2011年12月

 

 日本にとって、決して幸福だったとは言い難かった今年もきょうで終わりですね。堅固に、ときに退屈にすら思える日常が実はいかにもろいか。そんな頭では分かったつもりになっていたことを、身にしみて体感、痛感させられた年でもありました。

 

 私自身も福島県と縁が深かったこともあり、その意味でもいろいろと見聞きし、考えさせられました。ある日突然、暮らし、生活というものは激変する可能性があることを、それがいかに貴重で大切であるかという感慨も含めて振り返らざるをえません。

 

 個人的には、首相官邸で間近に菅直人という「最大の危機に最悪の愚宰相」(読売新聞)の言動を目の当たりにしたことが、それまでの政治観、というより人間観を大きく揺さぶられる経験でした。1人の国民としては二度と味わいたくない悪夢の日々でしたが、政治記者としてはあるいは貴重な経験だったのかもしれません。

 

 それまで、政治においては個々の政治家の人間性や人徳といったものよりも、大きな意味での政策、方向性を重視しなければならないのだろうと漠然と考えていました。政治家においては、「いい人」という評判は必ずしも誉め言葉とはならず、むしろ「優柔不断」で決断力のない八方美人を想起させるということもあります。

 

 ですが、菅氏という「僕の考えている人間の範疇に入らない」(ジャーナリストの田原総一朗氏)ほどの稀代のペテン師、内弁慶でどこまでも独りよがりな大ぼら吹きの人格破綻者に接し、考えを改めることになりました。

 

国会で「今まで見てきた中で最低の政治家」(山本一太参院議員)と面罵され、被災地では「心がない」(飯舘村の菅野典雄村長)、官邸ではスタッフに「クズ人間」と呼ばれるような人もどきが、いかにたまたま政策的にまともなことを言おうと、その人間性が邪魔をして何も実現できず、達成できないことがはっきり分かりました。

 

 政治家は聖人君子である必要も宗教家である必要もありませんが、やはりその地位と権力にふさわしい立ち居振る舞い、出処進退、言動は必要です。硫黄島で慰霊碑に軍手をはめたまま手を合わせ、公の席で皇族の女性たちを「お嬢さん方」と平気で呼ぶようなげすには、やはり首相の任は務まりません。

 

 菅氏という日本国民すべての反面教師を通じてそのことを学んだのと同時に、どうしてこんな出来損ないが選挙区で勝ち残り、政治の世界でトップまで上り詰めることができたのか。そうさせないためにできることは何か、という宿題も背負いました。こんなことが二度と起きては困ります。政治評論家の屋山太郎氏は私と雑談している際に、「このまま菅政権が続けば本気で日本は滅ぶと心配した」と言っていましたが、まさに生ける災厄でした。

 

 ともあれ、その菅氏の後釜に座った野田佳彦首相も、どうやら極度の視野狭窄と自信過剰に陥っているようで、国民が望むことはやらず、財務省が提示した案のうち、難易度の高いものにわざとトライして独りで「孤高の勇者」のつもりになったかのようです。実は財務省も、野田氏のあまりのやる気に困っているんじゃないかと。

 

 もともと民主党は、あの大震災がなければ今年の3月中に崩壊に向かっていたでしょうし、一年遅れで来るものが来た、という感じもしますね。年明け早々、野田首相は内閣改造をやらない限り、国会は動きませんし、こういう状況で消費税増税だなんだと民主党内政局も始まるという、わやくちゃモードで政治は進みそう(後退しそう)です。

 

 ともあれ、今年は一年間、ありがとうございました。来年もあれこれ見たまま、思ったまま、感じたまま書き殴るだけですが、何卒よろしくお願いします。

 

 

 帰省しました。

 

     

 

 高校時代まで過ごした実家に帰り

 

     

 

 懐かしい親族たちと対面しました。(以上、ウソ)

 

    

 

 さて、産経新聞は年始から連載企画をスタートします。で、私もその取材班の一員として、いろいろ書いています。まあ、所詮、私がかかわってるものなので、その程度だと理解して読んでいただければ幸いです。

 

 ちょっと真面目にいえば、どうしてこの国は、こんな最低最悪のリーダーをいただいてしまったのか、これでいいのかという問題意識から出発し、だからどうすればいいという結論なり処方箋なりを簡単に示せるわけないけれど、とりあえず、いろいろ考え続けてみようか、というものです。

 

 というわけで、よろしくお願いします。……帰省しても仕事の電話はかかってきますし、原稿の手直しだとか書き換えだとか順番入れ替えだとか、まあ仕事からは逃れられません。

 

