2007年05月


 ちょっと旧聞になりますが、23日には、衆院予算委員会で「政治とカネ」をめぐる集中審議がありました。民主党は松岡利勝農水相の「ナントカ還元水」問題を追及し、これに対して政府・自民党は「小沢不動産」を持ち出して反撃する、という構図でしたね。日経新聞や毎日新聞はこれについて「泥仕合」と書いていました。参院選を前に、互いにイメージダウンを狙って非難合戦をしているように見えた、ということでしょうね。

 まあ、実際そういう部分は大いにあったのだと思いますが、私の注意を引いたのは、自民党の松浪健太氏が、民主党の小沢一郎代表が都心の一等地などに総額10億円以上の土地・建物を政治資金で買い求めていることについて、かなり詳細に追及した点です。また、松浪氏が小沢氏が小沢氏にあてた「この不動産資産は個人資産として扱わない」とする確認書について、「偽物の可能性がある」と指摘したことに対し、民主党が懲罰道義を出したことにも興味を覚えました。

 朝日新聞の24日朝刊によると、民主党の平野博文国対委員長代理は「偽者と主張するなら証拠を」と述べたようです。また同日の毎日新聞には「民主党は『根拠のないひぼう中傷だ』と松浪氏の懲罰動議を衆院に提出した」とありました。この「偽物」という言葉の定義、意味は分かりにくいですが、松浪氏は集中審議で以下のように追及していましたので、紹介します。

 《松浪氏 小沢代表の10億円の破格の不動産以上に政治不信に拍車かけているのが、小沢代表が記者会見で使った確認書だ。平成6年に取得したチェリス赤坂と17年の分。これを見て非常に怪しいと思わない人はいない。私はマスコミ出身で、記者の仲間、知り合いがたくさんいるが、これは後で作ったのではないかという声がほとんどだ。字が10年後に書いて似ているのはあやしい。文章も問題だ。内容がほとんど同じで不自然だ。
 平成6年当時の状況は、法改正されていなくて、指定団体をいくつも持てた。今は企業献金は政党支部のみだ。小沢代表は、指定団体にいくらでもお金が入る時代に確認書をつくっている。確認書の意味だが、政治規制法上、何らかの規定があるわけではないのに、つくる動機は一体何か。どうして法的根拠のないものをつくる必要があるのか。陸山会(※小沢氏の資金管理団体)代表の小沢代表が不動産登記し、権利関係を規定している。どうしてこんなことをしているのか。法律上、何らかの規定を設けているのか。

 菅総務相 政治資金規制法上はない。

 

 松浪氏 陸山会の不動産は小沢の資産ではないと言っているようにみえるが、何の規制のないものを、平成6年の政治資金感覚がまったく違う時代にこれだけのことを認識してつくった。偽物の可能性があると思うが、本物だったら、確信犯ではないか。確認書の法的効果はどうか。

 法務省民事局長 確認書は売買契約書のようだが、直接法的効果を示す性質のものとは異なるものだ。買い主が誰かは売り主との売買契約の枠内で決まる問題で、買い主がだれかは関係者と確認したということは法的効果を生じない。何らかの間接的な証明手段ではないか。

 

 松浪氏 自分から自分への手紙にはまったく何の意味もない。偽物の可能性が高いといったが、ウインドウズ95導入以前のもので、特徴的だから、証明するなら原本を鑑定に出せば真偽のほどが分かる。確認書が偽物ならば私文書偽造だ本物ならば法の抜け穴を知ってやった確信犯だ。どちらにしても退路ない。弁解の余地はあるか。わざわざこういう紙を出すことを世間ではやぶ蛇という。どっちにしても問題ある。真偽はみなさん(民主党)に任せる。
 10億円はそもそも非常に大きい。ほかに3、4人、建物をもっている人はいるが、ほかは建物だけ。土地まで持っているのは小沢代表だけで、ほかは1000万円程度。100倍の10億円というのは問題ないのか。本当に使われているのか。使われていればいいが、写真も撮ってきたが、部屋へ行くとポストには何も書かれていないし、部屋にも何も書かれていない。書いてあってもわけのわからない会社名だ。確認書のチェリス赤坂もポストや部屋には何も書かれていない。これが政治目的で使われている物件なのか。さらに赤坂近辺に何軒もあるが、使われていないものもたくさんある。不動産屋でもないのに、こんなにたくさん物件を持つ必要がどこにあるのか。非常に大きな問題だ。看過できない。

小沢さんは10億円の不動産資産があるのに、地代・家賃で毎年2461万円を計上している。10億円で感覚が狂っているので、2460万円は少ないのかもしれないが、1年間政治活動できる額だ。何を借りているのか。明らかにしないと、あんな釈明会見をしたって問題はまったく解決しない。こうした不透明な使い方が明らかになっているが、資金管理団体で不動産取得禁止を含めて与党で改正案を検討している。総理の考えを。

 安倍首相 不動産を取得して個人の政治家の名義にすることには、どれくらいの大きな問題があるかはっきりしたと思う。政治献金として集めた額、あるいは場合によっては、政党交付金、税金からきたお金かもしれない。それが個人名義の不動産になってしまって、例えば相続権が発生した場合、個人のものに完全になっていくこともあるのではないかと思う。その観点から与党案で資金管理団体の不動産の取得等の制限等の内容としているのは当然ではないか。》

