2012年07月

 

 まあ、いろいろあります。ここ数日は、従兄弟の結婚式であるとか私的なことに主に時間を費やしていました。政治マターに関しては、各紙の朝刊をチェックし、政治部内の取材メモをメールで読みチェックする程度で、半ばぼーっとして過ごしました(いつもか?)。

 で、何の脈絡もありませんが、つい最近、後輩の杉本康士記者と話していて、今西錦司元京大教授の「私の進化論」の話になりました。

  私は学生時代に今西氏の著作がけっこう好きで繰り返し読んでいて、ダーウィン的な適者生存の論理より、今西進化論の「キリンは首を長くしたいから長くしたいのだ」「牛の仲間が鯨になるためには、進化の過程でどっちつかずの環境にも生存競争にも不適応な長い年月が必要で、適者生存でそうなったのではなく、なんとしてもそうなりたいからそうなったのだ」という説明(あくまで私のうろ覚えです)の方がはるかに説得力があるように感じていました。

 当時、今西氏と吉本隆明氏の進化論に関する対談なども読み、あまりに全くかみ合っていないのに笑うしかなかったのも印象深かったですね。さすがの吉本氏もどこかたじたじという感じで……。そういえば、やはり政治部の後輩の比護義則記者も学生時代、今西氏の著作をけっこう読んだと言っていました。

 そんなことを杉本記者と話していたところ、月刊WiLL9月号の「蒟蒻問答」欄で、たまたま久保紘之氏(弊紙OB)が今西氏に言及して、「今西錦司の言葉を捩れば『(すべてが)駄目になるべくして駄目になる』。何も政治だけが突出して駄目になっているわけではない」と語っていました。

 以前のエントリでも書きましたが、まあたまたまなのでしょうが、一つの人名なりキーワードなりが頭に浮かぶと、そういうときに限って周囲の会話やメディアでそれまで何年も見聞きしなかったようなそれと次々に出会うことがあります。無意識にそれを探しているから、そうなっているだけなのかもしれませんが、こういうところからモノを考えるヒントをもらうこともたびたびです。

 そこでせっかくなので、今西氏の著書「私の自然観」から、最初に読んだ四半世紀前より重大な意味があるなあと感じている部分を引用します。野生のチンパンジーの使うシロアリ捕食の際の道具と人類のそれとの比較の中での話ですがねまあ、私が重要と思ったというだけで、別にだからどうだというわけではないのですが。

 《(前略)われわれが一般に道具と呼び、人類学者が物質文化というものは、もうすこし永続性のある道具でなければならない。では、そういう道具として、人間の最初につくったものは、なんであったろうか

私は、それは武器であった、と思うのである。みずからを守り、猛獣とわたり合うために、人間自身の身体にどれだけの武器が用意されていたか。ニホンザルでもチンパンジーでも、いざとなったら噛みつく牙をもっているが、人間にはそれすらない。人間にとって武器は絶対に必要であった。それも、一人一人の人間に必要であった。そのうえ、それは四六時中肌身離さず持ち歩くことが必要であった

 ……人間の業というか宿命というか、どういう社会が理想であるかという問題とは別に、人という生き物はそもそもどういう成り立ちを持つ、どういう存在であるかということは、やはり押さえておかなければならないのかなあ、と思ったり、思わなかったり。

 あと、誰の言葉か出典がなかなか探せないのですが、やはり学生のころに読んだ動物行動学者か生物学者の言葉で、

 「自然は生き物を生かすようにはできているが、楽に生かすようにはできていない」(これまたうろ覚え)

 というのもとても「ああ、なるほど。そりゃそうだな」と納得して記憶に残りました。自然状態は楽園でも何でもないと。……すみません、本来は正確な言葉を引用すべきところですが、本日の私(これまた本日に限らない)は多少、酔っていることもあり、昔読んだ本が散逸し、今の書棚に必ずしも残っていないこともあり、勘弁してください。

 現実政治と関係のないことを長々と書きましたが、ただ、こういう学生時代にあれこれ考え、仲間と議論した話も、私の中では現在の政治現象を含めていろいろとモノを考える背景、世界認識の基礎になっています。ホント、本は大切だと思う次第です。

