2009年06月

 

 先日、早大教授で北朝鮮問題の専門家である重村智計氏から近著「金正日の後継者」(ベスト新書)を送っていただきました。重村氏からは以前にも「金正日の正体」(講談社現代新書)を送付していただき感謝しています。この手の本は私にとって趣味の読書というより、仕事上・実務上の読書になるので「最近読んだ本について」シリーズでは取り上げていませんが、ちゃんと目を通しています。

 

     

 

 では今回の「金正日の後継者」の中身はというと、金正日総書記の後継者は「3人の息子の誰かではない」というもので、最近メディアが報じている「正雲後継説」を否定する内容となっています。それが正しいのかどうかは、私は直接的な北朝鮮情報は何も持っていないのではっきり言って分かりません。ただ、上の2冊からは元記者でもある重村氏の情報に関する強いこだわりが感じられ、とても興味深いものがあります。

 

 「金正日の正体」では、わざわざ「情報学のすすめ――記者の取材、学者の理論」という1章を立てていますし、「金正日の後継者」の方でも、序章「ウォルター・リップマンに学ぶ」で情報入手・確認方法や分析の仕方について論じてあり参考になりました。例えば産経が出てくる箇所を引用すると「日本の新聞は朝鮮総連の情報や、その機関紙の記事を引用してはいけない。ところが、産経新聞でさえ『朝鮮新報』の記事を引用報道することがある。多くの記者には、それが意図的な情報工作であるとの判断がない」と指摘しています。

 

 耳の痛い指摘ですが、実際問題、私も北朝鮮や中国をめぐる報道や、現に動いている政局報道については、「ああ、工作記事だな」「何らかの目的に利用されているな」と感じることがしばしばあります。私は、「政府の陰謀だ」という類の話はほとんど信じませんが、一方で言論・報道活動にはさまざまな工作が仕掛けられる、偽情報をつかまされるものだということは実感しています。

 

経験上も、割と信用できる人からの北朝鮮情報であっても、別の人が全否定したり、あるいは別の場所で全く裏がとれなかったりするので記事にしなかったところ、他の新聞や通信社がそれを書いてくるということが何度かありました。これを工作と決めつけることはできませんが、まあ自分なりの相場観を持って、怪しい情報かどうかを判断するしかないという気はします。現場の記者が「この情報は正しい」と信じても、上のデスクや部長、編集長が疑問を持てば、記事は不掲載、または小さな扱いということにもなります。

 

 またまた話が余談に流れそうになりました。重村氏は「金正日の後継者」の中で、米国のジャーナリスト、リップマンの古典的名著「世論」(1922年刊行)を引いて、「…テレビ・メディアが、不必要に北朝鮮をバッシングしている、という論旨である。これは『ステレオタイプ』な、テレビ報道批判である」「『北朝鮮バッシング』論はジャーナリズム放棄」と指摘しています。この「ステレオタイプ」という言葉、そもそもリップマンがその概念と認識を創造し、定着させたものだそうです。重村氏はこう書いています。

 

 《彼は、メディアの報道が、ある種の同じような理解や解釈、判断を定着させることを「ステレオタイプ」と指摘した。そして、この「ステレオタイプ」な認識は、時に偏見を生み、あるいは紛争や戦争に国民を駆り立てる。彼は、ジャーナリズムの使命はこの「ステレオタイプ」な偏見や認識を指摘し、誤解や偏見を解消させ真実を伝えることだ、と指摘した。だから、ジャーナリストの使命は、「ステレオタイプな認識」を打破することなのだ》

 

 《およそ十年前、日本では「北朝鮮が戦争を始める(朝鮮半島有事論)」と、「北朝鮮が崩壊する(北朝鮮崩壊論)」といった報道や主張が一般的であった。それ以前は、金日成主席を賞賛し、立派な指導者とする報道があった。また、韓国の報道弾圧や人権弾圧を指摘しながら、北朝鮮の独裁や人権問題には目をつぶった。これが、ステレオタイプな北朝鮮報道であった。》

 

 …うーん、まさにその通りでしょうし、現在の日本の各種報道のあり方はまさにこの「ステレオタイプ」そのものだという思いと反省もあります(もちろん、弊紙も私自身も含めて)。そして、ステレオタイプな報道・論調への反発が、逆の意味でのステレオタイプを生むこともありますね。自分はステレオタイプを脱し、それを批判しているつもりでいる人が、いつしかステレオタイプに囚われ、それを再形成していると…。

 

 そこで、実際にリップマンの「世論」をひもといてみたのですが、実はこの人はけっこう物事に対して懐疑的だったり、悲観的だったり、皮肉屋だったりする部分があるようだと感じました。書いてあることは鋭く、納得がいくのですが、同時に決して安易に理想論を掲げてみせるようなタイプではないなという印象も受けた次第です。以下、きょうのテーマに合うものも必ずしもそうでもないものもありますが、報道関連を中心に気になった言葉をいくつか引用します。それにしてもこれが87年前に書かれたものかと驚きます

 

 《古くから執拗に続いている信仰、つまり、真実は労して得るものではなくて、示唆され、暴露され、無料で提供されるものだという信仰は、われわれ新聞購読者の偏った金銭感覚にごく端的にあらわれている。その真実がいかに新聞のもうけにならないものであろうと、われわれは新聞が真実を提供すると期待している。(中略)このこともまた民主主義の「井の中」的な性格を示すものである。人手をかけてこそ得られるような情報を必要としてるのにそれが感じとられていない。情報はひとりでに、つまり無料で入ってくるはずとされている。もし市民の心から入ってこないなら、新聞から無料で入ってこなければならない。市民は電話、電車、自動車、娯楽の料金を支払う。しかしニュースのためには積極的に料金を支払おうとはしない》

