2012年12月

 

 さて、本日は30日、今年もあと1日を残すのみとなりました。毎年思うことではありますが、今年もいろいろありましたね。特に政治においては、再び政権交代があり、安倍晋三氏が再び首相に就くという一大トピックもありました。なので、少し感想を記そうかと思います。

 ここでも度々書いてきた通り、私は前回政権交代が起きる前の与党、自民党の体たらくと混乱ぶり、先祖返りのような無思想化にも大いに不満がありましたが、それ以上に「民主党には無理だ」という強い思いがありました。それは、主要メンバーの面々を数え上げただけで、明々白々ではないか、火を見るより明らかだろうと、ア・プリオリの前提条件だと考えていました。

 また、民主党内の旧社会党的なもの、GHQの占領政策由来の戦後民主主義的なもの、いわゆる左翼バネにも強い警戒心を抱いていました。ただ、この点は一部は発動されたものの、それが本格化する以前に政権運営の余りに稚拙さ、党内ガバナンスの欠如、そもそもの無能、不能により、予想したほどは危険ではなかったなと振り返っています。

 彼らは一方で、有権者の多くが期待した行政改革、公務員制度改革などは骨抜きにし、国民との契約だと威張っていたマニフェストは反故にし、やらないと行っていた消費税上げに走りました。まさかここまで逆走するとは、私も全く見通せませんでした。

 左翼バネについてはもちろん、弊害はいろいろありましたが、私が当初、もっと日本が長い間かけて培ってきた伝統、文化、社会規範、市民社会のルール、歴史観などがめちゃくちゃにされてしまうのではないかという危惧を抱いてほどには、彼らはそれらを破壊しませんでした。これは敢えてしなかったというより、単に無能すぎてできなかったとのだろうと改めて私の見方を強調しておきます。

 ……と、さまざまな経緯を経て、今回の衆院選に至りました。その評価についてはいろんな角度から分析できるでしょうが、私としてはごく大雑把に感想を記します。特に感じたのは

 まずは、自民党を倒すためだけに雑多な勢力が結集した民主党というプロジェクト政党が、明確に国民に否定されたことです。野党時代から、党内対立を生むので外交・安保や憲法問題については党内議論を避け、政党の憲法といえる綱領すらつくれなかった民主党ですから、いざ政権交代を果たすともう目的も存在意義も失い、迷走するのは必然だったのだと思います。

 これは今後、第3極勢力にしろ、他の政治勢力が出現するにしろ、政策的にあまり差異の大きいところがくっついて政権だけ取っても、ろくなことにならないという貴重な前例となったのではないでしょうか。

 そして今回、ルーピーこと鳩山由紀夫元首相が引退し、傲岸不遜を絵に描いたような仙谷由人元官房長官が落選し、菅直人元首相が選挙区で落選(比例復活は画竜点睛を欠きましたが)したのも象徴的でしたね。彼らはほぼ同世代で、特に菅内閣は「全共闘の学生運動崩れ」内閣と呼ばれましたが、そうした人たちの政治が、明確にノーを突きつけられました。

 合わせて、鳩山、菅両氏と理念なき野合のトロイカ体制を築いてきた小沢一郎民主党元代表の凋落ぶりも鮮明でした。ここ20年間、常に政局の中心にいて政党をつくっては壊し、ときのリーダーの足を引っ張り続けてなぜか蓄財を果たした彼も、もうメディアで大きく取り上げられることはほとんどなくなるでしょう。嘉田由紀夫だか由紀子だかという滋賀県知事は、彼を「使いこなす」と大見得を切った挙句、見事にピエロを演じさせられましたが。

 今後、民主党が生き残るにしろ、さらなる分裂を経て雲散霧消するにしろ、もうトロイカの人たちは檜舞台に立つことはないでしょう。悪い意味での戦後民主主義を最も色濃く体現した世代の退場は、政治に変化をもたらすことになると確信しています。

 で、再び政権与党となった自民党の方はというと、野党時代にかなり、理念的に統一を見たことは留意すべきだと思います。9月の総裁選では、5人の候補全員が集団的自衛権の政府解釈見直しを主張しました。これは、今まではありえなかったことでした。民主党側は、野田佳彦前首相が「時計の針を戻すのか」と自民党の国防軍構想などを繰り返し批判しましたが、あまり効果はなかったようだし。

