2012年02月

 

 ここ数日、産経新聞は連載企画「ザ・リーダー」の第二部で時の人、橋下徹大阪市長を取り上げています。第一部に続いて私がアンカーを務めているのですが、橋下氏の言動に関してはつい最近まで、東京版の紙面には載っていないことが多く、なかなか記事の「背骨」、基調トーンが定まらず苦労しました。

 

まあ、橋下氏自身も目を通してくれているようですし、あとは読者の反応にお任せするしかありませんが、少しは面白いであるとか興味深いであるとか感じていただければ幸いです。いずれにしろ、これからがいろんな意味で楽しみな人物であります。

 

さて、ここからが本題です。上の話は単なる前ふりです。

 

ここで脈絡もなく唐突に、訪問者の皆さんに試験を行いたいと思います。次の文は、今月行われたある記者会見でのやりとりです。この人物が「人生最高の〝モテ期〟を謳歌」(夕刊フジの表現)していることがうかがえますが、空欄「A」と「B」はにあてはまる言葉は何でしょうか。文を読んで次の問いに答えてください。

 

記者 先日はバレンタインデーだったが何個もらいましたか、Aになって増えましたか

 

B』氏 毎年数えていないので増えたのか減ったのかちょっと分らないけれども、今年いくつもらったかと、義理チョコを含めてでしょう30幾つかだと思っています。これは去年よりちょっと増えたのかな。良く分かりませんけども。去年きちっと数を数えておけばよかったけど、はい。

 

 

 

 

【1】       Aにあてはまるものを次から選べ

   モテ期

   成虫

   教師

   執行委員長

   幹事長

 

【2】       Bは誰か。一人選べ(敬称略)

   森山未來

   ビビビのねずみ男

   貧乏神

   小泉進次郎

   輿石東

 

 

 

 

 ……ちなみに、私は家族からのものも含めて今年はゼロでしたし、本当はここ十数年はずっとゼロだったような(遠い目)。書いていて空しいのでここらでやめます。それにしても、あんなのでも30幾つねえ。甘いものは苦手なのでうらやましくなんかないことをあえて明言しておきますが、やっぱり世の中、カネ、肩書き、権力なのでしょうか……。

 

 このところ、つくづく年を取ったと感じることが多く、来し方行く末を思うことが増えました。まあ、月並みで平凡でささやかな小市民の幸福を追求して生きていこうと。(答えは記さなくても分かりますよね。)

 

 

 名古屋市の河村たかし市長が、中国・南京市からの訪問団に「南京事件はなかったのではないか」と発言したことが話題になっていますね。中国外務省の報道官は慌てて「南京大虐殺は動かぬ事件だ」と反論していますが、これは河村氏の以前からの持論です。それは現地で堂々と述べたことは評価したいですね。

 

 実は私も以前、民主党衆院議員時代の河村氏にこの問題について話を聞く機会があり、2006718日のエントリ「河村たかし氏と南京事件」(http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/15529/)に書いていますので、関心のある人はご参照ください。河村氏の発言の背景にちょっと触れています。

 

 南京事件といえば先日、中国と交渉したある外交関係者と話した際にも話題になりました。彼は、南京の南京大虐殺記念館について、日本兵による中国兵「百人斬り」など、事実でないことが明らかである5点の展示物の取り下げを求めたのだそうです。

 

 当時は安倍内閣で、中国側が日本に対してけっこう軟化していたので、このうち数点は要求通り展示を中止したそうですが、中国側は「百人斬り」の写真パネルに関してはサイズを小さくして展示場所を目立たない場所に変えただけで展示そのものは続けたとのことです。

 

 そこで彼が「ひどいじゃないか。日本刀で百人斬りなどありえない」と再度抗議したところ、中国側は「これは教科書にも載っている話なので取り下げにれない」と弁明したそうでした。日本でも、教科書の左翼偏向記述について識者が抗議すると、文科省は「だって一部の辞書にも載ってるもん」と言い訳しますが、なんだか似たような話だなあと感じました。