 このやりとりをみると、松浪氏は、確認書はあとで作ったものではないかという意味で「偽物」という言葉を使っているようですね。それに対し、民主党側は反発しているようですが、両者とも私のブログを参考にしてくれればよかったのにと、ちょっと思いました。というのは、私は2月21日のエントリ「『小沢不動産』に関する各紙の報じ方と確認書」の中でこの問題について書いていたからです。

 結論を言うと、小沢氏の不動産13物件中6件に関しては、確認書の作成日は平成18年9月14日となっており、明らかに購入時ではなく「あとで」作られています。この事情について、小沢氏の弁護士は「足りない分や紛失した分があったので、私から作成を勧めた」と説明しています。松浪が言うような「私文書偽造」というのとは、ちょっと違うようにも思いますが、かと言って民主党側が「小沢氏は私物化しないと確認書をつくっている」と威張って述べているようなきちんとしたものでもないようですね。

 それと、松浪氏が実際に小沢氏(陸山会)が所有する不動産物件を見てまわり、「使われていないものもたくさんある」と指摘している点は重要だと思います。これは、小沢氏が政治活動上、買う必要のないものを買っているという実態を示す傍証だといえるでしょう。実際、政治資金で購入した物件を政策コンサルティング会社などに貸して家賃をとったりもしていますし。

 また、松浪氏が疑問を示した「たくさんの不動産物件を持っているのに、何で年間2460万円も賃料を支払っているの?」という点は、私も不思議に思い、2月28日のエントリ「小沢氏の資金管理団体は家賃2400万円も計上」に書いていました。この問題については、小沢事務所にどこでどんな物件を借りているのかと取材を申し込み、なかなか返事がなかったのですが、約3週間かけて何度も督促して何とか回答してもらっています。いつか報告しなければと思っていたので、ちょうどいいからここで説明します。

 小沢事務所によると、これは、世田谷区深沢の小沢私邸に隣接(小沢邸の敷地内)する「深沢事務所」といわれる土地・建物の賃料で、所有者は「まったく関係のない第三者」だそうです。登記簿によると、建物は昭和61年9月に新築された木造スレート葺2階建で、延べ床面積は約336平方メートルとなっています。なんであんなに不動産を買い続けている人が、自分の私邸の敷地内にある建物だけは借りているのか、月約200万円の家賃は相応なのかなどといろいろと疑問は残りますが、とりあえず説明ではそういうことのようです。

 まあ、集中審議ではこんな質疑があり、小沢不動産に対する疑問点も新たに示されたのですが、報道はやはり松岡氏の問題の方に集中気味でしたね。それも無理からぬことだとは思いますが、安倍政権憎しのあまり、筆がすべった社もあるようです。朝日新聞の社説「踏みにじられた倫理綱領」は小沢氏が記者会見をして領収書を公開(コピー、撮影禁止で一社あたりわずか30分間)したことをもって「小沢氏は政治倫理綱領の精神に沿って行動したとはいえる」と持ち上げていました。そうかなあ。

 東京新聞の社説「かばう首相の見苦しさ」に至っては、小沢不動産問題を追及した安倍首相について「(松岡氏について)内閣の最高責任者の認識を聞かれているのに、それにはほおかむりで他者の問題をあげつらうのは、見苦しい」とくさすばかりで、小沢氏の問題に対しては不問にする姿勢を貫いています。この社説は、全体にものすごく偉そうな書きぶりなのですが、「あなたたちはそんなに偉いのか」と素朴に疑問を感じます。安倍氏自身は東京の社説について、周囲に「のびのびサヨクしているね」と笑っているようですが…。

 


 ちょっと思うところがあり、慰安婦問題に関する過去記事のスクラップを読んでいて、目に付いた記事がいくつかありました。平成5年8月の河野官房長官談話に関係していると思われるものです。いずれも、知っている人はとっくに知っていることなのでしょうが、興味深く感じたのでそれを改めて紹介したいと思います。まずは、同年3月24日付の毎日新聞と同25日付の朝日新聞の記事からです。

 ・毎日 「従軍慰安婦 『強制連行』広く定義」「政府が新見解 精神的圧迫も含める」
 ・朝日 『強制』幅広く認定従軍慰安婦調査で政府方針」「精神的苦痛含めて判断」

 この二つの記事は、3月23日の参院予算委員会での谷野作太郎内閣外政審議室長の答弁と、政府関係者のオフレコのコメントをもとにしたものです。谷野氏は河野談話作成にもかかわった、外務省で中国課長などを歴任したチャイナスクールの重鎮です。後に中国大使も努めており、福田康夫元官房長官の小学校時代の同級生としても知られていますね。で、その谷野氏の「強制連行」の定義についての答弁は、朝日によると次のようなものでした。

 「物理的に強制を加えることのみならず、脅かし、あるいは畏怖させて、本人の自由な意思に反してある種の行為をさせること

 これについて朝日は、《「強制性」について、たんに物理的な強制があったかどうかだけでなく元慰安婦の「精神的苦痛、心理的なものも含めて」(政府首脳)判断することを決めた》と書いています。現在は、政府首脳のクレジットで記事を書く習慣はほぼなくなりましたが、以前は政府首脳とは官房長官のことを意味しました。つまり、これは河野氏のことでしょう。

