2009年10月

 

 先日、某省庁の幹部とちょっと雑談をしていて、こんな話を聞きました。自民党から「部会で某省庁の政策説明が聞きたい。ついては○×局長にお願いしたい」という要請があったそうです。

 

 某省庁としては、要請通り○×氏を説明に赴かせようとしたそうですが、そこで「一応、大臣にも耳打ちしておいた方がいいか」ということで報告したら、「局長を行かせる必要はない!課長で十分だ」と却下されたとのことでした。

 

 結局、自民党の部会には課長クラスが派遣され、「君では話にならない」「君に言っても仕方がないが…」と八つ当たりされ、とんだとばっちりを受けたそうです。某省庁幹部は、「民主党はやり方が子供じみている」と憤慨していましたが、どうなんでしょうね。

 

 ちょっと現状では考えにくいのですが、いつか自民党が再び政権の座に就いたら、やはり「民主党への説明は課長でいい」と仕返しするのでしょうか。因果応報といいますからね。

 

 明るい、前向きな話を書きたいと思っているのですが、本日もなんだかなあ、というエピソードでした。すみません。

 

 今朝の産経は政治面で、首相官邸の内閣総務官室が、鳩山由紀夫首相や平野博文官房長官らの臨時国会での答弁に関し、各省庁に「答弁メモ」作成を文書で指示していた件について「『官房長官の指示』 各省庁が通達、本人は否定」と報じています。まあ、私も「脱官僚依存」という鳩山内閣の目指すところはおおむね賛成(私はむしろ「脱官僚主義」「脱官僚病」の方がいいと思っています)なのですが、その実情は…というお話ですね。

 

 まあ、資料集めや政府見解との整合性などについて、官僚を働かせることは当然ではあるかもしれません。でも、素直にそう納得するには今までの言動が格好つけすぎだったよな、と感じるのです。数年前の話ですが、ある幹部自衛官と話をしていて「大変ですよ。国会答弁の民主党の質問と、それに対する政府答弁の両方を私が書くことになって…」という笑えぬ笑い話を聞いたこともありましたし、もともとそんなもんだとは分かってはいましたが。

 

 平野氏はきょう午前の記者会見で、「決して官僚を遠ざけるとか、そういう考え方はない。要はいかに、言葉を選ばずに申し上げると、使いこなしていくかということが一番大事だ」と述べました。これは、「官僚は使いこなすものだ」と言いながら官僚に使われたと批判された麻生太郎前首相とほとんど何も変わりません。

 

 また、記事は「総務官室が27日、各省庁に答弁メモの作成を指示した文書の廃棄・削除を要請したことも分かった」とも書いています。早速、証拠隠滅を図ったということかもしれませんが、産経新聞は指示文書の実物を入手しているので、この際、写真でどういうものかお知らせしようと思います。

 

 

 

 まずは表紙です。「これまで同様各省庁の御協力をお願いします」とありますね。

 

 

 

 提出方法を見ると、ワープロソフトや、ファイルで送信することまで指定しています。

 

 

 

 「留意点」では、役人言葉は使用するなと注意しています。官僚がつくったというニオイを消そうという試みでしょうか。それと、「両論併記は認めない」として事前に関係省庁間で打ち合わせ、調整するように求めている点が気になります。だって、こういう複数省庁にまたがる問題を政治家が仕切ってこその「政治主導」ではないのかと思うからです。それにしても「総理答弁にふさわしい格調高い表現」って…。

 

 

 

 問い合わせ先の書式まで細やかに指示をしています。自宅と携帯の番号まで記せという念の入れようです。

 

 

 

 連立与党のマニフェストの関連事項まで、官僚に用意させようというわけです。たった今、テレビから谷垣禎一自民党総裁の質問に対する鳩山首相の「今までがあまりに官僚に頼りすぎていた」という答弁がタイミングよく耳に飛び込んできましたが…。

 

 

 

 「取扱注意」の項には、「言ってはいけないこと」「注意すべき点」を参考として書き入れろとも書いてありました。こうした問題だって、脱官僚依存と政治主導を掲げているのだから、自分で判断すればいいのにと、ついそう思ってしまいます。こういう風に感じる私がひねくれているのでしょうか。

 

 

 

 

 

 本日、「月刊日本」という雑誌の11月号を読んでいたところ、平野貞夫元参院議員のインタビュー記事「小沢一郎は歴史を変える政治家になれ」が載っていました。ご存じの通り、平野氏は小沢氏の側近と言われ、2004年に政界を引退した後も、口下手で説明嫌いの小沢氏の代弁者として、たびたびメディアに登場している人物です。また、小沢氏の関連政治団体の会計責任者を務めていることも、以前のエントリで何度か触れました。

 

 でまあ、平野氏の小沢論自体はいつものアレなんでいいとして(それはそれで「小沢氏の衆院選勝利は妙見信仰の力」などと興味深いのですが)、鳩山首相論には新鮮な驚き、いや衝撃を受けました。これはちよっと凡百の評論ではない、なかなか他の人には語れないものではないかと。とにかく、その部分を紹介します。

 

