2008年02月


 もう2週間前の9日付朝刊の話ですが、私は産経の1面と3面に小泉元首相の初の北朝鮮訪問をめぐる日朝交渉に関して、次のような記事を書きました。新聞用語で言うと、1面が本記記事で、3面がその記事を受けたサイド記事です。もうすでに紙面やネットビューなどで読んでくださった方は飛ばしてください。

 ・1面記事 見出し「日朝交渉の記録欠落 小泉元首相初訪朝直前」「『2回分』廃棄?未作成? 拉致協議障害も

 《平成14年9月の小泉純一郎首相(当時)による初の北朝鮮訪問直前に、当時の外務省の田中均アジア大洋州局長(現・日本国際交流センターシニア・フェロー)らが北朝鮮側と行った2回分の日朝交渉の記録文書が欠落し、省内に保管されていないことが8日、複数の政府高官の証言で明らかになった。両国がこの交渉でやりとりしたはずの拉致被害者の生存情報や国交正常化後の経済協力の規模など、協議内容の核心が後任者らに伝わらず、その後の交渉の障害になったという。
 田中氏は13年10月ごろから、北京、平壌などで北朝鮮側と「30回近い」(政府筋)非公式の折衝を続け、「ミスターと呼ばれた北朝鮮側の交渉担当者らと信頼関係を築き、小泉首相訪朝の道筋をつくったとされる。
 外務省は通例では、外交上の重要な会談・交渉はすべて記録に残して一定期間保存し、幹部や担当者で情報を共有、外交の継続性を担保する。そうしないと担当者交代の際に、これまで積み上げた成果を捨てて、一から出直すことになってしまうからだ。
 ところが、証言によると14年8月30日に政府が小泉首相訪朝を発表し、9月17日に金正日総書記との間で日朝首脳会談が開催されるまでの間の2回分の日朝交渉の記録が省内に一切残っていない。記録文書が廃棄されたのか、もともと作成されなかったかは不明だが、政府高官は「首相初訪朝直前の最も大事な時期に、日朝間で拉致問題や経済協力問題についてどう話し合われたのかが分からない」と、困惑を隠さない。
 また、現存する二十数回分の交渉記録についても、国交正常化後に日本が実施する「1兆円とも80億ドルともいわれる北朝鮮への経済協力の金額に関する協議場面が出てこない」(同)など不自然な部分があるという。
 田中氏は産経新聞の取材に対し、「私は今は外務省にいる人間ではないし、ちょっと知らない。(2回分だけ交渉記録がないなど)そんなことはないと思う。日朝交渉は私だけがやっていたことではないし、私も職としてやっていたことで、個人的にやっていたわけではない。当時は局長だったから、私が(自分で)記録を書くわけじゃない。記録があるかないかは、外務省に聞いてほしい」と述べた。外務省は「コメントは差し控える」としている。》