 

 結論は、やっぱり教科書と初等中等教育は大切だということです。ここは何より重視しないといけないポイントだと改めて感じました。で、話は飛ぶのですが、ときどき覗いている「Birth of Blues」というブログに、次のような替え歌が載っていて戦慄を覚えると同時に、ぴったりだと大うけしました。

 

 ふるさとの街焼かれ
  身よりの骨埋めし焼土(やけつち)に
  今は白い花咲く
  ああ許すまじ菅直人
  三度(みたび)許すまじ菅直人
  われらの街に

  ふるさとの海荒れて
  黒き雨喜びの日はなく
  今は舟に人もなし
  ああ許すまじ菅直人
  三度許すまじ菅直人
  われらの海に

  ふるさとの空重く
  黒き雲今日も大地おおい
  今は空に陽もささず
  ああ許すまじ菅直人
  三度許すまじ菅直人
  われらの空に

  はらからの絶え間なき
  労働に築きあぐ富と幸
  今はすべてついえ去らん
  ああ許すまじ菅直人
  三度許すまじ菅直人
  世界の上に

 

 これ、福岡県出身の同僚記者に聞くと、「小学生のころさんざん歌わされましたよ」とすぐ口ずさんでくれましたし、私も「平和教育」の時間に繰り返し練習させられましたが、関東出身の記者は知らないようでした。広島県出身の同僚も「知りません」というし。福岡(九州)ローカルの曲なのでしょうか?みなさん、ご存知ですか。

 

 ちなみに、小学生だった私は、上の歌詞の「菅直人」の部分を「米国を」と独りで勝手に変えて歌っていました。やはり教育の影響は大きいですね、というお話でした。

 

 

 昨日、取材先で野田佳彦首相が座長を務めて約3年前の平成213月にまとめた「私たちはどのような国をめざすのか 日本の歴史から未来を展望する」という204ページの本をいただきました。「松下政経塾特別限定版」とありますから、あまり発行部数は多くないのだろうと思います。

 

 この本の第一章「日本人の歴史観を正す」は、まさに野田氏が中心となって書いたものだと聞きますが、これが実に真っ当な内容なのです。これを読むと、野田氏は初心を見失ったのか、あるいは豹変する機会を待って爪を研いでいるのか、それともいい加減にテキトーに保守ぶったのか分からなくなります。

 

 例えば、「なぜ東京裁判に注目するのか」の項には、こんなことが記されています。

 

 《東京裁判の実相を知らないまま東京裁判史観にとらわれているとすれば、これほど愚かなことはありません。また、歴史認識はまさに現代の問題そのものなのです。それは我が国においてはむしろ今日最大の問題だともいえます》

 

 《中韓両国はしばしば、内政の失敗に国民の不満が溜まると歴史問題を持ち出して国民の目を日本に向けさせようとします。いわゆる歴史カードを使って日本の外交・内政にわたり圧力をかける政治手法です》

 

 《東京裁判に言及したサンフランシスコ講話条約第11条と、それに基づいて行われた衆参合わせ4回に及ぶ国会決議、さらに関係諸国の対応により、A級、BC級すべての戦犯の名誉は法的に回復されているのです。A級戦犯と呼ばれた人たちは戦争犯罪人ではないのだから、戦争犯罪人が合祀されていることを理由に首相の靖国参拝に反対する論理はすでに破綻している》

 

 《東京裁判の判決から60年も経った今日、依然としてA級戦犯を戦争犯罪人として断罪し続けるのには大きな疑問が残るのです》

 

 《(平和に対する罪の柱となっている)この共同謀議がさらに噴飯ものなのは、一度も会ったことのない者同士でも罪に問えるという点です。面識のない者同士が悪事をたくらむはずがないというのは日本人の(日本人以外でもほとんどの人間にとっては)常識に属することです》

 