 一方、毎日の記事も《強制連行の定義が焦点となっていたが、今回の政府判断は「本人の意思」に反していたかを基準とし、脅かしや精神的圧迫による連行も含めたことになる》と同様の趣旨のことを書いています。こうしてみると、当時の宮沢内閣、少なくとも河野氏と谷野氏の間では、政府調査で慰安婦強制連行の証拠が出てこなくても、何とか「強制性」自体は認めようという話し合いがついていたことがうかがえます。

 やはり河野談話作成にかかわった石原信雄元官房副長官は、産経新聞の取材に対し、韓国側が「とにかく強制を認めてほしい」という趣旨のことを要請してきていたことを証言しています。そうしたこともあって、宮沢内閣が河野談話に向けて、路線を敷いていたというか、布石を打っていたというか、そういう当時の空気が分かる記事だと思いました。でもねぇ、こうまで「強制性」の定義を広げてしまうと、私たち会社員が出勤したくない内心を抑えて職場に向かうのも強制になりかねません。将来に禍根を残した愚かな判断だったと思います。

 さて、次は社民党の福島瑞穂党首がまだ議員になる前、やはり慰安婦問題で、少なくとも二度にわたって朝日に登場していましたので、その記事についても報告します。平成4年1月11日に、加藤紘一官房長官が慰安婦に対する軍の関与を認めたことに対する福島氏のコメントが、1月12日付の朝日にこう載っていました。

 朝鮮人元従軍慰安婦らの戦後補償裁判の代理人で弁護士の福島瑞穂さん 今までがひどすぎたとはいえ、政府が軍の関与を認めたことは大きな前進だ。元慰安婦の方々は、日本政府のこれまでの無責任な対応への怒りこそが提訴に踏み切ったきっかけだった、と言っている。今後裁判の中で国の責任を明らかにしていくつもりだが、日本という国家がこのような犯罪を犯したことの意味を、日本人一人ひとりとして問い続けていきたい。

 また、河野談話発表の直前、5年7月29日付の朝日には、ソウル発で「韓国での政府調査オブザーバー参加 福島瑞穂弁護士に聞く」「『体験聞いて』元慰安婦真剣に」という記事が顔写真付きで掲載されていました。河野氏は何ら物的証拠がなかったにもかかわらず、「強制性」を認めた根拠として、韓国での元慰安婦の聞き取り調査結果を挙げていますが、その調査に福島氏が加わっていたというだけで、調査の信憑性が疑われるというものです。

 記事の中で福島氏は「政府が真剣に話を聞いていただけに、報告書にどう反映されるか厳しく問われる。(中略)慰安婦制度そのものの強制性を、政府は認識したと思う」「政府だからこそできる資料発掘をもっと本気で進め、慰安婦政策をだれがどう決めたのか、全容解明につなげてほしい」などともっともらしく語っていましたが…。

 さらに、平成4年5月1日付の朝日は、この問題で北朝鮮側に立った大きな特集記事を掲載しています。5本も見出しがついているほか、年表まで添えられいます。でも、それによって逆に、慰安婦問題をクローズアップし、社会問題化してきた主体が朝鮮総連であり、日本から戦後補償を獲得することが目的だったことが分かる記事にもなっています。

 見出しを拾うと、「慰安婦・強制連行『戦後補償を』」「『北』側からも高まる声」「朝鮮総連系団体が調査や集会」「『植民地支配』を問う」「在日の『南北』が連携も」とありました。なんだかこれを読むだけで、笑ってしまいそうになりました。露骨というか、分かりやすいというか。この記事のリードは、「この問題への朝鮮総連の本格的な取り組みは、進行中の日朝交渉にも微妙な影響を与えそうだ」と締めくくっています。いやあ、総連は大いに喜んだでしょうね。

 今回、河野談話前後のスクラップをひっくり返して改めて印象を受けたのは、当時の言語空間のいびつさです。慰安婦問題の実態についてはあまり知られておらず、当時は弊紙も「従軍慰安婦」と「従軍」のついた誤った用語を何度も使っていましたし、元慰安婦の証言は一切疑問をはさまれることなく、検証もなしにそのまま真実として流通していました。また、朝日だけでなく、毎日や東京も女子挺身隊の名で慰安婦を強制連行だなんてでたらめを自明の事実であるかのように書いています。テレビの放送内容はスクラップにありませんが、輪をかけたいいかげんなものだったでしょうね。

 決して宮沢内閣や河野氏をかばうつもりはありませんが、ネット空間をはじめとし、さまざまな言論が存在する現在とは全く違う当時の空気をみると、河野談話が生まれた理由が分かるような気もしました。繰り返しますが、だからといって許すつもりはありませんが。ともあれ、情報の流通と事実との関係、メディアの役割と実際できることは何なのか…と、過去記事を眺めながら、うまく書けませんが何か再び壁に突き当たったような気分になったのでした。


 早いもので本日は、私がこのイザのブログに初めて投稿してちょうど1周年にあたります(イザの実際のサービス開始は6月に入ってからでしたが)。最初のエントリの題名は「ポスト小泉と世論調査」というものでした。で、ちょうど今朝の読売新聞には「内閣支持率 初の上昇」「49.6%『安倍カラー』評価」という記事、朝日新聞には「内閣支持率 横ばい」「『仕事評価』やや好転」という記事がそれぞれ出ていました。朝日は横ばいと書いていますが、中身を読むと支持率は44%で前回調査より1ポイント上昇していました(読売は5.8ポイントアップ)。

