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 さっき、月刊WiLL8月号に載っているジャーナリストの尾形真人氏が書いた「創価学会に手をつっ込んだ小沢一郎」という記事を読んでいたところ、小沢不動産問題について言及があったのが目を引きました。尾形氏は、6月4日の東京高裁が、小沢氏の名誉毀損だとの訴えを棄却したことについて、共同通信が小さな記事を配信したほか、ほとんどの新聞が取り上げていないことに疑問を示し、次のように記していました。

 《六月四日の高裁判決でも、小沢は再び実質〝敗訴〟したわけで、その意味するところは、政治的にきわめて大きい。ところが、奇妙なことに、この六月四日配信の「共同通信」のニュースは、ほとんどの新聞で記事になっていないのだ》

 《「六月四日の高裁判決を見守っていた国税、地検特捜部がいよいよ動き始めるのではないか」といった情報も、いま永田町を徘徊し始めている。多くの国民は六月四日に、小沢関連でそうした重要な判決があったことに気づいていない》 

 …実はうかつなことに、私はこの判決について当日は全く気付かず、ようやく2週間後になって関係者に聞いて知った次第でした。あとでインターネットで検索すると、確かに共同配信の記事をいくつかの新聞社がネット上にアップしていましたが、目立つようなものではありませんでしたしね。確かめると、産経の司法担当記者はこの判決のことを知っていましたが、特にニュース価値があるとは判断せず、記事にしなかったようでした。

 また、尾形氏が指摘するような「永田町のうわさ」は、少なくともまだ私の耳には入ってきていません。国税も地検も社会部の管轄なので、政治部の記者にはなかなか動きは分かりませんし。国会の方でも最近は、政治とカネの問題が取り上げられることはないので、私のアンテナが錆び付いているのか、そんなうわさはそれほど広まっていないのか。

 ともあれ、私も判決文を入手して読んでみたのですが、これがなかなか興味深い内容でした。要は、名誉毀損の事実を認めなかっただけでなく、小沢氏の主張にも疑問を示しているのです。産経は遅ればせながら21日付朝刊3面で、この件について次のように報じています。イザニュースでもアップされていたので、読んだ方もいるでしょうね。

 小沢氏不動産は「陸山会のものとは断定できず」 東京高裁

 民主党小沢一郎代表が、隠し資産を所有しているかのような記事を「週刊現代」に書かれ、名誉を傷つけられたとして発行元の講談社などに損害賠償を求め、小沢氏が敗訴した今月4日の控訴審判決の中で、小沢氏が資金管理団体「陸山会」の所有とし、自身の個人所有ではないとしている不動産資産について「各マンションが陸山会のものであると断定することはできない」と認定していたことが20日、分かった。 

 また、陸山会自体に関しても「(運営の仕方などについて)第三者が知る機会は保証されておらず、権利能力のない社団としての実態を有するかどうかは不明」と指摘している。

 小沢氏は昨年2月の記者会見で、陸山会が都内などに計13件総計10億2000万円の不動産を購入しており、登記簿上の所有者は小沢氏となっていることについて、「私個人としては何の権利も持っていない」と主張。自身の名義になっている理由に関しては「権利能力なき社団である政治団体での不動産登記は認められておらず、登記は個人名で行われるべきことになっている」と説明していた。

 小沢氏は、週刊現代が平成18年6月3日号で「小沢一郎の“隠し資産”6億円超を暴く」との見出しの記事を掲載したの対し、6000万円の損害賠償を求める訴訟を起こしたが、1審の東京地裁は「前提事実の重要部分は事実」として請求を棄却。2審の東京高裁も4日、1審判決を支持し、控訴を棄却した。》

 
これは、12字組で50行の記事で、決して小さな記事ではありませんが、判決文そのものについては必要最小限しか載せられませんでした。そこで、この場で関連部分を紹介します。裁判官独特の切れ目なくだらだら続くわかりにくい文章ですが、以下のような感じです。

 《本件各マンションが、控訴人らが主張するように、陸山会のものであるかどうかは、陸山会が、権利能力のない社団の成立要件、すなわち、社団としての組織を備えているか、団体内部において多数決の原理が行われているか、構成員の変更にかかわらず団体が存続し、その組織において代表の方法、総会の運営、財産の管理等団体としての主要な点が画定しているかどうかによって左右されるところ、これらに関する事実関係について第三者が知る機会は保障されておらず、本件事実関係の下では、陸山会が権利能力のない社団として実態を有するかどうかは不明》《したがって、本件各マンションが陸山会のものであると断定することはできない》

 判決は、だからマンションは実質的に小沢氏のものだとまで言っているわけではありませんが、小沢氏の主張についても認めませんでした。高裁レベルでこういう判決が出たことの意味は重いですね。小沢氏が最高裁に上告するのかどうかは分かりませんが、二審が一審判決を支持しただけでなく、むしろ補強するような判決を出しているわけで、最高裁で争っても結果は厳しそうな感じがします。