 また、今回、森喜朗元首相、福田康夫元首相、古賀誠元幹事長が引退し、加藤紘一元幹事長が落選したのもじわじわと党の体質変化につながっていくと見ています。現執行部は、これら占領体制を引きずったうるさい舅、小姑から自由になっていくわけで、政策的にも党運営的にもこれまでと違ったありようが期待されます。安倍首相にとっては、1回目の首相登板時に比べ、党内ガバナンス面でははるかに順風だとも言えます。

 安倍首相は「自民党の中・長期的理念の実現は来年夏の参院選後だ」と明言していますが、それでも相当な強気が言動のあちこちからのぞけています。日経平均株価が大納会で最高値を出すなど、とりあえず順調なスタートだと言えるでしょう。

 民主党や日本維新の会、みんなの党、生活の党などでは、今後も離合集散が起きる可能性もありますね。そうした動きは参院選に向けて収斂されていき、参院選後には政界再編の動きが出てくる可能性もあります。安倍内閣はこの参院選で勝利を収めた場合は、党役員人事と内閣改造を行い、いよいよ安倍カラーをもっと前面に打ち出していくのではないかと考えます。

 ……とまあ、思いつくままいろいろ書いてきましたが、結論を言えば、本当に政治は先のことは分かりません。私はよく言うのですが、小泉純一郎政権が終わり、第1次安倍政権が出発したときに、3年後には民主党政権の鳩山内閣が発足すると誰が予想できたでしょうか。

 そして、衆参ねじれも解消し、国民の高い期待を背負って船出した鳩山政権が8カ月で終わり、33カ月前の衆院選で308議席を獲得した民主党が今度はわずか57議席という惨敗を喫すると、これまた誰が見通せたでしょう。政治予想など当たるものではないと、私は断言します(当たった場合はただのまぐれ)

 なので、新しくスタートした第2次安倍政権の行方も分かるわけはないのですが、この間、国民も多くのことを学んでいることを期待します。いまだかつてなく憲法改正の可能性が現実性を帯びてきたこの機会を、何とか生かす方向で世の中が進んでくれたらいいなあと。

 私の願望など何の意味もありませんが、年末に当たって、数年ぶりに将来に希望が持てると書ける現在を、実にありがたいと感じています。将来に希望どころか不安と絶望しか覚えなかった民主党政権が終わっただけで、何か心が軽く解放されたようで、世の中の空気も変わってきたように感じます。ああ、ホントによかった。

 

 

 大きな意味と意義のある衆院選が終わり、再び政権交代という運びになったにもかかわらず、エントリ更新が滞ったことをお詫びします。今回の衆院選をめぐっては、あまりに論点が多く、個人的な感想・感慨も数多あり、またその後の社業、本来業務も多忙を極め、ここにまとまったことを記す余裕がありませんでした。

 

 これまでいろいろありました。鳩山、菅、野田の三代の内閣の所業と、この三人の首相を生んだ民主党とは何だったのかについては、これまで散々論じてきましたが、これからも多方面から検証がなされることでしょう。

 

 私としても、それみたことか、因果応報だ、「ザマア」と言いたくなる相手も何人もいましたが、もう政権を失う人たちにこれ以上アレコレ言うのは、とりあえず今は控えようと思います。

 

 再び政権を担う自民党についても、すべてがこれからであり、現時点でどうこう評価を加えても仕方がない気がします。新しい党役員人事や閣僚人事については、現在進行形であり、産経紙面で取り上げており、かついったん内定してもいろいろな事情で差し替わることがあるので、ここではまだ触れたくありません。

 

 実は私自身、このブログで何を書くべきかいまだに悩んでいることもあります。多くの方に「好きなように書けばいい」と温かい助言をいただいた一方、この6年7カ月のこれまでについて反省もあり、これまでのように自由気ままにはしない方がいいかもしれないとも考えています。

 

