2012年08月

 

 さて、まるで菅直人前首相のように自己正当化に余念がなく、自社の過去記事については密かに歴史修正主義を旨とする朝日新聞は今朝の社説で「河野談話 枝でなく、幹を見よう」というタイトルをつけ、以下のように書いています。(※と太字は阿比留)

 《河野談話は、様々な資料や証言をもとに、慰安所の設置や慰安婦の管理などで幅広く軍の関与を認め、日本政府として「おわびと反省」を表明した。》

 《松原氏(※松原仁国家公安委員長)らは、強制連行を示す資料が確認されないことを(※河野談話の)見直しの理由に挙げる。枝を見て幹を見ない態度と言うほかない。》

 ……要は朝日は、強制連行の有無は「枝」、つまり枝葉末節にすぎないと言いたいようですね。でも、朝日はそもそも朝鮮人慰安婦は日本軍に強制連行されたと決め付け、それを前提にたくさんの記事を書き飛ばしてこの問題を拡大し、こじらせ、河野談話を作らせ、世界に強制連行説を広めた当事者であるわけです。

 前のエントリでも触れましたが、1992111日付の1面トップ記事の「従軍慰安婦」の用語解説で、わざわざ「多くは朝鮮人女性」という見出しをつけて「約8割が朝鮮人女性だったといわれる。太平洋戦争に入ると、主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その人数は8万人とも20万人ともいわれる」と事実無根のほら話を強調していましたね。

 また、92123日付の夕刊1面コラム「窓 論説委員室から」では、後に詐話師と判明する吉田清治氏の与太話を引用し、「吉田さんらが連行した女性は、少なくみても950人はいた」などとやはり「強制連行」を当然の前提として書いています。朝鮮人女性の強制連行こそが朝日の記事・主張を成立させる核心部分であったわけですが、それが今や「枝」扱いです。

 さて、私の手元に自由主義史観研究会が20052月に出した小冊子「朝日新聞が捏造した『慰安婦問題』 その虚報と誤報の軌跡」があります。この冊子には、平成89年頃の慰安婦問題をめぐる朝日と産経の論争で産経が勝利したことも記されていますが、今朝の朝日社説を読んで思い出したのは「お得意のスリカエ戦術」と題した部分でした。今回の社説の手法が、15年前から変わっていないことがよくわかります。以下、引用です。

 《朝日新聞を批判する学者やジャーナリストたちは、「日本の国家機関や軍による、慰安婦調達を目的とした強制連行はなかった」と主張しているのですが、それに対して『朝日新聞』は、ご覧の通り(1997331日付社説で)「日本軍が、女性たちを直接に強制連行したか否かというのは狭い視点で問題をとらえようとする傾向で、そのような議論の立て方は、問題の本質を見誤るものだ」と訴えているわけです。要するに、朝日は「強制連行など、慰安婦問題の本質ではない」と言っているわけです。(中略)

1991年から92年にかけて、「日本の官憲や軍による強制連行での慰安婦調達」を前提に慰安婦問題のことを報じてきた『朝日新聞』が、5年ほど経過した973月には、それこそ手のひらを返すように「強制連行など、慰安婦問題の本質ではない」などと書くようになったわけですが、それは「日本の国家機関や軍による、強制連行での慰安婦調達」など、事実でなかったことが疑問の余地なく明らかになったからです。朝日一流のスリカエ戦術と言わざるを得ません。》

  

また、この冊子の「吉田証言には知らんぷり」と題した部分ではこう手厳しく指摘しています。

《朝日は、吉田証言について、次のような無責任極まりない言い草を弄しています。

戦時中に山口県労務報告会下関支部にいた吉田清治氏は83年に、「軍の命令により朝鮮・済州島で慰安婦狩りを行い、女性205人を無理やり連行した」とする本を出版していた。(中略)朝日新聞などいくつかのメディアに登場したが、間もなくこの証言を疑問視する声が上がった。

済州島の人たちからも、氏の著述を裏付ける証言は出ておらず、真偽は確認できない。(1997331日付『朝日新聞』、1217)

「朝日新聞などいくつかのメディアに登場したが」とはどういうことでしょうか。これじゃあまるっきり〝人ごと〟です。吉田ウソ証言をウノミにし、虚構を事実として、繰り返しその紙面で報道してきたのは、誰でもない『朝日新聞』自身なわけです。》

