2011年06月

 

 今朝の毎日新聞政治面に、とても興味深い囲み記事が載っていました。民主党国対の役員室に、「感動した。菅どうした」「百害あって一利なし」「宰相不幸社会」と書かれた「書」が貼られたという内容です。今回の浜田和幸参院議員の一本釣りをはじめとする菅直人首相の政治手法に、政権内部にもいかに不平不満が鬱屈しているかを示すエピソードですね。

 

 自分の党の代表である現職首相を、ここまで悪し様に言わざるを得ない心中はいかばかりかとも思いますが、さっさと辞表をたたきつけろとも言いたくなります。

 

 で、その菅首相は昨夜、自分のせいで国会が1週間以上も空転していることなどどこ吹く風と、首相官邸を4時間も離れて寿司屋→焼き肉店→イタ飯屋と3軒はしごし、いい気分になっていました。同席者によると、1軒目ではビールと焼酎を飲んでいたそうですが、店を見るとこのほかマッコリだとかワインだとかも飲んでいそうですね。いい気なものです。

 

 菅首相はよく、被災者のことを24時間忘れたことがないとか、「決死の覚悟」で取り組むとか口にしますが、そらぞらしいことこの上ないですね。鳩山由紀夫前首相とは別のタイプの言葉の軽さを感じます。

 

 こうした菅首相のどこまでも厚顔無恥な言動をみて、なおかつ菅首相を支持している人とはどういう心境なのかなと今朝、通勤途上にふと考えました。まあ、実際にはいろいろなパターンがあるでしょうが、一つには、その人自体が菅首相と同様に恥というものを知らないので、菅首相がいかに恥ずかしい振る舞いを続けようと、別に気にならないし、不思議だとも思わないのかなと愚考した次第です。

 

 人は自分がいま持っている「良識」以上の良識を持とうとはしないものだし、2500年前に書かれたプラトンの「メノン」には、ソクラテスが「徳というものは、教えられうるものではない」と結論する場面が出てくるし、これはまあ、どうしようもないことであるのかもしれません。

 

 さて、今朝の産経紙面でも少し触れましたが、昨日に初代内閣安全保障室長の佐々淳行氏から、この菅首相に関するエピソードを少し聞いたので紹介します。(参照、私のエントリ「菅首相の『原点』と市川房枝氏の指摘について」http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/2308138/

 

 それによると、佐々氏は警視庁警備一課長当時、菅首相の母校である東京工業大学の加藤六美学長の要請で、学生だった菅氏を捜査していたそうです。加藤学長は、アジ演説がうまく、学生たちを煽っては不埒な行動をそそのかす菅氏に困り果て、相談してきたとのことでした。

 

 ところが、「第4列の男」と呼ばれた菅氏は逃げ足が速く、結局逃げられたといいます。この「第4列」の男についての解説は、今度、総務政務官に就任した浜田和幸氏が昨年11月の参院本会議で以下のように述べています。こんな人の部下になりたがるなんて、浜田氏も不思議な人物です。

 

 《思えば、東工大の学生のころ、菅総理は学生運動のリーダーでした。小生も国際反戦デーのデモに参加したものです。その当時、菅総理は四列目の男と呼ばれていましたね。デモ隊の四列目にいれば、機動隊とぶつかっても捕まる可能性は少ないから。留年までして学生運動の指導者であり続けていながら、あなたはいつでも逃げることを考えていたようでした。》

 

 そういうわけで、佐々氏は菅氏の学生時代から、顔と名前を知っていたそうですが、奇妙な縁があったのか、この二人は再び接点を持ちます。菅氏がその後、婦人運動家の市川房枝元参院議員に近づいて踏み台にしていく話は有名ですが、佐々氏の実姉の紀平悌子氏が当時、市川氏の秘書を務めていたのです。

 

 紀平氏は当初、菅氏のことを佐々氏に「いい青年が来た」と語っていたそうですが、その見方はすぐに覆ります。あるとき、佐々氏が姉の紀平氏に、「市川さんは菅氏のことを評価しているの?」と聞くと、紀平氏はこう答えました。

 

 「何を言っているの!市川さんは『菅はよくない』と怒っているわ」

 