 

 

 今朝の産経政治面の「野田日誌」欄をみると、野田佳彦首相と菅直人前首相が都内の日本料理店で約2時間20分にわたり会食したことが分かります。菅氏と言えば、首相在任中のちょうど1年前の今頃、長野県での再生可能エネルギーに関するシンポジウムで、

 

「200年前、300年前は山に芝刈りに行ったおじいさんが、薪や何とかで全部やれた。新しい技術に転換してやればいいだけだから、全てのエネルギーを賄うことも十分可能だ」

 

と、何を言っているのだか全く意味不明の、正気すら疑わざるをえない供述をしていた御仁ですね。最近の自身のブログ(21日付)でも「再生可能エネルギーの活用を拡大し、その間、化石燃料を利用すれば十分電力供給は可能」と書いていますし、最近も大飯原発の再稼働を決めた野田首相に対し、

 

「野田さん。あなたは国民の怒りの対象になってますよ。わかってますか」

 

と、相変わらず自分の姿が見えていないアドバイス(?)をしていました。また、最近は9月の民主党代表選での野田首相の再選がほぼ確実視されているので、2人の会合場所の外で2時間以上も立って待ち構えていた記者団は、当然、以下のような質問をしたわけです。

 

記者 どんな話をしたのか。民主党代表選の話とかは出たのか

 

菅氏 今日はね、私はね、この間、野田総理に私の好きな焼酎をちょっと送ったもんだから、そしたら今日はそのお返しで、ご馳走になったんです。後は四方山話です。

 

記者 反原発、原発のあり方の話については

 

菅氏 いろんな四方山話をしました。

 

記者 エネルギー政策の話も

 

菅氏 四方山話と言いうと四方山話です。

 

記者 野田首相の方からはどんな話があったか

 

菅氏 いやあの、私が送った焼酎は美味しかった。

 

記者 楽しいお酒でしたか

 

菅氏 ああ楽しいお酒でしたよ。

 

記者 代表選についての話は、政権運営のアドバイスは

 

菅氏 本当に楽しいお酒でした

 

 ……もちろん、菅氏に聞いた記者団側も、機微に触れる話を正直に語ってくれるなんて最初から期待していなかったでしょうが、それにしてもこの受け答えでは空しさがいや増したことでしょうね。暑い中、2時間もただ待っていた俺たちって、何なんだろうと。

 

 私もかつて、首相番だったり、政党の幹部番だったりした際には、毎日のように政治家の夜会合が終わるのを外で待ち、ご本人や同席者、場合によっては店の関係者からどんな話があったか聞き取ろうとしてきました。記者団の取材にある程度きちんと応じてくれる人もいれば、まったく無言で無視する人もいるし、中には自分に都合のいい作り話(山崎拓氏はこればかり)を延々と語る人もいました。

 それを今、後輩記者たちが同じことを繰り返しているわけですが、でもまあ、私自身、これが仕事だから仕方がないけれど、心のどこかではいつも人生の貴重な時間を無駄にしているなあと感じていたのでした。まして、今回の菅氏のように、何も答えるつもりはないくせに、一応、質疑には応じて意味のないことを口走るというパターンが一番嫌でしたね。

 答えないなら答えないでさっさとどこかに行ってくれた方が、わずかでも自分の取材にあてる時間が持てますし、顔を赤くした酔っ払いの口から、こんな内容のない言葉を聞くと余計にどっと疲れますから。まあ、取材メモをみながら、ぼんやりとそんな感想を持ったというだけのエントリでした。この無内容さじゃ、菅氏のことをアレコレ言えませんね……すみません。

 

 

 まずは、今朝の産経が2面で掲載した陸上自衛隊訓練に関する区役所対応を批判した記事に関する「おわび」について、私も産経記者の1人として関係者の方々に心からおわびします。今回の記事には一切かかわっておらず、どうしてこのような結果になったかは把握できていませんが、記事の根幹部分に誤りがあるのは間違いなく、釈明のしようがありません。

