土曜日は38度5分、日曜日は38度3分ときて月曜日は38度9分と、インフルエンザ検査では陰性なのに、夕方になると高くなる熱にうなされ、ここ数日、うつらうつらとして過ごしました。当然、やるべき仕事はたまる一方で、ろくに処理できていません。
まあ、私が細々と仕事をしようがしまいが、世の中、そんなことと関係なく動いていくわけで、焦ったって仕方がないのも事実ですね。で、今朝も産経政治面を開いて同僚たちの仕事ぶりをぼーっと眺めていたところ、鳩山由紀夫元首相が早稲田大での講演で、持論の東アジア共同体実現による歴史認識問題克服を訴え、平成22年9月に起きた中国人船長による悪質な意図的体当たり行為である中国漁船衝突事件を「衝突事故」と表現した記事が載っていました。
おそらく、産経紙面やネットを通じ、この記事を読んだ良識ある国民の皆さんは
「頼むからもう何も言うな。黙っていてくれ!」
という心境になったのではないかと考えました。この人が一つ口を開くたびに現実は仮想のいびつなお花畑空間へと歪みずれゆき、事実関係はあやふやに曖昧模糊となり、いつのまにかただ国益だけが確実に目に見えて毀損されていく……。そんな非日常的な異空間が出現するかのようです。
で、ここからが本日の本題なのですが、昨日、布団の中で咳き込みながらもそう一日中眠ってばかりいることもできないので、いつものように読書をしていました。そうして、白石一文氏の新著「幻影の星」をめくっていると、25歳の主人公が鳩山氏について思いをめぐらす場面が出てきました。そして、そこでキーワードのように「あれ」という言葉が繰り返されていたのです。
《でも、日本国の総理としては冴えないにもほどがあるというほどに冴えなかったな、とも思う。
何だろうな、あれは……。
頭の中で呟いてみる。あれとはもちろん鳩山氏のことだったが、それは鳩山氏に限らず、いまの総理でもあり与野党の主立った政治家たちでもあり、東京電力の幹部でもあり、原子力安全委員会や原子力安全・保安院のお歴々でもあり、その他もろもろの有力者や有識者と呼ばれる人たち、テレビや新聞に日々顔や名前を出しているあれ、あれ、あれ、あれ、あれ……のことでもあった。
みんな本当につまらないなあ、と思う。》(※太字、下線は阿比留)
ここで言う「いまの総理」とは、おそらく小説が書かれた時期から考えて菅直人前首相のことかな、と思います。このブログの訪問者の皆さんは、私がかつて菅氏のことをもう名前も記したくなくて「アレ」と表記していたことをご存知であると思います。私だけでなく、いろんな人たちが同様に「あれ」だとか「アレ」だとかという指示代名詞でしか彼らを呼ぶ気が起こらない気持ちを共有していたのだろうと、この本を読んで得心した次第でした。
この「幻影の星」に関しては、上記部分以外に、日本の震災後を描いた小説としてとても面白かったので、いずれ読書エントリシリーズで改めて触れようと思います。でも、日々消費され、忘れられていく新聞ではなくて、もう少し息が長いこういう文芸作品で鳩山氏らの評価をきちんと書いてもらうことは、後世の人にとっても意味があるのではとも感じました。