のある幹部が僕に「賛成だ」「2つに割るべきだ」と。しかし、今すぐやられると党内の調整がつかないから急がないでくれというから。(中略)

 まあ自民党が勝てば、第2次麻生内閣の手で時間をかけてゆっくりやるべきことでしょ。(中略)野党もそう反対の人、僕の知る限りでは大体みな賛成だし、連合は賛成なんだから。(中略)高木さんの立場としても常識的な考え方でその分割に賛成してくれたと思っているんで、まあ民主党内閣の手でやるのか、自民党内閣が続いてやるのか、によっても違ってくるしね。(中略)》

 

   

 

  《僕は自分で行政改革をやったから。橋本内閣。あのときなんて、最終日に終わったのなんて午前3時ですよ。握り飯も出ないんだよ。だからみんな腹ぺこだったね。「握り飯ぐらい買ってこい」って怒鳴ったこともあるよ。それで握り飯がきたからね。それぐらいメチャメチャな怒鳴り合いもやったし、猪口邦子さんなんてオイオイ泣き出したり(※注 猪口氏が泣いたのは、防衛庁の省昇格が議論された際。泣いて反対したと聞いています)、まあ修羅場だった。(中略)》

 

   

 

  《このことは、低所得所帯、母子家庭とか子育て時代の主婦なんかにとっちゃ非常にありがたい話ですよ。こういうことはやった方がいいじゃないですか。そういうアイデアがどんどん出てきてるんです。出てきてんのを議論してもいかん、何だかんだ、ファッショみたいなことを言う女性が1人いたってだけの話だ。ハッハッ。》

 

   

 

  …ファッショとまで言われた山口氏はやはり会議終了後、分割に反対しているのではない、厚労省、行政について特に持論はないと述べていました。次のような主張です。

 

   

 

 《渡辺委員が提案されたことが結局、目の前に迫っている衆院選にパフォーマンスではないかとか、またマニフェストに盛り込まれるんだとか、そういう風に報道されているわけですね。国会でももちろん、そういう風に野党は言っていますし。だから、そういったことを私たちは話し合っているのではないのだということですよね》

 

 …話をまとめるのもだるいので、ここまでとします。なんだかなあ。

 

 

 北朝鮮の核実験には「あーあ、やっぱりやったか」という感じで驚きはありませんでしたが、作家の栗本薫さんの突然の訃報にはちょっと衝撃を受けました。学生時代を中心にけっこう愛読していたのでとても残念です。まだ56歳だったそうで、若すぎる死に言葉がありません。ただただ、ご冥福をお祈りします。もっと長生きして、さらに多くの仕事をなしてほしかったと思います。

 

 栗本さんの代表作といえば、なんといっても現在126巻(!)まで出ている前人未踏の大長編「グイン・サーガ」シリーズが有名ですね。実は私は社会部遊軍に所属していた15年年前、このシリーズが近く世界最長の小説になるという記事を書きました。下の記事がそれですが、後に栗本さんが「グイン・サーガ」の何巻だったか、後書きで「サンケイに取り上げられた」と記してくれました。これも未完となってしまいましたね。最近は私もちょっと遠ざかっていて、ここしばらくは読んでいなかったのがなんだか悔やまれます。

 

栗本薫さんの「グイン・サーガ」6月に44巻目 世界最長の小説誕生へ 19940420  東京朝刊  社会面 ]

 

 古今東西の小説の中で、一人の作家が手がけた最も長い作品が、近く日本文学界に誕生する。活字離れ時代にもかかわらず若者の絶大な支持を得ている栗本薫さん(四一)のSF「グイン・サーガ」(早川書房)で、原稿用紙にして一万七千六百枚、四十四巻という大作。物語はまだまだ続くそうで、無人島に持っていっても歯ごたえ十分だ。

