2011年07月

 

 ♪生きたい。生きていたい。生き長らえたい。いつまでも、100万年でも、1億年でも今の地位にとどまりたい……。

 自らの声を吹き込み、モーニングコールとした目覚まし時計がおごそかに朝を告げた。アレはふかふかのベッドから身を起こし、大きく伸びをした。アレの眠りは深く、夢は見ない。夢は現実世界に不満をため込んでいる愚民たちの慰めだとアレは信じていた。どんな夢よりも、起きて実際に味わう栄耀栄華こそが大切であり、幸福だからである。

「きょうは会議の日デアルカ」

 アレは、早くも午前7時2分には公邸を発ち、歩いて職場に入った。するとアレの到着を待っていたかのように、早速、部下であるFがきょうの仕事の打ち合わせに訪れた。ういやつだ。ずっと近くにおいてやろう。

 これまで多くの側近がアレの側を離れていった。中には、柳腰が色っぽい女房役もいたが、アレは気にかけない。なぜなら、アレは基本的に自分にしか興味はなく、そのとき便利な人間以外必要としないからである。もとより、Fだって今は使えると考えているだけだ。

 ともあれアレは約31年前、初めて国会に職を得るまで、与党と野党の区別もついていなかった。アレはゆっくりと長い時間をかけて学習し、今では内閣と与党の違いも理解している。現在に至っても、なぜ自分以外の議員が必要なのか実はよく理解していなかったが、Fの進講をぼーっと聞くうちに、自分をほめたたえるためだろうと納得した。

 また一つオレは賢くなった。この先どこまで利口になるか分からない。このあふれる知恵を人民に施し、さらにオレを賞賛させたい――。

 アレは深く自分に満足し、玉座にある幸せをかみしめた。そしておもむろに執務室のカーテンを開け、太陽に向かって叫んだ。

「オレの勝ちだ。おまえの輝きはオレのこの満足の足元にも及ばない。おまえはせいぜい再生エネルギーの源となり、オレに奉仕するがよい」

 これは最近の日課である。かつてはライバル視した太陽ですら、今では全く敵には値せず、ただ利用するだけの存在だ。アレの自尊心と自負心は今や14万8000光年の広がりを持つに至った。

それからアレは、日本中、いや地球中をソーラー・パネルで埋め尽くす妄想を楽しみながら大勢の護衛を従えて会議場へと赴き、愚にもつかない会議に出席した。いつかはこんな無駄な会議自体、廃止してやろうと考えているが、今はまだそのときではない。時が満ちるのを待つのだ。

アレは、自分に敵意の目を向ける議員たちを不思議そうに見回した後、悠然と自分の席に座り、いつものように船をこぐことにした。アレはいつでもどこでもどんな相手がいるところでも眠ることができる。このエピソードは、数多いアレの特技(居直り、記憶の変容、ペテンなど)の中でも、最も広く知られている。

しばらくして、耳元を羽虫が飛び回るような不快感で目が覚めた。

「2億円を越える資金がなぜ、(民主党から)市民の党や市民の会に流れないといけないのか」

 肩を怒らせてこう指摘する野党の質問者をあきれたように見て、アレは答弁に立ち、いつもの決めぜりふを吐いた。

「市民の会への寄付は、政治資金規正法に則り、政治資金収支報告書に記載し、法令に沿って処理している」

 この物言いは、実はアレが嫌悪し、「クリーンで透明な政治を実現する」として排斥したかつてのライバルOの資金問題に対する言い分と全く同じだ。だが、当然のことながらアレは全く意に介さない。なぜなら、いま玉座についているのは自分なのだからであり、この地位に就いているものには独裁も独善も許されるというのがアレの持論だからだ。

 アレの中では、すべてはシンプルに矛盾なく整理されており、アレはそれに疑問を持つことは決してない。アレは自分自身のことを、世界で最も優れたある者だと信じているからである。そもそも、アレの頭には矛盾という概念はない。だから、そのときどきで場当たりな言葉を発し、以前の言葉と食い違っても平気なのだ。強靱な精神を持つゆえんであり、証左である。

 もちろん、アレとて自分に対する民の批判があることは承知している。だが、それに何ほどのことがあろうか。権力を手にし、意のままに扱っているのは自分であり、民衆ではないのだ。かつて出演したテレビ番組で「1億総白痴になっている」と言い放ったアレは、もとより民の心など信用していない。

 そもそも、自分に奉仕し、従うためにある民の不平や不満を、アレが気にとめる道理がどこにあろうか。アレは民の声などどこ吹く風と「決然と生きる」だけなのである。

 この平穏な日の午後には、いま話題の女子蹴球チームがアレを称えにやってきた。アレは珍しく他者から何かを学びたい衝動にかられた。それは「諦めない心」だったが、それはすでに誰にも負けないと思い直した。