 

 …インターネット社会が到来したからこうなったという話ではなく、もともとの構造的な問題だったわけですね。

 

 《一連のニュース記事は、利害関係のない読者には全体的に検討されることはないかもしれないが、一部の読者にはきわめて明瞭な先入観がある記事を含んでいる。そうした記事はその人が新聞を判断する資料であるが、こうした個人的基準なしに読まれるニュースは正確度とは別の尺度で判断される。そこでは人びとが自分では虚構か現実かの区別のつけようのない問題が扱われている。真実かどうかを基準にして判断することはできない。だが、このようなニュースでも自分のステレオタイプに合致すれば、人びとはひるまない。彼らはニュースが自分の興味をひくかぎり読み続けるだろう》

 

 …ステレオタイプ自体がある種のニーズを構成しているときに、歴然と営利企業である商業紙はどう対応すればいいのか。

 

 《世界中のすべての記者が四六時中働き続けても、世界中のあらゆる出来事を目で見るわけにはいかない。記者の数はそれほど多くはない。また、同時に二か所以上の場所に居合わせる神通力は誰にもない。記者は千里眼ではないし、水晶玉をのぞきこんで意のままに世界を見ることもできないし、テレパシーの力を借りることもない。とはいえ、こうした比較的少数の人間が何とか受け持っている話題の広がりは、それが平均的日常ではないとしても、まさに奇跡というものだろう》

 

 …いわんや弱小紙においておや。

 

 《新聞がこうした定石に固執せざるをえないような圧力が多方面からかかっている。ある状況のステレオタイプ化された一面だけに注目すればよいという省力主義、これまで自分が学んだことのなかったものにも目を注ぐことのできるジャーナリストを見つけるむずかしさ、どんなに健筆家のジャーナリストでも伝統に縛られない新しい見方を納得のいくように説明できるだけのスペースを得がたい、というほとんど宿命的な事実、読者をすばやくひきつけるべしという経済的要請、まったく読者をひきつけることができなかった場合やニュースの記述が不十分だったり不手際だったりして、期待がはずれた読者の不興をかった場合の経済的危険。圧力はそうした各方面から加えられる》

 

 …さらには社内評価や人間関係の圧力もありますね。

 

 《読者に届けられる新聞は、ひと通りの選択がすべて終わったその結果である。どんな項目を印刷するのか、それをどの場所に印刷するのか、それぞれがどれほどのスペースを占めるようにするか、それぞれがどんな点を強調するか。このような選択にあたって客観的な基準といったものはない。あるのは慣例である》

 

 …その慣例がけっこう堅牢なものでして。

 

 《ニュースと真実とは同一物ではなく、はっきりと区別されなければならない。これが私にとってもっとも実り多いと思われる仮説である。ニュースのはたらきは一つの事件の存在を合図することである。真実のはたらきはそこに隠されている諸事実に光をあて、相互に関連づけ、人びとがそれを拠りどころとして行動できるような現実の姿を描き出すことである。社会的諸条件が認知、測定可能なかたちをとるようなところにおいてのみ、真実の本体とニュースの本体が一致する。人間の関心が及ぶ全分野からすれば、それは比較的小部分でしかない》

 

 …全くその通りだと思います。私自身としては、「真実」という言葉は口にするのもはばかられるほど遠い存在のような気もします。

 

 《正確な検査方法が存在しないということは、ほかのどんな説明よりもこの職業の性格を説明していると思う。かならずしもとくにこれといった能力や経験がなくとも処理できるような正確な情報の量はきわめて少ない。それ意外の情報はジャーナリスト自身の自由裁量に委ねられている。(中略)自分が弱いものだということを理解すればするほど、客観的に検査方法が存在しないかぎり、自分自身の意見のかなりの部分が自分自身のステレオタイプ、自分自身の規範、自分自身の関心の強弱によって成り立っていることを抵抗なく認めるようになる。ジャーナリストは自分が主観的なレンズを通して世の中を見ていることを知っている》

 

 …はい、ほとんど何の抵抗もありません。同感です。

 

 《(新聞は)そろって性悪でもないし、それほど深いたくらみを抱いているわけでもないとしても、民主主義理論がこれまでに認めてきたよりずっと脆い存在である。きわめて脆い存在であるから、人民主権の重荷をぜんぶ負うこともできないし、自然に手に入るものと民主政治論者が希望的に思っていた真相というものを自発的に提供することもできない。そして真実の全貌を提供してくれることを新聞に期待するとき、われわれは誤った基準を用いて判断している。われわれはニュースの有限的性格と社会の無限の複雑さを正しく捉えきれず、自分自身の忍耐力、公共の精神、そして万事に対応できる能力というものを買いかぶっている。われわれはおいしくない真実に対しても食欲をもっていると思いこんでいるが、自分自身の味覚をどんなに誠実に分析してもそんなものは見つかりっこないのだ》

 

 …リップマンは、新聞は闇夜に光をあてて一部を浮かび上がらせる「サーチライト」のようなものだとも言っていますが、これはネットがいかに発達しようともそうは変わらないでしょうね。そうでありながら、また、それも含めた諸々の限界を百も承知の上で、いかに「ステレオタイプな認識」の打破ができるのか。まあ、ふらふらしながらも細々と書き続けるしかないのでしょうね。