 上記の問題を踏まえた上で、自分たちの問題は棚に上げるようで心苦しいのですが、いつものように雑文を記そうと思います。

 さて、福島第一原発事故に関する「民間事故調」が昨夜、菅直人前首相ら政治家5人のヒアリング内容をホームページ上で公開しました。これについては今朝の産経政治面のミニ・ニュース欄で、細野豪志原発事故担当相が「菅氏は何の躊躇もなく『(東電の)撤退はありえない』と言った。日本を救ったと今でも思っている」と述べていたことが記事化されていました。

 そこで早速、民間事故調のHPで確認したわけですが、ただ細野氏のヒアリングは昨年11月19日付なのですよね。なので、「国会事故調」と「政府事故調」が相次いで菅氏による東電の全面撤退阻止という都市伝説を否定した現在も、細野氏が「菅氏が日本を救った」と思っているかどうかは分かりません。でも、自分たちの過ちは認めない人たちなので、あるいは共同正犯として自己正当化のため、今も頑なにそう思い込もうとしているかもしれませんね。

 で、細野氏のヒアリング内容を読んでいて、興味深いと感じた部分があったので紹介します。確かに菅氏の首相在任時、こういう話題にたびたびなったなあと思い出したもので。

 細野氏 「私は菅直人という政治家の生存本能というか生命力って凄まじいものがあると思っていて、この局面で我が国が生き残るためには何をしなければならないのかということについての判断は、これはもう凄まじい嗅覚のある人だと思う」

 どうしてこの部分にことさら注目したかというと、私も昨年5月15日付の産経コラム「日曜日に書く 心は見えずとも思惑は…」の中で、こう書いていたからです。

 《「菅は能力的にはダメだけど、生き残るための嗅覚はすごい」

民主党の閣僚経験者の一人はこう漏らす。だが、その生存能力は国民のためとは思えない。》

……私も細野氏と途中までは認識を共有していたわけですが、結論は異なるようです。ちなみに生命力というと、特段関係はありませんが、ネムリユスリカの幼虫は、乾燥状態の幼虫を零下197度の液体窒素に1週間漬け込んでも、濃度100%のエタノール溶液に1週間漬け込んでも、90度のお湯に1時間漬け込んでも、水を与えると1時間後には動き出すとのことです。

話を戻すとまた、政府、国会、東電、民間の4事故調の中で、東電関係者から聴取できなかった民間事故調だけが菅氏が東電の全面撤退を阻止したという説に軍配を上げているわけですが、今回公表された菅氏へのヒアリング内容の該当部分を読んでみて、随分と甘い質疑だなあという印象を受けました。

HP上ですぐ読めるので、実際にご自分の目で確かめて判断してもらえばいいと思うのですが、民間事故調側が「東電の全面撤退は官邸側の誤解だったのか」と質問したところ、菅氏はこう答えています。

菅氏 「私からすると、責任ある私の次に責任ある立場の人間(海江田万里経産相、枝野幸男官房長官ら)のところに撤退したいという話があったということは、私にとってはあったということです。当然じゃないですか」

これに対し、民間事故調側もさすがに「関係各所に確認はしたのか」と再度尋ねていますが、菅氏にこう一蹴されています。

菅氏 「経産相、さらに官房長官というのは一番中枢の中枢だから、彼らはきちんと来ているというのに、彼らの責任できちんとそういう会話があったということを、私はそうかなと思って、それを前提として会議を開いて、その上で東電社長を呼んだわけです」

 ……実際はもう少し詳しく記されていますが、全部書き写すのは面倒なので要約しました。ただ、読みながら、民間事故調はよくも一番の当事者である菅氏とこの程度のやりとりしかせずに全面撤退問題で官邸側の言い分が正しいという結論を出したものだなあと不思議に思いました。

以前も書きましたが、私は当時の官邸の中枢メンバーが、「東電が全面撤退を申し入れてきた」と信じていたこと自体は全く疑っていません。ただ、それが東電への不信感が招いた勘違いによる独り相撲ではないかとは、かなり早い時期から感じるようになり、産経紙面その他でそう指摘してきました。