 私が3月13日のエントリ「『安倍らしさ』で下げ止まった安倍内閣支持率」で書いたのと同じように、きょうの読売も「『安倍カラー』を前面に出していることが支持率反転につながったとみられる」と分析していますね。朝日の方は、そうした現象は認めたくないのか、その点については論評せず、「仕事ぶりへの評価がやや好転したことが、支持率上昇につながっているようだ」と書いています。仕事ぶりって、朝日が感情的にくそみそにけなしていた国民投票法や教育再生関連法案、公務員制度改革への取り組みのことでしょうか。さぞや朝日は不本意なことだと推察します。

 さて、話はわき道にそれそうになりましたが、この1年間の私の投稿数は、今回を合わせて計339エントリとなります。午前10時現在で、総アクセス数は190万826件、コメントは1万5014件に達しました。この数字が1年間の累計としてどの程度のものなのかは判断がつきませんが、訪問してくれた読者のみなさまに心から感謝いたします。

 全くの初心者が手探りで始めたこのブログについては、試行錯誤の連続で、いろいろとご批判もありましたが、その何十倍もの温かいお励ましの言葉もいただきました。自分のやっていること、書いていることがすべて正しいなどとは到底言えませんが、これからも、感じたことや私の中ではそうとしか思えないことを、なるべく正直かつ率直に記していきたいと思います。

 短いエントリですが、まずは1周年のごあいさつとお礼を述べさせていただきます。本当に、ありがとうございました。これからもよろしくお願いいたします。へ(_ _)へ


 私は、慰安婦問題をめぐる平成5年8月の河野洋平官房長官談話について考えるときに、一つの疑問が頭から離れないのです。それは、政府が国内外のありとあらゆる資料をひっくり返して調べたにもかかわらず、慰安婦の強制連行を示す資料は出てこなかったのに、河野氏はどうして軍・官憲による関与の「強制性」を認めたのかということです。その点について、河野氏自身は、韓国での元慰安婦女性の聞き取り調査の結果を理由に挙げていますが、本当にそうなのでしょうか。

 穿ち過ぎた見方かもしれませんが、私は河野氏のライバル、加藤紘一氏への対抗心が背景にあるのではないかと疑っているのです。両氏はもともと、ともに宏池会に属し、加藤氏は宮沢内閣で河野氏の前任の官房長官でした。後に河野氏が派閥の後継争いに敗れて新たに河野グループをつくり、それが現在の麻生派になったわけです。で、加藤氏は河野談話の約1年前に、やはり慰安婦問題に関して当時の調査に基づく「加藤談話」(平成4年7月6日。加藤氏は同年1月にも慰安婦に関する談話を発表しています)を出しています。その内容は概略、以下の通りです。

  《朝鮮半島出身のいわゆる従軍慰安婦問題については、昨年
12月より関係資料が保管されている可能性のある省庁において政府が同問題に関与していたかどうかについて調査を行ってきたところであるが、今般、その調査結果がまとまったので発表することとした。要点をかいつまんで申し上げると、慰安所の設置、慰安婦の募集に当たる者の取締り、慰安施設の築造・増強、慰安所の経営・監督、慰安所・慰安婦の街生管理、慰安所関係者への身分証明書等の発給等につき、政府の関与があったことが認められたということである。
 政府としては、国籍、出身地の如何を問わず、いわゆる従軍慰安婦として筆舌に尽くし難い辛苦をなめられた全ての方々に対し、改めて衷心よりお詫びと反省の気持ちを申し上げたい。また、このような過ちを決して繰り返してはならないという深い反省と決意の下に立って、平和国家としての立場を堅持するとともに、未架に向けて新しい日韓関係及びその他のアジア諸国、地域との関係を構築すべく努力していきたい。
 この問題については、いろいろな方々のお話を聞くにつけ、誠に心の痛む思いがする。このような辛酸をなめられた方々に対し、我々の気持ちをいかなる形で表すことができるのか、各方面の意見も聞きながら、誠意をもって検討していきたいと考えている。》

 以前、ある外務省幹部から聞いたところによると、河野氏と加藤氏は、親中派としても競いあっていて、どちらかが訪中するともう片方もすぐ訪中して忠誠心を示そうとし、中国側を呆れさせているそうです。そういう関係ですから、私は河野談話が十分な根拠もなくあれほど踏み込んだ内容になったのは、河野氏が加藤談話より一歩も二歩も前に行った談話を発表したかったからではないかと考えているのです。これがただの邪推だということならば、それはそれでよいのですが。

 そこで何かの参考になればと思い、2年前の7月11日に私が先輩記者とともに加藤氏にインタビューした際の全文を紹介しようと思います。テープ起こしは私がやったのですが、質問部分はちょっといい加減なので、Q&Aの意味がとりにくい点があるのをご容赦ください。石原信雄元官房副長官のインタビューを掲載した昨年8月28日のエントリとあわせてお読みいただくと、より分かりやすいかとも思います。