 

 最後に、先日のエントリで「宣伝」した7月後半発売の「民主党解剖 この国を本当に任せられるのか?」(産経新聞出版)の表紙デザインが上がってきたのでついでに紹介します。私の売れなかった本よりは、はるかにかっこいいなあ、と思っています。どうぞよろしく。

 

     

 

 

  本日は、いつものように4週間ぶりの読書エントリとなります。今月は雑用が多く、けっこう多忙で精神的に余裕がなかったためか、読んだ本も時代小説を中心に比較的読みやすい手軽な本に傾いたようです。でも、その中でも今まで知らなかった「これはいい」という作家とも出会いました。最近では、家人からも「本に依存している」と呆れられている次第ですが、読書だけはやめられませんね。(今回も5段階の☆印で自分勝手な評価をつけますが、基準はあくまで私の趣味・好みの問題なのでご勘弁ください)

 

 まず、最初に読んだのは前回読書エントリでも紹介した原宏一氏の「トイレのポツポツ」(☆☆☆)です。なんかユーモア小説のようなタイトルなのですが、これがけっこう真面目な企業小説の趣きでした。ある中堅食品会社で、一つの社内メールをきっかけに社内の権力闘争、同族支配の実態、表示偽装などの諸問題がどんどん明るみに出始め、やがて内部告発に業務停止、そして再生へと…というストーリーです。タイトルは、「社内が乱れてくるとトイレの汚れもひどくなる」ことを表しています。 

 

     

 

  で、次は「一膳飯屋『夕月』 しだれ柳」(☆☆★)というおそらく読んだことのない作家の作品に手を出しました。私のこれまで書いてきたことをご存じの方は想像がつくと思いますが、「一膳飯屋」という言葉にひかれた次第です。主人公は町屋で町人出身の妻と暮らしているが、もとは御家人で、将軍の食事を調理する御膳所御台所人の三男という設定は興味深く、出てくる料理もおいしそうなのですが…。趣味と理解力の問題でしょうが、文章のつながりがときどきよく分からないことがあり、どういう意味だ?と読み返すことがありました。

 

     

 

  これは話題作ですね。またまた料理屋を舞台にした「みをつくし料理帖 八朔の雪」(☆☆☆)は、帯で角川春樹氏が「山本周五郎の『さぶ』以来の感動!十年に一冊の傑作」とまで激賞しているので、そこまで言われたら読まないわけにはいくまいと手に取りました。初めての作家でしたが、天涯孤独の若き女料理人がまっすぐに成長するという内容で、確かにいい作品でした。思わせぶりな終わり方からみて、これはシリーズものになりそうです。巻末に作中に出てくる新作料理の調理法が付録としてついていていて感心しました。

 

     

 

  これはいいなとなると、続けて読みたくなる方なので、次は同じ作家の「出世花」(☆☆★)です。中身は、帯にある通り「江戸時代のおくりびと」という感じで、これも面白くはあったのですが、私には主人公がこの道を選び、それに生涯を捧げようと決めることにいまひとつ必然性が感じられず、少し厳しい評価としました。もっと普通の幸福も同時に追及する方が当たり前ではないかと。

 

     

 

  この高田郁氏の作品の中では、最後にあげる「銀二貫」(☆☆☆★)が一番楽しめました。これまた、結論から言うと寒天を使った料理開発に取り組む話で、これでは私は食べ物にしか関心がないのかと思われてしまいそうです。否定できないところでもありますが。…この作家は、何というか「真っ当」な人、生き方とはどういうものかを描こうとしているようで、読んでいて気持ちがいいです。

 

     

 

  今月は時代小説づいていたので、次は「山田浅右衛門斬日譚 絆」(☆☆☆)とあいなります。首斬り浅右衛門と呼ばれた処刑人で徳川家御佩刀御試御用役を務めた山田家のありようが「そういうものだったのか」ととても興味深く読めました。派手さはあまりありませんが、読み応えがありました。

 

     

 

  私が好きな作家である佐藤雅美氏の新刊「八州廻り桑山十兵衛 たどりそこねた芭蕉の足跡」(☆☆☆)は、やはり安定感があってよかったです。このシリーズも第七弾だそうです。主人公が、「あくせく働くばかりが能ではない」とさぼることを考えながらも、結局、事件(仕事)に巻き込まれて働かされてしまうところが…これも他人事ではないような。

 

     

 

  今月は私はかなり頭が朦朧ともしていたようで、何度も地下鉄で降りるべき駅を乗り越したり、本を水の中に落としたり、コップの水をこぼしたりしました。この上田秀人氏の「密封 奥右筆秘帳」(☆☆☆)は、「この文庫書き下ろし時代小説がすごい!」第一位だという宣伝文句に引かれ、初めて読んだのですが、これと続編(まだ途中までしか読んでいない)の二冊とも水浸しにしてしまいました。はい、徳川家の内情を描き、面白いです。このシリーズは4冊出ているようなのでまだ楽しめそうです。

 

     

 

  もったない、後にとっておこうと思いつつ、つい上橋菜穂子氏の「狐笛のかなた」(☆☆☆★)に手を出してしまいました。これも、「獣の奏人」「守人シリーズ」ほどではありませんでしたが、やはりしみじみといいです。架空の国、時代を舞台にしていますが、やはり、作者の世界観に納得させられるのだろうなあ。

 

     

 

