2012年03月

 

 今朝の産経新聞は、連合国軍総司令部(GHQ)最高司令官だったマッカーサーが、日本が対米戦争に踏み切った理由について米議会で「主に自衛(安全保障)のためだった」と述べたことが、東京都立高校の地理歴史教材(平成24年度版)に新たに掲載されることを報じています。

 

 見出し(東京版)は《「日本は自衛戦争」マッカーサー証言 都立高校教材に掲載 贖罪史観に一石》というもので、こうした歴史的事実が教材に採用されることには、「日本社会は少しは『閉された言語空間』から脱し、正常化しつつあるのかな」と感慨を覚えます。ものごとを多角的に見る機会が与えられるのはいいことですね。

 

 また、私自身が最近の13日のエントリ「しばしばマッカーサーと出会うきょうこの頃について」(http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/2624524/)でこのマッカーサー証言を取り上げたばかりだったので、やはり世の中の事象はいろいろと連動、連関しているものなのだろうとも感じました。

 

 今回はせっかくなので、このマッカーサー証言の原文の関連部分を紹介します。出典は「東京裁判 日本の弁明」(小堀桂一郎編、講談社学術文庫)です。マッカーサーは「日本は絹産業以外には、固有の産物はほとんど何もないのです。彼らは綿がない、羊毛がない、石油の産出がない、錫がない、ゴムがない。その他実に多くの原材料が欠如している。そしてそれら一切のものがアジアの海域には存在していたのです」と述べた上で、こう指摘しています。

 

 《They feared that if those supplies were cut off, there would be 10 to 12 million people unoccupied in Japan. Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security.

 

 東京都の教材は、この部分を英文のまま掲載し、「この戦争を日本が安全上の必要に迫られて起こしたととらえる意見もある」と記しているそうです。さあ、この程度であっても、守旧派・因習堅持派である左派・リベラル勢力は「危険だ」だとか「歴史の美化だ」とかいって騒ぐのでしょうか。見物ですね。

 

 ちなみに、この「日本の弁明」には、「本次戦争に就ていへば真珠湾の前夜国務省が日本政府に送った様な覚書を受け取ればモナコやルクセンブルクでも米国に対し武器を取つて立つたであらう」という現代史家、AJ・ノックの言葉をインドのパール判事が引用したことも紹介されています。

 

 また、日本側弁護人のローガン弁護士が東京裁判で「日本が世界の諸列強により経済的且つ領土的に漸次包囲せられ、日本の存続が危機に直面したことを地図及び図表によって立証致します。即ち日本は純然たる必要に迫られてをりました」と主張したことなども掲載されています。

 

 ……まあ、国際社会は今も昔も道徳的価値で動くわけでも正義が勝つわけでもないので、あまり「どこどこが悪い!」といっても意味がない部分はありますが、現在のほとんどの教科書が「みんな日本が悪い」史観に染まっている中で、それに一石を投じる東京都の取り組みは評価できますね。

 

 それと同時に、わが国自身がやはり「強く」あらねば、「強く」あることを目指さなければ、今後も諸外国のエゴからさまざまな干渉や嫌がらせを受け続けるのだろうなとも改めて思います。力の裏付けや独自の武器(軍事的なものに限らず)がないのに、ただ「こっちが正しい」と主張したって、相手にされるはずがありませんからね。

 

 

 昨日は参院予算委委員会で、自民党の山谷えり子氏が韓国による「国際慰安婦宣伝活動」について質問していました。私は野田佳彦首相について、そう評価するつもりはありませんが、答弁を聞いて、「2人の前任者でなくてよかったなあ」とは感じました。鳩山由紀夫、菅直人両元首相であれば、答弁はもっと韓国側の主張に押されてぐずぐずになっていたろうと率直に思います。

 

 そして、それと同時に、やはり何の根拠もなく、裏付けもとらずに元慰安婦女性からの聞き取り調査だけで慰安婦募集時の「強制性」を認めた河野洋平官房長官の罪深さに改めて悲しくなりました。

