2011年09月

 

 このたび、官邸キャップ業務から外れることになりました。1998年7月に社会部から政治部に異動して以降、出たり入ったりで官邸には延べ8年間以上勤務しましたが、今後はもうここに常駐することはないと思います。

 

 ここでは、政権末期の橋本龍太郎氏に始まり、小渕恵三氏、森喜朗氏、小泉純一郎氏、安倍晋三氏と、2人飛んで(福田康夫政権と麻生太郎政権のときは官邸を担当しませんでした)、鳩山由紀夫氏、菅直人氏、そして現在の野田佳彦氏とそのときどきの首相を間近でじっくり観察できました。

 

 たまたま仕事の巡り合わせでそうなったとは言うものの、貴重な経験と見聞を積めたと思っています。たくさんの人との出会いがあり、あるいは別れもありました。人の世の諸行無常、栄枯盛衰を身にしみて実感できる場でもありました。

 

 また、その結果は悲惨なものでしたが、政権交代の現場に立ち会えたことも、その内実をいやというほど、もう勘弁してくれというほど、二度とはごめんだというほど味わえたことも、記者としては幸運だったのだろうと思います。

 

 今後も、何かの折にここに取材に来ることはあるでしょうが、もうここで勤務するということはないのでしょう(先のことは分かりませんが)。そう思うと、この窓も開かず、息苦しい記者クラブのよどんだ空気もほんの少しだけ名残惜しく、ちょっと感傷的な気分になります。

 

 といっても、別に政治部には引き続き在籍しますので、政治関係の取材・執筆はこれからも続けます。今回キャップを務めた2年間は、首相があまりにもアレなので、その異質で異様な言動や人物像を描写することが多かったので、今後はしばらく、もっと政策的な記事を書きたいと思います。

 

 自由時間も今までよりは増えそうですし、部下を使わず、自分で取材する機会も増えるでしょうから、また違った視点・角度でこのブログのエントリも書けるのではないかと思っています。

 

 それでは、これからも何卒よろしくお願いします。

 

 実は昨日は体調不良でダウンして仕事を休んだのですが、今朝起きて産経政治面を見て、ああやっぱりと思ったのでした。それは、「民主・桜井氏、出身閣僚前に優遇批判」という見出しの囲み記事で、28日の参院予算委員会で民主党の桜井充氏が、NHK出身の小宮山洋子厚生労働相と安住淳財務相を前に、高い給与などNHK職員の厚遇問題に切り込んだという内容でした。

 

 桜井氏は数日前のテレ朝のテレビタックルで、財務副大臣時代の財務省改革の試みを列挙したところ、出演者らから「ちゃんちゃらおかしい」(東国原前宮崎県知事)などと酷評を浴びせられていたので、あるいは発奮したのかもしれません。

 

また、6日の衆院予算委での公務員朝霞宿舎建設をめぐる次のような安住氏の言い分にカチンときたのかもしれませんね。私も多分にひがみ根性ながら、この安住氏の主張には「贅沢三昧のNHKがよく言うよ」と反感を覚えていましたから。

 

「自分のことを言って恐縮だが、NHKに入って社宅を借りて住んだが、とても給料では生活できなかったから、そんなに豊かな家ばっかりではないですから、地方から出てきて、国家公務員になられて、それは私は多少宿舎の便宜供与等のあってしかるべきだと思っている」

 

 実際、私の見聞でも、NHKの記者はよく「民放に比べ給料が安い」と愚痴るわけですが、その資格はありません。莫大な取材費・経費を湯水のように使っていることは棚に上げて言うべきではないと思ってきました。例えばちょっと古い話ですが、20059月に当時の小泉純一郎首相が最後の外遊でフィンランドに行った際、同行記者名簿をみると、産経は私1人であるのに対し、NHKはカメラマンや欧州各国の支局からの派遣も含めて40人から50人が同行することになっていました。

 

 現地にそんなに大人数が必要な仕事があるわけがありませんから、物見遊山の人もたくさんいたことでしょう。「いや違う、オレたちはちゃんと仕事をしたんだ」という反論があるかもしれませんが、少なくとも純民間企業ではありえない経費の使い方をしていることは間違いありません。

 

 で、せっかくなので昨日の参院予算委でのやりとりも記しておきます。

 