  

ちなみに、秦郁彦氏の著書「慰安婦と戦場の性」(新潮選書)によると、朝日はこの973月の記事で「吉田証言の真偽は確認できない」と書くに至るまでに、198292日付、831110日付、91522日付、911010日付、92123日付、92525日付……と明らかに他紙に突出して吉田氏を紙面で取り上げています。

 これだけ吉田氏を重用し、その虚偽の証言を事実であるかのように何度も紙面に登場させたあげく、一切検証も総括もせずにさらっと「真偽は知らん」とだけ書いて今に至るまで頬被りを決め込んでいるということですね。なぜだか、やはり菅直人氏の言動を連想してしまいます。ああそうか、さっき衆院議員会館のエレベーター内で菅氏の元秘書と一緒になったからか。

 それはともかく、いつのまにか「幹」、つまり根幹の問題を枝葉だとすり替えて保身を図る朝日の詐術には乗らないように気をつけたいところですね。いや、やっぱりこういう手法を何の躊躇もなく恥ずかしげなく取れるところは、やはり菅氏と通底する部分がありそうです。ああやだやだ。

 

 

 さて、私は最近のエントリで慰安婦問題を「捏造」した朝日新聞と、虚偽を事実であるかのように「認定」して日本の歴史と我らの父祖を恥辱の海に沈めた河野談話について批判してきました。この問題に関しては、いくら書いても書き足らないという気持ちがあります。

 ただ、それでは悪いのは朝日と河野洋平氏だけかというとそうではなく、朝日の報道に目をくらませて追随した他のメディアも、河野氏と一緒になって何とか韓国のご機嫌をとろうと必死だった他の政府関係者も、みんな共同正犯であるわけです(残念ながら、産経の報道も当初は変でした)。日本にありがちな時代の「空気」が背中を押したという部分も否めません。

 また、このところ、他人の書いた文章を引用することが多かったので、本日は私自身が鳩山由紀夫内閣発足前夜に、月刊「正論」(200910月号)に書いたもの(「第二の『村山談話』を阻止せよ」)から関連部分を抜き書きしたいと思います。以下がそれです。

 《鳩山氏は平成193月の記者会見で、こう明言している。

「河野談話は、事実に基づいた談話と認識している。民主党としても(談話を)尊重する立場だ」(中略)

河野談話は政治改革関連法案の処理に失敗した宮沢内閣が総辞職する前日に、駆け込み的に発表されたものである。平成585日付の毎日新聞はこのときの状況をこう記している。

「政府が4日発表した従軍慰安婦問題の調査結果は、5日に総辞職する宮沢政権が駆け込み的に行ったものだ。韓国側が強く求めた『強制連行』の事実を認めたことで、政府は『調査はこれで終わった』(河野洋平官房長官)と区切りがついたことを強調する。こうしたタイミングでの発表の背景には、政権交代を前に『現政権のうちに決着させたい』との両国政府の利害が一致したことがある」

鳩山氏は、このようにして〝藪の中〟で成立した河野談話を簡単に「事実に基づいた談話」と呼んだ。だが、河野談話について調べれば調べるほど「事実」などどこにもなく、その場しのぎの短慮で国益を害した愚かな政治家・官僚たちの実態が浮かび上がるばかりではないか。

河野談話作成の準備段階にあたる平成53月の新聞各紙を読み返すと、24日付の毎日新聞と、25日付の朝日新聞に、情報源は同じとみられる興味深い記事が掲載されている。見出しは次の通りだ。

・毎日新聞「従軍慰安婦『強制連行』広く定義」「政府が新見解 精神的苦痛も含める」

・朝日新聞「『強制』幅広く認定」「従軍慰安婦調査で政府方針」「精神的苦痛含めて判断」

この前日の23日には、谷野作太郎外政審議室長が参院予算委員会で「強制」の定義について「物理的に強制を加えることのみならず、脅かし、あるいは畏怖させて、本人の自由な意思に反してある種の行為をさせること」と答弁し、「強制」を幅広くとらえる考えを強調していた。

毎日新聞は記事で、谷野氏の答弁と政府首脳の「物理的だけでなく精神的な場合も含む」との言葉を挙げた上で、「強制連行の定義が焦点になっていたが、今回の政府判断は『本人の意思』に反していたかを基準とし、脅かしや精神的圧迫による連行も含めたことになる」と報じている。

