2012年03月

 

今朝の産経新聞は1面トップで、「民主党の中井洽元拉致問題担当相が今週末にもモンゴルで北朝鮮高官と極秘接触することが分かった」と報じています。また、その際には「日本人妻の帰国問題に絞って協議する方針」とも書いています。私はこの記事に関わっていないので詳細は分かりませんが、中井氏は1月にも中国で宋日昊・朝日国交正常化交渉担当大使と会っており、水面下でいろいろ活動しているようですね。

 

さて、記事では朝鮮籍の人と結婚して北に渡った日本人妻に焦点が当てられていますが、移民政策研究所所長の坂中英徳氏によると、北朝鮮に取り残された日本人には、拉致被害者や日本人妻のほかに、戦後、何らかの事情で北にとどまらざるを得なかった「北朝鮮残留日本人」が存在すると言います。

 

坂中氏が昨年11月、野田佳彦首相と玄葉光一郎外相あてに送った「北朝鮮にいる日本人妻、北朝鮮残留邦人等の早期救出を求める」という書面には、こう記されています。

 

「日本に入国した脱北帰国者の数人が、北朝鮮残留日本人に会ったことがあると言っています。北朝鮮残留日本人の大半は山奥の一角に集団でおしこめられ、ジャガイモを主食として命をつなぐ、原始人のような自給自足の生活をしていると聞いています」

 

 ……なんとも悲惨な状況におかれているというわけですね。そして、坂中氏は中井氏に、この日本人妻と残留日本人の問題を訴え、理解してもらったといいます。坂中氏によると、中井氏が拉致問題担当相時代の2010315日の参院予算委員会での次の答弁が重要なのだそうです。

 

《当時千八百人ぐらいの日本人妻が行かれたと。行かれて十年ほどたちまして、日本にもこの救援をする市民運動等が起こりまして、私も当時、一年生議員でしたが、会費等を払い続けた記憶がございまして、ずっと関心を持って今日まで参りました。

かなり御高齢になっていらっしゃいますので、今御存命と言える方は百人内外じゃないかと承知をいたしております。また、日本へ何らかの手法でお帰りになった方も百人以上いらっしゃると。一時、収容所に在日の方を含めて二百人ぐらい入っているんじゃないかという説もございました。(中略)

こういった状況等を踏まえて、総理(鳩山由紀夫)からは、北におる日本人を、生存者すべてを救い出せと、こう御指示をいただいておりますので、この日本人妻のことも私の範囲の中だときっちりと仕分をして、その中で精いっぱい、日本への帰国がかなうように努力をしたいと考えております。》

 

 坂中氏によると、この「生存者すべて」という言い方は画期的であり、日本人残留者を念頭に置いているということだそうです。また、中井氏は北にいる日本人妻は「100人以上」としていますが、坂中氏は「現在は50人を切っていると思う」と見ています。当然ですが、残留日本人には子供がいるとの証言も聞いているそうです。

 

 なので、もしかすると今回の中井氏のモンゴル行きでは、接触が実現すればこの日本人妻と残留日本人の二つの問題が協議されるのかもしれません。確かに、北朝鮮にしてみれば、いろいろと難しい事情を抱える拉致問題より、日本人妻らを帰国させることでとりあえず、日本から食糧支援などを引き出したいという思惑はあることでしょうし。

 

 実際、今朝の産経の記事も指摘するように、北朝鮮労働党の機関紙、労働新聞は今年1月、唐突に日本人妻の手記を掲載しました。これは、素直に受け取れば日本人妻に関しては、何らかの条件で帰国させる意思があるというメッセージでしょうね。また、政府としてはこの日本人妻問題などをきっかけに、膠着状態にある拉致問題を動かせるものなら動かしたいと考えているはずです。野田官邸としては、いわば「ダメ元」で、中井氏の二元外交的動きを黙認しているというところでしょうか。

 

 ただ、ここで懸念されるのは、仮に日本人妻や残留日本人の一部帰国の件が進んだ場合、それで拉致問題追及がうやむやにされるのではないかという問題です。北朝鮮は当然、そうしたいはずです。一方、これについて外務省担当者はこう主張しています。