  で、上の上橋氏が称賛しているという帯の文句に引き寄せられて買ってみたのが荻原規子氏の「RDGレッドデータガール」の第一作「はじめてのお使い」と第二作「はじめてのお化粧」(ともに☆☆☆☆)で、今月の一番の収穫でした。RDGとは、絶滅の恐れがある少女という意味らしいです。主人公は第一作では中学三年生、第二作では高校一年生という設定で、奈良県の山奥の神社で生まれ育ったため、極端に世間を知りません。

 

 その少女が、自分は何者であり、何がしたいのか、どうありたいのかに少しずつ目覚め、成長していくわけですが、その周囲には山伏だの陰陽師だの神霊だのが…まあ、詳しくは読んでみてください。それこそ好みの問題はあるでしょうが、お薦めです。

 

         

 

  いやあ、これは現代小説ですが、懲りずに食べ物方面のお話です。ただ、「遺言状のオイシイ罠」(☆☆☆)というタイトルからはミステリータッチかと思わされるのですが、タイトルを変更する前の原題は「東京・自然農園物語」だったそうで、ストーリーはどちらかというと後者の方がぴったりきます。突然、都内の4000坪の農地の相続人に指名された4人の男女が、遺言状の「条件」を満たすため悪戦苦闘しながら有機農業に取り組み、やがて…という内容でした。

 

     

 

  〆は、夢枕獏氏の「闇狩り師 黄石公の犬」(☆☆☆)です。帯にもありますが、私の大好きな「闇狩り師」シリーズの21年ぶりの新刊であります。本当にこの作者は多作ではありますが、書きかけになっている作品も多く、いつまで待たせるのかと。主人公の九十九乱蔵は身長2メートル、体重145キロという設定ですが、この圧倒的な肉体のパワー、エネルギーを描かせたら、夢枕氏にかなう人はいませんね。格闘小説でも第一人者ですし。

 

     

 

  現実が面白くないと、余計に読書に逃避しがちだと自分でも戒めてはいるのですが、カバンの中には常に本が2、3冊入っていないと落ち着きません。どうも近く衆院解散があるのではないかとの見方も出ていますが、これから日本社会はどこへ向かうのでしょうね。ますます本の世界に浸りたくなるようなものでないことを祈るとともに、自分のできる仕事を一つひとつするしかないのだろうなと思っています。

 

 25日の産経第3社会面に、産経新聞社会部・司法記者クラブがまとめた新刊「検察VS小沢一郎 政治と金の30年戦争」(新潮社)発売の告知記事が「大きく」掲載されていました。

 

   

 

 うーむ、いつのまに…と早速書店で「立ち読み」したのでありますが、これはけっこういい本だと思います。何より、私が以前、社会面に書いた小沢氏の「不透明な政治資金」に関する記事も取り込んでいるところが(まあ、ホンの一部ですから、印税などおいしい話は私には回ってこないでしょうが…)。

 

   

 

 で、この記事を見て、「これは政治部としても宣伝しておかないわけにはいかない」と思い立ったので、このエントリはPRにあてたいと思います。えー、3月から6月にかけて産経紙面で4部にわたり連載した「民主党解剖」が来月後半、産経新聞出版から発刊されます。で、ただいま校正作業中なのです。

 

   

 

 まあ、新潮社のような大手出版社ではないので、どこまで市場に流通、ありていに言えば売れてくれるかはちょっと心許ないところもあるのですが、可能であれば読んでみてください。ある程度売れないと、私ども執筆した記者たちには何の余禄も入りませんから(涙)。

 

   

 

 これは、産経紙面で連載した記事に加筆・修正したほか、民主党の成り立ちと鳩山代表のこれまでの軌跡をたどった「鳩山由紀夫氏と民主党」(仮題)、民主党の「次の内閣」の構成について考察した「『次の内閣』とは何か」(仮題)、私が月刊WiLL5月号に書いた小沢一郎語録を一部改めた「過去の発言に見る小沢一郎氏の真実」(仮題)、民主党の「政策INDEX2008」から特徴的な政策を抜粋した資料編などで構成しています。

 

   

 

 発行元の産経新聞出版の担当者には「かなり内容が深いから、これは売れますよ」と言われ、意を強くしているのですが、まああまり売れなくても記念・資料として残るからいいか、とも思っています。民主党について、のべ11人の記者がいろいろな角度からときに批判的に、ときに(心情的に)寄り添い書いた内容は、全体のアンカー役だった私自身、「他紙にはここまで書けまい、けっこう面白いではないか」と自負しています。

 

   

 

 ここで紙面での連載をご存じない方のために簡単に振り返ると、連載は民主党政権の誕生を念頭に第1部「政権のかたち」、「小沢ショック」、第3部「ぶれる輪郭」、第4部「新体制の行方」と、そのときどきの党内情勢、トピックを同時進行的に取り上げつつ、民主党の政策や現状、目指すものと課題を実際の出来事、当事者たちの証言から浮き上がらせようと試みたものです。

 

   

 

 民主党に対してかなり辛口な部分もあるので、読者からは「政権交代の邪魔をする民主党たたきではないか」「なんで小沢さんを悪く言うのか」などとの声も少なからずいただきました。でも、私たちが何を書こうと政権交代へと向かう大勢にそんなに影響があるとは頭から思っていませんし、連載の意図はもっとシンプルに「民主党とはどんな政党なのか」を考えたい、知ってほしいというものでした。

 

   

 

