2011年04月

 

 きょうはゴールデンウイークの最中なので、震災後で初めて、久しぶりに読書エントリとします。私も本日は休み(といっても、明日以降はまた仕事)をもらったので、少しのんびりとした気分を味わっています。

 

 さて、きょうまず紹介するホーガンの「星を継ぐもの」(創元SF文庫、☆☆☆☆)3部作は、第1巻は1980年初版の古いSF小説であり、私も最初に読んだのはおそらく高校生のころだったと思います。

 

 この古い本を本棚から引っ張り出して今回、再読(というか再々々読ぐらい)したのは、この英国出身で米国で活躍した小説家の、驚くほどあっけらかんとした科学信仰、人類賛歌、楽観主義を再確認したからでした。震災発生直後、猛烈にこの小説を読みたいという気分に襲われたのでした。

 

      

 

 この作品の中で、準主役として登場する生物学者のダンチェッカーは例えばこう述べます。何度読んでもほとんど脳天気とも言える前向きさですが、そこから元気をもらいたい気分だったのかもしれません。

 

 「たいていの動物は、絶望的状況に追い込まれるとあっさり運命に身を任せて、惨めな滅亡の道を辿る。ところが、人間は決して後へ退くことを知らないのだね。人間はありたけの力をふり絞って、地球上のいかなる動物も真似することのできない粘り強い抵抗を示す」

 

 …おっとストーリー紹介をすっかり忘れていました。裏表紙の紹介分をそのまま写すと《月面で発見された真紅の宇宙服をまとった死体。だが綿密な調査の結果、驚くべき事実が判明する。(中略)彼は五万年前に死亡していたのだ!一方、木製の衛星ガニメデで、地球の物ではない宇宙船の残骸が発見される…。》

 

 で、次は古書店で未読のヘミングウェイ作「インディアン部落・不敗の男」(岩波書店、☆☆☆)を見つけたので、これまた実に久しぶりにこの作者の本を読んでみました。

 

     

 

 まだ開拓時代のにおいが残る米国の自然と、人間の暮らしが、ありありと目に浮かぶようでした。にしても、パンチドランカーってこの時代からいたのか…。まあそりゃそうか。

 

 その後、なぜか将棋に関係する小説を続けて2冊読みました。私自身は、子供のころにちょっとかじったことがある程度で、特に将棋に思い入れがあるわけでも何でもありませんが、そういえば将棋漫画なんかもよく読むなあ。ちなみに、最近は「王狩り」がいい。

 

 ともあれ、貴志祐介氏の「ダークゾーン」(祥伝社、☆☆☆)から。この人の「新世界から」は心底、面白かったというか衝撃的でしたが、こっちは、うーん、あまり読後感はよくありません。カタルシスがないというか。

 

     

 

 ストーリーは、主人公をはじめ登場人物たちが、気がついたら異形の姿となって、将棋によく似たルールの下、相手の「キング」を倒すまで意味も目的も分からぬ殺し合いを続けさせられ、その果てに…というものです。確かに、物語世界はよくできているし、面白いのはそうなのですが、あまりに救いがないように思えて。いや、この結末はこれで一つの救いではあるのですが…。

 

 もう一つの将棋関連の塩田武士氏の「盤上のアルファ」(講談社、☆☆☆★)は、二人の主人公の設定がともに「性格が悪い」というある意味、痛快な設定です。

 

     

 

 で、この作品は著者のデビュー作というわけなのですが、著者は神戸新聞の33歳(だったかな)の記者なのですね。他紙ではありますが、自分よりかなり年下の記者の作品ということで、当初はどこか原稿をチェックするような気持ちで読み進めていましたが、やられました。

 

 途中、随分と不自然な場面がいくつかあるので、まだ粗いのかなと思っていたら、ラストでこれらがみんな盤上に置かれた重要な「布石」であることに気づかされました。脱帽します。

 

 有川浩氏の「県庁おもてなし課」(角川書店、☆☆☆)は、題名を見た瞬間に「買うか」と手に取りました。知らなかったのですが、これ、新聞小説だったのですね。

 

     

 

 高知県庁で働く地方公務員たちが、いかにお役所仕事のぬるま湯から脱して「おもてなしマインド」を身につけるかという話で、とてもさわやかな読後感があります。読むと高知県観光に出かけたくなること請けおいます。

 

     

 

 堂場瞬市氏の警視庁失踪課シリーズは何度も紹介しているのでストーリーはあえて触れませんが、今巻「波紋」(中公文庫、☆☆☆)では新たな展開がありました。物語がいよいよ動きだしそうです。今巻の最後の一文、しびれます。

 

     

 

 高田郁氏のみをつくし料理帖シリーズも第5弾の「小夜しぐれ」(ハルキ文庫、☆☆★)となりました。こっちも少しずつ物語が進み出しました。このシリーズを読むといつも思うのは、主人公が働く料理屋が近くにあれば、毎日通うのになあ、ということです。

 

     

 

 相変わらず、現実逃避がしたくなると山手樹一郎氏の世界に没入することにしています。この「世直し若さま」(コスミック、☆☆★)にしても、現実にはありえない一つの桃源郷を描いているわけですが、それが心地よい。勧善懲悪はいいなあ。

 

     

 

 上田秀人氏の闕所物奉行シリーズ第4弾の「旗本始末」(中公文庫、☆☆★)は、相変わらず宮仕えのあれこれに悩みもだえるサラリーマンの心に寄り添っています。しっかし、菅直人首相を見ていても不思議に思うのですが、これほど集中砲火を浴びてもしがみつきたくなるほど、そんなに地位や権力って、うまみなり面白みがあるものなのでしょうか。

