2011年08月

 

 実はそうなるのではないかという噂は昨日の早い段階で流れていたのですが、野田佳彦新首相は「党内融和」なんて内向きで国民には何の関係もない理由で、党ナンバー2である幹事長に、あの

 

 輿石東氏

 

 を起用しました。ああ、もう、なんというか、その、あの、これはまた、さはさりながら、いかんともしがたく、いやはやなんとも、はてさてどうしたものか、ああこりゃこりゃと……

 

 民主党は本当に金太郎飴ですね。どこを切っても、どこをへし折っても、けっきょく同じ顔しか出てこない。輿石氏がいかなる経歴を持ち、どういうことをしてきたかは、このブログの過去エントリに馬に食わせるぐらい書いてきましたが、もう私も絶句するしかりありません。

 

 民主党って、ホントに世の中をどうしたいのか。野田氏は「政権交代に大義あり」と強調していますが、どこに大義も夢も希望もあるものか。私の理解と許容の範囲を超えています。

 

 ……ふぅ、また、やるしかないかと。

 

 もうこの人についてあれこれ書くのはやめようと思っていたのですが、昨日、福島市で開かれた福島復興再生協議会での菅直人首相のあいさつを聞いて、やはりもう一度触れておこうと思い直しました。菅首相は、次のように、ある意味率直に、鳩山由紀夫前首相風に言うと「放射能というものが何だかよく分からない」と語っています。

 

「私も放射能の問題は私なりに改めて専門家の話を何度も聞き、私なりにいろいろなものを検討しておりますけれども、本当にこの放射能というものについてのこの考え方がなかなか国民の皆さんにとって、というだけではなくて、私自身にとってもとにかくどう考えていいのかという、その考え方そのものがなかなか理解できない

 もちろん、これ以下なら絶対大丈夫と、だから大丈夫だと言いたいんですけれども、そういう考え方というよりもリスクという考え方で、ある意味ではこの程度ならこういうリスクはあると。例えば先日も宇宙飛行士の皆さんと被災地の子どもたちが話をしてくれておりましたけれども、1ミリシーベルト1日にかかると、しかしそういう宇宙飛行士という立場である限られた期間であれば、それはリスクはあるけれどそのリスクを超えて宇宙のものを研究するんだという考え方があるわけでありまして、そういったことを含めてどこまでをどのように考えればいいのか。

専門家の皆さんにも、もう少し国民の皆さんが分かるような形の説明をしてもらえないだろうか。政治家が政治的に判断する前に、専門家の皆さんが国民に分かるような説明をしてもらえないだろうかと。何度もお願いし、今その努力も合わせて依頼をいたしているところです」

 

……うーん、言いたいことは分からないでもないのですが、やっぱり「何をいまさら」ですねえ。この放射能の影響については、いわゆる専門家であるはずの学者や専門医でも見事に意見が分かれていて、高校の物理で赤点をとり、一人で追試をくらった私のような「純文系」的な者には、判断のつけようがない部分があります。

 

なので、「危険だ、危険だ」と煽ることも、「安全だ、気にするな」ということもしませんでした(できませんでした)が、それこそ原子力の専門家である内閣参与を次々に雇い、母校の東工大の恩師だか知り合いだかに電話をかけまくって理論武装し、原発事故対応にもどんどん口をはさんで混乱させてきた菅首相がこれですか。

 

応用物理学科卒が自慢で、「オレはものすごく原子力に強いんだ」とのたまい、原発には政界一詳しいという自負をにじませたという菅首相にいまさらこんなことを言い出されても困るのです。ホント、やめてくれてよかった。

 

 だとすると、政府のこれまでの対応はすべて「テキトー」だったということになりかねません。有無を言わさぬ避難区域の指定、家畜処分指示も、「東日本は下手するとつぶれる」「10年、20年住めなくなる」発言も、中部電力浜岡原発の停止要請も脱原発路線も、当否はともかくそれなりに菅首相なり政府なりに一貫したものの見方、見識があってのことならまだ理解できますが、「よく分からないし、あっている自信もないけど何となくやっておこう」程度の発想からだったと今さら明かされてもねえ。

 

 ゴールデンウィークに全村避難指定対象となった福島県飯舘村に出張し、菅野村長に話を聞いた際、菅野村長は「明確な理由説明もない菅首相の心ない対応で、村民は仕事も家も生活もすべてを失う。住民の安全最優先というと誰も逆らえないが、無理矢理避難されられるのとどっちのリスクが大きいのか」という趣旨のことを語っていました。

 