 そしてアレは、自分へのアドバイスについて「ないです」と答えた主将の言葉に深く満足し、その謙虚で正しい判断を愛でた。たかが、蹴球選手ごときが本気で自分に何かを教えようとしたら、アレは怒り狂ったかもしれない。

 そのようにして、さまざまな政策や情報をアレに伝えようとした部下や同志たちがアレの勘気を被り、怒鳴り散らされ、遠ざけられてきた。そうしてどんどん孤独になっていく姿はアレにとって不幸だろうか?とんでもない!アレの世界にはもともとアレしかいないのである。

「やるべきことがある限り、私も諦めないで頑張りたい」「自分なりに…」「自分としては…」

 いつものように、何を聞かれても自分の主観と自己都合だけを語って午後5時に会議を終えた。質問を受けるときには、唇を軽くかんで上目遣いにふてくされたような表情をつくるのに務めた。この顔が一番チャーミングだと気に入っているのだ。

 あとは自由時間だ。アレは知人の「お別れの会」に出席した後、Fと並ぶ側近であるTの世間話を聞き、8時に公邸へと引き上げた。気が向いたら寿司屋、焼き肉店、イタリア料理店…とはしごもいとわない健啖家のアレだが、きょうは公邸で夫人と缶ビールを飲む約束だった。

 翌朝、公邸前にはいつものように大量の空き缶が並ぶだろう。アレは明日も栄光に包まれた一日が待っていると信じ、再び眠りにつく。アレの中では時間はきれいな円環を形作り、すでに閉じて完結しているのだ。

 

 

 本日は政治とは全くかかわりのない個人的な話を報告するので、そうした話に興味はないという方はご遠慮ください。

 

 祖父が昨夜、94歳で永眠しました。数日前より、臓器がきちんと動いておらず、かなり危ういとは聞いていたのですが、急なことに、土曜日に福岡に駆けつける予定だった私は間に合わず、東京で訃報を聞くことになりました。

 

 享年94歳であり、天寿をまっとうしたといえますが、様態が急変してからはあまりに早い展開でした。クリスチャンだった祖父は、亡くなる前日まで意識は明瞭で、病室に牧師を呼び、賛美歌404番をともに歌い、納得した上での旅立ちであったようです。

 

 送別を歌ったこの賛美歌を披露した後、祖父はやるべきことはやったという安心を抱いたかの様子だったと言います。その後はうとうと眠りがちとなり、静かに息を引き取りました。

 

 記憶にある幼稚園時代から、近くの山登りに連れて行ってくれたり、散歩の供をおおせつかったりで、本当に可愛がってもらいました。この歳になっても、自分に愛情をもって接してくれたに肉親の喪失は胸に穴が開いたように感じます。

 

 祖父は、輸血などの延命治療を受ければ、もう少し生き長らえることもできたそうですが、それは拒否したそうです。死に目に会えなかった初孫である私にはとても残念でありますが、と同時に、そうだよなと、深く納得した次第でもあります。

 

 祖父が入院前にすごした自宅のベッド横には、拙著「政権交代の悪夢」と「決定版 民主党と日教組」が置いてありました。ああ、私のことをずっと気にかけてくれていたのだと、そして、もう二度話しかけてはもらえないのだと、そんな当たり前のことが胸に突き刺さるようでした。

 

 自分がいかに多くのものを祖父に教わり、また、祖父の言葉を支えにしてきたか、いまさらのように身にしみています。本日、遺体を前に何度もつぶやいたことですが、本当にありがとうございました。

 

 ※追伸

 

     

 祖父の家で遺品を見ていたところ、昭和12年春、来日したヘレン・ケラーにインタビューした西南専門学校(現西南学院大)新聞部時代の祖父の写真が出てきました。歴史とは意外と身近なものなのだと改めて感じた次第でした。

 

 本日はふと思い立ったので、悪夢の政権交代前にアレが偉そうに語ってきた言葉を紹介しようと思います。それを通じ、クマムシも真っ青の耐久力と、プラナリアも裸足で逃げ出す再生力を誇るクリーチャーであるアレの「現在」のあり方、本当の心境がより鮮明に浮かび上がるのではないかと考えたからです。(エントリの都合と、ブーメラン投げの名手といわれたアレの実態をわかりやすく紹介するため、便宜上、アレとの対話という形をとりたいと思います。)

 

