2012年01月

 

 土曜日は385分、日曜日は383分ときて月曜日は389分と、インフルエンザ検査では陰性なのに、夕方になると高くなる熱にうなされ、ここ数日、うつらうつらとして過ごしました。当然、やるべき仕事はたまる一方で、ろくに処理できていません。

 

 まあ、私が細々と仕事をしようがしまいが、世の中、そんなことと関係なく動いていくわけで、焦ったって仕方がないのも事実ですね。で、今朝も産経政治面を開いて同僚たちの仕事ぶりをぼーっと眺めていたところ、鳩山由紀夫元首相が早稲田大での講演で、持論の東アジア共同体実現による歴史認識問題克服を訴え、平成229月に起きた中国人船長による悪質な意図的体当たり行為である中国漁船衝突事件を「衝突事故」と表現した記事が載っていました。

 

 おそらく、産経紙面やネットを通じ、この記事を読んだ良識ある国民の皆さんは

 

 「頼むからもう何も言うな。黙っていてくれ!

 

 という心境になったのではないかと考えました。この人が一つ口を開くたびに現実は仮想のいびつなお花畑空間へと歪みずれゆき、事実関係はあやふやに曖昧模糊となり、いつのまにかただ国益だけが確実に目に見えて毀損されていく……。そんな非日常的な異空間が出現するかのようです。

 

 で、ここからが本日の本題なのですが、昨日、布団の中で咳き込みながらもそう一日中眠ってばかりいることもできないので、いつものように読書をしていました。そうして、白石一文氏の新著「幻影の星」をめくっていると、25歳の主人公が鳩山氏について思いをめぐらす場面が出てきました。そして、そこでキーワードのように「あれ」という言葉が繰り返されていたのです。

 

 《でも、日本国の総理としては冴えないにもほどがあるというほどに冴えなかったな、とも思う。

 何だろうな、あれは……。

 頭の中で呟いてみる。あれとはもちろん鳩山氏のことだったが、それは鳩山氏に限らず、いまの総理でもあり与野党の主立った政治家たちでもあり、東京電力の幹部でもあり、原子力安全委員会や原子力安全・保安院のお歴々でもあり、その他もろもろの有力者や有識者と呼ばれる人たち、テレビや新聞に日々顔や名前を出しているあれあれあれあれあれ……のことでもあった。

 みんな本当につまらないなあ、と思う。》(※太字、下線は阿比留)

 

 ここで言う「いまの総理」とは、おそらく小説が書かれた時期から考えて菅直人前首相のことかな、と思います。このブログの訪問者の皆さんは、私がかつて菅氏のことをもう名前も記したくなくて「アレ」と表記していたことをご存知であると思います。私だけでなく、いろんな人たちが同様に「あれ」だとか「アレ」だとかという指示代名詞でしか彼らを呼ぶ気が起こらない気持ちを共有していたのだろうと、この本を読んで得心した次第でした。

 

 この「幻影の星」に関しては、上記部分以外に、日本の震災後を描いた小説としてとても面白かったので、いずれ読書エントリシリーズで改めて触れようと思います。でも、日々消費され、忘れられていく新聞ではなくて、もう少し息が長いこういう文芸作品で鳩山氏らの評価をきちんと書いてもらうことは、後世の人にとっても意味があるのではとも感じました。

 

 

 昨夜、東京・西荻窪で会合までの時間つぶしに古書店をのぞいたところ、以前から探していた竹山道雄氏の「ヨーロッパの旅」(新潮社、昭和32刊行)を見つけました。50年以上前の本にしてはきれいな状態で、なんと100円でした。

 

 この本には、竹山氏が昭和30年から31年にかけてイタリア、スイス、ドイツ、オランダを歩いて見聞きしたこと、考えたことが記されています。この本を私が手元に置いておきたかったのは、竹山氏が東京裁判のオランダ代表だった旧知のローリング判事を訪ね、東京裁判について意見を交わす部分がとても興味深いからです。竹山氏はこう書いています。

 

 《……長身のローリング氏が玄関に立っていて、

「待っていました、タケヤマサン」

といって、しっかりと手を握ってくれたときはうれしかった。

書斎に通されて、坐って、八年ぶりの再会の挨拶もすまないかのうちに、話はもう極東裁判のことになった。

 

「あの判決はあやまりだった」と、ローリング氏は感慨をこめた面持ちでこちらをじっと見入りながら、いった。「もしあの裁判がいま行われれば、あのようには考えられないだろう。俘虜虐待など通常の戦争犯罪は別として、政策の結果として起こったことに対しては、ああいう結論にはならなかっただろう。おおむねインド人のパルのように考えただろう」

 

(中略)

 

