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 遅ればせながら、民主党の改革創生本部(本部長・海江田万里代表)がこのほどまとめた党改革案(たたき台案)を入手し、目を通しました。そこには、次のような言葉が列挙されていました。メディアも有権者も繰り返し指摘してきたことをおおむねなぞったような内容です。

 「マニフェストは一貫性・現実性を欠くものとなった」「政権運営戦略が稚拙・未熟」「決められない政党との印象を残した」「政治主導を履き違えて官僚との意思疎通を欠き」「政党のガバナンスが未熟」「権謀術数や無責任というイメージを植え付けた幹部たちの行動も大きなダメージとなった」「けじめのある人事にならず、人事のたらい回しも見られた」「物事の決め方を議論する姿は統治能力のなさを印象づけた」……

とまあ、いろいろな反省が散りばめられており、「なんだ分かっているじゃないの」と思う部分も多々ありましたが、同時に、どうしてこんなに菅直人元首相に優しいのかなあ、とも正直感じました。私の個人的感想では、初代首相がルーピーで、二代目がペテン師だった時点で、国民はもう民主党を見離していたという気がするもので。

ちなみに、この改革案は衆院選大敗の理由について、

 「『普天間』、『政治とカネ』、『消費税発言』から、解散時期の見定め等、トップによる失政の連鎖が続き、期待外れの政権というイメージを与え続けた」

 と総括しています。それはまあその通りではありますが、なぜか野田佳彦前首相以外は名指しを避けているところが気になります。もちろん、先の衆院選時の責任者は野田氏なのは事実ですが、なんか野田氏にばかり責めを負わせている印象もあります。例えば、

 「野田総理は解散時期を見誤った」「野田総理を前面に出す選挙は間違いであった

 などの記述があります。今回の選挙結果について、民主党内ではよほど野田氏への怨嗟の声が強いのでしょうね。それも無理がない部分はありますが、外野としては「野田政権に至る前にもう民主党はボロボロだったろうに…」という気もします。これでは野田氏も針のむしろ、居たたまれないでしょうね。

 そして、民主党が今日の窮状に至った原因は、野田氏よりも鳩山由紀夫、菅直人両元首相や小沢一郎元幹事長、さらには現在も素知らぬ顔で参院議員会長の要職に居座っているガイコツ仙人の罪の方が大きいのではないかという疑問が残ります。

 そこをきちんと踏まえない反省や総括であれば、結局、あんまり意味はないのかなと。まあ、反省だけならサルでもできるそうですから、どうでもいい話かもしれませんが。

 

 

……ここのところ、情報と報道のあり方について、そのときどきに思ったことを書いてみました。いろいろと考えさせられ、参考になるご意見も多々ありますが、同時にどうあがいたってそれを言われたらどうしようもないだろうと率直に感じるものがありました。

 

よく言われることが、情報の切り貼りや勝手な意見を加えるのをやめて、そのまま流せというものです。この主張自体には一理も二理もあるとは思いますが、それは紙面スペースや放映時間の限られた新聞やテレビなどの媒体では不可能に近いと思います。

 

そもそも、新聞もテレビも、初めから情報の要約と切り貼りをしないでは成り立たない、それを前提としたメディアです。インターネットの登場で、情報はより幅広く伝えられるようにはなりましたが、それでも自ずと限界はあります。

 

例えぱ、今国会で焦点の一つとなっている国会同意人事について、民主党の輿石東参院議員会長は7日の記者会見で以下のやりとりを紹介します。その内容自体は、相変わらず国会の鵺が好き勝手なことをわが田に水を引くやり方で述べているものですが、それはともかく文字にした場合の長さに注目してください。これでも一部、省略しています。

 

輿石氏:最初に、私の方で一言触れましょうかね。たぶん質問が出るでしょう。明日の同意人事の案、あれは受けるのか受けないのか。これは結論から言えば受けません。ま、多くを語る必要はないでしょう。(以下、略)

 

記者:同意人事、確認だが、公取委員長の人事のことか

 

