2011年11月

 

 先日、皇學館大の松浦光修教授から著書『【新訳】南洲翁遺訓 西郷隆盛が遺した「敬天愛人」の教え』と『【新訳】留魂録 吉田松陰の「死生観」』の2冊を送っていただきました。ちょうど、日本にふさわしいリーダーのあり方について空っぽな頭を悩ませていたときだけにタイムリーであり、感謝しています。

 

     

 

 もちろん、中身は西郷隆盛と吉田松陰の言行について記したものなのですが、そこは『いいかげんにしろ日教組』の著書もある松浦氏だけあって、それだけでは終わりません。きちんと、松浦氏がこれまで追及してきた三重県教職員組合の問題にもしっかりと触れてありました。

 

 例えば、「南洲翁遺訓」には、こんな記述があります。

 

 《平成十一(1999)年、私は、三重県の公立学校の多くの教員たちが、学校で一日中勤務しているように見せかけながら、じつは学校を抜け出して組合活動をし、それでいて、一日分の給与をもらっていることを、雑誌で指摘しました。私の指摘をもとに県の教育委員会が調べたら、県の全教員の三分の一が、この不正勤務に手を染め、その間、だまし取られた税金は十億円以上にのぼることが明らかになり、全国的に大きな問題になりました。(中略)

なぜ「議員」たちは、この不正をチェックできなかったのでしょうか?話は簡単で、要するにかなりの「議員」たちが、自分たちの「選挙」の時、日教組の〝お世話〟になっているから……のようなのです(そもそも公務員が「選挙活動」をすること自体が違法なのですが、その違法行為が、わが国では、なぜか黙認されています)》

 

 もちろん、「何程制度方法を論ずる共、其人に非ざれば行われ難し。人有て後方法の行わるるものなれば、人は第1の宝にして、己れ其人に成るの心懸け肝要なり」(すべては〝人物〟で決まる)などと、南洲翁の言葉を紹介した上での解説の中で、三重教組に言及してあるのです。いいですねえ。

 

 また、「留魂録」にも、こんな記述がありました。

 

 《結局のところ、三重県教職員組合は、過去三年分の〝だまし取った税金〟である約十一億円を、国と県に返還することになりましたが、最後の最後になって「返還」という言葉が、スルリと「寄付」という言葉に化けたのです。そして、とうとう三重県教職員組合は、国民や県民に対して、一言も反省も謝罪も表明しないまま、この一件を終わらせてしまいました。(中略)

巨大な資金力と集票力をもち、教育界は言うまでもなく、政界や官界にまで、強い力をもっている三重県教職員組合の前では、明らかな不正も、長年〝なかったこと〟にされてきたわけです。(中略)

そして、いよいよ雑誌で告発したら、今度は別の年長者から、このような叱責を受けました。「皇學館大学に日教組から抗議の手紙が来ているらしい。ただでさえ今は、少子化で地方の私立大学の学生募集は、どこもたいへんなのに、そんな時に日教組を敵に回したら、どんな嫌がらせを受けるかわからない。大学のことを考えるなら、もう日教組の批判を書くな!」》

 

この本の中で紹介されている和歌の中で、私は次のものが特に好きです。全体に張り詰めた点の多い松陰にあって、この歌からは温かさを感じます。

 

 愚かなる 吾をも友と めづ人は わがとも友と めでよ人々

 

 で、試みに三重県の衆院議員はとみると、1区は皇族に対して非礼発言をした中井ひろし元国家公安委員長で、2区は三重県教組の支援を受けていることを公言してはばからない中川正春文科相であり、3区はかつて三重県教組と政策協定を結んで選挙支援を受けた岡田克也元外相、4区の森本哲生氏(よく知りません)……と5区を除いて民主党ばかり。

 

 参院三重選挙区(定数2)はというと、菅直人前首相の首相補佐官だった芝博一氏に、先日、一川保夫防衛相が宮中晩餐会よりこっちが大事と言い放った政治資金パーティーの主催者である高橋千秋氏の2人でした。

 

 松浦氏に電話で献本のお礼を述べたところ、松浦氏は「三重県教組はあいかわらず好き勝手やっていますよ」ということでしたが、まあ、議員構成を見ても、いかにこの教職員組合の勢力が強いか分かります。そしてさらに、今や民主党の大幹事長さまはあの日教組のドン、輿石東氏ですからね。いやはや。