 その後、衆院議員となった菅氏は、政治家のパーティーの場などで佐々氏を見つけると、佐々氏が東工大時代の菅氏の件や、姉のことを言い出す前に、一方的に「いやあ、紀平さんと私は本当に仲がよくて」だとか「いつも佐々さんには大変お世話になって」だとかしゃべりまくり、言葉をはさませないのだそうです。佐々氏はこう語りました。

 

 「市川さんは菅氏に利用するだけ利用されて、いま生きておられたら本当に不愉快だろうと思う。菅氏は昔は『第4列の男』だったが、今では私は『4番目の男』と呼んでいる。東電の清水社長、海江田経産相、岡田幹事長に問題はみんな押し付け、自分は矢面に立たずに逃げている。でも、菅氏が開き直って市民ゲリラを国会と官邸のど真ん中で始めちゃったので、セオリー重視の自民党の谷垣総裁にはなかなか対抗できないだろうなあ…」

 

 なんだかなあ…。どうしたものかなあ。

 

 

 …もうため息しかでません。国民をどこまでも疲弊させ、絶望のどん底に突き落としつつひたすら元気な我らが宰相、菅直人氏のことや、現下の政局の件など汚らわしくて考えたくないし、触れたくもないのですが、日々あれこれと情勢がムダに動いているので、追っかけざるをえません。

 

 で、現在、永田町で「大いにありうる」と語られているのが、菅首相による延命を懸けた「脱原発解散」です。ふつう、勝算なく衆院解散はできるものではありません。周囲も止めますし、何より首相自身が「大敗して同志議員を大量に討ち死にさせた首相」との汚名を歴史に残すことにプレッシャーを感じざるをえないということがあります。

 

 しかし、菅直人首相の場合はどうでしょうか。どうせこのまま行けるところまで粘ったとしても、8月中には行き詰まるのだから、もう失うものはありません。最近は盛んに、輿石東参院議員会長らが万が一にも菅首相が8月中に辞めないということがないように、対外発信して「たが」をはめようとしていますしね。もうすでに人格・識見・能力については「史上最悪」という評価が定着しているので、これ以上評判を落とすはありませんから。

 

 今のところ民主党幹部連中は打ち消しに懸命ですが、これは確たる根拠があってそうしているというより、そんなの困る、それは筋が違うという意味で、一応否定しているという感じです。誰も菅首相の暴走は止められないのですから。

 

 菅首相としては、このままではじり貧である一方、脱原発を掲げて解散・総選挙を行い、何か致命的な間違いか運命の悪質ないたずらで勝ってしまったら、選挙で信任された首相として、堂々と大好きな「延命」「保身」を果たすことができ、しばらくは首相官邸の執務室で「我が身可愛やほ~やれほ~」と意味不明のことを口走っていることができます。

 

 己を知らず、ことこの期に及んでも、オレは本当は人気者であるはずだ、などど本気で信じていかねない菅首相のことですから、解散という選択肢はとても魅力的、蠱惑的、誘惑的であるはずです。

 

 そして、解散に打って出るには掲げるべき「大義」が必要なのですが、それが脱原発の是非であれば、確かに国民に問うに値する重大なテーマだということもできます。最近、この脱原発と再生エネルギーという有効なキーワードを思いついたらしい首相は、おそらくこれこそオレの歴史的使命だとばかりに例の誇大妄想に陥って、周囲の困惑をよそにいよいよ他者とかかわりのない世界で遊ぶようになったようです。

 

 私も国民の信を問うこと自体は大賛成です。菅首相自身、野党時代は「衆院選を経ていない首相は『仮免許』だ」と主張していましたしね。ただ、私は菅直人首相には脱原発をテーマに解散に出る資格がないと考えているだけに、何だかイヤな雰囲気だなあと感じているのです。

 

 例えば、自民党の小池百合子総務会長は24日の記者会見で、最近、急に菅首相が成立に意欲を示しだした再生エネルギー特別措置法案について、こんな話をしていました。

 

「例えば3月11日に例の再生エネルギー法案、これについて役所から総理の元にブリーフィーングに行ったところ、3月11日の時点で再生エネルギーについて菅総理は何も興味を示さなかったそうだ。突然火がついたのが、たぶん(ソフトバンク社長の)孫正義さんとの話があってからのことではないかと。何か再生エネルギーをすることが正義の味方みたいなところがあるけれども、正義は正義でも孫正義の正義ではないか」

