2012年02月

 

 今回も福島第1原発事故に対する政府の対応をどう評価するかのエントリです。民間事故調は、「藪の中」となっている314日夜に東電から全面退避の申し出があったかどうかという問題について、東電側は否定していることを押さえつつもこう指摘しています。

 

「多くの官邸関係者が一致して東電の申し出を全面撤退と受け止めていることに照らしても、東電の主張に十分な根拠があると言い難い」

 

 断言はしていないものの、全面撤退の要請があったと主張する菅直人前首相をはじめ官邸中枢の言い分に軍配を上げているようです。今回、東電は民間事故調の調査に応じなかったのですから、菅氏側の証言に重きが置かれるのはある意味、当然かもしれません。

 

 菅氏はこれに喜んで早速、28日には事務所を通じてこんなコメントを出しました。

 

 「今回の原発事故で最も深刻だったのは、315日未明からの『東電撤退』をめぐる動きだった。公平に評価していただいたことは、大変ありがたいと感じている」

 

 民間事故調の調査報告書は、菅氏の言動をほとんど評価していませんから、この部分だけでもさぞや嬉しかったのでしょう。私も確かに、当時の菅官邸が東電の申し出を全面撤退と「受け止めた」ことは事実だと思います。

 

 私が取材した当時の官邸内部を知る人物も「官邸内ではみんなそう受け止めていた」と証言しました。ただ、この点についても私は、菅氏やその周囲の疑心暗鬼と東電への不信感、それと官邸と東電のパイプの詰まりが生んだ「伝言ゲームによる誤解」ではないかと考えています。

 

 要は、東電としてはもともと必要な人員は残すつもりだったけれど、「テンパっていた」(班目春樹原子力安全委員長)菅氏や海江田万里経産相はそうは受け取らず、あのだめだめな東電が今度は全面撤退を言い出したと誤解したのではないかと。そして、東電側も官邸側から怒鳴られてばかりなのでオロオロして事情をうまく説明できなかったのではないかと。

 

 というのは、当時の事故後の東電は、官邸の顔色をうかがい、かなりの部分、何を言われても唯々諾々と従っていたのに、この全面撤退説に関しては当初から、記者会見や国会で一貫して否定していることが一つ。

 

 また、昨年12月に出た政府の事故調の中間報告でも、現地の吉田昌郎所長は「必要な人員を残して作業員を敷地外へ退避させるべきだ」と東電本店に相談したと述べており、菅氏が15日午前4時ごろに清水正孝社長を官邸に呼んだ際も、清水氏は「そんなことは考えていない」と明確に否定しています。菅氏はこれを信用せず、間をおかず東電に乗り込みます。

 

 政府の事故調の中間報告は、この間の経緯についてこう記しています。

 

 2号機の状況が厳しくなる→東電の清水社長が寺坂信昭保安院長に「事態が厳しくなる場合には退避もありうる」と電話したが、その際に「プラント制御に必要な人員を残す」ことは当然の前提として明言しなかった→寺坂氏が「プラントを放棄して全員撤退したいと申し入れがあった」と官邸に誤解して報告した。

 

 さらに、24日付の東京新聞によれば、事故当初、現地対策副本部長として指揮をとった経産省原子力安全・保安院の黒木慎一審議官も、「14日夜、官邸は東電が現場から全面撤退すると受け止め、騒ぎになったが」との質問にこう答えています。

 

 「現地では、東電からは『必要最低限の人はずっと置く』という話しか聞いていない。全面撤退という話が出ていれば当然、私や副大臣の耳に入るはずだし、東電が言ってくるはずだが、一切聞いていない。(後で)そういう話があったと聞いて非常にびっくりした」

 

 要は、第一義的には明確に方針を説明しなかった東電側が悪いにしろ、菅氏が東電に乗り込んで怒鳴り散らして全面撤退を止めたというストーリーは、どうも疑わしいと私は思います。むしろ、自然な解釈としては、伝言ゲームを通じて誤解が生じ、もともと東電の姿勢を疑っていた菅氏や官邸側が勘違いし、独り相撲をとっていた、ということではないでしょうか。

