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  東電福島第一原発事故を検証する国会の事故調は28日、いよいよ最高責任者だった菅直人前首相の参考人聴取を行う運びとなりました。菅氏のことですから、言を左右に自分勝手な言い逃れを続けるでしょうが、いかに隠したいと思っても真実は言葉の端々からこぼれ漏れてくることでしょう。

 

 あの原発事故で、東電や原子力安全・保安院などに大きな責任があるのは当然です。そしてそれは現在も多方面から厳しく追及されています。しかし、現場をかき回し、事故被害を拡大し、本来はもっと迅速に行うべきだった住民・被災者支援をろくに考えなかった首相官邸中枢の責任は、今よりもっと注目されるべきだと考えます。

 

 なぜなら、菅氏をはじめ当時の政治サイドの責任者たちは、今ものうのうと要職に就き、しかも自分に都合のいいメディアを使って自己正当化と自己美化に努め続けているからです。それを見逃し、水に流すことはお天道さまが許さないと思います。また、トップと官邸がどう動き、そのどこに問題があったかをきちんと検証することは、何より大事なことでしょう。

 

 ……と、前置きのつもりがつい長くなりましたが、本日は原発事故とは関係のない読書エントリです。重度の活字中毒者である私は、手元に読む本がきれると、電車の中吊り広告でも定食屋のお品書きでも繰り返し読むはめに陥ります。

 

 というわけで今回は、前回に続き文庫化された村上春樹氏の「1Q84」のBOOK2(新潮文庫、☆☆☆★)に手を出したところ、続きが読みたくなって単行本のBOOK3も買ってしまいました。この中に出てくる「牛河」という登場人物が、一時期かかわったある知人を連想させてつい引っ張られました。

 

     

 

 それにしても、この本はBOOK3で一応完結なのでしょうか。リトルピープルがつくっている最中の空気さなぎなど、まだどうなるか分からない謎が残されているのですが……。まあいいや。とにかく、村上氏は本当に上手い作家であると再確認しました。

 

 で、ベストセラー作家、東野圭吾氏の作品をいまさらのように初めて読んでみました。あらゆる悩み相談に応じる雑貨店を舞台にした「ナミヤ雑貨店の奇跡」(角川書店、☆☆☆★)は、5つの章(エピソード)で構成され、それがすべてつながっていて、中盤以降どんどん盛り上がっていきます。

 

     

 

  なるほど、この作者の本がよく売れているのがよく分かりました。私もちょっと涙腺を刺激されました。作者の狙い通りなのでしょうが。

 

 次の作者の長崎尚志氏は、あの傑作「MASTER キートン」の原作者の1人だというから、期待しないわけにはいきません。「闇の伴走者 醍醐真司の猟奇事件ファイル」(新潮社、☆☆☆★)はずばり、漫画業界を舞台にしていて、今まで読んだことのない作者論なども展開され、興味深いものでした。

 

     

 

  でもこれ、次回作の存在をにおわすような終わり方になっていますが、主人公が元漫画編集者だし、次があるとしたらどんな話にするのだろうかと、余計なことを考えました。

 

 小路幸也氏の「東京バンドワゴン」シリーズはこの「レディ・マドンナ」(集英社、☆☆☆)で第7弾です。巻末に「あの頃、たくさんの涙と笑いをお茶の間に届けてくれたテレビドラマへ」とある通り、ホームドラマの王道を小説化したかのようで、しみじみと楽しめます。

 

     

 

  帯の「ハチャメチャナンセンス料理小説集」という文句にひかれて手に取った多紀ヒカル氏の「神様のラーメン」(左右社、☆☆☆)は、読んでいてその不条理ぶりがかつて愛読した筒井康隆の短編集を想起させる本でした。73歳のデビュー作というのもいいですね。

 

     

 

  これ、けっこう面白いと素直に思ったのですが、次回作もいつか出るのでしょうか。気になるところです。

 

 佐藤雅美氏の「縮尻鏡三郎」尻図もこの「夢に見た娑婆」(文藝春秋、☆☆☆)で同じく第7弾でした。まあ、毎回紹介しているのでこれ以上、内容については触れませんが、佐藤氏は相変わらずいいです。納得感があります。

 

     

 

  最後に、今回はかつて愛読書として紹介した内海隆一郎氏の作品を突然読み返したくなり、7冊ばかり再読しました。どれももう、5、6回は読んだものばかりなのに、間に数年おくと適度に話を忘れているのでまた楽しめます。

 

      

 