 今朝は出勤後しばし、野田政権が編成した実質96兆円強と過去最大の平成24年度当初予算案に関する在京各紙の論調を、じっくりと読み比べてみました。

 

    社説のタイトルを見ても、「まやかしの『目標達成』」(毎日)、「日本再生の看板が泣く野田予算案」(日経)などと、どこも厳しい視線を送っていましたが、その中でも朝日と東京の論評がいいなと感じました。逆に読売は、天下の大主筆が野田佳彦首相支持を明言しているためか、ちょっと「ぬるい」という印象です。

 

 朝日は1面で原真人編集委員が「日本売り 忍び寄る危機」という明快な記事を書いています。持って回って韜晦し、奥歯にものが挟まったような、結局何を言いたいのだかよく分からない書き方を「よし」とするこの新聞にしては、表現も実にストレートでわかりやすい。例えば

 

 《来年度予算はまちがいなく過去最大にふくらんだバラマキ型予算である》

 

 《これはいわば、行き当たりばったりの財政拡張だ。そこに厳しい財政規律も、明確な政策意思もない》

 

 《この歳出のゆるみようでは(増税について)国民の理解は得られまい》

 

 ……など、全くその通りだと言いたくなります。朝日は社説「危機感がなさすぎる」の中でも「こんな予算で国民に消費税の増税を求められるのか。国会で徹底的に議論し、予算を組み替えてもらいたい」と書いています。野田氏も就任して100日以上がたち、いかに泥の中に隠れて黙っていてもその正体がだんだん誰の目にも明らかになってきましたね。

 

 東京の社説「消え失せた政権公約」も、こんな率直な書き出しです。この新聞の社説は当たり外れが大きいので、書いている論説委員の署名が読みたいところです。

 

 《民主党のいいかげんさを一日に凝縮して見せられたような思いがする。》

 

 そして、こんな言葉が続きます。

 

 《自分たちで決めた政策決定のシステムさえ守れないでたらめさを見せつけた。(八ツ場ダム建設)再開を決めた最終局面で登場した「官房長官裁定」なるものも、一読して国民にはさっぱり分からない。要するに政権が国民に顔を向けていないのである。》

 

 《政権交代から三回目になる予算案をみる限り、改革の約束はほごにされてしまった。》

 

 《子ども手当を試みて失敗し、議員定数削減や年金制度改革、国家公務員総人件費二割削減も先送りである。国家公務員の冬のボーナスは逆に前年度を上回った。それで消費税引き上げでは納得できない》

 

 ……これまた「まっくだ」と同感します。野田首相は八ツ場ダム建設再開について「苦渋の決断だ」と言いましたが、何が言いたいのだか意味不明です。

 

 で、ここからが本題なのですが、今朝の各紙を読んでいて、何度か「お前が言うな!」と叫びたくなったのでした。一つは、やはり東京新聞に掲載されていた民主党結党時からの応援団である山口二郎北海道大教授のコラムです。山口氏はこう記していました。

 

 《予算編成の季節である。消費税率の引き上げが最大の争点となっている。私はこの問題については、多少政府に同情的である。財源に関する見通しが甘かったのは責められるべきだが、世界の財政・金融危機の中で日本も財政健全化に向けた動きを始めなければならない》

 

 山口氏は政権交代直前、雑誌「世界」(平成219月号)では、「(財源の)細かい数字は後から付いてくるのである」とまるで、小沢一郎氏みたいなことを語っていました。責められるべきはあなたも一緒でしょうに。また、山口氏は八ツ場ダムに関してコラムでこうも書いています。

 

 《これだけは絶対に譲れないという確信まで失ったら、そんな政治家や政党は不必要であり、有害である。》

 

 民主党に対する「確信」を失ってそう書いているのだとしたら、そんな学者も不必要であり、有害でしょうね。

 

もう一つ、今朝の紙面で「お前が言うな」と感じたのが、仙谷由人政調会長代行がBS朝日で述べた言葉です。東京新聞にはこうありました。

 

 《民主党の仙谷由人政調会長代行は24日、消費税を2010年代半ばまでに10%にするとの増税方針をめぐり、5年以内にさらに15%まで引き上げる必要があるとの認識を示した。》

 

 ……こんな予算を組んでおいてよく言うよ、さすが鉄面皮だというところですが、それだけではありません。産経によると、仙谷氏は《行革を今からいくらやっても2兆円、3兆円は出てこない》とも語っていました。

 

 行革と予算の組み替えで168000億円が捻出できるという旗印で選挙に勝ったのはどこの政党なのか。あなたがたは負担を国民に押しつける前にどんな努力をしたというのか。少なくとも、鳩山内閣でも菅内閣でも閣僚を務めた仙谷氏に偉そうなことを言う資格はないはずですね。重ねて

 

 「お前が言うな!