 

 もちろん、私の見方が間違っている可能性も否定しません。この点についても今後、国会の事故調が解き明かしてくれることを期待します。民間事故調の調査に応じなかった東電が悪いのですが、民間事故調のこの部分に関する解釈は、どうも釈然としないなあと感じた次第でした。

 

 

 さて、前回のエントリの続きです。今回は淡々と福島原発事故独立検証委員会(民間事故調)の調査報告書に記された内容の紹介にとどめようと思います。報告書の第3章「官邸における原子力災害への対応」の冒頭に書かれた「概要」は、菅直人前首相と官邸中枢の行為についてこうまとめています。

 

 《結果的にみて、官邸の現場への介入が本当に原子力災害の拡大防止に役立ったかどうか明らかではなく、むしろ場面によっては無用の混乱と事故がさらに発展するリスクを高めた可能性も否定できない》(P74)

 

 そして、官邸による現場関与の主要事例とその影響については、いくつか例を挙げると次のように事例別に評価を下しています。 (P94~)

 

電源車の手配(11日夜)……官邸では福山副長官がその手配を中心的に担当し、どの道路が閉鎖されているかが分からないので、各方面から40数台の電源車を手配した。しかし、これらの電源車は事故対策にほとんど貢献しなかった

 

 1号機ベント(11日夜から12日早朝)……少なくとも官邸の決定や経産相の命令、首相の要請がベントの早期実現に役立ったと認められる点はなかった

 

 1号機への海水注入(12日夕方)……官邸の議論は結果的に影響を及ぼさなかったが、官邸の中断要請に従っていれば、作業が遅延していた可能性もある危険な状況であった。

 

 3号機への注水変更(13)……官邸で海水よりも淡水を優先する意見が出され、東京電力の部長から吉田所長にその旨が伝えられた。(中略)淡水への変更は、結局ほとんど状況改善につながらず、経路変更で無駄な作業員の被曝を生んだ可能性があり、官邸の指示が作業を遅延させたばかりでなく、原子炉注水操作失敗の危険性を高めた疑いがある。

 

 その上で報告書は、こう結論しています。(P98)

 

 《少なくとも15日の対策統合本部設置までの間は、官邸による現場のアクシデント・マネジメントへの介入が事故対応として有効だった事例は少なく、ほとんどの場合、全く影響を与えていないか、無用な混乱やストレスにより状況を悪化させるリスクを高めていものと考える》

 

 《政府のトップが原子力災害の現場対応に介入することに伴うリスクについては、今回の福島原発事故の重い教訓として共有されるべきである》

 

 当時の官邸内の様子を表すこんなエピソードも紹介されています。(P111~)

 

 《ある官邸中枢スタッフは、原発事故に関して菅首相が「全然俺のところに情報が来ないじゃないか」と苛立ちを表明する度に、関係省庁が大急ぎで説明資料を作成して説明に上がろうとするが、説明を開始してまもなく「事務的な長い説明はもういい」と追い出されるパターンの繰り返しであったと述べている。》

 

 結論として、官邸の初動対応についてはこう書かれています。(P119)

 

 《今回の福島事故直後の官邸の初動対応は、危機の連続であった。制度的な想定を外れた展開の中で、専門知識・経験を欠いた少数の政治家が中心となり、次々と展開する危機に場当たり的な対応を続けた。決して洗練されていたとはいえない、むしろ、稚拙で泥縄的な危機管理であった。》

 

 さらに、最終章「福島第1原発事故の教訓復元力をめざして」は、こうも記しています。(P393)

 

 《官邸主導による過剰なほどの関与と介入は、マイクロマネジメントとの批判を浴びた。菅首相が、個別の事故管理(アクシデントマネジメント)にのめり込み、全体の危機管理(クライシスマネジメント)に十分注意を向けることがおろそかになったことは否めない。》