 

 それにしても、輿石氏は近く訪米する意向だそうですが、米国の要人と会談しても、何か話すこと、内容があるのでしょうか。余計なお世話でしょうが、会話が成り立つのかと心配になります。もちろん、輿石氏のことを心配しているのではなくて、ただでさえ低いであろう日本の評判・評価がますます……ということを恐れてのことですが。

 

 

 ついさきほど、午後4時15分ごろにこのブログのアクセス数をチェックしたところ、累計2900万762アクセスと、2900万台に到達していました。まずは、この気分次第で書き散らしている勝手気ままブログに、これほど多くの方が訪問してくれたことに心より感謝します。ありがとうございました。

 

 ただ、今年5月3日に2500万アクセスに達したときには、これは年内に3000万の大台にいくだろう、そうしたらこの何の手当も褒美もインセンティブも考課上の評価も与えてくれない会社に「何か賞(金)でも出せ!」と迫ろうと、密かに取らぬ狸の皮算用をしていたのですが、それは果たせないようです。

 

 というのは菅前内閣の後半ごろには、1日で2万台の半ばぐらいあったアクセス数が、現在は1万台の半ばほど(土日ももっと少ない)に落ちています。まあ、もともとたいした内容は書いていない上、一時期からかなりエントリ数が減りましたし、気分が弛緩してしまったのは否めないので、それも仕方ありませんね。

 

 というわけで、来年1月中の3000万アクセス達成を目指すことにします。5年半ちょっと前、イザの記者ブログが始まる前の記者ブログ執筆予定者向けの説明会では、産経デジタル側から「いずれアクセス数に応じてインセンティブを考える」というおいしそうなニンジンがぶら下げられたのですが、それも今日では「そんなこともあったな…」と遠い夢となってしまいました。

 

 でもまあ、そうした現世利益は得られずとも、こうしてたくさんの方々のコメントやトラックバックを日々、拝見することで、ブログを開始する以前よりは世の仕組み、ある事象が起きると人々はそれをどうとらえ、どんな反応をするものかが少しだけ分かりました。理解できた部分を、毎日の仕事や紙面にうまく反映させることはまだなかなかできていませんが、個人的には1ミリか2ミリ程度は賢くなれた気がしています。ありがとうございます。

 

 イザが開始当初に掲げた「双方向」という理想は、これはやってみたらそんな生やさしいものではなく、記者ブロガーたちも死屍累々、それぞれの事情と考えでどんどん脱落したり、入れ替わったりしてきました。私自身、そこで展開されている議論や批評から目をそらしたくなることは多々ありました。

 

 それでも、会社の「勝手にやってろ、あとは知らん」という放置プレイにもめげず、これまでなんとか続けてこれたのは、というかやめられなかったのは、やはりそのときどきに言いたいこと、伝えたいことがあったからでした。

 

 個人的な問題や、読書感想文も含め、その中でこの取るに足らない自分の言葉を真摯に受け止め、言葉を返してくれる訪問者の皆さんとのやりとり(最近は滅多に返事も書きませんが)は、ちょっと情緒的ではありますが、私にとってかけがえのない財産なのだろうと思います。

 

 これからも、別にたいした内容はなく、ただ見聞きしてきたことや、過去の経験、そしてつれづれ思ったことをだらだらと書き連ねることしかできませんし、訪問者の皆さんに何か役に立つような情報が書けるかも疑問ですが、改めて今後もよろしくお願いします。

 

 先日、ある件について小泉純一郎首相の政務秘書官を務めた飯島勲氏(松本歯科大特任教授・駒沢女史大客員教授)にインタビューする機会がありました。その中で、いろいろな話を聞いたのですが、紙面で紹介できるのは一部に過ぎないので、飯島氏の諒解を得てこぼれそうな部分をここで掲載することにしました。

 

 といっても、全文をそのまま書くのは時間と労力が多くかかるので、ものぐさな私は要旨、または箇条書きのようなもので誤魔化そうと思います。それでも、趣旨への賛否はともかく小泉政権を支えた飯島氏の視点の一部はうかがえるかと。

 

