きょうは空気が澄んでいたのか、通勤途上の都内某駅から、富士山がくっきり見えました。今朝は久しぶりに咳が出て熱っぽく、またしても風邪を引いたかと心配していたのですが、富士を眺めるうちに少し気分がよくなってきました。空でも海でも山でも、雄渾なものを見ると、気が大きくなるのかもしれません。
写真がピンぼけで、せっかくの富士の美しさをうまく伝えられないのが残念です。すいません。
きょうは空気が澄んでいたのか、通勤途上の都内某駅から、富士山がくっきり見えました。今朝は久しぶりに咳が出て熱っぽく、またしても風邪を引いたかと心配していたのですが、富士を眺めるうちに少し気分がよくなってきました。空でも海でも山でも、雄渾なものを見ると、気が大きくなるのかもしれません。
写真がピンぼけで、せっかくの富士の美しさをうまく伝えられないのが残念です。すいません。
さて、前エントリに続き、本日の「国籍法改正案を検証する会合に賛同する議員の会」のもようを報告します。きょうは法務省かに担当官僚を招いての質疑・意見交換があったので、なかなか興味深いやりとりがありました。その中から、いくつかピックアップしてここに掲載します(録音はしておらず、私の手書きメモなので、言い回しなどは微妙に異なる部分もあるでしょうが、大意はこの通りだということでご理解ください)。
まず法案を作成した法務官僚側から説明がありました。彼の主張をまとめると、
① 虚偽の届け出への罰則は「1年以下の懲役または20万円以下の罰金」で軽いという批判があるが、このほか認知届の際などの公正証書原本不実記載の罪(5年以下の懲役または50万円以下の罰金)なども加算され、最高刑で懲役7年6月までできる。
② DNA鑑定を取り入れると、家族法への悪影響が出るおそれがあり、親子関係や家族をそれで決めていいのかという大問題になる。
③ DNA鑑定は、持参された検体が正しいかどうか、どうやって市町村役場や法務局で確保するのか。さらに、DNA鑑定には10万円以上かかるが、だれがどう負担するのか。
④ 外国人の子を認知する場合のみDNA鑑定をすることで、憲法が禁じる不当な差別という問題が起きないか
…といった内容でした。衆院法務委員会での質疑でも、法務省はおおよそ似たような答弁をしていましたね。で、これに対し、議員たちからは次のような意見が出ました。
馬渡龍治氏 国籍というものを、そんなにハードルを低くしていいのか。市町村役場が鑑定の判断ができないというなら、政府が信用できる機関でやるぐらいハードルを高くしてもいいんじゃないか。偽装認知が疑われている中で、DNA鑑定をしないことによってかえって「あの子は偽装じゃないか?」という差別がいっぱい出てくるかもしれない。何のための法改正なのか。中心は子供のはずだ。正確な父子関係がしっかり示された方が、その子のためにもいいじゃないか。
秋元司氏 みなさんのところにもたくさんのファクスが来ていると思うが、そこに書かれていることには、国籍取得の重さをどう考えているのかという怒りがある。国籍を得た後に偽装と分かったら、子供にとっても大変なショックを与える。
戸井田とおる氏 民放722条と国籍の問題を一緒くたにする理由はどこにあるのか。法務省の話を聞いていると、DNA鑑定を入れないようにするにはどうすればいいのかと、そればかり一生懸命考えているとしか思えない(中川義雄氏から「全くその通りだ!」の声)。
西田昌司氏 もし改正案が通ったら、この時代の国会議員は後の世代に不作為の責任、とめられなかったという責任を負うことになる。
有村治子氏 DNA鑑定は万能ではないが、現在持ちうるタマの中では一つの有力な選択肢だ。外国人の子だけDNA鑑定をするのはいかがかというが、ビザ発給の仕方をみても、どこの国とも対等とするというのは、世界常識でもありえない。差異化は当然だ。偽装に対しては厳しい制裁を科すべきだ。参院(の審議)で、改正案の見直し期間を条文に入れるというのも一つの手段だと思う。
法務省に尋ねるが、国籍取得後に偽装と判明した場合、国籍剥奪、国外追放となるのか。
法務官僚 偽装が発覚した場合は、戸籍は職権で消す。国民でないということなので、国外退去に移ることになる。