 ・3面記事 見出し「不透明さ増す秘密外交」「真相『田中氏と通訳しか…』

  《小泉純一郎元首相の北朝鮮訪問は、拉致被害者5人とその家族の帰国をもたらすとともに、北朝鮮という異様な国家の実像を白日の下にさらし、大きな成果をあげた。だが、首相訪朝に至るまでの日朝交渉は水面下で行われ、徹底的に秘匿された。このため、交渉過程で北朝鮮との「密約」が存在するという噂(うわさ)が半ば公然とささやかれた。今回発覚した訪朝直前の交渉記録文書の欠落で、この“秘密外交”の不透明さがより増したといえる。
 日朝間の極秘交渉は当時、首相官邸でも小泉首相と福田康夫官房長官(現首相)、古川貞二郎官房副長官ら数人が知るのみ。安倍晋三官房副長官(前首相)ですら、平成14年8月30日に首相訪朝が記者発表される前夜まで知らされなかった。
 外務省内でも、交渉当事者の田中均アジア大洋州局長は秘密主義を貫いた。同月22日の幹部会議まで、本来は日朝平壌宣言作成に関与すべき立場の条約局(現国際法局)長や総合外交政策局長らも、全く蚊帳の外に置かれた。
 この水面下の交渉では、拉致問題の解決よりも国交正常化実現に重点が置かれていた。その姿勢は、「拉致問題で何人が帰ってくる、こないということではない。それよりまず国交正常化に対する扉を開くことに大きな意義がある」(9月12日の古川氏の記者会見)といった言葉にも表れている。
 しかし、金正日総書記が拉致を認めたことで世論は沸騰し、小泉首相もこれを無視して国交正常化を急ぐことはできなくなった。拉致問題に詳しく被害者家族の信頼も厚い安倍氏をラインから外すなど、衆知を集めてことに対処しようとしなかったツケだった。
 田中氏は9月17日の日朝首脳会談時に、北朝鮮側が伝えてきた不自然な点の多い拉致被害者8人の死亡年月日情報について、マスコミが報じるまで被害者家族に伝えなかった。また、同日午前中に情報を得ていたのに、小泉首相にも平壌宣言署名式直前の午後5時ごろまで報告しなかった。こうした手法も、疑念を招いた一つの理由だろう。
 政府高官は日朝交渉の記録文書の欠落について、「『8人死亡』などの拉致被害者の生存情報について、ある程度事前に話があったのではないか。そういう話もせずに、首相に北朝鮮を訪問させることなどありえない。記録を残すとだれかにとって都合が悪かったということではないか」と指摘する。
 北朝鮮との間に最終段階でどのような協議が行われたかは、外務省幹部も「田中氏と通訳しか本当のところは分からない」と話している。(阿比留瑠比)》

 …最後までお目を通していただいた方に感謝します。なんで今頃、以前書いた記事を再掲するのかというと、政府がきょうの閣議で、この記事に関する答弁書を決定したからです。鈴木宗男氏の質問主意書に答えたもので、「この報道は事実か」という問いに、政府は今後の日朝間の協議に支障を来すおそれがあることを理由に「外務省としてお答えすることは差し控えたい」と否定も肯定もしないという姿勢です。

 また、田中均元外務審議官からこの報道に関して話を聞いたかという問いには「話を聞いていない」、「外務省で作成される外交交渉、会談に関する記録はどのくらいの期間保存されるのか」との質問には「その性質、内容等に応じ設定され、一概にお答えすることは困難である」という回答でした。正面から答える気ははなからない、ということなのでしょうね。また、田中氏から事情を聴く必要もないと。

 この記事に関しては、12日の高村外相の記者会見(私は別の取材があって出席していませんでした)でも質問が出ていました。以下のやりとりです。

 記者 土曜日の産経で、日本と北朝鮮との交渉で、小泉訪朝前の記録に欠落が出ているとある。記録をもともと作っていないのか、あるいは作ったがなくなったのか?

 高村氏 外交交渉の直接のやりとり、その準備段階でどういうことをしたかについて私から申し上げるつもりはありません。

 記者 やり取りがどういうものだったのかということとは別に文書管理について。

 高村氏 いや準備段階についても、申し上げるつもりはありません。ただ申し上げられることはその時のことについても外務省の中で引き継ぎはきっちりできていますので、これからの外交を進める上で支障はないことだけ申し上げる。

 記者 それとは別に…

 高村氏 これ以上やりとりしても押し問答ですから。

 記者 正面からきちんと答えていただきたいが、文書管理は問題になっており、私だけの関心ではない。外交文書が欠落しているという報道があって、実際欠落しているのか欠落していないのか、調査するのかしないのか。

 高村氏 今調査する必要はないと私は思っているし、その時の事情については引き継ぎがきっちりなされているのでそのことを申し上げたい。

 …このときも高村氏は記事内容については否定せず、ただ「調査する必要はない」と強調しています。この日行われた外務省幹部と記者団との懇談会では、幹部は「(高村氏の)公式見解は聞いたでしょ。文書のことは言えません。誰と交渉したかも言えないわけですから。引き継ぎはしっかりされていて、支障はないということです」と語りました。高村氏と幹部の物言いから、省内で記者に聞かれたらどう答えるかの打合せができているのかなあ、と感じました。二人とも「支障はない」「引き継ぎはなされている」と繰り返していますが、私は信頼できる筋から「大きなマイナスとなっている。記録の欠落分は初めからつくられなかったのだろう」と聞いています。高村氏だって引き継ぎ当時に外務省にいたわけではないですしね。