また、朝日新聞も政府首脳の「精神的苦痛、心理的なものも含めて」との言葉を紹介し、「元従軍慰安婦からの聞き取り調査で、脅迫など精神的圧迫を受けたとする証言があった場合、強制的に連行されたものと判断するなど幅広く解釈していこうというものだ」と書いている。

新聞表記の慣例上、政府首脳は主に官房長官を指すため、この二つの記事はオフレコの場などで河野氏が表明した考えを伝えたものとみられる。谷野氏と政府首脳(河野氏)の言葉からは、当時の政府が、証拠がいくら探しても出てこないにもかかわらず、韓国を満足させるためどうにかして強制性を認めようとして苦心していたさまがうかがえる。何とも倒錯した日本国民不在の風景だ。

付け加えると、谷野氏は外務省チャイナスクール出身で中国課長を経て、外政審議室長として村山、河野両談話の作成にかかわっている。後に中国大使となったほか、親中派の福田康夫前首相の小学校時代の同級生でアドバイス役も務めていた人物である。

ただ、河野談話の責めを河野氏や当時の政府関係者だけに帰するのは公正ではないかもしれない。当時のメディアの慰安婦報道はあまりに一方的で不勉強で、旧日本軍への偏見と悪意に満ち、かつ諸外国の言い分を垂れ流すばかりだったからだ。

例えば、平成4112日付朝日新聞の1面トップ記事「慰安婦 軍関与示す資料 部隊に設置指示」は、それ自体、政治的意図のある偏向したものだが、さらに噴飯モノなのは記事に添えられた「従軍慰安婦」に関する用語解説だ。そこにはこうある。

(前略)8割は朝鮮人女性だったといわれる。太平洋戦争に入ると、主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その人数は8万とも20万ともいわれる」

 まるっきり、北朝鮮か韓国の反日活動家のプロパガンダである。慰安婦問題に詳しい現代史家の秦郁彦氏によると、慰安婦の総数は2万から2万数千人にとどまるし、日本人女性が4割を占め、朝鮮人女性は2割程度だったとされる。また、女子挺身隊と慰安婦は全く関係がないのはあまりにも明らかだ。

 しかし、当時の新聞は元慰安婦の証言は何ら検証も行わないまま事実として報じ、朝日新聞だけでなく毎日新聞も東京新聞も「女子挺身隊名で強制連行」と平気で書いて旧軍を批判していた。産経新聞も、史実にない「従軍慰安婦」という言葉を何度も使用していたことを反省とともに指摘しておきたい。

 当時のテレビ報道がどうだったかは把握していないが、新聞と似たり寄ったりだったかそれ以上に扇情的だったのではないか。河野氏をかばう気などないが、そんな歪んだ言語空間にあって、政府のみに「正気」を求めるのは酷なのかもしれないと思う。(後略)

 ……何とかその場しのぎに韓国をなだめたいと浅知恵で「強制」の範囲をでたらめに広げて無理矢理「強制性」を認めた結果が今日、「セックススレイブの国、日本」というとんでもない誤解が世界に広まったことにつながっていますね。そして、当時の新聞は政府のそうした事実とは無関係の「作為」を特に批判しようとはせず、むしろ同じ気分でいたようです。

 だいたい、20万人もの同胞の若い女性が軍に強制連行されるのを黙って指をくわえて見ていたとしたら、朝鮮半島の男は信じられないほどの弱虫、卑怯者、クズということになります。韓国の人たちは、そこのところをどう考えているのでしょうか。まあ、例の「反日無罪」の思考法で、矛盾や齟齬など気にしないのでしょうね。そして、そのアホらしい限りの20万人説を無批判に掲載する新聞も新聞です。さすがに最近はこうは書かなくなりましたが……。

 この当時、インターネットがすでに普及していて、いろんな人の情報発信が可能だったら、こうも話が歪んでいかずに済んだのだろうと思います。まあ、これは言っても詮なきことですね。

 

 

私はふだん、写真週刊誌はほとんど手に取ることはないのですが、今朝は思わず「FLASH(9.11)450円も出して買ってしまいました。別に巻頭の長澤まさみが妖艶だったからでも、袋とじのページが何としても見たかったからでもなく、巻末の特集記事「『従軍慰安婦』問題は、朝日新聞の捏造から始まった!」に感心したからでした。この手の雑誌にも、こういう記事が大きく載る時代なのだなあと。これも「李明博効果」でしょうか。