佐藤正久氏 市町村や法務局の窓口でどうやって偽装認知を見破るのか。(日本人男性と外国人女性が)口裏を合わせてやると、非常に難しいのではないか。振り込め詐欺のようなこともある。それと、DNA鑑定については、法務省はひたすらできない理由を並べているようにしか聞こえない。私も自衛官だったから分かるが、役人にとって、できない理由を見つけるのは簡単(会場・笑)だが、それを何とか実現しようという発想が必要だ。
法務官僚 偽装を見破るのはなかなか難しいが、私どもが考えているのは、まず母親には必ず窓口に来ていただく。日本人男性の方には、来ていただくようお願いする。強制というわけにはいかないので任意で。来られた場合には、いろいろと聞く。知り合った経緯、同居の有無、扶養しているか、子の出生の経緯、どこで生まれたとか。また認知の経緯、なぜ結婚しないのか…などを聴取して、疑問点がないか慎重に判断する(法務官僚は、なぜか佐藤氏の質問に対してだけポケットに手を突っ込んで答える)。
赤池誠章氏 世界各国では日本と同様のケースの場合、DNA鑑定を実施している例はあるのか。法務省は把握しているか。
法務官僚 網羅的には調べていないが、認知の際にDNA鑑定を要求している例は英国などがある。詳しいことは分からない。
…概略、このようなやりとりがあったわけですが、これではやはり、偽装認知のチェックがきちんとできるとは思いにくいですね。法務官僚は、届け出の際に父親は来なくてもいいが、「来ないと、これは怪しいという方向にいく」と述べ、怪しければ調べるのだということを強調していましたが…。また、法務省は国会答弁などでもDNA鑑定の導入に否定的なコメントを繰り返してきたのに、諸外国ではどう運営されているかもろくに調べていないことが分かりました。やれやれです。
国籍法改正案に対する国民の厳しい批判を受け、まだ表の場にはあまり表れていません(記者ブリーフなどでは広報されていないので)が、自民党内では執行部を含めて「これはヤバイな」という意識が生まれつつあります。少なくとも、参院では、衆院のように「3時間だけ」の審議で通すようなことはできない、確かに犯罪ビジネスに利用されかねない問題があるなという認識が、だんだん広まってきました。参院では自民党は少数派で民主党の天下なので、自民党に危機意識が芽生えても、それだけではいかんともし難い部分はありますが。
実は、このあたりの水面下のやりとりを、明日の産経紙面に書けないかと思ってデスクに売り込んだのですが、残念ながらきょうは紙面スペースがとれないとのことで、本日は諦めました。また機会を見つけて報じることができればと思います。この議連の会合は今後も開かれる予定なので、その際にはまた報告します。
きょうの東京地方はとても気持ちのよい晴れでした。こういう日ばかりだといいのですが…。
ご存じの通り、昨日、国籍法改正案が衆院を通過し、参院に送付されました。これについては今朝の産経に「国籍法衆院通過 法務委実質3時間 審議不十分の声」という記事を書きましたが、その中で衆院法務委で付帯決議が行われたことに触れたので、少し補足しておきたいと思います。付帯決議は、法的拘束力はない「努力目標」ですが、森法相も事務方もこれを尊重すると述べていますし、それなりの重要性は持っています。
きょうは午前10時から、衆院第一議員会館で「国籍法改正案を検証する会合に賛同する議員の会」の第二回会合が開かれ、その中でもこの付帯決議が話題になりました。付帯決議は、自民、民主、公明、社民4党が共同で提出した形をとっていますが、原案は民主党がつくりました。で、この文面をめぐり、民主と自民で間で攻防があったようです。まずは、付帯決議をここに掲載しますが、一定の評価できる点と危ない点が混在しています。
《政府は、本法の施行に当たり、次の事項について格段の配慮をすべきである。
一、 日本国民から認知された外国人の子が届出により我が国の国籍を取得することができることになることにかんがみ、国外に居住している者に対しても、本法の趣旨について十分な周知徹底に努めること。