 まあ、政府は立場上、これ以上踏み込んで何かを明らかにするとは考えにくいのも本当ですが、小泉初訪朝に至る日朝交渉、また再訪朝の再の朝鮮総連ルートと言われる交渉にはもまだによく分からないことがたくさんありすぎて困ります。記事にも書いたように、北朝鮮への経済協力の具体的な金額が交渉記録には出てこないのに、その交渉の結果まとめられた日朝平壌宣言は、当時の福田官房長官も「「(経済協力ばかり)具体的に懇切丁寧に書かれているといえば若干、そういう感じもする」と認めた内容となっているなど、記録に残されていないところに重要な秘密が隠されているように思えてなりません。また、この欠落部分の内容について、果たして小泉氏や福田氏が知っていたのかどうかも分かりません。
 
 外交交渉に「秘密」が必要なのは当然なのでしょうが、あまり秘密裏にばかり進めていると、結局は各方面に不信感を持たれるばかりで理解されず、うまくいかないのではないかと思っています。「世論の後押しのない外交は弱い」と言いますから。

 きょうから外務省の藪中三十二次官が二日間の日程で訪中し、中国の王毅次官と東シナ海のガス田問題などを協議してきます。以前のエントリでも書いたように、福田首相が問題解決を急ぐあまりに国民のあずかり知らぬところで妥協を命じれば、今回、日本側が中国側の主張を大幅に受け入れる形で問題決着が図られるかもしれません。もし、この国家主権、領土にかかわる問題で安易に譲歩したら、招来に禍根を残すことは間違いないでしょうし、国民の理解・支持も得られないだろうと思います。


 本日は朝からヒル米国務次官補が外務省に来て幹部と会談したり、中国の唐国務委員が福田首相や高村外相らと会談したりで、けっこう忙しく過ごしています。おかげで夕食も、外に食べにいくこともままならず、記者クラブでパン食(私はご飯党なのですが)で済ませました。まあ、仕方ありませんけどね。

 このヒル氏に関しては、昨年12月10日のエントリ「ヒル米国務次官補の『非礼』と日本の存在感」でも、当時の佐々江アジア大洋州局長をトランジット先の成田空港まで呼びつけたエピソードを紹介しましたが、北朝鮮にやたらと融和的な一方、日本にとってあまり好ましくない人物であるように思います。某外務省幹部は「失礼な奴だから、ここ2、3回は向こうが『会談したい』と言ってきても会わなかった」と話していましたが…。

 ともあれ、きょうヒル氏はまず、外務省の西宮伸一北米局長と会談し、沖縄の女子中学生暴行事件に遺憾の意を表明しました。この会談では、西宮氏も遺憾の意を表明したので、双方が遺憾だと言い合っている形になりました。写真は会談後、記者団のインタビューに答える二人の姿です。

 

 ヒル氏は次に、1月に現職に就任したばかりの斎木昭隆アジア大洋州局長とも会談しました。ヒル氏は斎木氏に、19日に北京で行った北朝鮮の金桂冠外務次官との会談内容を説明し、北朝鮮が昨年10月の約束を履行して「完全かつ正確な核計画申告」を実施しない限り、6カ国協議の首席代表会議は当面開かれないだろうとの見通しを語っていました。斎木氏も「まだまだ道は遠いという印象を持った」と話していました。次の写真右側は斎木氏です。

 

 外務省幹部によると、ヒル氏は昨年11月ごろまでは、北朝鮮との融和的姿勢が強く、妥協も辞さずという様子だったのが、その後、ブッシュ大統領から強い指示があったということで、簡単には妥協しないという態度に転じたと言います。まあ、この言葉がどこまで実態通りなのかは分かりませんが、確かに、一時期は今にも実行されそうで、日本政府もあきらめムードだった米国による北朝鮮のテロ支援国家指定解除も少し遠のいた雰囲気はあります。

