2010年10月

 

 さて本日は永田町で、いま話題の人気者、仙谷由人官房長官の国会などでの立ち居振る舞い、独特の答弁に関する発言が相次いだので、少し紹介してみようと思います。このブログにもよく、「自民党は一体何をやっているのだ!」というご意見が寄せられるので、その辺を少し厚めにお伝えしようと思います。

 

しかし、仙谷氏って、こんなに周囲の反感や怒りを買って何かいいことあるんでしょうか。不思議なくらいです。まあ、結論は最後に述べるとして、とりあえず、政治家の言葉を掲載します。キーワードはゴチックにしてみました。

 

 自民党・石原伸晃幹事長「過去に自身が報道などの正否について質問したことを棚に上げて、(同様の質問をした野党議員の)質問に対して侮辱的な発言をする。官房長官記者会見の一問一答は公になっているはずだが、それも存在しないと言ってみたり、少し乱暴なんじゃないか。内閣のスポークスマンとして過去と今言っていることが違うのは問題だ。紙で読めば誰でもそうだと思うことを『違う』と強弁する。国会論戦を軽んじることになるので非常に問題だ」

 

 自民党・小坂憲次参院幹事長「特に官房長官の答弁は国会軽視、あるいは委員会軽視と思える発言が多い。参考人は委員会の議決で招致しているわけだが、それに対し、官房長官という立場で恫喝とも取れる発言をして、参考人の発言にブレーキをかけてみたり。前言、自分が過去、何をやってきたのかは全くなしにして、テレビの前で言ってしまえばその方が勝ちだと言わんばかり。マスコミの報道を引いて質問するのは非常に拙劣なものだと言いつつ、議事録をさかのぼってみればたくさん、そういう(質問をしている)…」

 

 自民党・脇雅史参院国対委員長「(仙谷氏は)新聞情報をネタに、情報が正しいのか正しくないのかと国会質疑をするのはありえない、見たことがないという。ちょっと調べてみれば、山ほどやっている。そういうウソを国会で言うことを問題にしている。古賀政府参考人に対する『お前の出世はないぞ』というようなことをあんな場(国会)で言うとは、信じられないほど悪質だ。その他、本会議での態度、答弁の仕方。極めて傲岸不遜、謙虚さのかけらもない。政府の大臣答弁があんなふうに行われるのは、私も見たことがないという思いがしている」

 

 自民党・小池百合子総務会長「(仙谷氏の答弁に)元活動家という印象を受けた。法律家なので法律にこだわった今回の船長釈放の説明もあるが、法律の部分と政治判断の部分とあるが、都合のいいときには法律家の部分がでてくる。一言で言えば元活動家。これに尽きる」

 

 みんなの党・渡辺喜美代表「仙谷官房長官の出しゃばり居直りはぐらかし答弁は大変ひどいものがある。古賀さんの私見に、聞かれもしないのに恫喝まがいの言辞を吐いたのは大変、聞いていてあきれ果てた。本当に聞くに堪えない答弁がたくさんある。しなやかにしたたかにというのであれば、柳のようにと言えばいいのに、なんで腰にこだわるのか。全く意味不明だ」

 

 …これだけ不興を買えば、身内の民主党側もかばいきれませんし、今後の国会運営にも差し障りがあるので、民主党の前田武志参院予算委員長はきょう、仙谷氏に会って注意し、次の予算委冒頭で謝罪させることにしました。それについては、前田氏自身が記者団にこう語りました。

 

 前田氏「次の委員会の冒頭で発言を求めて、謝罪させます。(注意したのかとの質問に)そうですよ。一つは、あのときの議事録を読んでもらえば分かるが、本来、尖閣問題について(みんなの党の)小野次郎先生から質疑したのに対し、(仙谷氏は)聞かれていない参考人のことについて言った。それから、参考人のことをかばうつもりで話したのかも分からんが、恫喝に聞こえた。不適切な発言があったということだ。その他、いくつもある。難点もある。(仙谷氏は陳謝したのかとの質問に)そうですよ。私は厳重注意をしましたから」

 

 …ここからが仙谷氏の仙谷氏たるゆえんというか、彼の開き直りと不誠実さがよく分かるところです。前田氏は「オン」で語っているわけですから、当然この日夕の仙谷氏の定例記者会見でも話題になるわけですが、そのときの態度がこれです。