「グイン・サーガ」は十五年前の昭和五十四年に第一巻が刊行された。ストーリーは未来の地球を思わせる惑星を舞台にした「SF三国志」とでもいうべきもので、主人公で自らの正体を探し求める豹(ひょう)頭の戦士、グインが運命に導かれるままにさまざまな冒険、人間の愛憎劇と出合う。

「ギネスブック93」(騎虎書房)には、世界最長の小説として山岡荘八さんの「徳川家康」(全二十六巻、講談社)と、フランスのジュール・ロマン著「善意の人々」(全二十七巻、英語訳は十四巻)が記載されている。ただし言語によって文字表記法が違うので、この部門は参考記録とされている。

「善意の人々」は、第一次世界大戦前後のパリの生活や人間模様を描いた小説で、日本では現在出版されていないが、原稿用紙に換算して一万五千枚は超えるという。また「徳川家康」は原稿用紙にして約一万七千四百枚。

これに対して「グイン・サーガ」は、一巻(約三百ページ)あたり正確に四百枚なので、六月発売予定の第四十四巻で一万七千六百枚となり、世界で最も長い物語となる計算だ。同書房では現在、英国のギネス社に記録登録申請の準備中。

「グイン・サーガ」は、ただ長いというだけでなくよく売れている。

早川書房によると、部数も各巻四十万部前後、合計一千五、六百万部という堂々たる数字を誇る。主な読者層は、活字離れの進む「十代後半から三十代前半の若者」という。

物語は今回の四十四巻で終了するわけではなく、継続中。今後も年三巻程度は出る予定で「百巻完結が目標。でも、それで収まるかどうか」(栗本さん)という。前人未到の記録は、まだまだ更新されそうだ。

このほか記録には入れていないが、登場人物の関連物語を記した「グイン・サーガ外伝」も九巻まで出版されている。

栗本さんは、中島梓の名で劇作、演出も手がけ、群像新人文学賞を受賞した文芸評論家。栗本薫名では純文学、SFのほか江戸川乱歩賞を受けた推理作家でもある。平成四年には自分の乳がん体験をつづった「アマゾネスのように」(集英社)を発表するなど、常に時代の話題を集めている。

 出版事情に詳しいエッセイスト、井狩春男さんは「栗本さんは学生時代から付けてきたネタノートを持っているというが、それにしても大変な記録。まったく新たな書き手が現れない限り、破られることはないだろう」と話している。

                

 【メモ】評論家・紀田順一郎さんの調査によると、よく知られた「大長編」は別表の通り。しかし複数の作家が協力したシリーズ作品になると、信じられないほど長い作品もある。

ドイツのSF作家グループ十数人によるスペースオペラ「宇宙英雄ローダン」は、同国で現在、一千七百巻が出版されている。

日本語訳は、やはり早川書房が昭和四十六年から出しており、現在百九十九巻。「原書二冊分を一冊にして出しているため、いずれ八百五十巻まで刊行する予定」というからスケールが大きい。

                

主な長編小説

「徳川家康」    (山岡荘八、1万7400)

「善意の人々」   (ロマン、1万5000余り)

「大菩薩峠」    (中里介山、1万3500)

「新・平家物語」  (吉川英治、1万1300)

「ダルタニャン物語」(デュマ、1万100)

「戦争と人間」   (五味川純平、8800)

「失われた時を求めて」(プルースト、8600)

「南総里見八犬伝」 (滝沢馬琴、6600)

「水滸伝」     (施耐庵、5800)

「戦争と平和」   (トルストイ、4300)

「源氏物語」    (紫式部、2700)=(数字は原稿用紙への換算枚数)》

 

 この記事をきっかけに、月刊正論にも当時、栗本さんに関する短い記事を書きました。月刊誌に記事を載せるのはそれが初めてで、これも思い出となっています。

 

 それと、栗本さんがもう一つのペンネーム、中島梓名で書いた「ベストセラーの構造」を大学生時代に読んだ際にはうなりました。「窓際のトットちゃん」など、大ベストセラーはいかにして生まれるのか、それは日ごろ読書習慣のない人が手にとったときだということが、とても明晰に分析されていて、とても面白かったのを記憶しています(蛇足ですが、政治でも「ブーム」現象が起きるときは、ふだんは政治に関心を持たない人たちが参加しようと思うときかも)。