 この後、ヒル氏はトヨタの青いハイエースに乗って外務省を離れたのですが、それからさらに、与野党の議員団と会談しました。私はこれについては取材していませんが、同僚記者によるとメンバーは自民党の山崎拓氏、加藤紘一氏、衛藤征士郎氏、民主党の仙谷由人氏、枝野幸男氏、公明党の東順二氏らだったそうです。

 で、同僚記者のメモによると、山崎氏や加藤氏ら北朝鮮融和派という共通項のある「仲間」との会談で気が緩んだのか、ヒル氏は山崎氏らに、次のように本音を語ったようです。

 「核、ミサイル、拉致すべてが解決しなければ日本が国交正常化に至らないことは承知しているが、核問題が解決しないと拉致問題もミサイル問題も解決しない。核問題が先行して解決するのが大前提だという認識をもってほしい拉致問題の真相は分からない。見るべき進展というなら、再調査が重要だ。北朝鮮は拉致は解決済みと言っているから、再調査となれば局面は大転換する。再調査させることが重要だ」

 これは、自ら「ワシのはクリエイティブ・ブリーフィングやから」と公言してはばからない山崎氏のブリーフ(山崎氏の記者に対する説明のいいかげんさも、一昨年12月8日のエントリ「テキトー発言で東京新聞に皮肉を書かれた山崎拓氏」で書きました)に基づくので、これまたこれが正確な事実であるかどうか疑問は残るのですが、ほかの議員たちも聞いている話でもあるので、たぶんその通りなのだろうと思います。

 もっとも、このヒル氏の発言は、今まで彼が言ってきたことと基本的に同じ趣旨であり、驚く必要はないのかもしれませんが、やはり日本側の拉致問題への思いとは遠いところにいるようです。また、北朝鮮に拉致問題の再調査といっても、北はすべてを知っていてあえてあえてとぼけているのですから、ほとんど意味はなさそうに思います。要は北のトップとその周囲が決断するかどうかでしょう。繰り返しますが、山崎氏のブリーフなので細かいニュアンスがどうだったかは怪しい点もあるのですが、それでもヒル氏の拉致問題に対する認識に、改めてがっかりした次第です。

 話は飛びますが、きょうは、こんな人たちも外務省に来ました。日米地位協定の見直しなどを高村外相に訴えるためです。写真は、高村氏に出迎えられて大臣室に入るところです。

   

 さて、本日、民主党の小沢代表は韓国の李明博次期大統領に対し、外国人地方参政権付与法案について「実現できるよう努力したい」と述べました。党内には、反対派・慎重派も少なくないわけですが、小沢氏はどうするつもりでしょうか。自分の威光でまとめられると思っているのか、何も考えていないのか。写真の鳩山幹事長は、党議拘束を外して自由投票にする考えも示していますが、この問題について小沢氏と鳩山氏がまともに話し合ったとは考えにくいと思います。

 民主党の外国人参政権反対派議員に、この小沢氏の発言について電話で伝えて感想を求めたところ、「バカだねえ、何でそんなことを。まいっちゃうな、本当にひどいなあ」と嘆息していました。反対派の勉強会は、党内に対立を生むことを恐れてこれまで控えめに活動してきましたが、小沢氏の発言で推進派議連側が勢いづくのは間違いなく、それに対する対応も必要となってくるでしょう。

 自民党の人権擁護法案と民主党の外国人参政権付与法案、それぞれの動きから、やはり当分は目を離すわけにはいかないようです。参院選の行方がまだ見えていなかった去年の今頃は、一年後にはまさかここまで日本がボロボロになっているとはあまり考えなかったのですが…。


 さきほど、外務省内の記者クラブで何気なく掲示板を見ていたら、「民主党及び会派所属議員、関係者各位」という案内文が貼ってありました。民主党の藤田幸久参院議員の事務所から、今月の記者クラブ幹事社の共同通信に張り出しの要請があったようで、次のような内容に一読して驚かされました。要は、外務省担当記者に「取材に来い」ということのようなのですが…。