 【東日本大震災のがれき処理】 いろんな閣僚が現地に次々と入ったが、何をしているのか。阪神淡路大震災のときは1450万トンのがれきを計画通り5カ月で処理した。今回の場合は3つの県にまたがり、放射能の問題もあり条件は違うが、動きが遅すぎる。

 こういうとき、政(まつりごと)は、誰かが悪役になり、一気に進めなくてはならない。どんな政策でも反対、賛成は出る。どうやって決断するかであり、まずは即座に捨て場を決めるべきだ。それを国が決められないのなら、何のために閣僚が現地に行ったのか。

 復旧・復興の復旧は本来、政治家、政務三役に関係なく進められる。現に今回も、国土交通省も農水省も復旧に向けて素早く動いた。しかし、復興はそうはいかない。現在のこれが政治か?話にならない。

 

     

 

 【原子力安全・保安院の分離】 保安院の経産省・資源エネルギー庁からの分離が先行するのは疑問だ。本来、放射能に汚染された建物、土壌、樹木などは触ってはならないというのが国際ルールであり、それを処理するのは経産省・エネ庁・保安院の仕事だ。予算もその管轄として取るべきだろう。ところが、保安院分離が先行すれば、その責任は他省庁に投げることができる。分離は処理が終了してからの話だ。野田政権は政策仕分けをするのなら、こういう問題のはっきりしない責任の所在を仕分けすべきだ。 

 

 

     

 

 【スクラップアンドビルト】 情けないのは、民主党政権の官邸・政府にはスクラップアンドビルトという言葉がないことだ。ふつう、政府が一つの審議会など会議をつくるときは、それに合わせて一つ減らすものだ。ところが、鳩山内閣も菅内閣も会議や委員会を整理せずにつくり続けた。

 その結果、それにぶらさがる(事務方の)官僚の分も含めて、官邸の通行証が小泉内閣時代の30倍ぐらい発行されている(※注 これはセキュリティーも何も…)。もはや誰が主人公だか責任者だか分からない。

 

 【TPPでの米との食い違い】 TPP交渉参加の対象が全品目・分野かどうかで野田首相とオバマ大統領との会談での発言内容への認識が日米双方で食い違うということがあったが、あれは、外務省が国内でのブリーフ用のペーパーを米側に渡したのが原因ではないかと思う。(※注 確かに、経産省が「全品目・分野とする用意がある」という想定問答集を作っていたことが報じられていましたね)

 小泉内閣のときのBSE(牛海面状脳症)問題の際にも同じことがあった。想像だが、外務省が今回、国内の官邸とのやりとりなどを米側に伝えた結果だろう。誰も野田首相も守ろうという人はいないのだ。

 

     

 

 【ぶらさがり取材】 野田首相が記者団のぶらさがり取材に応じないのだって、(側近の)手塚首相補佐官が「報道官」になりたいからだ。国民、マスコミ向けに首相の考えをなぜ発信できないのか。ぶらじゃなくたっていいが、発信しないのはだめだ。

 野田首相も含め、最近の首相はぶらを難しく考えすぎだ。だから、秘書官ら想定問答集をつくらせ、疲れる、大変だと緊張しているがおかしい。小泉首相のときは、広報担当秘書官が記者たちから事前に何を質問するのか聞いてはいたが、私はそれを小泉首相に伝えさせなかった。だから率直に「知らない」「それは任せてある」と答える。それを丸投げと批判されたこともあったが、首相の素の姿を国民に見せることは大事だ。みんなちょっと、ぶらさがり取材を誤解している。

 

 【政治主導】 政治主導というがみんなバラバラだ。自民党もかつて「自分党」と揶揄されたが、それ以上だろう。野田政権になって少し修正されているが、間違った形での官僚排除がすぎた。

 政治主導を強調したがる政治家は、どうも官僚コンプレックスがあるのだろう。だから、古川国家戦略担当相は、局長級の官僚は怖くて避けている。副大臣経験があるから大丈夫だと官僚のレクチャーを聞かず、不規則発言が続いた小宮山厚生労働相は最近、反省したらしく、先日、局長全部を呼んで「私を支えてください」と言った。中川文科相も、副大臣経験があるから…という態度が見えて危ない。

 

 【TPP対応】 この前、農水事務次官経験者ら6人ぐらいを集めて会合を持った。すると彼らは「鹿野農水相には『じっとしていろ』と命じられました」という。これではダメだ。TPPに反対でも賛成でもいいが、ちゃんと裏の交渉を進める度量がなかったらどうなるのだ。