 

 いずれにしても、惜しい人を亡くしました。愛読していた作家が亡くなると、もう新作が読めなくなるので、寂しいものがあります。グイン・サーガはきっと150巻まで、いやもっと続くのだろうと勝手に思い込んでいましたが…。

 

 

 北朝鮮が2度目の核実験を実施しましたね。現在、国連の場で対北制裁決議の中身をめぐって議論が始まったばかりでもあり、私には今のところ、これといってお伝えできる情報はありません。まあ、長距離弾道ミサイル発射のときは対北制裁決議に反対した中国も、今回は「国連で流れもできているし、強い反応をとらざるを得ないだろう。アメとムチのうち、金融措置だとか、実効のあるムチを使う方に舵を切ってくるかもしれない」(外務省筋)との見方が出ていますが、まだ予断は許しませんね。

 

 ちなみに、藪中三十二外務次官も昨日夕の記者会見で「一番実効性のある対応をよく関係国と話し合っていきたい。世界全体として、どういう対応を取るかが問われている」と金融制裁で世界各国と足並みを揃えたい考えを示唆しましたが、さてどうなるか。

 

 そういう中で昨夜、安倍元首相が福岡市での講演で、次のように述べて「友愛外交」を掲げる民主党の鳩山由紀夫代表の外交姿勢を批判しました。鳩山氏が自身の外交政策として「国家として自立し、価値の異なる社会とも共生していける友愛外交を推進する」ことを提唱していることは、以前のエントリでも記した通りです。

 

《鳩山さんは「友愛外交」なんていうことを言っています。友愛外交なんて、何を意味するか分からないわけですが、友愛外交が絶対に北朝鮮に通じないのは間違いないと思う。2006年に核実験をした後、国際社会が北朝鮮に重油を供給することを決めた。6者協議に参加をしているアメリカも中国もロシアもそうだった。しかし私は当時、総理だったが、拉致問題が解決していない段階においては、一滴も日本は重油を供給できないと決定した。そのときに、鳩山さん、民主党は「今、国際社会はみんな重油を供給しようといっているじゃないか。日本だけ供給しないということは、日本だけが孤立することになりますよ。安倍さん、それでいいんですか」と国会で質問をした。「バスに乗り遅れますよ」と言ってきたわけです。私はこう答えたんです。「じゃあ、あなたはバスに乗っていったい何処に行こうとするんですか。めぐみさんをおいて被害者をおいて、私は絶対にそのバスには乗らない」と宣言したわけです。あのときに、国際社会も一緒に、もっともっと、彼らが態度を変えるまで、私は制裁をぐっぐっと強めていくべきだったと思う。今度はその反省の上に立って、われわれは、我慢強さを持って、経済制裁はすぐには効果が出てきません。ですから、民主主義国家においてはマスコミの厳しい批判にさらされるが、そこは我慢です。我慢して、効果が出るように頑張らなければならないと思う。》

 

 では批判された鳩山氏は今回の核実験についてどう語っているのか。安倍氏の批判は当たっているのかピント外れのためにする批判なのか。鳩山氏は昨日は、被爆者団体との面会時のあいさつでこう語っていました。

 

 《北朝鮮が核実験を行ったという話をうかがいました。信じられない思いで、厳しく民主党としても、この問題に対しても断固抗議をしていかなければならないと思っております。》

 

 また、本日は党の常任幹事会でこう述べました。昨日に続き、「信じられない思い」を繰り返していますが、私は北朝鮮の核実験に怒りや不安、恐怖を覚えるのは当然だと思いますが、「信じられない」というのはそぐわないと思います。

 

