本日はまず、ささやかなニュースから。無所属の西村真悟衆院議員が近く、イザ内にブログを開くそうです。これは楽しみですね。コメントは受け付けるのかなど詳細はまだ分かりませんが、まずは第一報までです。

 さて、その西村氏はかつては民主党の小沢代表と行動をともにし、小沢氏のことを尊敬すらしているように見えましたが、近年は小沢氏から離れ、むしろ小沢氏を批判する立場になっていますね。私が今さら指摘するまでもなく有名なことですが、小沢氏の周囲にいたほとんどの人はやがて彼の勝手さやわがまま、猜疑心に耐えられなくなって離れていきます。

 4月号の「WiLL」でも、元側近の小池百合子氏が「小沢一郎はなぜ嫌われるか」という比較的穏当な表現で小沢氏について批評していますが、本音はもっと厳しいところにあるのでしょうね。首相補佐官時代には、政治評論家の屋山太郎氏が思いついた小沢一郎という名前をもじった「小沢自治労」というネーミングを盛んに流行らせようとしていた(記者懇談で自分から言い出したりしていました)ぐらいですから。

 ともあれ、その西村氏は今から10年余り前、平成9年12月の新進党の党首選挙(小沢氏も立候補していました)の際に、小沢氏に対して次のような手紙を出していました。これは当時、新進党議員らにも届けられていたものですが、私はいま改めてこれを読んで、日本の政治は10年前と変わっていないなあと感じました。新進党も、その後できた自由党も今はなく、小沢氏は民主党代表に納まっていますが、政治のあり方は進歩していないように思います。以下が手紙の内容です。

                         平成9年12月15日
   小沢一郎党首殿
                               西村真悟
 私が、今回の党首選にいたる経緯から懐くに至った志は、以下のとおりです。お心に御留め置きいただければ深甚です。もはや、きれいごとではなく、本音を語る時です。そして、時局は、我が党が、きれいごとを語る集団を、削ぎ落とすことこそ、国家のためであると教えています。

 1、我々は、「政党の創造」過程にある。
 2、如何なる政党を創造するか。それは、戦後生まれ得なかった政党である。つまり、「55年体制」とある時はいわれ、ある時は、「自民・非自民」といわれたとしても、これらは、結局、戦後精神から、一歩も出ようとしない与野党にまたがる政治勢力である。これらと次元の異なる政党こそ創造に値する。
 3、では、戦後の諸政党は、何を見ていなかったのか。それは、阪神大震災で明らかなように、「危機における最大の福祉は国防」であるということ、つまり、国家と国民をまもるための「国防」の体制の建設に眼を開いていなかったのだ。これはつまり、「普通の民主主義国家」とは何か、ということを考えずに戦後生きてきたのが我が国の政党であったということである。
 4、よって、我が党は、小沢党首とともに、明確に「国防の基軸」、「国益の基軸」を打ち建てる時期に来たと確信する。具体的には、集団的自衛権を行使しえる「普通の民主主義国家」建設を明確に掲げるべきだと確信する。
 5、我々は、議員に「就職」しているのではない。

 …しかし、この西村氏の訴えは、小沢氏の胸には届かなかったということでしょうね。西村氏は私に対し、「あれから時代が変わり、大きくうねっている中で、小沢氏の姿勢はむしろ退歩している」と語っていました。現在では、小沢氏とそれを支える民主党の旧社会党系勢力は、戦後精神こそ至上至高であるかのように振る舞っているようにすら感じられます。また、「戦後レジームからの脱却」を掲げた安倍自民党が敗れた参院選後の自民、民主両党は、大連立の模索も何もかも、西村氏の言う「戦後精神から、一歩も出ようとしない与野党にまたがる政治勢力」そのもののような気もします。

 で、西村氏がこの手紙を書いたころ、現在は民主党最高顧問を務める渡部恒三氏は雑誌「GENDAI」のインタビュー(平成10年1月号)に答え、「新進党は小沢一郎の私党ではない」と語っていました。インタビューの中で渡部氏は、次のように述べています。さて、10年前と今とでは、小沢氏は変わったのでしょうか。私には、このインタビューが最近のものであっても、そう違和感がないように思えましたが。

 「小沢さんとともに命を賭けて自民党を飛び出したつもりだったが、その後の彼の行動を見ていると、二大政党制という夢の実現に努力している様子がないのは、非常に寂しい。選挙結果についても、執行部にはなぜ負けたのかについての反省がなく、党首に責任はないという話ばかり報道される。小沢さんと新進党には、反省と謙虚さを求めたい」

 「問題は、政策ではなくて政治姿勢だ。小沢さんには、明るく爽やかな政治家になってくれればと常に思っている。野党の党首は、一人でも多くの国民に党の考え方をアピールする必要がある。そのためには、積極的にマスコミにも出て、ミニ集会にも顔を出さなくちゃダメだ。元首相の吉田茂さんなら新聞記者に会わなくても通用したが、社会党の浅沼稲次郎委員長は寝る間も惜しんで演説して歩いた。小沢さんは浅沼さんにならなければいけないのに、これまでの行動を見ると、野党の党首にはふさわしくなかったね。かつての竹下派のプリンスの顔はかなぐり捨てて、野党の政治家になってほしいなあ。神様に祈っています」

 …ちなみに、最近の小沢氏の記者会見の様子は、「新進党時代に戻った」という評判です。どこがかというと、記者の質問にすぐむきになり、記者にくってかかり、怒鳴るというところがです。ただ、10年前は記者会見の時間に姿を見せず、30分近くたってから「本日の会見は中止となりました」という連絡がきたそうですが、最近は時間通り現れる点は昔と違うそうです。彼にしてみれば大きな進歩かもしれません。

 26日の産経が掲載したフジテレビと産経の合同世論調査では、小沢氏を政治家として評価する人は26.5%にとどまり、逆に評価しない人はその倍以上の58.2%に上りました。現在の民主党幹部はほぼ全員が、「小沢神話」に惑わされてか小沢氏続投支持を表明していますが、この数字をみて「あれっ、当てが外れた」と思っている人がいるかもしれません。国民の方が冷静に見ているようです。

 でも、福田内閣の支持率もとうとう三割を切り、28.7%と相変わらず低落を続けています。この数字は、昨年7月の参院選前の安倍内閣の支持率(29.1%)より低いのですから、自民党にとってはけっこう深刻でしょうね。当時、あれだけマスコミに中傷され、たたかれまくっていた安倍内閣の支持率より、マスコミから比較的温かい扱いを受けている福田内閣の支持率の方が低いというのは、どういうものでしょうね。この先、政権が浮揚する材料も見あたりませんし。

 今朝の産経抄は「二大政党の党首がそろって国民にそっぽを向かれている」と書いていましたが、現在の自民党と民主党は互いに切磋琢磨しているというよりも、はっきり言ってどちらがよりダメであるかダメさを競い合っているように写ります。こういう有様では、政治に関心を持たない人が増えても、仕方がないのかもしれません。自分自身の心境を振り返り、そんな気すらします。政界は10年前から何も進歩していないのか、それとも逆に退歩しているのか。それはよく分かりませんが、日本を取り巻く国際環境が10年前よりはるかに厳しくなっていることだけは事実だと思います。