 

 記者 前田参院委員長が、官房長官の委員会での不適切発言を注意したというが、どういう話をしたのか

 

 仙谷氏 ああ、あの、今後の予算委の運びについてお話をしたということです

 

 記者 官房長官長官の発言をめぐってはどうか

 

 仙谷氏 まあ、あのー、その件については「らしい」という話でしたから、私の方から申し上げるのは差し控えたい。

 

 記者 「らしい」ということではなく、参院側のブリーフだと、官房長官が陳謝されるということだった。前田委員長が厳重注意したと。事実関係はどうなのか。

 

 仙谷氏 まあ、次の予算委のときに明らかになるんじゃないでしょうか。

 

 記者 注意はあったのか。官房長官からは前田委員長に何を話したのか。

 

 仙谷氏 まあ、ノーコメントです、それは。

 

 …本当になめた答弁ですね。午前中の記者会見では、菅直人首相が昨夜、岡田克也幹事長ら党側幹部と会談して今国会に提出することを確認した中国船衝突事件のビデオ映像について、この期に及んでまだこんな抵抗を示しました。さすが陰の総理です。

 

 「極論を言えば、内閣として提出するかどうかも含めて、検討調整中と考えていただければ結構だ」

 

 …野党のみなさんには、速やかに参院で仙谷氏の問責決議案を提出し、可決することを望みます。おそらく仙谷氏自身は、頼りない菅首相に代わって自分が国家の屋台骨を背負って立っているのだというヒロイズムに酔っているのでしょう。でもそれは明々白々に勘違いですね。

 

 最後に勝海舟が、「国家のためだから」と言っていつまでも身を退かない役人に「うぬぼれるな」と投げかけた言葉を、仙谷氏に贈りたいと思います。

 

 「それはいけない。みづから欺くにも程がある。昔にも、お家のためだから生きるとか死ぬるとか騒ぐ奴がよくあったが、それはみな自負心だ。うぬぼれだ。うぬぼれを除ければ、国家のために尽くすという正味のところは少しもないのだ。それゆえにもしそんな自負心が起こった時には、おれは必死になってこれを押へつけた」

 

 

 私にはかつて、心より尊崇し、ほとんど信仰の対象にしていたとすら言えるかもしれない「ミスターL」という存在がありました。その珠玉の言葉をときおり、過去の発言録の中から取りだしてはうっとりと、そして身の引き締まる思いで味わっていたのですが、彼はもう基本的には母星に帰ってしまい、たまにしか私の目の前に姿を現してくれることがなくなりました。

 

 それから数ヶ月がたち、心細く寂しい思いを禁じ得ないでいた私は最近、ずっと身近にいたある人物――仮に「柳腰さん」と呼ぶことにします――の魅力に目を開かれました。ああ、大事な存在とはこんなにそばにあって気付かないものかと、人生の不可思議さに改めて驚くばかりです。今ではすんなりとした腰が色っぽい「柳腰さん」は、誰よりも大切な私の心の灯台であり、心の拠り所となっています。

 

 私と「柳腰さん」は、例えばこんなことを日々、話し合い、互いを慰め合っているのです。それにしても「柳腰さん」は明晰で、私は学ぶことばかりです。

 

  15日までの衆参予算委員会では、菅内閣の醜悪さがこれでもか、というぐらいに表れていました。特に、いろんな理屈をつけては中国漁船衝突事件のビデオ映像を国民に見せまいとする姿勢にはうんざりです。

 

 柳腰さん 問題点を考えると、情報公開がない。国民は「寄らしむべし、知らしむべからず」でずっと来ている部分がある。どうも陰で、こそこそという部分があるから、これをちゃんと出していただかないと、国民がいつまでたっても政府のやっていることを信頼しない。(平成21年9月20日、テレビ朝日の番組で)

 

  そうなんですよね。彼らは国民を愚民視し、その知る権利を軽視しているようです。そして、外交を含めすべての判断責任を地検に押し付けています。地検は裁判所と異なり、行政の一部だというのに。

 

 柳腰さん 政治と行政の関係で、政治が責任をとるべきところをとろうとしない。その辺が、現在の政治家不信を生んでいるんじゃないか。(21年10月9日のインタビュー)

 