     《9.11に関する勉強会のご案内

 
新テロ特措法に関連して、防衛庁疑惑(※ママ)や自衛隊海外派遣の恒久法などが議論になっていますが、近年「テロとの戦い」の原点である9.11の真相に関する議論が、欧米諸国を中心に高まっています。
 また、日本政府が「犯罪」と規定するこの事件の捜査内容も、犠牲となった日本人のご遺体確認方法なども明らかにされていません。
 そこで、この問題の検証に取り組んできた各方面の専門家をお招きして、映像や写真も含めた事実関係を学ぶ勉強会を下記のように開催したいと思います。
 是非ご出席下さいますようご案内いたします。

   呼びかけ人
 犬塚直史、岩国哲人、佐藤公治、武正公一、谷岡郁子、徳永久志、鉢呂吉雄、藤田幸久、舟山康江、牧山ひろえ、米長晴信(50音順)》

 …まあ、何に対しても疑問を持って真相究明に努めるというのはけっこうなのですが。勉強会の連絡先となっている藤田氏と言えば、今年1月10日の参院外交防衛委員会で、「9.11について、あまりにも世界中でいろんな疑問の情報が実は出されている」と述べて、アルカイーダの犯行説に疑問を提示した人ですが、本気だったのですね。で、この勉強会の講師はとみると、この3人(敬称略)でした。

 きくち ゆみ 著作家、映画翻訳プロデューサー。著書に「9.11事件の省察」(共著)、訳書に「9.11事件は謀略か」など。

 ベンジャミン・フルフォード 元フォープス誌アジア太平洋支局長。著書に「さらば小泉グッバイ・ゾンビーズ」、「暴かれた9.11疑惑の真相」など。

 成沢 宗男 「週刊金曜日」編集部企画委員。著書に「9.11の謎 世界はだまされた!?」、「9.11事件の省察」(共著)など。

 …また随分とこうばしい人選というか、その筋で有名な人を揃えたというか。あえてコメントする気力も湧かないのでもうこれ以上ぐだぐだ書きませんが、民主党って本当に大丈夫なのかと、他人事ながら心配になってきました。余計なお世話でしょうが。きょうは何だか力が抜けてしまい、長文を書く意欲が出てこないので短いエントリで失礼します。(ちなみに、この勉強会はあす21日に開かれるそうですが、取材に行く予定はありません)


 週末からきょうにかけて、新聞には各種の世論調査の結果が出ていました。相変わらず、福田内閣の支持率は下降傾向が続いているようです。まあ当然でしょうが。普通に考えて、この時期にこういう政治をやっていて、支持率がアップする方が不思議ですからね。でも、まだ3~4割の国民の支持は一応維持しているわけで、むしろよくもっているなあと妙に関心してしまいます。

 まず、東京新聞が16日朝刊で報じた時事通信の調査(8日~11日実施)では、福田内閣の支持率は前月比2ポイント減の32.5%(不支持率43.2%)で、不支持率が4割を超えたのは昨年9月の政権発足後初めてだそうです。この記事で興味深かったのは年代別の支持率の記述でした。福田政権を支えているのが年配者であることが分かります。記事にはこうあります。

 《支持は20歳代が1割台に低迷したのに対し、70歳以上が5割、60歳代でも4割を超え、年代による違いが顕著になった》

 やはり、と感じました。調査方法が社によって違うので一概に言えない部分もありますが、安倍前首相のときには、世代間でここまで明確な差はありませんでした。私は昨年11月2日のエントリ「安倍前首相は若いがゆえに信頼されなかったのか」の中で、自民党内も安倍氏より年上のベテラン議員らは安倍氏のお手並み拝見状態となり、きちんと支えようとしていなかった点について触れましたが、やはり日本社会ではリーダーが年をとっていることに安心したり、共感したり、評価したりする世代があるのか…。