 

 「日本人妻の話は人道上、重要だと思うが、拉致問題の代わりには絶対にならない。日本人妻問題がいかに重要でも、(国交正常化など対北関係は)拉致問題を避けては通れない」

 

 坂中氏も「ここで区切ることができるわけがない」と言い切っています。そうあってほしいものです。一方、拉致被害者を救う会の幹部は「日本人妻の帰国問題が進展してもそれで拉致問題がただちに動くとは思わないが、それとは別に日本人を保護するのは政府がやるべきことなのでやったらいい」と語りました。

 

 ともあれ、今回の件で忘れられた日本人残留者にスポットが当たるのかそうでもないのか、関心を持って見ていようと思います。

 

 

 若いころ、よく偶然と必然とは何であろうかとぼんやり考えました。何かをきっかけに、次々と関わり合いのある人や物と出会う、ぶつかるという経験を幾度か繰り返し、これはたまたまその問題に関心があるから目につくのか、それともやはり何か縁のようなものが存在するのかと、結論なんか出るはずもなくぼーっとあれこれ思っていました。

 

 なんでわざわざこんなことを書くかというと、今朝、偶然とは面白いなあと改めて感じることがあったからです。私は先日のエントリで、19515月にマッカーサーが米国上院委員会で行った大東亜戦争の原因にかかわる次の証言に触れました。

 

 《もしこれらの原料の供給を絶ち切られたら、一千万から一千二百万の失業者が発生するであろうことを彼ら(日本)は恐れていました。したがって彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです》

 

 で、今朝夕刊当番で早くに出社し、政治部のブースに置かれていた雑誌「月刊日本」3月号をパラパラめくっていたら、稲村公望・中央大学大学院客員教授が、昨年刊行された米フーバー元大統領の「回想録」から次のようなフーバーの証言を紹介していました。

 

 「私は、ダグラス・マッカーサー大将と、(1946)54日の夕方に3時間、5日の夕方に1時間、そして6日の朝に1時間、サシで話した。(中略)私が、日本との戦争の全てが、戦争に入りたいという狂人(ルーズベルト元大統領)の欲望であった述べたところ、マッカーサーも同意して、また、『19417月の金融制裁は、挑発的であったばかりではなく、その制裁が解除されなければ、自殺行為になったとしても戦争をせざるを得ない状態に日本を追い込んだ。制裁は、殺戮と破壊以外の全ての戦争行為を実行するものであり、いかなる国と雖も、品格を重んじる国であれば、我慢できることではなかった』と述べた」(※『』は分かりやすくするために阿比留が入れました)

 

 マッカーサーの主張はけっこう一貫しているなと思いながら、今度はやはり政治部のロッカー上に置かれていた山田宏元杉並区長の「『日本よい国』構想」という本を手に取り、同じくページをめくっていたところ、歴史教科書採択時における区議会でのやりとりの模様が記されていました。

 

 《共産党などからは、非常に細かく執拗に私の歴史認識について質問がありました。しかも、時には傍聴席に動員された人たちから大声で野次が飛ぶような状況でした。

そのときに、「19515月のアメリカ上院軍事外交合同委員会で、マッカーサー元帥が『日本人が戦争に入った目的は、主として自衛のためだった』と証言している」と述べ、あまりに騒がしいので、その部分を英語で紹介したら、議場はいっぺんにシーンと静まりました。正確な知識が勇気を生み、信念となるのです》

 

 その議場の場面を見たかったと思わせる描写ですね。まあ、マッカーサーがそう言ったからといって、それが錦の御旗やお墨付きとなるわけではないでしょうが、興味深いところです。

 

 で、特にマッカーサーを意識したわけでも、マッカーサーという語句を探したわけでもないのに、関連するエピソードが続いて目に飛び込んできたので、冒頭の話となったわけでした。ちょっとこじつけ気味でしたでしょうか。

 

