2010年04月

 

 本日は前回に引き続き、世に隠れた賢者であるミスターLと私との〝清談〟をお伝えしようと思います。ミスターLも、昨今の政治のていたらく、日本を取り巻く厳しい国際情勢を前に、憂国の至情を迸らせずにはいられないらしく、きょうも私の脳内に金星方面から降臨されました。以下のやりとり中、ミスターLによる預言部分は、彼が過去に未来を見通して実際に語った通りですが、私の問いかけ部分は、意味が伝わりやすいよう現代語に少し翻訳・意訳してあります。

 

  日米関係がどんどん悪化していることを危惧しています。まさに、日本の生存基盤が危うくなってきたというのに、鳩山首相は「普天間なんて皆さん知らなかったでしょ」と口走るなど何の危機感もないようです。

 

 ミスターL 総理の考えそのものが、果たして、総理大臣にふさわしい考えなのかどうかということ自体が大変問題になってきている。軽い方だから、失言をしているというよりも、失言の中に、何か本質的な間違いというか、本質的な考え方がどうも我々と違う部分がある。それが結果として表面的な失言につながっているのではないか。失言が軽いものではなくて、極めて重いものではないかと思う。(2008年11月27日、記者団に)

 

  そうですね。その上、閣内もバラバラでまとまりがありません。あまりのことに、国民も閣内不統一など当たり前だと慣れてしまったようにも思います。

 

 ミスターL 毎日のように総理の発言、政府、さらには党の内部での混乱ぶりがメディアを騒がせている。統治崩壊という言葉が伝わっている。官邸の中にも、あるいは党の中にもまとめ役が不在だと。結果として、統治能力が完全に失われているという状態だ。(2008年12月4日の記者会見)

 

  ええ、そういうひどい状況なので、今朝の新聞を見ると、朝日の調査で内閣支持率は25%まで急落していました。この先も上がる要素が見あたりません。

 

 ミスターL 内閣支持率の急落は当然だと思う。内閣、首相を中心に国民の皆さんが完全に見放されたと。そういうことだと私は理解した。その理由はいくつかあるが、一番は景気が厳しくなってきていると。だから、経済対策、景気対策を打ってほしいと、今やってもらいたいとそういう悲痛な声を今上げているときに、景気対策も来年に先延ばししてしまった。

 結局、打つ手がない。まさに今こそ、政治空白を招いてしまっていることに対する国民の失望感、呆れかえった姿というものが、このような支持率の急落につながったと思う。(2008年12月8日、記者団に)

 

  鳩山首相と内閣に対する「軽侮」の気持ちが、内外から表明されています。米政府関係者が、同盟国の首脳に対して「loopy」と呼び、日本の若者もそれを仕方がないと受け入れ、自らも首相を指して使うような異常事態となっています。

 

 ミスターL 若い人たちの中で「チェーンソー」……チェーンソーと言えばノコギリでしょうが……チェーンソーというのは「チェンジ・ソウリ(総理)」だという言葉が流行っていると聞いているが、甚だ情けないなと。こんな言葉が若い人たちの間で流行るようでは、とても一国の総理が務まるものではないと申し上げておかなければならない。(2008年12月12日の記者会見)

 

 …深く濃い霧の中に隠された真実を見抜き、それを的確に射抜いて示すわれらがミスターLは、1年数ヶ月前にすでに今日の事態があることを予想し、預言を残していました。いま、その美しく紡がれた言葉の一つひとつを噛みしめると、ほろりと涙がこぼれそうになります。パソコン画面がにじんで見えなくなってきたので、本日はここまでとします。

 

 

 本日は心身の安息を求めるべき日曜日です。そこで今回は、私の心の師匠、迷ったときの羅針盤ともたのむ「ミスターL」との対話を通じ、訪問者のみなさんの心を安らかにできないかと考えました。といっても、ミスターLは花見に買い物に夜会合にと日本一多忙な身なので、彼の過去の箴言をもとに、私の心の中でスピリチュアルに交わしたやりとりを紹介することとします。なお、ミスターLの発言は実在します。

 

  日本はこのままではどうなってしまうのか。不安の時代を迎えています。こんなときに求められるリーダー像とはどういったものでしょうか。

 

 ミスターL 私はリーダーの条件として、まずしっかりとした信念、ビジョンを持っていること。ビジョンを持って、何としてもこの国をビジョンのように動かしていきたいという固い信念の下で、たとえ命を奪われるようなことがあっても覚悟を持って首相の座について職責を果たさなければならない。(※2008年9月5日、近江八幡駅前での街頭演説)

 

  なるほど。前政権のリーダーたちは、そうした覚悟と信念が足りなかったのですね。たとえば、福田康夫元首相はどうだったんでしょうか。

 

 ミスターL リーダーがどれだけ大事な使命かを全く分からずにこけてしまった。北朝鮮からもバカにされ始めている。日中間の首脳会談も、日本でやるはずだったものが吹っ飛んでしまった。無茶苦茶に国益が損なわれている。(08年9月6日、滋賀県湖南市での講演)

 

  はい、そうですね。課題を抱える重要な2国間同士で首脳会談ができないというのは大問題ですね。分かります。

 