 本当に国税や地検が動くのかどうか私には分かりませんが、この判決はもっと国会でもマスコミでもそれ以外でも注目されていいように思います。何せ、いまや時期首相の有力候補となった人物がかかえる問題なのですから。どうでしょうか。

 昨日はブログ更新をさぼったため、ちょっと話が古くなりましたが、安倍首相直属の教育再生会議は19日、第一次報告をまとめました。私は20日付の産経に、報告の内容が安倍氏の著書「美しい国へ」に記されている教育改革構想を色濃く反映したものであることを書きました。この本と報告を読み比べると、サヨク・リベラルのメディアが宣伝しているのと違って、報告が首相のリーダー・シップに基づいて方向付けられていることは間違いないと思います。

 じゃあ具体的にどういう点が反映されたのかを示すために、ちょっと自分の記事を引用します。すでに読んでいただいている方には申し訳ないですが、ご勘弁願って。

  《政府の教育再生会議が19日にまとめた第1次報告は、教育再生を自らの内閣の最重要課題に掲げる
安倍晋三首相の教育観を、色濃く反映した内容となった。首相が昨年7月に出版した著書『美しい国へ』の中で提唱した教育改革構想の多くが具体的な形となって表れたのが、今回の報告だといえる。

 「ゆとり教育の弊害で落ちてしまった学力は、授業時間の増加でとりもどさなければならない」

 首相は著書の中でこう強調しており、報告には「ゆとり教育の見直し」が盛り込また。

 「ゆとり教育の見直し」については、かつてこれを推進した
文部科学省自民党文教関係議員が「ゆとりの理念は間違っていない」と反発し、昨年12月の骨子案では明示されなかった。このため、首相の指導力を危ぶむ声もあったが、安倍教育改革の根幹にかかわるだけに、首相もここで譲る気はなかったようだ。

 首相が著書で「ダメ教師には辞めていただく」と不適格教員の排除を訴え、「教員免許の更新制度導入」と「やる気と能力のある教員の優遇」「(企業人など)多様な人材の学校現場参入」を主張した点もすべて報告に取り入れられた。高校での奉仕活動の必修化も明記された。

 首相はまた、著書で義務教育の構造改革について「市区町村と学校の権限と責任を拡大して、実行可能にし、最後にその成果を検証する仕組みがあってはじめて完了する」と書いている。この点についても、報告には教育委員会に対する第三者機関による外部評価制度の新設が盛り込まれ、「
文科省、教委、学校の責任転嫁、もたれあいにメスが入った」(政府筋)といえる。

 さらに、喫緊の課題であるいじめ対策として、極端に問題がある児童への出席停止措置には異論も少なくなかったが、「直ちにいじめをやめるべく厳しく指導していくことは大切ではないか。先生にとっても、厳しい指導をすることもできるということでなければ、なかなか問題の解決は難しい」(昨年11月30日の参院
教育基本法特別委員会)とする首相の考え方が議論をリードした形だ。》

 ざっと見ただけでも、安倍氏が提唱した内容が再生会議の委員の甲論乙駁の議論の結果、最終的には取り入れられていることが分かります。なおかつこれは、記事にも書いているように、文部科学省や自民党文教関係議員の抵抗を押し切ってのことなのです。

 私は19日夜、原稿を書き終えて一人で官邸に近い赤坂の居酒屋で食事をしながら、「今回の報告内容なら、現時点としては90点はあげられるな」といい気分でビールを飲んだのでした。いろいろ批判されたけど、よかったなあと。

 で、翌朝の朝日新聞の社説をみると、下記のような内容でした。とにかくけなしたくて仕方がないので、一生懸命、難癖つけてみたという印象です。というより、安倍氏に教育改革を進められては困るある勢力の代弁をし、安倍政権の事業をとにかく貶めて無力化を狙っているかのような…。

 《(前略)報告案は、小中学校での教え方、大学入学、教育制度の見直しまで、多岐にわたる提言をしている。しかし、その内容は清新さとはほど遠い

 教育の中身では、「ゆとり教育」の見直しや、全国学力調査の実施などが提言された。教員免許を更新制にして不適格教員を排除することも求めている。

  しかし、全国学力調査は今春に実施される。「ゆとり教育」のもとで薄すぎると批判された教科書も、すでに発展的な内容が盛り込まれるようになってきた。教員免許の更新制も、中央教育審議会が答申ずみだ。

 問題を起こした子どもの出席停止、高校での奉仕活動の必修化、大学の9月入学などは、小渕内閣がつくった教育改革国民会議の提案とほぼ重なる。

 これでは、すでに動き出している改革や、過去の提言の焼き直しと受けとめられても仕方があるまい。》

 朝日さんはこう書くわけですが、これまでの会議や文部科学省の諮問機関である中教審の答申が実現されなかったり、あまりに時間がかかりすぎたりした点をカバーするため、再生会議が議論を主導することになったのでしょうに。

