2011年02月

 

 本日は約2カ月ぶりに読書シリーズのエントリとします。実はこのところ、どうも集中力が途切れがちなのと、なぜだか「これだ」という本(特に小説)に巡り会わないのとで、読書があまり捗っていませんでした。なので、2カ月ぶりにしては、こじんまりとした紹介になりますが、まあ、もともとどうでもいいシリーズなのでご勘弁ください。

 

 まずは、久しぶりに読んだ宮部みゆき氏の「小暮写真館」(講談社、☆☆☆★)からです。高校生が主人公の700ページ以上あるけっこう分厚い作品なのですが、読後感は爽やかです。

 

     

 

 元写真館という中古住宅に引っ越してきた主人公の身の回りで起きる不思議なできごとと、いわゆるひとつの青春事情が鮮明に描かれていて、どこかノスタルジアを覚えました。私は、高校生など若者が主人公の物語には共感を持ちにくいのですが、この作品はいいです。あと、鉄道好きの人にも興味深いかもしれません。

 

 次は、今野敏氏の警視庁科学特捜班シリーズのさらに伝説の旅シリーズ第3弾「沖の島伝説殺人ファイル」(講談社、☆☆★)です。これは私の地元・福岡県の「海の正倉院」とも呼ばれる沖ノ島を取り上げた作品です。

 

     

 

 まあ、その土地土地のタブー、因習と警察捜査という切り口は面白かったし、地元ゆえの関心もあったのですが、とりたてて盛り上がる部分もなく淡々と話が流れていき、ごく簡単に読み終わったというのが読後感でした。

 

 大人の意識を持ったまま、小学5年生時代に行きつ戻りつして当時を追体験、改変できたら…という珍しくはない設定なのですが、それが自分だけではないとしたらどうなるか。そこに3億円事件がからんで…。小路幸也氏の「カレンダーボーイ」(ポプラ文庫、☆☆☆)はそんなお話です。

 

     

 

 読みながら、自分だったらどうだろうかと考えてみたのですが、私は恥の多い人生を生きてきた(現在進行形ですが)ので、あまり昔に戻ってアレを繰り返したくないなあと。主人公が最後になくすものに、少し切なくなりました。

 

 山本甲士氏の「迷わず働け」(小学館文庫、☆☆☆)は、ありていに言って「迷わず働け」という内容です。…これでは何の紹介にもならないので少し付け加えると、怠け者でカネのない主人公が、自分とそっくりの友人になりすましてある会社に潜り込んでみたものの、状況・環境は予想をはかるかに超えて厳しく、嫌が応にも智恵を絞り、死力を尽くして頑張らざるをえず、その結果…というストーリーです。

 

      

 

 なんというか、山本氏の小説は確かに痛快です。「とげ」「かび」などの作品は、日頃の鬱憤晴らしにぴったりでしたが、この「迷わず--」はもっと軽い気持ちで楽しめます。

 

 さて、次は浜田文人氏の「CIRO 内閣情報調査室 香月喬」シリーズの第2弾「機密」(朝日文庫、☆☆☆)です。私はずっと以前の読書エントリで、浜田氏の作品が山梨県を取り上げているにもかかわらず、山梨県教職員組合について触れていなかった点をちょっと残念だと書きました。それと関係はないでしょうが、今回の作品は日教組ならぬ「日教連」が重大な役割を果たします。日教連による公選法違反事件なんて舞台装置も出てくるところが楽しいです。

 

     

 

 しかも、新聞社の政治部が犯罪がらみでできたり、例の官房機密費がどうしたこうしたという話がでてきたりで、興味深い内容でした。まあ、当然、小説(フィクション)なので、そのまま実際のところが描かれているわけではありませんし、私の実感とは異なりますが、面白く読めました。

 

 で、ここらで時代小説が読みたくなり、いつもの上田秀人氏に手を出し、「関東郡代記録に止めず 家康の遺策」(幻冬舎、☆☆★)を読みました。

 

      

 

 関東郡代の伊奈家を主人公に持ってきたところは目新しいと感じましたが、あとは、いつもの徳川の秘密もので、特にオチは「うーん」と首をひねりました。たくさん書き続けるというのは大変だなあと、改めて思った次第です。

 

 そうなると、時代小説の原点に戻りたくなり、これまた久しぶりに山手樹一郎氏の「恋染め浪人」(コスミック、☆☆★)を手に取りました。実は山手氏の作品は10年ぐらい前にけっこうまとめて読んでいました。

 

     

 