 

 と言っておきたいと思います。まあ、いくら言っても分かる人たちではないでしょうが。

 

 

 今朝の産経は2面で、「菅前首相 あきれた言動」「池田前経産副大臣 震災発生5日間の記録」という見出しの記事を掲載しています。これは、当時現地対策本部長だった池田元久氏が現場で自ら見聞きしたことを整理し、今月19日に「福島原子力発電所事故311~15/2011年 メモランダム=覚え書」という10枚のペーパーにまとめたものです。

 

 池田氏は事故発生から数ヶ月間は取材を断ってきましたが、9カ月がたったのでそろそろありのままを伝えたいと考えたのだそうです。その内容は、本日の紙面でもそれなりに詳しく書いているのですが、よりそのときの雰囲気を正確に生々しく伝え、参考にしてもらうため、菅直人前首相が福島第1原発を視察した12日の部分を、そのままここに書き写してみようと思います(※は阿比留の注)。以下は池田氏の文です。

 

312()

 

 現地には、保安院の福島第1原発と第2原発の原子力保安検査官事務所の検査官の他、東電、地元消防職員が集まっていた。

 

 直ちに横田第1原発原子力保安検査官事務所長から、原発(プラント)の状況について聴く。しかし、原子炉内の温度、圧力、水位などのデータは計器の故障などにより、計測不能のものが多かった。

 

 電話の連絡も容易でない状態。ようやく繋がった衛星電話で海江田経済産業大臣に現地到着を報告した。

 

 海江田大臣らが午前3時にベント実施について記者会見をするという連絡が入った。

 

 内堀雅雄福島副知事、黒木審議官、ヘリコプターに同乗してきた原子力安全委員会の職員らと協議した。

 

 事故対応ではベントは「定石」であるとしても、ベントを実施した場合、周辺住民に与える影響は大きいので、データをできるだけ正確、迅速に把握するよう東電の吉沢班長、横田所長に指示した。

 

 松永次官に電話し、ベントに関連しプラント(発電所)のデータ把握に努めていること、ベントは一義的には事業者の判断で行うべきことを伝えた。

 

 午前2時半前、東電班長より1号機の原子炉のデータ(格納容器の圧力上昇など)の報告を受け、ベント実施を了承した。

 

 午前4時過ぎ、菅総理大臣が福島第1原発を視察するとの連絡が入った。未だかつてない原発事故の現場を観たいという気持ちは分かる。

 

 しかし、今回の大震災は原発だけではない。稀に見る大津波、地震であり、テレビ画面が繰り返し伝えるように、家、建物、船が流され、そこに居た人々の安否が気遣われる状況だ。こうした災害では、人々の生存の可能性が高い初動の72時間が、決定的に重要だ。

 

 指揮官は本部に留まって、人命の救出に全力を挙げ、同時に通信手段の整っている本部で原発事故の対応にあたるべきだ。

 

 また、どうしても現地視察に来るのであれば、重責を担っている本部長(総理)に万が一のことがあってはならないので、視察先は第1原発ではなくオフサイトセンターにすべきだと考えた。

 

 このような考えを黒木審議官に東京に伝えるように言った。(しかし後で聴くと、現地対策本部長の見解は保安院止まりで、総理には届かなかったようだ。)

 

 午後(※午前の誤記?)710分過ぎ、福島第1原発のグラウンドで黒木審議官、内堀副知事、武藤栄東電副社長とともに菅総理を出迎えた。一行はそばに待機していたバスに乗り込んだ。前から2番目窓際に総理、その隣に武藤副社長、後ろの座席に班目春樹原子力安全委員会委員長に座ってもらい、通路を挟んだ反対側に現地対策本部長が座った。総理は武藤副社長と話し始めたが、初めから詰問調であった。「なぜベントをやらないのか」という趣旨だったと思う。怒鳴り声ばかり聞こえ、話の内容はそばに居てもよく分からなかった。

 

 免震重要棟に玄関から入った。交代勤務明けの作業員が大勢居た。

 

 「何の為に俺がここに来たと思っているのか」と総理の怒声が聞こえた。これはまずい。一般の作業員の前で言うとは。

 

 2階の会議室で菅総理は武藤副社長、吉田昌郎第1原発所長から、事故の状況説明を聞き、特に第1原発のベントの実施を強く求めた。吉田所長は総理の厳しい問い詰めに、「決死隊をつくってでもやります」と答えた。

 

 やりとりの合間に、黒木審議官は、第2原発にも原子力緊急事態宣言を発令することと、3キロ圏内の住民に対して避難の指示をすることについて総理の決裁をとった。

 