 ミスターL 今の自民党って何だろう。首相の器というものをどのように感じているのかなと。(08年9月10日の記者会見)

 

  確かに自民党のゴタゴタと凋落ぶりは顕著でした。福田内閣を継いだ麻生内閣も発足2カ月の11月には支持率が急落しましたし。

 

 ミスターL 当然でしょう。(国民から見れば)定額給付金はふざけんじゃないよと。いい加減にしろと。選挙対策だということで、こんなバラマキなんてけしからんと。何でこれが経済対策なのか。(08年11月17日、記者団に)

 

  やはり、リーダーたる総理の資質が何より大切だということですね。

 

 ミスターL 総理のあまりにも軽い言葉が国民の政治に対する絶対の信頼というものを失わせることを非常に憂慮している。道路財源の話にしろ、郵政株式凍結問題にしろ、麻生総理の失言、あるいは朝令暮改、これが続きすぎている。バーに行かれてもいいけれど、二日酔い運転をされては困る。

国民の皆さんからすれば、早くしっかりとして釈明などしない毅然とした総理を私たちは求めている。しかし、残念ながら毎日、日常茶飯事のように失言が繰り返されている。(中略)閣内不一致極まれりという状況で、麻生政権、発足まだ間もないが、すでに末期症状を示していると言わざるを得ない。

一国の総理がこのように政策もよく分からないで、国民のみなさんを狼狽させるような発言を繰り返してしまう。このような朝令暮改を繰り返す状況なら、国民はたまったものではない。ぜひ、何もできないということであれば、その責任を早くとっていただいて、国民の皆さんの信を問うべきだと改めてこのことを申し上げておきます。(08年11月21日の記者会見)

 

 …うーん、今と変わらぬ鋭い舌鋒と、その背後にある春の日だまりのような暖かな心を感じさせるけだし名言でありますね。改めて読み返して深い感銘を受け、魂が震えております。日本国民に生まれた幸せを実感する瞬間です。さすが同盟国のトップが一目も二目も置くミスターL。

 

 みなさんにも、このミスターLが誰であるか正体を本当はお伝えし、ともに愛し、崇拝してもらいたいのですが、それはあえて伏せます。でも、このような素晴らしい人物と同時代を生きる幸運はいささか共有できたのではないかと思います。それではまたいつか、ミスターLとの心洗われる対話をお届けしたいと思います。

 

 

 山梨県の公立学校の先生から、3月末に職員室で配布されたという「日教組教育新聞」(3月16日号外)のコピーを送ってもらいました。「職場討議資料・全組合員配布」と書かれたそれは、夏の参院選で日政連(日本民主教育政治連盟、会長・輿石東民主党参院議員会長、日教組の政治団体)の候補予定者の「全員必勝」を呼びかけるものでした。

 

   

 

 まあ、だれがどう見ても「事実上の選挙運動」(山梨県の教員)ですね。相変わらずです。日教組教育新聞は「第22回参院議員選挙の重要性について学習・討議を深めよう」とも記していました。さらに、中村譲・日教組委員長の名前で以下の檄文も掲載されていました。

 

     

 

 《政権交代して5カ月。「子ども手当」や「高校授業料実質無償化」「悉皆から抽出方式となった全国学力・学習状況調査」「教員免許更新制の廃止に向けた改革」などなど自民党政権時代には考えられない政策が現実のものとなっています。日政連議員の活躍があったればこそです》

 

 …なるほど、日教組の主張・政策がほとんどすべて取り入れられていると評価しているわけですね。分かります。中村氏は昨年10月に川端達夫文科相を表敬訪問した際も、「日教組と民主党の政策はほとんど変わらない」とうれしそうでしたし。

 

 《こうした改革は政権与党を安定させること。そして日政連議員・推薦議員を強力にすることによって、早期に、そして確実に達成されます》

 

 《何としても日政連候補予定者全員の当選を勝ち取らなければなりません。何としても勝ちあがってもらいたい。子どもと教育の未来のために》

 

 …そりゃ「ルーピー鳩山」政権が続いた方が、日教組にとっては都合がいいわけですからね。まあいいですけれど、彼らに「子供のため」を口にしてもらいたくはありませんね。自分たちの「既得権益保護とさらなる利権誘導・安楽な立場の確保のため」とはっきり書いてほしいなと。

 

 この日教組教育新聞には、北海道教職員組合の違法献金事件を受けてか「法令遵守のもとにとりくみを」という言葉も一応、添えられていましたが、こんな選挙ビラが公立の学校内で当たり前のように配られている時点で法令遵守ってなに、と突っ込みたくなります。

 

 今度の参院選は、これまで以上に国民自身が試され、その結果に責任を負わざるをえない選挙になるような気がします。ただの思いつきですが。

 

 ポスト鳩山と渡部恒三元衆院副議長に持ち上げられた菅直人副総理・財務相は12日、日本外国特派員協会での講演で、

 

 「増税しても使い方を間違わなければ景気はよくなる」

 