 ただ、あの戦争からこれだけ長い時間が流れたからこそ、冷静に事実を見つめられるという部分もあるでしょうね。歴史認識がらみでいうと、河村たかし名古屋市長の南京事件に関する発言についても、メディアの報道は以前とは比べものにならないほど落ち着いています。これが10数年前だったら、鬼の首をとったからのような河村バッシングが展開していたことでしょう。

 

 先日、外務省関係者と話をした際も、メディアの対中報道の変化が話題になりました。彼は、「最近は産経が突出するのではなく、朝日も含めて各紙の対中報道が大きく異ならないようになってきた気がする。なぜだと思うか」と意見を求めてきました。まあ、それでもまだ各紙により相当の濃淡はあると思いますが、朝日は先日も1面でチベット僧による中国政府への抗議の焼身自殺問題を取り上げていましたし。

 

 とりとめもなくなりました。まあ、世の中変わらないように見えて、実は少しずつ、でも積み重なると大きく変わっていくのだろうと思います。

 

 明日で東日本大震災の発生から丸1年となりますね。あの日を境に、日本も世界も、われわれの日常も、本当にさまざまなことが変わったと実感しています。今回は私の親族も被災し、私が住む町もプチ被災地だったこともあり、わが身自身のこととしていろいろな経験をし、また考えさせられました。

 亡くなられた多くの方々、夢や希望を抱いた人生を突然断ち切られた多くの命に心より哀悼の念を表すとともに、このような大きな犠牲が生じない世の中になってほしいと切に願います。

 私は昨年4月に出した拙著「政権交代の悪夢」のあとがきに、「東日本大震災をきっかけに浮かび上がったのは、国家という共同体の枠組みの重要性と、それがきちんと機能することがいかに大切かということだった」と書きましたが、今もその考えに変わりはありません。

 今朝の新聞各紙が取り上げている原子力災害対策本部の議事概要にみる政府内の混乱も、結局は安全保障も危機管理も非常事態も軽視した国家観なき政権の混乱の象徴であるような気がします(昨日は時間がなく、議事概要について直接取材できなかったので、その具体的内容に触れるのは後日にします)

 実は1年前、SANKEI EXPRESS紙用に書き、11日組で掲載されるはずだったコラム「菅政権考」が、この震災発生のためにボツになりました。ネットでは配信されたようですが、紙面化はされなかったので私のスクラップ帳(大学ノート)からは欠け落ちてしまっているので、ここに再掲します。「ああ、土肥氏の件か、こんなこともあったなあ」とわずか1年前のことなのに遠い昔の話のようです。

 

「致命的な国家観の欠如」

 菅直人首相の側近である土肥隆一衆院議員が日本政府に対し、竹島(島根県隠岐の島町)の領有権を放棄するよう訴える韓国側との共同宣言に署名した問題は、民主党政権の致命的な国家観の欠如を象徴している。「国というものが何だかよく分からない」(鳩山由紀夫前首相)政権が、国家のかじ取りをしているのが現状だ。

 ■民主党の体質

 土肥氏の今回の異様な行動について、野党の自民党側は民主党全体の体質が露呈したものと受け止めている。

 「民主党の中に、そういう考えを持つ人が大勢いるということだ」(石破茂政調会長)

 「民主党の体質だ。新左翼崩れの菅内閣の延長上から出ている」(平沢勝栄衆院議員)

 「今の政府は、竹島が韓国に『不法占拠』されていると絶対に言わない。土肥氏の考えは今の政府の考えそのものだ」(稲田朋美衆院議員)

 政府は「大変遺憾に思う」(菅直人首相)、「民主党の立場とも相いれない」(枝野幸男官房長官)と火消しに躍起だが、民主党政権に国家主権意識が希薄なことは否めない。

 「日本列島は、日本人だけの所有物じゃない」

 野党時代からこう強調して、永住外国人への地方参政権付与を目指した鳩山氏が民主党政権の初代首相なのだ。鳩山氏のブレーンとされた劇作家の平田オリザ氏は昨年2月のシンポジウムで、こう語っている。