 市井に生きる人々の哀感と優しさを、ごく短い作品にまとめてあり、通勤・帰宅途上に4~5作ぐらいずつ読むことができます。内海氏の作品は最近では、あまり書店では見かけなくなったので、大事にとっておこうと思います。おすすめです。

 

 それにしても野田佳彦首相はふらふらしていますね。自民党にすり寄り、小沢一郎元代表に秋波送り、どちらからも足下を見られ、頼みの輿石東幹事長にはいいように手玉にとられ、ただ言葉の上で「命懸け」を強調するばかり。国内情勢から逃げるように外遊を繰り返しては何の成果もなく帰ってきて……。

 

 さあ、きょうは休みなので久しぶりに映画でも見ようかな、と。

 

 

 

 3月は新聞休刊日がなかったので、2カ月ぶりの休刊日です。新聞が発行されようとされまいと、世の中は常に動いているわけですが、やはりこの日は少しほっとした気分になれます。というわけで、本日は読書エントリとします。

 

 安住洋子氏の作品を読むのはこれが2冊目です。前回読んだ「日無坂」は、どこか食い足りない気がしましたが、今回紹介する「春告げ坂 小石川診療記」(新潮社、☆☆☆★)は満足感がありました。

 

     

 

 質の悪い看護人、足りない薬料……と養生所で苦闘する若い医師を描いたもので、爽やかな読後感が残りました。派手な場面はありませんが、時代小説はいいなあと思う作品です。

 

 いつも安心して手に取れる宇江佐真理氏が飯屋を描いたのですから、これは読まずにはいられません。この「夜鳴きめし屋」(光文社、☆☆☆★)は、夜から明け方まで一人で営業する居酒屋・飯屋を舞台にしています。

 

     

 

 父親が営んでいた古道具屋をたたみ、居酒屋を開いた主人公がどうにか新しい仕事にも慣れたころ、ずっと昔の恋の相手が近くに舞い戻り……というストーリーで、この作者らしくしみじみとした味わいがあります。

 

 同じ作者の「日本橋人情横町 酒田さ行ぐさげ」(実業之日本社、☆☆☆★)には6つの短編が収録されていましたが、特に「隣の聖人」が気に入りました。なんともいえないペーソスというかおかしみがあり……。

 

     

 

 「極上お料理小説」という帯の文句にひかれて手に取った橋本紡氏の「今日のごちそう」(講談社、☆☆☆)には、「伊達巻」「のり弁」「ポトフ」……と23の掌編が収められています。日常の哀感が淡々と記されていて、分量的に電車の中で読むのにぴったりだなと感じました。

 

     

 

 佐々木譲氏の新シリーズ「地層捜査」(文藝春秋、☆☆☆)は、舞台が防衛庁担当時代によく飲み歩いた東京・荒木町とあって、興味深く読みました。当時、政治家や秘書さんや自衛官らをよく招いた軍鶏鍋の店(〆の鍋の出汁を使った玉子丼が絶品)はもうありませんが……。

 

     

 

 主人公は不祥事を起こして未解決事件の追跡捜査に当たる「特命捜査対策室」に配転となり、そこで古い殺人事件を追う……というストーリーです。佐々木氏らしく綿密な構成で読ませます。

 

 初めて読んだ遠藤武文氏の「炎上 警察庁情報分析支援第二室《裏店》」(☆☆☆、光文社)は、破天荒というか、性格が破綻した天才キャリアが事件捜査に活躍(?)するというお話しです。素直に楽しめます。

 

     

 

 その中で興味深かったのは、東日本大震災発生後のさまざまな都市伝説のたぐい、あることないこと流布された情報について、主人公が一刀両断する場面です。一例を挙げるとこんなセリフです。

 

 「枝野にマスコミを封じるだけの力があるとは思えないが、仮にマスコミを封じたとしても、小沢や谷垣はどうして口を封じられているんだ。シンガポールの話が本当だとしたら、菅政権を潰す恰好の材料だった筈だが、国会でそんな話は一度も出なかった」

 

 いつも時代小説と警察小説が多いので、たまには違う分野をと、あのベストセラー、村上春樹氏の「1Q84」のBOOK1前編後編(新潮文庫、☆☆☆★)が文庫版になったので、読んでみました。

 

     

 

 この人の作品は大学時代にはけっこう読みましたが、それ以来、疎遠になっていたので久しぶりでした。確かに上手いし、面白いので続きが読みたくなりますが、以前読んでいたときと同様、やっぱり登場人物に共感できないというか、同化できません。それにしても、登場人物の少女「ふかえり」のしゃべり方って、アニメ「エヴァンゲリオン」に出てきた誰かのようだと感じました。