 

玄葉光一郎外相はこの日の答弁で、この河野談話を根拠に「証拠は出ていないけれどただ否定できない」と述べましたが、この談話は日本政府の手かせ足かせとなっているだけでなく、現状追認の言い訳材料ともなっているわけです。以下、予算委でのやりとりです。

 

山谷氏 米ニュージャージ州に設置されたいわゆる従軍慰安婦記念碑に刻まれているものについて。軍と下半身というのは、いつの時代でもどこの国でも大変悩ましい問題だ。歴史に対して謙虚でなければいけないが、しかし事実でないことにはきっちり説明、発信していかなければならない。首相、恐縮だが、外務省の仮訳を4行ほど読んでほしい

 

玄葉外相 仮訳をそのまま読めということなので、そのまま読むが、「1930年代から45年までの間、日本帝国政府の軍によって拉致された20万人以上の女性と少女を記憶にとどめ、慰安婦として知られる彼女たちを誰も見過ごすべきではない人権の侵害に絶えた。われわれはこのような人類に対する罪の恐ろしさを忘れまい」というふうに記されている。

この碑が建ったということについて、われわれもしかるべき関係者の皆さんに申し入れを行った。この碑は、1万7000人くらいの街だが、3分の1は韓国系であると。全米で一番多い町だ。だから、これから引き続き状況を注視しながら適切に対応したい

 

山谷氏 総理に聞く。日本帝国政府の意によって拉致された20万人以上の女性と少女って、軍によって拉致されたのは事実か

 

野田首相 日本政府の軍によって拉致された20万人以上。こういう数値とか経緯とか含めて根拠がないのではないかと思う

 

山谷氏 ワシントンにロビイストがいないのは日本だけ。韓国は精力的にやっている。外交戦略の中できっちりと事実を説明していく外交を。

ソウルの日本大使館前に作られた平和の碑という少女の像だが、文章はこうなっている。2011年12月14日、日本軍性的奴隷問題を解決するための水曜デモが1992年1月8日に日本大使館前で最初の集会を行ってから1000回目を迎えた。この平和の碑は水曜デモの精神と深い歴史を記念して立っているものだと。

水曜デモには民主党の国会議員も入れ代わり立ち代わり参加している。民間事業者が当時、一般誌にも広告を出して慰安婦募集、月給はいくら、行き先はどこ、年齢はこれくらいというようなことはあった。しかし、拉致、アブダクションということもなかったし、セックススレイブということはなかった。ジャパニーズミリタリーセクシュアルスレイバリーって、こういうのはあったのか、総理答えて

 

野田首相 経緯とか実態については、いろんなお話があるが、このことが正確なことを記されているかというと、大きく乖離しているというふうに思いますし、この碑を建てたことについては大統領にも早く撤去するように私のほうからも要請した。

 

山谷氏 だが、大統領は昨年12月17日の京都での日韓首脳会談で第二、第三の像ができるぞと。どう説明したのか

 

野田首相 相手の大統領が慰安婦の問題についての懸念を私に伝えたことは事実だが、何をどれぐらい、何を言ったかはコメントを控えたいと思うが、わが国は法的にはもう決着しているとの立場は明確に伝えている

 

山谷氏 日韓基本条約のことだ。しかし、道義的にはどうかということでアジア女性基金で女性にお渡しできた。歴代総理は何代も謝罪している。この認識は同じか

 

野田首相 一貫して1965年の日韓基本条約で法的な立場はもう決着していることは歴代政権申し上げてきている。その上で一つの考え方、人道支援としてアジア女性基金、かつての政権下の中で民間の協力も頂いてつくり、今もそのフォローアップをしてきていることは事実だ。

 

山谷氏 軍や官憲の強制的連行の資料は見つからなかった。平成9年の国会答弁で内閣官房外政審議室長が言っている。19年の政府答弁もそうだ。今の野田内閣も同じか》

 

玄葉氏 基本的に政府がかつて調査をした。その調査結果を基本的に踏まえていると。おっしゃるとおり、証拠は出ていないけれど、ただ否定はできないということだと思う。

 

山谷氏 どういうこと?