輿石氏:そうだね。しかも、これは読売のトップ記事ですから。べた記事とは違う、ということでしょう。それは西岡ルールから、国会同意人事というのは長い時間をかけて国会でも問題になった点ですから。それを踏まえれば、明日、はい、受けて前へ進みましょうという話にはならないでしょう。

 

記者:じゃあ、同じ内容でもべた記事だったら受けるんですか

 

輿石氏:いや、いや、そんなべた記事とかトップ記事とかそういうまあ、表現よりも、なぜ事前にこういうことが漏れるのか。常々私言っているのは情報管理をきちっとしよう。そのことによってやらなければならない国会の使命が果たしていけない、ということを繰り返していたのではどうにもならない、いうことですから。きちっとそこはなぜこういう報道になったのか、それに対して政府はどういう対応するのかということも含めて少ししばらくこちらでも見させていただくと。

 

記者:もし違う人を政府が出してきたら受けるのか

 

輿石氏:違う人とか、杉本さんという人物に対していいとか悪いとかを言っているんじゃない。あまり勘違いしないで。その人物事前の問題でしょう。報道のあり方も含めて。

 

記者:明日の同意人事提示そのものを受けない?

 

輿石氏:提示されても、民主党とすれば議論には入れないでしょうと。これは今、そのことを私どもが真剣に西岡ルールがある中で、これは今はお互いに与野党含めて現行のルールは、ルールとして生きているという認識をしている。そのさなかにこういうことが出れば、新しいルールをつくろうということで一生懸命みんな知恵を出しているわけでしょ。今、衆参の議運という場所で。そのさなかにこういうことが起きたら、これは結構ですと、こういう話にはならないでしょう。にもかかわらず、こういう報道をする、報道姿勢や、あるいはそれにどう対応していくか、政府、各党とも。そういうことが問われている。

 

記者:しばらく見ていきましょうと言ったが、政府の対応如何によってはその後状況が変わることもあるのか

 

輿石氏:いやいや。その、だからこういうことになぜなったのか、報道した方だってかなり自信がなければトップ記事にしないじゃないですか。漏れ聞いたとか。これらしい、なんていうのはトップ記事にするかな。そういうのもあるけどね、たまには。スキャンダルみたいなものは、たいした確証がなくてもボーンと出てくるということもあるけれども、これはそれとは異質のものでしょう。なぜ国会同意人事という仕組みがあるのかというその仕組みの重さからいっても、ことの、ものの重さからいってもそういう問題だと。まあ、分からなくてもいい。皆さんには。民主党としての対応はそうします。

 

記者:与党からは、この人事は民主党政権のときにすでに内定していたという指摘があるが

 

輿石氏:それはあなたから今聞いたんで、正式に党として聞いてない。そんな説明は受けてない。だったらそういう説明からしなきゃいけない。そういう報道の前にそういう説明が必要でしょう。まあ、あんたたちとやりとりしても仕方がない話だが。

 

記者:公取人事以外も明日提示されると思うが、公取の委員長人事が受けられないのか。明日の提示一切?

 

輿石氏:党とすれば明日の提示は一切受けない。だってまだどういうものが出てくるかも分からないうちにこれが出てきた。

 

記者:一切受けないという方針については与党側に

 

輿石氏:これは議運、国対レベルでこういう×があれば、もう行ったりきたりしてるじゃないですか。私はそういう細かいところへ口を挟む必要はない。党の方針だけ決めておけばいいでしょう。

 

記者:日銀総裁人事についても受けないのか

 

輿石氏:明日日銀総裁人事が出てくるのか

 

記者:明日出てくるのか分からないが

 

輿石氏:だから、それも分からないだから。それは明日日銀総裁人事が一緒に入っていかどうかも分からないんじゃないですか。入っていても入っていなくても、明日はだめですよと、こういう話です。中身の問題とかそういうもんじゃなくて。そのことが問題になったわけでしょ。事前に漏れたら、それは審議をしませんよというのが、簡単に言うと西岡ルールじゃなかったですか。

 

記者:明日の提示は受けないが、今後、政府の説明を踏まえて改めて考えると?