それが4つの事故調のうち、3事故調までがほぼ同様の結論を導いたことで、おおむね世の中のコンセンサスになったかと思えば、ネット上で表明されるさまざまな意見を見ると必ずしもそうではないようです。いまだに、菅氏英雄伝説や、いかなる根拠があってか菅氏が首相でなければ東電は全面撤退していたという主張がまかり通っていて頭が痛くなります。

まあ、何をどう考えようとその人の自由だと言ってしまえばそれまでなのですが、どうしてこうも人と人とはわかり合えないものかと、いい歳して青臭いことを考え込んでしまいます……。

 

 

今朝の産経政治面には、鳩山由紀夫元首相と菅直人前首相の似顔絵付きで、「『脱原発』仲良く吠えた」という記事が載っていました。特に鳩山氏については、首相官邸前で毎週金曜日に行われている関西電力大飯原発3、4号機の再稼働に反対するデモに飛び入りし、マイクを握って連帯を訴えて首相官邸に突入したものの、九州の豪雨被害視察で不在の野田佳彦首相には会えなかったというオチがついています。

 

 まあ、天災は政権交代すれば治まると述べていた菅氏と同様、鳩山氏にとっても九州北部の豪雨による大きな被害など眼中になかったのでしょうね。野田首相がこの日、被災地へ行くことはきちんと報じられていましたし、鳩山氏も野田首相がいないことは知っていたようですが、自身がいかに目立ち、脱原発派の有権者にいかにアピールするかのパフォーマンス効果しか考えていない鳩山氏にとっては、最初からどうでもよかったのでしょう。

 

 ちなみに、鳩山氏はデモの群衆に対し、こう語りかけました。鳩山氏と「思いを同じくする」と言われた脱原発派の人たちが、気の毒にすら感じます。だって、あの鳩山氏と同じなら、とにかく「ろくなものではない」「まともではない」と判断されてしまいますからね……。こんなのと一緒にされたらと心より同情します。

 

 《お集まりのみなさん。ごくろうさまでございます。私は鳩山由紀夫でございます。皆様方と思いを同じくする立場から発言させていただきたい。

 

 私は、みなさんの新しい民主主義の流れをとても大事しなければならないと思っています。皆さんの声をもっともっと政治に反映させていかなければならないと思っています。私もかつて官邸におりました。官邸と国民のみなさんの声をもっと近づけたいと思っていたが、国民の声が官邸の壁が厚くて聞こえなくなってしまいました。私もおおいに反省しています。

 

 今の官邸と国民、皆さんの声があまりにもかけ離れてしまっていると残念でなりません。総理を経験した、官邸にいた者としてみなさま方の声を官邸に伝え、政治の流れを変える役割を果たさなければならないと思ってやって参りました。

 

 これから、皆さん方の声をおうかがいして、私1人が官邸の中に……したいと思っています。皆さんの声をぜひ伝えたいと思っていますので、ぜひよろしくお願いします。ぜひ、この時点での再稼働を……その声を伝えるために、みなさんの声を伝えるために、これから官邸の中に乗り込んで、総理はおられないようでありますので、官房長官に皆さんの声を……どうかよろしくお願いします。》

 

 鳩山氏は首相就任直後の国連総会で、温室効果ガス削減目標について「1990年比で2020年までに25%削減することを目指す」という中期目標(鳩山イニシアティブ)を発表し、いまだに取り下げていません。首相在任中も退任後も、菅氏と競うようにしてベトナムなどへの原発輸出ビジネスに取り組んでもいました。まあ、この人の言動の矛盾をいくら指摘しても、ご本人は馬耳東風、糠に釘なので詮なきことではありますが……。

 

 で、話は飛ぶのですが、私は先日のエントリで、政治家批判にも疲れたという趣旨の愚痴をこぼしました。記者なんて、批判が仕事のような部分もあるのですが、他者に対する批判の何割かは自分自身に跳ね返ってくるものであり、そうした作業を重ねるにつれ、少しずつ精神バランスが崩れていくのが自分でも分かるような気がしたからです。