 

玄葉氏 河野官房長官談話は、どういうことを書いているかというと、慰安婦の募集は軍の要請を受けた業者が、主としてこれにあたったが、その場合も甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められる事例が数多くあり、さらに官憲等がこれに加担したこともあったことが明らかになったと。当時の朝鮮半島はわが国の統治下にあり、募集、移送、管理等も甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われたというふうに河野官房長官の談話には記してあると承知している

 

山谷氏 証拠はないが否定できない、なんておかしな答弁しないで。いろんな大臣をつくるなら、国家名誉回復大臣でもつくれば

 

玄葉氏 政府の基本的な立場は、河野官房長官談話の通りだ。》

 

 ……それにしても、「日本軍による20万人以上の拉致」って何ですかね。こうした荒唐無稽な戯れ言も、百編繰り返されると何となく本当のことであるかのように勘違いする人がたくさんいるから警戒しなければなりませんが、あまりにもデタラメですね。

 

 朝日新聞などが21日に韓国の李明博大統領と共同会見した際の記事(22日付朝日)によると、李氏は、解決済みの慰安婦問題を蒸し返す根拠について、こう主張したそうです。

 

 《日本政府の立場の根拠となっている1965年の日韓請求権協定の締結時には「慰安婦問題は明らかになっていなかった」と……》

 

 これはすでに多くの人が指摘していることですが、当時の朝鮮半島は日本の一部でした。そこで、20万人以上の少女や女性を軍が拉致してその記録文書が一切ないというのもありえない話です。

 

 また、それ以上に李氏が言うように「明らかになっていなかった」だけだとしたら、朝鮮半島の人たちは、同胞の少女や女性が20万人以上も軍に強制連行されても気づかなかったか、全く知らんぷりして日韓基本条約が結ばれるまでの戦後20年間も全く関心を持たなかったか、ということになりますね。もしそうだとしたら、これは韓国や北朝鮮にとって国恥ものでしょう。

 

 何年か前のエントリ《「河野談話前夜・谷野答弁と福島弁護士とその時代」(http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/177563/)など》で平成5年当時の新聞各紙の記事を紹介して書いた通り、20年ぐらい前に慰安婦問題が最初にクローズアップされたときには、日本側の報道も当初、こういう北朝鮮や韓国の反日団体によるプロパガンダを無批判に流し、まるで事実であるかのように垂れ流していました。まだまだ左派・リベラルが強い時代でもあり、日本軍のあれこれについてはとりあえず批判しておけばいい、軍批判ならば内容の信憑性はあまり問われないという時代でした。

 

 このころから平成89年ごろまでは、日本社会も自民党も、当時の社民党の辻元清美氏らから盛んに「社民化してきた」と言われていましたね。民主党政権になって再び一部で「社民化」がぶり返しましたが、もう元には戻りません。日本ではその後、各種の研究・検証が進み、言論空間も多少ながら正常化して、慰安婦問題や南京事件に関するデタラメな言説への批判も当たり前となってきました。もう国民はかつてのようにはだまされはずです。

 

 韓国側は、日本側のこうした変化に気づかず、昔の流儀で脅かしてきたり、嫌がらせをしてきたりしますが、それはもう心ある日本国民の反発を買うだけでしょう。互いのため、いいかげん、もうやめた方がいいですね。

 福井行きのおまけです。

 

   

 

 さすが福井というか、コンビニにもソースカツ丼弁当がありました。ヨーロッパ軒には残念ながら、行く機会がありませんでしたが……。

 

 あと、やはり福井名物のある鍋を食べた後、最高の雑炊もいただきました。これは本当においしかった……。特に◯◯ミソのかすかな苦みと◯◯の甘みが溶け合って。

 

   

 

 あと、当地を訪れて初めて知った朝倉義景の辞世の句にひかれました。

 

 七転八倒四十年中 無他無自四大本空

 