 

 ……まあ、もうあえて付け加えませんが、これらの事実認定や評価は、産経がこれまで報じてきたこととおおむね一致すると思います。この報告書を読みながら、私も官邸で見聞きしたアレコレを思い出し、「菅氏らによって、本当に日本は危ないところにあったなあ」と今になって冷や汗をかく気分です。

 

 

 今朝の新聞各紙は、民間の有識者でつくる「福島原発事故独立検証委員会」(民間事故調)の調査報告書について報じていますが、その中で朝日新聞の報じ方を見て驚きました。やっぱり、この新聞は異様・特殊な新聞なのだなあと、改めて思い知らされた次第です。

 

 それは、特に当時の菅直人首相と官邸中枢の原発事故対応に関する点についてです。該当部分を各紙の見出し(東京版)から拾うと

 

 産経 「官邸介入で無用の混乱」(1)、「官邸 稚拙で泥縄」「菅氏の『人災』明らか」(3)、「しがらみなく官邸や東電をばっさり」(27)

 

 毎日 「官邸の初動 混乱要因に」「菅前首相が強く自己主張 反論難しく」(1)、「電源車手配、警察に任せず 菅前首相『俺に報告しろ』」(5)

 

 読売 「菅首相介入で混乱拡大」「『バッテリーは縦横何㍍』 携帯で自ら確認」(2)、「菅氏の個性 正負両面に」(4)

 

 日経 「首相『質問にだけ答えろ』」「官房長官『悪魔の連鎖に』」(39)

 

 東京 「対応『場当たり的』」(1)、「菅氏の個性で混乱も」(2)

 

 ……と、各紙とも民間事故調が菅氏や官邸の対応を厳しく指弾していることをきちんと書いているのに、朝日はそれらの問題点について一切、見出しに取っていません。記事本文でも全く触れていません。完全に無視しています。これは異様としか言いようがありません。

 

 朝日はこれまでも連載「プロメテウスの罠」で、菅氏らを信じられないほど持ち上げ、その言動について歯が浮くような美化を続けてきましたが、まさか調査報告書の記事までここまで作為的につくるとは。もちろん、産経には産経の視点なりこだわりなりがあり、朝日もそうであるのは理解できますが、ここまで菅氏の問題点を書こうとしないのは読者に事実を伝えようとしないことであり、購読者への裏切りといえるでしょう。

 

 「プロメテウスの罠」では、菅氏は終始落ち着いて冷静に振る舞ったかのように書いていますが、民間事故調の報告書はパニックに陥っていたことを指摘していますから、都合が悪かったのでしょうか。なにせ「プロメテウスの罠」は、寺田学首相補佐官のサンダルの写真までキャプション付きで掲載する徹底ぶりでしたからねえ。

 

 この民間事故調は、朝日の前主筆の船橋洋一氏が理事長を務める「日本再建イニシアティブ」が主導したものですが、社を離れた人物がどう言おうとどうでもいい、我々は菅氏を擁護するんだという朝日の強い覚悟と決意が伝わってくるようです。

 

 朝日は、例の「言うだけ番長」問題で民主党の前原誠司政調会長が記者会見から産経を排除した際にも、他紙は翌日の朝刊紙面で全紙その事実を載せているのに、1紙だけ何も書きませんでした。ホント、この新聞には不気味な異質さを感じますね。

 

 ……この民間事故調の報告書の内容については、また改めて紹介しようと思います。多くの点で、私を含め産経が報じてきた菅首相の対応の問題点が追認されたと理解しています。国会の事故調で、さらにこの問題が詰められることを期待しています。

 

     

 

 今朝の通勤途上で見た「朝日」はきれいで素敵だったのですが…

 

 