 

 例の、孫氏に「なんていい人なんだ」と激賞された会合以降、菅首相が俄然やる気になっていることを言っているのでしょうが、「孫の正義」とはうまいですね。でも、これがあまり洒落や冗談では済まされないところが心配です。

 

 そもそも菅首相は、当選以来、時折、思い出したように国会質問などで再生エネルギーについて言及してきたのは事実ですが、少なくとも政権交代以降、この問題に特に取り組んできた様子はありません。それどころか、今年1月の施政方針演説で「私自らベトナムの首相に働きかけた結果、原発施設の海外進出が初めて実現します」と原発ビジネス成功を手柄誇りしていました。

 

 菅首相、鳩山由紀夫前首相、仙谷由人官房副長官は競うように原発ビジネスの国際展開を行ってきましたし、菅政権は今もそのビジネスを進めています。それなのに、脱原発をテーマに解散するとしたら、それは国際的ペテン以外の何物でもないと愚考します。

 

 というより、将来的に再生エネルギーの方にシフトしていくということ自体には、与野党ともに反対する党はないはずです。あまり急進的にやろうとすると、国民生活にも日本経済にも大きな影響が出るとの懸念は当然出ていますが、解散時に「脱原発」が大義として振りかざされると、そうした穏健な意見も、すべてを単純化して善悪二元論に持ち込む人たちによって「原発利権屋の反抗」として排除されかねない怖さがあります。

 

 そしてその結果、人類よりもダニ、ムカデ、ナメクジ、ヒル、毛虫、寄生虫…などと並べて分類した方がぴったりくるようなナントカが勝利を収めて居座りを決めるなんてことになれば世の中真っ暗ですから。まさか有権者がそんな判断を下すとは思いませんが、もしそんなことになったら、日本は社会正義に反した非道徳的・非倫理的国家として世界に指さされることでしょう。

 

 きょう発表の産経とフジニュースネットワークの合同世論調査で、菅政権について「評価する」人の割合を見ると、「首相の指導力」(8.0%)、「景気・経済対策」(11.0%)、「外交・安保政策」(13.0%)、「福島第1原発事故への対応」(13.5%)…と軒並み低評価であるにもかかわらず、「原発への依存度を減らす方針」については、68.4%が評価していました。

 

 菅首相もそのスタッフも、こうした数字はチェックするでしょうから、うんうんと意を強くする可能性がありますね。というより、これしかないと思い詰めていく危険性だって否定できません。菅首相のようなポピュリストは、先日のイタリアの国民投票結果なども間違いなく脳裏に刻んでいることでしょうし、どうもなあ。

 

 繰り返しますが、原発への依存度を漸次減らしていくことに関しては、与野党とも特に反対はないと思います。それなのに、菅首相が「見えない敵」として守旧派・既得権益派を勝手に想定してそれをたたくことで選挙に勝とうとしているとしたらどうでしょうか。

 

 菅首相は、本当に恐るべき「人災」そのものであり、日本に災厄をもたらす「禍日神」、あるいは「大貧乏神」であると感じています。あの不景気面を1年以上も見続けてきたせいか、なんか私の精神も少し病んできたのではないかとそんな気も…。

 

          

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 しかしまあ、何をいまさらの感がありますが、新聞各紙の菅直人首相批判が痛烈さを増してきました。当然のことであり、菅首相がこんな人(人に値しませんが)であることはとうの昔に分かっていたのだから、どうしてもっと早く素直に正直になれなかったのだと言いたくもありますが、それぞれの社の幹部が決めた社論なり、事情なりあるのでしょう。

 

 前回のエントリで紹介した21日の朝日の曽我豪記者に続き、昨日は日経の西田睦美編集委員が1面で「国政停滞は人災だ」という見出しでこう書いていました。

 

 《菅政権の惨状は目を覆うばかりである》《首相の居座りで国政が停滞する前代未聞の人災は、もういい加減にしてもらいたい》

 

 で、昨夜、共同通信が流したので地方紙が使用しているであろう解説記事「退陣時期明言せよ」にはこうありました。

 

