2012年10月

 

 さて、秋の臨時国会がようやく、やっと、とうとう明日から始まるのを前に、本日は約1カ月ぶりの読書エントリといたします。時代小説を愛好する私としては珍しく、今回は時代小説がありません。好きな作家のシリーズものが出なかっただけですが、その分、新しい収穫がありました。

 

 まず、帯の「青春の傍観者だった」というコピーにひかれて初めて読んだ三羽省吾氏の「傍らの人」(幻冬舎、☆☆☆★)は、非常によかった!  この本は5つの短編で構成されていて、ストーリーを紹介するとかえってつまらなく思えるかもしれないので抽象的に言うと、さまざまな事情で、あるいは特に理由もなく、日常の中でくすぶっている人たちに訪れる転機と再生の物語です。

 

     

 

 この人は小説はいい、と思ったので書店で他の作品を探して見つけたのが、「JUNK」(双葉社、☆☆☆)でした。この本の帯にも「社会の本流から外れた人間たちの哀しくも愛らしい真剣な姿を描く」とありましたが、作者独特の視点がいいですね。この本には「指」と「飯」という2つの中編が収められていて、私は当然、後者が気に入りました。

 

     

 

 で、次に、前回の読書エントリで初めて読んだと記した三田完氏の浅草の喫茶店を舞台にした連作「モーニングサービス」(新潮社、☆☆☆)に手を出しました。これもいいなあ。前回の紹介作と同様、今回もソープ嬢が出てきたほか、性同一性障害の医大生など、登場人物もキャラが立っています。

 

     

 

 奥泉光氏の「桑潟幸一准教授のスタイリッシュな生活」の第2段、「黄色い水着の謎」(文藝春秋、☆☆☆)も出ていたので、早速購入しました。以前紹介したように日本最底辺大学、たらちね国際大学の最底辺教師である通称クワコーが、事件(?)に巻き込まれ、何の活躍も解決もせずにおろおろしているというお話の続きです。

 

     

 

 これも私がここで四の五の言うより、ご一読いただければ早いのですが、笑えます。電車の中で本を読んでいて、「ククッ」と吹き出しそうになったのは久しぶりでした。作者の言葉遣い、表現、徹底したクワコーの小者ぶりの描写は秀逸というしかありません。

 

 ここからは、有川浩氏ばかりとなります。私は本でも食事でも何でも、ツボにはまるとしばらくそれぱっかり、という癖があるので申し訳ありません。まずは還暦ヒーローが町内で活躍する「三匹のおっさん ふたたび」(文藝春秋、☆☆☆)からです。

 

     

 

 前回の読書エントリで紹介した「シアター」と同様、ここでも働くこと、きちんと稼ぐことの大切さがこれでもかと述べられています。と同時に、世の中いいことばかりではないけれど、ほのぼのとする瞬間だってあるよなあと感じさせてくれました。

 

 次の「植物図鑑」(角川書店、☆☆☆)は、私の苦手な「恋愛小説」にジャンル分けされるのでしょうが、もちろんそういう要素はたっぷりありつつ、野草、山菜を食べ尽くすという話でもあり、楽しく読めました。ここでも倹約の大事さが主張されています。

 

     

 

 この本を読んで、私は「ああ、あの小さな花はニワゼキショウという名前だったのか」とわかって感謝していますが、同時に、作者が「ツクシ」について、特に特徴もなく、手間がかかるばかりでたいしてうまくもないという描写を何度かしているのが気にいりません。作中では、もっぱらつくだ煮にされていますが、私にとってはツクシを油でいためて卵とじにしたものが、ほのかな苦みとともに懐かしい故郷(というか実家)の味でした。

 

 さらに、この「阪急電車」(幻冬舎文庫、☆☆☆)も恋愛ものでしたが、とても楽しく、面白く読めました。私には全く土地勘のない阪急沿線を舞台にした連作(仕掛けが面白い!)でしたが、登場人物がそれぞれ可愛いというかいじらしいというか。上記の「植物図鑑」もそうでしたが、これも作中から作者の故郷、高知への愛が深く読み取れます。

