本日、大阪地裁は沖縄集団自決訴訟をめぐり、被告で作家の大江健三郎氏を勝訴させるという不当な判決を下しました。これまでの法廷での議論などを通じ、原告側は間違いなく勝つつもりでいたでしょうから、さぞや驚き、失望したことと思います。それでも原告側は当然控訴し、舞台は高裁へと移ることになるのでしょうが、判決文の要旨を読んでいて、ひっかかることがありました。いや、はっきり言えばひっかかるところだらけなのですが、その中で一点、次の部分を取り上げます。

 《原告らの主張に沿う照屋昇雄の発言はその経歴等に照らし採用できず…》

 採用できないというのは、どういうことでしょうか。この照屋氏に関しては、私も昨年12月に沖縄でインタビューし、12月27日付の「詳説・戦後 沖縄の言論」という特集記事で、次のように書きました。

 《(前略)取材を受けないまま、地元メディアに一方的な記事を書かれた点では、戦後の琉球政府で旧軍人軍属資格審査委員として軍人・軍属や遺族の援護事業に携わった照屋昇雄氏(83)も同様だ。
 照屋氏は昨年8月(※平成18年)、産経新聞の取材に対し、「遺族たちに戦傷病者戦没者遺族等援護法を適用するため、軍による命令ということにし、自分たちで書類をつくった」と証言し、当事者として軍命令説を否定した。
 それに対し、沖縄タイムスは今年(※19年)5月26日付朝刊で、慶良間諸島の集団自決をめぐり、当時の隊長らが作家の大江健三郎氏らに損害賠償などを求めている裁判での被告側主張を引用。「『捏造』証言の元援護課職員 国の方針決定時 担当外 人事記録で指摘」などと、4段見出しで大きく報じた。証言を否定する趣旨の記事で、名指しこそしていないが、すぐに照屋氏だと分かる書き方だ。
 しかし、照屋氏は当時の琉球政府辞令、関係書類などをきちんと保管している。被告側が提示した記録について、照屋氏は「人名の上にあるべき職名が伏せられていたり、全員、庶務係となっていたり不自然だ」と指摘するが、こうした反論は地元メディアには取り上げられない。
 照屋氏は渡嘉敷島に1週間滞在して住民の聞き取り調査を実施しており、「隊長命令があったと言った人は1人もいない。これは断言する」と述べている。「捏造」と決めつけた沖縄タイムスから謝罪や訂正の申し入れは一切ないという。》

 この沖縄タイムスの記事には、《被告側は同職員の採用時期が証言にある昭和20年代後半ではなく昭和30年で、援護課職員ではなく中部社会福祉事務所職員として採用されたことなどの人事記録を証拠として提出、「元職員の証言は信用できない」と反論した。》《被告側は「(19)58年10月まで援護事務に携わる援護課に在籍していない元職員が、渡嘉敷島住民から聞き取りをしたり、援護法適用のため自決命令があったことにしたとは考えられない」と指摘した》とあります。

 つまり、大阪地裁は、この照屋氏よりも被告側が出してきた証拠書類を信用できると判断したということでしょうか。判決がいう「その経歴」とは、何のことなのでしょう。私は納得ができません。そこで、照屋氏が今も保管している当時の辞令などの写真(コピー)を改めて掲載します。これを見ると、上の記事と明らかに矛盾し、照屋氏が少なくとも昭和29年10月からは援護事務に就いていたことが分かりますが、裁判官はこっちの方が、偽物だとでも言いたいのか…。

 

 

 

 明日の新聞各紙は、この判決のことを大きく取り上げるでしょう。特に、地元紙2紙は、判決がどう出るか、今までの自分たちの報道ぶりが否定されるような結論になるのではないかとびくびくしていたでしょうから、大喜びして鬼の首を獲ったかのように大騒ぎすることでしょうね。そこで、ついでに琉球新報の社是を紹介します。ここにある「不偏不党」「公正」「品格」などの言葉が、本当であるのかどうか、明日の紙面を見ればよく分かることだと思います。

 

 きょうは夕刊当番なので、会社で他の記者が書いてきた原稿をチェックしたり、簡単な手直しを入れたりする作業をしています。いままた、新しい原稿が到着したので、とりあえずここまでにしますが、私は正直、怒っているのです。

  

 ※追記 午後3時10分すぎ、霞が関の外務省(右側の建物)前に到着したところ、桜がほぼ満開状態でした。きょうは、上の沖縄集団自決の裁判のほかに、KSD事件をめぐる裁判で、村上正邦元労相に対する実刑が確定しましたが、私は実はこの裁判にも疑問を持っています。はっきり言えば、功を焦った検察の決めつけによる無理筋の立件ではないかと。私は社会部記者ではないので、裁判の詳細については承知していませんが、村上氏に対しては、取材その他を通じ、話を聞く機会が幾度もあり、そんな印象を受けています。二つの裁判について考え、沈んだ気持ちで歩いていたのですが、桜の花には少し癒されました。季節はめぐりうつろい、人もまたうつろい行くのでしょうね…。