 

輿石氏:そういうことでしょう。その先のことはあまりいわんほうがいい。私はそういうのを好まない。

 

記者:西岡ルールは、原則であって、漏れ方などの問題も調査して判断するということだったと思うが、今回はどういうところが問題だったか?

 

輿石氏:どういうところが問題かをこれから明らかにするんですよ。読売さんがトップで書けた経過も含めて、ね。それは原則としてちゅうことだから。

 

記者:今回はそれ当てはまる案件だと

 

輿石氏:そんなの聞くだけ野暮じゃないですか。これは該当するのかしないのか。書いてて、トップ記事で書いておいてこれは原則に当てはまりませんか、こっちが聞きたい。

 

記者:事前報道をされたら受け付けない事前報道ルールだが、ある意味報道の自由を制限する懸念もある。その点についてどう考えるか

 

輿石氏:それは報道の自由は報道の自由で、尊重されなければいけないでしょう。

 

記者:提示を受けないとすると報道の自由が制限される面もあると思うが

 

輿石氏:いや、そんなことは、報道の自由がそのことだけでもって制限されるされないということは私に問う話でなくて、みんなで考えるべきです。

 

記者:会長は制限されないとの考えか。

 

輿石氏:まあ、それはどう解釈されてもいいでしょう。うちは今回のこの出来事を踏まえて今までの経過も踏まえて、明日の審査のあれには出ません、という党の方針です、こういうことを伝えた。それ以上でも以下でもない。

 

記者:今回の記事の出方を検証した上で、改めて人事案を受けることはあり得るか

 

輿石氏:そういうことを全部精査をして今真剣にやっているんでしょ。お互いに同意人事のあり方、今は議運マターになっていて、現行は今までのルールが生きているんだという前提でここまで来ているということです。

 

記者:ルール作りを初めている最中にこういう報道が出る政府の管理のあり方が問題だということか

 

輿石氏:そういう問題もあるでしょう。これはみんな各党でよく考えればいい。

 

記者:同意人事をめぐっては衆院の佐田委員長が新しいルールの案を出したことがあったが、自民党からは民主党の参院がルールに反対しているからなかなかルール作りが進まないという意見があるが。

 

輿石氏:反対しているからって、あんたどこから聞いてきたかしらんけど。それはうちの方には伝わってこない。

 

記者:明日一切受けないというのは、海江田代表も了承しているのか

 

輿石氏:ああ、海江田代表に聞いてみてくれ。

 

記者:同意人事は、日銀などに関わらず、すべて野党側との事前協議事前説明が必要だという認識か

 

輿石氏:スムーズにいくのにはどうしたらいいかを提示する側が考えていけばいいんです。

 

 ……これを新聞紙上にそのまま載せると、ざっと1ページの3分の1ぐらいはこれだけで占めてしまいます。さらに、この何を言いたいのか言いたくないのか、何を考えているのか何も考えていないかも分からない輿石氏の言葉をただ載せただけで、どれだけの人の理解に役立つのか、そもそもこれはそんなに時間をかけてまで読者が必要とする情報なのか、という問題もあります。

 

 はっきり言えば、こんなの、輿石氏の発言の一部を切り貼りし、「◯◯だ」と主張したと書く以外に、どうしようがあるでしょうか。

 

 もちろん、切り貼りにも巧拙があり、よく指摘されるような社論による偏向や、場合によっては「悪意」がにじむこともあるのだと思います。そこを否定しようなんてさらさら思っていません。その点はいくらでも指摘された方がいいと思うし、私にもたくさん反省材料はあります。

 

 ただ、ちょっと技術的な話になりますが、われわれ新聞の記者は、新人時代、いかにある事象、出来事、事件を「圧縮」するかをたたき込まれます。「十の話を聞いたら、そのうち紙面にできる部分は1か2だ」という話は、多くの新人記者たちが先輩や上司から聞かされたことだと思います。当時は理想として、紙面や記事は情報を圧縮、凝縮した「エッセンス」であるべきだと言われました。