 

 堂場瞬一氏の「刑事・鳴沢了外伝 七つの証言」(中公文庫、☆☆☆)を読み、久しぶりにあの狷介な主人公、鳴沢に触れました。関係者7人の目を通し、鳴沢を描くという設定です。

 

     

 

 相変わらず、知り合いになりたくないタイプの主人公ですが、この作品では結婚後、どこか柔らかく、人間らしくなったことが描写されていました。それにしても堂場氏の多作ぶりには驚くしかありません。

 

 浜田文人氏の「若頭補佐 白岩光義 北へ」(幻冬舎文庫、☆☆★)は、震災後の仙台を舞台に、復興を食い物にする悪い奴らとの対決を描いています。作中に出てくる鯖寿司があまりにうまそうだったので、つい買いました。

 

     

 

 高田郁氏の「みをつくし料理帳」シリーズもこの「夏天の虹」(ハルキ文庫、☆☆☆)で第7弾です。「想いびと」と決別して料理の道を選んだ主人公に、さらなる試練が襲います。この先、どうなることやら……。

 

     

 

 上田秀人氏の「闕所物奉行 裏帳合」シリーズは今回の第6弾「奉行始末」(中公文庫、☆☆★)で完結しました。主人公を闕所物奉行とするという設定は秀逸でした。

 

     

 

 おまけ。産経新聞出版がおそらく緊急出版したのであろう「橋下語録」を書店で手に取ると、巻末に私の署名も入っていたので「何か書いたっけ?」と驚いて買ってしまいました。

 

     

 

 よく読むと、2月に連載した「THEリーダー 救世主か異端者か」に加筆・修正されたものも収録されているとのことで納得しました。ただ、新聞紙上に載ったものの中から一部が削除されているため、巻末に東京本社から署名が掲載された4人のうち2人の原稿はこの本に全く反映されていません。まあ、うちの会社らしいなあ、とも思いますが……。

 

  さて、永田町では年始に吹き荒れていた解散風が、あまりの野田政権の不人気と大阪維新の会期待論の高まりで、かえって少々沈静化してきた感がありますね。もちろん、これから予算案や消費税増税をめぐって政局は大きく揺れ動くことでしょうし、水面下では政界再編を前提としたさまざまな動きも始まっていますが、とりあえず国会は盛り上がらず、なんだかなあの日々です。

 

 というわけで、本日は2カ月ぶりに読書エントリとします。私は相変わらずエンターテインメントを中心に乱読しているので、2カ月もさぼっていると、紹介する本がたまってしまいます。

 

 さて、まずは笹本稜平氏の刑事もの「所轄魂」(徳間書店、☆☆☆★)からです。所轄署に置かれた捜査本部に本庁捜査一課から派遣された理事官は、所轄署の強行犯係長の実の息子(キャリア)という設定は面白いし、事件の展開も実に興味深いのですが…。

 

     

 

  笹本氏の作品は「越境捜査」シリーズもそうなのですが、登場人物同士の会話が少し鼻につくというか、これがいいという人もいるでしょうが、私にはちょっとくどく感じます。まあ、好みの問題なのでしょうが。

 

 で、次の大沢在昌氏の「新宿鮫短編集 鮫島の顔」(光文社、☆☆☆)はシリーズ初の短編集とあって、さらっと読めて楽しめます。特に、その一つに、あの「こち亀」の両さんがゲスト出演しているのが嬉しいですね。

 

     

 

  《「俺、本気になるとけっこう強いけど、どうする」

 男たちは顔を見合わせた。両津が一歩でると、ざざっと後退る。》…原作を思い浮かべながら、こんな描写を読むと、何だか顔がにやけてしまいますね。

 

 そして、前回の読書エントリで紹介した堂場瞬一氏の「アナザーフェイス」第一作に早速はまって、第二作「敗者の嘘」(文春文庫、☆☆☆★)と第三作「第四の壁」(同、☆☆☆)を読みました。本人はそうと意識していないイケ面刑事が不思議な人間的魅力で事件を解決へと導く過程がいいですね。

 

     

 

  堂場ワールドはいったんひたるとなかなか抜け出せず、「警視庁追跡捜査係」シリーズにも手を出し、第一作「交錯」、第二作「策謀」、第三作「謀略」と一気に読んでしまいました。いずれもハルキ文庫(☆☆☆)です。

