2011年06月

 

 本日の在京6紙は珍しいことに、全紙に政治部長論文が載っています。内容は、もちろん菅直人首相の不信任決議逃れの延命工作問題ですが、やはりここまで露骨に醜いものを見せられると、それまで菅首相をかばってきたところも、かばいきれなくなってきたようですね。濃淡はあれど基本的に、各紙とも早期退陣を迫っています。

 

 まあ、今回の菅首相のあまりに因循姑息な騙しのテクニックは、与野党議員のほとんどを呆れさせ、げんなりさせたましたし、うかつにこれをかばうと、かえって読者から反感を買いかねませんしね。また、各社の最上層部はともかく、現場から情報が入るであろう部長であれば、もともと菅首相を評価できる道理もありませんし。

 

なので、今回は各紙の指摘をここに簡単に抜粋して記録しておこうと思います。菅首相は不信任決議案が否決されてしめしめと思っていたことでしょうが、メディアはもう菅首相のごく近い将来の退陣を織り込んでしまいました。墓穴を掘った、とも言えそうです。

 

 産経・五嶋清部長 「乗せた首相も首相だが、乗せられた方も乗せられた方だ。こんな三文芝居を見せられて、これ以上、この首相、この内閣、この政党の何を信用しろというのか。

もっと言おう。この条件では菅首相が震災復興にもたつけばもたつくほど、長く地位にとどまれることになる。笑うしかない」(1面)

 

 読売・玉井忠幸部長 「(菅首相の)こうした「二枚舌」的な不誠実な態度は、党内、さらには野党側の新たな反発を生もう。(中略)

野党側の非協力を、自らのさらなる延命の口実に使うようなことがあってはならない。退陣を口にした首相に長く居座りを許しておけるほど、今の日本が置かれた状況は生やさしくない」(1面)

 

 朝日・渡辺勉エディター 「平時においてもその場しのぎの判断を重ねてきた首相にとって、戦後最大の有事を乗り切るのはやはり荷が重かった。(中略)

野党と大筋合意している復興基本法案が成立したら身を引くべきだ」(1面)

 

 日経・池内新太郎部長 「いったん退陣に言及した首相の求心力は急速に低下する。菅首相のもとでの内政・外交の懸案処理は、もはや困難だ。首相は明確に期限を切り、ずるずるとその座にとどまるべきではない」(1面)

 

 毎日・古賀攻部長 「独善的な振る舞いで人心を失いかけている菅首相。(中略)

菅氏は潔く後継にバトンを渡せるよう環境を整え、与野党は被災者の利益を最優先して復興基本法案や特例公債法案などの処理を急ぐべきだ」(2面)

 

 東京・高田昌也部長 「原発事故対応や復旧・復興の遅れなどをみても菅直人首相が適任であるとは思わない。(中略)

辞任を約束してしまった以上、菅首相に政治的な力は残っていない。自公両党と大筋合意した復興基本法を成立させ、できるだけ第二次補正予算に道筋をつけて次の政権にスムーズにバトンタッチすべきだ」(1面)

 

 各紙の社説・論調もこれから菅首相の退陣を求める方向に大きく舵を切っていくことでしょう。姑息な手段で場当たり的にその場をしのいでも、まあ、いずれ無理なものは無理だということになるのでしょうね。

 

 私は、菅政権は昨年秋に尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件への対応を決定的に誤った時点で、もう終わっていたと考えています。その後、何もできないまま、自分がゾンビと化していることにも気づかないまま、ずるずるとここまで来ましたが。菅首相はあす首相指名1年を迎えますが、本当に何もやらず(できず)、国民にただ迷惑をかけるばかりです。

 

 

 さて、国民を愚弄し、嘘をついても恬として恥じない稀代のペテン師、菅直人首相についてであります。およそ形容し難いほど愚かなルーピー鳩山氏を手玉にとり、近々辞めるふりしてまんまと延命に利用し、同じ党の仲間も国民も裏切ったこの菅首相の立ち居振る舞いの卑しさは、もう正視に耐えないレベルに達しています。

 