 それに、テーマとしては同じでも、たとえば教員免許更新制度に関する中教審の答申が甘すぎる内容(ダメ教師は講習を受ければいいとか)だったことなどには朝日は触れていません。本来、同一視できないものを「同じようなものじゃないか」と印象操作をしているとみえます。

 というより、朝日は教育に奇策を持ち込めとでも言いたいのでしょうか。私は教育改革とは、もっと地道に、そして一歩一歩進めていくべきだと愚考するものですが、過去の議論に学んで参考にしてはいけない理由でもあるのでしょうか。

 《過去の提言より踏み込んだのは、教育委員会の見直しである。教職員の人事権をできるだけ都道府県から市町村に移す。小規模市町村の教育委員会は統廃合を進める。教育委員会の活動を第三者機関に外部評価させる。そうした内容だ。

 教育委員会は戦後教育の根幹となってきた制度である。その変革は、教育全体に大きな影響を及ぼす。》 

 で、過去の議論と違う点についてはこうです。朝日はあいまいな書き方をしていますが、要は教育全体に大きな影響を及ぼすからよくない、と言いたいのでしょう。つまり、現在は教育委員会と良好な関係を維持している日教組にとって望ましくない、ということでしょう。

 現在、本来は学校・教員を監視する立場にある教育委員会委員は教員出身者がかなりのパーセンテージを占めており、山梨県のように組合幹部が優先して教育長に選ばれる地方もありますからね。朝日はこういう構図の継続が望ましいと内心、考えているのでしょう。

 《見直しの具体策は、昨年暮れにまとめられた第1次報告の原案にはなかった。原案に新味が乏しいことに危機感を募らせた首相官邸が働きかけ、急に盛り込まれたものである。

 きちんと議論されたのは1月の分科会で1度だけだ。それなのに、報告案はまもなく始まる通常国会で関連の法律案を出すよう求めている。論議より政治日程を優先させるようでは「教育再生」の名が泣く。 》

 安倍氏や官邸サイドが議論を見守っていると、「首相の顔が見えない」「リーダーシップが発揮されていない」と書き、いざというときに官邸が主導するとそれもけなす。私も一応、メディアのはしくれに所属しているので自戒を込めていうのですが、こんなやり方が許されるのであれば、何でもいかようにも批判できますね。はじめに批判ありき、という姿勢はいかがなものかと思います。

 《報告をまとめるのは、文部科学省などの出向者が多い事務局である。過去の教育政策とのすりあわせや実現可能性を重視する事務局主導の運営では、斬新な意見は黙殺されてしまいがちだ

 そうさせないためにも、非公開としている審議を公開すべきではないか。ほとんどの審議会は公開されている。とりわけ教育問題は、教師や保護者らの声を聞きながら論議を深める必要がある。密室の論議で結論だけを示すやり方では、国民にそっぽを向かれるだろう。》
 
 だから、12月の骨子案発表時は、そうした事務局の意向が強く反映されていたから、この1か月で巻き返したわけでしょうに。今回の報告が文科省や文教族の圧力を排して出されたことは無視し、今度は唐突な密室批判です。

 国民にそっぽを向かれるだろう、という言い方も、いかにも朝日らしいですね。まるで自分たちの考え方が国民の代表的な見方であるかのように臆面もなく書くという。確かに、日教組など国民の一部は代表しているのでしょうが。

 ではなぜ、朝日は安倍氏の教育改革をとにかく全否定したいのか。もともと安倍氏の政治姿勢が気にくわないということもあるでしょうが、もっと直接的には、安倍氏のやろうとしていることが、明示されていないだけで、ことごとく日教組路線を否定するものだからでしょう。

 元神奈川県教職員組合委員長で社会党参院議員も務めた小林正氏にゆると、ゆとり教育も、悪名高い総合学習の時間も学校5日制も、すべてもともと日教組の政策だったものだそうです。それを文部省が取り入れたという形です。

 そして、組合活動ばかりやっている問題教師が排除されるようになれば、やはり困るのは日教組です。奉仕活動などで子供に「公」の精神が要請されることにも日教組は反対でしょう。子供に自由という名の無責任と放縦を植えつけてきた張本人なのですから。

 今後、議論が詰められるであろう土曜日の補習授業や夏休みの短縮も、子供の教育を受ける権利よりも既得権益を守りたい日教組の先生方には痛撃でしょうね。ある政府関係者は今回の報告について、はっきりと「日教組教育への反撃だ」と私に語りました。つまり、安倍政権による日教組への「宣戦布告」的意味合いも持っているというわけです。

 だからこそ、日教組や朝日による安倍氏や再生会議に対するネガティブキャンペーンは今後も続くと思いますが、世論がそれに惑わされることがないことを期待します。(※きょうはなぜか文字が太字になって元に戻らず、読みにくいことをお詫びします。)




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