 桜井氏 中小企業のサラリーマンの労使での保険料率はいくらか。国家公務委員の保険料率はいくらか。またNHKの保険料率はいくらか。
 
小宮山氏 NHKの保険料率は5.35%、国家公務員共済の保険料率が6.71%、協会健保の保険料率は9.34%となっている。一方で、被保険者一人当たりの保険料が、NHKは55.7万円、国家公務員共済は44.1万円、協会健保が34.6万円となっている。
 
桜井氏 各々の平均給与は。
 
小宮山氏 NHKの平均報酬が1041万円、国家公務員の保険料の基礎となる平均報酬658万円、協会健保が371万円となっている。
 
桜井氏 NHKの保険の負担は事業主負担が62、本人は38。こんなに恵まれている。こういうことは放送されない。私は嫌がれることを覚悟で、放送中にやった。保険負担が非常に不公平。これを直すことが民主党だと思う。総理、不公平だと思わないか。
 
野田佳彦首相 今の数字を聞く限り、随分と開きがあるなと、不公平感があるなと改めて思った。
 
 それで改めて自分自身の新人時代を思い出すと、まず、入社後に仙台総局に赴任した時点で、まず引っ越し費用とアパートの敷金・礼金支払いで借金ができました。会社からは一部補助が出ますが、とても足りませんから。そのほか、会社から強制的に購入されられた一丸レフカメラ(ニコンのF801)のローンもありましたし、支局は経費が少ないので、取材でタクシーなどを利用してもほぼ全部自腹でした。そのころ宮城県で行われた参院補選では、NHKはタクシー会社1社を丸々借り入れていて、車に乗り放題でした。

 

 また私の場合は、110カ月で本社文化部に配属となったので、仙台に赴任するときの引っ越し費用のローンが終わらないうちに東京への引っ越し代金が加わり、借金は増えるばかり。もちろん、社宅なんてけっこうなものはなく、産経は数年前に企業年金もなくなったほどですから、NHK出身の安住氏なんかに「生活できなかった」と言われるとむなしい限りです。

 

 野田首相も一応、驚いてはみせたようですね。もっとも、国会議員にとってNHKは、ほとんど批判をはさまず自身の映像と言い分を延々と流してくれるありがたいメディアなので、これで何か是正なり改革なりがあるとは期待できません。昨日は寝込んでいて、ほとんど国会中継も見ていなかったのですが、自民党の森まさ子氏も山岡賢次国家公安委員長のマルチ疑惑に切り込んでいたようですし、けっこう見応えがあったようです。

 

 

  さて、国民の大きな期待を背に受けて出発した民主党政権も2年余が過ぎ、かつては政権のたらい回しを批判していたにもかかわらず、3代目の首相が今、政権の座に就いていますね。

 

 鳩山由紀夫元首相、菅直人前首相については、おおよそどういう人物であり、どういう方向性を持っているのかある程度つかめているという思いもあり、好き勝手書いてきましたが、野田佳彦首相に関しては、まだ「この人はこうだ」と明言、断言できる材料が十分私の中に蓄積されていないので、どうも論じにくい状況が続いています。

 

 この人は、来年秋の民主党代表選で再選されるまでは、ひたすら大人しく頭を低くしてやりすごそうと考えているフシもあり、政局はなんだか「凪」となっています。もちろん、ある意味多士済々の民主党政権のことですから、このまま何事もなく無事に済むとは思いませんが、世間にも少々、批判疲れがあるように感じます。

 

 というわけで、本日は久々に読書シリーズをアップします。まずは、ここの常連、堂場瞬一氏の「異境」(小学館、☆☆☆★)からです。相変わらず、この人の作品の登場人物はアクの強い狷介な人物ばかりで、そこが少し疲れますが、おもしろい。

 

 

     

 

 上司との対立で本社社会部を追われ、横浜支局に赴任した中年記者が、失踪した嫌われ者の後輩記者を捜すという仕事を命じられ、あれこれ足跡をたどるにつれ、ある事件にぶつかり……というストーリーです。主人公が左遷された中年記者である点に関心を覚えました。

 

 奥田英朗氏の短編連作小説「我が家の問題」(集英社、☆☆☆★)はもっと軽妙なタッチというか、重苦しくはありません。でも、タイトルが示すように家族の問題というのは、それはそれでいろいろと考えさせられます。

 

 

     

 