二、 我が国の国籍を取得することを目的とする虚偽の認知が行われるおそれがあることを踏まえ、国籍取得の届出に疑義がある場合に調査を行うに当たっては、その認知が真正なものであることを十分に確認するため、調査の方法を通達で定めること等により出入国記録の調査を行う等万全な措置を講ずるよう努めるとともに、本法の施行後の状況を踏まえ、父子関係の科学的な確認方法を導入することの要否及び当否について検討すること。
三、 ブローカー等が介在し組織的に虚偽の認知の届出を行うことによって日本国籍を取得する事案が発生するおそれがあることを踏まえ、入国管理局、警察等関係当局が緊密に連携し、情報収集体制の構築に努めるとともに、適切な捜査を行い、虚偽の届出を行った者に対する制裁が実効的なものとなるよう努めること。
四、 本改正により重国籍者が増加することにかんがみ、重国籍に関する諸外国の動向を注視するとともに、我が国における在り方について検討を行うこと。》
…さて、「一」はどういう意味なのか。読みようによっては、外国の人にどんどん国籍申請しなさいと呼びかけろと言っているようにもとれるのですが、ちょっと理解できません。「二」の科学的な確認方法とは、つまりDNA鑑定のことですね。要否と当否について検討するという回りくどい言い方ですが、法施行後の状況次第でDNA鑑定を導入することに含みを残したといえます。「三」はまあ当然のことですが、くどいぐらいに強調して縛りをかけておいた方がいいのでしょうね。そして、問題は「四」です。これは二重国籍容認に向けて前向きに取り組め、という話であり、看過できません。
この発言に呼応して、赤池誠章氏は「四について、民主党案では『重国籍を容認する』となっていたのを(自民党が手を入れて)『重国籍に関する諸外国の動向を注視する』にした」という法務委理事会での修正について明かしました。また、議論の過程で、民主党案には「二」の「父子関係の科学的確認方法を導入」が入っていなかったのを、稲田朋美氏が提案して入れることになったということも判明しました。
まあ、自民党もだめだなあということは十分承知した上で、やっぱり民主党はもっと危ないなあと、こうした事例をみるたびに思う次第です。自民と民主の違いは、見えにくくてもやはりありますね。こういう技術的で、かつ本質的な「裏話」(というほど大げさなものでもありませんが)は、あまり新聞やテレビで報じられることはないと思うので、とりあえず報告します。この日の会合は、このほかにも興味深い議員の指摘、法務省側の答弁があったので、別途エントリを立ててそれも紹介する予定です。それでは取り急ぎまずはこれまで。
本日、午後4時から衆院第一議員会館で開かれた「国籍法改正案」緊急対策会合に行ってきました。会合の中身については、別の記者が記事にすることになったので、私は興味深く感じた部分について記そうと思います。それは、出席した14人の議員の多くが、口々にネットを通じた反応について言及したことと、国会議員たちが閣議決定に加わった閣僚を含め、本当にこの改正案の中身について知らなかったという事実などです。間抜けな話ですが、これが現実でしょう。
会合では、まず無所属の平沼赳夫氏が「今はインターネットの時代で、毎日全国から大変な量のこの法案に関するご意見が寄せられている。無茶苦茶な歯止めのない法案だ」とあいさつし、赤池誠章氏がこれまでの経緯を説明し、米ニューヨーク州弁護士の資格を持つ牧原ひでき氏が世界各国での移民の家族呼び寄せ時に実施されているDNA鑑定について簡単に説明しました。
牧原氏は、「調べてみると、スイスは従来の日本の法律(国籍法)と全く同じだ。ドイツは今回の日本と同じような改正を行ったところ、偽装認知などの事例がみられた。日本はドイツと同じ失敗を繰り返すことになる。DNA鑑定は有効であり、世界的にも事例があることだ」と語っていました。会合で配布された各国の移民の家族に対するDNA鑑定の様態は以下のようでした。
・イギリス…1990年代から実施されている。法的根拠はないが、移民行政によって行われている。口腔組織を採取し、政府により権限が与えられている機関で分析する。費用は、国が負担する。
・イタリア…2005年3月から実施されている。移民に関する統一法典を改正する2004年10月18日のデクレに法的根拠がある。血液または唾液を採取し、政府により権限が与えられている機関で分析する。費用は、申請者が負担する。