 「鳩山さんとも話をしているのは、21世紀は、近代国家をどういうふうに解体していくかという100年になる…」

 そして今、在日外国人も投票権を行使した昨年9月の民主党代表選を経て、かつて国旗国歌法に反対していた菅首相がその跡を襲っている。

 同じく国旗国歌法に反対票を投じ、外国人参政権推進派でもある前原誠司前外相は、政治資金規正法が禁止する外国人からの献金を5年間で25万円受けていた問題で辞任に追い込まれた。これも、結局は国籍の重要性、国家主権の意味に関する認識が足りなかったからだ。

 

 ■新左翼崩れ

 土肥氏は旧社会党出身だが、土肥氏に限らず民主党のメーン・プレーヤーは旧社会党だらけであることも指摘したい。

 自衛隊を「暴力装置」呼ばわりして更迭された前官房長官の仙谷由人代表代行も、反日・自虐史観教育を続ける日教組のドンとして参院に君臨している輿石東参院議員会長もそうだ。

 かつてソウルの駐韓日本大使館前での韓国の慰安婦問題支援団体による「反日デモ」に参加し、韓国人と一緒に大使館に向かってこぶしを振り上げた岡崎トミ子前国家公安委員長も、旧社会党からの移籍組だ。

 岡崎氏の政治団体は前原氏のケートと同様、過去に朝鮮学校理事長の男性とパチンコ店経営者の2人の外国人から献金を受けていたことも発覚している。

 さらに現内閣の細川律夫厚生労働相も松本龍環境相も大畠章宏も、民主党の鉢呂吉雄副代表も民主党出身の横路孝弘衆院議長みんな旧社会党出身だ。

 菅首相と江田五月法相は社民連出身だが、社民連はもともと社会党の分派であり、同根から派生した同類だといえる。この二人は、ともに拉致実行犯である北朝鮮工作員、辛光洙元死刑囚の釈放嘆願書に署名したという共通項もある。

 「この政権は、全共闘時代の新左翼崩れが集まって作った政権だ」

 昨年6月の街頭演説で、こう断じていたのが与謝野馨経済財政担当相だ。今年2月の衆院予算委員会では、「極めて常識的なことを言った」と述べて、この認識は現在も変わらないことを表明している。

 中国漁船衝突事件にしてもロシア大統領の北方領土訪問にしても、明らかに国家観に軸がない日本の政権与党の足元を見ての行為だ。民主党政権によって失われた国益は計り知れないが、そもそも彼らの辞書には国益という文字がないのかもしれない。(政治部 阿比留瑠比)》

 

 この日は、同じ問題意識に基づいて、産経本紙の方にもコラム「政論」を書きました。こっちはなんとかボツにされず紙面化されたのですが、かえって一部から「震災当日にこんな記事を載せている場合か」と批判されてしまいました。ついでに再掲します。

 

知らぬで済むなら法律いらぬ  決定的に欠ける首相の国家観

 「ごめんで済むなら警察はいらない」という俗語があるように「知らなかった」で済むならば法律はいらない。政治資金規正法が禁じる外国人からの献金を受けていたことが発覚しながら菅直人首相はシラを切り続ける。そこには国家のリーダーとしての自覚も国家観もうかがえない。

 「日本名の方なので日本国籍と思っていた。外国籍の方とはまったく承知いたしていない

 首相は11日の参院決算委員会でこう繰り返した。

 だが、首相は在日韓国人男性から計104万円もの献金を受け、一緒に釣りに出かけ、複数回にわたって会食したという。なおかつ特定人物からの100万円以上の献金は「比較的まれなことだ」とも認めた。

 にもかかわらず男性が外国籍だと知らなかったとは。にわかには信じ難い。

 ましてこの男性は在日韓国人系の「旧横浜商銀信用組合」(現中央商銀信組)の非常勤理事を長年務めた人物である。これについても首相は「そういう立場にあることも全く知らなかった」と釈明したが、もし本当ならばとんでもない迂闊さではないか。もはや危機管理というレベルではない。