 そんなときに、月刊「新潮45」の7月号の特集記事「落選させたい政治家12人」と8月号の「この絶望的な政治家たち」に続けて記事を書かせてもらう機会がありました。そこで私以外の人が、それぞれの対象である政治家たちについて非常に手厳しく、ここまで書いていいのかというぐらい冷徹に突き放してぼろくそに書いているのを読み、ああ自分はまだまだ甘かったと思い直した次第です。

 政治家批判の表現については、民主党政権になってからその余りの低劣さ、愚劣さに、書き手の自己抑制のたがが外れ、何でもありになっているような印象もあります。自民党政権時代とはどこか批判の質、対象、中身が根本的に異なっていると。ともあれ、そこまで踏み込んで彼らの腐れ外道ぶりを明快に指摘している記事の数々を読んで、私も批判疲れなんてしている場合ではないと反省しました。以下、きりがないので鳩菅に絞っていくつか引用して紹介します。

【7月号】

菅氏について ノンフィクション作家の保阪正康氏《私は市民運動に詳しいわけではないので、あっさり言ってのけることになるが、こんな人物しか生み出すことができなかったのであれば、市民運動とは何と歪んだ世界なのだろうと実感する》《日本は少し舵とりを誤れば市民運動出身の権力至上主義者が登場して、麗句と恫喝、そして自己陶酔でこの国の基本的な骨格をがたがたにするのだなとも思い至った》《とにかく自分の思うとおりにならないとどなる、わめく、すごむ、権力の威を借る人物》《私がここでも驚いたのは、事故調査委員会でまたぞろ脱原発を訴えるという、麗句を用いて、自らの責任を回避しようとするその姿勢にあった。この委員会では事故の調査を正面から検討するのが目的であり、脱原発とか非原発という持論(自らの変節を巧みに弁解する論法なのだが)を主張するのはまた違う場面で行わなければならないのに、そのことにも気づいていない(いやいや気づいていて巧みに責任のがれをすることによって、ひととき権力機構から身を遠ざけようとする戦略かもしれない)》

鳩山氏について 文芸評論家の福田和也氏《落選させたい、なんてもんじゃないね、此奴は。抹殺、でもすまないくらい。それほど、酷い、非道い、ヒドイ、と変換の限りを尽くさざるを得ないほどにシドイ。総理としてとか、政治家としてとか、そういった、一般的な水準と、数億光年離れたところで非道い。》《怖気をふるいたくなるような不気味さというか、ノメリとする、触るどころか視野に入ってくるだけで恐ろしい、というような感じがする》《落選じゃなく、引退でもなく、ただただ消えてほしい、いなくなってほしい。あるいは「史上最低の総理」として、国会議事堂に晒しますかね》

【8月号】

菅氏について 作家・哲学者の適菜収氏《菅直人は、自著で独裁と反文明主義を賛美する狂人でした。自身の資金管理団体がパチンコ屋を経営する在日韓国人から違法献金を受けていたことが発覚するものの、東日本大震災と福島第一原子力発電所事故の対応を口実に総理の座にしがみつき、わが国を地獄の底に突き落とした》

評論家の遠藤浩一氏《詭弁を弄することには長けているけれども、国のトップとしては怒鳴り散らすことにしか知らなかった菅直人前首相》

鳩山氏について コラムニストの小田嶋隆氏《私の目には、バブル崩壊からこっちの20年、相次いで現れる代わり映えのしない自民党のリーダーたちが、打席に立つやバントばかりしている、世にも消極的なバッターに見えていた。だから、新しい若いスラッガーには、結果は三振でもかまわないから、思い切りバットを振ってほしいと考えたのだ。で、鳩山さんは、見事に三振したのだと、私はそう解釈していた。が、事態は、より悲惨だった。新たに打席に立ったバッターは、ボールが来てもいないのにバットを振り、打席と関係のないところでボールを追い掛け回し、さらには、そのまま一塁に歩き出してタッチアウトになっていた。要するに、彼は、野球のルールすらわかっていなかった》