・オーストリア…2006年から実施されている。法的根拠及び詳細は不明。
・オランダ…2000年2月1日から実施されている。1999年6月23日に、国会でDNA鑑定が認められ、2000年1月27日に関係法が公布された。口腔組織を採取し、政府が権限を与える3つの機関で分析が行われる。費用は申請者が支払うが、親子関係が証明されれば、払い戻しを受けることができる。
・スウェーデン…開始時期については不明。現在、法的根拠はない。血液を採取し、国立法医学研究所にて分析する。費用は、申請者が負担する。なお、DNA鑑定に関する法制度を現在策定中である。
・ドイツ…開始時期については不明。現在、法的根拠はないが、ドイツへの外国人の入国及び滞在に関する2004年8月5日の法律に拠って行われている。唾液を採取し、政府により権限が与えられている機関で分析する。費用は、申請者が負担する。なお、DNA鑑定に関する法制度を現在策定中である。
・デンマーク…1994年から実施されている。1996年からさらに強化されて実施されている。外国人法第40条Cが法的根拠である。血液を採取し、コペンハーゲン大学で分析する。費用は、政府が負担する。
・ノルウェー…1999年から実施されている。法的根拠は不明だが、DNA鑑定の態様については、2002年の通達に従って行われている。唾液を採取し、イギリスの政府認定機関に送付され、分析される。費用は、国が負担する。
・フィンランド…2000年6月から実施されている。法的根拠は、2000年3月1日に改正された外国人法である。血液または口腔組織を採取し、ヘルシンキ大学または政府が認定する医学研究所で分析する。費用は、国が負担するが、分析の結果、血縁関係が認められない場合には、費用は申請者が支払う。
・ベルギー…2003年6月から実施されている。法的根拠はない。血液を採取し、ブリュッセルにあるエラスムス病院で分析する。費用は、申請者が負担する。
・リトアニア…詳細は不明。
これは移民の話なので、日本の場合と単純比較はできないかもしれませんが、それにしても割と最近になってDNA鑑定を導入したり、制度の整備に取り組んだりしているところが多いようですね。さて、その後、自由討議に入ったのですが、こんな意見が出ていました。
中川義男氏 この法案に関するメールはすごく多いですよ。選挙民から非常に抗議が多い。それを見て私も「この法案はなんだ」と気が付いた。地元でいろいろ問題になって初めて分かった。選挙、選挙でほとんど国会に来ていなかったときの話だ。
戸井田とおる氏 今までは法案に問題があると、必ず(党内手続きなどの)どこかで引っかかって、総務会でもめて部会に差し戻されたり、常識ある人が止めていたが、今回はそうならなかった。
一般の人はこの法案について知らない。人権擁護法案のときの反応とも今回はケタが違う。きのう午後6時半にアップしたブログにさっき見たら300件の書き込みがあった。この法案が通ったら、国会は何やってるんだということになる。
稲葉大和氏 私は総務会の一員だが、総務会での法案説明の中で、この法案はそれぞれの先生の意識の中にほとんどなかった。私はうちの息子から「お父さん、この法案はおかしいよ。ちゃんと発言してよ」と言われて発言したが、私の発言に意識を持ってくれたのは中山太郎先生だけだった。
その後、どんどんホームページなりブログなりにヒットしてくるようになった。それだけ国民のみなさん、特に若い人の方が理解している。
中川氏 メールを見ると、書き込む人は間違いなく自民党を支持するような人たちだ。そういう人たちがあれだけ反応していることに全く応えないとなると、選挙にも影響する。間違いなくそう思う。
木挽司氏 自民党の手続きの在り方にすごく不満だ。今、自民党が存在意義を問われている。こんな自民党を何とかしたい。
土屋正忠氏 自民党も政局に振り回されている。この問題もちょうど、選挙で気もそぞろのときにちょこちょこっとやって、いつのまにかこうなった。
平沼氏 解散総選挙という状況で、みなさん関心がなかった。私のところにも、閣僚から連絡があった。「あんた、閣議で花押を押したんじゃないの?」と言ったら、「流れ作業で分からなかった」と言っていた。麻生太郎だって知っているわけないよ!