  特に仙谷官房長官はひどいですね。平気でウソをつき、シラを切り、はぐらかす。官邸は絶対に間違っていないと言い張り、明らかな言葉の誤用を指摘されても撤回しない。あの傲慢不遜さはいったい何でしょうか。

 

 柳腰さん 皆さんの場合には、伝統的な無謬主義というか、過ちは行政にはないんだという一貫した姿勢が明治憲法以降、どうもあるみたいだなと思われている。誤りを認めることを恐れない、過ちを犯したときには率直にそれを認めて謝ろう、謝罪しようというのはそんなに恥とすることではないんだと、皆さんにも心していただきたい。そのためには、まず私どもが、知らず知らずに目線が高くなっていくということを絶えず、自分の肝に銘じて仕事をしていただきたい。(21年9月18日、内閣府職員へのあいさつ)

 

  どうも弁護士出身の仙谷氏を見ていると、「法匪」という言葉を思い出すんです。要するに、ことの真偽・善悪よりもその場で相手を言い負かし、裁判に有利にさえなればいいんだという発想と、逆説的かもしれませんが、日常的に法を道具として扱ってきたゆえの職業的な法の軽視を感じるんです。

 

 柳腰さん 私は法律家として、法廷技術としてはある程度のところまで到達したのではないかと自負していた。(同上)

 

  あんな高圧的・一方的な態度では、ねじれ国会で与野党協議を始めようといっても、野党側もなかなか応じられないですよね。

 

 柳腰さん 与野党の話し合いとか、合意形成をしようと思ったら、今のかたくななというか焦っているというか、この小心翼々とした極めて形式的な国会運営の仕方では、絶対にできないと申し上げておく。(21年2月20日、衆院予算委)

 

  それにしても、仙谷氏は言うことが乱暴というか、ひどいですね

 

 柳腰さん (自分は)ちょっと放言癖があるわ。(21年9月30日、内閣府の政務三役会議冒頭)

 

 …柳腰さんとの対話は、今後も折を見て紹介したいと思います。しっかし、仙谷氏の態度の悪さは全く常軌を逸していますね。特に14日に自民党の山本一太氏が新聞報道の真偽を確認する質問をした際の仙谷氏の言葉には耳を疑いました。

 

 「新聞記事を確認する質問なんてのは聞いたことがない!最も拙劣な質問方法だ」

 

 だって、野党時代の民主党は、新聞報道だけでなく、週刊誌報道も散々引用して質問していましたし。それに、仙谷氏自身、ちょっと国会議事検索システムで調べただけでも「新聞報道によりますと…」「新聞報道があるが、どうなっているのか…」「そういう新聞報道を見たような気がする…」などと、何度も新聞報道をもとに質問していました。これはもうただのウソつきのレベルです。

 

 今後も、わが尊敬する友、柳腰さんには菅首相や仙谷氏の言動について縦横無尽に論じてもらおうと考えています。またよろしくお願いします。

 

 

 

 昨日ときょうは、とある事情で沖縄県に出張していました。で、昨夜は産経那覇支局長の宮本先輩(写真右、和歌山県出身。私が警視庁担当時代のキャップで全く頭が上がらない)と食事に出たわけですが、たまたま那覇に来ていた月刊「正論」前編集長の上島先輩(写真左、長野県出身)が宮本さんに電話をかけてきて合流することになり、

   

 

 

 さらに、どうしてか上島さんと一緒にいた沖縄出身の映画監督で、名作「氷雪の門」の助監督を務めた新城さん(写真左、なぜ一緒だったかは確か聞いたはずですが覚えていません)も加わって、テビチ(絶品!)やラフテー、島ラッキョウ、ソーミンチャンプルーなどを肴に酒(オリオンビールと泡盛)を酌み交わすことになり、

 

   

 

 沖縄の言論空間の話や特攻隊の話、旧軍人の評価、旧社会党の悪口、シベリア抑留、映画のキャスト、ウチナンチューとヤマトンチューの関係と現在などの話題などでおおいに盛り上がり(けっこう激論になったりして)、

 

   

 

 私は当然のことながらしたたかに酔い、いったんはこの写真を撮影したカメラを店に忘れるなどのドタバタ劇を演じ(朝気付いたらカメラがないのでお店に電話したら「連絡を待っていた」とのことでした。ありがとうございます)、