 ローリング氏当時の同僚のある人たちにはかなりの不満をもっているように察せられた。首席検事の人物については、ある手きびしい批判をしていた。

「右のようなことはあったが、しかし何といってもあの裁判のあやまちを生んだ最大の原因は、結局は日本の内政の歴史の真相が分からないことにあった。あまりにも錯雑して、どれが表でどれが裏だか見透せなかった。あの歴史の個性がついに発見されなかった。それでナチスからの類推をしたようなことになってしまった。私自身も赴任するまでは日本について何の知識もなく、研究するにしたがってじつに五里霧中を迷った」》

 

 ……いい買い物をしました。この竹山氏とローリング判事の会話については、200581日付の産経の東京裁判特集の紙面で

 

 《■オランダ判事「裁判誤り」、竹山道雄氏に後年吐露

 

 小説『ビルマの竪琴』の作者として知られるドイツ文学者の竹山道雄氏(故人)は昭和二十二年に偶然、東京裁判のオランダ代表判事、ローリング氏と知り合い、裁判について親しく意見を交わすようになった。

 竹山氏の著作『昭和の精神史』などによると、ローリング氏は「東郷をどう思うか」とA級戦犯とされた東郷茂徳元外相について意見を求めたり、裁判への疑問を述べた竹山氏に対し、「いまは人々が感情的になっているが、やがて冷静にかえったら、より正しく判断することができるようになるだろう」と漏らしたりしている。

 ローリング氏は二十三年十一月の東京裁判の判決時には、オランダ政府の意向に逆らい判決内容に反対する意見書を提出。意見書は被告全員を有罪とした本判決とは異なり、畑俊六、広田弘毅、木戸幸一、重光葵、東郷茂徳の五被告に無罪判決を下した。

 それから八年後の三十一年、オランダを訪問した竹山氏に対し、ローリング氏は「あの裁判は誤りだった」と東京裁判を批判。さらに「もしあの裁判がいま行われれば、あのようには考えられないだろう。俘虜虐待などの通常の戦争犯罪は別として、政策の結果として起こったことに対しては、ああいう結論にはならなかっただろう。おおむねインド人のパルのように考えただろう」と振り返っている。》

 

 と書いたことがあったのですが、いつのまにか引用した原典がどこかにいってしまい、気持ちが悪かったのでした。

 

 で、きょうはゆっくりこの本を読んですごそうと思っていたところ、発熱、嘔吐、全身倦怠、頭痛などの諸症状がいっぺんに出て夕方まで起き上がれませんでした。人生、いいことも悪いこともいろいろありますねえ。

 

 

 いまさら民主党の衆院選マニフェストのでたらめぶりには驚かないつもりでしたが、昨日の朝日新聞が1面で掲載していた「『最低保障年金』導入なら消費税最大7%分 民主試算」という記事を読み、ほとほとあきれ果てました。

 

自民党など野党側は早くから「詐欺フェスト」と呼んでいましたし、最近では民主党の1年生議員からも「政権交代ではなくて政権泥棒だった」と率直な声が聞こえてきますが、まったくその通りだと思います。ひどいものです。

 

 民主党はマニフェストで、払った保険料に応じて受給額が決まる所得比例年金と全額税方式の最低保障年金(月額7万円)を組み合わせた年金改革を約束していましたね。これに対しては、野党やメディアからも財源はどうするのかという疑問が出ていましたが、民主党はずっと答えずに誤魔化してきました。

 

 で、私はこの最低保障年金の問題について昨年2月3日のエントリ「マニフェストつくった奴出てこい!と民主党議員」(http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/2139815/)で取り上げています。このときは、国会で「どのくらいの財源が必要だと考えているのか」と質問された当時の菅直人首相や枝野幸男官房長官が「まだ具体的な数字をこれまで固めていない。(数字は)これまでのところ出していない」などと、しどろもどろの答弁をしたことを紹介しました。

 

 その上で、この質疑を聞いた桜井充財務副大臣が記者会見で

 

 「正直言って、アバウトな数字は持っていると思っていた。あの当時マニフェスト作った人たちに、もう少し説明してもらいたい。あれは、あの当時、ごく一部の人がつくった。消費税、だったらどれくらいになるのか」

 

 と驚き、マニフェストづくりの担当者らの説明を求めたことを記したのでした。マニフェストに関しては、江田五月元法相も「心眼でつくった」などと意味不明のことを口走っていましたが、民主党は「消えた年金」など歴代自民党政権の年金問題へのいいかげんな姿勢を追及して有権者の支持を集めたのに、その実、自分たちはもっといいかげんだったというわけです。

 