《Q 加藤官房長官談話を出した経緯と、そのときの政治状況についてお聞かせください

A よく覚えていないが、確か国会とかに陳情があった。(慰安婦問題が)かなり話題になっていたんじゃないか。石原信雄官房副長官を中心にどう対応しようかという検討してもらって、いろいろ調査して、(慰安所の)設置そのものについては旧日本軍が関与していたと。事故防止、衛生管理の面から、ということは明確な資料がいろいろ出てきたものだから、そこは政府が、軍が関与していたと、いうことは認めなければと。どうやって慰安婦を集めたかということについては、当時の記録もあまりないし、分からない。ただ、かなり、あまり無理な集め方をしてはならないという文書も確かにあった。ということは、無理な集め方をしたケースもあったんだろう。だから、職業として納得してきてくれた人、そうとはしらずに甘言にのってきた人、かなり強引に警察ないし、軍がリクルートしたかもしれない。いろんな可能性があったが、私が官房長官をしていたときまでの調査は、まだ時間も浅かったから、今言った政府の関与、危ない集め方があったらしい、というところまでで調査が終わっている。その先はまだ、調査が続いているんだと思います。

Q 河野官房長官談話のところまでいかなかったと。

A どうも、無理なことをするなよと、いう文書があっただけ。まだそこまでいっていなかった。

Q 韓国政府からの要請は。日韓首脳会談が控えていたが。

A いや、それはなかったんじゃないでしょうか

Q 慰安婦問題に関しては加藤談話が一番最初かと思うが、ご自身の評価は

A 軍が関与したことは、軍がある種の経営をしていたことは事実だ。これは東北の田舎で育っているから、復員軍人から話を聞いている。まあ軍があって、そこに慰安所があって、自分たちは並んで利用したとか、現実の話をずっと聞いておりまして、(慰安婦を)どうやってリクルートしたかはわからないが、戦争というのはそういうのを作っていくんだと、そういうのは覚えている。石原さんも『謝りましょう』といってきたのを覚えている。

Q 経営という言葉でいえるのかどうか。悪質業者に注意しろという文書とか、慰安婦の衛生状態の検査とかはあったが、関与の度合いで言って、経営という言葉を使うのはいかがなものか。

A いや、それは経営しているのか、ただ部隊の中に置かせたのか、そこはね、分からないけども、やはり軍が公認で置かしたというのは事実だ。ふつうの経営がどうだったか分からないが、料金表まで指示していたのはあった。そうであれば、軍も経営の一部に絡んでいたかと思う。

Q あえて談話という形にしたのはなぜか

A 一番最初に私が出したのは、毎日新聞フォーラムで話したのが最初かな。そこで講師として初めて話した。

Q 韓国に外交的な配慮をし、政治決着を図ったのではないのか。

A この問題についてどう考えるかといったら、官房長官がそこで記者会見で話すのも、談話を出すのも、若干重みは違うが、官房長官の記者会見は正式なものだから、あまり大きな違いはないと思う。

Q 良かれと思ってやっていても、日本が善意で発出したメッセージが、セックス・スレイブの国とか言われる事態を生んでいる。政府が強制性なり、軍の関与を認めたことで。

A (むっとして)現に政府が関与したんだから、それを否定しなければならないとあなたは言うわけ?

Q そうではなくて、関与はいいとして、軍がリクルートしたのなら謝罪すべきだが、中身がはっきりしないのに、謝罪するのはいかがなものか。日本の善意を悪用したりする人がいる。

A いやまあ、事実で公文書のあるものについて出てきたら、認めざるを得ないのは当然ではないか。(問題が)あるとすれば、それによって賠償の問題が出て、日韓請求権放棄の中で、個別の話しにはいかないんだというのは、ある種の線を引かないと、いろんな被害の問題に波及するから、それは、外交上、考えておかねばならないところだ。

Q 衛生上の管理とかの関与は、まったく悪意のない関与。今は強制連行とか、既成事実化したように教科書に載ったりしているが、時系列的に加藤談話が河野談話の先にあるので…。

A (声を荒げて)何を言いにきたの?事実をちゃんと認めて、そこはやむを得ないではないか。あったこと、事実が、軍が関与して料金まで決めたんだから。料金表まで出ていて、上官の場合はいくら、下士官の場合はいくらと。あったでしょ。軍が規定したんですよ。甘言を弄する業者を使うな、ということは、甘言を弄するヤツがいたんですよ。だから、あんたの論理が分からないんだよ!!言っている意味が。

Q 甘言を弄した業者は、当然いたんだろうと思う。でも、それは軍の行為ではない。

A 軍の行為ではない。だから、軍の中にできているものだから、業者はいらっしゃいといいますよね。無言の政府承認、政府保証、軍の御用達になってしまうわけだ。だから、軍は評判悪くなっちゃ困るから、注意しろよといっているわけで、逆に言えば、軍というものをバックにおきながら甘言を弄した人もいたんだと思いますよ。(慰安婦は)合意をして、仕事として来たんじゃないかという反論もある。ぼくら、そこはよく分からない。無理して連れて行かれたというストーリーもあちこち聞くけど、そこはぼくの段階では分からない。

Q 慰安婦はお金の問題ではなく、名誉のためでよいと言っている。韓国政府も当時、賠償請求しないといっていたのか。

A 韓国政府は大きくしないようにしていた。

Q 河野官房長官談話のときは、韓国政府は日本政府に外交的な配慮をするよう要請していたが、加藤官房長官談話のときはなかったか。

A 河野さんのときはあったかもしれないが、(自分のときは)印象としては韓国政府が日本に謝れと強引に要求して宮沢さんが韓国に行くから、それなりに官房長官談話を出して謝った、という流れではない(大き目の声で強調)。

Q 慰安婦問題、当時は

A ぼくらはね、悪いけど、田舎では聞いていることなんですよ。メディアにあったかというの?