 官僚は道具として使いこなさなくてはならない。そのためには、人事で報いることも必要だ。小泉内閣時代のBSE問題の際には、直接責任があったわけではない逸材と言われた事務次官のクビを切り、食糧庁を廃止した。だが、その後に外務省と交渉して、この次官を農水省から第1号のチェコ大使にした。

 

 【野田政権】 肝心の自民、公明に受け皿的なものができていない今の状況をみると、政権再交代しても五十歩百歩なら長期政権目指して頑張ってほしい。野田政権ではダメだというのなら、国民が認知できる受けざるが必要だ。

 

 ……まあ、あくまで聞いた話の一部ですし、私と別に同じ考えでもありません。これは飯島氏の「主張」「言い分」ではありますが、久しぶりに彼の話を聞いていて実に面白かったのも本当です。取材相手から「興味深いなあ」とか「刺激を受けるなあ」という話を聞く機会があると、この仕事も悪くないかなと少しだけ感じるのでありました。

 

 

     

 

 霞が関の官庁街や国会の周囲では現在、このようにブータンの国旗が日本の国旗とともに掲げられています。なにやら心和む、ほっとするような光景……ではあるのですが、今回は別の国と関係するエントリとなります。

 

 というのは、本日はホテル・ニューオータニで、在日本大韓民国民団の創団65周年記念式典が開催され、そこに来賓として訪れた政治家たちの言葉を取材してきたからです。会場入り口には、以下のようなパネル写真が展示されていました。民団の歴史をたどるのに、どうしてこんな写真が必要なのか。心安まりません。

 

     

 

 さらに、でました参政権! この永住外国人への地方参政権付与問題に関する私の考え方・スタンスについては、過去のエントリで馬に喰わせるほど書いてきたのであえて繰り返しません。ただ、帰化が進むことによって先細りとなってきた民団の内部事情から始まったとされるこの運動が、ここまで拡大したのは、日本の政治家がそれぞれの思惑からそれをちやほやしたり、利用したりしてきたからでしょうね。

    

     

 

 この日も、民主党の赤松広隆元農水相や江田五月前法相や公明党の太田昭宏元代表らの姿を会場で確認しました。自民党議員は私が気づかなかったのか来ていなかったのか、見つけることはできませんでした。

 

     

 

 で、久しぶりに登場したのが世界中に「ルーピー」として知れ渡った著名人、鳩山由紀夫元首相です。登壇した鳩山氏は冒頭、「アンニョンハシムニカ」と韓国語であいさつし、参政権問題についてまたいらんこと、わけのわからんことを述べていました。(※以下、政治家のあいさつは私がメモできた範囲なので全文ではありません。)

 

     

 

 鳩山氏 「皆様方が常に韓国民である誇りを持って頑張ってこられ、今日の地位を築いてこられたことに心から敬意と感謝を申し上げます。

 私は短い期間ではありましたが、首相在任中に李明博大統領と何度も話をさせていただき、日韓関係を前進させていくことができたことが、私の政治人生で最も大きな喜びです。

 李大統領には、「お前ではなく奥さんの功績だ」と言われていまして、女房とキムチのおかげだと感謝している。

 多くの日本人は韓国が大好きで、そして韓国人が大好きです。もっともっと仲良くなっていきたいというのが私たち日本人の真実の姿だ。

 やはり、永住外国人、特に韓国人の地方参政権を早く認めるようにと、これは当たり前の願いだと思います。

 時間がかかっていることは申し訳なく思っているが、私ども政治の立場から答えていかなければならない。民主党も最善の努力を申し上げ、できる限り来年の通常国会がんばりましょう、みなさんの気持ちがようやく届いたねとなるように、民主党、お約束したい。」

 

 ……鳩山氏は今年1月の民団新年会でも「皆様方の悲願である地方参政権の付与に関して、大きな道を開く年にしていこうではありませんか。そのための努力を行う1年にしてまいりたい」と述べていました。それが今度は、来年の通常国会での法案成立を約束したいと言い出したわけです。

 