 

     

 

  足で稼ぐ行動派の刑事と頭脳能動を尊ぶ書斎派の刑事が、いがみ合いながらも認め合い、いやいやながらペアを組んで事件を解決する。堂場氏は本当にキャラ設定が上手いというか面白いというか。素直な人物がほとんど出てこず、みんな一癖ふた癖あるのも特徴ですね。

 

 で、警察つながりで初めて濱嘉之氏の作品にも手を出し、「鬼手 世田谷駐在刑事・小林健」(講談社文庫、☆☆★)も読んでみました。この人は実際に警視庁で活躍した元公安刑事だけあって、警察内部の描写は実に生々しいのですが、登場人物の描写が割と平坦で、いまひとつキャラに感情移入できないのが残念です。

 

     

 

  ここらで警察ものから離れて他の分野に移ります。山本甲士氏の「海獣ダンス」(小学館文庫、☆☆☆)には、以前紹介した氏の「再会キャッチボール」の主人公、フリーライターの白銀が登場し、重要な役割を果たします。

 

     

 

  田舎町の海岸で目撃された謎の水棲生物を町おこしにつなげようと目論む町長、町職員、そして待ち受ける落とし穴…。世の中、いいことばかりではないし、目も当てられない失敗もあるけれど、それでも何とかなるものだと。

 

 次も山本氏の「巡る女」(中公文庫、☆☆☆)です。ある平凡な女性が12年前のあの日、別の選択をしていたらその後の人生はどうなったか…というストーリー。「あのときああしていたら」というのは、誰しも思うことなのでしょうね。

 

     

 

  熊谷達也氏の「ゆうとりあ」(文春文庫、☆☆☆)は、そこそこ恵まれて会社人生をまっとうした後、妻とともに田舎の理想郷(と思われた)「ゆうとりあ」に移住した主人公が直面するさまざまな問題、出来事を通じ、自然と人間の関わり方や地方のあり方について考えさせられます。

 

     

 

  想定外だったのに、続々と出没するイノシシ、熊、猿とどう付き合うのか。このへんは熊谷氏の最も得意とする分野なのでしょうね。けっこう重いテーマでもありますが、文体は割とコミカルタッチとなっています。

 

 以前のエントリで鳩山由紀夫元首相を「あれ」と書いている部分について少し触れた白石一文氏の「幻影の星」(文藝春秋、☆☆☆☆)には、この地球が生というよりも、死に満ちた世界であることに改めて気づかされました。

 

     

 

  この作品の中に、1966年生まれの作家、梅枝母智夫という「ふざけた名前」(太宰府名物の梅ヶ枝餅をもじっている)の架空の作家が出てくるのですが、その作家はとことん「死」と向き合っています。だから暗くなるのでも絶望するのでも何でもなく、東日本大震災後の日本、いや世界を思うときに、こうした視点も必要だなと感じた次第です。

 

 同じ白石氏の「翼」(光文社、☆☆☆★)も「死」をテーマにしていて、やはりいろいろなことを考えさせられます。決して後味のいい作品とは言えませんが、人が「本当に死ぬ」とはどういうことなのか、生きるとはどういうことなのか作者のメッセージが伝わってきます。ただ、私は半端で偏った人生を歩んできたせいか、ここで描かれているような運命的な「男女」の関係がどうも実感として理解できません。

 

     

 

  ちょっと対照的(でもないか)なのが、原宏一氏の「ファイヤーボール」(PHP研究所、☆☆☆★)でした。上司の失脚をきっかけに自身もリストラの憂き目に遭い、それまでの猛烈社員人生が一変した主人公が、新たに見つけた生き甲斐とは。

 

     

 

  テーマはずばり「熱くなれるもの」。白石氏の「翼」の登場人物の一人は《僕は最近、仕事というのはいずれ行き詰まるものなんだと思っている。例外なくね。(中略)単なる思いつきで選択した仕事がそのうち行き止まりにぶつかるのは、ある種、当たり前の現象なんじゃないかな。よほどの召命感でもなければ、一つの仕事を何十年もやり通すなんてきっと無理なんだよ。》と語りますが、「ファイヤーボール」の主人公は仕事を手放さざるをえなくなって、何を見つけたのか。

 

 まあ、人生の楽しみというなら、やはり時代小説は外せません。佐藤雅美氏の「半次捕物控」シリーズの新刊「一石二鳥の敵討ち」(講談社、☆☆☆★)はさすがの安定感で楽しめました。今回、大藩、池田30万石が、江戸の世論に追い詰められていく場面はとても興味深いです。ただ、シリーズ第何作かが、どこにも書いていないのが本の装丁としていかがなものかと。