 四十年間、転げ回ってもだえ苦しみ、そして本来の空へと帰ると…… 

 

 

 現在、所用があって東京を離れています。さて、当地では、こども歴史博物館ではこんな展示がされていて

 

     

 

 

 このような歴史ある神社のご祭神でもあり

 

     

 

 

 その近くにはこんな立派な石像も建っています。

 

     

 

 このお方は誰でしょうか。ヒントは、ご当地の名物、ソースカツ丼であります。

 

     

 

 バタバタしているので、これにて失礼します

 

 今朝は起きて食事をとり、本棚を眺めていて、なぜか稲垣武氏の名著「『悪魔祓い』の戦後史」(文春文庫)を読み返したくなりました。といっても、けっこう分厚い本なのでとりあえずパラパラとページをめくっていたところ、松原隆一郎氏の解説「平気でうそをつく邪悪な人たち」が目に飛びこんできました。

 

 松原氏はこの解説で、M・スコット・ペックのベストセラー「平気でうそをつく人たち」(草思社)を引用し、次のように書いています。

 

 《うそをつく人、というだけなら、多数が存在している。「邪悪」とまで呼ばれる人は、自分の欠陥を直視することを拒否し、体面を保つのに躍起となり、そのために平気でうそをつき続け、支配力の及ぶ他人を破滅に追いやって顧みないのだ、とペックはいう。そうした「邪悪な人」が厄介なのは、当人は邪悪さを発揮することで表面上は社会に適応しているからである。彼らの支配下にあって犠牲となる者の方が神経症にとらわれたり犯罪を犯したりと、社会的に不適応を起こしてしまう

興味深いことに、ペックはこうした考え方を応用し、集団にも「邪悪さ」が働くはずだ、と主張している》(※傍線は阿比留)

 

 松原氏はいわゆる「進歩的文化人」について書いているのですが、私はこの文を近年現実に起きたあれこれの事象にあてはめながら読み返し、「そういえば菅政権のことを『邪悪』と表現した人がいたなあ」と思い出しました。昨年6月の菅内閣への不信任決議案採決の際に、賛成票を投じて民主党を離れた松木謙公元農水政務次官のことです。松木氏はその後、産経新聞のインタビューにこう語っています。

 

「残念なことに、秘書時代から33年間、永田町を見ていますが、一番邪悪で最低な政権でしたね。言ってることとやってることがメチャクチャです」

 

 まあ、当時、松木氏は小沢一郎元代表に近かったことから、こうした発言も政局的な文脈でとらえられましたが、それにしても自分が属していた政権を「邪悪」という政治家は初めて見ました。

 

同時に、私はけっこうこれは本音なのだろうなと受け止めました。私自身は松木氏と面識もなく、話したこともありませんが、同僚から松木氏の議員事務所には私のある署名記事のコピーが貼ってあると聞いたこともありましたし。それは以下の記事です。

 

首相「国歌斉唱」疑惑 「促され、ようやく立った」 [ 20100823  東京朝刊  総合・内政面 ]

 

 否定に躍起もスタッフ証言

 

 直人首相が平成14年5月31日にラジオ日本の番組「ミッキー安川のずばり勝負」に出演した際、国歌斉唱時に起立しようとせず、君が代も歌わなかったという疑惑が話題となっている。首相自身は「私だけが座っている、斉唱しないという行動をとるはずがない」(3日の衆院予算委員会)と否定に躍起だが首相の旗色はあまりよくない。

 「さんは立とうとしなかった。安川さんから『立つだけ立ちなよ』と促され、ようやく立った」

 産経新聞の取材にこう証言したのは、現場を目撃した男性スタッフ(53)だ。男性は番組中、スタジオの首相らの様子を隣のミキサー室から窓越しに見ており、今でもはっきりと記憶している。

 番組では、11年の国旗国歌法成立をきっかけに、冒頭かゲスト登場時に歌手が歌う君が代のテープを流し、全員起立して斉唱する決まりになっていた。

 歌手の声がかぶるため、男性の位置では首相が一緒に歌っていたかどうかは分からなかった。だが、促されるまでは座ったままだったのは事実だろう。また、国歌斉唱時に自ら立とうとしない人物が、素直に歌うものかという疑問もわく。