  

この記事は、現代史家の秦郁彦氏、東京基督教大の西岡力教授、上海で慰安所の検診を担当した軍医、麻生徹男氏の次女の天児都氏ら、このブログでもたびたび引用している方々のコメントも紹介しています。天児氏からはつい最近も、「占領時にアメリカが行った日本に対する言論弾圧について」という論文を送っていただきました。ありがとうございます。

  

  

かつて朝日の紙面で、あろうことか

 「竹島を日韓の共同管理にできればいいが、韓国が応じるとは思えない。ならば、いっそのこと島を譲ってしまったら、と夢想する」

 と、堂々たる「妄言」を書いた現主筆の若宮啓文氏などは、「韓国のためにと思ってやったことだ」と胸を張るかもしれませんが、ホント、日本にとっては迷惑この上ない新聞です。「FLASH」の記事は、慰安婦問題がどのようにして生まれ、大きな問題化したかをコンパクトにまとめています。そして、最後はこう締めくくっています。

 「慰安婦問題は、日本の左翼が種を蒔き、それに韓国が乗っかって花を咲かせたのだ。では、この問題を大きく育てた朝日新聞は『捏造批判』にどう答えるか。『締め切りまで時間がないので回答できません』。日韓関係をここまでめちゃくちゃにした謝罪の言葉は、いっさいなかった」

 ……ともあれ、ついでなので西岡氏の著書「よくわかる慰安婦問題」(草思社、非常にいい本です)から、慰安婦問題の虚偽性がわくわかる部分を引用します。

 《同じ頃(1992)、韓国人から強制連行はなかったという話を連続して聞いた。

私がソウルで会ったある韓国人記者は、「自分はこの問題についてこれ以上は書かない」と言った。

「それはどういうことですか」と尋ねると、「元慰安婦の女性にかなり取材をしてきた。ところが彼女たちは慰安所に入れられてからの悲惨な生活についてはよくしゃべるのだが、しかし連れていかれる過程になるととたんに口ごもることが多い。それで追及していくと、どうも女衒がからんでいるらしいことがわかってきた」とのことだった。

それで私が、「女衒って日本人ですか」と聞くと、「あなたね、日帝時代、朝鮮の田舎に、日本人が入っていけると思いますか」と言うのである。つまり、取材を重ねるにつれ、朝鮮人の女衒が関与して、身売りとして売られていったという人たちなのだということがだんだんわかってきたというのだ。(中略)

やはりその頃、済州島出身の左翼知識人である在日朝鮮人高峻石氏は佐藤勝巳氏に、「吉田(※清治)の言うような日本軍による慰安婦狩りなどなかった。自分の村でも慰安婦が出ている。自分の親戚にあたる未亡人が、村の娘ら何人かを中国に連れて行って慰安所を開き大金をもうけて話題になり、村から別の娘たちもその慰安所に出稼ぎに行った。当時の済州島でも貧しさで身売りする娘が珍しくなかったのに、なぜ、軍がわざわざ慰安婦狩りをする必要があるか。もしそんなことがあれば、噂はすぐ広まったはずだが、聞いたことがない」と話していた。

また、70年代韓国の野党新民党で政策責任者などを歴任した元国会議員のK氏も、日本に来るたびに私に語っていた。

「日本は慰安婦狩りなどしていない。日本人はなぜこんなこともわからないのか。2.26事件は反乱将校らが、東北地方で兵隊の妹らが貧しさのため身売りしなければならないという現実を知って憤慨して起こした。当時の朝鮮農村はもっと貧しかった」(中略)

韓国を建国した李承晩大統領は反日を反共とならべる国家スローガンとし、日本との国交交渉においても植民地支配の不当性を強制しつつ多額の補償金を要求していた。その李大統領ですら、日本での外交交渉で慰安婦については一切言及していない。慰安婦がいたということは知っている。当時の人たちはみんな知っていたけれど、慰安婦を外交交渉にあげて日本から金を取るということは、あの李承晩大統領ですら考えなかった。(中略)貧困による悲劇だとみな知っていたから、問題にされなかったのだ。》