Q 永田町で

A だから、官房長官が記者会見で話す

Q あえて談話発表となったのは誰の判断だったのか

A 覚えていない。記者会見でしゃべることは山ほどある。それこそ、PKO法案もあったし。

Q 国会でも決議があったり

A 事実があったんだから、それをちゃんと認めて、そして、そこはあのときに遺憾の意を表明した。私の談話に箱何と書いてあったのかな?

Q 慰安所の設置に政府の関与はあった。

A ま、率直に認めざるを得なかったと思う。

Q 不思議なのは、強制性については河野談話のときも、加藤談話のときも資料がないという点ではまったく同じなのに、慰安婦16人からのヒアリングはあったが、河野談話は強制性を認める踏み込んだ内容となっている点だ。

A 資料に基づいて、言える段階でしゃべった記憶がある。だからこそ、料金まで決めているのか、これはヤバイと思った。

Q 加藤さんはなぜ、河野談話で強制性が認められたと思うか

A それはどういう過程でそうなったのか経緯を知らないので論評しない。

Q 河野談話では強制性について「総じてあった」とあるが

Aそれをぼくに聞かれても知りません

Q 朝日新聞が、慰安婦募集は政府とぜんぜん関係ないという発言を引き出してから、一面トップで大きくやった経緯がある。当時、宮沢首相訪韓前だった。

A よく覚えていない。ただ、首相官邸の記者会見室に韓国メディアもたくさん入ってきた。KBSだったかな。有力メディアの女性キャスターなどがいっぱいきて、騒ぎになった。それはちょっと、あいまいだ。

Q 圧力は感じたか

A たどたどしい日本語で質問されても、プレッシャーにはならんもんですよ。どのメディアかはよく覚えていないが、韓国メディアは慎重だったという印象は残っている。オランダなんかも、このとき問題になったのではないか。

Q 宮沢首相の訪韓前、歴史認識を突きつけてきたのではないか。外交ルートではなく、一方的に韓国政府高官なんかが記者会見するとか

A それはなかったんじゃないか。韓国政府はなるべく騒ぎたくなかった、ことを大きくしたくなかったという印象はなんか、残っている。一つのケジメをつけたいということだった。ただし、補償問題は考えられない

Q 補償問題は取り上げないと

A そこは、ポイントですけどね。戦後、自分で、だから一番は、今回の靖国問題をきっかけに、さきの戦争についての総括を日本人がやるというのができれば、一番良いと思いますよ。外国人、特に戦勝国による裁判が、基軸になっていると。それが納得できないという議論が多いわけだ。だったら、じゃあ、自分でやると。

Q 総括していないから、いつまでも謝り続けてしまうということか

A だれが(戦争)の総括をやるかというのは大問題だ。

Q この問題では、開戦責任と敗戦責任がごっちゃにされて論じられている

A そこはいろいろあって、開戦責任であれ、戦争責任であれ、結果責任であれ、すべて日本人で総括できたら一番良いと思う。だったら、他の国、本当にそれをやっていったら、それを後代に伝えていくと。だって、日本人だけでも350万人死んだでしょ。これの総括を自分でやらない国というのは他にないと思う。なんで、やれないんだと思う?ドイツは自分でやった。

Q 一つには、昭和天皇の戦争責任問題に発展するからではないか

A (そう)です。ということをみんな、議論したくないんですよ。これは、日本人の気持ちの問題だから。とにかく論理的、理論的に、中々そこは、みんな、中々議論できないところなんですよ。昭和天皇に対する敬意の念があるところだから。それは一つひとつの事情を検証しながら、議論するということはなかなかできない。だから、あんたたちの世代はクールに議論すればよい。私はS14年生まれだけど、われわれより、前の世代はできないだろうね。あんたたちは自分でできると思いますか?あんた、いくつですか。

Q (先輩記者)私は41歳。国会議員に期待したい。

A もう一つ、自虐史観はよくないと思うが、みんな語りたくない。自分の父親の世代は何があったのか、息子に語らないんですよ。昨日も聞きました。ある地区の後援会幹部会で、ミニ座談会してきて、当然、この話をした。平均年齢60ぐらい。親父たちは何をやったんだろうと。ときたま、こういう発言があると、父親は40、50歳代のときは、夜中にうなされて飛び起きることがたびたびあった。ある憲兵出身の復員者は、発狂して自殺している。命令とはいえ、かなり多くの人間を殺さざるをえなくなって。共産ゲリラと疑わしき男を拷問して、左右の足に縄をつけて馬を左右に走らせる。同じ話が必ず出てくる。それを口伝えで武勇伝で話したのであろうか。どう思うと聞くと、そんなこと、殺す必要ない、だから日本軍はやらないはずだという意見の人が文春とかにいる。だけど、よくみると自衛なんですよね。100人の中国人の若者がいる。そのうち、2、3人がゲリラかもしれない。残りの97人は違うかもしれない。もしかしたら、ゲリラかその支援者かもしれない。見落としたら、殺されるかもしれないからやる、と。ただ、東北の農民や自営業者は一兵卒が多い。金浦とか、岩手とか、秋田と山形が貧乏くじ引いて、岩手が上官なんだよ。