 

     

 

 上田秀人氏の「奥右筆秘帳」シリーズ第九作「召抱」(講談社文庫、☆☆☆)では、とうとう将軍、徳川治済が松平定信を見離しました。やっぱり、読ませるなあ。

 

     

 

 山本一力氏の「晋平の矢立」(徳間文庫、☆☆★)は、よくも悪くも山本節全開です。家屋を壊す商売、という舞台は興味深いものがありました。

 

     

 

 さて、今週は忙しくなりそうです。いよいよ花粉も本格化しそうだし、鼻づまりに苦しみながらもとりあえず仕事を頑張ろうと思います。まあ、ある意味、仕事に行き詰まるといえば、もうとっくに行き詰まっているわけだし、何を今更だからなあ。

 

 このところ、ただでさえ年末進行で手一杯なのに、馬鹿げた慰安婦騒動や金王朝3代目の世襲うんぬんのドタバタ劇が続き、エントリ更新が滞っています。書きたいことも材料もいろいろとあるのですが、産経紙面との優先順位、整合性の問題もあって、そして何より忘年会シーズンで二日酔いが常態化しているため、なかなかはかどりません。

 

 というわけで、本日は40日ぶりの読書シリーズでお茶を濁そうと思います。可能な限りできるだけ毎日、書店に行って新刊をチェックしているのですが、まだまだ見逃している良本は多いなあと、当たり前のことを改めて思います。

 

 さて、まずは荻原規子氏の「RDG」シリーズの第5作「学園の一番長い日」(角川書店、☆☆☆★)からです。世俗の垢にまみれた中年親父がファンタジーを楽しむというのも、端から見たらどうなのだろうかと少し自省もしますが、面白いものは面白い。主人公をめぐる人間関係や環境に展開があり、次作が待ち遠しいところです。

 

     

 

 次に紹介する川上健一氏については、新作に接するたびにしみじみとした感動を与えてくれるのでいつも楽しみにしています。ただ、今回の「あのフェアウェイへ」(講談社、☆☆☆)は私がゴルフをやらないもので、いまひとつ物語世界に没入できませんでした。もっとも、ゴルフ漫画「風の大地」は好きで読んでいるのですが。帯には「人生はゴルフに似ている」とありますが、私もずっと以前、麻雀にはまっていたころは「人生は麻雀に似ている」と考えていました。

 

     

 

 今野敏氏の「横浜みなとみらい署暴対係」もこの「防波堤」(徳間書店、☆☆☆)が第3弾です。相変わらず軽妙なタッチで面白いのですが、今回の連作短編はちょっとワンパターン気味かな。古きよき任侠道を生きる「神野のとっつぁん」ばかりが出てきすぎのような…。

 

     

 

 まさか続編が出るとは予想していなかったので、書店で「おおっ」と思わず歓声を上げそうになったのが、堂場瞬一氏の「ヒート」(実業之日本社、☆☆☆☆)でした。これは箱根駅伝を舞台にした前作「チーム」の数年後を描いたもので、主人公らは今度はフルマラソンを走ります。

 

     

 

 それにしても、鼻持ちならない狷介なキャラ、傲慢不遜なトップアスリートを描かせたら堂場氏は天下一品ですね。そして、読者のこっちは、嫌な奴だなあと思いつつ、目が離せずに一気に読み切ってしまうと。

 

 原宏一氏の「東京ポロロッカ」(光文社、☆☆☆★)は、震災前に書かれたもののようですが、アマゾン川ならぬ「多摩川の大逆流」という設定が不謹慎ととられないように最初に断り書きがありました。普通はありえないと分かるはずのデマに踊らされる人々の人間模様を描きつつ、どうしてデマにだまされたがる人が現れるのかも考察したストーリーで、けっこう考えさせられました。

 

     

 

 けっこう新聞や雑誌の書評で話題になっていたので、天の邪鬼の私は無意味に「ほとぼりが冷めるまで読むのは待とう」と考えていたのが、この三浦しをん氏の「舟を編む」(光文社、☆☆☆☆)でした。言葉にとことんこだわる辞書編集部を舞台にするという着眼点と、それを面白い読み物に仕上げる技量はさすがですね。

 

     

 