……慰安婦問題を捏造し、今日の日韓関係の惨状を招いた朝日の植村隆記者はいま、どう思っているのでしょうか。自分のしでかしたことに、「心からの反省とおわび」を表明する日は来るのでしょうか。まあ、ないでしょうね……。

 

 

 えー、今回の竹島や慰安婦問題をめぐる一連の騒動で、韓国側は李明博大統領をはじめとして日本側にまたまた「謝罪」を求めていますね。いったい何をどう謝罪しろというのか困惑することしきりであり、もういい加減にしろというのが素直な気持ちです。まあ今回は、韓国側が日本の首相親書を突き返し、日本の主張に聞く耳を持たないという態度に出たので、こっちも堂々と当面「韓国を相手にせず」という姿勢を貫けばいいわけですが。

 ただ、本当に嫌になるのは、韓国の場合、大統領が交代するといつも似たようなプロセスを繰り返し、最後は大統領の政治的立場や功名心、つまり相手側の事情でこっちの迷惑を一顧だにせず「今まで以上に謝れ」「今までのは謝罪のうちに入らない」などと不条理なことを言ってくることですね。

 彼らとしては、歴史カードを振りかざせば、いつでも日本の優位に立てると思い込んでいるのでしょう。根拠もなく、日本は加害者であり、道徳的に劣る存在であるという前提で上から目線でいろいろと要求してくるのが通例なわけですが、今回は一線を超えてしまいました。

 李大統領は「天皇陛下が韓国に来たがっている」という嘘を公言し、陛下の過去のお言葉を侮辱し、その上に立って「心から謝罪するなら来てもいい」と述べました。非礼・無礼・デタラメここに極まれり、であり、韓国という国のあり方を広く日本人に知らしめました。

 おかけで国会では、創価学会の韓国布教戦略のためか親韓傾向が著しかったあの公明党議員まで激しく韓国を批判し、香港の活動家による尖閣上陸の件もあって、政府の外交方針を厳しく追及する場面が見られました。そして何より、半ばタブーとなっていた河野談話批判が、国会その他で封印を解かれたように始まっています。私はあえて言いたいのです。李発言は時代の風向きを変える分岐点になりつつあります。

 「李大統領よ、ありがとう」

 と。まあ、日本人の場合、良くも悪くも忘れっぽいというか過去のことをすぐ水に流してしまうので、ここでいったん覚醒したように見えても、気をつけないとすぐ元の木阿弥ということもありえますが、それでも韓国という国のイメージは今回の一連の騒ぎである程度、決定づけられたことでしょう。あとは、韓国がどんなにヒステリーを起こそうともはや相手にせず、河野談話見直しも含めて粛々と対韓外交を改めればいいのです。

 さて、対韓外交というと私が社会部から政治部に異動になったばかりの平成1010月に、当時の金大中大統領が訪日して小渕恵三首相と会談しました。私にとっては、国家の首脳同士による共同記者会見に出るのは初めてだった(質問の手は上げましたが、当然指されませんでした)ので、当時のことが強く印象に残っています。

 このときの首脳会談で、小渕氏は日韓の歴史問題について「韓国国民に対し、痛切な反省と心からのおわび」を表明し、さらに署名した日韓共同宣言でも「多大な損害と苦痛を与えたことに、痛切な反省とおわび」を明記しました。日本が韓国民に向けた「おわび」を公式文書に記したのはこれが初めてでした。小渕氏としては、これで韓国との戦後問題に決着をつけるつもりだったのでしょう。

 これに対し、金氏は「非常に重要だ」と評価しました。また、韓国マスコミはこの「おわび」について、それまでの「謝過」との訳ではなく、より強いニュアンスの「謝罪」と翻訳し、大統領スポークスマンもマスコミに「謝罪で統一するように」と説得したとされます。つまり、韓国側もそのとき(だけ)は日本側の「謝罪」をある程度重く受け止めていたわけですね。

 実際、112月に当時の高村正彦外相が訪韓し、金大統領と会談した際、金氏はこう語っています。

 「日本では、また(韓国側から)謝罪の話が出るのではないか、との考えがあるようだが、謝罪は一度でいい。韓日関係の過去は自分の訪日で精算された」

 「(自身の訪日の)成果は韓国民から高く評価された。国民感情のわだかまりが解消したということは、一層大きな歴史的意味がある訪問だった」

 ……「過去は清算された」とまで大統領が言っていたのに、それから13年以上経つ今もこんな有様です。ちなみに、金大統領は1012月にベトナムを訪問し、当時のチャン・ドク・ルオン大統領と会談した際には、ベトナム戦争に韓国が30万人以上を派兵したこと(多数の混血児をベトナムに残しましたね)について遺憾の意を表しましたが、その言い方は以下のようなものでした。