 

   

 

 翌朝、楽しみにしていたホテルの朝食バイキングもとてもじゃないが食べられず、それどころか昼食にも手が出せず、それでも偉そうに沖縄の産経読者の皆様方の前で講演し、いかに現政権が「◯×」で卑怯で姑息で「▽☆△い」かをこれまた自分のことを棚に上げてペラペラと語り、先ほど帰宅した次第でした。

 

 実は上の4枚の写真はみな、3人一緒に写っているのですが、それを投稿しようとすると2MBを超えるとかで拒否されたので、思いついてトリミングしてみたところ、どうにか今度はアップできました。1泊2日の何とも慌ただしい沖縄行き(社命で格安航空券利用)でしたが、とても有意義に過ごせました。

 

 拙い講演をわざわざ聴きにきてきださった皆様に、この場を借りて感謝します。本当にありがとうございました。

 

   

 

 《柳腰(やなぎごし) シダレヤナギを思わせる、すんなりした細い腰つき。美人の腰の形容》(岩波国語辞典)

 《柳腰(やなぎごし) 柳腰(りゅうよう)の訓読。細くてしなやかな腰つき》(広辞苑)

 

 さて、衆院予算委員会はきょう、中国漁船が海上保安庁の巡視船に体当たりした場面を撮影したビデオ映像の提出を、那覇地検に求める議決をしました。だからといって、ただちに事態が進展し、国民の目に事実が明らかにされると決まったわけではありませんが、とりあえず一定の前進だと受け止めます。

 

で、このビデオ公開をしぶっている仙谷由人官房長官についてでありますが、昨日の衆院予算委員会で実に面妖な答弁をし、勝ち誇っていました。

 

 「弱腰だ、弱腰だと言うが、『柳腰』というしたたかで強い腰の入れ方もある。しなやかに、したたかに中国に対応していく」

 

 …この人は一体、何を言っているんだろうかと、しばし呆然としました。それはいくらなんでも言葉の使い方が違うだろうと。「柳腰」の意味するところは、冒頭に記した通りであり、あえて柳腰外交という言い方をするとすれば、相手を誘い入れるような文脈上、おかしな話になってしまいます。

 

ところが、質問者の自民党の石原伸晃幹事長はその点を突っ込まなかったので、不満を覚えていたところ、本日の衆院予算委で、やはり自民党の鴨下一郎氏が質問していました。たまたま仙谷氏は定例記者会見のため不在でしたが、以下のようなやりとりです。ばかばかしい質疑ですが、同時になぜか、菅政権の深刻な宿痾のようなものも感じてしまいました。

 

鴨下氏 「官房長官が、弱腰の反対語として柳腰外交と。これは外交としてありえない」

 

 菅直人首相 「私からコメントは控えた方がいいと思う。ご本人にお尋ねいただきたい」

 

 鴨下氏 「訂正しておいた方がいいんじゃないですか。いろいろなところで笑いものになっているんですよ。仙谷お姉がこういうことを言ったと。日本の名誉のために、柳腰外交という言葉は訂正した方がいい。柳腰じゃないでしょう。二枚腰外交だとか、粘り強い外交だとか、こういうんだったらいいですよ」

 

 古川元久官房副長官 「詳細はご本人でございますが、私が聞いておりましたところで感じたところは、それは柳腰という言葉遣いをいたしたかもしれませんけれども、しなやかにですね、そしてまたしたたかにやっていくと。官房長官はその中身をご説明していたと思います」

 

 鴨下氏 「中国の語源には、柳腰という言葉は、どちらかというと、女性がしなをつくるというような趣旨なんですよ。外交の中で、中国に対するメッセージが、柳腰外交だってもし出るとすれば、これは日本の名誉のため訂正しておいた方がいい」

 

 古川氏 「官房長官は、中国で言われているような意味で柳腰というのを使ったわけではなくて、しなやかでしたたかな外交をすると申し上げたわけです」

 

 鴨下氏 「決してポジティブな言葉ではないと理解してください」

 

 …それで、ここまでなら相変わらず仙谷氏の日本語はちょっと変だなあ、どうしてこんなこと言うかなあ、菅氏はいつも「逃げ菅」だなあで終わったわけですが、その仙谷は本日午後の記者会見でまたやらかしてくれました。自分のおかしな言葉遣いに反省を示すどころか開き直って自己正当化を試み、あろうことか自分を日露戦争後に苦労してポーツマス条約を締結した小村寿太郎になぞらえるかのような増上慢ぶりをあらわにしたのです。ホント、誠意の欠片もないな、この人は。