  あなたは3月11日の東日本大震災以降、ぶらさがり取材を拒否していますね。そういえば、福田康夫元首相も政権末期、ぶらさがりを拒否していました。

 

アレ まさにそれは福田総理の、普通なら「立つ鳥跡を濁さず」ということわざもあるが、責任放棄そのものの姿勢が象徴的に表れたのではないか。立つ鳥は「後は野となれ山となれ」という姿勢が、そうした行動にも表れているのではないか。(2008年9月4日、記者会見)

 

 なるほど。ところで、あなたが任命された松本龍震災復興担当相が就任たった9日間で辞任した件はどう思いますか。新設の目玉閣僚だったわけですが…。

 

アレ 中山前国交大臣、当然のことながら麻生総理は中山さんの考え方とか人柄もよくご存じであったはずであります。その任命されたわずか5日後に辞任されざるをえなくなった。これは麻生総理が自分のチームをつくる上でそうした適任者を選べなかったという意味で、私は、リーダーシップを欠いていたといわれても仕方ないと思っております。(2008年10月7日、衆院本会議代表質問)

 

  そのような失態、失政の連続の中で、あなたは一体何のために地位にしがみついているのですか

 

アレ 総理は政局より政策だと言われてきたが、どうも最近の傾向を見ていると、政策実現よりも、自分の総理の座を一日も長く、その座についていることに汲々としているとみえてなりません。つまりは、政策よりも総理の座というのが麻生総理の今の姿勢ではないか。(2008年11月20日、記者会見)

 

  あなたは国会でも「恥知らずの史上最低の総理」と指摘されました。なのに、「私の顔を見たくなければ法案通せ」と言うなんて、廉恥心はないのですか

 

アレ 総理に関してはいろんな発言が出ておりますが、私もあちこちを地元で歩いていると、最近は怒りというよりも恥ずかしいという言葉があちこちで聞こえてきています。つまり自分の国の総理大臣を恥ずかしいと国民が思わざるを得ないようなそういう状態になっていると。ここまできたらもう自らが身を処することを考えられなきゃいけないんではないかと改めて感じているところです。(2008年11月27日、記者会見)

 

  あなたは就任以降、消費税だTPPだクリーンな政治だ平成の開国だと次々に思いつきで打ち上げては言い放しになっていますが、今度は脱原発ですか。それもきょうになってあなたは「個人の考え」と言い訳しましたが、本当は就任しても、何をやっていいのか分からなかったのではありませんか。

 

アレ 運転席に座っている総理がハンドルを放して、助手席とか後ろの席に乗っている主に与党関係者ですが、そういう人たちが右だ左だといって車体を揺すぶると車が右に行ったり左に行ったり、わけのわからないところにいく。このままでいくと本当に崖っぷちから落ちてしまうようなことになりかねない。まさに私は、麻生政権の存在そのものがまさに政治の混迷を生み出している。麻生政権の存在自体が、政治の混迷の原因になっている。そういう意味では麻生政権そのものが、もはや責任を果たすことができない状況にあるわけですから、自らの身の処し方を私は考える時期に、麻生総理はきているのではないかと思っている。

特に敢えて申しあげれば、麻生総理が就任してからあるいは就任する前も含めて、本当にこの人は何をやりたいのか、今の日本の状況、世界の状況の中で何をやりたいのか、将来に向かってどうしたいのか。そのことが私には一つとして見えてきませんでした。つまりは方向性を持たない総理が総理になってしまったことの悲劇が今日表れていると思っておりますので、そういう意味でも一日も早い身の処し方を総理自身が決められるべきではないかと思っている。(2008年12月4日、記者会見)

 

  政府として「安全宣言」を行った後のストレステスト導入は、閣内不一致どころ話ではありません。これに激怒して保守系若手議員もとうとう決起しましたが、あなたの責任逃れには辟易します。首相以前に社会人失格です。

 

アレ 総理大臣という立場にある人、あるいは総理大臣でなくても、一般の社会人であても、それはいろいろ議論があって、そして一緒になって最終的に決めて、総理の場合は、当時大臣ですから、閣議決定にサインして、一緒に決めてその後それがあまりうまくいかなくなったら、「いや、俺はあのときは本当は反対だったんだけど」といって、責任逃れをするなんていう人は社会人としてもう通用しない。私もその後、何人かの普通のサラリーマンのような仕事をしている人と話をしていて、みんなが口をそろえてそういうわけです。もちろん、いろんな形で、追及といいましょうか、問題点を指摘することは私がいうまでもなく、それぞれの議員がされると思うが、私はもう野党として追及するというレベルを超えている。社会として、もう通用しない人だ。あまりここまで言っていいかどうか分かりませんが、どこかの文章には、新聞か何かには、自分の国の総理大臣として恥ずかしいという言葉さえ出ておりました。一般の国民の声として。ですからもう追及というレベルを超えた問題だ(2009年2月12日、記者会見)