 「過去にわれわれは、不幸な歴史を共有した。これについて、遺憾の意を表し、不幸な歴史を克服するために働くべきだ」

 ……謝罪なんか、しちゃいません。単純比較するつもりはありませんが、日本にだけは好き放題、謝罪でも賠償でも要求するけれど、韓国が他国に与えた被害・損害についてはこんなもんです。まあ、『「反省やおわび」なんかしないことが国際法であり国際慣行である。それをすることは国際法違反であり、国際慣行違反なのである』(小室直樹氏)という指摘もありますし、日本はもうこうした韓国のダブルスタンダードを許容してはいけないと思います。

 韓国自身が自国の歪んだあり方、盧武鉉大統領が在任中に整形手術を受けて一重まぶたを二重にしたことに象徴されるように、本当の自分と実際の歴史を整形・美化して恥じないことのみっともなさに気づくことは、あまり望めないでしょうが……。

 

 

 

さて、私は平成58月の河野洋平官房長官談話の作成に、事務方のトップとしてかかわった石原信雄元官房副長官に、河野談話について9年と17年の2回、インタビューをしています。1回目はアポなしで石原氏の自宅に押しかけ、家の前で長時間立ったまま話を聞いてノートにメモし、2回目はきちんと約束して指定先に出向いて取材しました。

 

で、その2回目の分については、6年前の2006828日のエントリ「河野・慰安婦談話と石原元官房副長官の証言」(http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/30961/)でおおよそのやりとりを掲載したのですが、きょう当時の取材ノートをチェックしていてもう少し詳細に紹介したくなったので、その部分を補充して再掲載します。現在、ワシントン支局長をしている佐々木類記者と2人で聞いたものです。

 

Q 河野談話発表の経緯を説明してほしい

 

石原氏 慰安婦問題が出てきたのは、韓国で挺身隊問題対策協議会の人たちが日本政府に謝罪と賠償を要求するという訴訟が起こった。日本政府ははじめはそれほど気にしていなかったが、そのうち日本でも法廷闘争に持ち込んできて、だんだんエスカレートしていった。当時、日本では内閣外政審議室が一応の窓口になって対応していたが、どんどんエスカレートしていき、(外政審議室が対応していたのは)もともとはいわゆる強制労働、徴用の話だったのに、強制的に連れてこられた中にご婦人がいる、要するに慰安婦にされた人たちがいるんだという議論になった。

 

ところが、我々は戦中・戦後の事務手続きの中で慰安婦は全然、引き継ぎ事項になかった。強制徴用の問題は、数の問題はともかく認識していた。ところが、慰安婦問題は全然、データもないし出てこないし。慰安婦が存在していたということは、当時の関係者から聞いていたけども、政府はそれを裏付けるデータを当時、全く持っていなかった。

 

戦後処理の問題は日韓の国交正常化の際に一括で処理したわけで、個別の対応というのは、我々は対応しようがないじゃないかということできたが、だんだん攻められて放っておけないと。国会でも当時の社会党を中心に、政府が何らかの対応をすべきじゃないかと。それでは当時の文献その他調べてみよとうということで調べ始めたが、そういう経緯だから各省庁とも積極的ではなかった。

 

しかし、この問題を熱心に追及している運動団体がいる。この人たちが、あそこにあった、ここにあったと言い出した。それで政府側としても、こういうデータはあるじゃないかと各省庁に協力を求めて資料を集めた。それで加藤紘一官房長官のときに第一回の調査結果を発表した。随分我々ととしては努力して集めたつもりだったが、関係者からすればまだまだ不十分だとご不満だった。第一回の調査結果発表については、韓国側を中心に全く関係者は納得しないということだった。

 