 本日、就任後、沖縄を初訪問した野田佳彦首相は、先の大戦・沖縄戦の沖縄特別根拠地隊司令官、大田実海軍少将(死後に中将)が自決した海軍司令部壕跡を訪れました。大田氏が自決1週間前の昭和20年6月6日、ここから「沖縄県民かく戦えり。県民に対し後世特別の御高配を賜らんことを」と海軍次官宛に電文を送ったことを重視してのことです。

 

 私はこの壕跡訪問を評価します。ただ、このことの意味は軽くありません。これは、野田首相が自ら沖縄に対し、その功に報いて特別の配慮をすると約束したことになるからです。私は、何の腹案もないまま「最低でも県外」と口走ったリハビリ中の鳩山由紀夫元首相や、副総理時代に安易に「沖縄は独立した方がいい」と放言した菅直人前首相と同様に、野田氏も沖縄に対して本当は関心を抱いていないのではないか、米軍普天間飛行場移設問題も実はとうに諦めているのではないかと疑っていました。

 

 しかし、大田中将の名前を口に出した以上、いかなる形であっても、沖縄問題にもっと真剣に、徹底的に取り組む責務が生じたと思います。沖縄県民の奮闘をねぎらい、その労と犠牲に報いることを願って自決した大田中将を持ち出した以上、逃げてはいけません。

 

 実は、今回の海軍司令部壕跡訪問は野田首相自身の発想ではなく、ある人からの助言、強い勧めによるものであることは事前に聞いていました。でも、それに頷いて行った以上は、それ相応の覚悟を示してほしいと思います。

 

 大田中将の言葉を重視した首相と言えば、故小渕恵三元首相がすぐに浮かびます。小渕氏のエピソードに関しては、私は200856日付の産経のサミット特集紙面にこんな記事を書いているので参考までに掲載します。

 

 沖縄開催 首相動かした「言葉」

 日本でのサミット開催地は平成5年までの3回とも東京だった。首都以外にすると、各国首脳の移動や警備などで大きな労力が必要となるためだ。5年の開催地は当時の外相、渡辺美智雄がオープン間もない千葉・幕張を検討したが、官僚が「労力が倍以上になる。絶対につぶす」(外務省幹部)と抵抗し、東京に落ち着いた経緯もある。

 これに風穴を開けたのが、11年4月に九州・沖縄でのサミット開催を決断した当時の首相、小渕恵三だった。開催地に立候補していたのは北海道、千葉県、横浜市、大阪府、広島市、福岡市、宮崎県、沖縄県の8自治体。実は沖縄県は、外務省や警察庁が宿泊、交通、警備の問題などを検討した結果、最も低い評価だった。沖縄に米軍基地が存在することも、各国首脳が集う場所としてふさわしくないとの見方もあった。

 これらマイナス材料をはねのけ、小渕が沖縄開催にかけたのはなぜか。小渕は早大の学生時代に沖縄返還運動に携わったり、米施政権下の沖縄に渡航し、地元経済界の重鎮で沖縄サミット開催時の知事、稲嶺恵一の父である一郎氏の知遇を得たりと、沖縄には深い縁がある。初入閣も昭和54年の総理府総務長官兼沖縄開発庁長官としてだった。

 それ以上に、小渕には先の大戦で米軍との過酷な地上戦の現場となり、戦後も長く米国の施政権下にあった沖縄に報いたいという熱い思いがあった。

 「小渕が最後まで考えていたのは、大田中将のあの言葉だった。小渕はこれを重くとらえていて、沖縄への恩返しという意味もあった」

 こう証言するのは、小渕と長年にわたり共に歩み、小渕の首相時代に政務秘書官を務めた古川俊隆だ。大田中将の言葉とは、沖縄特別根拠地隊司令官だった大田実少将(死後に中将)が自決の1週間前の昭和20年6月6日、海軍次官あてに送った次の電文だ。

 沖縄県民斯(か)ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ

 この言葉を胸に刻み、小渕は昭和天皇の誕生日である平成11年4月29日、諸条件で他の候補地に劣る沖縄をあえてサミット開催地に決定した。サミット開催による経済効果とともに、沖縄が世界の注目を集めることを考慮しての決断だった。