 もちろん、何か本心を隠して当たり障りのないことを書いても、そもそもそんなブログに意味があるのか、ということになりますから、それは避けたいですし。少なくとも今は、私が書かなきゃ誰も書かない、という類の事象があまり見当たらないので、スタンスが固まるのでしばらくのんびりやらせてもらおうと思います。

 

 ともあれ、今後もどういう形であれ、政治のトピックについて、意見を言いたくて仕方がないということは多々あるでしょうから、よろしくお願いします。

 

  衆院選期間中でいろいろと面倒なのでエントリ更新をさぼっていたのですが、投開票日前日のきょう、このブログの累計アクセス数が3500万を突破しました。気まぐれで意固地な書き手による、およそものの役に立たない放言ブログであるにもかかわらず、今日まで温かく見守っていただいた訪問者の皆さんに心より感謝申し上げます。

 思えば社命でこのブログを始めた平成185月は、まだ小泉政権の時代でした。その後、安倍、福田、麻生、鳩山、菅、野田と来て、今また再び政権が変わろうとしています。その間、私自身も記者としても一個人としても、いろいろな経験をすることができました。たくさんの出会いと別れ、学びと失望がありましたが、そのときどきの感想を、こうして駄文にしたためることで、ごく限られた方であっても、思いを共有したり、何らかの共感を持ったりすることができたのは、望外の幸せだったと考えています。

 この6年半余の間に、日本を取り巻く国際環境は著しく厳しさを増し、中国をはじめ近隣諸国は今やその牙を隠そうとしていません。一方、わが日本は国力を蓄え、それに堂々と立ち向かうどころか、ひたすら混迷、混沌の歳月を過ごしてきたように感じます。

 あすの選挙結果で、すべてが一度によくなるなんてことはありえません。政党の離合集散を含め、混乱もまだまだ続くことでしょう。国を壊すのは簡単でも、立て直すためには、大いに時間も労力もかかることと思います。ですが、あすはここ数年のアレコレを総括し、仕切り直し、日本が新たな出発するためのこれ以上はないというチャンスであるのは間違いありません。

 個人的には、19年夏の参院選後、「日本は10年は時を失うだろう。この閉塞状況を打ち破るのは容易なことではない」と思い詰め、かなり悲観的になっていました。でも、私のそうしたくだらない感傷や思い込みとは別に、世の中動くときは動くものだと、今はそう思い知りました。人と人、集団と集団が生み出す化学反応は複雑すぎて、到底、私ごとき凡愚の者の想像、予想の及ぶところではありませんでした。

 一度脳に染みついてしまった「悲観癖」はなかなか払拭しようがなく、今も浮かれた気分とはほど遠いのですが、それでもここ数年、ずっと頭上を重たく覆っていた黒雲が割れ、一条の希望の光がさしてきたのは嬉しいものです。特にここ3年数カ月、ずっとつきまとい、悩まされてきたまるで異民族に支配されているような言葉の通じなさ、神経を逆なでし、苛立たせる強い違和感をあす以降、覚えないで済むことを期待しています。

 私は、坂口安吾の言う「政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかない物である」(堕落論)はその通りだと思います。政治に本当に人を救うことなどできようはずもありません。でも、政治は人を苦しめ、国家を崩壊に導くことについては実によく効果を発揮するものではありますね。だからやはり、とてつもなく重要なのだと考えます。

 ともあれ、当落速報や選挙番組がこれほど楽しみなのは初めてです。あすは選挙結果を踏まえた原稿書きの仕事が待っているのですが、本当は仕事なんか忘れて実況中継や当落ドラマをじっくり味わいたいところなのです。まあ、そういうわけにはいきませんが。

 

 

 さて、選挙期間中の新聞休刊日とくれば、私のごく個人的な気分転換にもなるし、読書エントリがぴったりですね。というわけで、アレコレ言わずに早速開始します。

 

 まずは、三浦しをん氏の「白いへび眠る島」(角川文庫、☆☆☆)からです。親元を離れて暮らす高校生の主人公が、因習が残る故郷の島に帰省するところから物語りは始まります。幼いころから不思議なものが見える主人公がそこで遭遇する事件と新たな出発は……。ともあれ、その中で、こんな描写があるのに興味をひかれました。