 内容は…タイトルと帯にある通りです。まあ、リアリティーを重視して「ありえない」と思うよりも、一つの物語世界に遊び、憂き世を忘れる効果を楽しむのがいいですね。で、これは書店で買ったのですが、さらに自宅の本棚から同じく山手氏の「遠山の金さん」シリーズ3冊も引っ張り出して読みふけりました。殺伐とした時代、日々だからこそ、春風駘蕩とした予定調和の世界に憧れてしますます。

 

     

 

  …本日の南関東はいい天気で、日差しも温かく、まるっきり春のようです。そんな日曜日に、菅直人首相は現在、写真スタジオに写真撮影のため出かけています。

 

 衆院選のポスター用の写真撮影だったらいいなと、ふとそんなことを思います。菅氏は、明日で鳩山由紀夫前首相と在任日数が並ぶそうですが、それでもういいだろう、もはや思い残すことはないだろうと…。  

 

 本日は休みなので、例によって発作的に訪問者の皆さまに抜き打ちテストを行いたいと思います。さあて、今回のこの超難問が解けるでしょうか。

 

 【問題】次の例文はある高位にある男の懊悩を表す独白です。これを読んで以下の質問に答えなさい。

 

 例文1《ええい、おれは卑怯者か、誰だ、おれをやくざ呼ばわりするやつは、おれの頭をぶちわり、ひげを引きぬいて、この顔にたたきつけるやつは?この鼻をねじあげ、うそつきめと罵るやつは誰だ?――そんな無礼なやつは、ええい!畜生、なんと言われようと文句は言えぬ。鳩のように気の弱い腑ぬけでもなければ、いつまでこんな辛い我慢をするものか。今ごろは、あの下司野郎の腐肉を餌に、大空の鳶を肥やしてやっていただろうに》

 

【問1】    この男は、なぜ「鳩」を憎むようなことを述べているのか。次の3つの選択肢から答えよ

 

    鳩山由紀夫前首相が政敵についたほか、常軌を逸した言動を繰り返し、政権の足を引っ張っているため

 

    鳩山氏のように簡単には辞任しないと、自分自身を鼓舞するため

 

    単なる比喩、または鳩が嫌いなだけ

 

 例文2◯か、×か、それが疑問だ。どちらが男らしい生きかたか、じっと身を伏せ、不法な運命の矢弾を堪え忍ぶのと、それとも剣をとって、押しよせる苦難に立ち向かい、とどめを刺すまであとには引かぬのと、一体どちらが。いっそ死んでしまった方が》

 

【問2】    例文2中の伏せ字「◯」と「×」に当て嵌まるものを3つのうちから選べ

 

①「◯」は「解散」で「×」は「総辞職」

 

②「◯」は「焼き肉」で「×」は「お寿司」

 

③「◯」は「生」で「×」は「死」

 

【問3】    男が「とどめを刺す」としている相手は誰か。3つのうちから選べ

 

    小沢一郎・民主党元代表

 

    日本国民と日本そのもの

 

    裏切り者の叔父

 

【問4】    この男の名前は次のどれか。3つのうちから選べ

 

    菅直人首相

 

    小沢氏

 

 

 

 

    デンマークの王子、ハムレット

 

 …正解はあえて記しません。しかしまあ、古典(シェイクスピア、福田恒存訳)はいいですね。人間の苦悩が実に鮮明に描かれていて、つい引用したくなりました。それにしても菅首相は今、一体何を考えているのでしょうねえ。ハムレットのように真剣に悩んでいるのかどうか。

 

 しばらく前のことですが、ある官邸スタッフと雑談をしていたら、彼はこんな疑問を語っていました。

 

 「政治家って、よく『信なくば立たず』という論語の言葉を使うよね。国民との間に信頼関係がないと政治は成り立たないと。だけど、菅さんに『信』なんてないのに…」

 

 私も同感です。あるいは、ハムレット的心境でも何でもなくて、ただ一日でも長く首相の座に居座っているにはどうするか、どうしたら延命を図れるかを考えているだけなのか…。

 

 

 本日は夕刊当番だったので午前7時過ぎから、会社にいました。で、近日発売の雑誌「正論」4月号が置いてあったのでパラパラめくっていたところ、「これが日本再生の救国内閣だ! 保守論客50人が提言」という特集記事が載っていました。

 

 詳しい内容は実際に正論誌を手にとっていただきたいのですが、その中で「おおっ!」と思わず目を疑った内閣の布陣を選択した人がいたので、ちょっとそこだけ紹介します。

 

 首相 小沢一郎

 外相 鳩山由紀夫

 財務相 菅直人

 防衛相 前原誠司

 文科相 輿石東

 法相 千葉景子

 国家公安委員長 中井ひろし

 行政刷新担当相 蓮舫

 経済財政担当相 与謝野馨

 官房長官 仙谷由人

 

 ……これは、この人選は…と、しばし言葉を失いました。一体どういうセンスをしているのか、何を考えているのかと。果たして選者の名前はと見ると、哲学者の適菜収氏で、寸評にはこうありました。

 

 

 「この内閣で一度地獄を見て、悔い改めない限り日本の再生はない」

 

 

 

 

 

 

   そういうことかい!