 決定直後、古川が沖縄県内の小渕後援会幹部らに電話で連絡すると、「相手は一様に『本当ですか』『まさか』と、喜ぶより先に驚いていた」という。

 小渕は同年9月、アジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議のため訪問したニュージーランドで、同国に在住する大田中将の四女、昭子さんに会い、「大変苦労された沖縄県民の方々のためにも来年、沖縄でサミットをやると決めたことは間違いではなかった」と語りかけた。

 さらに「気配り」で知られる小渕は、沖縄での開催を米クリントン政権がどう受け止めるかを気にかけ、当時の海老原紳秘書官(現駐英大使)を中心に、極秘裏に米側の意向を探るとともに、複数のルートから周到な根回しを行い、沖縄サミット実現にこぎ着けた。

 だが、小渕自身は12年4月2日、脳梗塞(こうそく)で倒れ、5月14日に死去し、沖縄サミットを自らの手で主催することはできなかった。代わってサミット議長を務めた後任首相の森喜朗は、サミット後の所信表明演説でこう語った。

 「小渕前総理が万感の思いを込めて開催を決定された九州・沖縄サミットで、(中略)沖縄から明るく力強い平和へのメッセージを発出し、21世紀の扉を大きく開けることができた」

 

 ……小渕首相によるサミット開催地の沖縄決定については、当時、政治部の駆け出し記者だった私自身にも苦い思い出があります。小渕氏が沖縄決定を限られた閣僚らに伝えたころ、私は夜回り取材でその閣僚の一人の自宅に行き、開催地はどこかをただしたことがあります。

 

 相手は玄関に出てきて、苦笑いしながら「絶対にあんたたちの予想が当たらないところだよ」と言いました。そのときは、「そう言われてもなあ」とそれ以上詰められなかったのですが、いざ沖縄が発表されてみると、あの言葉はかなり大きなヒントだったと気づきました。それほど、沖縄の候補地立候補県の中での評価は警備上の問題や宿泊施設その他の問題で低かったのです。

 

 小渕氏はコンセンサス重視型の政治家の代表例として知られていますが、ここはというときは、自分の信念を押し通し譲りませんでした。もとより、小渕氏には小渕氏の利害や計算もあったでしょうが、それはとりあえずおいておきます。

 

 また、当時は橋本政権、小渕政権と首相も閣僚も沖縄に対する思い入れが強い人が多かったのも事実です。私自身もこのころ、何度も沖縄に出張する機会があり、普天間移設反対派の名護市議を訪ねたところ、取材というよりも2時間半にも及ぶ本音のやりとりになったことがあります。

 

 私が、「いろいろと足らざる点や不満はあろうが、現在の小渕政権で勧めないと次以降、これだけ沖縄を重視し、関心を持つ政権はなかなか現れないと思う。ここで取れる成果を取ったらどうか」という趣旨のことを縷々述べたのに対し、本土で暮らしたこともある相手は「それは分かっているが、沖縄の県民感情としてどうしても受け入れられないものはある」と反論し、議論は平行線をたどりました。ただ、印象としては議論のたたき台、共通土台はあると感じました。

 

 ごく当たり前のことですが、反対を唱える人にもそれぞれさまざま事情もあるし、反対といっても100%そうかというと必ずしもそうではありません。感情のもつれも利害関係もあれば、引き際を計算する部分もあります。そういう機微な問題を、ガラス細工を積み上げるようにして何とかことの成就寸前まで持っていった先人の努力を、知識も根拠も見識もない「最低でも県外」でぶちこわした人の罪はいかばかりか。

 

 その後継者たる野田首相には、まずは鳩山、菅両元首相の対応への批判と総括を行ってほしいものですが、まあ無理でしょうね。それができたら少しは見直すのですが。

 

 