 

 記者 「柳腰外交」というのは言葉遣いが間違っているときょうの予算委で指摘されたが、どう考えるか。

 

 仙谷氏 別に女性が弱いとか、か弱いとか、あるいは柳腰だから弱いということは、どこかの辞書に書いてあるかはわかりませんけど、私は女性ほど強いものないと思っている。(←最初から論旨のすり替え)

 この種の話を、一時、大きい声を出すとかね、なんとかで、強面でいったら良かったんだとか、強腰で良かったんだとかそういう話では決してないと思う。(←言葉遣いがおかしいと指摘されただけなのに、話を牽強付会にねじ曲げています)

 やっぱ少なくともわれわれは、1894年の日清戦争以降、「なめられてたまるか」とか「負けてなるものか」とか、その気負いだけで突き進んだ部分が1911年以降、日本の破綻に結びついたと総括して(←何の話をしているのか)、従って、1905年のポーツマス条約について、これは完全に弱腰外交どころか、日比谷公園が焼き討ちされたところのでいった。そのぐらい、大騒動に発展したわけです。(←国民はもの知らずで道理の分からぬバカだと言いたいらしい)

 政府が日本とロシア、あるいは中国、あるいはその他の英国、フランス、ドイツと中国を占領していた国々との関係での力関係をほとんど考慮することなく、そういう実情を、当時の政府もあまり教えていなかった。(←ビデオをいまだに公開していないくせに何を言うのか)

 それでこんな、賠償金も取れずに(小村寿太郎が日本に)帰ってきたと。そういう平和条約を結んだのはけしからんということで、あの事件が起こった。(←柳腰の話がいつのまにかこんな問題に!自分の弁舌に酔っています)

 外交全体としては、いろんな現実的な二国間、およびそれを取り巻く周辺の力関係や状況変化というものを考えながら取り結んでいかないといかんなということを改めて思っておりまして、その観点から釈放だけを取り出してどうのとか、逮捕だけを取り出してどうのとか、これはやっぱりあんまり声高に叫ぶことはよろしくないんじゃないかなと、ま、そんな総括でございます。(←要するに、中国には勝てっこないので、大人しくしていましょうということですね)

 

 記者 現在の日中関係を踏まえていうならば、その「柳腰外交」はできていると考えるか。

 

 仙谷氏 少なくとも、わが党になってからは、わが党の政権になってからは、できているんじゃないかと思っておりますが。

 

 …なるほど、言葉の真の意味での柳腰外交は確かにできているかもしれませんね。あーあ、こういう人たちだと分かってはいても、本当に嫌になりますね。幸い、菅内閣の支持率は、フジテレビの新報道2001の世論調査(首都圏対象)では、9月23日調査の63.2%から10月7日調査の44%へと、わずか2週間で19.2ポイントも急落しています。このまま「下り最速の伝説」を塗り替えていってほしいものだと心からそう願います。

 やっぱり、このていたらくでは、ビデオはなかなか公開しないでしょうね…。情けない。

 

 

 きょうは衆院予算委員会での論戦が始まりました。その中で、自民党の石破茂政調会長の質問の論理展開が興味深く、かつ、重要な答弁を引き出したと思えたのでちょっと取り上げてみます。本当は、今年2月の予算委での質問時のように、もっとあの独特の三白眼で相手をにらみつけ、ぐうの音も出ないくらい徹底的に追い詰め、居並ぶ閣僚たちが「俺に質問しないで」と目を泳がせるぐらいやってほしかったのですが、本日の比較的ソフトな追及もそれはそれで見物でしたね。

 

 石破氏は、まず、菅直人首相が所信表明演説で外交について「国民一人ひとりが自分の問題として捉え、国民全体で考える主体的で能動的な外交を展開していかなければなりません」と主張した点を取り上げ、菅首相にお礼を言わせます。そして、その上で、

 

 「憲法上、外交権は内閣に所属している」

 