 しかも首相は「私の代で政治とカネの問題に終止符を打つ」(2月8日)と大見えを切り、政治資金規正法違反で強制起訴された民主党の小沢一郎元代表を党員資格停止に追い込んだはず。首相が掲げる「クリーンな政治」の看板はもはや地に堕ちた。

 首相はあくまで続投する考えのようだが、前原誠司前外相が6日に在日韓国人から計25万円の献金を受けたことを認め外相を引責辞任したばかり。首相が「知らぬ存ぜぬ」では、内閣の一貫性も整合性もあったものではない。

 実は首相には教訓として学んでおくべき先例があった。岡崎トミ子前国家公安委員長の事例である。

 平成16年、岡崎氏の政治団体が13年に朝鮮籍で朝鮮学校理事長の男性と韓国籍のパチンコ店経営者からそれぞれ2万円ずつ受け取っていたことが発覚した。産経新聞の指摘を受け、岡崎氏は「違法と気付かなかった」とコメントしたが、首相と前原氏は内閣改造前にこの貴重な体験談をよく聞いておくべきだった。

 もちろん在日韓国・朝鮮人は「通名」が定着しており国籍を確認するのは難しい。自民党など野党にも同様の問題が存在するかもしれない。だが、国家を統治する内閣の一員ならば誰よりも襟を正すべきであり、言い逃れは通用しない。

 「『もっと元気な歌もありうるのかな』という意見があった」

 首相は11日の参院決算委で、平成11年の国旗国歌法案採決に反対した理由を問われ、こう答えた。首相は14年5月にラジオ日本の番組に出演した際、番組恒例の国歌斉唱時に起立しようとせず、君が代も歌わなかったとされる。

 前原氏も岡崎氏も同じく国旗国歌法に反対している。3人とも永住外国人への地方参政権付与に賛成という共通項もある。民主党が先の衆院選で在日本大韓民国民団の全面支援を受けたことも周知の事実だ。

 政治資金規正法が外国人からの献金を認めないのは国政が外国勢力の影響を受けることを避けるためだが、首相や前原氏は本当に理解しているのだろうか。どうも国家や主権に対する意識に決定的に欠けているように思えてならない。(阿比留瑠比)

 

違う媒体に書いたものなので、一部内容が重なる点はご勘弁ください。

……まさに、あの日は菅前首相が政治的に追い詰められたある種の分岐点といえる日でもありました。民主党の太田和美衆院議員によると、菅氏は「これ(震災発生)であと2(首相を)できる」と言ったとの情報もありますが、これで2年は無理でしたが5カ月延命しましたね。

 

 そして現在は野田政権が引き継いでいるわけですが、あいかわらずガレキ処理問題一つをとってもリーダーシップを発揮できず、結局、去年の今頃と同じように小沢一郎元代表一派との党内政局が政治のメインテーマであるかのようなていたらくです。毀誉褒貶あるものの、橋下徹大阪市長が掲げる「グレートリセット」のかけ声に、多くの有権者の期待が集まるのは当然だろうと思います。

 

 橋下氏は、日本人をダメにしたのは憲法9条という趣旨の発言をしていますが、私も9条と「前文」による弊害は実に大きいと考えます。先日も産経紙面でこの前文について「『平和を愛する諸国民の公正と信義』など今時子供も信じない欺瞞」と書いたのですが、こういう人間集団の真実から目を背けた空文を国家のありようとして位置づけることは、他の局面・場面においても現実を見ようとしない人間を育てることになるのだと最近、しみじみそう思います。

 

 

 ここ数日、新聞各紙の政治面を読むときに、なんだか政治家たちの心象風景や、発言している場面が目に浮かぶような気分になることがあります。民主党政権内の不協和音が、隠しようもなく表面に出てきて、それがこれまで以上に記事の行間からあふれているような。

 

 そこで本日は、スクラップをしながら、私が心の中でつぶやいたことを、元記事の内容とともに紹介します。ただのつぶやきであり、非常にどうでもいいことであることはその通りですが、小さな政治記事も背景を考えるとけっこう面白いものです。

 