 特に、帯「どうやら夫は仕事ができないらしい」とある「ハズバンド」という作品は、あくまで淡々とした描写ながら、切ないというか胸にどしんとこたえるものがあります。他人事とは思えないというか……。

 

 お気に入りの今野敏氏の「隠蔽捜査シリーズ」第4弾、「転迷」(新潮社、☆☆☆★)は相変わらず見事な黄金パターンというか読ませます。サラリーマンのニーズに実にうまく応えていて、帯に池上彰氏の推薦文が入るところが何とも……。

 

     

 

 まあしかし、この作品の主人公も、警察庁の中堅キャリアでありながら、降格人事で警視庁大森署の署長となっています。官僚は人事がすべてといいますが、一般企業のサラリーマンでも、それは似たようなものでしょうね。ちなみに、私は社会部で警視庁を担当しているとき、大森署管内で起きた殺人事件で走り回ったことがあるので、その意味でも感慨深い読み物でした。

 

 宇江佐真理氏の「髪結い伊三次捕物余話」シリーズ第10弾「心に吹く風」(文藝春秋、☆☆☆★)を読んで、改めてこの作者はつくづく上手い書き手だなあという感を深くしました。人生いろいろ、だけどみんな懸命に生きているのだなあという当たり前のことを、しみじみ味わうことができました。

 

     

 

 シリーズも10巻目ですから、登場人物はそれぞれ齢を刻み、状況も生きる環境も少しずつ変化していき、だけどそれぞれ真っ当に暮らしている。静かな感動があります。

 

 井上荒野氏の作品は初めて読んでみました。この「キャベツ炒めに捧ぐ」(角川春樹事務所、☆☆☆)は、洒脱(?)な題名に惹かれて手に取ったのですが、総菜屋で働く3人の中年というか初老の女性の人生がけっこう重く迫ってきました。

 

     

 

 といって、暗いわけでもなく、人生そんなに捨てたものじゃないという気分にはなるのですが。いやもっと、料理を中心とした明るい話かと勝手に想像して読み始めたもので、現実はこういうものだと突きつけられたような印象がありました。

 

 一方、小路幸也氏の「カウハウス」(ポプラ文庫、☆☆☆)は、現代のファンタジーとでもいうべき明るい色調の本でした。主人公もそのパートナーも決して幸せな生い立ちではありませんが、それゆえに誠実に生きていて。

 

     

 

 ただ、この作品の主人公も、ばりばり働く商社マンだったにもかかわらず、上司とケンカしてわずか25歳にして社保有(死蔵)の豪邸の管理人に飛ばされます。なんか、心境にたまたま合ったのか、気がつくとそういう本ばかり読んでいますね。

 

 高田郁氏の「みをつくし料理帳」シリーズも第6弾を数え、今回の「心星ひとつ」(ハルキ文庫、☆☆☆)ではけっこう大きな展開がありました。主人公は、差し出された幸せを選ぶか大望を選ぶかの選択を迫られます。

 

     

 

 志の小さな小市民である私ならば、間違いなく身近な幸せを選ぶことでしょうが、主人公は結局……。女料理人とその親友をめぐる波瀾万丈、数奇な運命はいかに。地味な主人公と作品かと思ったら、けっこう派手な展開でした。

 

 小説で読む哲学入門と銘打たれた適菜収氏の「いたこニーチェ」(朝日文庫、☆☆☆★)は、まず題名にしぴれ、帯の「ある日、ニーチェが降りてきた」との単純明快な紹介に読まずにいられませんでした。いや実際これ、実に優れたニーチェの入門書となっています。

 

     

 

 主人公はある日、ある日高校時代の知人から現世否定の夢を操る「プラトン一味」と決めつけられ、知人に「降りて」きたニーチェに徹底的に説教され、罵倒され、早く洗脳から覚めろと迫られます。いやおもしろい。

 

 大石直紀氏の「グラウンドキーパー狂詩曲」(小学館文庫、☆☆☆)は、売れなくなったかつてのベストセラー作家が、生活のために暇そうなスポーツ公園管理事務所に務めたところ……というストーリーです。

 

     

 

 市役所から天下りしてきた全くやる気のなさそうな同僚たちと日々をぼんやりやり過ごしている間にも、主人公の身辺は少しずつ変化していきます。市政を牛耳るポス、公務員のあり方、それぞれの事情……といろいろ接しているうちに、主人公の気分、姿勢もまた変わっていく姿が読ませます。

 