 《自らの出処進退を材料にした〝けんか〟のレベルへ政策論議をおとしめた醜悪さは、歴史に記録されるだろう》

 

 そして今朝はとうとう、菅首相擁護の「最後の砦」だった毎日新聞が1面で、古賀攻政治部長の「国政を私するな」という記事を載せました。さて、そろりそろりと舵を切る気になったのかどうか。

 

 《希代のご都合主義者の本領発揮である》《国家の非常時にあって、国会を常時開いておくことに与野党とも異論があろうはずがない。本来中立的であるべき時間に、ギラギラした政治性を持ち込んだのは首相自身だ》《復旧・復興政策を「人質」に取るような首相の姿勢は、国政を私していると言うほかない》《首相はこの政体(議院内閣制)が想定する首相像からかけ離れた存在になりつつある》

 

 …ようやく、本当のこと、本音を書くことが許されたというところでしょうか。できることなら、事態がここまで悪化する前に、きちんと菅首相と政治の実態を伝えてほしかったと思います。

 

 今朝は、署名コラムではありませんが、読売も社説で《「最小不幸社会」を目指したはずなのに、「宰相」による不幸社会に陥ってしまっている》と指摘していました。ようやく各紙とも、見るべき現実をきちんと見ることにしたようですが、問題はこれを菅首相がどう受け止めるかですね。

 

 どうも、菅首相の頭脳には、反省したり、自分の非を認めたりする機能は見事に欠落しているようなので、おそらく彼は現在、強い被害妄想に囚われていることだろうと推測します。その心情を察するに…

 

 歴史に名を残すためにこんなに頑張っているオレ、うまく不信任決議案を否決に持ち込んだ素晴らしい政治手腕を発揮しているオレを、新聞メディアは何らかの理由で追い落とそうとしている。きっと何か利権がらみで動いているに違いない。そうでなければ、この賢い人気者であるオレ様に逆らおうなんてするわけがない…ブツブツ…。

 

 鳩山由紀夫前首相も、退陣直前には完全に被害妄想に陥り、自分に対する批判は防衛利権だとか、時計の針を元に戻そうとする勢力だとか、意味不明のことをぶつぶつつぶやいていましたからね。やはり官邸の主となると、裸の王様になりがちで、現実を受け入れられなくなっていくのでしょうね。

 

 というわけで、今さら新聞各紙の足並みが揃おうと、菅首相には馬耳東風であり、かえって頑ななねじ曲がった信念を深めるだけかもしれません。いやはや始末に負えない。

 

 客観的にみると、この2代の首相ほど無能で有害な存在はこれまでなかったのですが、この小学生にも分かる自明の理が、当人たちにはどうしても受け入れ難い、というか全く理解不能なのでしょう。後輩記者の一人は先日、あまりの政治の惨状に「この時代に生まれてきて悲しいと感じます」と言っていましたが、本当に国民は不幸です。

 

 

 

 もうげんなりして書きたくもないのですが、今回の菅直人首相についてです。こんな人モドキであっても、現在のわが国の首相であるので、やはり触れざるを得ません。自民党の逢沢一郎国対委員長は今朝の会合で、次のようにあいさつして朝日新聞の今朝の朝刊に掲載された曽我豪編集委員のコラム「身を引いて信の回復を」を激賞しました。

 

「今日の朝日新聞のコラムに、朝日にしてはというと大変恐縮ですから今の発言、撤回をしますけれども、素晴らしいコラムが載っております。私も改めて思い起こす訳ですが、先週、菅さんはエネルギー関係の会議に出て、この顔が、自分の顔が見たくなければ自然エネルギー法案を通せ、通しなさいと、そういう趣旨の発言をしました。とんでも無い発言です。考えて見れば、国会に対する最大限の侮辱というか、立法府をどう考えているのか。一国の総理として、宰相としての見識といいますか、考え方が本当に厳しく問われる。それに近いことはこの1年、種々あったと思いますけれども、極めつけの発言ではないか。その一言を取ってみても、もう十分、十分、不信任に値をする、あるいは問責に値をする。そう我々は厳しく受け止めなければならないのではないかと思います」

 