 「うそだ、うそです!」「証拠を出して」「違う」

 3日の予算委で、自民党の平沢勝栄氏が安川氏から何度も聞いていた「さんは君が代は歌いたくないと言っていた」という問題を追及すると、質問の途中から首相は何度もヤジを飛ばしてこれを否定した。

 ラジオ日本には首相の出演当日の番組の音盤は残されておらず、安川氏も今年1月に死去したため、真偽確認は難しい。だが、平沢氏が入手した15年1月31日の番組録音テープによると、安川氏はゲストに次のように語っている。

 「さんがこの番組に出たんです。さあ(君が代を)歌えよと言ったら、『えっ、なに、国歌を歌うの。おれ歌いたくねえんだよな』と言って

 このエピソードは、作家の佐藤優氏も安川氏から聞いたとして6月5日付の「SANKEI EXPRESS」コラムで紹介している。平沢氏は民主党議員からも「質問は図星だ」と耳打ちされたという。

 首相には、国旗国歌法案採決時に「天皇主権時代の国歌」として反対票を投じた過去もある。今回浮上した問題は、果たして安川氏の記憶違いか、それとも首相が国会でうそをついているのか。(阿比留瑠比)》

 

 ……まあ、松木氏がなぜこの記事を事務所に貼っていたかの理由も分かりませんが、以前から菅氏のことを「平気でうそをつく」類いの人物だと確信していたのはその通りなのでしょう。国旗国歌に関する考え方が以前と変わったならそう正直に言えばいいのに、まさに躍起になって質問を遮るよに野次を飛ばした菅氏の国会答弁の模様は印象的でした。

 

 そうしてこの手の人物は、自分自身の記憶もいつの間にか都合のいいように自動改変されているので、ただ嘘をつくのが平気なだけではなく、嘘をついている意識すらないことも多いのでしょうね。で、その狡猾さで社会的には地位を獲得し、部下や周囲が大きな被害を被ると。

 

 先日、民主党担当が長かった同僚記者が、自身の取材経験に照らしてしみじみこう話していました。

 

 「野党時代、結局この党はどこまでいっても『鳩菅』の党なんだろうなと感じていた。小沢氏が入ってきてその点はちょっと変わったけど、何も決められない党だという点は昔と全然変わっていない。政権与党になって現実の厳しさに直面し、決められなくなったのではない。昔からずっと、安全保障や憲法など党内で意見対立がある問題は何も決められないのが民主党だった。自分たちは野党を甘やかしすぎた」

 

 新聞はどうしても政策決定、国の舵取りに直接携わる与党中心の報道になりがちですが、現時点では何を言っても政策に反映されないような野党の問題点であっても、折に触れて指摘していくべきだと改めて思いました。

 

 とはいえ、野党のことをあれこれ書いても、読者の反応は極めて小さいか、重箱の隅をつついていないでもっと大事なことを書けとお叱りを受ける場合が多いのも事実です。与党や政府の幹部であれば通常の批判とみなされる記事も、野党議員だと個人攻撃や意図的な中傷と受け取られる可能性もありますし……。悩ましいところではあります。

 

 

 昨日の東京新聞夕刊に、「315菅氏発言 東電詳細記録」という記事が載っていました。昨年315日早朝に、当時の菅直人首相が東電本店に乗り込んだ際の発言が記録されていたことが分かったという記事で、各紙で既報の内容もありましたが、その中で、私の注意を引いたのは、菅氏の次の発言でした。

 

 「なんでこんなに大勢いるんだ。大事なことは56人で決めるものだ。ふざけてるんじゃない。小部屋を用意しろ」

 

 というのは、この発言があった場面について東京新聞は、「菅氏は対策本部に大勢の東電社員がいるのを見て」と記していましたが、この書き方では状況がうまく伝わらないかもしれないなと思い、補足したくなったのでした。