 《隣の北朝鮮では、大変けしからんことに、核実験を再開しました。とてもとても、信じられない思い。ぜひ、民主党としても、厳しい対応をしていかなければならないと思っており、ここは政調会長、幹事長のもとでしっかり頑張っていただきたい。》

 

 …さて、核実験への言及部分が簡単すぎて、本当のところどう思っているのか、何をやるべきだと考えているのかやはりよく分かりません。もともと鳩山氏は政治歴がけっこう長い割に外交に対する言及が少ない人でもありますし、安倍氏が「何を意味するか分からない」と指摘するように、鳩山氏の掲げる友愛外交がどんなものであるかはこの短いセンテンスからはきちんと読み取れません。というか、そもそも次期首相候補がキャッチフレーズとしている政治的用語としての友愛とはいったい何なのか。鳩山氏自身は「自由と民主主義のある意味で架け橋となるようなもの」とも言っていますが…。

 

 もともと鳩山氏の言う「友愛」とは、祖父の鳩山一郎元首相が1953年に翻訳したリヒャルト・クーデンホルフ・カレルギーの著書「自由と人生」(1938年刊)に依拠した思想だと伝えられています。そこで、日本友愛青年協会が出している「『友愛』理解のために」という小冊子が抜粋・掲載しているこの「自由と人生」の関連部分を読んでみました。あまり直接外交にかかわる部分はありませんでしたが、この中で、カレルギーは世界の現実についてこう主張しています。

 

 《近代世界は、こうした友愛的な精神とは大分に懸け離れている。それは生存競争、適者生存なる所謂ダーウィンの根本法則に署名しているのであって、即ち唯物論者なるボルシェヴィズムは、人種的な国家社会主義の如く、盲目的に此の戒律に服従する。両者ともに、生存競争は自然的生活の僅か半面を蔽うだけのもので、他の半面には第二の根本的法則、即ち相互の寛大と助力とを要求するところの戒律――即ち共同生活、換言すれば共存共棲友愛という戒律――の存在する事実を知らないのである。》

 

 その上で、「今日こそ此の忘れられた第二の戒律を、国民やその指導者達の脳裏に喚び起し、彼等をして次の事実を思出させるように努むべき時機なのである」と書き、次のように強調しています。

 

 《一切の友愛主義、一切の人道主義に対して、母性的感情はその核心をなすのである。若し主我的な生存競争が人生の男性的原理であるとせば、その相対的補足は此の女性的な原理に他ならない。母は実に我と汝との間の第一の、そしてまた最強の紐帯であって、彼女こそは一切の友愛主義の根源なのである》

 

 …分かるような分からないような、不得要領な気分です。つまりは母性原理を再発見し、そこに回帰しろ、ということでしょうか。ある種の思想としては尊重しますが、それをどう外交という権謀術数、だまし合いが当たり前で、かつ剥き出しの国益と国益が衝突し、ときに紛争・戦争という事態にも発展する場に落とし込むつもりなのか、いまひとつ、いやおおいに理解できません。では現実の核実験にどう対処するのか。

 

 と、ここまで書いたところで、鳩山氏が本日の記者会見で語った安倍氏の批判に対する反論内容が入ってきました。関連部分は以下の通りです。

 

 《たぶん、(安倍氏は)北風と太陽でいえば太陽戦略みたいなものを想定しておっしゃっているのかもしれませんが、太陽的な発想だけで北朝鮮のマントを脱がすことは難しいかもしれません。合わせて、北風との両面作戦というものが必要なのかもしれませんが、私は、だからと言って、価値の違う国同士が、これをお互いに認め合わないような外交というものを脱却しなければならない、大変重要な局面に来ているのではないかと。そのように考えておりまして、友愛外交をこれからも、もっと模索をしていくことが、私は政府にとっても必要だと思っております。》

 

 うーん、結局、どうしたいのか。北朝鮮の言い分を認めろと言っているのか違うのか。やっぱりつかみどころがないような気がします。私の理解力が不足しているだけかもしれませんが、どうなんでしょうね…。

 

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