Q 加藤さんは国立追悼施設構想に賛同しているが、その対象は

A それはこれから広く議論しなければならない。一番重要な問題は(慰霊の)対象よりも、性格で、やはり靖国は顕彰の社なんですよ。与党側のために戦った兵士のための、褒め称える場所。その戦いは正しい戦いであった。聖戦だったと。そのために犠牲になった人を顕彰するためで、新しい追悼施設は、あくまで、思い出を語り、冥福を祈る追悼施設にするというのが一番の重要な原点だ。靖国がなぜ、問題になってくるかというと、そういう形のところにA級戦犯が入ると、聖戦であり、指導者であり、顕彰されるというところに問題があるのではないでしょうか。

Q 加藤さんの外務省の先輩にあたる東郷茂徳元外相や、広田弘毅元首相もA級戦犯とされている。全員同じひとくくりにするのは雑なのではないか。

A 議論していけばよい。

Q 日本が自分で総括すればよいと。ただ、そうなると、東京裁判自体も見直さなければ、という端緒が出てくる気が出てくる。サンフランシスコ講和条約11条を受け入れているからそれに従へという加藤さんの主張と矛盾する気がする。

A 昭和27年ぐらいにはできなかった。国家として政府が条約に批准した。それを覆して、あの戦いは間違いない戦いだったという風に言うのは、大変なある種の国際政治に対するチャンレンジになる。第一次大戦後の莫大な賠償に耐えられなかったドイツみたいになる。

Q 見直すといっても、全面的なものと、部分的なものとがある。全面的でなく、国際法学会では変な裁判ということになっているし、東郷さんが本当にああいう扱いでいいのかという疑問もある。

A だから、歴史研究として、日本人の心の納得のために総括というものもある。ただ、講和条約で受託した極東裁判の結果というのにチャレンジするというのは、日韓、日中ではなく日米が心配だ。今、米国は靖国問題について日中間で中立を保っている。通常は、ブッシュと小泉の間柄だから、みな、この問題で米国が日本につくと思っている。ところが、A級戦犯の責任問題をどうとらえるかというテーマだとすると、必ずしも楽観できないのではないか。

Q 中国いわゆるA級戦犯を分祀しても、BC級へ文句をつけてくるだろう

A 靖国問題の背景にあるのは、教科書問題と同じで、通常歴史認識といわれる言葉。突き詰めると二つあって、この間の戦争は聖戦であったか。靖国神社にいくと、アジア人民を解放するための聖戦と書いてある。そう見るのか。2番目。A級戦犯の責任を今後とも認めるのか、責任はあの十四人であったとするか。これで8、9割。BC級戦犯について分祀せよということは、中国はないといっている。27年前から言っている。日中関係の理論家であるじいさんが‥(名前が思い出せない様子)。だんだん狭くなってA級戦犯に限りなく絞られている。最近はBC級も被害者だと考えましょうという正式の発言になっている。もう一つは、(小泉首相に)行っていただきたくないのは、国会議員もそうだが、いろいろあるでしょう。ふつうの大臣にも行っていただきたくないが、それぞれの立場があるでしょう。首相、官房長官、外相ですという風にだんだん、絞られてきた。ことの本質は、この国が戦争責任をどう思うのか。いい戦いだったのか

Q それでは加藤さんは戦争責任はだれにあると考えているか

A 私はA級戦犯の方にあると。それを覚悟で引き受けられたと

Q 重光葵元外相は。A級戦犯として刑を受けたが釈放後、外相に返り咲いている。亡くなった人にだけ責任を負わせる仕分けが分からない

 A だから、みんなで議論すればよい。ただ、常に向こうから出されるというが、あるエピソードを出すと、一カ月ほど前、森さんのやっている日韓議員連盟で韓国大使を呼んで討論会をした。私が、韓流ブームがすごい。妻たちが、ぺ・ヨンジュンさんと。日韓のためにいいかなと。ある種我慢しているところがある。韓国の男性たちは喜んだはず。お互いに心が通じたはずだと思ったら、急に歴史認識だ、竹島だと。分からない国だというのがわれわれの気持ちなんですよといった。心を開いたと思ったら、歴史問題を出してきた。そしたら向こうは、冗談じゃないと。われわれもうれしかったが、何十年もやったことのない島根県の決議をやったのは、日本ではないか、火をつけたのは日本ではないかと。分からないな、日本という国はと思ったと。どっちが火をつけたか。われわれは必ず向こうだとみるが、冷静に見ると、島根県決議は歴史上、初めてなんですよ。政治家、特に総理は国民感情の上になって政治をしてもらわないといけないが、10%ぐらいは相手側の立場に立たないと判断を誤る。今度の話も靖国から始まっている。小泉さんの総裁選挙から始まっている。ある意味でこっちから始まっている。(了)》