 

 …まあ、よく考えてみると、似たような内閣のもと、これまでわれわれは煉獄をたっぷり味わってきたわけですが。それとは知らないうちに…。

 

 

 唐突ですが、ソクラテスは紀元前399年春、「青年を腐敗させ、かつ国の信ずる神を信じないで、他の新しい神事を信じている」という罪によって約70歳のときに刑死しました。

 

 そのエピソードについては、プラトンの「ソクラテスの弁明」に詳しく、私も四半世紀以上前に読んだことがあります。そのおぼろげな記憶は、ソクラテスが「悪法でも法」だとして、国法に殉じて弟子の脱獄の勧めを退け、従容として毒杯を仰ぐ――というものでした。

 

 で、割と薄い本でもあるので、ふと思いついて読み返してみると、ソクラテスはこう述べていました。なるほど潔いように思えます。

 

 《諸君!裁判官に願うことも願って放免してもらうことも、わたしには正しくあるとは思われない、むしろ教え説得することがそうであると思われる。なぜなら、裁判官が、此処に座っているのは、正しいことをえこひいきで決めるためではなくて、正しいことを判定するためである、そして、自分がえこひいきをしようと思うその人にえこひいきをしないで、法に従って裁判することを誓ったからである。だから、われわれも諸君に誓いを破る習慣をつけさせるべきでもないし、諸君もつけられるべきでもない》

 

 こうした部分は、私の記憶の中にあったソクラテスのイメージと符合しました。ただ、改めて読んでみると、そうした古い記憶、印象とは異なるけっこう激烈なことも弁明で述べていました。例えば…

 

 《わたしに有罪判決をした諸君!わたしは諸君に予言したい。というのは、わたしがすでに、人間たちが最もよく予言することのできるところ、つまり、まさに死のうとしているときにあるからである。すなわち、わたしが主張することは、わたしを死刑に判決した諸君!復讐が諸君にすぐに、わたしの死後やって来る、それはゼウスにかけて、諸君がわたしを死刑に判決したようなものよりもはるかに堪え難いものであろうと。というのは、今、諸君は生活の吟味を受けることよりのがれようと思ってこのことをしたのであろう、が、わたしの主張によれば、諸君にとって全く反対のことが結果することになるだろうから》

 

 などとソクラテスは主張しています。それは静かに、淡々と死を受け入れたという私の勝手な印象とは違いましたが、かえって人間として当たり前だなあとも感じました。まあ、何度もここで書いてきたことですが、人間は変わりませんし、その人間がつくる社会も時代が遷ろおうとそう変化するものではないと。まさしく「人間だもの」は至言であるなと。ただそれだけでした。

 

 

 私は可能な限り、1日に1度は書店に立ち寄り、どんな新刊が出ているかチェックするのが楽しみなのですが、最近はドイツの哲学者、ニーチェに関する書籍がどんどん出ていますね。超訳だとか漫画による解説だとか、ベストセラーとなっている本もあるようです。

 

 なぜ今ニーチェなのか。偽善と欺瞞に満ちた日本社会の閉塞感が、かえって一切の保身も妥協も許さずに物事の本質を見つめるニーチェのどこまでも強く、同時に、神経が剝き出しになっているかのように研ぎ澄まされた繊細な眼差しを新鮮にしているのでしょうか。

 

 以前のエントリで何度か書いたことがありますが、私は高校3年生のときにニーチェの「このようにツァラトゥストラは語った」(吉沢伝三郎訳・注)と出会い、あまりの深さとおもしろさに読み終えると同時に最初から読み返し、その度に新しい発見をして結局そのまま続けて7~8回読んだという経験があります。

 

 17歳だった私にとり、この本は頭の中で漠然と考えてはいたものの、明確な言葉として整理できていなかったことが、これでもかというほどはっきりと記されている、いわばバイブルとなりました。以後もこの年になるまで折にふれて読み返し、仕事でも私生活の上でも、ことあるごとにその言葉を思い出します。もちろん、我田引水の素人理解であり、正確な解釈ができているわけではありませんが、書物はそれでいいのだとも思っています。

 