 ご本人が周囲に「俺は歴史に名前を残したいんだ」と漏らしている通り、その人間性の低劣さは、国民の記憶から消そうとしても消えないという前人未踏で孤高の(孤低の)極北まで到達しているのではないでしょうか。この卑怯・姑息・未練を絵に描いたような人モドキを支持している国民の気持ちが理解できません。したくもありません。

 

 私はこれまで、この人のことを「無能」と呼んできましたが改めます。首相として無能であることは疑いをはさむ余地もありませんが、自己保身と延命にだけは長けている。その意味で、決して能力がないわけではないことを認めましょう。国民にとっては何の役も立たず、むしろ大迷惑なだけですが。

 

 今朝の産経社会面に、菅首相が就任以来、たびたびその名前を引用して自己を飾るのに利用している婦人運動家、市川房枝に関連する記事がありました。今回の菅首相の〝辞意〟表明に関して、「市川房枝記念会女性と政治センター」理事の山口みつ子さんが、「生前、市川が菅さんについて語ったことは聞いたことがない」と証言しています。

 

 菅氏はかつて、市川氏の選挙を手伝い、昨年9月に記念会展示室を訪れた際も「私の原点は、市川先生の選挙を応援した36年前にある」と記帳したそうです。原点ねえ…。そこで本日は、先日、国会図書館に行って書き写しておいた市川氏の「私の国会報告」(昭和52年7月発行第4号)にあった菅氏に関する市川氏の言葉を紹介します。菅氏との距離感がよく分かります。

 

 《江田三郎氏(※阿比留注・江田五月法相の父)が主唱した社会市民連合は無所属ではなく政党だが、その市民の側として私の49年の選挙の際、事務長をしてくれた菅直人氏が「参加民主主義をめざす市民の会」の代表として参加し、東京地方区から立候補した。

私は右の会にも関係なく、社会市民連合への参加や立候補について菅氏から何も相談を受けていないし、他の人たちと同様推薦応援はしないことにしている。

菅氏は昨年12月5日の衆議院選挙の際、東京都第7区から無所属候補として立候補した。この時は立候補を内定してから私の応援を求めて来た。彼等の意図は理解するが、衆議院の無所属は賛成できないので推薦応援はしなかった。然し50万円のカンパと、私の秘書、センターの職員が手伝えるよう配慮し、「自力で闘いなさい」といった。

ところが選挙が始まると、私の名前をいたる所で使い、私の選挙の際カンパをくれた人たちの名簿を持っていたらしく、その人達にカンパや選挙運動への協力を要請強要したらしく、私が主張し、実践してきた理想選挙と大分違っていた。

然し彼等は7万票獲得、大いに意を強くしたであろうが、衆議院で落ちたから参議院に出る、しかも無所属が望ましいのに、社会市民連合という政党に参加したのは賛成しがたい。(中略)

その後彼は代表している「参加民主主義をめざす市民の会」の総会で、「会に相談なく、会が参加しているように誤解させた」ことを責められ、退会したと新聞に出ていたが、それはきわめてまづい。彼の大成のために惜しむ次第である。》

 

 …確かにここには菅首相の原点というか、今も通じる行動原理がみられますね。しかも菅首相にとって、この因循姑息なやり方は、それで首相にまでなれた「成功体験」なわけですから、今さら改める気になんかなれないのでしょう。ため息が出るばかりです。利用できるものは何でも独断専行で利用し、使い捨てると。そしてその際、相手の気持ちや立場なんて一切考慮しない…。

 

 この市川氏と菅首相との関係については、以前、ある衆院議員から「市川氏は晩年、『自分の葬儀には菅だけは呼ぶな』と言っていた」と聞いたこともありますが、これはウラの取りようのない話です。ただ、菅首相についてなら「さもありなん」だと妙に納得した次第です。

 

 これが事実だとしたら、菅首相の名前など口にしたくもなかったということでしょうか…。

 

 これが日本の首相を一日長く続けることは、それだけ日本の品格・信頼を貶め、あらゆる問題を混乱させ、経済力を失わせ、社会の活気を奪い、国民にアパシー・アノミーを蔓延させ、最大不幸社会を実現するばかりだと強く感じています。毎日新聞、朝日新聞をはじめとする擁護メディアは今、菅首相延命という国民への許し難い背信行為を行っていると思えてなりません。