 260ページほどのそんなに長くない作品なのであっさり読めてしまうのですが、せめて300ページにしてほしかったと、もっと作中世界を味わいたい気分でした。ただ、同僚・後輩記者たちをみても、原稿を書く際に紙の辞書を引くよりも、電子辞書やネット検索を好む人が増えているようです。

 

 作品名にひかれて手にしたのが、この野口卓氏の「軍鶏侍」とその続編「獺祭」(祥伝社、☆☆☆)でした。藤沢周平作品に出会って時代小説に開眼したという作者が、本家の「海坂藩」ならぬ南国の架空の藩「園瀬藩」を舞台に描く連作で、読ませます。特に、のみの夫婦を描いた「ちと、つらい」はいいですねえ。

 

     

 

 で、再び堂場氏の作品となるのですが、「警視庁失踪課・高城賢吾」シリーズも第7弾「遮断」(中公文庫、☆☆☆)が出ていたので早速買い求めました。前作が、主人公自身の行方不明の娘捜しに話が進みそうな終わり方だったのですが、今回はまた別の展開でした。うーん、第何作まで続くのか。

 

     

 

 またまた堂場氏なのですが、勢いづいて別の連作「アナザーフェイス」(文春文庫、☆☆☆★)にも手を出してしまいました。主人公の大友鉄巡査部長は、もともと警視庁捜査一課の一線の刑事でしたが、妻を交通事故でなくし、小学二年生の子供を育てるため、現在は閑職(?)の刑事総務課に勤務しています。それが、特異な能力を買われてときに現場復帰を命じられ…。

 

     

 

 さきほど、堂場氏は狷介な人物の描写が上手いと書きましたが、この主人公は学生時代は演劇に没頭したというイケメンで、むしろ柔和な印象を与えます。それが捜査の上で思わぬ効果を生んで…と続きが読みたくなる展開はさすがです。

 

 この池井戸潤氏の「鉄の骨」(講談社文庫、☆☆☆☆)も、随分前に出版されたのに、あまりに話題になってNHKでドラマ化もされたのでしばらく放っておきました。で、「もういいだろう」(何が?)と手に取ると、640ページもある分厚い本なのに一気読みです。

 

     

 

 本来は技術屋である主人公の務める建設会社が、スーパーゼネコンではない中堅どころという設定がいいですね。役所の横柄な態度も、大手同業者から見下されるシーンも、いちいちつぼにはまり、手放せずにまた歩きながら読んでしまいました。銀行に勤める彼女の離れかけた心の機微も…まあ、あまりここで書きすぎても仕方がありませんね。

 

 で、この読書シリーズでは、原則として小説しか紹介しないことにしているのですが、改めて通読したイザベラ・バード氏の「日本奥地紀行」(平凡社、☆☆☆☆)が興味深かったので、ここに掲載することにしました。明治初期、東北地方と蝦夷地を旅した英国女性が見た日本はどんなものだったか。

 

     

 

 この本は、日本人の美点や自然の美しさを称賛していますが、決してそれだけではありません。繰り返し日本人の容貌の醜さや不潔さを指摘する描写には、読んでいて少々辟易させられるほどです。ただ、そういういいところも悪いところも遠慮なく記した人だから、(もちろん時代的な偏見は多いにしても)その視点はけっこう公正なのだろうなとも感じます。

 

 北海道の「山アイヌ」の人たちが、源義経を神として祀っている描写など、非常に興味深く読みました。あと、読んでいて映画「インディー・ジョーンズ」シリーズを想起させられるのです。現代の日本人には考えられないほど、平気な顔で危険や困難に飛び込むバード氏の冒険家魂は、「一体何が楽しいのか」と疑問に思うほどです。

 

 私は「インディー・ジョーンズ」を初めて観た際、「こんなに好きこのんで危険な道を行くなんてちょっとリアリティーを感じない。やっぱりハリウッド映画だな」という感想を持ったのですが、いやいや不明を恥じるばかりです。ある種の欧米人ってすごいなと、この本を通読して改めて痛感しました。

 

  きょうは新聞休刊日であり、かつ読書の秋でもあるので、約40日ぶりに読書エントリとします。不思議なもので、いくら書店をめぐっても読みたい本、続きを待っているシリーズものに出会わない時期もあれば、あれよあれよと読み切れないほど、待望の本が連続して、あるいは同時に発売されることもあります。最近は後者であり、嬉しい悲鳴をあげています。

 