 聞き手 普天間の問題をはじめ、鳩山首相にはブレがあるようにみえる。

 

 平野氏 鳩山由紀夫という人の性格は、ブレるとかブレないとか、あるいは頑固か柔軟かとか、通常の人の性格分析ではとらえきれない。ここにこそ、鳩山政権の特徴があるのだ。良く言えば彼の守護霊、悪く言えば背後霊、つまり彼を操っているエトヴァス(或るもの)が、悪戯をしていると考えたらどうか。本来ならば、彼は普通の科学者なのだが、そのときの守護霊によってその行動は変化する。一見ブレたように見えることをブレたと考えては、彼の行動はとらえられない。彼は、いわば意識的「夢遊者」といってもいい。

 

 …これは一体、何の暗喩なのでしょうか。読んでしばし、吹き出していいのか大まじめに受け取るべきなのか、結局どうしろと言っているのかと悩み、結論として考えるのをやめました。平野氏は当然、鳩山氏のこともよく知っているわけですが、そうですか、そうきますかと。

 

 ちなみに平野氏は小沢氏ではなく鳩山氏周辺の官僚出身議員の発想(?)だとして、民主党の現在のあり方についてはこんな批判もしています。これは素直に納得できます。

 

 平野氏 議員立法を禁止するなどという言葉は使ってはならないものだ。これは、国会議員の立法権を犯すことになる。憲法第41条には「国会は、国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である」と謳われている。そもそも憲法発足時には学者や政治家の中に「政府には憲法上法案の提出権はない」と解釈運用すべきとの強い意見があったのである。政府に法案の提出権を認めているのは内閣法の第5条である。法案を内閣で一元的に決めることは構わないが、党がそれを議員立法禁止と表現してはいけない。つまり、憲法の感覚が決定的に欠如しているのだ。

 閣議で、官僚の記者会見を原則禁止することを決定したことも大きな問題だ。これも憲法に抵触する可能性がある。国民には知る権利があるからだ。官僚は政治家と異なり行政の実務や技術的専門的事項について、記者から要求があれば応じて説明するのが憲法の原則である。

 

 …また、かねてから不仲とされる藤井裕久財務相に関する論評は、やはり手厳しいものでした。

 

 平野氏 藤井氏は官僚の立場に立っていると言わざるを得ない。しかも、藤井氏は発言に慎重さが足りない。為替の問題について不用意に発言したり、補正予算の絞り方について公然と数字を言ってしまったりした結果、混乱を招いた。

 

 …以前のエントリで書いたように、私はかつて自由党担当だったころ、毎晩のように藤井氏(当時・幹事長)に夜回りをしていた相手ですし、「同病者」なので他人のことは言えた義理ではありませんが、一つ懸念していることがあります。それは、まだあまりメディアは指摘していないようですが、ずばりアルコールの問題です。彼は日常的に、かつかなりしたたかに呑む方なので…。

 

 さて、あすはようやく臨時国会が始まり、鳩山首相が所信表明演説を行います。彼を操っている「或る者」が、どんな悪戯をするのかとりあえず、楽しみにしていたいと思います。

 

 今朝の産経政治面に、「事業仕分け人事白紙に 『独断専行』小沢氏不快感に〝配慮〟」という記事が載っています。政府の行政刷新会議の下に設置した「事業仕分け」ワーキンググループの民主党議員の人選をめぐり、小沢一郎幹事長が不快感を示し、白紙に戻る見通しになった、との内容でした。これによって、来週に予定されたワーキンググループ会合は開催のめどが立たなくなり、作業スケジュールに影響する可能性も出てきたようです。

 

 仙谷由人行政刷新担当相が党側への十分な根回しをせずに新人を参加させようとしたことから、「新人はまず選挙活動だ」を徹底する小沢氏の不興を買い、政府側は全く抵抗できずに頭を下げたということのようです。喫緊の課題である予算の絞り込みよりまず来年の選挙対策、というわけです。小沢氏はずっと師匠、田中角栄元首相仕込みのどぶ板選挙の実践を説いてきましたしね。まあ、仙谷氏は党内にあってずっと「反小沢」でしたから、あるいはその意趣返し的な意味合いもあるのかもしれません。

 

 で、連想したのは昨日の産経政治面に掲載されていた「行き場失う『議員立法』 小沢氏が原則禁止」という記事でした。先日のエントリでも少し触れましたが、小沢氏ら党執行部が政府・与党の一元化を実現するためとして議員立法を原則禁止したため、党所属議員が自らの信念を形に表す議員立法がほとんど封じられてしまった現状を書いたものです。

 

 小沢氏は19日の記者会見で、「選挙に負けたら政府もヘチマもない。政府は政策で国民の信頼を得るように努め、政府に入っていない者は草の根でがんばる。それに尽きる」と強調しました。しかしこれには、小沢氏側近の平野貞夫元参院議員でさえ「国会議員の基本権である立法権を自縛する」と批判していると記事にありました。政権交代以降、小沢氏の特異なキャラが誰の目にも明らかになってきたのではないかと感じています。私もそうですが、多少なりとも見聞きして知っている人間は、ずっと「本当にそういう人なんだよ」と言い続けてきたことですが。