会合終了後、議員会館の受け付けでは、この日、国籍法改正の動きを何とかストップさせたいと集った20数人の若者が待ちかまえていて、赤池氏や戸井田氏と話していました。みな真剣な面持ちで議員らの話に耳を傾け、自ら意見を述べていました。
残念ながら、今のところ明日の衆院法務委員会、衆院本会議での法案採決、衆院通過の流れは変わっていません。ただ、きょう集まった議員たちは明日の朝まで、法務委員長や法務委員会筆頭理事、各委員らに申し入れを行い、働きかけを続けるということです。明日の委員会では稲田朋美氏が質問に立つとのことで、私も審議を見ようと考えています。
16日付の産経新聞のコラム「日曜日に書く」欄で、中山前国土交通相と田母神前空幕長の発言とその波紋について愚考した「正攻法だけでは勝てない」という原稿(http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/081116/stt0811160220000-n1.htm)を書いたところ、Kinny様から「阿比留記者の悲痛な『敗北宣言』と極東の憂鬱」というトラックバックをいただき、またそのコメント欄の中でstaro様からも重要なご指摘を受けました。そこで本日は、お二人が私(とその記事)について語られた内容について、私自身はどう受け止めているかを記そうと思います。コメント欄で返事を書くには、私にとって内容が重すぎ、かつ字数制限もあって言葉が尽くせないだろうと思ったからです。そんな個人的な「独白」など聞いても仕方がないと思われる方は、どうか飛ばしてください。
まず、Kinny様は、「(国内の)ほぼ全マスコミが、旧態依然のエセリベ・フィルターを装着したまま、仕事を続けているため、フツウの政治家がフツウの主張を行っても、正しく国民に届かない、というわけなのだ」という現状認識を示した上で、「要するに、対内的な『したたかさ』とは、『マスコミ対策』なのだ」と指摘されています。
そしてその上で、「小泉さんのように、ハートフルに、国民に届くよう、ゆっくりと簡単なことをブレずに繰り返し主張できる人でさえあれば、脳梅マスコミなんぞのために、本来しかるべき政策や発言を、ややこしく湖塗する必要などない」と論じ、朝日をはじめとするマスコミが批判の大合唱を繰り広げた小泉元首相の靖国参拝が、最後まで国民の支持を得ていた事例を引いておられます。
また、「明瞭で、断固たる正しい行動が、(国民に)評価されるようになっていった。いわゆる『特亜の反対』『エセリベの合唱』なぞ、本気で臍を決めた政治家の主張の前には、なんらの効力も持たないことが証明された瞬間だったであろう(なぜ世のエセコンは、あの意義を懸命に軽んじようとするのか?)」とも提起されています。
…これは、私の記事が「ことを成すためには、ときには徹底した慎重さが求められるのだろう。時期を選ばなければ、たとえ『正論』であっても反対勢力を利するばかりということもある」と書き、保守派に「悪賢さ」と「現実的な対応」を望んでいることに対する「畢竟、それは既成マスコミ対策に過ぎず、真情と勇気をもった政治家が分かりやすく説き続ければ、国民に評価されるという前例があるではないか」というご批判であり、かつ「あなたの言っていることは言論に携わる者としては敗北宣言になるよ」という率直なご指摘でした。
さらにKinny様は、「阿比留記者こそ、この件、ご再考あるべきではないか。勢いのない正気に、世を変えるチカラなぞない、ということを知るべきだ」「ひとくちに『現実』といっても、そうしたメディアの自己肥大化も現実なら、それらに打ち勝った小泉元首相の靖国参拝も現実だ。どうせ『現実にしたたかに対応』するなら、小生は、小泉元首相の歩まれた道こそが、率直でよいと思う」とのお考えを表明し、「このていどの道理こそ国内的に通用しないほど、おぞましき日本だろうか?」と締めくくられています。
…私のコラムに関しては、賛同してくれる人もいるだろうし、逆に「それは違う」と考える人もたくさんいるだろうと予想していました。ですから、Kinny様のようなご指摘があることは半ば分かっていたはずなのですが、やはりこのトラックバックを読んで改めて悩んでいます。問題の本質は、国民(あるいは人間、あるいはマス)をどのような存在だととらえるのかという、その人の人間観、世界観にも直結する根本的な部分にあるようにも思え、かつそれに小泉元首相についてどう評価するかという観点もからみ、なかなか頭の整理がつかずにいます。あるいは、政治と言葉のあるべき関係、筋論から私のコラムは脇道にそれた内容であったかもしれませんが、しかし、こういうことも誰かが言わなければいけないのではないかとも僭越ながら考えました。