そうというときに宮沢喜一首相が日韓首脳会談で韓国・済州島だったかに行った。本当は、日韓首脳がこれからはサシでざっくばらんに話し合いをやろうという趣旨で、慰安婦問題は全然想定していなかった。未来志向で行こうということで、外務省からもそんな話はなかった。ところが、現地で女子挺身隊と称する人たちに宮沢首相が取り囲まれて、この話ばかりになっちゃった。我々は慰安婦問題が韓国では深刻な問題になっているのを改めて認識した。そういうこともあり、さらに調べてみようと。

 

Q  慰安婦と政府のかかわりを示す資料はあったのか

  

石原氏  上げられたデータの所在地は全部念を押して、国外、国内、ワシントンの公文書館も調べたし、沖縄の図書館にも行って調べた。それこそ関係省庁、厚生省、警察庁、防衛庁とか本当に八方手をつくして調べた。その結果をとりまとめて発表することになったが、当然といえば当然だが、日本側の公文書では、慰安婦といわれるような女性を強制的に募集するような文書はない。八方手をつくしたがそんなものはない。日本政府が政府の意思として韓国の女性、韓国以外も含めて、強制的に集めて慰安婦にするようなことは当然(なく)、そういうことを裏付けるデータも出てこなかった。

 

我々は調べた結果、強制にあたる文書は発見できなかったと関係者にも話したが、元慰安婦たちが、自分は慰安婦だったと公表して日本政府の責任を追及する動きに出てきた。韓国政府も当然、日本政府に対してもっとしっかり対応しろと要求した。駐韓日本大使館にも、外政審議室にも、強制的に慰安婦にした罪を認めろ、謝罪しろ、賠償しろと来た。

 

我々は八方手を尽くしたが、公文書その他で裏付けるものが見つからなかった。調査した結果、(慰安婦の)移送・管理、いろんな現地の衛生状態をどうしなさいとかの文書は出てきたが、本人の意に反してでも強制的に集めなさいという文書は出てこなかった。当たり前で、国家意思としてそういうことはありえない。(中略)少なくとも、政府の意思として動いた人にそういうことはなかったと思う。文書にないんですから。

 

ただし、戦争が厳しくなってから「(軍が人数を)割り当てした」「軍の方からぜひ何人そろえてくれと要請があった」と、そういう要請はある。それは、従来であれば、業者の人たちが納得ずくで話し合いで本人の同意のもとに数をそろえた。ところが、戦争が厳しくなってからどうも、ノルマを達成するだめに、現地判断で無理をしたのが想定された。(中略)(十数人の韓国女性に)ヒアリングした中には、意に反して(慰安婦)にされたと涙ながらに話した人がいた。当時の朝鮮の警察官から協力しろと言われた、自分は嫌だったけど断れなかったという人も出てきた。通達その他文書の面で強制的に募集したという事実は発見できなかったが、事情聴取り中で、心証として明らかに意に反して慰安婦にされてしまったという人が何人か出てきたのも事実だ。それを日本政府としいてどうするかというのが最後の問題となった。

 

  この点については、当時、河野官房長官のもとで関係者が集まって議論して、もちろん、外政審議室も外務省もみんな集まって議論し、文書的には裏付けはないが、本人として意に反して慰安婦にされた人がいるということはどうも否定できない、その点は認めざるをえないんじゃないかと。それが河野談話になった。誰がいつどう言ったかは絶対に出さないという条件でヒアリングした結果、どうも本人がだまされたり、いろんな意味で心理的圧迫を受けて自分の意に反して慰安婦にされたりしたのは否定できないということになった。河野談話をまとめるときにはその一点が最終的なポイントになった。

 

 もちろん、この問題については当時の朝鮮総督府の関係者の人から、とんでもない、政府としてそんなことは絶対にやっていない、強制なんかありえないという意見もあった。少なくとも、政府の意思として動いた人にそういうことはなかったと思う。ただし、現地判断で無理をしたのが想定された。

 

 Q ヒアリング調査は韓国側の意向を反映したものか

 

 石原氏 意向を反映させたというか、そもそも調査したこと自体が韓国側の意向に沿ったものだ。問答無用で要請をぶち切ったら、あのときの日韓関係が非常に厳しくなるので、やっぱり話を聞いてみよう、調査しようとなった。

 

本人の意に反するといっても、親が本人に黙って業者に売ったケースもありうる

  

石原氏 そこはああいう戦時下のことだから。しかも個人の問題だから、親との話がどうだとかはこれは追究しようがない。要するに、本人の証言を信用するかしないかの問題。(中略)そのときの状況、本人の親と会うとかの裏付け、当時の関係者と会うとかそういう手段はない。もっぱら本人の話を聞くだけだ。