 菅首相も、そうした疑問や批判をすべて一身に背負って、それでも大局的に判断したのだというのであればまだ救われるのですが、この期に及んで「考え方そのものがなかななか理解できない」ではねえ。そんなことを今、告白することにどういう政治的意味を見いだしているのでしょうか。おそらく何も考えずに口に出してしまったというところでしょう。リーダーの重く苦しい責任というものも全く理解していないようです。

 

 こんなありさまなのに、自分についての歴史の評価は「後世に任せたい」なんて口走るのですから、頭が痛くなりますね。もう2度と顔も見たくありませんが、そういうわけにはいかないのだろうなあ。こういう勘違い、倒錯、自己陶酔ができるのも、いまだに菅首相をかばったり、評価したりする勢力が一定数いるからでしょう。

 

で、昨日はこの菅政権を各紙がどう総括するのだろうかと、新聞各紙の社説を読み比べてみました。すると、同じく菅首相の「脱原発」支持を掲げてきた東京新聞と毎日新聞の論調があまりにも違うのが興味深かったので、ちょっと比較して紹介しておきます。毎日は、ずっと菅首相擁護だったこととの整合性をとるためか、はなはだ潔くない書きぶりです。

 

【首相の資質、辞任の総括】

 

東京 《あなたの近くに、言うことは立派だが、全く実現できない人がいたらどう思うだろう。軽蔑こそすれ尊敬などしないのではないか。ましてやそんな人物が国家行政のトップに立ったのなら、国民が幸せになることなどあり得ない》

 

毎日 《政権担当能力を発揮しきれなかった菅首相の個人的な資質もあるが、衆参のねじれによる構造的な問題が背景に横たわっている》

 

東京 《首相辞任に至ったのは、東日本大震災や東京電力福島第1原発事故への対応をはじめ、すべきことをできなかったのが理由だ。それは、間違ったことをしたのと大して変わらない》

 

 毎日 《原発対応はどうだったか。安全性が懸念されていた中部電力浜岡原発を停止させたことは評価したい。原発の再稼働問題に関連し、全原発を対象とする安全評価(ストレステスト)を義務づけ、原発依存度の低減を掲げエネルギー政策の白紙からの見直しも決めた》

 

【政策全般】

 

 東京 《首相就任後に打ち上げたこれらの政策・政権運営方針のうち、菅氏自身が熱意を傾け、やり遂げたことが一つでもあっただろうか。大震災があったとはいえ、緒にすら就いていないものがほとんどだ。思い付きで発言し、実現困難と悟ると次の政策課題に乗り換える。わずか1年余りの間の出来事だというのに、その多くが人々に忘れ去られてさえいる。菅氏がかつて胸を張った「有言実行内閣」は、影も形もない》

 

 毎日 《新しい政策に飛びつくものの実現への道筋が描けないことの繰り返しには、自分探しに終始した政権との批判も生んだ》

 

【マニフェスト】

 

 東京 《これでは国民がマニフェストという疑似餌に釣られ、民主党に政権を託したことにならないか。かつて菅氏が自民党政権に投げかけた「やるやる詐欺」という批判が自らに跳ね返る》

 

 毎日 《マニフェストで約束した主要政策については、ねじれ国会における野党の攻勢で惨めなほど後退した》

 

 ……あくまで抜粋なので印象で語れば、毎日は今でも菅首相を評価してやんわりとかばい、多くの失敗があったことは認めるけれど、その主な原因は野党の非協力的態度にある、と書いているようです。これに対し、東京ははっきりと菅首相は「まるでだめお」だと明言していますね。もちろん、私は後者と同意見です。

 

 昨日の産経紙面で私も菅内閣の総括記事を書きました。その際、上司の中には菅首相に対する「惻隠の情」があってもいいのではないかという意見もありました。でも、もちろんそんな情は不必要どころか有害だと確信しているので、そういう風にはしませんでした。菅首相はまさに日本の「大患」そのものでした。

 

 

 さきほどまで、菅直人首相の辞任表明記者会見に出ていました。例によって最前列で手を挙げていたのに、司会者はこちらを見ないようにして指名してくれませんでした。まあ、予想通りでしたが、最後まで姑息な政権でありました。

 

 で、私は菅首相が「与えられた厳しい環境のもとでやるべきことはやった」「一定の達成感を感じている」などと相変わらず自画自賛の言葉をつむぐのをやれやれと思いながらメモっていたわけですが、そのとき、ふと気づくと、仙谷由人官房副長官が明らかに居眠りしていました。

 