 

     

 

 こうなると止まらず買い求めた「フリーター、家を買う」(幻冬舎文庫、☆☆☆)も、やはりきちんと職を持ち、社会の中で働くことの意義をこれでもかと指摘するような内容でした。もちろん、そうした含意とは別にストーリー自体もよくできているのですが、作者自身の過去の経験、苦労が投影されているとのことでした。

 

     

 

 ただ、このタイトルだとフリーターが家を買ったのかとどうしても思うわけですが、少しだけばらすと、フリーターがあれこれ悩んで就職して、それから家を買う、というお話でした。まあ、そうじゃなきゃ不自然ですけどね。

 

 最後に取り上げる「ラブコメ今昔」(角川文庫、☆☆☆)は、題名だけみると、ちょっと食指が動かないところなのですが、帯には「国を守る日常の~」とありました。これ、つまりは自衛官の恋愛事情をテーマとした連作なのでありました。しかも、実際に自衛官にしっかりと取材して書かれた非常に興味深い内容でした。

 

     

 

 そして、東日本大震災の後に書かれた「文庫版あとがき」が、私にとっては大いに共感できるものでした。これは、名指しこそしていませんが、当時の菅直人首相への明らかな批判となっています。以下、有川氏の文章を引用します。

 

 《これを書いていた頃とはまったく社会の情勢が変わってきましたが、自衛隊に関しては声を大にして言っておきたいことがあります。

 

 自衛隊は命令に従うことしか許されない組織です。そしてその命令を出すのは内閣総理大臣です。

 逆に言えば総理大臣が出す命令ならどんな命令でも従わなくてはならないということで、近年は非常に歯がゆい命令が多すぎました。

 しかし、どんな理不尽な命令でも、彼らは命を懸けるんです。

 これは警察も消防も同じだと思います。東北が苦難に見舞われたあの日、明らかに消防の職分であるはずの現場に機動隊が投入された一件に関しては、きっと疑問を覚えた方も大勢いらっしゃることでしょう。

 機動隊は治安維持のエキスパートであって、消防のエキスパートではありません。適切な装備も持ってはいません。

 適材適所という原則が無視されたことには未だに首を傾げざるを得ません。

 あんな大変なときに一番働きづらい体制で本当に申し訳なかった。そんなことになってしまったのは国民全員の責任です。(後略)》

 

 有川氏が何を具体的に思い浮かべてこれを書いたのかは推測するしかありませんが、私はすぐに、あるエピソードを思い出しました。それは、当時の国家公安委員長が菅首相に、「警視庁の放水車では福島第一原発まで水は届かない」ときちんと進言したにもかかわらず、菅首相が「それでもいいから出せ」とめちゃくちゃな指示を出し、その結果、東京消防庁の作業を遅延させたという問題です。

 

 菅氏は最近だした著書でも、「石原慎太郎都知事に東京消防庁の出動を要請したら快諾してくれた」という趣旨のことを自慢げに書いていました(立ち読みなので、正確な文言ではありません)が、これも当時、私が官邸で取材していた事実とは異なります。私は当時、事務方からこう聞いていました。

 

 「政府の要請を石原知事はいったん断ってきた。菅首相が信用できないからだ。仕方がないので、われわれが安倍晋三元首相を通じて石原伸晃氏経由で再度、お願いし、なんとかハイパーレスキュー隊を出してもらった。この経緯がばれると、菅首相がまた激怒して何をするか分からないので、当面は記事に書かないでほしい」

 

 有川氏が指摘しているように、菅氏の自衛隊の使い方もひどいものでした。部隊運用も配置も各部隊の役割と仕事内容も何も考えず、ただ分かりやすい数字にこだわって、場当たり的に「何万人出せ、いや十万人出せ」と規模だけ決めて指示した結果、現場の混乱と苦労は大変なものがあったと聞きます。本当に、日本にとって彼は……。

 