  

Q  これで日韓間の騒動が収まるとの政治判断によって、かえって問題は大きくなった。訴訟を起こした韓国女性のいう自らの経歴も二転三転している

  

石原氏 我々はできるだけ客観的事実を聞き取るための条件設定努力を続けたけど、それは限界がある。こっちに捜査権があるわけじゃない。誰がどうだったか、金銭関係はどうだったかとか調べることはできない。それは不可能だ。そこは日本政府の意を受けて強制したかどうかは分からない。(中略)我々は、当時の関係者として、いかなる意味でも日本政府の意を体して日本政府の指揮命令のもとに強制したということは認めたわけじゃない。あの(河野談話の)文章は、そこはよく読んでもらえばわかる。

  

Q  河野談話からは、甘言、強圧の主体が誰かが欠落している

  

石原氏 これはまさに日韓の両国関係に配慮して、ああいう表現になった。普通の談話であれば、物的証拠に基づく手法ではああいうものはできない。だから、論者によっては当然、そこまでいかないのになぜ強制を認めたのかという批判はあるでしょう。あの当時、「絶対強制なんかなかった」「とんでもない話だ」と反対意見もあったし。だけども、本人の意思に反して慰安婦にされた人がいるのは認めざるをえないというのが河野談話の考え方、当時の宮沢内閣の方針なんですよ。それについてはいろいろとご批判はあるでしょう、当然。当時からあったが。

  

Q  石原さんは反対しなかったのか

  

石原氏 私は補佐役だから、弁解なんかしない。過程はいろいろあるが、政府として内閣として補佐にあたった以上は私は全責任を負わないといけない。個人的にどうだとか言ってはいけない、組織の人間としては。まとまるまでは中で議論があったが、まとめた以上はそこにいた人間は逃げられない。

  

Q  河野談話が出された結果、国連人権委員会などでも「セックススレイブ」という言葉が使われるようになった

  

石原氏 それはもちろん、そういうことに利用される可能性は当然ある。限られた状況の中で意に反した人がいたと認めれば、やはり訴訟している人たちは一事が万事、すべてが強制だと主張している。それを認めることになるというリスクは当然、あの談話にはあるわけだ。それは覚悟した。そういう風に言われるだろうと。だから出すべきでないという意見も中にはあった。だけど、政府として決めたんだから、我々関係者は少なくとも弁解がましいことはいえない。

  

Q  宮沢首相の政治判断か

  

石原氏 それはそうですよ。それは内閣だから。官房長官談話だけど、これは総理の意を受けて発表したわけだから、宮沢内閣の責任ですよ、もちろん。

  

Q  国家賠償請求につながるとは思わなかったのか

  

石原氏 全く想定していない。それはもちろん、あの談話をまとめるにあたっては外務、財務、法務省すべて関係者は承知している。われわれはあの談話によって、国家賠償の問題が出てくるとは全く想定していなかった。当然、当時の韓国側も、あの談話をもとに政府として要求するということはまったくありえなかった。

 

(中略)慰安婦問題はすべて強制だとか、日本政府として強制したことを認めたとか、誇大に宣伝して使われるのはまことに苦々しくて仕方ない。もちろん、こういうものをいったん出すと悪用される危険はある。外交関係とはそういうものだから。だけど、あまりにもひどいと思う。

 

 (河野談話発表の)あのときは、これで日韓関係は非常に盤石だ、お互い不信感がとれたと日韓間で言っていた。韓国側も、自分たちが元慰安婦たちの名誉のために意に反してというのを認めろと求めたのを日本が認めた。これで未来志向になると言っていた。それが(韓国)今日まで、いろんな国際会議で日本政府が政府の意図で韓国女性を強制的に慰安婦にしたと言っているが、全く心外そのものだ。 (後略、おわり)

 

 ……まあ、善意や配慮は、相手にそれを正しく受け止める度量や真摯さがあって初めて意味があり、そうでない場合はかえって有害であるということですね。以前のエントリでも書きましたが、私はこの韓国女性16人へのヒアリング調査結果について以前、内閣府と外務省に情報公開請求を行いましたが「プライバシー」を理由に却下されました。なんだかなあ、という感じです。

 

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