 記者席から見て菅首相の右側に椅子が四つ置かれ、枝野幸男官房長官と3人の副長官が座っていたのですが、仙谷氏の頭はしばらく床面にほぼ水平になっていました。この人は歌会始で天皇陛下の目の前でも寝ていたぐらいですから、袂を分かった菅首相のくだらない演説など聴くつもりははなからなかったのでしょう。

 

 それにしても、節目の首相辞任記者会見で副長官が眠るなんて、つくづくこの政権はなんだかなあと感じます。ずっとこんな調子で、それでいて自己評価だけは異常に高い人たちの集まりですから。ある意味、菅内閣の締めくくりにふさわしいとも言えるオチですね。

 

 もちろん、仙谷氏本人に聞けば、寝ていたことを否定すると思いますが、この様子を見た十人中十人が「間違いない」ということでしょう。仙谷氏は、隣の福山哲郎副長官にそれとなくつつかれたのか、「はっ」という感じで目覚め、わざとらしくゆっくり顔を上げ、意味もなく眉間にしわを寄せて時計を見ていました。

 

 仙谷氏はその後はずっと起きていたようでしたが、たびたび時計に目をやり、「早く終わらないかなあ」という様子がありありでした。それでいて、菅首相が退場する際には誰よりも深々と頭を下げるのだから、わかりやすい人です。

 

 去りゆく人はいいとして、次の首相はどうなるのか。焦点の小沢一郎元代表は海江田万里経産相を推すという話ですが、烏合の衆ともいえる小沢グループはきちんとまとまれるのか。誰がなるにしろ、早期の解散・総選挙を求めたいと思います。

 

 まがりなりにも日本の首相を決める民主党代表選をめぐるドタバタや、ようやっと辞めてくれる菅直人首相がこれまでしでかしてきたことの検証、総括などに忙しく、ブログ更新をずっとさぼってきました。

 

これだけ長期間、新しいエントリを書かなかったのは、このブログを始めた53カ月前からこれまでに一度もありません。ただ単に忙しかったというだけでなく、日々、これだけ激しいメディア不信をぶつけられている中で、何かを書く、発信するということに積極的な意味を見いだせなくなっていたということもあります。これまでも何度かありましたが、ありていに言えば気持ちが後ろ向きになっています。

 

 「死ねよ」であるとか、幼稚で頭の悪い自己満足コメントは捨て置くとして、過去5年間に何度も何度も説明してきたこと、私の思いや考え方、スタンスを訴えてきたことを、新しい訪問者にまた一から説くという作業は今の私にはしんどすぎてできません。また、私は束縛されるのが嫌いなので人に期待されることも好みませんし、勝手に失望されても困るのです。さらに、踏み絵を踏まされたり、書く内容を指定されたりするようなことも大嫌いなのです。

 

 他者の強要を感じると、たとえ本心ではその通りだと思っていても、そうは認めたくなくなる天の邪鬼で偏屈な人間でもあります。みんなが同じことを言い出すと、知らん顔をしたくなる性分も持っています。

 

 デモという行為をどう評価するかは以前のコメント欄で何度も書きましたし、正直、政治記者として一番政局に集中しなければならないこの時期に、この種の話題に参加する余裕などありません。だいたい、デモってメディアで報道されるかどうかが大事なものでしょうか。一人一人が情報を発信できる今、それこそメディアへの過大評価ではないかとも感じています。

 

 私は新聞記者という職業を選んでしまったし、その立場を通じて言いたいことや知ってほしいことはできる限り伝えたいとは考えていますが、世の中の森羅万象すべてに関心、興味を持つことはできません。また、もとより、苦手分野も多く、よく分かっていない(全く理解していない)分野、事象も多々あります。

 

 なので私は繰り返し、自分はただこれだけのどうという取るに足りない人間であり、好き勝手なことしか書けないと述べてきたわけです。それでも、世の中には自分が関心を持っていること、大事だと考えていることは他者もそうであるべきだと信じて疑わない人、自分の関心事項に他者が関心を示さないと怒り出す人もいて、どう接していいか正直困惑します。

 

 私もメディアの片隅で禄を食んでいる者であり、メディア批判、あるいはもっと直接的な産経批判は受け入れるしかありませんし、特に鋭い建設的な意見は拝聴し、改めようとも思っています。でも、ここでもあまりにステレオタイプな、実情を以前説明したにもかかわらず、そんなの読みもしないで決めつけているような意見をみると、ただただむなしく悲しくなるのです。

 

 多くの問題を抱えている組織や業界でも、それぞれ個々の事情は違うし、単純に正邪善悪で語れるものではありませんよね。そもそも「正義」だとか「真実」などいかにあいまいでいい加減で、かつとらえがたいものであることか。私は過去エントリで、簡単に「正義」や「真実」を口にする人は信用できないということも書いてきました。