例えば小泉氏の靖国参拝に関しては、私は一貫して支持していましたし、記事でもその意義について「『歴史カード』を手に譲歩を迫る中国と、歴史上の負い目からそれに従い続ける日本という、20年来固定化していた日中関係のあり方に『構造改革』をもたらした」と書いてきました。ただ同時に、6回目にしてようやく当初の公約だった8月15日の参拝を実行するに至るまでをずっと見続け、小泉氏が悩み、元旦に突然参拝するなど迷走し、当初は中国の反応を気に病み、やがて中国の意図と事情を見抜くまでの経緯を取材してきたため、かえって細部にこだわり、大きな全体像よりもそっちに目がいってしまう部分もあるのだろうと反省しています。小泉政権の5年5カ月のうち、私は3年半以上は官邸担当で比較的近くで取材していたこともあり、かえって見えにくくなっていることもあるように自覚しています。
ただ、靖国でそうだったこと(国民の理解と支持を得て味方につけたこと)が、他の問題にも同様に当てはまるのかどうかは、確信が持てずにいます。私がコラムで書いたのは、主に歴史認識にかかわる問題ですが、小泉氏はご自身、あまり関心がなかったのでしょうが、この問題には手を出そうとはしませんでした。むしろ首相在任中は、公明党幹部からも「小泉さんは保守だとか、思想的な話は大嫌いだから」と言われていましたし。また、初訪朝の前後は、外交交渉上、やむを得ない部分もあったとはいえ、小泉氏は国民に一切情報を与えず、何のための国交正常化かもとうとう語らなかったと記憶しています。
小泉氏の真骨頂は、郵政解散の折りに示されたといわれます。これは政治家も官僚もみんな言うことですが、解散後の記者会見での小泉氏は、鬼気迫るというかはっきりとオーラを身にまとっていました。私も会見場にいて、「郵政民営化の是非について国民のみなさんに聞きたい」と訴える異様な迫力に圧倒されたのをはっきりと覚えています。また同時に、「この会見は小泉さんしかできない」と強く感じたことも。郵政民営化という積年の本願を今こそ果たすのだ、このときのために今までの自分がいるのだという小泉氏の思いが噴出するような会見でしたが、これは心からそう信じることと、そう演じることとが一致するような人でないと不可能だという印象を受けました。
この点に関連して、Kinny様のエントリへのコメントで、やせ我慢A様が「(Kinny様の)ご指摘はもっともですが、キャラクターの違いというか得意不得意があるように思います。安倍さんに小泉さんの真似は無理だったのでしょう。ならば、他の方法でいくしかなかったのかなと」と述べられたところ、それについてstaro氏が次のように指摘されました。
「これは阿比留論法なんですね。はっきり言いましょう。小泉的手法ではなく、あれが政治家としての資質なんです。(中略)政治家の資質とは国民を魅了して、説得する能力です。ヒトラーもオバマも同じ政治家なんです。問題は政策を取捨する国民の民度です。阿比留さんの思考は何も生み出さない『退廃的思想』です。常に過去しか見ない。(中略)政治家としての資質がない安倍氏は自らの理念さえ捨て、マスコミとの軋轢を避けることで政権運営を維持しようとしました」
…私も、それが「資質」の問題であることは同意します。また、「国民を魅了し、説得する能力」が、10年前とは比べられないぐらい、政治家に求められる時代になったとも思います。この点に関してはkinny様もstaro様に宛てた返事の中で「批判する意味で小泉さんをパフォーマンスだと言うのは、ほんとうに愚劣だと思うね。なぜなら、パフォーマンスとは、すなわち、これが彼の仕事なんだもの。政治家としての実力のことをパフォーマンスというのだ」と語られています。何も異論はありません。
ただ、資質の問題であればなおさら、小泉氏しかできないことではないかとも考えます。確かに、どこにどんな資質を持った人が埋もれているかは分かりませんが、現実問題として日本は首相公選制はとっていませんし、国会に議席を持つ有力議員の中から首相が選ばれざるをえません。、その中に「資質」を持つ人を見出すのは至難の業というか、そもそも現在はいないのではないかと思っています。
あるいは、このように考えてしまうこと自体が、staro様のいう「退廃的思想」なのかもしれません。この点はさすがによく見抜かれたというか、私は常に自分を鼓舞したり、ニンジンを与えたりしていないと、すぐに退嬰的・退廃的・厭世的になりがちとなる「資質」を持っていることを自覚しています。おおよそ政治家には最も向かないタイプなのでしょう。