 実際に読んでもらえば分かると思いますが、この連載はあくまで民主党議員、秘書、党職員など「民主党内部」の声を拾ってつくっています。単に民主党批判をしたいのなら、与党幹部でも評論家でも使えばいくらでもけなしてくれたでしょうが、私たちは実際に起きていることについて民主党議員ら自身がどう考え、本当のところどう解釈して何と語っているかにこだわってきたつもりです。

 

   

 

 例えばこのブログでも、なぜか小沢氏批判=民主党批判と一方的に脳内変換して執拗に絡んでくる人がいますが、民主党議員の本音はそんなに単純なものではありません。親小沢の議員もいれば、とにかく消えてくれという人もいます。そういう当たり前の事実を伝えようとしたわけですし、実際に民主党議員から「きょうの産経は全くその通りだ」と言われることもありました。

 

 また、記者の中にも小沢政権が見たいという者もいれば、私のように小沢政権だけは勘弁して、という者もいて、当然のことながら民主党に対する視線もいろいろです。そういうさまざまな見方や意見を総合しつつ、政権党になる可能性が高いからこそ問題点を指摘しておきたいという思いもありました。私個人としては、その指摘が政権党となったきに、少しでも暴走を食い止める「たが」として働いてくれれば…という願望もありましたが、それを本気で期待するほど甘くみているわけではありません。

 

 …というわけで、本日は長々と宣伝でした。結論を言います。「できたら買ってください」。なにせ記者11人に部長の連名ですから、かなり売れないと取り分は「ゼロ」なので。いやはや勝手な言い分でした。すみません。

 

 先日、ある人の紹介でバルト3国のひとつ、リトアニアのヴィタウタス・マグヌス大学日本研究センター所長を務めるオウレリウス・ジーカスさん(30)からいろいろと話を聞く機会がありました。私としては、産経紙面の「人」欄で取り上げようと思っていたのですが、その後、上司とのやりとりの中で、なんと紙面から「人」欄そのものがなくなっていたことが判明しました。

 

 毎日、産経新聞を読んでいて気付かない私がまず第一に愚かであることは明らかで、否定のしようがありません。ただ、同時に末端の記者が紙面改編について何の情報も持っておらず、また何も知らされていないということがよく分かる話でもありますね。こんなんで本当にいいのだろうかと正直思います。私はつい1年前には、何か縁でもあるのかやはりリトアニアに赴任する新任大使の紹介を「人」欄で書いていたのに…。

 

   

 

 でもせっかく取材したので、上司に何とかならないかと相談したのですが、政治面で収容するような「政治的」な話でもないし…とうまくいかず、じゃあ、ブログで書くしかないかということに落ち着きました。まあ、ブログという媒体があるだけマシなのでしょうが、なんとなく得心がいかない話でした。

 

 さて、ジーカスさんは現在、国際交流基金の招きで来日中で、現在の研究テーマはヨーロッパ、またリトアニアにおける「日本のイメージ」だそうです。金沢大学に1年、早稲田大学に1年半の留学経験もあるので日本語は流暢そのもの。裏千家の茶道も修めた知日派です。当然のことながら、インタビューも日本語のみで行いました。

 

   

 

  なぜ日本のイメージを研究しているのか

 

 ジーカス氏 リトアニアでは、非常に日本の好感度は高い。日本は素晴らしい国として認められている。リトアニアも外国から日本のように尊敬される国になるにはどうしたらいいのかと理由を考え、この研究テーマとなった。日本のパブリック・ディプロマシー(広報文化外交)を学びたい。

 

  日本のどんな点について評価されているのか

 

 ジーカス氏 日本は何と言っても技術の国として知られているが、私より上の世代だったら、茶道、生け花、武道など日本の伝統文化に興味を持っている。剣道クラブは3年前に初めてできたが、今では5カ所にある(※リトアニアの人口は350万人)。若い世代は、やはり漫画とアニメだ。これが日本を好きになる最大の理由であり、これらはクール・ジャパンとして評価されている。私の授業でも、学生たちは漫画に関心を持ち、授業でも「できるだけ漫画のことを教えてくれ」と言ってくる。

 

  ちなみに、どんな漫画が人気があるのか

 

 ジーカス氏 私自身はあまり詳しい方ではないが、「ドラゴンボール」だとか。リトアニア語にも翻訳されているし、書店では漫画コーナーもある。並んでいるのは全部、日本の作品だ。

 

  本では誰の作品が好きか

 

 ジーカス氏 村上春樹は個人的にも好きだが、リトアニアでは現在、ナンバーワンの人気作家だ。安部公房もいい。昔は英語からリトアニア語に訳されていたが、最近は日本語から直にリトアニア語に翻訳されている。

 

  ところで、あなたは「杉原『命の外交官』財団」理事でもあるそうだが、杉原千畝(駐リトアニア領事代理、「日本のシンドラー」とも呼ばれる)はリトアニアでもやはり評価は高いか

 

 ジーカス氏 杉原は、日本とリトアニアの大事な接点であり、リトアニアではものすごく知名度が高い。90%ぐらいの人は、名前も、どういうことをした人物なのかも知っている。歴史教科書にも載っていて、小学生から人道的人物として教えられている。

 

   

 

  あなたは、2007年5月に天皇、皇后両陛下がリトアニアを訪問されたときには通訳も務めたそうだが

 