 まあ、アレのことばかりでは何なので、口直しに最近、お気に入りの漫画についても触れます。テレビCMもときどきやっているようですが、北海道の農業高校を部隊にしたこの「銀の匙」はいいですよ。派手な展開もアクションも何もありませんが、しみじみ素敵な物語です。

 

     

 

 

 

     

 

 本日、拉致被害者家族が野田佳彦首相と新たに拉致担当相を兼務することになった藤村修官房長官と面会しました。まあそれはいいとして、その後、家族会の飯塚繁雄代表が記者団に語った言葉に、なんと言っていいか分からない、とても恥ずかしい気持ちになりました。

 ああ、それはそうだな、もっともだなと思いつつ、こういうことを敢えて言わざるを得ないほど、政府は、また日本という国は家族会の方々を切羽詰まった心境に追い込んでしまったことを考えると、ただ言葉を失い、うなだれるしかありません……。

 飯塚代表は一通り、記者団とのやりとりを済ませてから、このように切り出しました。

飯塚氏 すいません、あの、家族会の役員からですね、このことをマスコミの皆さんに知らせてくれというお話があって、今日の席で言ってくれって言われたんだけど、私はこの場ではないと。えっと、家族会の副代表ですけども。野田首相がこの今の状況の中で、早く総選挙をやりなさいと。従って解散というかこの衆議院の選挙を早く始めるように、決断を迫ってくださいというような話がきていて、もうこの状態では政権の維持も難しいし、無理だと思うという話もきているってこともちょっと。

 

記者 それはどなたから?

 

飯塚氏 まあ副代表っていうのは2人しかいないからわかるんだけども、有元(明弘)さん。

 

記者 それは会談の中では総理へ直に言うことはなかったということか?

 

飯塚氏 こういう話をする場ではないので、私は私なりにこれは受けたけども。

 

記者 出しはしなかったということですか?

 

飯塚氏 そうです。

 

記者 それは家族会としての総意ではなくて、有元さんの個人的な意見ということでしょうか。

 

飯塚氏 いや、私もそう思っていますよ。あの、腹の底には。でもこういった場合、家族会の立場から言う話ではない。政局の話はできないということで、あえて出さなかったんだけど。ま、どうしてもこれ皆さんに言ってくれっていうからさ。あとは皆さんの判断だから。(了)

 

 ……ときの政府に頼るしかない立場にいる家族会にここまで言わせる野田政権というのはいったい、何なのか。拉致被害者家族の信頼が厚かった松原仁氏を更迭してまで、「まるで暴力団の準構成員じゃないか」(野党幹部)といわれる田中慶秋氏をその職にあて、都合が悪くなると一度も国会答弁もさせないまま詰め腹を切らせた野田首相とはいかなる存在なのか。

 

 きょうたまたま話した日中外交にかかわってきた人物は、「中国は野田政権は全く相手にしていない。野田政権相手に取引きや交渉をするつもりはない。関係改善は次期政権でと決めている」という趣旨のことを語っていました。また、米国も日本との間での外交・安全保障関係の取り決めについて、日本側が前向きな交渉を求めても「どうせなら次期政権で」という消極的な姿勢をとっていると聞きます。

 

 現在、野田首相はなぜか対北朝鮮交渉に自信を持っているようですが、このような死に体政権に北が寄ってきたとしたら、それは決して本気ではなく、うまく騙して取れるものは取っておこうということでしょう。だって、諸外国にしたところで、もうゾンビ化している政権と真剣に向き合う道理がありません。適当にあしらわれているだけなはずです。

 

 私は、昨年に野田政権か発足した当初から、野田首相は実はものすごく自信過剰の人なのではないかと感じてきましたが、その最初の印象は当たっていたようです。民主党代表選では「泥鰌」を名乗り、そのイメージが定着しそうになるとすぐ後悔して「本当はウナギの方が好きだ」と言い出した姿に、どこか偽物臭をかぎとらずにはおれませんでしたが、ここまで最低だとは。

 