しかし、「安倍氏がマスコミとの軋轢を避けることで政権運営を維持しようとした」という点は、全面的には承伏しかねます。これはKinny様も同様の視点を提供されていますが、「戦後レジーム」にどっぷり浸かっている代表的存在がマスコミであるのは事実だとしても、与野党問わず国会議員も、官僚組織もまたそうであるからです。安倍氏が考慮した対象にはマスコミもあったでしょうが、それだけでなく自民党内でも多数を占める村山・河野両談話支持派や、公明党という両談話の信仰者、また前例から踏み出すことを極端に嫌う官僚組織その他のことも大きかったはずで、全方位作戦をとるよりも個別に少しずつ崩していこうという考えであったはずです。その戦略・戦術事態が間違いであったということは一つの見方としては言えるでしょうが、マスコミ対策だけであったはずもまたないと考えます。
いや、こうした細部への反論は無意味かもしれません。そうではなく、やはり国民をどうとらえ、民意をどうくみ上げるのかということ、また何が可能で何がそうではないかが問題の核心であって、話が少しずれたかもしれません。実は昨夜は、このKinny様とstaro様のご指摘が頭から離れず、床についてもあまり眠れませんでした。とても重要であると同時に、それを自分が咀嚼し、かつ同意なり反論なりできるのかどうかといろいろと考え、結局、いまだに結論は出ていませんが、とりあえず現時点で思っていることは伝えたいとこのエントリを書くことにしました。
staro様はまた、「阿比留さんは田中真紀子の本質を例にとって、国民の愚かさを指摘しますが、国民は田中真紀子の人間性を信じていたわけではなく、言っていた内容、それが誹謗中傷でも『支持』したのです」「小泉を国民が支持したのは、田中派利権を壊す、土建屋利権を壊すことですね。靖国も中、韓の理不尽な内政干渉に反発したからですね。ところが阿比留さん的解釈になるとあれは扇動になるんです。そうではありませんね、国民は小泉がなにを言っているかを聞いています。民意がない扇動は支持されません」ともコメントされています。
これについては、非常に書きにくいというか、私にとっては難しい問題なのです。さきほどの「退廃的思想」にももしかしたらつながるのかもしれませんが、私は国民を愚かだと指摘しているというよりも、民主主義というシステムへの不信感が、ときに吹きこぼれてコメントに出てしまうのかもしれないと考えています。ただ、私は他にとるべき政体があると思っているわけでもないので、単なる愚痴のような感想にすぎないのですが。また、これとは別の次元の話ですが、産経が田中氏の異様で奇矯な言動を指摘していたころ、読者その他から届いた抗議や購読取りやめの手紙、電話内容は、ヒロイン田中氏を「なぜいじめるんだ」「彼女が間違ったことを言うはずがない」といった個人崇拝のような色調が強かったのも事実です。これも議論の上では枝葉末節の類だとは分かっていますが。
「国民」という点について書くと、私はときどきマスコミ人が自称するような「国民の代表」という意識はありません。そのような根拠不明な過剰な自意識は、私のような自信のない人間には持ちようがありません。ただ、私自身も当たり前のこととして国民の一人であり、それは常に意識しています。何度か書いてきたように、私は記者(会社員)である前に日本人であり、さらにそれ以前に人間なので、そもそも自分の記者としての社会的属性にそれほど価値や重きを置いていません(こういうとまたどなたかから叱られそうですが、記者になるために生まれてきたわけでも何でもありませんし)。ですから、仮に私が国民を批判したとしたならば、その刃は自分自身に対しても向けているつもりです。まあ、その批判自体が的外れであると指摘されればそれまでですし、自分がくだらない人間だからといって、みんな同じだなんて思うなと言われると返答に窮しますが。
小泉氏の手法が「扇動」かどうかという点については、私はそのようなことを書いた記憶がないというかあいまいなのです。今どう考えるかと聞かれたら、「そういう部分もあるにはあったのだろうな」とは思いますが、別にstaro様が言われるように小泉政治を扇動だとして批判したり、否定したりしようという意図はありません。先にも書いた通り、私は小泉氏の靖国参拝を支持応援叱咤激励してきた事実もあります。
いずれにしても、私が紙面やブログで書いていることは「今はそう思える」ということであり、がちんがちんに固まっているわけではありません。でも、そのときにそう思ったことを書くしかないわけです。頭の整理ができていない問題は、放っておくと頭の片隅で勝手に熟成されてある日結論が出るということもあるので、当面はそうさせてください。今朝は夕刊当番だったのですが、現場から処理すべき原稿がいまだに一本も届かないという珍しい日だったので、長々と何の結論もない由なし事を書き連ねました。こんな駄文にお付き合いいただいた方に感謝します。
最後になりますが、貴重なご意見をいただいたKinny様、staro様に心から感謝を申し上げます。ありがとうございました。