 

 実は、この発言について私は今年18日付の産経コラム「日曜日に書く」や雑誌「正論」の昨年6月号にすでに書いていたからです。もっとも、私が記事の元にした証言は東電の記録とは微妙に言葉遣いが違いますが、まあ、人間の記憶なので誤差の範囲だと思います。私はこう書きました。

 

 「こんなにいっぱい人がいるところじゃ、物事は何も決まらないんだ。何をしているんだ」

 

 で、私は「日曜日に書く」では、どういうシチュエーションの下での発言かについて、こう記しています。

 

 《菅氏は大勢の東電社員が徹夜で作業を続けていたオペレーションルームを会議室と勘違いし、こんな怒声も上げた。

「こんなにいっぱい人がいるところじゃ、物事は何も決まらないんだ。何をしているんだ!

その場は同席者が何とか収め、菅氏を別部屋に案内した(後略)

 

 その場に同席した関係者によると、当時、オペレーションルームには200人以上の人が詰めて作業をしており、突然怒鳴りだした菅氏をポカンとした顔で見つめていたそうです。幹部に対応をただすのなら分かりますが、現場で実務に当たっている人の士気を下げる菅氏のやり方が、福島第1原発視察時にも表れていたのは、以前のエントリでも記しました。

 

 東電の武藤栄顧問(当時副社長)14日の国会の事故調会合で、このとき「東電の全面撤退を止める」として東電に乗り込んできた管氏の言動についてこう述べています。

 

 「一部の作業員の撤退は検討していたが、全面撤退の議論は一切なかった。(菅氏の言動には)違和感があった

 

 まあ、まだ真相は藪の中ではありますが、以前のエントリに書いたように、私は菅氏が全面撤退を止めたというのは菅氏周辺がつくった「神話」であって、実態は菅氏の勘違いと独り相撲を糊塗し、美化しているだけだと今のところ理解しています。

 

 さて、東京新聞はこの原発事故問題に関する検証記事やインタビューを多数載せているので参考になります。11日付の紙面では、下村健一内閣審議官が、福島第1原発が全電源喪失した際のエピソードをこう語っています。

 

 《当時のノートに「なぜ非常用ディーゼルエンジン(発電機)まで止まるんだ」って書いてある。これ、菅さんの発言です。「菅さんに冷却水が必要」。かなりテンションが上がってましたが、あの段階では仕方ないと思います。何も分からなかったから。》

 

 下村氏はもともと菅氏の引きで官邸に入ったからか、菅氏をかばっていますが、それでもこの証言も興味深いところです。民間事故調の調査報告書でも、菅氏が代替バッテリーについて自分の携帯電話で担当者に「大きさは」「縦横何メートル」「重さは」などと質問し、熱心にメモをとっていたことと、同席者が「首相がそんな細かいことまで聞くというのは、国としてどうなのかとぞっとした」と述べたことが記されていましたね。

 

 で、これに関連することも、私は雑誌「WiLL」の昨年6月号で次のように触れています。

 

 《福島第1原発の非常用電源であるディーゼル発電機が壊れた際のことだ。ふつうの政治家ならば、「その事態にどう対策を打つか」を考える。

ところが、菅首相は理科系出身であるためか、「なぜディーゼル発電機が壊れたのか」の原因究明に異常な関心を示し、議論がなかなか対策まで進まないのだという。》

 

 当時、菅氏の周囲にいた人は「菅さんは震災復興のグランドデザインだとかもの凄く大きな話も好きだし、その反対のとても小さなことにもこだわるが、一番大事なその中間がない。だから復旧・復興が進められない」とこぼしていましたが、次々に公表される資料や証言が、これまで書いてきたことを追認してくれているように感じています。

 

 ただ、それでもまだまだ菅氏やその周囲の実態について、十分に表に出ていないとも考えます。私の聞いた話ももっといろいろありますし、ブラックボックスをこじ開けるべく国会の事故調の今後の奮起に期待したいと思います。

 

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