 《東京裁判の多数判決は「侵略戦争を遂行する共同謀議は、すでに最高度において犯罪的なもの」だったと結論しました。この歴史観は侵略政策の一貫性を示す一種の陰謀史観となりました。被告を一網打尽にできるということで共同謀議を導入したのだから陰謀史観になるのが当然といえば当然だったのでした。したがって、この多数判決の事実認定は事実というより壮大なフィクションという様相を呈しています》

 

 ……まったく異論はありません。野田氏は、それが分かっているなら中韓に対してももう少しまともに振る舞えないものかと、とても残念に思います。まあ、仮にこれが野田氏の本心だとしても、民主党の首相である以上はこんなものかもしれませんが。

 

 また、この章では「米国上院委員会でのマッカーサー証言」との項も設けてあり、マッカーサーが19515月に行った次のような有名な証言も紹介されています。

 

 《もしこれらの原料の供給を絶ち切られたら、一千万から一千二百万の失業者が発生するであろうことを彼ら(日本)は恐れていました。したがって彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです》

 

 さらに、同章のコラム「BC級戦犯の無実を描いたミュージカル『南十字星』」では、BC級戦犯についてもこう述べています。

 

 《実際、濡れ衣を着せられて処刑されたBC級戦犯がたくさんいたのです。BC級戦犯の法廷は真実を明らかにする場ではなく連合国の報復感情を満たす場でしかありませんでした》

 

 ……この章では最後に、日本がサンフランシスコ講和条約で東京裁判の「裁判(the judgements)を受諾」とするおかしな外務省訳にも異を唱えています。これは私も何度か産経紙面などで書いてきましたが、政府はこの訳をもとに日本が東京裁判全体やその精神までもを受諾し、受け入れたかのような論理をときに展開します。

 

 ですが、講話条約の正本であるフランス語の条文をみてもスペイン語の条文をみても「判決」となっており、どう考えてもこちらの方が意味が通るのです。野田氏らはこの本でこう指摘しいます。

 

 《なお、the judgementsを「裁判」と訳した外務省の意図は今日でも依然として明確になっていません。国会で問い質されても政府からは「judgementに裁判の語を当てることに何ら問題はない」といった根拠不明の答弁が返ってくるだけです。The judgementsを「判決」と訳しても何ら問題はないのに、なぜ政府は本来の訳を採用しないのでしょうか》

 

 ……いま、野田氏は行政府の長なわけですから、この積年の疑問を自ら晴らし、すっきりさせてはどうかと思います。そして、もし過去に主張してきたことに信念があるというのなら、その信念を堂々と訴え、党所属議員の多くがそれに反対するのであれば、民主党をぶっ壊して政界再編に向かってほしいと、あまり期待せずに見守っています。

 

 

 鳩山由紀夫元首相は昨夜、東京・渋谷で講演し、菅直人前首相についてあれこれ批判していました。どちらも五十歩百歩、というより目くそ鼻くその類だと思いますが、わが国の最高指導者経験者が何を思い、過去についてどう証言しているかを記録に残すことは意味があると考えるので、ここに掲載しておきます。

 

 まあ、ルーピーのペテン師に関する発言など読むだけで目が汚れ、頭がどうにかなるという方は避けてください。

 

【マニフェストはだれがボロボロに】

私が(一昨年6月に)辞めたので、本当はこのマニフェストも頭(表紙)を菅さんに変えて、このままやってもらいたいと思ったが、菅さんは少なくとも鳩山の方向は踏襲せずということで全部切られてしまって、寂しい思いをしたが、ここでグチをいってもしょうがない。

 

 天下り根絶、(ガソリン)暫定税率廃止……。マニフェストを国民に訴えて支持を得た以上、どこまでできてできなかったかを国民にきちんと知らせる必要がある。実施したのは2割、一部実施が3割、着手済みが3割。できていないのが1割5分ぐらい。1年目はこれ。2、3年目でかなりいったと次の選挙で示して、理解と言うよりもどうなっているかを正直に告白することが必要だ。