  さて、永田町では年始に吹き荒れていた解散風が、あまりの野田政権の不人気と大阪維新の会期待論の高まりで、かえって少々沈静化してきた感がありますね。もちろん、これから予算案や消費税増税をめぐって政局は大きく揺れ動くことでしょうし、水面下では政界再編を前提としたさまざまな動きも始まっていますが、とりあえず国会は盛り上がらず、なんだかなあの日々です。

 

 というわけで、本日は2カ月ぶりに読書エントリとします。私は相変わらずエンターテインメントを中心に乱読しているので、2カ月もさぼっていると、紹介する本がたまってしまいます。

 

 さて、まずは笹本稜平氏の刑事もの「所轄魂」(徳間書店、☆☆☆★)からです。所轄署に置かれた捜査本部に本庁捜査一課から派遣された理事官は、所轄署の強行犯係長の実の息子(キャリア)という設定は面白いし、事件の展開も実に興味深いのですが…。

 

     

 

  笹本氏の作品は「越境捜査」シリーズもそうなのですが、登場人物同士の会話が少し鼻につくというか、これがいいという人もいるでしょうが、私にはちょっとくどく感じます。まあ、好みの問題なのでしょうが。

 

 で、次の大沢在昌氏の「新宿鮫短編集 鮫島の顔」(光文社、☆☆☆)はシリーズ初の短編集とあって、さらっと読めて楽しめます。特に、その一つに、あの「こち亀」の両さんがゲスト出演しているのが嬉しいですね。

 

     

 

  《「俺、本気になるとけっこう強いけど、どうする」

 男たちは顔を見合わせた。両津が一歩でると、ざざっと後退る。》…原作を思い浮かべながら、こんな描写を読むと、何だか顔がにやけてしまいますね。

 

 そして、前回の読書エントリで紹介した堂場瞬一氏の「アナザーフェイス」第一作に早速はまって、第二作「敗者の嘘」(文春文庫、☆☆☆★)と第三作「第四の壁」(同、☆☆☆)を読みました。本人はそうと意識していないイケ面刑事が不思議な人間的魅力で事件を解決へと導く過程がいいですね。

 

     

 

  堂場ワールドはいったんひたるとなかなか抜け出せず、「警視庁追跡捜査係」シリーズにも手を出し、第一作「交錯」、第二作「策謀」、第三作「謀略」と一気に読んでしまいました。いずれもハルキ文庫(☆☆☆)です。

 

     

 

  足で稼ぐ行動派の刑事と頭脳能動を尊ぶ書斎派の刑事が、いがみ合いながらも認め合い、いやいやながらペアを組んで事件を解決する。堂場氏は本当にキャラ設定が上手いというか面白いというか。素直な人物がほとんど出てこず、みんな一癖ふた癖あるのも特徴ですね。

 

 で、警察つながりで初めて濱嘉之氏の作品にも手を出し、「鬼手 世田谷駐在刑事・小林健」(講談社文庫、☆☆★)も読んでみました。この人は実際に警視庁で活躍した元公安刑事だけあって、警察内部の描写は実に生々しいのですが、登場人物の描写が割と平坦で、いまひとつキャラに感情移入できないのが残念です。

 

     

 

  ここらで警察ものから離れて他の分野に移ります。山本甲士氏の「海獣ダンス」(小学館文庫、☆☆☆)には、以前紹介した氏の「再会キャッチボール」の主人公、フリーライターの白銀が登場し、重要な役割を果たします。

 

     

 

  田舎町の海岸で目撃された謎の水棲生物を町おこしにつなげようと目論む町長、町職員、そして待ち受ける落とし穴…。世の中、いいことばかりではないし、目も当てられない失敗もあるけれど、それでも何とかなるものだと。

 

 次も山本氏の「巡る女」(中公文庫、☆☆☆)です。ある平凡な女性が12年前のあの日、別の選択をしていたらその後の人生はどうなったか…というストーリー。「あのときああしていたら」というのは、誰しも思うことなのでしょうね。