 

 ただのヒラ記者には理解ではない世界です。まあ、別に理解したくもありませんが。

 

 本日は、年に4~5回は訪れている南東北の某市にたどり着きました。震災・津波から50日がたち、漁港はだいぶ片づけられたそうですが、まだこんな状態です。

 

     

 

 当初は、こうした船が道路にまで打ち上げられて道を遮断していたと聞きました。

 

     

 

 「ありがとう自衛隊」の文字が一際目を引きました。町のあちこちに「がんばろう」「がんぱっぺ」という言葉が記されています。

 

     

 

 クレーンによると船の引き揚げを見守る人は十数人はいたのですが、みな一様に無言でした。どんな思いが去来していたのか。

 

     

 

 50日がたっても、沿岸部が受けた傷跡の深さは察するに余りあります。ボランティアの人も頑張っているようですが…。近くには、私も何度か子供を遊ばせた浜があり、改めて自然の脅威を思うしかありません。

 

 

     

 

 下の写真を現地を知る人に見せたところ、「道が通ったか」という感想でした。当初は、瓦礫で道もすべて埋まっていたとのことです。

 

     

 

 市の中心部の音楽ホールも避難所となっていました。この市では今も2400人余が避難所生活を送っています。こうした本の共有などは無聊をまぎらわす生活の知恵ですね。でも、一刻も早く日々の「生活」を取り戻してほしいものだと考えました。

 

 

     

 

 私が通い慣れた道もふさがっていました。

 

 

     

 

 今晩、東京に戻ります。

 

 昨日は津波被害と原発事故のダブルパンチを受けた南東北の某市にも足を延ばしました。市役所の庁舎には、全国各地から寄せられた応援メッセージが掲げられていました。

 

 東京都あきる野市の幼稚園からは、以下の寄せ書きが届いていました。

 

     

 

 

 長野県上田市の小学校からは、こう

 

     

 

   鹿児島県瀬戸内町の保育所卒園時からはこう

 

 

     

 

 私のような通りがかりの者が、何かを分かった気になってはいけませんが、きっと被災者の方々の心にも届いたのではないかと思います。震災も事故もないにこしたことはありませんが、日本が一つであるということを改めて実感させられる機会となりました。

 

 市役所近くの公園では、しだれ桜が満開でした。

 

     

 

 昨日、一昨日と連続して、一部が計画的避難区域に指定された川俣町の名物、川俣シャモを堪能しました。私は学生時代に2年間焼鳥屋で実際に焼き鳥を焼いていた経験もあり、鶏の類が大好きなのですが、川俣シャモは本当に美味い!お薦めです。

 

 川俣町の道の駅では、おみやげに川俣シャモの炊き込みご飯の素を買いました。さあ、本日もたくさん運転することになります。

 

 レンタカーに乗り、政府に「計画的避難区域」に指定された村を訪れました。村庁舎は、まだ新しく使いやすそうな建物でした。

 

     

 

 この村には約2000頭の牛がいて、のんびり草をはんでいました。これを他県に移すと言っても…。

 

 

     

 

 野には花が咲き乱れ、本当に美しい場所でした。ですが、今春は田畑には作付けがなされていません。

 

 

     

 

 本来は、春爛漫を楽しむべき季節なのに、政府の方針に従えば、5月末までに「避難」をしなければなりません。

 

 

     

 

 

 あちこちで、私の好物である土筆が生えていました。袴を取り、ざっとゆでた後、炒めて卵でとじると、甘くほろにがく…。

 

     

 

 

 無人の小学校では、当然のことながら子供達の歓声は聞こえてきません。

 

     

 

 スーパーやコンビニは開いていましたが、こうしたお店は軒並み閉じられていました。寂しい限りです。

 

 

     

 

 

 のどかで、美しい風景が、本当に惜しいと感じました。

 

     

 

 駆け足で現場を通り過ぎたところで、それで何かが分かるわけではありません。ただ、菅野典雄村長が私に語った「(現地の実情と苦悩は)官邸や都会にいては分からない」という言葉の意味は、多少なりとも理解できた気がしました。

 

 ただいま出張中です。下の写真は県議会の災害対策本部会議の様子です。私が過去に見慣れていた地方議会特有の弛緩した空気はみじんもなく、むしろピリピリした緊張感が漂っていました。それと、国に対する憤りを半ば通り越しかけた諦観のようなものも感じました。国に任せておいてはいつまでも進まないと…。

 

   

 

 県庁の記者クラブは無人でした。記者たちは、現場取材に行っているか、県庁近くの県自治会館に設けられた災害対策本部で作業をしています。記者クラブの方は、余震続きだったこともあり、散乱した書類も片づけられず、以下の様子でした。まあ、もともと記者クラブは汚いものとは決まっていますが…。

 

   

 

 下の写真が、災害対策本部に集まっている報道各社の様子です。自治会館の広い廊下(?)にイスや机を持ち込んで、それぞれ記事を書いたり、取材をしたりしています。手前右は弊紙の中川真・支局長です。弊紙が山梨県教職員組合の政治資金問題追及キャンペーンをやっているころ、中川支局長は山梨支局のデスクで、連携して記事を書いたものでした。

 

   

 

 同じ廊下の一角で開かれた東京電力の定時記者会見の様子です。私は根っからの文系なので、多少、理解が覚束ない部分があるのですが、なんとか…いやまあ、それはそれで。

 

   

 

 …というわけで、とりあえずそういうことでした。

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