 

 もちろんそれから時代はうつろい、ネットの普及に伴い、以前は載せられなかった記者会見の全文などを重要度に応じてネット上に掲載するようにはなりました。でも、紙面スペースは変わりません。むしろ、字を大きくしてきたため1行の字数が減り、記事の文字数は減っているぐらいです。

 

 「そのまま載せろ」というご指摘は、実はけっこう難しい話なのです。

 

 本日は、新聞における客観報道とは何かについて少し書いてみようと思います。実は、癖も好みも偏見もある生身の人間であり、理解力にも見識・知識にも自ずと限界があるそれぞれの記者にとって、客観報道とは言うほど簡単ではないというお話です。

 新聞記事には主にストレートニュースと言われる事実関係を淡々と記すものと、解説記事やコラムのように、今後の展開の予想や問題点の指摘、記者独自の視点、考えをメインにしたものとがあります。

 後者は署名入りとなるのが通常であり、当然、かなり主観的になるわけですが、無署名であることの多い前者であっても、ただ事実関係をそのまま記したものとは限りません。その事実関係が日時や場所などであれば「脚注」のようなものを加える必要はほとんどありませんが、政治家など要人のときとして曖昧模糊とした発言の場合は、「これこれこう意味だ」と意味づけをしないと、デスクや上司から「この人はどういう意味で言っているの?。読者に真意が伝わると思うか」と問い合わせを受けます。それで上手く答えられないとダメ記者として扱われることになります。

 ところが、それぞれの記者がじゃあ、発言者の真意をきちんとくみ取れているかというと、それは怪しい限りです。一応、担当の記者が記事を書くことが多いのですが、担当だからといって相手の全部を把握できるわけではないし、もともと不勉強だったり、発言背景を論理的に、順を追って考えることが苦手な記者だっています。なので、ここで勘違いや意味の取り違えが生じます。

 一般読者からは「わざと」「悪意を持って」おかしな偏向報道をしていると受け止められることが多いし、そういう場合もなくはないのでしょうが、ふつうは単に真面目に考えて不正解にたどり着いているだけだろうと思います。人の話すことを正確にきちんととらえるというのが、実はけっこう難しいものであり、分かったつもりで勘違いしている場合が少なくないのは、日常生活で他者(親子、夫婦を含む)との会話を思えば誰しも思い当たることではないでしょうか。

 一例を挙げます。安倍晋三首相は1日の参院本会議で、自民党が衆院選の政策集で「検討する」としていた沖縄県・尖閣諸島への公務員常駐についてこう述べました。

 「尖閣諸島および海域を安定的に維持・管理するための選択肢の一つ」

 これは、衆院選時の政策集にある考え方に変更はないことを言ったにすぎないと私は思います。まあ、それだって私がそう思うというだけですが、この言葉を聞いた当日の各紙夕刊記事での解釈が見事に食い違っていました。

 朝日→尖閣周辺の海域へ領海侵犯を繰り返す中国への対応を強める狙いがある。

 読売→尖閣諸島周辺では中国当局による領海侵犯が相次いでおり、首相は、毅然とした姿勢で対応する方針を強調したとみられる。

 ……両紙の記者は、安倍首相が公務員常駐に前向きな姿勢を表明したと受け止めたようです。ところが、全く逆の解釈をとったところもあります。

 毎日→実際に常駐させれば日中関係は一層緊迫化するため後退させたとみられる。

 ……私はこれらの記事を書いた当人ではないので断言はできませんが、彼らは別に悪意や政治的意図をもって安倍首相の真意をねじ曲げようとしたわけではなく、彼らなりの理解に基づき、「そういうことだよな」と思って素直に、あるいは一生懸命書いただけだろうと思います。あるいは、その記者ではなくデスクや上司がそういう判断をしたのかもしれません。