 いかに万人が認めるルーピーとは言え元首相、元民主党代表の言葉ですから影響力は無視はできません。ホント、はた迷惑きわまりない存在です。記念式典では早速、公明党の山口那津夫代表がこれに呼応するあいさつをしました。

 

 山口氏 「永住外国人の法的地位の向上、とりわけ参政権については公明党は一貫して推進を図ってきた。しかし、公明党単独では実現できない。

 鳩山元首相から心強い話があった。是非とも民主党あげて合意を固め、国会に提出していただければ我々は喜んで成立に努力する」

 

 ……在日韓国人の中にも創価学会員は少なくありませんし、公明党が新たな票田として期待しているのは分かりますが、なんとも節操がありませんねえ。で、ここでさらに社民党の福島瑞穂党首が参戦しました。

 

 福島氏 「(在日韓国人に)日本において地方参政権がないことを本当におかしいと思っている。民主党と公明党と社民党が協力すれば、国会で、衆参でこの法案が通ります。

 (在日韓国人が)来年の韓国の国会議員選挙も大統領選も日本の選挙にも投票できる社会を目指したい」

 

 ……在日韓国人は韓国の国政選挙での投票権を持っており、現に本日の式典でも会場では在外投票の呼びかけが行われていたのですが、本国でも日本でも投票できるとなれば、これはもう「特権」と言えますね。福島氏はそれを目指すと。

 

 そして、少なくともこの会場では、民主、公明、社民の3党は見事に一致、協力をうたいあげたわけです。今のところ、野田佳彦首相は「私は参政権付与に慎重な立場だ」(15日の参院予算委員会)としていますし、ただちに政治日程に上ってくる状況にはありませんが、今後の行方は予断は許しません。やれやれ。

 

 それにしても、鳩山氏の話を聞いていると、相変わらず「この人、自分が何をしゃべっているのか分かって言っているのか」と真剣に悩みます。まあご本人は、そうした周囲の困惑や憂鬱は気にもとめず、思ったままのことを正しいと信じて口にしているのでしょうね。困ったものです。次の首相はさらに思い出したくもありませんが。

 

自称・安全保障は素人大臣こと一川保夫防衛相が16日夜、民主党の高橋千秋参院議員の政治資金パーティーへの参加を優先し、ブータンのジグメ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク国王夫妻を歓迎する宮中晩餐会に欠席していたことが17日の参院予算委員会での自民党の宇都隆史氏の質問で取り上げられました。

一川氏は一応、「軽率だった。申し訳なく思い、反省している」と陳謝したわけですが、いかにも言葉だけですね。このパーティーでの一川氏の発言を、坂本一之記者がメモで送ってくれたので紹介します。

 「実は今日は大事なブータンの国王が日本に来ておられて、それが今宮中で催し物があるんですけれども、他の大臣はみんなそちら行きましたけども、私はこちらの方が大事だと…(拍手)

 

 拍手をするパーティーの客たちもどうかと思いますが、国賓を招いての宮中晩餐会に国務大臣として正式に呼ばれているにもかかわらず、同僚のパーティーの方が優先だというわけです(本人は晩餐会へはもともと欠席の通知は出していたと言っていますが)。そして、わざわざ口に出さなければいいことを、堂々と得意げに語ってしまう…ため息が出るばかりです。

 

 繰り返し書いていることなのですが、どうしてこう民主党議員は常識がないというか世間知らずというか、最低限のマナーや儀礼を守る気持ちが薄いというか規範意識が弱いというか、言わずもがなの一言が多いというか、内向きで外交・安保に疎いというか、とにかく失礼ですね。

 

 で、一方のワンチュク国王はというと、きょうの衆院本会議で以下のような立派な演説をされました。あまりにも日本と日本人を礼賛する内容なので、今回の一川氏の振る舞いと比べて赤面してしまいそうです。

 

《皆様が復興に向けて歩まれる中、われわれブータン人は、みなさまとともにあります。われわれの物質的な支援は、つましいものだが、われわれの友情、連帯、思いやりは、心からの真実味のあるものです。われわれブータンに暮らす者は、常に日本国民を親愛なる兄弟、姉妹であると考えてまいりました。両国民を結びつけるものは、家族、誠実さ、そして名誉を守り、個人の欲望よりも、地域社会や国家の望みを優先し、また自己よりも公益を高く位置づける気持ちであります。