 

そうでないと、新聞にはマニフェストはぼろぼろだと書かれ、演説で、だれがボロボロにしたかいわなければいけない恥ずかしい状況だが、正直に言わない限り、次の選挙で言っても、どうせ何もできなかったではないかといわれたら、マニフェストどころではない。マニフェストの現状に必ずしも満足していない。

 

【選挙に負けて責任とらない】

私が辞任して菅君(ママ)が、菅直人さんが総理になり、当時(支持率が)V字回復といわれたが、私が辞めて回復というのは必ずしもうれしい話ではないが、V字回復を民主、内閣はして、これならばいけるという矢先に消費税、大変国民の関心のある議論を出して、結果として参院選に惨敗し、結果として参院の過半数を失う状況になり、民主党の訴える政策がなかなか通らない状況になってしまったのは返す返すも残念だ。

 

何のために辞めて……参院選に勝つつもりでいたわけだが、そうならなかったのは大変つらいことだ。大事なことは、こういう状況を作ってしまい、本来政治家はきちんと選挙に負けたら責任をとると言うことをこれからも続けていく必要がある。大事なことは政策の意思決定をして、官僚が関与しても責任は政治家がとる癖を付けなければ、官僚は政治家を信用しなくなる。どんなことでもトップ、政務三役が責任をきちんととることができる政治家を心がけていかなければならない。

 

【私の後は官僚任せ】

 その後の政治が国民に必ずしも理解を得ていないのはご案内の通りだ。原因は私自身が作っただけに申しわけないが、私の後を継いだ方々が、鳩山が官僚任せから政治主導に変えようとしてうまくいかなかったから官僚任せに動かそうとしているとすると、大変まずい。米国にモノを申そうとした、東アジア共同体構想を打ち出し、米国との安保はこれからも大事だが、日本はさまざまな過去を持ち、アジアの人を傷つけたこともある。そう言うアジアと心の信頼を築き中国や韓国などと心の信頼関係を結ぶことができて初めてアジアの中で日本の信頼が得られるのではないか。今でもそう思う。

 

 東アジア共同体の発想、普天間移設の議論で、鳩山は米国に対して何かものを言おうとしてうまくいかなかったから辞任したと。ならば官僚任せに戻そう、米のいうことは聞いていこうという方向に少しずつ舵がきられているのではないか。例えば事務次官会議の状況など。総理の口から東アジア共同体が発せられなくなり、TPPに大きくかじがきられようとしているのは大きな表れではないか。私の轍を踏むなと言うことで、政権を維持したいのは分かるが、政策が良い方向に進めばいいが、いつか来た道にまたぞろ戻ってきているのではないか。そこは非常に心配だ。

 

【普天間問題を消費税増税で打ち消そうとした】

 その一つの現象が消費税の議論ではないか。実は消費税の議論も、菅さんが副総理だったとき、しばしば2人で議論した。菅さんは

 

「鳩山さん、いいことがある。何か一つのことでつまづいたときには、厳しい苦境に陥ったときには、もっと大きなテーマを掲げることで前の苦しみから解放されるよ。だから普天間移設問題であなたはいま苦しんでいるが、普天間の苦しみを解放させるためには消費税と言ったほうがいいよ」

 

と盛んに副総理の時に私に言っていた。私は「それは自分の信念としてできない」と。消費税を上げるのはまだ先の話だ。消費税は将来は必要だと思っているが。

 

 いまここで消費税といえば普天間が吹っ飛ぶよという議論は、あまりにも危ない話で、それをやったらおしまいだろうと思って私はやらなかったが、総理になった途端に菅総理が消費税と発言した。確かに消費税と発言したおかげで、しばらく普天間の話はほとんど新聞紙上から消えたが、それ以上に消費税の問題が大きくクローズアップされ、結果として民主党は選挙に負けたと私は理解している。