 曽我氏のコラムは、確かに大変論理的で説得力のある内容でした。見出しはまだおとなしいのですが、中身を読むといきなり冒頭から「もはや限界を超えた」という一文で始まるかなり激烈な調子でもあり、私も朝日を読んでこれほど頷いたことはこれまでそうはありません。まあ、さんざん菅政権を擁護しておいていまさら…という感もありますが、それはそれとして。

 

本当は全文、ここに掲載したいぐらいですが、それは著作権の問題があり無理なので、一部引用してお茶を濁します(太字は私が入れました)。

 

 《自分の顔を見たくないなら早く通せ。再生エネルギー促進という脱原発の明日に直結する法案について、最高権力者がこんな脅かしめいたことを言い放つ国に住む不幸を私たちに甘受せよというのか。》

 

 《それは熟議を旨とする議会制民主主義の根幹を踏みにじるものであり、出処進退をここまで軽く扱う首相もかつてない協調を損ねる乱雑な政治作法と自己の責任に無頓着な言葉の軽さ。それが菅政治の本質だ。》

 

 《首相がもっと謙虚で、冷静に丁寧に正確に手順を踏んで与野党の合意形成を育てていれば、幾多の課題処理が進んだ別の幸せな日本になっていたはずだ。

それを全面協力か、さもなければ「歴史に対する反逆行為」かといった対立図式でしか政治を動かそうとせず、結果、合意の芽を摘んだのが菅首相である。》

 

 《今最も肝要なのは、電力不足はじめ多くの負担や不便を強いられる国民からいかに信を取り付け続けるか、その地道で真面目な政治の作法である。

それは菅政治とは逆の道だ。》

 

 …まあ、この菅首相の発言については、読売新聞も18日の社説で「見苦しい」と書いていましたし、公明党の山口那津男代表は最近、菅首相について「おぞましい」という表現を使って酷評しています。なんでこの誰の目にも明らかであるように思える菅首相のいやらしさ、醜い実態が2~3割の国民には伝わらないのか、本当に不思議なくらいです。

 

ただ、菅政権が「自由と民主主義の敵」であることは、私は昨年9月の尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件で菅内閣が国民を裏切り、隠蔽体質を見せつけた時点で明らかだったと考えますし、実際、そう書いてきました。

 

 また、菅内閣の本質がその徹底した「卑怯さ」「姑息さ」であり、その政治手法が「思いつき」「場当たり主義」であること、その姿は大人の品格が欠落した「下劣の見本」であることも、たびたび指摘してきたことであります。やっと朝日新聞もその当たり前の事実を正視する気になったのかという気がします。毎日新聞はまだ必死に目をそらしているようですが。

 

 民主党の渡部恒三最高顧問は最近、公明党幹部との会談で、昨年9月の代表選を振り返ってこう語りました。

 

 「とにかく小沢一郎代表にしちゃいけないというので、みんな菅に入れたけど、本当にひでえのにやらせちゃったな」

 

 …国民は本当に不幸です。私もここしばらく、ずっと気分が優れません。本当に菅首相の顔などこれ以上見たくありません…。

 

 

 さて、本日は7週間ぶりに読書エントリとします。この間、政界はドタバタ劇を繰り返し、ルーピーとペテン師による三文芝居などをいやいや見させられたわけですが、口直しにしっかり読書は続けていました。今回は、割と「収穫」があり、ささやかながら楽しい読書時間を過ごすことができました。

 

 まず、久しぶりに万城目学氏の新刊「偉大なるしゅららぼん」(集英社、☆☆☆★)が出版されたので、早速読みました。この人の作品の舞台は京都、奈良、大阪ときて今回は滋賀であります。このあたりが好きなのだろうなあ。

 

 読後感は、一言でいうと「なんなんだ、これは」。相変わらずぶっ飛んだキャラが活躍(?)する万城目ワールドそのものですね。ストーリーを紹介する意味などないと思うのでそれはしませんが、続編の刊行を予感させる終わり方になっています。楽しみです。

 

     

 

 で、次に紹介する樋口毅宏氏は初めて読んだのですが、この「民宿雪国」(祥伝社、☆☆☆★)はいい意味で期待を裏切られました。この本も読みながら何度か「なんなんだ、これは」と驚かされました。実はこの作品の主人公の正体は恐ろしい…。

 