 また、総理は、県副知事に対して、住民へのヨウ素剤配布などについて質問した。東電側にだけでなく、副知事や班目委員長に対しても総理の口調は厳しかった。

 

 総理は会議室を出てから、現地対策本部長の背中に手を置き「頑張って」と激励した。しかし、総理の態度、振る舞いを見て、同行した旧知の寺田学補佐官に「総理を落ち着かせてくれ」と言わざるを得なかった。また、政権の一員として、同席した関係者に「不快な思いをさせた」と釈明した。

 

 視察を終わって、総理がこの時期に現地視察をしたことと、現地での総理の態度、振る舞いについて、指導者の資質を考えざるを得なかった。かつて中曽根総理が在任中、座禅を組んだことを思い出した。座禅などを組まなくてもよいが、指導者は、短い時間であっても、沈思黙考することが必要だ。思いをめぐらせ、大局観をもって事にあたらなければならない。そして、オーケストラの指揮者のように振る舞うことが求められる。(以下略)

 

 ……池田氏は「僕もあきれた」と語っていましたが、これからもっと、いろんなことが明らかになってくるのでしょうね。菅氏自身は、国会の事故調査委員会で責任追及されかねない立場なので、「共犯者たち」を動員して必死の自己弁護を続けるでしょうが。往生際の悪さでは、天下無双ですしね。

 

 菅氏のこうした常軌を逸した言動については、私もたびたび報告してきましたが、いまわれわれは信用がありませんから、いくら本当のことを書いてもなかなか信じてもらえません。でも、やはり政権内の当事者の証言は重いはずです。みんなの党の渡辺喜美代表は「場合によっては牢屋に入れる必要がある」と語りましたが、私も全く同感です。

 

     

 

 

 このところ、ただでさえ年末進行で手一杯なのに、馬鹿げた慰安婦騒動や金王朝3代目の世襲うんぬんのドタバタ劇が続き、エントリ更新が滞っています。書きたいことも材料もいろいろとあるのですが、産経紙面との優先順位、整合性の問題もあって、そして何より忘年会シーズンで二日酔いが常態化しているため、なかなかはかどりません。

 

 というわけで、本日は40日ぶりの読書シリーズでお茶を濁そうと思います。可能な限りできるだけ毎日、書店に行って新刊をチェックしているのですが、まだまだ見逃している良本は多いなあと、当たり前のことを改めて思います。

 

 さて、まずは荻原規子氏の「RDG」シリーズの第5作「学園の一番長い日」(角川書店、☆☆☆★)からです。世俗の垢にまみれた中年親父がファンタジーを楽しむというのも、端から見たらどうなのだろうかと少し自省もしますが、面白いものは面白い。主人公をめぐる人間関係や環境に展開があり、次作が待ち遠しいところです。

 

     

 

 次に紹介する川上健一氏については、新作に接するたびにしみじみとした感動を与えてくれるのでいつも楽しみにしています。ただ、今回の「あのフェアウェイへ」(講談社、☆☆☆)は私がゴルフをやらないもので、いまひとつ物語世界に没入できませんでした。もっとも、ゴルフ漫画「風の大地」は好きで読んでいるのですが。帯には「人生はゴルフに似ている」とありますが、私もずっと以前、麻雀にはまっていたころは「人生は麻雀に似ている」と考えていました。

 

     

 

 今野敏氏の「横浜みなとみらい署暴対係」もこの「防波堤」(徳間書店、☆☆☆)が第3弾です。相変わらず軽妙なタッチで面白いのですが、今回の連作短編はちょっとワンパターン気味かな。古きよき任侠道を生きる「神野のとっつぁん」ばかりが出てきすぎのような…。

 

     

 

 まさか続編が出るとは予想していなかったので、書店で「おおっ」と思わず歓声を上げそうになったのが、堂場瞬一氏の「ヒート」(実業之日本社、☆☆☆☆)でした。これは箱根駅伝を舞台にした前作「チーム」の数年後を描いたもので、主人公らは今度はフルマラソンを走ります。

 

     

 

 それにしても、鼻持ちならない狷介なキャラ、傲慢不遜なトップアスリートを描かせたら堂場氏は天下一品ですね。そして、読者のこっちは、嫌な奴だなあと思いつつ、目が離せずに一気に読み切ってしまうと。

 

 原宏一氏の「東京ポロロッカ」(光文社、☆☆☆★)は、震災前に書かれたもののようですが、アマゾン川ならぬ「多摩川の大逆流」という設定が不謹慎ととられないように最初に断り書きがありました。普通はありえないと分かるはずのデマに踊らされる人々の人間模様を描きつつ、どうしてデマにだまされたがる人が現れるのかも考察したストーリーで、けっこう考えさせられました。