 

 あまりにも「陰謀論」のたぐいや、利権だの報道規制だのという偏った見方が氾濫しているのをみると、そういう人たちには何を書いても伝わらないのだろうなと徒労感を覚えます。結局、すべて自分の枠内から、見たいものだけを見て、聞きたいことだけを聞くことになってしまいます。

 

よく「マスコミの煽動」が批判されますが、そういう批判をする人はそもそもマスコミを信じていないはずですし、私はそもそも個々のメディアの力なんてたいしたことはないと考えています。特にマスメディアの「マス」は今もこれからもどんどん実態を失っていくばかりでしょうし。私は誰かを煽動するとごろか、何かを伝えるコミュニケーション自体がどれほど難しいかをこのブログでのやりとりを通じて学びました。

 

 ましてマイナーでいつ倒れるか分からない産経新聞の、それもキワモノとされる私ごときが何を書こうと、別にほとんど影響などないことも理解しています。たとえ蟷螂の斧にすぎずとも、やるべきこと、言うべきことは言っておきたいと、いつも萎えそうな気持ちを何とか奮い立たせてここまできましたが……。

 

 MSN産経の記事に寄せられるツイッターの反応を見てもここのコメントを見ても、仕事だから当たり前ですが、われわれが苦労し工夫してたどり着いた事実を記しても、「産経だから話半分」「どうせ作り話」などといった反応があふれています。もちろん、われわれの自業自得でもあるわけですが、そんな風にすべて疑われ、あるいは無価値であるように言われながら仕事をすることにも倦んできました。それでも食べていかなくてはいけませんが。

 

 このところ、菅首相を人間扱いすることに強い抵抗を覚えたので「アレ」と書いてきたことにも、たくさんの批判や抗議を受けました。ここのコメント欄だけでなく、産経に届いたはがきその他でも、新聞記者の品位を落とすとか、記事の劣化が甚だしいであるとか、いろいろ言われました。

 

 でも、所詮は瓦版屋の末裔、「羽織ゴロ」ごときの品性を問題にするそういう人たちに限って、どうしてもっと大事で本質的な菅首相の品性は問題には目をつむるのか、納得はいきません。それは紙面では、一応の体裁も品性も必要でしょうが、本音を語るブログでまで自己規制させてどうしたいのか。常識や良識の範疇では語れない異様な存在を、常識的で良識的な言葉でどう表現しろというのでしょうか。

 

 もともと記者なんてはみ出し者の半分アウトローみたいな存在であって、しかも人の嫌がることをかぎ回り、暴露するのが仕事なのですから、嫌われるのは仕方がないと思っていますが、品性を求められると当惑します。マックス・ヴェーバーも書いているように「こういう職業にあって、なお品性と真摯さを失わない」少数の記者がいることの方が、希有であるのではないかと率直にそう思います。

 

もとより、私などくだらない人間でありますし、そうでないと取り繕ったこともないはずです。しかし、そうであっても、可能な限り誠実に、少なくとも自分自身は本当だと信じていることを書いてきたつもりです。まあ、これも所詮、独りよがりだと言われればそれまでですが。

 

 信じてほしいとは言いませんし、私は別にメディアの代表でも代弁者でもありませんが、一つ実感していることがあります。確かにメディアはそれぞれ偏向しているし、恣意的でありますが、その多くは、「意図」よりも「能力不足」に起因しているということです。

 

 以前、松本龍復興担当相が宮城県で暴言を吐いたとき、産経の報道が小さかった、メディア規制に負けたのだと話題になりましたが、理由はもっ簡単なことでした。さして大物議員でもない松本氏に同行記者を出す金銭的・人員的余裕が産経(他紙も含め)にはなく、現場に記者がいなかったのです。夜遅く通信社の原稿が送られてきたのでそれを入れたと聞きました。

 

  メディアは今後、どんどん再編・縮小していくのでしょうが、今でさえこうなのだから、大メディアが存在しない時代になったら、こういう報道はいよいよ、局地的・限定的にしか行われなくなっていくのでしょうね。それも時代の流れなら仕方がない。

 

 メディアといっても、新聞は私が入社した21年前からすでに斜陽産業といわれてピーピー言っていますし、人員は減らされるばかりで、仕事量ばかり増えているのが実情です。テレビも最近は経営が苦しいし、何でもカパーできるような状態にはありませんし、紙面だって有限でとても狭いのです。

 