 2011年は両国国交25周年の特別な年。しかし、ブータン国民は常に公式な関係を超えた特別な愛着を日本に抱いてまいりました。私は我が父とその世代の者が、何十年も前から日本がアジアの近代化を導くのを誇らしく見ていたのを知っています。すなわち、日本は開発途上だったアジアに進むべき自覚をもたらし、日本の後に続いて、世界経済の最前線に踊り出た数多くの国々に希望を与えてきました。日本は過去にも現代もリーダーであり続けます。このグローバル化した世界で、技術と革新の力、勤勉さと責任、強固な伝統的価値の模範であり、これまで以上にリーダーにふさわしいのです。

世界は常に日本のことを、大変な名誉と誇り、歴史に裏打ちされた誇り高き伝統を持つ、不屈の精神、断固たる決意、そして何事にも取り組む国民、知行合一、ゆるぎない強さと気丈さを合わせ持つ国民であると認識してまいりました。これは神話ではなく、現実であると申し上げたい。

 近年の不幸な経済不況、3月の自然災害への対応にも示されている。みなさま、日本、日本国民の資質を示された。他の国であれば、国家をうちのめし、打ち砕き、秩序、大混乱、悲嘆をもたらしたであろう事態に日本国民のみなさんは最悪の状況下でさえ、静かな尊厳、自信、規律、心の強さを持って対処された。文化、伝統、価値にしっかりと根付いたこのような卓越した資質の組み合わせは、われわれの現代の世界で他に見いだすことは不可能です。すべての国がそうありたいと切望しますが、日本人特有のものであり、このような価値観や資質は、昨日生まれたものではなく、何世紀も歴史から生まれてきたものなのです。それは数年、数十年で失われることはありません。

 そうした力を備えた日本にはすばらしい未来が待っていることでしょう。日本は歴史を通じてあらゆる逆境から繰り返し立ち直り、世界で最も成功した国のひとつとして地位を築いてきました。さらに注目するべきは、日本がためらうことなく、世界中の人々と自国の成功をわかちあってきたことです。私はすべてのブータン人にかわり、心からお話しています。世界は日本から大きな恩恵を受けるであろう。偉大な決断、静かな尊厳と謙虚さを兼ね備えた日本国民。ブータンはみなさんを応援し、支持してまいります。ブータンは国連安全保障理事会の議席拡大の必要性だけでなく、日本がその中で主導的や役割を果たさないといけないと考えております。

 ブータンの成長と開発における日本の役割は特別なものです。日本から貴重な援助だけでなく、励ましもいただいてきました。日本国民の寛大さ、より次元の高い自然の絆、精神的な絆でブータンは常に日本の友人であり続けます。日本はブータンではもっとも重要な開発パートナーだ。感謝の意を伝えられることができて大変うれしい。両国民の間の絆をより強め、不断の努力を行うことを誓います。

 改めて、ここで、ブータン国民から日本の皆様へ祈りと祝福を伝えます。列席のみなさま、簡単ではありますが、私どもの国の言葉で話したいと思います…(しばし通訳ストップ)…。今、私は祈りを捧げました。小さな祈りですが。日本、日本国民が常に平和と安定、調和、これからも繁栄を享受されますように。今日はありがとうございました(盛大な拍手)(了)》

 

 果たして、ブータン国王にこのようにほめていただくような我が国であるのか、また、国会議員たちは顔を赤らめずにこれらの言葉を聴く資格があるのかと、しばし考え込んでしまいますね。一川氏には猛省を促したいところです。

 

 あと余談ですが、先日、千葉総局に勤務したことのある他部の同僚記者から聞いた話です。彼は県議時代の野田佳彦首相を取材の関係で知っているのですが、そのころ野田首相は同僚にこう語っていたそうです。

 

 「僕も学生時代は新聞記者になりたかったんですよ。(産経ではなく)朝日新聞のですけどね、ウフフ…」

 

 なんとなく、少しだけ野田首相という人物が分かったような気になるエピソードでした。野田首相は、国会で「秘書官がマルチ会員、叔母がマルチ企業のトップリーダー」と暴露された山岡賢次国家公安委員長・消費者担当相についていまだに「適材適所」と言っていますから、一川氏にも同じことを言うのでしょうね。

 

 まあ、世の中いろいろ、人生いろいろですからね。

 

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