 本日紹介する1冊目は、昨年1月に急逝した北森鴻氏の異端の民俗学者の活躍を描いた「蓮丈那智フィールドワーク」の第4作「邪馬台」(新潮社、☆☆☆☆)です。といっても、北森氏はこの作品を未完のまま亡くなったので、婚約者で作家の浅野里沙子氏と担当編集者が北森氏の創作ノートをもとに「彼だったら…」と想像、話し合いながら完成させたものです。

 

     

 

 とはいえ、北森作品をけっこうたくさん読んでいるはずの私は、文体、ユーモアを含めてどこからが浅野氏の手によるものなのか分かりませんでした。北森氏の他の作品の登場人物も出てきて、また、実名は出てこなかったものの氏がリスペクトしていた漫画家の諸星大二郎氏だと思われる作品の紹介もあり、堂々の「北森ワールド」でした。

 

 さらに、作品タイトルが示す今回の主題も、実に興味深い解釈がなされていてうならせられます。蓮丈那智シリーズは、一度、木村多江さんが演じてテレビドラマにもなりましたので、ご記憶の方にはお勧めです。

 

 垣根涼介氏の「人生教習所」(中央公論新社、☆☆☆★)を読むと、舞台が世界遺産に指定された小笠原諸島ということもあって、つくづく「人生やり直したいなあ」という気分になります。

 

     

 

 引きこもりで休学中の東大生、ふつうに就職したい元ヤクザ、コンプレックスのかたまりである太った女性ライターらが、新聞広告で知った「人間再生セミナー」に応募し、小笠原の自然とその数奇な歴史に触れるうちに……というストーリー。とりあえず、私も南の島に行きたいものです。

 

 佐々木謙氏の「密売人」(角川春樹事務所、☆☆☆★)は、氏の北海道警シリーズの第5弾です。一見、何の関係もなく見える複数の事件の共通項に気づいた主人公たちは……。

 

     

 

 この作品もそうだし、あとで紹介する別の作家のもそうなのですが、最近は警察内部の不祥事ものが多いですね。警察にかかわらず企業でも官庁でもマスコミでも、内部告発がらみの話をやたらと聞くし、また実際、ニーズもあるようです。現実に不祥事が増えているのか、そういう時代なのか。

 

 こうくるか、と思ったのが今野敏氏の「任侠病院」(実業之日本社、☆☆☆★)でした。今回、阿岐本組が立て直すのは第一作の出版社、第二作の高校につづいて病院、というわけです。

 

     

 

 気苦労の多い代貸、日村と器量が大きすぎて脳天気にしか見えない組長との掛け合いも相変わらず面白いのですが、今回は舞台が病院だけに人手不足など医療現場が抱える諸問題にもざっとですが触れてあります。

 

 私は数年前、ひどい風邪を引いて近くの医院にいくら通っても治らないので、試みに近所の大学病院に紹介書を持たずにふらっと行ってみたところ、待合室で4時間半待たされた揚げ句、5分の診察で終了し、その上、薬は別の処方箋薬局で別途求めなくてはならず……ということがありました。まあ、これは利用すべき病院を間違えた私の無知ゆえでしたが。

 

 笹本稜平氏の「特異家出人」(小学館、☆☆☆は昨年夏に出版されていて、気にはなっていたけれど、なんなとなく敬遠していた作品でした。それが先日、韓国に出張で行く際、羽田空港で目につき、しかも初版だったのでこれも縁かと思い購入しました。孤独な独居老人の失踪を捜査していた主人公は、やがて老人と自分の祖父らとの不思議な関係に気づき……。

 

     

 

 で、勢いづいてやはり笹本氏の「破断 越境捜査3」(双葉社、☆☆☆★)を手にしました。これも1、2と読んできていましたが、こんな早く3が出るとは考えていませんでした。舞台は相変わらず、警視庁(東京都)と神奈川県警であります。

 

     

 

 このシリーズは毎回そうなのですが、今回も両地方警察の確執と内部腐敗が描かれています。まあそれはいいのですが、主人公たちが会話の中でたびたび、それに負けまいと自分を鼓舞するようなセリフを述べるのですが、ちょっとしつこい気もしました。

 

 と、ここまでミステリ系だったので、ここからは気分を変えて時代小説となります。「古手屋喜十為事覚え」(新潮社、☆☆☆)は、小さな古着屋の主人を主人公にした宇江佐真理氏の新シリーズです。

 

     

 

 宇江佐氏の作品については、今までさんざん「上手い」と書いてきたので、もうそれ以上述べることはありません。登場人物のキャラ造形もしっかりしていて、安心して読書の時間を楽しめます。

 