 18日の日経新聞朝刊が掲載した調査(15~17日実施)では、福田内閣の支持率はやはり1月の前回調査から2ポイント減の40%(不支持率48%)でした。支持しない理由のトップは「指導力がない」(57%)で、これは「安倍前内閣末期の昨年8月の54%も上回った」と書いています。ところが、自民党の支持率は前回から3ポイント上昇して39%となり、これは必ずしも内閣支持率の低下と比例しているわけではないようです。

 同日の産経新聞に載ったフジテレビ報道2001の調査では、福田内閣の支持率は33%と前週(32.4%)からほぼ横ばいですが、不支持率の59.6%が際立っています。これには、「ポスト福田にふさわしいのは」という問いがあり、1位が麻生太郎氏(26.2%)、2位が小沢一郎氏(7.6%)であるのはまあ分かるとして、3位につけているのが石原伸晃氏(7.0%)であるのが解せません。ちなみに中川昭一氏はわずか0.6%にとどまっており、一般社会の認知度はこの程度であるということを、改めて認識させられます。

 で、最後は、福田内閣の「生みの親」であるミスター・ナベツネ氏がトップを務める読売新聞の本日付の紙面からです(16、17両日調査実施)。福田内閣の支持率は、1月の調査から6.9ポイントも下がって38.7%(不支持率50.8%)で、初めて不支持率が支持率を上回ったとあります。解説記事を読むと、次のような分析がされていました。

 《多くの有権者が、山積する課題に明確な方向性を示せない福田首相にもどかしさを感じ、その政治姿勢にも不満を募らせていることが浮かび上がる》《背景には、有権者が首相に漠然としたイメージしか持っていないことがあるようだ》

 …さて、ナベツネ氏の政界工作によって、この福田氏が自民党総裁選に出馬し、総裁に選ばれて首相になったことを、読売はどう総括するのでしょうか。有権者が「漠然としたイメージ」しか持てないのはそれもそのはず、福田氏は官房長官時代もその後も、党総裁選に出てからも首相になってからも、自身の政策や政治理念など特に示していません。何をやりたいか、何をしようとしているのか一切語らない人物を首相に担ぎ出し、今日の閉塞状況をつくり出した責任のいったんは間違いなく、ナベツネと呼ばれるご老人にあるはずですが…。

 この読売の記事の「漠然としたイメージ」という言葉は言い得て妙だなと感じたのは、そもそも有権者だけでなく、福田氏を担いだ側の自民党幹部らも、あまり福田氏のことをどういう人物か、どんな考えの持ち主か知らないまま、まさしく漠然と、こういう状況になったし、福田さんでいいんじゃないか程度の緩い認識で福田氏を御輿に乗せてしまったのだろうと感じているからです(もともと福田氏は清和会で「世捨て人」と呼ばれるほど議員との付き合いが少ない人でしたし)。この読売の世論調査に対する党幹部の反応が笑えました。以下に紹介するのは、読売記者が求めた感想への答えです。

 尾辻参院議員会長 どうなっているんでしょうね。私も聞いてみたい。正直、よく分からない。あえて言うと、カラーが見えないのが福田カラーと思っている。福田首相の持ち味だと思う。それを国民がどう評価するかはそれぞれ。それが支持率に表れているのかもしれない。

 伊吹幹事長 えっと、まあどうなんでしょうかね、株式市場の低迷、それから食品安全の問題、その他あって、国民の気持ちがやや不安を感じておられることの表れじゃないですか。私はむしろ各政党の支持率をずっと注視をして見ているんですが、読売の調査としてはマイナスが出たというのは、他社の調査と非常に違う特徴ですね。他社の調査はだいたい自民党支持率は1ポイントから3ポイント、4ポイントと上向きになってますが、読売だけはマイナスになってますから、この辺りもよく注意してみていきたいと思います。