適菜収氏《鳩山由紀夫は首相に就任すると、「歴史を変えるのはわくわくする」「日本の歴史が変わると思うと身震いする」と述べました。その言葉通り、身震いするような事態が続発します。鳩山はオモチャを与えられた幼児のように、わが国を振り回し、最後には放り投げた。米軍普天間基地の県外移転騒動により日米関係を悪化させ、沖縄県民を二重三重に陵辱した挙句、「国民が聞く耳を持たなくなった」と責任を国民に転嫁しました》

鳩菅両氏についてではありませんが、適菜氏はこんなことも書いています。賛否が分かれるところかもしれませんが、リスクもあるだろうに、ここまで言い切る勇気と覚悟にはある種の感銘を受けました。

《たとえば原口一博という議員の顔を思い浮かべてほしい。あんなクレヨンで描いたような顔が信用できるわけないでしょう。同じ町内に住んでいたら誰もが警戒する顔です》《卑劣な人間は卑劣な顔をしているし、悪人は悪人顔をしているし、山岡賢次は詐欺師のような顔をしている》《輿石東から仙谷由人、菅直人にいたるまで民主党にいるのは横縞の囚人服が似合うような人々です》

……まあ、私自身も菅氏が首相時代、記者会見などであの顔を見るたびに、何が詰まっているのだか無意味に広い額に「恥」という文字がくっきりと浮き出ているように思えて仕方がありませんでしたが……。いずれにしろ、私も覚悟を決めて「お前は何様だ」と言われることは甘受しつつ、批判すべき対象は徹底的に批判するしかないのだろうと改めて思ったのでした。

 

さて、いじめ問題の続きです。この教育上の一大課題について、かつて小学校教員を務め、山梨県教職員組合委員長を経て今や大与党の幹事長という公的な立場にある日教組のドン、輿石東氏はこれまで何も発信していませんでしたね。

 

輿石氏はかつて子供のころ、実家近くの川の橋の下に住み着いたホームレスの夫婦に自ら石を投げてからかうという、ふつうの人は一生経験しないであろう希有ないじめ実践経験を持っているにもかかわらずです。この沈黙は輿石氏らしいといえばそうではあるのですが……。

 

このままじゃいかんな、ちゃんと聞くべきだと政治部内で話していたところ、本日、担当の後輩記者が輿石氏にその点について質問してくれたので紹介します。さて、輿石氏はいじめ問題について、元教員として自らの深い経験・思索に基づく素晴らしい卓見を示してくれたでしょうか……

 

記者 大津市のいじめ自殺事件への所見を

 

輿石氏 非常に残念なこと。だれが責任がある、ないなんて問題ではない。尊い人の命をなくしてしまう、自ら命を絶つ、そういうのは大変なことなんで。学校が悪い、先生が悪い、教育委員会が悪い、親が悪いと言ってる場合じゃないでしょう。みんなで、そういうことのないようにきちんとやっていく、ということだと思います。

 

記者 教育現場にいた立場から、何が問題だとみるか?

 

輿石氏 それは、なかなか簡単に「こういうところに原因がある」という、そのことが分かれば、防げるでしょう。そう簡単ではないでしょう。

 

 ……おみそれしました。さすが輿石氏です。期待を裏切らない見事なまでに空疎な、何も考えていない、それでいて責任逃れの言葉だけは巧みにちりばめた答弁をしてくれました。学校も先生も教委も免責した上で、「みんなで、そういうことのないようにきちんとやっていく」といわれても、何をどうすればいいのかさっぱり分かりません。

 こうした問題が「そう簡単ではない」というのはその通りかも知れませんが、それにしてもよくぞここまで無内容な言葉を発することができるものだと感心します。かえって一般人には至難の業じゃないかと。

 最近では、この人を幹事長に抜擢した野田首相の周囲も「輿石さんについては過大評価だったかなあ」と漏らしていますが、一体何をどう評価したのやら。私には、この人は何か問題が起きても結局、何も考えず、対策も打たず、ただ事態が過ぎ去るのをぼーっと首をすくめて待っているだけでここまで来た人物にしか見えません。

 民主党には、このままずるずると輿石幹事長の下で衆院選を戦ってほしいと願います。きっと見事な陣頭指揮と采配ぶりを発揮して輝ける成果を残してくれることと思います。本当に楽しみです。

 

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