 さらに経験上言うと、いかに重要なことを1面トップ、解説付きで書こうと、そのときの社会の空気次第で関心を持たれず、埋もれていくことの方が多いのです。人は私も含め、自身の関心があまりない記事は読まないか、読んでもあまり頭に入らないものだと思います。日々、無力感を覚えつつ仕事をしているのが実際のところです。それでもやれることをやるしかありませんが。

 

 どうも夏バテ気味であります。国会もお盆で開店休業状況で、民主党も日本の首相を選ぶ重要な党代表戦を控えているとは思えないほど静かというか、閑散としていますし、アレも官邸に午後になって出てきたものの、特にやることがない状況のようなので、私も少しのんべんだらりとしています。

 

 で、空き時間に書店に立ち寄って中央公論9月号を立ち読みしていたら、そこに御厨貴東大教授と牧原出東北大大学院教授の対談記事が載っていました。まあ、さして興味も覚えないまま字を目で追っていたところ、次のような箇所(54ページ)に引っかかりました。御厨氏がいけしゃあしゃあと語った言葉にカチンときたのです。

 

 牧原氏 民主党のフラットな組織に、危険があるとしたらどこですか?

 

 御厨氏 安全保障上の危機が発生したときには、今の民主党政権では対応不能でしょうね。尖閣や米軍基地の問題で頭をのぞかせたように、外国を巻き込んだ案件は、内向き学級会主義では乗り越えられない可能性が高い。今はどうかとも思うのですが、自民党ならば「危ない」と騒ぎ立てているうちに、誰かが何かやって形をつけるかもしれない。しかし民主党は、みんなが横一線に並んで「あ~」と言っている間に、深刻な事態に陥るような気がします。

 

 ……これ自体、まあ特別な物の見方ではなく、むしろその通りだろうなと思います。しかし、御厨氏は政権交代前には、現在では自ら「対応不能」と分析していることについて何と語っていたか。赤面せずにこんなことが言えるものなのか。だって平成2185日付の産経新聞のインタビューで、御厨氏はこう民主党をかばっていましたから。

 

--やはり政権交代?

 

 御厨氏 そうですね。「政権をとったことのない民主党に国政はできない」という人もいるでしょうが、外交や防衛など難しい問題は現実路線を踏まえて軌道修正すればいいんです。わからない問題に無理やり答えを出す必要はない。うそをつくよりいい。

 

 ……まるで簡単に軌道修正を果たすことができるので、特に問題はないと言わんばかりですね。でも実際はどうだったか。米軍普天間飛行場移設問題では軌道修正をうまく果たせないまま時間を浪費し、日米関係を毀損し、沖縄県民感情を傷つけてしまいました。

 

 自称リアリストのアレが首相の座についてからも、中国漁船衝突事件での国民を裏切り、嘘をついてまで中国におもねった大失敗により外国的大敗北を喫し、ロシア大統領の北方領土訪問や韓国の竹島支配強化を招きましたね。迷惑を蒙ったのは国民と日本の歴史そのものです。これは、果たして御厨氏か2年前に語っていたような軽い、簡単に修正がきくような出来事でしょうか。

 

 特に漁船衝突事件に関しては、アレもその内閣も国会や記者に何度質問されても矛盾を指摘されてもずっと「船長の処分保留のままの釈放は検察独自の判断」だと強調してきましたが、われわれは「アレはアレの指示だ」という複数の証言を得ています。アレとその内閣は、国民に向かって何十何百回と嘘をつき続け、国益を失い続けて現在に至るのです。

 

 その前段階として、ルーピーが解放軍の野戦司令官を自任する小沢一郎氏に恫喝されて、中国の無理筋の要求通りに習近平国家副主席と天皇陛下の「特例会見」をごり押ししたことも忘れてはなりません。この二つの事例によって、日本は自ら、われわれは中国の圧力に屈する臣下のような国だと世界に発信したようなものです。

 

 誰が次の首相になるにしろ、アレ以下はあり得ない(ルーピー以下も)と確信していますが、かといって急に政治全般も外交・安全保障もまともになるとは思えません。今はとりあえず最悪だったアレより少しでもマシな存在を求め、将来に希望をつなぐしかありません。

 

 もちろん私とて、未来を見通せるわけではないし、誤った予測もするでしょうし、勘違いもあるし、意図せずに事実と異なることを書いてしまうこともあるでしょう。それは認めるにしても、御厨氏のような立場の人は、偉そうなことを言う前に、こんな人たちを持ち上げてかばってきた自身について、少しは反省を示すべきだと思ったのでした。

 

 

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