 ことを強調し、いい加減な反論を試みる菅首相の言葉を「内閣の職務に関する首相の解説はどんな憲法の本にも書いていない」と切って捨てます。さらに、返す刀で、仙谷由人官房長官に、尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件と中国人船長の逮捕が重大な外交問題に発展するという認識があったかどうかを尋ね、こう言わせました。

 

 「当然ながら、外交問題になるなと予測していた」

 

 その上で、仙谷氏から、検察官の裁量に任せる「起訴便宜主義」の考え方のもとで、日中関係に配慮したという検察の判断を「諒(了)とした」というこれまでの主張を再確認させます。どうやら、これらの流れは石破氏の想定通りのことだったようで、ここで石破氏はこうたたみかけます。

 

 「起訴便宜主義で検察官に裁量を与えているのはなぜか。起訴しない方が犯罪人の更正にとってよい場合がある。あるいは、訴追しなくても社会秩序が保たれる。この二つだ。今回は一体どうなのか」

 

 そして、石破氏は今回の事例がいずれにも当て嵌まらないことを論証しました。さらに、中国人船長がすでに中国に帰っている上、日中間で犯罪人引き渡し条約が結ばれていないこと、刑事事件の第一審では必ず被告人が出廷しなければいけないがそれが無理なことを指摘し、こう意味づけました。

 

「処分保留にした時点でもう公判は開けないという決定を成したに等しい」

 

 これに対しては、仙谷氏もいやいやこう率直に認めざるを得ませんでした。

 

 「事実上、そういうことになるだろうと私も思う」

 

 で、石破氏はこの点を確認した上で、政府・与党が渋っている衝突ビデオの公開に話を移します。仙谷氏たちが、これまでビデオを公開しない理由として裁判の証拠物件だと繰り返していた点の矛盾をついたのです。

 

 「官房長官はいま、この先、船長を訴追し、公判が開かれる可能性はほぼないと思われる答弁をした。それなら、なぜ公開しないのか」

 

 次に石破氏はロッキード事件当時の議事録を全部読んだと述べた上で、当時の法務省刑事局長、法相、内閣法制局長官が次のように国会で繰り返していた点を指摘します。検察にすべてを追わせることの無理を押さえた形です。

 

 「検事には、検察には判断できない場合は当然あるだろう」

 

 押しまくられた仙谷氏はまた、次のように認めてしまいます。

 

 「検察当局が判断を、あるいは相談を持ちかけてきた場合は、相談に乗らなければならないと考えている」

 

 ここまできたらもう、お決まりの「現場が適切に判断するだろう」という無責任な答弁は通用しません。さらに、石破氏が「公開するかしないかの基準は、公開しないことで何が守られますか、ということだ。出さないことによって守られる公益があって、だから出さないのだという説明をすべきだと言っている」と追及すると、とうとう仙谷氏はこう言っちゃいました。

 

 「出さないなんて一言も言ったことはありません!」

 

 仙谷氏はその後も、「国会に提示することはやぶさかではないが、時期がいつか、さらに進んで、どのような開示が行われるか考慮、配慮しなければいけない」などと四の五の言っていましたが、予算委はテレビ中継され、国民は見ていました。これで出さないなんてことは許されませんね。

 

 実際、本日夕、自民党の逢沢一郎国対委員長は記者団に、ビデオ公開問題についてこう語りました。

 

 「きょうの石原伸晃幹事長、石破さんと政府のやりとりで、処分は保留だが、また起訴に向けて捜査を進めていく、取り調べていくと言ったって、現実問題そういうわけにはいかないということが確認されたようなものだ。証拠だから簡単には出せないという理屈はもうならないのではないか

 

 …新聞紙面でも書きましたが、菅首相は8日の代表質問では「最終的に外交の方向性を決めるのは主権者たる国民だ」と言いながら、ビデオ公開には後ろ向きの姿勢でした。これほどの欺瞞はありません。国民の目に目隠しし、事実を知らせないでおいて、外交の責任は政府と国民で分かち合おうと呼びかけるなんて、なんて厚かましくも卑怯なのか。「何でこんなに明らかなのに、今まで隠匿していたんだ」という国民の怒りが自分たちに向くのを恐れているとしか思えません。

 

 政府には前非を悔い改め、一刻も早く、ビデオを全国民の目に触れる形で公開することを望みます。それとも、また卑怯な手段でごまかそうとするのでしょうか。

 

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