 なんか地味なタイトルで、始まりも、ある画家の伝記風なので、しっとりと読ませる作品なのかと思うととんでもない。いやはや、作者は本当に好き勝手書いています。ド派手というか陰惨というか…面白い。

 

     

 

 高野和明氏の「ジェノサイド」(角川書店、☆☆☆☆)は、SF好きにはたまりません。うーん、久しぶりに素敵なSF小説を読ませてもらったという感があります。題名が表す通り、けっこう残虐な場面が多く、ストーリーも決して希望に満ちたものではありませんが、これはいい。

 

 人類の「次に来る者」の設定、描写、扱いがよく練れているなあと感心させられました。かなり没頭して読めたので、その間は官邸に巣くう「大ナマズ」の不景気で殺伐とした面を忘れることができました。感謝です。

 

     

 

 小路幸也氏の「東京バンドワゴン」シリーズ第6段となる「オブ・ラ・ディ・オブ・ラ・ダ」(☆☆☆)は、ホームドラマの王道を行き、安心して楽しめます。こういう家族がいたら…という憧憬を誘う内容で、ちょっとテレビドラマ風すぎる気がしないでもないですが。

 

     

 

 山伏、陰陽師、忍者…その他が入り乱れて出てくる独特の世界を描く荻原規子氏の「レットデータガール」シリーズも4作目の「世界遺産の少女」(角川書店、☆☆☆)が発売されました。だんだん物語の謎が解き明かされてきました。主人公も成長し、これからどうなるのか早く続きが読みたいところですが、5巻が出るのは1年後かなあ…。

 

     

 

 こちらは有名な夢枕獏氏の陰陽師シリーズの第11作「醍醐ノ巻」(文藝春秋、☆☆☆★)です。シリーズ累計500万部を超したそうですが、相変わらず2人の主人公の掛け合いというか、友情がいい味を出しています。これも、ストーりーの解説は無用ですね。

 

     

 

 大沢在昌氏の新宿鮫シリーズの第10弾「絆回廊」(光文社、☆☆☆★)が5年ぶりに出たのはうれしい驚きで、かつ、帯に最高傑作と銘打ってあるだけあって、かなり面白い内容でした。

 

 詳しくはかけませんが、主人公をめぐる人間関係を含む環境に大きな変化が訪れます。次回作がイヤが応でも楽しみです。今回、作中に出てくるしつこい記者が、主人公のまきぞえを食らって銃弾を受け、重傷となるのですが、ざまを見ろという気にすらなりました。

 

     

 

 毎度紹介している佐藤雅美氏の物書同心居眠り紋蔵シリーズもこの「ちよの負けん気、実の父親」(講談社、☆☆☆)で第11弾だそうで、相変わらずしみじみ楽しめます。わが家の本が増えるはずです。読み返さないと判断したら古書店に売りにいくのですが、佐藤氏の作品はいつか読み返すだろうと思うし…。

 

     

 

 さて、この銀行小説の名手、池井戸潤氏の文庫版書き下ろし短編集「かばん屋の相続」(文春文庫、☆☆☆)は、前回の読書エントリの時点ですでに読了していたのですが、紹介し忘れていました。帯の「いろいろあるさ、でも、それが人生だ」というコピーがいいですね。

 

 表題作の短編には、こんなに類型的なイヤな奴がいるだろうかという人物が出てきますが、やっぱり現実にもいるのだろうなあ。わが国の宰相がそもそも人の心を持たない人モドキだし。

 

     

 

 最後に、浜田文人氏の「若頭補佐 白岩光義 東へ、西へ」(幻冬舎文庫、☆☆☆)です。これは、同じ著者の以前紹介した「捌き屋」シリーズの特別(兄弟)編といえるかもしれません。義理堅く、女好きで、それでいてストイックなインテリ極道の活躍が痛快です。

 

     

 

 …政界の権力争い、足の引っ張り合い、醜いエゴ、結局は「俺が俺が」ばかりの打算的な人間関係を日常的に見ていると、つくづく読書の時間は貴重です。本を読むことで心の平衡感覚を取り戻さないと、すぐに頭が煮詰まってしまいそうです。

 

 まあ、こんな小理屈をこねるまでもなく、ただ読書が好きなだけですが。今夜は何を読みながらビールを飲もうかと、今からその時間を待ちわびているのでした。

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