 

 

 さあて、いよいよ内閣不信任決議案が衆院に提出されましたね。今のところ、鳩山由紀夫前首相も小沢一郎元代表もこれに賛成すると伝えられています。しっかし、前代表と前々代表が現代表に不信任票を投じる民主党って、いったい何なんだか。これは民主党が政党の体をなしていないか、または菅直人首相がそれほどひどいか、あるいはその両方かのいずれかということになります。

 

 で、いきなり話は飛ぶわけですが、私は最近、秦の始皇帝が感激して読んだとされる「韓非子」が妙に好きなのですが、そこで菅首相のありようにぴったりの言葉を二つ見つけたので紹介します。

 

 過而不聴於忠臣、而独行其意、則滅高名為人笑之始也(過失をおかしながら忠臣のことばを聴きいれず、ひとりで自分の思ったとおりにしていると、名声を失って人の笑いものになっていく始まりである)

 

很剛而不和、愎諫而好勝、不顧社稷、而軽為自信者、可亡也(君主がねじけてかたくなで人と和合せず、諫言に逆らって人に勝つことを好み、国家のことを考えないで、軽率な行動で自信たっぷりという場合は、その国は滅びるであろう)

 

 …まあ、国民にはとんでもなく迷惑な話であり、笑い事ではないのですが。本日の党首討論を見ていても、菅首相は「虚而無用」(いうところが空虚で、実際の役にたたない)でしたね。いきなり「谷垣総理…」と言い間違えたのには、さすがに驚いたというか呆れましたが。

 

 

 いよいよ今夕、内閣不信任決議案が衆院に提出されることとなり、政局がどろどろに流動化してきましたね。新たな創造のための破壊となることを期待し、祈るような気持ちで見つめています。

 

 さて、ふと思い出すと、菅内閣の発足は昨年の6月8日でした。あれからもう1年か。本当に悪夢のような日々でした。なかったことにしてほしい、日本の歴史から抹消してほしいと、そんなことすら思うぐらいです。

 

 そこで、菅内閣がこれまでの約1年間にどんな実績を上げてきたかをちょっと考えてみたのですが…

 

 内閣発足後、ろくに国会審議もせず、予算委員会からも党首討論からも逃げてわずか8日間で国会を閉じ、

 

 参院選が始まると、記者のぶらさがり取材を拒否し、テレビでの党首討論から逃げ、

 

 唐突に消費税上げを口にしたものの、反発が強いとすぐひよってごまかし、ついでに参院選で大敗し、

 

 韓国に対して日韓併合謝罪談話を発出し、

 

 尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件では、超法規的な弱腰外交を見せつけ、衝突映像を隠蔽し、世界の笑い者となり、

 

 そんなにまでして実現した中国の胡錦濤国家主席との会談では、あいさつからペーパーを読み上げ、

 

 ロシアのメドベージェフ大統領の北方領土訪問を黙認し、

 

 飽くことなく小沢一郎氏と党内抗争を続け、

 

 年が明けると、消費税増税派の与謝野馨氏を一本釣りし、

 

 国民との契約だったマニフェストはほとんどすべてほごにし、一方でできもしない社会保障改革やTPPなど大風呂敷を広げ、

 

 こそこそと違法な外国人からの献金受領をごまかし、

 

 原発事故への初動を誤り、無意味な口出しで混乱させ、被災者支援まで頭が回らず被害者を拡大し、

 

 風評被害をまきちらし、ひきこもり、なし崩しにぶらさがり取材は拒否し、記者会見もまともに答えず

 

 G8では相手にされず、パフォーマンスだけを心がけ、日本の国際的地位を地べたにまで落とし、

 

 歴史に名前を残したいなどど、意味不明のことをわめきちらし、

 

 …疲れたのでもうやめます。菅氏の輝かしくまぶしい政治家としての実績の数々に、目がくらみ、いや目がつぶれそうです。とても正視できません。うん、目を合わせちゃいけない。

 

 しかし、何か評価できること、一つでもしましたっけ、この政権。やはり日本史の汚点としてしか記録されないのではないでしょうか。覚めない悪夢はいつまで続くのやら…。

 

 

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