 特に、この公務員常駐の検討に関しては、はじめから「検討」と書いてあるのに、安倍首相はただちに実行すると勝手に思い込み、そう信じ込んでそれを前提として話すコメンテーターをよくテレビで見ました。こんなの、安倍首相の「選択肢の一つ」という発言を待つまでもなく、最初から対中交渉の一つのカードであり、そっちの出方次第ではそうするぞという、実現可能性のある脅しであるのは明々白々なわけです。だって、そうでないと「常駐させる」と書かずに「常駐を検討」と書く意味がないわけですから。

 ところが、テレビコメンテーターと同じく、安倍首相や自民党の外交的・戦略的思考が理解できない記者や編集者もたくさんいて、「ただちにやるんじゃないか」と勝手にびびっていたので、今回の「後退」などという表現が出てきたのだろうと見ています。

 できるだけ客観報道に近づける努力は必要でしょうが、人は己の主観の範囲内でしかものを理解できないので、実は「口にするほど簡単ではない」と考えています。人は正しいと信じて間違ったことをしでかす生き物でもあります。この安倍首相の発言に関する記事にしたって、テレビ放映されて沢山の人が見ている内容について、わざわざ後で糾弾されることを覚悟して捏造・偏向記事を書こうだなんて誰も思わないと思います。それでもこういう結果になります。

 だから勘弁しろというのではありません。ダメなものはダメとどんどんご指摘ください。ただ、以前にも書きましたが、メディアや報道が今後少しずつ「マシ」になることはあっても、そんなに抜本的に改善されて素晴らしくなるなんてことはありえないと私は思います。

 政治もそうですが、報道も所詮、人のやることであり、個別にはいいもの、光るものはあっても全体としては「ボチボチ」というあたりが限界だろうと思うのです。私は人間は主観という檻から一歩も出られない存在だろうと考えていますので、記事の客観性は常に意識しつつも、一定レベル以上、それを求めるのは難しいと思っています。

 よく「記事に記者の主観はいらない」というご指摘を受けるのですが、対象をある程度「理解」して記事にする、あるいは記事にする対象の「価値判断」をして選ぶという段階でいずれにしろ主観は入ります。むろん、コラムはともかく一般記事では、主観をできるだけ排除したいとは思っているのですが……。

 

 ……まあ、1日の各紙の記事スクラップをしながら、そんなことを思った次第でした。

 

 非常に長い間、ご無沙汰しました。まあ、その間もあれこれ思うところはあったのですが、それはもう述べません。

 

 私はこのブログで、できるだけ本心を隠さずに、思ったことをそのまま隠さず書いていこうと思っていました。実際、かなりきわどい部分も含め、知り得たこと、考えたことについて、ほとんど包み隠さず率直に書いてきたという自負はあります。読者と情報を共有したい、同じ土台に立って議論したいとも願っていました。

 

 ところが、不徳の致すところとはいえ、不本意な誤解・曲解は後を絶たず、それについて説明しようとしても結局、かえって火に油を注ぐような結果となり、私としてはどう対処すればいいのか分からないという状態がずっと続きました。

 

 ただ、最近になって、今さらのように「ああ、私自身の発想もろくでもないものであり、はっきりと何かしらの 計算があったのだな」とようやく自覚しました。あるいは、そういう無自覚な打算のいやらしさのようなものが、鼻につく人には反感を増幅させていたのかもしれません。

 

 はい、私はここで、さまざまなことを学ぼうとし、実際学びましたが、読者や訪問者の反応を社なり自分なりの今後に役立てようという下心がずっとありました。あるいは、あわよくば自分のスキルとして、社内的に利用しようと……。

 

 それは私も会社員なので当然あることなのですが、「率直」なふりをしてその辺りをオブラートに包んでごまかしているような部分も、今は明確に自覚しました。いつもそうだったわけではありませんが、そういう思惑も多々、顔を覗かせていたのでしょう。かといって、一部の悪質なつきまとい行為に、何で好きこのんで材料を与える必要があるのかという思いもあります。

 