 山本甲士氏はかなり好きな作家なのですが、この「バスのから騒ぎ」(双葉文庫、☆☆★)はうーん、正直いまひとつだと感じました。題名の通り、バス釣りをめぐる反対派と賛成派の対立や、それに巻き込まれて右往左往し、あるいは破滅を迎える人たちを描いた連作小説なのですが……。

 

     

 

 結局、好みの問題なのでしょうが、この人の他の作品で味わえたカタルシスが、この本では感じられませんでした。同じ釣りものでも、「あたり 魚信」はとても面白かったのですが。

 

 上田秀人氏の「闕所物奉行 裏帳合」シリーズも第5弾「娘始末」(中公文庫、☆☆☆)が出ていました。ストーリーは、まあもういいでしょう。

 

     

 

 ただ、身分の低い主人公が、上司である目付けの鳥居耀三にふだんは屈服しながらもときに厳しく対峙し、付かず離れず生き抜こうとする姿は、やはりサラリーマンには魅力的です。下手をすると左遷どころか切腹・暗殺の世界ですからね。

 

 ここ2年間は、激動する政局に追われ、常軌を逸した指導者たちの言動に振り回されていましたが、今後はしばらくおろそかになっていた「勉強」に力を入れようと思っています。あと、アルコールの量も減らさないとなあ。

 

 

 

 もうすでに旧聞に属することですし、もう退任した人についてあれこれ言うのもどうかとは思うのですが、どうしても書いておかないと気持ちが悪いので今更ながら触れておきます。思ったことは表に出さないと気持ちがずっと落ち着かないので……。

 

 菅直人前首相は先週の15日木曜日、菅グループの会合に出席し、したたかにお酒を飲んでいました。そして会合後、参加者を代表して江田五月前法相が菅氏の様子をこう述べていました。

 

 「今日は全くのご苦労さん会で、菅さんももともと裃を着ていないたちですが、今日はますます裃を脱いでかなり酒が進んでいたようです。『これから自分で役に立つならば、選挙の応援など一生懸命やります』というようなことを殊勝にも話していました」

 

 この江田氏の物言い、「殊勝にも」という表現ぶりなどから、首相と閣僚という関係ではなく、素の両者の間柄が透けて見えて興味深いところですが、それはともかく、これから菅氏を選挙応援に呼ぶような候補はどれぐらいいるでしょうかね。

 

 で、確かその日に発売された週刊文春(9/22号)のグラビアページに載っていた「吉祥寺秋まつり」の写真が強い印象に残りました。法被を着て、顔ににやけた笑顔を貼り付けてあいさつする菅氏に対し、御輿の担ぎ手たちはそっぽを向いてほとんど顔を向けず、むしろ顔をしかめていました。

 

 また、小学校低学年か幼稚園児ぐらいの兄が、実に嫌そうに菅氏と握手されられている様を、父親の腕の中から「こいつ、何なんだ?」というような冷たい視線で見つめる赤ん坊の写真もあり、もし可能ならば賞を与えたいような傑作となっています。撮影は細田忠氏とありましたが、実に素晴らしい。私はやはり、ビデオ映像よりも一瞬を切り取る写真の方が好みに合います。

 

 ともあれ、ここからが本題なのですが、その翌日の読売新聞の政治面のベタ記事に、「うーん」とうならされたのでした。見出しは「『亡国の宰相』出版」という本当に小さなもので、要は震災から今年9月まで、読売が企画記事などに書いたものをまとめて出版したというお知らせです。

 

 ただ、この「亡国の宰相 官邸機能停止の180日」というタイトルもなかなかなものですし、さらに帯のキャッチコピーにしびれました。それは

 

 《戦後最大の危機に「最悪の愚宰相」を戴いた日本の危機。震災を人災に変えた民主党の大罪を問う

 

 というものでした。「最悪の愚宰相」って、なかなか直球勝負で好ましいですね。辞めてすぐ、ここまで言われた首相は歴代いなかったのではないかと思いますが、「愚」というのはさましくぴったりです。なのに、ご本人は退任後も盛んにメディアで自己正当化と自己弁護の言葉を紡いでいるから始末に悪いですね。

 

 また、いわゆる文化人の中には、いまだに「菅さんの何が悪かったのか分からない」「全く無意味な菅おろし」などど妄言を吐く人たちがいるわけですが、現場でアレを見てきたら、どこの社の記者であろうと同じような結論になるということでしょう。