 

     

 

  熊谷達也氏の「ゆうとりあ」(文春文庫、☆☆☆)は、そこそこ恵まれて会社人生をまっとうした後、妻とともに田舎の理想郷(と思われた)「ゆうとりあ」に移住した主人公が直面するさまざまな問題、出来事を通じ、自然と人間の関わり方や地方のあり方について考えさせられます。

 

     

 

  想定外だったのに、続々と出没するイノシシ、熊、猿とどう付き合うのか。このへんは熊谷氏の最も得意とする分野なのでしょうね。けっこう重いテーマでもありますが、文体は割とコミカルタッチとなっています。

 

 以前のエントリで鳩山由紀夫元首相を「あれ」と書いている部分について少し触れた白石一文氏の「幻影の星」(文藝春秋、☆☆☆☆)には、この地球が生というよりも、死に満ちた世界であることに改めて気づかされました。

 

     

 

  この作品の中に、1966年生まれの作家、梅枝母智夫という「ふざけた名前」(太宰府名物の梅ヶ枝餅をもじっている)の架空の作家が出てくるのですが、その作家はとことん「死」と向き合っています。だから暗くなるのでも絶望するのでも何でもなく、東日本大震災後の日本、いや世界を思うときに、こうした視点も必要だなと感じた次第です。

 

 同じ白石氏の「翼」(光文社、☆☆☆★)も「死」をテーマにしていて、やはりいろいろなことを考えさせられます。決して後味のいい作品とは言えませんが、人が「本当に死ぬ」とはどういうことなのか、生きるとはどういうことなのか作者のメッセージが伝わってきます。ただ、私は半端で偏った人生を歩んできたせいか、ここで描かれているような運命的な「男女」の関係がどうも実感として理解できません。

 

     

 

  ちょっと対照的(でもないか)なのが、原宏一氏の「ファイヤーボール」(PHP研究所、☆☆☆★)でした。上司の失脚をきっかけに自身もリストラの憂き目に遭い、それまでの猛烈社員人生が一変した主人公が、新たに見つけた生き甲斐とは。

 

     

 

  テーマはずばり「熱くなれるもの」。白石氏の「翼」の登場人物の一人は《僕は最近、仕事というのはいずれ行き詰まるものなんだと思っている。例外なくね。(中略)単なる思いつきで選択した仕事がそのうち行き止まりにぶつかるのは、ある種、当たり前の現象なんじゃないかな。よほどの召命感でもなければ、一つの仕事を何十年もやり通すなんてきっと無理なんだよ。》と語りますが、「ファイヤーボール」の主人公は仕事を手放さざるをえなくなって、何を見つけたのか。

 

 まあ、人生の楽しみというなら、やはり時代小説は外せません。佐藤雅美氏の「半次捕物控」シリーズの新刊「一石二鳥の敵討ち」(講談社、☆☆☆★)はさすがの安定感で楽しめました。今回、大藩、池田30万石が、江戸の世論に追い詰められていく場面はとても興味深いです。ただ、シリーズ第何作かが、どこにも書いていないのが本の装丁としていかがなものかと。

 

     

 

 上田秀人氏の「奥右筆秘帳」シリーズ第九作「召抱」(講談社文庫、☆☆☆)では、とうとう将軍、徳川治済が松平定信を見離しました。やっぱり、読ませるなあ。

 

     

 

 山本一力氏の「晋平の矢立」(徳間文庫、☆☆★)は、よくも悪くも山本節全開です。家屋を壊す商売、という舞台は興味深いものがありました。

 

     

 

 さて、今週は忙しくなりそうです。いよいよ花粉も本格化しそうだし、鼻づまりに苦しみながらもとりあえず仕事を頑張ろうと思います。まあ、ある意味、仕事に行き詰まるといえば、もうとっくに行き詰まっているわけだし、何を今更だからなあ。

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