 加藤氏はときどき声を荒げたり、不機嫌になったりしながらも、なんとか答えてくれました。私には「そうかなあ」「違うだろう」と思えることも多かったのですが、この問題で産経新聞のインタビューに応じようとしない河野氏に比べ、その点では誠実だといえるかもしれません。ただ、インタビューは国会議員会館で行ったのですが、当時、加藤氏の事務所には中国人女性が秘書として働いていました(現在は知りません)。私は「うーん、加藤氏らしいと言えばそうだけど、こんなことでいいのか」と加藤氏の姿勢に疑問を感じたことを付け加えておきます。


 はぁ…。いきなり溜め息で始まるエントリで申し訳ありませんが、本日はまた、私がしつこく追及している山梨県教職員組合をめぐる新しい展開について書こうと思います。山梨県のある教職員からまたファクスが届いたのですが、それは19日付の地元紙、山梨日々新聞の記事でした。いわゆる人物紹介の欄で、そこには「県公立小中学校長会長に就任した 坂本誠二郎さん」とありました。坂本、坂本っと…。

 ひぃ…。私は心で悲鳴を上げました。多くの人には、それが何のことかさっぱり分からないでしょうが、この坂本氏とは、その筋では有名な人です。はっきり言えば、民主党の輿石東参院議員会長の側近で、輿石氏の次の山教組委員長。輿石氏が最初に衆院選に出馬したとき(1990年)の副委員長で、選挙対策統括者だったという人物です。そんな人が大きく、好意的に記事に取り上げられるとは…。これが何を意味するのかは明確です。もともと山梨の校長会は、山教組と一体化した組織ではありましたが。

 ふぅ…。結局、山梨県の公立小中300校は、輿石氏の号令の下に堂々と選挙活動をする〝お墨付き〟を得たということでしょう。教員たちが違法な政治活動をするのを監視・指導する立場の校長のリーダーが、輿石氏の側近で選挙運動の責任者だったわけですから、これは何をかいわんやです。山梨県の教員は電話で私に「これは学校現場にしっかり運動しろ、ということだ」と話していました。また、校長会の支部会長にも山教組の元書記長らが就任しているそうです。

 へぇ…。それでもって、この坂本氏の横顔を伝える山日新聞の記事には、山教組の「さ」の字もありません。ひよっていますね。本文が14字組で約50行もあり、そのほかに短いプロフィル欄まであるのに。この新聞は産経が山教組問題を報じ始めたころ、しばらく様子見をした後、後追い報道を始めましたが、今はもう昔通り、山教組問題についてはできるだけ触れないというスタンスに戻ってしまったようです。これも山教組による県政支配の表れの一つでしょうか。

 ほぉ…。で、記事の中で坂本氏は、山梨県で今年度から教員評価制度が本格的に導入されることについて、「大多数の教師は現場で奮闘していることも忘れてほしくない」と述べているのです。そうですね、現場で選挙活動に奮闘していますね、はい。産経の山教組問題キャンペーンの前までは、学校内の電話もファクスも選挙運動に使っていた彼らですが、最近は山教組支部から各学校の分会長への指示・連絡は携帯電話が使用されるそうです。それならいい、という問題だとも思えませんが。

 それでやはり19日付の産経山梨県版には、「山教組 法令順守し候補支援」「参院選 従来通りの運動へ」という記事が出ていました。山教組は18日に定期大会を開き、竹川委員長は7月の参院選に向け「法令を順守しながら、最大限の取り組みをする」と述べたそうです。法律を守りながら教育公務員が最大限の選挙運動をするって、にわかにはイメージが湧きませんが、彼らは言葉だけ取り繕っておけばそれでいいのでしょう(ちなみに、大会の議事部分は報道陣には非公開です。後ろ暗いものがあるのでしょう。過去には、産経記者が大会参加者に背中をたたかれる暴力行為を受けたこともあります)。

 また、竹川氏は安倍内閣の教育改革を「拙速」と批判した上で、「(それを止めるためにも)今夏実施される参院選は大変重要な意味を持つ」と指摘したそうです。大会の特別決議では現在審議中の教育再生3法案について「法案は国による教育の国家統制を進めるシステム作りの意図を強く表している」とありました。まあ、ある意味、山教組と一体化した県教育委員会が文部科学省の指導・助言に従わず、山教組の好き勝手し放題を放置したせいもあって、安倍内閣が教育改革を加速させた部分もあるのですが。因果の風車はカラカラとめぐります。

 さらにこの大会では、山教組として民主党の神本美恵子参院議員(比例)と同党新人の米長晴信氏の推薦の組織決定も報告されました。神本氏は元福岡県教組女性部長ですね。米長氏は大会に来賓として招かれ、「力を貸してもらいたい」とあいさつしました。彼の本名は米長ではないそうですが、おじの米長棋士の知名度を利用してこの通名をずっと使用していたそうです。でもまあ、日教組の支援を受けると聞くと、おじさんはきっと嘆くとことと思いますが。

 産経の一連の山教組キャンペーンによって、現場の教員からは「半強制の資金カンパは今年はなかった」「以前よりは組合に対する文句も言えるようになり、風通しがよくなった」などと感謝のお言葉もいただいていたのですが、だんだん元の木阿弥化してきたようです。でも、このような自浄能力も反省も全くない彼らの姿を見ると、やはり法規制を強めるしかないのかなと思います。私はあまり法律万能主義的考え方が好きではなかったのですが、最近は改心しつつあるのでした。

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