 

 さて、本日は自宅待機なので、12年前に出版された小室直樹氏の著書「悪の民主主義 民主主義原論」(青春出版社)をパラパラと読み返したところ、国会における言論・討議の重要性が英保守党のディズレーリの演説などを例に説かれていて、「ああ私も『国会論戦なんてほとんどは形だけのものだ』と惰性の中で現状追認していたな」と反省させられました。そして読み進めているうちに、田中元首相についての記述が目に止まりました。小室氏はこう書いています。

 

 《戦後日本の民主主義における政治家・田中角栄の最大の遺産は何か。答えは簡単だ。田中角栄だけが立法府たる議会を機能せしめた。これに尽きる。具体的に言えば、33の議員立法を行ったことだ。いまや立法機能は、官僚に簒奪されきっているが往時、議員の本分たる「法律をつくる」ことをやってみせた。》

 

 そして、田中元首相の秘書を務めた早坂茂三氏の著書「政治家 田中角栄」(集英社文庫)から次の部分を引用していました。

 

 《政治家・田中角栄の真骨頂は、彼が無名時代に全精力を傾けた議員立法の制定活動にある。田中は新憲法で国会が立法権を持ち、国会議員の意思が法律を決定するという仕組みの重要性をわずかな期間に熟知したのである。彼は「土建屋でも国会議員になれば立法権を行使できる世の中になった」と、往時を振り返って私に言った。…田中の議員立法活動が本格的になるのは昭和25年からである。提出者の代表として同年に6件、26年に7件、27年に8件の法律を成立させた。田中が現在までに提出者として成立させた議員立法の総数は33件だが、この3年間に21件と集中している。その内容は住宅、道路、国土開発などの国民生活の整備や、社会的な弱者に対する救済立法であった。昭和20年代の田中は議員立法に政治生命を賭けたのである。》

 

 現在は確か田中元首相より議員立法の提出要件が厳しくなっていますし、単純比較はできませんが、ある種の感慨を覚えます。現閣僚の一人は以前私に、「小沢さんは親分の田中角栄、金丸信と同じ政治とカネでつまずいた」と類似性だか因縁だかを指摘していましたが、随分と違うところもあるようですね。田中元首相は「陽性」で、小沢氏は「陰性」というイメージもあるし。まあ、小沢氏の場合は、自分で導入した党首討論もずっと避けてきたような人ですからね。

 

 今までも、一般議員は「政府提出法案の自動投票マシーン」と呼ばれてきましたが、これから先どうなっていくのでしょうね。ともあれ、日々が目まぐるしく過ぎていきます。

 

 

 本日は、長妻昭厚生労働相を少し、ほめたいと思います。それは長妻氏が午前の記者会見で、来年1月に発足する社会保険庁の後継組織「日本年金機構」について、過去に懲戒処分を受けた社保庁職員は移行させないとする従来の政府方針を踏襲することを表明したからです。長妻氏は次のように述べました。

 

 《「消えた年金問題」という重大な不祥事、いわく付きの業務だ。それに対して、懲戒処分歴のある方がかかわるというのはいかがなものか。2度とミスは許されない業務なので、(自民党政権の)閣議決定(「懲戒処分歴のある職員を一律不採用とする基本計画」)を見直すつもりはない。》

 

 この問題に関しては、社保庁の労組(自治労傘下)を構成メンバーとする連合から、長妻氏に「圧力」がかかっていただけに、どうなるだろうかと成り行きを懸念していました。ここで自治労の意向に従うようでは、長妻氏も終わりだなと。でも、それは私の杞憂だったようです。

 

 日本年金機構は、懲戒処分を受けた社保庁職員は採用しないことを決めており、再就職先が見つからない職員は解雇にあたる分限免職となります。現時点で分限免職の対象者は約600人いて、そのまま分限免職となった場合は訴訟沙汰になる可能性もあるというのが現状です(もしかすると、かつては長妻氏に社保庁の実態について情報提供した人も含まれているかもしれませんね)。

 

 読売新聞によると、9月24日には、民主党最大の支持団体である連合の古賀伸明事務局長と自治労の徳永秀昭中央執行委員長が厚労省に長妻氏を訪ね、懲戒処分を受け、分限免職の対象となっている職員についても、何らかの形で雇用の維持を求める要請を行っていました。そこで、長妻氏がどういう判断をするのか、あるいは、日本年金機構に処分職員も採用するように求めることになるのかと注目していたわけです。で、ほっとしたと。

 

ただ、長妻氏は《再就職について、分限を回避する努力はしなければいけない。政務三役、そして役所の皆様方と一緒になって取り組まなければいけない》とも述べました。これはつまり、日本年金機構に移行できない職員については、厚労省の別の部門などでの採用・配置を検討するということでしょうかね。

 

 自治労の言いなりにならなかっただけでもまあいいか。長妻氏としても、かつては「ミスター年金」と呼ばれていたのに、自ら望んで厚労相について現在では「ミスター検討中」と言われているのは不本意でしょうしね。今はある意味、正念場でしょうから、ここでへなへなとなる姿は見せられないということもあるのかなと感じました。

 

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