 

 《「あれ」は海と山を行き来していると伝えられる化け物で、その名を口にするのも忌まれていた。(中略)なにしろ、口に出しても文字で書いても禍があると言われているのだ。島の人間はみんな、いつのまにかなんとなく「あれ」の存在と名前を知る。》

 

     

 

  ……いやはや恐ろしいですねえ。でも、これは決して日本の近未来を描いた小説ではないし、「あれ」はどこかの選挙区から出ているとかいう「アレ」ではありません。まあ、アレも「立てば国難、座れば人災、歩く姿は風評被害」と言われていたのだから、将来は本名を忘れられ、似たような位置づけになるかもしれませんが。

 

 というわけで、次も三浦氏の「神去なあなあ夜話」(徳間書店、☆☆☆)です。題名が示す通り、これは以前紹介した横浜出身の若者が三重県の山間部の神去村でなぜか林業に従事することになる「神去なあなあ日常」の続編です。

 

     

 

 20歳の主人公が、前作で告白(?)した年上の憧れの女性と、それなりにうまくやる過程がなんとも……。私も若いころ、気になる女性に思い切り自分の器量の「小ささ」を見せつけてしまい、見事に嫌われたなあなどとあまり思い出したくないことを振り返ってしまいました。

 

 で、このところ新聞や雑誌の書評欄で絶賛されている横山秀夫氏の7年ぶりの新作「64ロクヨン」(文藝春秋、☆☆☆☆)です。さすが納得の横山作品というか、警察組織(D県警)や新聞記者の生態のリアルさはうならされます。

 

     

 

 ……主人公の家庭の事情、警察庁と地方警察、刑事部と総務部、過去の誘拐事件、警察と記者クラブの対立……と道具立てもバラエティーに富み、読ませます。個人的には、主人公の家庭の問題がその後どうなるのか気になります。県警回りの最下っ端だったころを思い出しました。

 

 そしてまたまた池井戸潤氏の新作「七つの会議」(日本経済新聞出版社、☆☆☆☆)が出ていたので早速、堪能しました。どこにでもありそうな中堅メーカー、東京建電内のそれぞれの事情を抱えた人間模様と、ある秘密が引き起こした事件。サラリーマンならきっと引き込まれます。

 

     

 

 池井戸作品は必ずといっていいほどどこかに「カタルシス」を用意してくれているので、読後感がいいですね。まあ、仕事にプライドを持ち、社会のために働くというのは、言うほど簡単ではないと思いますが。

 

 書店でずっと平積みになっていたので気になっていた中田永一氏の「くちびるに歌を」(小学館、☆☆☆)も、とうとう手を出してしまいました。長崎県の離島、五島で暮らす中学生たちが主人公の青春小説です。五島が舞台というと、書道漫画「ばらかもん」もそうですね。

 

     

 

 私は音痴なので今までそんなことを考えたことはなかったのですが、これを読むと合唱もいいものだなあと感じました。あと、この年代というのはちょっとしたことをきっかけに大きく成長するのだなあと。うんうん。

 

 言わずとしれた夢枕獏氏の「陰陽師」シリーズはこの「酔月巻(すいげつのまき)」(文藝春秋、☆☆☆)で第12弾です。一献傾けながらの清明と博雅の掛け合いは、いい意味でのマンネリであり、読むたびに嬉しくなります。

 

     

 

 野口卓氏の「遊び奉行」(祥伝社、☆☆☆)は、同氏の「軍鶏侍」シリーズの姉妹編という趣で、やはり南国・園瀬藩を舞台にしています。藤沢周平氏の創作した北国・海坂藩へのリスペクトがうかがえる設定です。真の武士とは……。

 

     

 

 堂場瞬一氏がイケメンでイクメンの刑事を描いた「アナザーフェイス」シリーズもこの「消失者」(文春文庫、☆☆☆)で第4弾です。確かに面白いのですが、今回はこれまでの3作に比べ、主人公の秘めた凄みがいまひとつ生かされなかったような……。

 

     

 

