先日、皇學館大の松浦光修教授から著書『【新訳】南洲翁遺訓 西郷隆盛が遺した「敬天愛人」の教え』と『【新訳】留魂録 吉田松陰の「死生観」』の2冊を送っていただきました。ちょうど、日本にふさわしいリーダーのあり方について空っぽな頭を悩ませていたときだけにタイムリーであり、感謝しています。
もちろん、中身は西郷隆盛と吉田松陰の言行について記したものなのですが、そこは『いいかげんにしろ日教組』の著書もある松浦氏だけあって、それだけでは終わりません。きちんと、松浦氏がこれまで追及してきた三重県教職員組合の問題にもしっかりと触れてありました。
例えば、「南洲翁遺訓」には、こんな記述があります。
《平成十一(1999)年、私は、三重県の公立学校の多くの教員たちが、学校で一日中勤務しているように見せかけながら、じつは学校を抜け出して組合活動をし、それでいて、一日分の給与をもらっていることを、雑誌で指摘しました。私の指摘をもとに県の教育委員会が調べたら、県の全教員の三分の一が、この不正勤務に手を染め、その間、だまし取られた税金は十億円以上にのぼることが明らかになり、全国的に大きな問題になりました。(中略)
なぜ「議員」たちは、この不正をチェックできなかったのでしょうか?話は簡単で、要するにかなりの「議員」たちが、自分たちの「選挙」の時、日教組の〝お世話〟になっているから……のようなのです(そもそも公務員が「選挙活動」をすること自体が違法なのですが、その違法行為が、わが国では、なぜか黙認されています)》
もちろん、「何程制度方法を論ずる共、其人に非ざれば行われ難し。人有て後方法の行わるるものなれば、人は第1の宝にして、己れ其人に成るの心懸け肝要なり」(すべては〝人物〟で決まる)などと、南洲翁の言葉を紹介した上での解説の中で、三重教組に言及してあるのです。いいですねえ。
また、「留魂録」にも、こんな記述がありました。
《結局のところ、三重県教職員組合は、過去三年分の〝だまし取った税金〟である約十一億円を、国と県に返還することになりましたが、最後の最後になって「返還」という言葉が、スルリと「寄付」という言葉に化けたのです。そして、とうとう三重県教職員組合は、国民や県民に対して、一言も反省も謝罪も表明しないまま、この一件を終わらせてしまいました。(中略)
巨大な資金力と集票力をもち、教育界は言うまでもなく、政界や官界にまで、強い力をもっている三重県教職員組合の前では、明らかな不正も、長年〝なかったこと〟にされてきたわけです。(中略)
そして、いよいよ雑誌で告発したら、今度は別の年長者から、このような叱責を受けました。「皇學館大学に日教組から抗議の手紙が来ているらしい。ただでさえ今は、少子化で地方の私立大学の学生募集は、どこもたいへんなのに、そんな時に日教組を敵に回したら、どんな嫌がらせを受けるかわからない。大学のことを考えるなら、もう日教組の批判を書くな!」》
この本の中で紹介されている和歌の中で、私は次のものが特に好きです。全体に張り詰めた点の多い松陰にあって、この歌からは温かさを感じます。
愚かなる 吾をも友と めづ人は わがとも友と めでよ人々
で、試みに三重県の衆院議員はとみると、1区は皇族に対して非礼発言をした中井ひろし元国家公安委員長で、2区は三重県教組の支援を受けていることを公言してはばからない中川正春文科相であり、3区はかつて三重県教組と政策協定を結んで選挙支援を受けた岡田克也元外相、4区の森本哲生氏(よく知りません)……と5区を除いて民主党ばかり。
参院三重選挙区(定数2)はというと、菅直人前首相の首相補佐官だった芝博一氏に、先日、一川保夫防衛相が宮中晩餐会よりこっちが大事と言い放った政治資金パーティーの主催者である高橋千秋氏の2人でした。
松浦氏に電話で献本のお礼を述べたところ、松浦氏は「三重県教組はあいかわらず好き勝手やっていますよ」ということでしたが、まあ、議員構成を見ても、いかにこの教職員組合の勢力が強いか分かります。そしてさらに、今や民主党の大幹事長さまはあの日教組のドン、輿石東氏ですからね。いやはや。
それにしても、輿石氏は近く訪米する意向だそうですが、米国の要人と会談しても、何か話すこと、内容があるのでしょうか。余計なお世話でしょうが、会話が成り立つのかと心配になります。もちろん、輿石氏のことを心配しているのではなくて、ただでさえ低いであろう日本の評判・評価がますます……ということを恐れてのことですが。