 民主党の3代にわたる首相については、反面教師、反省材料として、子々孫々に至るまで未来永劫語り継ぎ、戒めとするべきだと真剣にそう思います。と同時に、ことここに至って、なお自分は偉くて立派だと信じていられる3人の精神構造が幸せだなあとうらやましくもあります。

 

 

さて、政局はいよいよ、不確定要素が多すぎて予測不能の読めない展開となってきました。石原慎太郎氏の都知事辞任と新党結成宣言は、私もこれまで「石原さんが今さら一衆院議員からやるはずがない」(自民党幹部)という見方と一緒だっただけに、意表を突かれたのでした(もちろん、私の政治記者としの力量不足ゆえですが)。

私としては保守合同も政界再編も一応、歓迎するところなのですが、今回の動きはどんな結果を生むのかまだ見えてきません。民主党はこれで離党者が増えて内閣不信任決議案が通ってしまうような事態を恐れるでしょうし、自民党としては当面、協力うんぬんよりも票の奪い合いが焦点となります。

石原氏は、日本維新の会との連携を言っていますし、橋下徹大阪市長もそのつもりでいるのでしょうが、みんなの党は早速反発しています。石原新党にはたちあがれ日本が合流しますが、維新とたちあがれは政策的にかなり異なります。また、石原氏はきょうの記者会見でも亀井静香前国民新党代表に言及しましたが、「亀井さんが石原新党に入るなら、橋下さんは引いちゃうだろう」(維新関係者)との指摘もあります。

自民党には、石原氏の長男と三男が所属しており、石原氏は実は「親ばか」で知られる人でもあります。9月の自民党総裁選では、石原氏が自ら都議会議員らに電話し、「伸晃をよろしく頼む」と依頼していたという話もあちこちで聞きます。いったいどういうスタンスで臨むつもりなのか。

まあ、「近いうち」()の衆院選後には、民主党は分裂するかもしれませんし、憲法改正のためには衆参で3分の2の議席が必要です。なので、自民だ民主だなどと、現在の政党の枠組みにこだわることはないのですが、石原氏は現行憲法の即時破棄を唱えてきただけに、議論が混乱することも考えられます。

また、保守派からは石原新党は「公明党に対する右バネとして機能する」という声も出ています。いずれにしても、既存政党はそれぞれ、存在感も立ち位置も揺さぶられることになりそうです。

いやはや、こんなことがあるから、政界一寸先は闇だとよく言われるのですよね。一つ言えることは、今後の政界のあり方を考えると、民主党なんか本当にどうでもいいということです。きょう発売の週刊新潮コラムでジャーナリストの櫻井よしこさんが拙著「破壊外交」を取り上げ、

「読み始めたらさまざまな場面が鮮明に思い出されて、思わず知らず、(民主党政権に対する)怒りで熱くなる」

と書いてくれました。お礼の電話をしたところ、「かっかしながら読みました」と笑っていましたが、櫻井さんはこのコラムで「野田首相が考える能力を喪失し始めたのではないか」とも書いています。これは、私が現在の野田政権を輿石政権と呼び、野田氏がすべてを輿石氏にゆだねて主体性を放棄していると感じていることと相通じている気がしました。

おそらく、石原新党結成で野田氏はいよいよわけがわからなくなり、田中真紀子文科相と結婚後、考えるのをやめたと言われる田中直紀前防衛相と同じような状態に陥るのではないでしょうか。あーあ、やだやだ。

 

 

最近、自民党の高村正彦副総裁の毎週水曜日に記者団に語る「今週の所感」が楽しみになってきました。私は高村氏が外相時代に外務省を担当したことももありますが、当時はこの人について「真面目でいいけど、いまひとつ面白くないな」という印象を抱いていました。ところが、最近の高村氏の言葉はなんというか「はじけた」感じで、とても楽しい。

 

 例えぱ、最近の以下のようなセリフには笑いました。いや、笑っている場合じゃないのは重々承知していますが、もう笑うしかないという心境です。

 

「日本には1億人以上もの人がいるので、鳩山さんみたいな人がいることはそれほど驚くことではないのかもしれないが、政権与党の外交担当最高顧問にまた復帰するということは大いに驚くべきことだ」(17)