 と発言しました。仙谷由人国家戦略担当相も消費税上げに意欲を示していますし、鳩山政権も財源不足についてあれこれ悩んでいるのだろうな、しかし、相変わらず閣僚たちは鳩山首相のこれまでの主張も意向も見事に無視しているなと思っていたら、昨夜、信頼できる筋からこんな話を聞きました。

 

 「菅さんは財務省幹部に『消費税を上げたら経済成長するという理屈をどうにか考えてくれ』と指示している」

 

 米軍普天間飛行場移設問題でもそうですが、この政権は、いかに国民を耳に聞こえのよいきれいな言葉で誤魔化すかばかり考えているような気がします。野党時代は、「財源なんて政権をとれば何とでもなる」と言っていましたが。まあ、彼らが選挙で勝ったんだから仕方ありません。

 

 きょうは、例のぎっくり腰の関係で横になって本を読んで過ごしていたのですが、その際に2度も「ポイント・オブ・ノー・リターン」(引き返せない地点)という言葉に出会ってしまいました。そんなにしょっちゅう、書物で目にするような言葉ではないのに、全く別の本で、しかも脈絡も何も関係のないところでです。ただの偶然に決まっていますが、こういうことがあると少し考えさせられますね。

 

 一つは、月刊「文藝春秋」5月号に掲載された岡本行夫氏の論文「ねじれた方程式『普天間返還』をすべて解く」の中で出てきました。鳩山首相は、外交ブレーンの寺島実郎氏の言うままに「対中関係を強化すれば対米関係もよくなるだろう」と安易に構えて振る舞っていたら日米関係も普天間飛行場移設問題もこじれるばかりだったという反省から、昨年末ごろから一時期、岡本氏に首相補佐官就任を要請したりしていましたね。

 

でも、結局は「(反米傾向の強い)寺島氏をとった」(政府関係者)と言われます。つい最近も米タイム誌のインタビューに「今までは米国の主張を受け入れ、従属的に外交を行ってきた。一方的に相手の言いなりになるよりも、お互いに議論を通じ、信頼を高めていく」と強調していますね。一見もっともな意見のようですが、米国にすれば「まず(日米合意という)約束を守ってから言えよ」というところでしょうか。実際、岡本氏の側も鳩山政権を見放した印象があります。論文にはこうありました。

 

 《県外に移設先を見つけることは、現実には容易ではない。県外移設を主張した人々は、普天間飛行場だけを切り取ってどこにでも移せると思ったのではないか。普天間のヘリコプター部隊は沖縄に駐留する海兵隊の足だから、本隊から切り離すことはできない。移すのなら一万人の海兵隊員、キャンプハンセン、キャンプシュワブ、北部訓練場、瑞慶覧の施設群の全てを一緒にだ。そんな場所が簡単に見つからないことは、誰でもわかる話だ。》

 

 「県外移設を主張した人々」って、鳩山氏のことでしょうか。もしそうだったら、岡本氏がいう「誰でもわかる話」をいまだに理解していないように見えますが。で、この文の後に最初の「ポイント・オブ・ノー・リターン」が出てきたのです。

 

 《それなのに、根拠の薄い過剰期待を与えられ、県民感情はポイント・オブ・ノー・リターンを過ぎてしまった。時間が経つとともに県内移設に対する沖縄県民の反感は強くなり、いまや「県内移設」を求めることは難しくなってしまった。》

 

 これを読んだときには、ふーん、この人はこういう表現をするのかと思っただけだったのですが、その後、読みかけだった北森鴻氏の「うさぎ幻化行」(東京創元社)を手に取ったところ、またこの表現が出てきたのです。北森氏は、このブログの読書シリーズでも何度か紹介してきた私のお気に入りの作家だったのですが、今年1月25日に急逝しており、この作品が遺作となっていました。

 

     

 

 

 そのもうすぐ読了という284ページを開くと、いきなりこう始まっていました。

 

 《ポイント・オブ・ノー・リターン。戻れない場所に立つ人間とはどのような種族なのか。一瞬、圭一が不治の病にでも冒されたのかとも思った。絶望の淵に沈み、そこから病魔に闘いを挑むことを回避して、一人静かに誰に看取られることもなく消えてゆく気になったのか。野良犬や野良猫がそうであるように。》

 

 シリアスで詩情あふれる遺作を「これが最後の作品か」と味わいながら読んでいたのですが、突如、文中の「圭一」が「由紀夫」だったらどうだろうかという不謹慎な思考が紛れ込み、集中できなくなったのでした。まあ、一人静かに消えてゆくタイプではないでしょうし、絶望の淵に沈んでいるようでもありませんが、どうせいつかは消えるなら、党最高幹部を何人か道連れにしてほしいとも思います。

 

 私は北森氏の「蓮丈那智フィールド・ワークシリーズ」や「旗師・陶子シリーズ」、「香菜里屋シリーズ」が大好きだったので、もう新作が読めないかと思うととても寂しい気がします。何か言いたいエントリかよく分からない内容となってしまいましたが、とにかく、国も社会も人生も、ポイント・オブ・ノー・リターンの繰り返しと積み重ねでここまで来たのかなあと、そんなことを改めて感じた次第です。

 

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