『しっかり1升飲んだ』首相 元気アピール(4日付読売)……《中小企業経営者らとの意見交換会であいさつし、「お酒を昨日久しぶりにしっかり一升(18リットル)飲んだ」と笑顔で語り、底なしの酒豪であることをアピールした》→というより、なんか野田首相の緊張の糸が切れかかってきたことの表れではないかと。飲んだ相手も手塚仁雄首相補佐官と蓮舫氏だというから、どうせ実のある話はしていないんだろうし。

 

小沢氏、極秘会談に不快感 政界再編に意欲(4日付産経)……《3日のテレビ東京の番組で「ベストは民主党が政権交代の初心に帰ることだが、かなえられないなら安定した政権が必要だ。そのための方策を考える」と述べ、自ら政界再編に動く意向を示した》→まあ、小沢氏が政界再編の主役となることはもうないでしょうが。追い込まれたゆえの発言なのでしょうね。

 

『ジャンボ鶴田にあやかりたい』 首相〝ロープ際〟自覚?(5日付産経)……《長州力にサソリ固めを入れられ、見事に腕立て伏せでイグアナのようにロープまで行ったあの基礎体力。あやかりたいですねえ》→ホントにあやかりたいのでしょうね。ドジョウの次はイグアナ宰相でいくつもりでしょうか。

 

連合、給与削減先行に不満 協約締結県 政権に展望なし(5日付朝日)……《民主党の労組出身議員も危機感を強める。2月下旬、日教組出身の那谷屋正義参院議員は「一番最初に公務員人件費削減が来るのはおかしい」と執行部にかみついた》→他紙に日教組議員の言動がごく自然に出るようになったのは嬉しいですね。でも、執行部って、もしかして輿石氏?

 

政治主導の反面教師? 菅前首相、勉強会で熱弁(6日付産経)……《民主党の菅直人前首相は5日、民主党中堅・若手を相手に「真の政治主導実現」について講演した。(中略)菅氏は政権交代前に視察した英国の議会制度などについて説明、「日本は国家統治機構のあり方をしっかりと考えるべきだ」などと訴えた》→政治主導という言葉を恥ずかしくて口に出せなくした人物はどこの誰でしたっけ?それにしてもアレのくせに何が「国家統治」だ。

 

解散している場合でない 民主幹事長(6日付日経)……《民主党の輿石東幹事長は5日の記者会見で、衆院解散・総選挙の時期について「今、解散している場合じゃないと思っている」と述べ、早期解散に慎重な立場を示した》→まあ、解散があれば現在の権力は失うでしょうしね。希望を語ったというところかしらん。

 

発言録 小沢一郎・民主党元代表(6日付朝日)……《この23カ月で解散・総選挙ということはあり得ないと思っているが、国民に信を問う時がそう遠くないという気もしている》→「あり得ない」は希望的観測でしょうか。そこはかとなく不安が漂う言葉でもあり、いや選挙が実に楽しみです。ぜひ早くやってほしい。

 

競馬サイト閲覧 法相、陳謝せず(7日付毎日)……《「ただ、委員会(開会)中でないときの携帯電話の使用については取り決めがない」として、陳謝はしなかった》→子供の屁理屈みたいですね。ホント、左派や人権派ってこんなのばっかり。

 

『誰とでも会う』小沢元代表(7日付日経)……《一川氏らが野田佳彦首相と会談するよう求めると「誰とでも会う」と答えたという》→会って得意の〝恫喝〟〝圧迫〟の土俵に持ち込みたいのだろうなあ。分かります、うん。

 

岡田副総理、新聞解約で行革?(7日付産経)……《さっそく首相官邸の副総理室に届く新聞6紙のうち、自宅で取っている3紙の解約を支持したという。ただ、どの新聞を止めるかについては「あまり敵を増やしたくない」と多くを語らなかった》→なにげに笑えますね。次を意識してか「言うだけ番長」を反面教師にしてか、かなり神経質になっているようです。

 

 ……かなり唐突ですが、この時代の閉塞感、やりきれなさを吹き飛ばすには、憲法改正が一番なのではないかと、そんなことを今、妄想しています。そろそろ、新しい風を招き入れないと、もうどうしようもないと。まあ、憲法を改正すればすべてが解決するわけでも何でもないでしょうが、心機一転、気持ちを新たにするのもいいだろうと。