 

  そんなていたらくだから、内閣支持率も時事通信で12,5%と落ちるところまで落ちました。これでは与党内も霞が関も言うことを聞くわけがない

 

アレ 総理の責任、支持率が下げ止まらないということだが、これも今日の質疑で現時点での私の質疑は申しあげた通り、国民が麻生総理を信頼していない。そうである以上は何をやっても政治空白。一刻も早く総理の座を降りるべきだ。あんな数字は関係ないというのであれば、一刻も早く解散総選挙で、今のままでは、国民の皆さんにとって日本国にとって最悪の内閣だ。(2009年2月19日、記者会見)

 

 …というわけで、実はアレは内心、あるいは深層心理では、自分とその内閣が恥ずべき最悪の首相、内閣だということを理解しているのかもしれません。でも、アレのことだから、♪分かっちゃいるけど辞められない~という気分なのかもしれませんね。いや、もっと確信犯的に「行く道いくぜ」と考えているのか。やれやれ。

 

 

 さて、昨日のアレの記者会見では、例によって指名されず質問できなかった私でした。もしあてられていれば、アレの資金管理団体が拉致容疑者の親族の関係政治団体に6250万円もの巨額の寄付を行っている問題について、「この場で国民と拉致被害者、家族に説明していただきたい」と聞くつもりでした。

 

 記者会見でアレが表明したエネルギー政策の転換については、早速、枝野幸男官房長官が「遠い将来の希望」、仙谷由人官房副長官が「願望」とそれそれ述べるなど、今すぐどうという話ではないし、野党とも方向性は別に変わりません。

 

 なのにああして強調してみせたのは、いつの日か自分が退陣した後にこの問題が進み出したとき、自分が言い出しっぺであると威張り、歴史に名を残したいからかなと感じました。しかし、アレのことを本日はあまり考えたくないのでここまでとして、告知に徹しようと思います。

 

 以下、民主党内からの動きですが、どこまで広がりをもつのかそれともしょぼく終わるのか。さてさて…

 

 

   

平成23714

 

菅総理に即時退陣を求める決起集会 開催のご案内

 

謹啓 時下ますますご清栄のこととお慶び申し上げます。

 さて、下記の通り、菅総理に即時退陣を求める決起集会を開催させていただきたく存じます。

 先般来、菅総理は、政権運営にとり致命的な失態を繰り返しております。先日呼びかけ人一同で即時退陣を求める提言書を総理官邸に持参し、菅総理の即時退陣を強く求めた次第です。

呼びかけ人一同は、今こそ、民主党全議員が結集し、集会当日には添付いたしました決議を行い、大勢の賛同議員を集め、菅総理が「三つの条件」に関係なく、即刻退陣すべきことを申し入れたいと存じます。

大変ご多忙とは存じますが、ご賛同者の皆様方はご出席賜りますよう何卒よろしくお願い申し上げます。

謹白

 呼びかけ人一同

吉良州司 長島昭久 石関貴史 北神圭朗 鷲尾英一郎

網屋信介 勝又恒一郎 杉本和巳 長尾敬 山本剛正 金子洋一

 

日時:平成23715日(金)昼12:00より

場所:衆議院第1議員会館 多目的ホール(1F

 

 

 今朝の産経2面に、「海江田氏、首相に反発『玄海町長に与えた恥は申し訳ない』」という岡田浩明記者の記事が載っています。11日の衆院東日本大震災復興特別委員会での海江田万里経済産業相の答弁を取り上げたものですが、私にはとても興味深く感じられたので、ここで取り上げようと思います。海江田氏は思いっきりアレをあてこすり、皮肉っていました。

 

 まず、この海江田氏ですが、私はもともと面識もありませんし、聞こえてくる評判は必ずしもいいものではなかったので、好感は持っていませんでした。ただ、大震災発生後、アレに理不尽・不条理にも怒鳴られ続け、蒼白となった顔を隠すように足早に官邸を後にする姿を見ていて、なおかつ海江田氏との役割分担・管轄も不明瞭なまま、アレが細野豪志氏を原発事故担当相に起用したこともあって、「気の毒になあ」とは感じてきました。

 

 ともあれ、11日の海江田氏の答弁には前段があるので、順を追って話を進めようと思います。発端は、8日の衆院本会議での公明党の佐藤茂樹氏の質問でした。佐藤氏はアレに対し、米文化人類学者のルース・ベネディクトが日本の文化を「恥の文化」と評したことを引いてこんな言葉をぶつけました。