 ところが、昨日の朝日の記事によると、民主党の調査会が昨春に試算をつくっており、それは「最低保障年金を導入すると、消費税10%への引き上げとは別に、新たに7%分の増税が必要になる」という内容だったそうです。しかも、さらなる増税や年金の減額が国民の反発を招きかねないため、公表が見送られたとのことです。

 

 この試算が菅氏の答弁の前か後かは不明ですし、朝日の記事がすべて正しいのかどうかは分かりませんが、事実だとすると本当にひどい話ですね。民主党が掲げた最低保障年金に期待して一票を投じた有権者も、そのために7%の消費税上げが必要だと分かっていたらどう考えたことでしょうか。

 

 しかも、昨春には試算が出ていたのに、それを都合が悪いからとまた国民の目から丸1年間近くも隠し、隠蔽してきたわけです。先日のNHK番組では、自民党側に「マニフェストは総崩れ」と指摘された前原誠司政調会長が怒って反論していましたが、そもそも怒る資格などありませんね。

 

 やはり国民にきちんと謝罪して、その上でなお政権にとどまりたいのなら、衆院解散・総選挙でもう一度信を問い直すべきでしょう。このままずるずると民主党政権が続くと、消費税は30%必要だと言い出しそうで怖い。いやホントに。

 

 

 本日、野田佳彦首相は初めての施政方針演説を行いました。野田首相は「行政改革に不退転の覚悟で臨む」と主張し、独立行政法人や特別会計、公務員制度などの改革に意欲を示しましたが、私が気になったのは「天下り」という言葉を一切使わなかったことです。

 

 そういえば最近、政治家や官僚と話していても「天下り」云々という言葉を聞かなくなりました。一時はあれほど国政の中心課題のように毎日、目から耳から飛び込んできたものなのに、民主党政権が発足すると、だんだん天下り根絶を求める声はフェードアウトしていき、「官僚を最大限に使う」と主張する3代目の野田首相の登場とともに完全に忘れ去られてしまったかのようです。

 

 あんなに国民の注目を集め、新聞は当然としてテレビニュースでも毎日のように取り上げられていたのに、隔日の感がありますね。最近はむしろ鳩山、菅両内閣が官僚を使いこなせず、それどころか敵視してかえって行き詰まったという部分が重視され、民主党政権が天下り問題をほとんど放置していることは意識になかなかのぼらないようです。

 

 そんな中、1月14日付東京新聞の社説「増税前にやるべきこと」は光っていました。この社説は、ひたすら国民が望まない増税に突き進む野田政権に対し「増税の前にやるべきことがあるだろう」として、被用者年金の一元化などの抜本改革が手付かずであることを指摘した上でこう書いています。

 

 《さらに、取り組むべき行政改革から「天下り根絶」が完全に抜け落ちているのはどうしたことか。

 天下り先の独立行政法人に多額の予算を投入し、その法人が仕事をさらに下請けに丸投げする。この「天下り・丸投げ」構造を改めない限り、行政の無駄はなくならない。天下り根絶こそまさに行革の本丸だ。》

 

 ……10日も前の他紙の社説をわざわざ引っ張り出してきたのは、さきほど、いま話題の野田首相の2009年8月の衆院選時の大阪府堺市での街頭演説のユーチューブ映像を改めて見て確かめて、やはりきちんと触れておきたくなったからです。野田氏はこのとき、演説でこう述べています。

 

 《マニフェスト、ルールがあるんです。書いてあることを命懸けで実行する。書いてないことはやらないんです。それがルールです。(後期高齢者医療制度など)書いてないことを平気でやる。これっておかしいと思いませんか。書いてあったことは4年間、何もやらないで、書いていないことは平気でやる。それはマニフェストを語る資格がない。

その(マニフェストの)1丁目1番地は「税金の無駄遣いは許さない」ということです。天下りを許さない。渡りは許さない。それを徹底していきたいと思います。

消費税1%は2兆5000億円です。12兆6000億円ということは、消費税5%分ということです。消費税5%分の皆さんの税金に、天下り法人がぶら下がっている。シロアリがたかっているんです。

それなのに、シロアリを退治しないで、今度は消費税を引き上げるんですか。消費税の税収が20兆円になるなら、またシロアリがたかるかもしれません。鳩山さんが「4年間、消費税を引き上げない」と言ったのはそこなんです。シロアリを退治して、天下り法人をなくして、天下りをなくす。

そこから始めなければ、消費税を引き上げる話はおかしいんです。徹底して税金の無駄遣いをなくしていく。それが民主党の考え方です。》

 

 ……鳩山由紀夫元首相も菅直人前首相もいまや伝説的な「ブーメランの使い手」でありますが、この野田首相の演説は彼らを超えたクオリティーの高さです。野田首相は最近、「マニフェストに書いていないことをやるのはけしからんと言われたら、何もできない」と野党側を批判しているだけに。