 ジーカス氏 両陛下は首都、ビリニュスの対ソ連独立戦争の犠牲者の墓地で花を捧げられ、遺族らと交流された。リトアニアは、ソ連から独立してまだ20年もたっていない。私は主に皇后さまの通訳をしたが、皇后さまは亡くなった市民14人の妻や息子たち遺族に当時の様子について質問され、温かいお言葉をかけられした。

 

  例えばどのようなことを

 

 ジーカス氏 1991年の対ソ抵抗運動で起きた14人の悲劇を「血の日曜日事件」というが、皇后さまは涙を流しながら、「そのとき息子さんは何歳でしたか」と尋ねられ、母親が「20歳でした」と答える場面などがあった。皇后さまは「お悔やみを申し上げます」と言われ、その場に集まった数十人と優しく握手をされた。リトアニアには他の国の王族も来たことがあるが、対応は全く違う。皇后さまのように親しく声をかけられることなどはなかった。

 

   

 

  2006年5月には、リトアニアを訪れた当時の麻生太郎外相の通訳も務めたそうだが

 

 ジーカス氏 これはリトアニアの歴史にとってはとても重要なことだった。外国の外相としては、麻生さんが初めての訪問者だった。「自由と繁栄の弧」という発想はなかなかいいと思う。…ソ連から独立してとてもよかったと思う。

 

 …30分間ほどの駆け足インタビューだったので、それほど掘り下げたような話は聞けませんでしたが、私にとってはなかなか有意義な時間がすごせました。ジーカス氏は、リトアニア語と日本語のほか、英語、ロシア語、スペイン語、韓国語ができるそうですが、私が雑談で「リトアニア語は欧州語の中でも最も難しいそうですね」と話を振ると、実にうれしそうに「そうなんです。インド・ヨーロッパ語の原型に近く…」とのってきました。けっこう誇りやこだわりのポイントだったのかなと。

 

 ともあれ、厄介な周辺国に頭を悩ませられることが多い日々ですが、こういう日本に関心を持ち、日本と交流を深めたいと願っている国々ともっともっと連携していければいいなと、ジーカス氏の話を聞きながら考えた次第でした。

 

 今朝の産経が報じている産経とフジテレビの合同世論調査では、麻生内閣の支持率は前回(5月17日)調査から9.9ポイント下がって17.5%となっています。天下分け目の衆院選を間近に控えてのこの数字は、自民党にとっては相当痛いことでしょうが、これは多くの人が指摘しているように日本郵政の西川善文社長の人事をめぐり、鳩山邦夫前総務相が大騒ぎして辞任したことが響いているのだろうと思います。この調査では、鳩山氏を更迭した麻生首相の判断を「適切」とする人は20%にとどまり、逆に「鳩山前総務相の主張は納得できる」は62.2%にも上りました。

 

 まあ、これも予想された数字ではあります。私のブログにも、この問題に対するマスコミの報じ方がおかしいからだとのご批判、お叱りをいただいていますし、それもその通りだろうと思います。ただ一方で私は、仮にマスコミ(特に新聞)がもっと公平に多角的に問題を取り上げていても、やはり今回のような傾向は出ていたのだろうという気もするのです。小泉内閣で田中真紀子氏が外相に就任した際の数々の非常識でエキセントリックで外交的に大きな禍根を残す言動について、いくら新聞が書いても、読者からは「真紀子さんをいじめるな」「彼女は真剣に戦っているのだ」と反感を買うばかりだったことを思い出します。

 

 もとより今回の話はあのときとは全く別の話ですし、鳩山氏に田中氏のような国民的人気があるわけでもないでしょうが、いったん「善玉」と「悪玉」のイメージが固定化すると、あとは何を言ってもそれを覆すことは難しく、また時間がかかるものだと思うのです。まあ、そのイメージ自体、とにかく「分かりやすさ」を追い求めるマスコミ報道、特に物事を単純化して善悪二元論に持ち込みたがるワイドショーがつくったものなのかもしれませんが…。

 

 自分でインターネットその他で調べたり、複数紙を読み比べたりすれば、現代社会は情報はあふれているわけですから、いくらでも「本当のところ」に近づく手段はあるのだろうと思います。また、そうしてほしいとは常々願っていますが、実際は多くの人は多忙であり、そうしたことに時間と労力を割く余裕もないものなのだろうとも考えています。そして、そうした自分で検証することのしにくい人の脳裏にいったん「分かりやすい」としてインプットされたことは、なかなか変わることはないのだろうとも。

 

 余談が長くなりました。本日は、昨夜、横浜市で行われたパーティーでの自民党の菅義偉選対副委員長(元総務相)のあいさつと、今朝の鳩山氏のコメントを二つ並べて掲載しておきますので、何かの参考にしてください。私の考えや視点については、もうこれまでのエントリである程度書いたので、きょうはこれ以上は何も記さないでおこうと思います。

 

<菅義偉氏あいさつ>

【実績アピール】

 私自身、当選4回、10年目にして安倍内閣で総務大臣を務めさせていただきました。まさにせっかく大臣になったんだから自分で日頃思ってきたことを実行に移すのが政治だと思いました。全国津々浦々に日本国民としてふるさと意識をもっともっと高揚したいという思いでふるさと納税を作った。

また、北朝鮮に拉致をされている横田恵さんをはじめ、多くの日本国民が北朝鮮の地で監視の下で生活をしている。そういう人たちに国家としてNHKの短波放送を使って日本の状況を報告する。私はこのことを総務大臣としてNHKに命令したときに、マスコミから報道に対する介入だとか、いろんなことを言われました。しかし放送の中に総務大臣は命令できると書いてましたから、日本は法治国家ですから、国民の生命財産を守ることが政府の最大の仕事であると思ってさせていただきました。