 で、計算高い(しかし計算、というか算数も苦手)な1人の中年男としては、まだここでどういうことを書いていくか、方向を大転換するか、過去に書いてきたようなことを続けるのか、まだ決めていません。まあ、そんなの他者にはどうでもいいことでしょうが。

 

 ブログを始め、順調にアクセス数が伸びたり、なんだかいまだによく分からない賞を受賞したりした際には、ここを続けなければ……という強迫観念のようなものもありましたが、今は吹っ切れました。

 

 というわけで、更新をさぼっている間も訪問してくれていた方々に一言、断りを述べさせてもらいました。私は今後、私を少なくとも対等な人間として認めてくれる人だけに語りかけたいと思います。そうでない人は、出歯亀でもあるまいし、もう覗きに来ないでいただきたいと心底そう思います。

 

 マスコミでもマスゴミでもいいのですが、こうして一つの言葉にくくると何か実態ありげに思えるとはいえ、実際は決して統一されたものでも固定的なものでも共通の何らかの意思や意図があるものでもなく、てんでバラバラな営利企業の活動の一部門の集合体を指してそう呼ばれているだけです。

 

 また、マスコミという言葉は、実に広い意味で使われていて、いわゆる報道部門だけでなく、テレビのワイドショーのゲスト出演者や、テレビの芸能番組、ドラマさえ包含されることがあります。

 

 私のように新聞社にいると、報道に特化している新聞と、報道は一部門に過ぎないテレビは全く別のもの、という感覚があります。新聞とテレビに系列つながりがあることもあり、多くの人は同じようなものだととらえているのも分かるのですが。

 

 また、同じ業態を持つ新聞社も一つひとつ違いますし、同じ新聞社の中でも記者それぞれ考え方も傾向性も大きく異なります。当たり前のことだと思います。

 

 もちろん、社によって「社論」の統一性が高いところから、紙面をみると右も左も混在しているところ、そのときどきの編集幹部が誰かによって紙面の方向性が変わるところ、といろいろあって、「あの社はこうだから」というのが大体当たっている場合もあります。ただ、それだって長い目で見れば、けっこう変化していたりします。

 

 何が言いたいかというと、私は昨今のマスゴミ批判はおおむね受け入れるしかないと思っていますし、説得力ある反論などできないのですが、若干違うなあ、と思う点も多いのです。いろいろと反省の材料にしつつも、マスコミだから何でもたたけばいいんだという姿勢や「陰謀論」を見せつけられると、げんなりして耳を傾ける気がなくなります。

 

 当たり前のことですが、マスコミの主体、マスメディアを形作っている企業に、統一された意思や意図などありません。てんでバラバラな成り立ちと構成を持ち、かつライバル同士であるマスコミ企業が手を結び、特定の方向に日本を導こう、陥れようとするなんてことはありえません。

 

 それを想定するのは、東京裁判に際して戦勝国側が、会ったことも話したこともない日本人同士の「共同謀議」を持ち出したのと同様、馬鹿げた話だと思います。

 

 私もこの世界に入って20数年になるので、それなりに経験もしたし、いろいろなことを見てきましたが、記者個人や社の方針自体の間違いや行き過ぎについてではなく、マスコミ全体が批判されている事象の多くは、マスコミの「悪意」によって生じるのではなく、勉強不足も人材不足も取材経費不足も含めて「能力不足」が原因だとみています。

 

 考えてみてください。よくある批判に「マスコミが◯◯を報じていない」というのがありますが、新聞社やテレビ局の記者の多くはふだんからそれぞれ担当部門を持ち、そこをフォローするのに汲々としています。世の中の森羅万象、政治も経済も事件もスポーツも文化も含めて日々起きるできごとにそんなに目を光らせている余裕もないし、仮にアンテナにそれが引っかかったとして、他に優先すべき業務があったら無視するしかありません。

 

 また、その分野の専門記者ならともかく、そうでない記者がある事象を取材した場合、誤解が生じ、誤解に基づき記事が作成されることもあります。これは必ずしも「悪意」ではないし、むしろ本人としては誤報なんて書きたいわけがないのです。