 

 「失政に次ぐ失政を重ねながら居座り続ける『恥知らずな史上最低の首相』と烙印が押される前に、一分一秒でも早く身を処すべきだ」

 

 まあ、もうすでに烙印はアレの全身100カ所ぐらいに押されまくっていると思いますが、それに対し、アレは顔を紅潮させてこう反論しました。

 

 「長年与党だった公明党にも責任の一端はある。他人にすべての失政の責任を押しつけて責任を免れようとすることこそ『恥の文化』に反する行動だ」

 

 この言葉は先日のエントリでも触れましたし、テレビニュースでも流れましたから、多くの方がご存じだと思います。この生まれてこのかた鏡を見たことがないであろうアレの発言について、毎日新聞9日付夕刊の1面コラムには「暑い。顔が火照る。菅さんから『恥の文化』を説かれようとは」と書いていました。私には、アレの額にはっきりと「恥」という文字が刻印され、浮かび上がっているのが見えますが、ご本人は何せほら、所詮アレですから。

 

 それで、11日の復興特別委での海江田氏の答弁が、この質疑を受けた内容だったので興味深かったという次第です。階猛衆院議員が、ストレステストをめぐる混乱に対し「いずれ責任をとる」と述べた海江田氏に、「責任をとる必要はないのでは」と質問すると、海江田氏はこう答えたのでした。

 

 「人間関係で大切なのは信頼関係というか信用というか、特に政治家は『信なくば立たず』ということも言われる。信頼が失われたところではもう何を言っても聞いてもらえない。その意味で私は、玄海町長との間で信頼を失った。これはああした発言(辞意表明)をした理由だ」

 

 …これ、ごく当たり前のことを言っているだけのように見えますが、含意は違うだろうと思います。この論語の「信なくば立たず」という言葉は、自民党の谷垣禎一総裁をはじめ、何人もの野党議員がアレに対してぶつけ、「信がないあなたは辞めなさい」と要求した言葉であります。それをわざわざ引いて、自分はだから責任をとるのだという海江田氏の主張は、アレに対する嫌味にほかなりません。海江田氏はさらに続けました。

 

 「もう一つは先週末の衆院本会議で公明党議員からルース・ベネディクトの『菊と刀』を引用して恥について言及があった。もちろん、日本人は恥を大切にしてきたということだ。私自身も恥ずかしい思いをしているが、私の恥は自分の努力によってそそぐこともできる。しかし、私が玄海町長に与えた恥は申し訳ないという気持ちでいっぱいだが、私だけの努力ではそそぐことができない。まさに玄海町長に与えた恥に対してやはり責任をとらなければいけないと思った次第です」

 

 …海江田氏はわざわざ、佐藤氏がアレを批判するために引用した言葉を自分から持ち出し、だからこそ自分は責任をとるのだと強調しています。これは、どう考えても恥を知らず、恥の概念を捨て去ってなおかつ何の責任もとらないアレに対するあてつけですね。

 

 もうアレがどう思おうといいと開き直ったのでしょうか、それともアレごときがこの含意、本当の意味を理解できるわけがないと悟っているのでしょうか。なんかホント、アレに接してきた人はみんな投げやりになるような感じもします。明治天皇は五箇条のご誓文で、「人心をして倦まざらしめん事」を誓われましたが、アレは見る人を倦怠感と脱力感の海に沈めますから。海江田氏も、だったらさっさと辞表を提出すればいいのにと、そう思わないでもないですね。

 

 この正視に耐えないアレについて、世の中の評価もだんだん定まってきたような気がします。昨日はTBSの番組で、島田晴雄千葉商科大学長がアレのことを「普通の人の能力以下の人」と指摘していました。まあ、この表現はまだまだ生やさしいし、菅グループの議員によると、アレはいまだに「自分は誰より優れていると信じている」そうですが。

 

 また、ジャーナリストの田原総一朗氏は「菅さんははたして人間と言えるのだろうか。僕の考えている人間の範疇には入らない」とつぶやいています。私もアレのことを産経紙面で「人に値しない」と書き、このブログでは「人モドキ」と呼んでいましたが、似たように感じる人が増えているということでしょうか。まあ、アレはどう飾っても言い繕ってもあくまでアレにすぎません。自分を人間だと勘違いしているベムかベラかその類の存在なのでしょうね。

 

 

     

 (拙著「総理、あなたこそ復興の障害です 菅直人政権の『大罪』」の裏表紙の帯)

 

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