 

     

 

 けっこう新聞や雑誌の書評で話題になっていたので、天の邪鬼の私は無意味に「ほとぼりが冷めるまで読むのは待とう」と考えていたのが、この三浦しをん氏の「舟を編む」(光文社、☆☆☆☆)でした。言葉にとことんこだわる辞書編集部を舞台にするという着眼点と、それを面白い読み物に仕上げる技量はさすがですね。

 

     

 

 260ページほどのそんなに長くない作品なのであっさり読めてしまうのですが、せめて300ページにしてほしかったと、もっと作中世界を味わいたい気分でした。ただ、同僚・後輩記者たちをみても、原稿を書く際に紙の辞書を引くよりも、電子辞書やネット検索を好む人が増えているようです。

 

 作品名にひかれて手にしたのが、この野口卓氏の「軍鶏侍」とその続編「獺祭」(祥伝社、☆☆☆)でした。藤沢周平作品に出会って時代小説に開眼したという作者が、本家の「海坂藩」ならぬ南国の架空の藩「園瀬藩」を舞台に描く連作で、読ませます。特に、のみの夫婦を描いた「ちと、つらい」はいいですねえ。

 

     

 

 で、再び堂場氏の作品となるのですが、「警視庁失踪課・高城賢吾」シリーズも第7弾「遮断」(中公文庫、☆☆☆)が出ていたので早速買い求めました。前作が、主人公自身の行方不明の娘捜しに話が進みそうな終わり方だったのですが、今回はまた別の展開でした。うーん、第何作まで続くのか。

 

     

 

 またまた堂場氏なのですが、勢いづいて別の連作「アナザーフェイス」(文春文庫、☆☆☆★)にも手を出してしまいました。主人公の大友鉄巡査部長は、もともと警視庁捜査一課の一線の刑事でしたが、妻を交通事故でなくし、小学二年生の子供を育てるため、現在は閑職(?)の刑事総務課に勤務しています。それが、特異な能力を買われてときに現場復帰を命じられ…。

 

     

 

 さきほど、堂場氏は狷介な人物の描写が上手いと書きましたが、この主人公は学生時代は演劇に没頭したというイケメンで、むしろ柔和な印象を与えます。それが捜査の上で思わぬ効果を生んで…と続きが読みたくなる展開はさすがです。

 

 この池井戸潤氏の「鉄の骨」(講談社文庫、☆☆☆☆)も、随分前に出版されたのに、あまりに話題になってNHKでドラマ化もされたのでしばらく放っておきました。で、「もういいだろう」(何が?)と手に取ると、640ページもある分厚い本なのに一気読みです。

 

     

 

 本来は技術屋である主人公の務める建設会社が、スーパーゼネコンではない中堅どころという設定がいいですね。役所の横柄な態度も、大手同業者から見下されるシーンも、いちいちつぼにはまり、手放せずにまた歩きながら読んでしまいました。銀行に勤める彼女の離れかけた心の機微も…まあ、あまりここで書きすぎても仕方がありませんね。

 

 で、この読書シリーズでは、原則として小説しか紹介しないことにしているのですが、改めて通読したイザベラ・バード氏の「日本奥地紀行」(平凡社、☆☆☆☆)が興味深かったので、ここに掲載することにしました。明治初期、東北地方と蝦夷地を旅した英国女性が見た日本はどんなものだったか。

 

     

 

 この本は、日本人の美点や自然の美しさを称賛していますが、決してそれだけではありません。繰り返し日本人の容貌の醜さや不潔さを指摘する描写には、読んでいて少々辟易させられるほどです。ただ、そういういいところも悪いところも遠慮なく記した人だから、(もちろん時代的な偏見は多いにしても)その視点はけっこう公正なのだろうなとも感じます。

 

 北海道の「山アイヌ」の人たちが、源義経を神として祀っている描写など、非常に興味深く読みました。あと、読んでいて映画「インディー・ジョーンズ」シリーズを想起させられるのです。現代の日本人には考えられないほど、平気な顔で危険や困難に飛び込むバード氏の冒険家魂は、「一体何が楽しいのか」と疑問に思うほどです。

 

 私は「インディー・ジョーンズ」を初めて観た際、「こんなに好きこのんで危険な道を行くなんてちょっとリアリティーを感じない。やっぱりハリウッド映画だな」という感想を持ったのですが、いやいや不明を恥じるばかりです。ある種の欧米人ってすごいなと、この本を通読して改めて痛感しました。

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