 

 すみません、ほとんど意味のないエントリでしたし、他紙の本を宣伝するのもいかがかとは思いましたが、ここ数日、どうしても紹介したいという気持ちに煩悶していて、その誘惑にとうとう屈してしまいました。

 

 まあ、次の野田佳彦首相もどうもなあ、という感じですね。輿石東氏を幹事長に据えて「与党の一致結束にとって大きな意義を持つ」(15日の参院本会議)などと自賛していましたが、輿石氏の秘密主義に早速、国対幹部3人が辞表を出す騒ぎになりましたね。国会をわずか4日間で閉じるという輿石氏の「閣僚隠し」作戦も失敗に終わったし、一部で評価されているような「上手い人事」だったとは私には思えません。

 

 これからも、野田内閣はいろいろありそうですね……。

 

 

 

 人事とカネを握り、巨大な権限を持つ与党幹事長に敬意を払うため、関東近郊の某県に行ってきました。これまでも何度も仕事では訪れていたのですが、今回は取材ではなく自家用車を使っての完全プライベートでです。

 

     

 

 私の食い意地が張っているせいか、某県で目立ったのはとにかくこれでした。ぶどう、ほうとう、煮貝…と、某幹事長のお姿、言動をしのびながらもとからの名物も一通り食しましたが、どこへ行ってもこれが「宿命」であるかのように私の行く手に立ちふさがったのです。

 

     

 

 ちなみに、このエントリの写真は、すべて別の場所で撮りました。どこへ行っても、気づくと畏敬の念にとらわれ、敬虔な気持ちとなってついシャッターを押していたのです。「いくら何でもドロップはどうだろうか」「これはありなのか」とか、意味不明の独り言をぶつぶつと発しつつ。

 

     

 

 これまで、某県に行く際にはいつも、新宿発の電車を利用していたのであまり意識していなかった(車中ではずっと本か資料を読んでいることが多い)ことが、改めて強い印象に残りました。街道沿いを車で走っていて思ったのは、この県は本当に某隣接県と、そして某都の一部といろんな意味で関係が近いのだなということです。

 

     

 

 もちろん、地理的にもそうですし、歴史をひもとけば、戦国時代を持ち出すまでもなく、そんなことは当然なのですが、大渋滞に巻き込まれながら(特になぜか選挙区の県外にある某幹事長の自宅付近)、ひたすらそんなことを思っていました。私は南の方の出身で、頭の上で分かっているつもりでも、行ってみて初めて実感することは、いまだに多いのです。

 

     

 

 20年以上前、初任地の東北・仙台で暮らしていたころは、よく「九州と岩手県はどちらが広いの?」とか、「九州弁は全部一緒なのか」とか尋ねられて少々憤慨したものでした。でも、私自身、もともと地理が苦手だったこともあり、高校生のころは筑波も横浜も東京みたいなものだろうと想像していましたし、栃木県と北関東の県の位置関係なんてさっぱり知りませんでしたから、ひとのことは言えません。

 

     

 

 国道沿いの某所では、このような意外な出会いもありました。このたくましい武将は、人生の最後の瞬間に「わが生涯に一片の悔いなし!」と天に拳を突き上げて叫んだことで有名な某県の偉人(嘘)ですね。私のすぐ妄想が連結する貧弱の頭では、これを見て同じ作品の登場人物の

 

 「退かぬ、媚びぬ、省みぬ!」

 

 という名セリフを思い出しました。読んでいたのは大学生のころだったかな。あのころは、こういうセリフにしびれていましたが、その後の人生はと思うと、生まれてすみませんと言いたくなります。そういえば、大学時代にこの作品をクラスメート(現在は朝日の政治部記者)に貸したら、そのまま戻ってこなかったような…。

 

 ともあれ、私はここからさらに偉大な某幹事長がモットーとしている次の言葉を連想しました(ずっと以前のエントリで取り上げたことがあるものです)。われながら、サウザーの言葉から、某幹事長の言葉を思い浮かべるとは、病膏肓……。

 

 「ぶれない、逃げない、嘘つかない

 

 ……この某幹事長については、過去エントリに微に入り細に穿ち書いてきています。でも、いちいち探すのは面倒でしょうから、もし関心のある方がいたら、10月1日発売の月刊「正論」をお読みください。拙文を寄稿してあります。

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