 福田首相 いや、これはもうしょうがないですよね。みなさんが判断することだからね。私のほうでそのためにどうこうということはありません

 …福田氏が何についても他人事なのはいつものことですが、他の党幹部にもそれが伝染したのでしょうか。あるいは、もうみんな半ばこの内閣のことを投げているのではないかとすら感じるほどです。「カラーが見えないのが福田カラー」って、不謹慎にも「声はすれども姿は見えず、ほんにあなたは屁のような~」という一節を思い浮かべてしまいました。ご本人に「これはもうしょうがないですよね」とまであっさり述べられてしまうと、それを言っちゃあおしめえよ、日本はこれでいいのかと頭を抱えたくなってしまいます。


 きょうは、国会議員会館をうろうろしてさきほど仕入れてきたばかりの情報を報告します。なぜ、これほど多くの識者がとんでもない悪法だと指摘し、今朝の読売新聞社説も「当然、断念すべきだ」とまで書いている人権擁護法案について、自民党内に熱心な推進派がいるかの一つの解答となっている内容でした。不透明だった部分がすっきり見えてきたというか。ありていに言えば、部落解放同盟と当時の政府・自民党との取り引き・密約があったということです。

 人権擁護法案反対派の某議員によると、それは2004年秋ごろの話でした。当時、YKK時代からの小泉首相の盟友(飲み友達)、山崎拓首相補佐官は女性スキャンダルによって落選中で、05年4月の衆院福岡2区の補欠選挙に立候補する意向を固めていましたが、選挙の見通しは楽観できるものではありませんでした。

 そういうときに、小泉首相の飯島勲秘書官や自民党幹部のもとに、部落解放同盟の組坂委員長が訪れ、「補選ではうちから2000票を山崎氏に出す。その代わりに、小泉首相の施政方針演説か所信表明演説に、人権擁護法案の件を入れてくれないか」と申し出てきたそうです。解放同盟は基本的に民主党を支持していますが、あえて山崎氏に投票させるから、というのです。そして、政府・自民党側はこれを受けたというわけです。

 小泉氏自身は、施政方針演説に人権擁護法案を盛り込むことに「どっちでもいい」という無関心な態度だったそうですが、結局、05年1月の施政方針演説には「引き続き人権救済に関する制度については、検討を進めます」という一行が入りました。このとき、唐突なこの一文に、人権擁護法案反対派の議員たちは当惑し、慌てていたのを思い出します。そうして山崎氏は4月の補選で民主党候補に1万7千票余りの差をつけて当選し、国会に返り咲いていま、膨張した山崎派の会長として大きな顔をしているわけです。

 小泉氏は、この年9月の参院本会議では、民社党の神本美恵子氏(日教組出身)の質問に答え、人権擁護法案について「政府・与党内でさらに検討を進め、できるだけ早期に提出できるように努めたい」とも答弁しました。山崎氏の選挙でのお礼のつもりだったのか、本当にそうすべきだと考えていたのかは分かりません。ただ、この法案は小泉氏の興味・関心をひく種類のものではないような気がします。

 ともあれ、反対派の某議員によると、この「解放同盟が山崎氏に2000票上乗せ」という話は永田町ではけっこう知られている話だそうで、某議員自身、飯島氏本人から直接この話を聞いているほか、過去に推進派の古賀誠氏(現選挙対策委員長)らから翻意を促された際にも、「これこれこういう事情もある」と説明を受けたこともあるそうです。そういえば山崎氏自身、党人権問題調査会の「顧問」に就任し、人権擁護法案を推進する立場ですね。

 …まあ法案推進派の動機はこの件だけではないでしょうが、正直な感想を記せば、また山崎氏か!というところです。こんなところでも山崎氏の存在が陰を落としているのか、一体なんなんだこの人は、と。現在、推進派の中心人物である古賀氏も二階俊博総務も「道路」の件で頭がいっぱいで、人権擁護法案まで手が回らないという観測もありますし、解放同盟自体が、あまりこの法案にこだわってもかえってイメージが悪くなると思い始めたのではないかという人もいますが、やはり油断は禁物ですね。…本来ならば、国会議員にはこんな非生産的なことに労力を費やすよりも、日本を少しでも良くするために働いてもらいたいものですが、いやはやなんとも。

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