 

やりそうだなと思ったら、本当に言われたので……。(菅さんに)「言うなよ」と言いたかったのだが、総理を辞めた人間があまり大きなことをいうべきではないと思って黙っていたが、予想通りの話になってしまった。()

 

 ……菅氏の就任直後の唐突な消費税10%上げ発言は、国民の目を普天間問題からそろそうとする目くらましだった、という話ですね。まあ、全部が全部そうだというわけではないでしょうが、いかにも菅氏らしい薄っぺらなエピソードであり、そんなところかもしれないなという気がします。

 

 先日、北海道に行った際に地元の地方議員の方々と話す機会があったのですが、この鳩山氏の選挙区(北海道9)はまだ、自民党の候補者が決まっていないそうですね。実にもったいないことです。次期衆院選は、地元有権者が正しい民意と良識を全国民に見せつける絶好の機会だと思うのですが、それが生かせないとなれば非常に残念です。

 

 文藝春秋3月号に載っていた選挙予測によると、東京18区で菅氏は苦戦しているようです。これもまだとうなるか分からないでしょうが、仮に前首相と前々首相がともに落選するようなことになれば、非常に象徴的ですね。ここ23年の日本の悲劇を二度と繰り返したくはないと「ノーモア・ハトヤマ」「ノーモア・カン」の声は巷にあふれていますが、選挙での投票行動を通じてそれが実際に示されれば素晴らしいことだと思います。

 

 いずれにしろ、次期衆院選後はどの政党も単独過半数はとれずに新党が乱立する可能性が高いと思います。その中で、石原慎太郎都知事がつくるかもしれない新党に、あの山崎拓元自民党副総裁が色目を使っているという情報があります。自民党からはもう公認されないけれど、まだ枯れていないということでしょうが、もういい加減にしてほしいですね、まったく。

 

 

     

 

 昨日はちょっと所用があって東京を離れて仕事をしてきたのですが、空き時間があったのでついでにこのような催事を見学してきました。素通りがつらい。

 

     

 

 憧れの松尾のジンギスカン(冷凍食品はよく購入して自宅で食べています)を目の前にして、ただ通り過ぎるむなしさよ。氷点下7度の冷気が余計に身に凍みます。

 

     

 

 そんなしばれる日でも、子供たちは元気に遊んでいました。ちなみに、多くのメディアや民主党は「子ども」と表記しますが、産経は「子供」としています。「ども」と平仮名にすると、「野郎ども」だとか「者ども」だとか、あまり上品でないニュアンスが入るからです。

 

     

 

 私は全然知りませんでしたが、当地では有名らしいキャラが「かわいい」とはやされるのを眺め、

 

     

 

 森喜朗元首相の同行取材で昔、訪れた鳩の糞だらけだった有名な建築物(それでも素晴らしかった)を思い出し、

 

     

 

 国際関係を思うとなんだか複雑な心境にさせられる氷の芸術作品にしばしうなり、

 

     

 

 アザラシやらいるかやらの動物の表情までがよくできていることにひたすら感心し、

 

     

 

 会場に流れるボーカロイドの歌声に、こういうのもけっこういいなあといい年をして思わず聞き入り、

 

     

 

 

 当地らしいこんなブースを見つけ、早速署名してきました。私の前の署名は千葉県佐倉市の方で、やはり全国からこの催事に人が訪れているのだと実感しました。

     

 

 ささやかではあるかもしれませんが、ロシアにはシベリア抑留問題も含めていろんな角度からプレッシャーをかける必要があるし、こういう歴史や領土のからむ問題では、周辺諸国の意固地なまでの執拗さを日本も見習うべきだと考えました。

 

 とてもいい催し物でしたが、パソコンやらなにやら入った肩掛け鞄に手提げ袋を持って、広い凍結した会場を滑らないように気をつけながら1時間も歩くと腰が痛くなってきました。何とか鍛え直さないとどうしようもありません……。

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