 

「もしかしたら輿石さん、樽床さんは正直な悪い人、野田さんは嘘つきの悪い人かもしれないという意見が台頭してきている」(10)

 

で、本日は何を言ってくれるかなあと期待していたところ、高村氏は次のように語っていました。わはははは。せっかく後輩の峯記者がテープ起こしをしてくれたので、ここに紹介します。

 

《田中法相がまさに体調不良、病気を理由に詰め腹を切らされたが、本当の理由は体調不良、病気でないことは国民のだれもが知っているわけだ。本当の理由をいわないでこうやって詰め腹を切らすという民主党政権の嘘つき体質こそほとんど病気だと言ってもいいのではないかと思う。

 

 田中さんが内閣にとって迷惑だから辞めろということ以上に、今の内閣は国民にとって迷惑だから、早く国民の信を問うてもらいたい。

 

 党首会談が「近いうち」についてより具体的な提案があるという鳴り物入りで行われたが、実際は何もなかったということだ。どうも野田首相は解散権というのは首相の大権であるから、具体的な時期を明示することは大権を持っている総理の沽券にかかわるというふうに思っているようにも受け取れるが、消費税を上げないと言って選挙に勝っておきながら消費税を上げた。国民による政治というものが失われているわけだから解散を年内にもすると、例えば年内にもするということを明示して、国民による政治に一歩でも近づく意向を示すことができるし、それからそれによって特例公債法案も通す環境整備もできる。それは国民のための政治ということに近づくことができる。

 

 そのことと総理の沽券とどっちが大切か。これは自明のことだと思う。百歩譲って総理の沽券というのはそんなに大切であるとしても、その解散の時期を示すことによって立たなくなる沽券と、消費税を上げないと言って上げる嘘、無駄を省けば16兆8千億円出ると言った嘘、あるいは谷垣総裁との間の党首会談で0増5減を切り離してでもやるといってやらなかった嘘。すでに嘘つきの3冠王になっているが、近いうち解散まで嘘ということになれば、嘘つきの4冠王ということになる。そういう汚名が定着することによる沽券が立たなくなることとどちらの度合いが高いか。これも自明のことだと思う。

 

 前原さんが「総理が示した3つのことができればそれが条件で解散を年内にするんだ。年内解散、来年の解散であれば、近いうちでないことは常識だ」と言ったことは国民の常識に合うことだ。国民の願いにも合うことだ。こういうふうに思うが、これをぜひ前原さんは野田さんにも非常に近いと聞いているから、解散権者である野田さんにそのことをいわせてもらえば、一部にいわれていた「口だけ番長(言うだけ番長)」などという誹りは完全に払拭できるのではないか。それを期待しているところだ。

 

 一方で岡田さんあるいは輿石さんが「総理が示した3つのことは解散の条件ではないと、それができたからといって年内解散を約束したわけではない」というような趣旨のことを言っているが、これは国民の期待に背くが、一日でも長く国会議員をやっていたいという民主党衆院議員の期待には大いにかなうことではあるのかな。国民の期待と民主党国会議員の期待と、どっちを重視する党なのかなと、それが問われている。

 

 野田総理に一言申し上げたいことは、「至誠に悖るなかりしか」「言行に恥ずるなかりしか」といった難しいことではなく、ただ一言、嘘はいけませんよ。こういうことだと思う。(了)》

 

 ……まあ、明らかに自業自得なわけですが、野田首相は「嘘つき」というイメージが定着してきましたね。野田さんだけでなく、米軍普天間飛行場の移設先について何も考えていないのに「腹案がある」と言い続けた鳩山由紀夫元首相も、中国漁船衝突事件で、自分で中国人船長の釈放を指示しておきながら「那覇地検独自の判断だ」と責任を押しつけた菅直人前首相もみんな嘘つきでした。それも、見え透いた、誰にでもそれと分かる嘘をつき、恬として恥じないという厚顔無恥も共通しています。この人たちが国民を欺き、どれだけ嘘をついてきたか、いちいち数える気にもなりません。