 

 決して誤報を正当化するわけでもかばうわけでもありません。ただ、記者なんて、報道機関なんてそんなものだという相場感がもっと広がってほしいと願うだけです。たとえ毎日紙面をにぎわすような社会現象になっていても、全くことの本質も事実関係も理解していない記者やプロデューサーがそれを報じている場合も少なくありません。

 

 繰り返しますが、それでいいと言っているわけではありません。報道なんて所詮その程度だという事実を、多くの人に理解してほしいと思っているのです。おいしいレストランも安かろうまずかろうの定食屋もあるように、同列に並んでいるように見えるかもしれない報道もいろいろだ、というだけのことです。

 

 それでは報道の使命の放棄ではないか、責任逃れではないかというお叱りもあるかと思います。けれど、私は自身の記事についてのご指摘は甘んじて受けますし、改めるべき点はそうしますが、マスコミ全体のあり方をどうこうできる道理がありません。

 

 また、私のような浅学非才で頭の回転が鈍く、病気がちの者ではなく、ものすごく優秀な頭脳と体力を持つ記者であっても、複雑化・専門化する社会のすべての分野をカバーできるわけがありません。一人の記者が一分野だけやっていればいいならともかく、さまざまな分野の記事を書くのが普通である以上、どうしたって部分的な勘違いや見当外れ、誤解は避けられません。

 

 まして、組織として、人と人とがぶつかり合い、複雑な思惑や利害がからみ、上司の意向や紙面の都合もある中で記事がつくられていくわけです。もとより、新聞はその性質上、一つの記事の字数も少なく、説明不足になりがちだということもあります。

 

 じゃあ人を増やし、専門教育をもっと施せばいいではないかといっても、一定の利益を上げて社員に給与を払わなければならない営利企業には自ずと限界があります。産経政治部の倍は政治部員がいるであろう、そして企業としての体力のある読売、朝日、共同にしたって、カバーできる範囲はたかがしれています。

 

 全国の報道機関がいっせいに記者を10倍増やしたって、見落としや取材不足は解消されないでしょう。もとより、紙面に載せられる量の限界もあります。極端な話、マスコミを国有化しようとNPO化しようと、事態はそう変わらないと思います。

 

 マスコミ批判は当然であり、今後もどんどんなされるべきでしょうが、そもそもあまり高い要求をされても初めから応えられないものだと感じています。私自身は、羽織ゴロと言われたヤクザな商売、いわば「必要悪」の世界に身を投じたつもりだったのに、このイザでも他の場所でも、非常に高い理想を求める方が少なくないことにギャップを覚えています。

 

 もちろん、前提条件として、われわれも日々、よりよい紙面と記事を提供できればと願っていますが、特別な能力も捜査権も何もないわれわれが、できることなどたかが知れています。そのたかが知れている中で、ときおり、「これはいい記事だ」「スクープだ」「読者が望んでいた内容だ」という記事が書ければ成功だというのが、偽らざる実感です。

 

 さらに言えば、私はマスコミに限らず、官僚にしても政治家にしても他の業種にしても、特別優れた人なんて滅多にいないと思います。だいたいはごく普通の人たちです。また、そうした特別優秀な人たちだけ集めても、組織がうまく回転するとは限らないでしょう。

 

 ごく当たり前の普通の、たいした能力も感性も持っていないわれわれが、それでも懸命に紙面をつくっています。したがって、足らざる点、おかしな点はたくさんあるでしょうし、今後もそれを指摘してほしいけれど、そうそう理想的な報道なんてできません。

 

 情報の取捨選択、媒体の選択を含め読者のリテラシー任せにするのはずるいかもしれませんが、今はそういうしかありません。報道に全く期待されないのも寂しいですが、余り期待されてもそれに応えることはできないのだろうと……。こんなことを書くと、よけいに「マスコミなんていらない」と言われるかもしれませんが、そもそもそんなたいした存在ではないと思うのです。

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