年金問題では、年金を納めたけれども自分がいざ受給する時期に仕方がないと言われた方がたくさんいて社会問題になった。当時の安倍総理が社会保険庁は信用できないから、菅さんのところでやってほしいということで、総務省で引き受けた。その実態は、自分はサラリーマンで会社から天引きされている。しかし、会社が社会保険庁に届けていない例がたくさんあった。そして、いざ受給の段階になると年金の資格がないということでした。私は当時、総理から、国民の側にたって対処してほしいという指示を受けていたし、私もその通りだと思いました。そして私たち議員立法を作って、時効を撤廃して会社に請求できる仕組みを作った。結果としてあまりマスコミは報道しないが、今日まで2万6600人の方が新しくそうした権利を回復することができているんです。政治は、私は言葉でなくて実行だと思っている。

【郵政】

 内閣支持率も一時10%切ったけれども、30%に回復してきた。そしたら今度の郵政問題で一挙にまた下がり始めました。私はこのことだけは是非、みなさんにご理解いただきたいと思います。総理の判断は正しかったと思います。

私たち、4年前に郵政事業民営化するかどうかということを国民のみなさんに問いました。みなさんは民営化しろということで私たちに300を超える議席を与えてくれたんです。ですから私たちは民営化を進めています。民営化になってから、まだ1年半ですけれども、たとえば郵政公社の時代は国庫納付は2400億円でした。しかし西川さんが社長になって4000億円納付していますよ。この厳しい時ですよ。銀行は極めて決算が悪い。そんなときにもかかわらず4000億円納付している。これは、私は客観的な実績として評価するべきだと思います。そうしたことの中で、指名委員会、社外取締役の人たちが西川さんを社長に指名したんです。そして取締役会でもそのことを承認したんです。そうしたことに対して私は政治は口出しをすべきではないと思います。

JRだってそうじゃないですか。政治が口を出したから、JR、国鉄はおかしくなった。そして民間にして、今生まれ変わったじゃないですか。NTTだってそうじゃないですか。これだっていちいち反対したら民間人はやる気なくなってしまいます。今度の鳩山前大臣の問題は、2400億円のかんぽの宿を71カ所、109億でオリックスに売るのがおかしい、そこにいろんな疑惑があるということでした。確かに1個ずつ見れば不動産の価値としてはあるかもしれない。しかし、全体で1つですから。71カ所、赤字部門はたくさんあります。毎年50億円ずつ赤字を垂れ流しているんです。不動産の売買というよりは事業の売買です。

経営者のみなさんには分かっていただけると思いますけれども、なかなか説明をすることが難しい話ですけれども、しかし、2400億円のものを109億円でおかしいと。そうしたものをいい加減とは言いませんけれども、そうした基準で作って毎年50億円の赤字を流す方がおかしいんじゃないでしょうか。ですから民営化をしたわけです。そして5年以内にそうしたものを売却することも法律で決まっているんです。そして第三者の委員会で弁護士も、公認会計士も、不動産鑑定士もみんな入れて、不正はなかったという報告も出ているんです。

総務大臣というのは郵政の社長人事だけじゃないですよ。だって、地方自治体のことも総務省です。情報通信も総務省です。先ほど申しあげましたけれども、年金も今、総務省でやっているんです。まさにそうした幅広い中で毎日、毎日、正義が通る、通らないとか言っている。私は何か違った意図があってマスコミの前に向かって言っているんじゃないかなというふうに思っていました。環境新党を作るとか、もう言っていたようですね。きょうもまた、発言しています。そんなことをやればやるほど、私たちの支持は下がってくるんです。しかし、私たちが後退してならないことは、いったん決めたことはしっかりやっていくことが政治ではないでしょうか。

ですから、西川さんをとるとか、鳩山さんをとるとかということではなくて、総理は民営化は推進するという方向をとったわけですから、私はこのことはまったくおかしくないことだと思います。しかし、そうしたことがなかなか国民にうまく伝わっていない。それが今の現実ではないかと思います。

【地方分権】

私自身、次の選挙に向かって自民党の政策を作る座長に就任させていただきました。私はかねてから、横浜の市会議員当時から、まさにこの国に地方分権。国から権限、財源、税源を移譲する。国は外交防衛、通貨などは国が責任をもって行って、地域住民のみなさんに身近なものは、すべて自治体が行う。権限も財源も税源も移譲すべきだと言うことを私は今日まで発言し続けています。総務大臣なったときに地方分権改革推進法を作りました。そしてこのことを法律で、分権を進めていきたい。国と地方は対等の関係にある。地方政府ということを初めて今度の分権委員会の中では使っています。

たとえば、少子高齢化、そして人口減少する社会になっています。小学校に空きが出る。子供の数が少なくなるそうです。そこに老人施設をつくっていいんじゃないですか。しかし、こうしたものにいちいち縦割り行政ですから、学校は文部科学省、そして老人施設は厚生労働省ですから、財産がどうのこうのといってなかなか簡単にうまくいかないんです。こんなことはすべて地方に委ねるのがあたりまえのことじゃないでしょうか。地方だって自分で物事を考えて実行に移していけば元気が出てきますよ。責任もってやらなきゃやらないんです。私は地方分権の改革をせっかく、座長になったんですから、ここはしっかりと書き入れていきたい。