 

もちろん、野田首相が独法改革に意欲を示していること自体は悪いことではありません。でも、それとて09年のマニフェストの「全廃も含めた根本的な見直し」と比べると大いに見劣りするというか後退していますね。これらの改革でいくら歳出削減できるかの試算も示していませんし。

 

 演説で野田首相は、わざわざ福田康夫元首相と麻生太郎元首相の言葉を引用して自民党への抱きつきも図りましたが、これも功を奏するとはあまり思えません。引用された二人も「お前が言うな」と思ったことでしょう。

 

 まあ、なんだかどこかで聞いたようなセリフをうまく切り貼りしてあって、「巧言令色少ないかな仁」という印象を受ける演説でもありました。反省と自嘲も込めて書くと、ある意味、ある種のジャーナリスト的手法かも。

 

 

 民主党の小沢一郎元代表が会長を務める「新しい政策研究会」が16日の党大会直後に会合を開いたところ、109人もの出席者がいたことが、ちょっと前に話題になりました。「消費税増税反対」の活動にそれなりの人数が集うのは当然でしょうが、落ち目の小沢氏にまだそんなに求心力が残されていたのかという驚き、意外感がありましたね。

 

 で、これに関連して昨日のTBS時事放談で、野中広務元官房長官が興味深いことを述べていました。野中氏のこの伝聞情報の真偽は現時点では分かりませんが、もしこの通りだとすると、小沢氏かその周囲が、カネで人を集めたということになります。

 

野中氏 (109人は)多い数だが、「行ったら金一封の20万円ほどが包まれていた」とか、いろんなことを言う人がいますからね。行ったら日当になるぐらいに思って行った人もいるだろうし、行ったら今度の選挙に前のような手伝いをしてもらえるかもしれない。これは金銭的なところから出たと思う。だから民主党の中の若い人は揺れ動いている。選挙が早くなれば、だれか金銭的にバックアップしてくれる人がほしい。

 

 ……まあ、選挙になればカネがかかるのは事実ですから、少なくともパトロンなり庇護者なりが欲しいという部分は本当でしょう。溺れる者はワラをも掴むと言いますし、小沢氏にしてもここらで存在感を示さないとじり貧で埋没していくばかりだし。それにしても、仮に100人に20万円を配ったとしたら2000万円かかります。おそらく民主党議員かその関係者でしょうが、野中氏が誰からこの話を聞いたか気になるところですね。

 

 まあそんなことをぼーっと考えていたためか、昨夜(今朝)は夢に小沢氏が出てきました。昨年12月のエントリで書いたように、以前には菅直人前首相が登場する実にイヤな、何とも恥ずかしい夢を見たわけですが、今回の夢もなんというか、余り威張れた内容ではありませんでした。我ながら、何でこんな夢を見るのか。

 

 夢の中で私は、なぜか知人と渓流を泳ぎながら小沢氏について議論していました。その中で、私が「小沢さんは結局、無用の長物だから」と言ったところで、行く手の川の中で眠っている様子の小沢氏を見つけたのです。水の中で眠っているというのはいかにもありえない設定ですが、そこは夢の話ですし、野田佳彦首相が自身をドジョウにたとえて以来、私は小沢氏を見るとよくオオサンショウウオを連想するようになったので、その影響かもしれません。

 

ともあれ、私が「もしかしたら聞こえたかな」と少しびくびくしながら横を泳いで通ろうとすると、いききなり小沢氏が目を見開いてはしっと私の腕をつかみました。そして、「いま私の悪口を言ったか?」と怖い顔で迫ってきました。

 

 ちょっとびびった私は卑怯なことに、思わず「言ってません、そんなこと言ってません」と誤魔化してしまいました。すると、小沢氏は「そうか、そうか」と納得した様子で笑顔となり、それどころか力を込めて「ありがとう、ありがとう」と感謝されたのです。

 

 その後、私は川から上がって小さな私鉄駅の売店で雑誌を物色しながら、さっきの出来事は一体何だったのだろうと考えていました。すると、今度は小沢氏が車で通りがかり、目ざとく私を見つけると車の窓を開けて再び「ありがとう」とわざわざ声をかけて念押ししてきました。どうしたものか。

 

 ……ただ、それだけの夢ですが妙に鮮明で、これを見た後、私は寝付きが悪くなりました。我ながら本当に小心者だなとも改めて感じました。そして、菅氏も小沢氏も夢に出てこない安眠を貪りたいと、そんなどうでもいいことを考えながら朝を迎え、きょうも一日が始まりした。

 

 本当にどうでもいい話に付き合わせてすみません。

 

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