 プロ野球のスカウトの世界を描いたこの本城雅人氏の「スカウト・デイズ」(PHP文芸文庫、☆☆☆★)は、作者のことを何も知らずに買いました。で、読み進めるうちに、記者と新聞社の描写がやけに詳しいなあと思い、著者のプロフィール欄を見ると、なんと元サンケイスポーツ記者とあるではないですか!。

 

     

 

 なんのことはない、社の先輩に当たる人の作品でした。まあ、それを抜きにしても、 これはスカウトたちと選手の駆け引きやその背景を実に興味深く描写していて、素直に面白いです。

 

 最後に、ここのところ、いいなと感じた漫画作品を紹介しているので、今回も一つ。ヤマシタトモコ氏の「バター!!!」は、題名だけ見ると何の話か分からなかったのですが、これは高校の社交ダンス部を舞台にした作品でした。

 

     

 

 いわゆるスポ根ものではありません。だけど、それぞれの事情と思惑を抱えつつ、社交ダンスを続けていたり、新たに始めたりした若者たちの感覚がみずみずしく、応援したくなりま。5巻で急展開した部長と副部長との関係は……いいですねえ。リア充とは何か。

 

 なんというか、人間には、食欲や性欲などと同様に、実に強い「物語欲」があって、常に没入できるストーリー、新しい説話を求めているのかなあと。

 

 さて、選挙期間中であり、いろいろと面倒なのでどうしようかと思いましたが、国民の生命・財産を守るべき政府高官の言葉としてやはり看過できないので、藤村修官房長官の北朝鮮のミサイル「さっさと上げて」発言について取り上げます。

 

 藤村氏はこの大阪府吹田市で記者団に語った自身の発言について「舌足らずで誤解が生じているとすれば訂正、おわぴしたい」と述べ、野田佳彦首相は「言葉足らずのことがあり、(藤村氏は)おわびし訂正している」とかばいました。

 

 「舌足らず」「言葉足らず」という表現から、彼らが「真意を十分伝えきれなかった」と言い訳したいのが分かります。確かに、人間誰しも言いたいことをきちんと語れなかったり、言い間違えたりすることはあります。それは理解できますが、それでは藤村氏の場合もそうだったと言えるでしょうか。

 

 気になったので、藤村氏の発言の関連部分を確認してみました。以下がそれですが、これを読むと、「舌足らず」でも「言葉足らず」でも「誤解」でもなく、藤村氏はきちんと言いたいことを言っているではないですか。真意は「さっさと上げて」にほかなりません。

 

記者:残りの期間、東京でどのように戦う。

 

藤村氏:東京でできることは。地域地元の主要なみなさんと言うのか、核になるようなみなさんに、本人が直接電話し始めています。そういう私の声で、本当にこのなかなか厳しい選挙ですということを、今電話始めました。まだ、大分時間、東京からできることは電話作戦かなと。

 

記者:地元入りは今日が最後になるのか。

 

藤村氏要は、北のミサイルがいつ上がるかですわ。さっさと月曜日に上げてくれるといいんですけどね。

 

記者:地元の事務所は頑張っていた。

 

藤村氏:もう私が帰れない分、特に地元の支援者、事務所、本当に負担をかけているなあということは分かりますが、しかし、20年来同志で一丸となってやってきた仲間ですから、これは、歯を食いしばってお互い頑張っている。

 

記者:投票までにまた選挙区に入りたいという気持ちは。

 

藤村氏:さっき申し上げたように、北のミサイル次第です。それは入りたいに決まっているじゃないですか。》

 

 ……選挙区に入るため、北朝鮮にミサイルを早く発射してほしいという真意がきちんと、二度にわたり表明されています。誤解のしようがありません。弾道ミサイル発射が国民に与える脅威や損害を、真面目に考えていないことがうかがえます。それなのに、野田氏も藤村氏も姑息な誤魔化しで国民などいくらでも騙せると考えているわけですね。

 

 「自分の選挙が第一」だという真意は隠しようがありません。しっかし、野田氏もその周辺も、もはや完全にメッキがはがれたという印象ですね。まあ、「近いうち」に国民の審判が下るわけですが……。

 

↑このページのトップヘ