そしてその先には道州制というものの実現を目指したいと思います。特に、この地方分権を進めるときに国の出先機関が実は一番問題なんです。今、国には国家公務員30万人います。今問題になっている霞ヶ関には4万人しかいません。周辺に4万人です。22万人がその出先機関なんです。きょうも新聞に闇専従の問題が載っていました。タクシーの不正利用もほとんどが出先機関で行われているんです。国会の監視がないですから。22万人の国の出先機関がありますから、こうしたものは地方に渡せばいいんです。そうですよね?これ。そうしたことを私たちはきちっと行っていくことが新しい日本の国のかたちだと思います。 私自身、微力ですけれども、これからの日本を考えたときに未来に向かって安心をして生活をし、そして夢のある日本という国をみなさんと一緒に作っていきたいと思います。

【民主党批判(教育)】

 私たちは安倍内閣で教育基本法を改正した。私も総務大臣として答弁に何回も立ちました。日本に生まれたことに誇りを持って、日本の歴史や伝統や文化を大事にし、家族を大事にする。ふるさとを愛する思い。当たり前のことじゃないでしょうか。こうしたことが教えられなかったんです。私たちはそうしたことが教えられる教育基本法にしました。

しかし現場はどうかということです。今、日教組の人たちがまさに教育を支配しています。小学校の運動会で速い人は速い人で一緒に走らせる。遅い人は遅い人で走らせる。みんな差をつけないんです。学芸会でも10分おきに主役を代えて学芸会をやるところは結構ありますよ。こうした、まさに悪平等、そして広島県の尾道で小学校の校長先生、民間から募集された方だが、この人が早寝早起き朝ご飯という運動を始めた。そして朝8時半に学校が始まる1時間以上前に、学校に来て予習をする、そうした規律正しい生活を学校で指導したら、どんどんと成果が上がってきた。その周りもみんなやり始めた。そしたら、これに日教組の人たちは反対です。なぜか。憲法に抵触するというんです。子供たち、人の生き方に強制するのは憲法に抵触するということを、まことしやかに言っているんです。

 

<鳩山氏の西川氏続投へのコメント>

 

記者 日本郵政の西川社長の続投が決まったが

鳩山氏 そういうことでしょう。私が辞めているんだから

記者 最後まで信じていたか

鳩山氏 何を

記者 麻生首相の判断を

鳩山氏 総理は非常にいい方だけど、致命的な判断ミスをされた。それがそのまま続いているわけだから。そういうことじゃないですか。私は総理は大変立派な方だと思うし、彼の資質や能力は信じているが、私のやってきたことに関しては、日本郵政、かんぽの宿等については、振付師が悪かったのか、完全な判断ミスをされた。それがそのまま引きずられていると言うことだろうから、特に感想はありません

記者 首相の判断はどう影響してくるか

鳩山氏 皆様方が報道されているような影響があっているのではないか。昨夜もここで申し上げたが、私は特別なことをしたわけではなくて、当たり前の常識的な判断をしてきたわけだ。ところが、国民の常識と私の常識はすごく似通っているが、内閣の常識か、党も巻き込んでか分からないが、自民党や内閣の一部の人たちの常識が、私の常識と180度違う。国民の常識と180度違うから、非常に厳しい政治状況にあるということだ。評論家のように解説して申し訳ないが。

だから昨夜、うちに帰ったときに、みなさんにこういうふうに囲まれたが、感想はありませんと。ばかばかしいことをやっているわけだから。特に感想がないといったのは、そういう意味だ。私は当たり前のことを言い、当たり前に判断している。私は国民目線で判断しているんです。国民共有の財産をかすめとろう、しかも不透明だ、出来レースだ。すべて事実関係が明らかになっているじゃないですか。それなのに、私は西川さんが好きでも嫌いでもないけど、経営を一新しないで責任をとらなければ、国民が受け入れないのは当たり前じゃないですか。ということなんです

記者 すると西川社長は自らの減給という処分を科しているが、国民の理解は得られないと考えるか

鳩山氏 目眩ましでしょう。目眩ましに国民はだまされないでしょう。国民を愚弄するような目眩ましだと私は思いますよ

記者 今後の対応について何かいま考えはあるか

鳩山氏 いまは特にありませんけども、暴れたくなる心を一生懸命抑えていますよ。はははは。一生懸命抑えて、冷静に、冷静にと。自らを戒めて行動してまいります

記者 昨日、菅義偉氏が(鳩山は)郵政民営化ではなく、政治的な思惑があったのではないかと言っているが

鳩山氏 だれがだれに思惑?

記者 菅さんが鳩山さんに

鳩山氏 そんなことはありませんよ。私はそういうばかばかしい論評には、もう反論する必要もない。怒ると言うより笑っちゃうほうだから、そういうばかばかしい話は。政治は国民のためにあるんですよ。政治は政党のためにあるわけではないし、選挙に勝つためにあるんでもない。民主党の対応だって間違っている。すべて選挙に勝とうとする。選挙に勝とうとか、政権を維持するとか、負けるとか、政局だとか、派閥だとか、そういう判断を加えたら国民のための政治はできない。こういう問題では。

だから私は国民の利益、国民の目線、それ以外は全く考えないで行動してきた。私の目線と常識は国民の目線と常識だから、これは当然内閣も党も受け入れてくれると思ったけれども、何かにおびえている人たちが、いろんな振り付けを総理にしたんでしょう。だから、かんぽの宿は氷山の一角だったんだなあということは、いまさらよく分かるね。

 

 

↑このページのトップヘ