 で、諸田玲子氏の「お鳥見女房シリーズ」も第6弾「幽霊の涙」(新潮社、☆☆☆)が出ていました。私は諸田氏の作品群の中ではこのシリーズが一番好きかもしれません。登場人物がみな、なんというかいじらしく感じるのです。

 

     

 

 梶よう子氏の作品はおそらく初めて読みましたが、この「柿のへた 御薬園同心 水上草介」(集英社、☆☆☆)はゆったりとしていて、同時にさわやかな読後感がありました。

 

     

 

 主人公のように、小さな事にあくせくせず、飄々と生きたいなあと思わせてくれます。ただ、時代ものにしては作中でそれぞれの登場人物の身分・職階の説明が少し足りないと感じました。お互いがどういう立場に基づいてこのような言動をとっている、という点がよく分からない部分があるというか。

 

 これまた当欄の常連である佐藤雅美氏の「八州廻り桑山十兵衛シリーズ」も第8弾「私闘なり、敵討ちにあらず」(文藝春秋、☆☆☆★)が出ました。

 

     

 

 表現は変かもしれませんが、私は佐藤氏の作品が味わわせてくれる中途半端なカタルシスが妙に気に入っているのです。主人公はあるとき、義憤にかられ、あるいは怒りに身を任せて「この野郎!」とばかりに反撃なり、仕返しなりをするわけですが、それでも同時に自分にできることとその範囲をわきまえています。

 

 その結果、シロかクロかのようなはっきりした結末に終わることは少なく、めでたしめでたしともならず、むしろ、どこかもどかしさが残るわけですが、それが物語のリアリティーにつながりますね。世の中、そんなにすっきりといくことは過去も現在も未来もないことでしょう。

 

 最後に、夢枕獏氏の格闘小説「新・餓狼伝 巻ノ二 拳神皇帝編」(双葉社、☆☆☆)を紹介します。作者はあとがきに「この物語が要求している長さは、ぼくの寿命よりも長い可能性がある」と書いていますが、読者としてはそれは困りますね。

 

     

 

 まあ、あれこれ行っても仕方がないので一つだけ感想の述べると、ジャイアント馬場をモデルにしたカイザー武藤には、主人公の丹波文七に勝ってほしかったなと、元プロレスファンとしてはそう感じました。行方が気になっていただけに。

 

 さて、話は飛びますが最近痛感していることを一つ。政治家も含め、日本人のかなりの部分は、戦後それがタブー視されていたこともあって軍事的視点に欠けているか非常に弱いのではないかと感じています。その重要性と現実世界に及ぼしている影響が実態以上に軽視されていると。

 

 あるいは、あのいやらしく卑屈でお花畑的な日本国憲法の影響もあるかもしれませんが、日本が何に拠って立っているのか、どうやって生存しているかに意識が向かず、今日の平和は所与の、当然のものであるかのように受け止めているのだなと。

 

 私は当然、日本の自主独立、自主防衛を目指すものですが、そのためには一歩一歩段階を踏む必要もあるし、準備も覚悟も必要です。ただ口で唱えれば済むという考えは、鳩山由紀夫元首相が何もやるべきことはやらずに「日米対等」と言い出した例を見ればわかるように無意味どころか非常に有害だろうと思っています。

 

 集団的自衛権の行使も認めないで何が対等だと。北朝鮮の核・ミサイル情報も米国の偵察衛星情報に頼っていてどこが対等だと。戦術核を持つ検討をするどころか、核燃料サイクルの問題も考慮せずに首相が脱原発を「個人の考え」として喧伝する体たらくで何が対等だと。民主党政権で日米同盟関係が弱まったと見られると、中国は尖閣であばれ、ロシアは北方領土に大統領が上陸し、韓国は竹島の占有事実の強化を図り、それに日本政府は何の対抗措置もとれないでいて、何が対等だと。中国軍の計画的な大幅増強に対して指を加えるばかりで、対抗して防衛費を増やすこともしないで何が対等だと。何より押しつけられた占領憲法の自主改正のめども立てられないで何が対等だと。

 

 真の対等を目指せばこそ、一つひとつ解決していかねばならない問題は山積していると思います。国際関係に永遠の友好国も同盟国もないのは当然だからこそ、長期的な視野に立って布石を打ったり、あらゆる事態に備えた地道な準備を続けたりが必要なのではないかと。自国以外はすべて仮想敵国となりうるからこそ、当面の味方はしっかりと味方として維持・引き留め、その上で将来のあるべき姿を考えるようでなければ立ち行かないし、無責任だろうと。

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