今や、「嘘つきは民主党のはじまり」という慣用句もすっかり定着しましたね。大嘘つきというレッテルを貼られた人物が今後、何を言おうと国民も諸外国ももう信用しません。ということは、政治的にもうほとんど何もできないということです。信用を失うということはそういうことです。あとできることは解散か総辞職かしかありません。

 この現実に一刻も早く野田首相が気づくことを、ひたすら願う次第です。

 

 

さて、岡田克也副総理は先日のテレ東番組で、決裂に終わった三党党首会談について、偉そうに、まるで自民党の安倍晋三総裁が悪いと言わんばかりに次のように述べました。それが、いかにも岡田氏らしいモノの言いようだったので紹介します。

 

「今回の会談で安倍さんが野党の党首として振る舞われるのか、あるいは近い将来総理大臣になり得る人として振る舞われるのか、そこを見極める一つの機会だと思っていたのだが、見事に野党党首としての演じ方であったというふうに思う。残念なことだと思う」

 

 自分たちが「誠意」の「せ」の字も見せずに「トラスト・ミー」としか言わなかったことへの反省は微塵もなく、それどころか他人事という趣すらあります。さらに、ここが一番、岡田氏らしいのですが、ごくナチュラルに他者を見下したような上から目線で口をきくのですね。

 

 私は幸い、これまで岡田氏の担当をしたことはありませんが、ここ十数年見てきて、この政治家は「一貫して揺るぎなくピントが外れている」という感想を抱いています。自分では賢いつもりでいろいろと語るのですが、はたから見ると「いや、そんなことみんな分かった上での話だから」「えっ、今さら何を言っているの」という類の言葉が多すぎます。

 

 ごくナチュラルに相手を見下す癖があるので、言葉に他者に対する敬意がそもそもなく、それを隠すほどの知恵も才もないのでみんなストレートに伝わってしまうのでしょうね。

 

しかもけっこう独断型なので、「東アジア共同体に米国は含まれない」なんて危ないことを勝手に言って、あとであのルーピー鳩山氏が火消しに躍起になるという場面もありました。中国大使に丹羽宇一郎氏を「これが政治主導の民間起用だ」と言って押し込み、かえって日中関係をおかしくしたのもこの人でした。

 

 なので、この人についてはときどき、その言動にクギを刺しておかないと考え、私は先日の産経連載「再び、拉致を追う」の中で、帰国して10年がたった5人の拉致被害者を北朝鮮に戻すべきだったと主張した岡田氏の過去の言動について以下のように再掲しておきました。

 

《この(政府の責任で拉致被害者を日本にとどめるという)ぎりぎりの判断に対し、少なくない学者や評論家らが「拉致被害者たちはすでに北朝鮮側に生活の根っこを持っている」と指摘し、北朝鮮の要求通り5人を戻すべきだったとの反応を見せた。民主党の岡田克也幹事長も翌平成15年1月のHNK番組で、こう政府を批判している。

 「5人を帰さないと政府が決めたことは間違いだ。5人が『日本にいたい』というなら、日本人なんだからとどめるのは当然だ。しかし、それを政府が決める必要はない。そのために北朝鮮が態度を硬化させた」》

 

 ……5人が「日本にいたい」にもかかわらず、家族を人質にとられ、日常を監視されている中でそれを素直に公にできないことなど、深く考えるまでもなくわかって当然なのに、そういう「自然の理」が理解できないタイプだということでしょう。しかもその内幕なんて、メディアで随分報じられていたのに、それも咀嚼できていない。ともあれ、あのころの岡田氏の政府追及もまあ、随分と上から見下ろすような物言いでした。

 

 まあね、そもそも地元の三重県教職員組合(金銭的にも思想的にも県内支配の構図的にも実に問題の多い教組であることは何度か書きました)の政策協定を結んで選挙を戦ってきた岡田氏に、何かを期待し、まともであってほしいと望む方がピンぼけなのかもしれませんね、はい。

 

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