 

 

 昨日の産経正論欄で、政府が現在進めている「女性宮家」創設に向けた皇室典範見直しの動きに関連して、日大の百地章教授が次のように書いているのを読み、「わが意を得たり」の思いがしました。

 

《女系推進派はいろいろ口実を設けて、これらの方々(※旧皇族)をあくまで排除しようとしている。しかし、一般民間人なら誰でも良いが、皇統に繋がる由緒正しき方々が皇族となられることは認めないなどといった主張がいかに異常か、なぜ気が付かないのだろうか。》

 

 連合国軍総司令部(GHQ)が皇室弱体化の意図を持って戦後、11宮家を皇籍離脱させたのは明白です。これら旧皇族の方々の復帰については、天皇陛下のお考えもあろうし、旧皇族自身の事情もあるでしょうから、ここで結論めいたことを言うつもりはありませんが、私にはずっと不思議だったことがあります。

 

 それは、小泉内閣の皇室典範有識者会議の議論もそうでしたが、現在の野田内閣でも、政府(官僚)側がどうしてこんな「屁理屈」を弄してまで旧皇族の復帰を否定しようとするかについてです。たとえば、1日付の読売新聞は旧皇族復帰についてこう書いています。

 

 《政府は「(現在の旧皇族は)一般人として生まれており、多くの国民の理解が得られない」として否定的だ。》

 

 そうなのですよね。これは小泉内閣のときから同じ見解ですが、これを現在の政府高官もたびたび口にしています。でも、一体何の根拠があるのか不明なのです。だって政府(官僚)は、新設する女性宮家の配偶者も皇族とする案を胸にあたためているわけです。純然たる民間人は皇族になれるが、旧皇族は世間が許さないという理屈にならない理屈は、どこから出てくるのか。

 

 私も百地氏と同様、この主張の異常さについて、16日付の産経紙面でこう書きました。

 

《また、政府は、戦後皇籍離脱した旧皇族の復帰については「現天皇陛下との共通の祖先は約600年前までさかのぼる」とする17年の報告書を踏まえ、検討対象から外した。

 女性宮家の配偶者となる民間男性が皇族となるのに旧皇族は無理とするのは不合理ではないか。しかも旧皇族のうち竹田、北白川、朝香、東久邇の4宮家には明治天皇の皇女が嫁ぎ、東久邇宮家には昭和天皇の皇女も嫁いでいる。母方の系統とはいえ血縁は近い。》

 

 この点については、229日に首相官邸で行われた有識者ヒアリングで、かつて「僕は、今まで(皇位継承権を)男系の男性に限ってきた一番大きな理由は、女性蔑視だと思いますよ」と語っていた(平成17年の週刊現代での対談)、あのジャーナリストの田原総一朗氏ですら、こう述べています。

 

 《GHQがこの旧宮家を廃止したわけでして、むしろこれはGHQの思惑でございまして、日本の国民の思惑ではない。だから、私は旧宮家の復活に反対ではありません》

 

 ……さすがに最近は、野田佳彦首相もこのままではおかしくなると考えたのか、国会で検討内容に旧皇族の復帰も含めることを表明したのは、以前のエントリで紹介した通りです。まだまだ予断は許しませんが。

 

しかしまあ、今回のテーマに限らず、政府の事務方が用意し、政治家や関係者に吹き込む旧皇族排除の論理や女系(雑系)容認の根拠は、やたらと穴の多い粗雑なものばかりだと以前から感じています。よほど国民をバカにしているのか、相当無理をしてでもそっちに持って行きたい理由があるのか。これまた不思議でなりません。

 

 そもそも、第一回ヒアリングの対象者が、皇室問題に見識があるとは思えない田原氏という時点で、私も同僚記者たちも「???」と首をかしげざるを得ませんでしたが、これ、どういう選考基準なんでしょうね。世の中分からないことばかりです。

 

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