 そこで本日は、ツァラトゥストラの言葉の中から、私が高校生のときにオレンジ色の色鉛筆で傍線を引いたもので、今の気分に合うものをいくつか紹介したいと思います。若いころに気に入った言葉なので、あるいは感傷的な部分もあるかもしれませんが、27、8年が経つ今でも味わい深いものがあります。

 

 《生は耐えがたい重荷である。しかし、そうだとしても、頼むから、さあそんなに敏感なふりをしないでくれ!われわれは残らず、重荷に耐える健気な雄ロバと雌ロバなのだ。(中略)愛のなかには、つねにいくらかの狂気がある。だが狂気のなかには、つねにまた、いくらかの理性がある》(読むことと書くことについて)

 

 《わたしはきみたちの心の憎悪と嫉妬を知っている。きみたちは、憎悪と嫉妬を知らないでおれるほど偉大ではない。されば、それらを恥じないでおれるほど偉大であれ!(中略)きみたちは、憎むべき敵たちだけを持つことが必要であって、軽蔑すべき敵たちを持ってはならない。きみたちは自分の敵を誇りとしなくてはならない。その場合には、きみたちの敵の成功は、きみたちの成功でもあるのだ》(戦争と戦士たちとについて)

 

 《もはや彼らに対して腕を振り上げるな!彼らは数えきれないほどいる。そして、ハエたたきとなることは、きみの運命ではないのだ》(市場のハエどもについて)

 

 《きみたちが敵を持っていたら、敵の悪に報いるに善をもってするな。というのは、そういうことをすれば、相手を恥じ入らせることになるだろうからだ。(中略)相手を恥じ入らせるよりも、むしろ腹を立てよ!》(毒ヘビのかみ傷について)

 

 《きみたちの崇拝がいつの日にかくつがえったとしたら、どうだろう?(倒れかかってくる)立像に打ち砕かれないよう、用心せよ!》(贈与する徳について)

 

 《わたしは、同情することにおいて至福を覚えるような、あわれみ深い者たちを好まない。彼らにはあまりにも羞恥心が欠けているのだ。(中略)ああ、同情深い者たちにおけるよりも大きな愚行が、この世のどこで行われただろうか?また、同情深い者たちの愚行以上に多くの悩みをひき起こしたものが、この世に何かあっただろうか?》(同情深い者たちについて)

 

 《或る者たちは、みずからの一握りの正義を誇り、この正義のために、一切の諸事物に対して罪を犯す。そこで、世界が彼らの不正の中で溺死させられるのだ》(有徳者たちについて)

 

 《みずからの正義について多弁を弄する一切の者たちを信用するな!(中略)彼らが自分自身を「善にして義なる者たち」と称するとき、忘れるな、パリサイの徒たるべく、彼らに欠けているのは――ただ権力だけであることを!》(タラントゥラどもについて)

 

 《自分自身を信じない者は、絶えず嘘をつく》(汚れなき認識について)

 

 《彼らはみな、自分の水を深く見せようとして、それを濁らせるのだ》(詩人たちについて)

 

 《わたしを欺く者たちを警戒しないでいるために、欺かれるに任せること、これが、人間と交わるための、わたしの第一の賢さである。(中略)虚栄心の強い者の謙虚さの深さを、誰が完全に測りきれよう!(中略)きみたちの嘘が彼についての賛辞であれば、彼はきみたちの嘘でさえ信じる。というのは、彼の心はその奥底で、「わたしは何ものであるのだろう!」と嘆息しているからだ》(人間と交わるための賢さについて)

 

 《多くを見るためには、自分を度外視することを学ぶ必要がある》(さすらい人)

 

 《わたしが彼らのなかに認めた最悪の偽善は、命令する者たちもまた、奉仕する者たちの諸徳を偽り装うということだ》(小さくする徳について)

 

 《憎むべきものでさえあり、吐きけの種でさえあるのは、決してわが身を守ろうとしない者、有毒なつばでも毒々しいまなざしでも呑みこむ者、あまりに忍耐強い者、何事をも耐え忍ぶ者、何事につけ足を知る者である。けだし、こういうのは奴隷の流儀であるからだ》(三つの悪について)

 

 《きみがなすことを、誰もきみにそのまま仕返すことはできない。見よ、報復は成立しないのだ》(新旧の諸板について)

 

 《賤民がかつて根拠なしに信じるようになったことを、誰が彼らに根拠を挙げてみせることによって――くつがえしようか?》(高等な人間について)

 

 《語らないことが彼の狡猾さだ。かくて、彼はめったに間違うことがない》(覚醒)

 

 …こうして書き写してみて、自分の考え方がいまだに、この本に多くの影響を受けていることが改めて分かりました。本日は、ただそれだけのエントリでした。しっかし、本当にどうしていま、流行っているのかしらん?

 

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