2011年05月

 

 長年の不摂生がたたって体力のない私は、本業の方の要請でやむを得ないときを除いてあまり頭を使いたくないし、また、非常にものぐさなので、複雑な事象をいちいち丁寧に説明するのもできるだけ避けたいという、記者としては致命的な弱点も持っています。

 

 ただ、そうは言っても、こういう仕事をしている以上、何事かを書いて自分の意見や見方を知ってもらいたいという生来の性癖と矛盾した欲求も歴としてあるわけで、これまでもこのブログであれこれとしたためてきました。

 

 それでここ数日、これからこのブログを自分にとってどう位置付けようか、どんな体裁をとろうか、どう運営しようかと、開始から5年以上が経って今さらのようにつらつら悩んでいたのです。でも下手の考え休むに似たりで、例に何も結論は出ず、考えるのも面倒になってきたのでやめました。

 

 結局、いつものように、単なる感想を記して、それに興味なり共感なり関心なりを覚えてくれる人がいたらそれでよし。またこれもいつものように、気にくわないなら読まなきゃいいのに、という不思議な人たちからの反感を買うのもまたしょうがないと。別にここで1円だってカネを取っているわけではないので、好き勝手にやろうと改めて思いました。

 

 というわけで、ここしばらくの菅直人首相と政府の動き、反応を見ていて、またしてもニーチェの言葉をいくつか思い出したので、少し紹介し、私の雑感を添えてみます。

 

「それは私がしたことだ」と私の記憶は言う。「それを私がしたはずがない」――と私の矜持は言い、しかも頑として譲らない。結局――記憶が譲歩する。》(善悪の彼岸)

 …枝野幸男官房長官も海江田万里経済産業相も細野豪志首相補佐官も班目春樹原子力安全委員長も、そして菅首相自身も原発事故発生からの言動をたどると食い違いや矛盾だらけ。各人とも、自分の中で都合よく改変された記憶をたどって物を言っているんだから、そんなものかもしれませんね。

 

狂気は個人にあっては希有なことである。しかし、集団・党派・民族・時代にあっては通例である。》(同)

 …政府も民主党も野党・自民党も、個々の構成員はこのまま進んでもダメだと分かっているだろうに、集団となるとぐずぐずに。あるいは狂気の指導者をひたすら擁護するばかり。

 

悪意のように見える不遜な善意もある。》(同)

…前のエントリでも書きましたが、私は必ずしも「彼ら」のやっていることが悪意に基づいているだなんて考えていません。しかし、その出発点から間違っている勘違いと度し難き無能さと、根拠の分からない傲岸さにより、結果的に悪意としか見えないことも、確かにあります。

 

良心の痛みをあまり感じない。――人類に対する自分の意義を口にのぼせる人は、卑近な市民生活上の正しい振る舞い方に関しては、契約や約束を守らなくとも、あまり良心の痛みを感じない人物である。》(人間的、あまりに人間的)

 …菅首相が官邸内でつぶやく口癖の一つは、「歴史に名前を残したい」だそうです。震災発生後、いま首相でいることは「運命」だの「宿命」だの、自分に酔いきった言葉を繰り返し、国会答弁を見ると、それが他者からは傲慢に見えることも理解できないでいるようです。で、えてしてこういう人物は、マニフェストだって、個人的な信義の問題だって、「歴史の評価を待ちたい」とか言って無視しちゃうものなのでしょうね。

 

日常の尺度。――極端な行為は虚栄心に、平凡な行為は習慣に、瑣事に囚われる行為は恐怖心に基づくものと見れば、めったに間違わないであろう。》(同)

 …菅首相の周囲によると、菅首相は「もの凄く大きな話も好きだし、とても小さなことにもこだわる。だけど、一番肝心なその中間への関心が欠落している」のだそうです。確かに、地道な復旧活動を飛び越して復興構想会議をつくって号令をかけたり、海江田氏に一言も相談せずにソーラーパネル1000万戸と表明したりと、「大風呂敷を広げる」(菅首相自身の言葉)のは好きですね。

 一方で、原発事故の対応をめぐっては、例えば東電のエンジニアが「ご説明」に行くと、肝心な説明は聞かずに「あれはどうなんだ」「これはどうか」と本筋から離れた技術的なことを矢継ぎ早に質問し、相手が答えに窮するまで続けて最後は勝ち誇るというのですから始末におえません。

 福島第一原発の非常用電源であるディーゼル発電機が壊れた際も、普通の政治家ならば、「その事態にどう対策を打つか」を考えるところを、菅首相は「なぜディーゼル発電機が壊れたのか」の原因究明に異常な関心を示し、議論がなかなか対策まで進まなかったと聞きます。

 ある省庁幹部は「震災発生当初の菅首相のクレージーな原発へのこだわりで、(あまり考慮されなかった)被災地支援は10日遅れた」と言っていましたし、福島県の現地対策本部でも同様の指摘を聞きました。やれやれですが、確かに菅首相は時折、ひどく脅えた表情を見せます。根はよほど恐がりなのでしょう。

 

半可通。――半可通は、全知よりも圧倒的勝利を博する。それは、事物を実際よりも単純に掴まえるから、それでその意見の方が分かりやすく、また説得力が強くなるのである。》(同)

半可通。――外国語を少ししか話せない人は、上手に話せる人よりも、外国語を嬉しがる。楽しみは半可通の人の方にある》(同)

 …上の事例にしても、まあ「僕はものすごく原子力に詳しい」と自慢するような菅首相ですから、さもありなんですね。半可通の口出しが一番危ないという世間の常識も、この人には通用しません。

 

 週明け以降、国会では内閣不信任案提出問題が大きな焦点となります。ただ、私はその帰趨自体より、その先に見えてくる政界再編、民主党・自民党の枠を超えた新しい動きに注目し、期待したいと思っています。

 

 もう民主党は論外だが、自民党にもいまさら期待は持てないという有権者の、新たな受け皿(今もみんなの党その他ありますが)が生まれる可能性が、これまで以上に高まっているのではないかと、ささやかながらそんな予感もします。まあ、そんなに楽観しているわけでもありませんが、少しは楽しい夢も見てみたいし。

 

 

 私の大好きな時代小説の一つに、池波正太郎氏の「仕掛人・藤枝梅安」シリーズがあります。池波氏はこのシリーズの主題として、こう書いています(講談社文庫「殺しの四人」あとがき)。

 

 「人間は、よいことをしながら悪いことをし、悪いことをしながらよいことをしている

 

 全くその通りだと思います。また、シリーズの中の一つ、「梅安蟻地獄」には、その主題について別の表現をしたこんな一節があります。

 

《ただ本能的に、無意識のうちに、藤枝梅安が体得していることは、

善と悪とは紙一重

 であって、

その見境は、容易につかぬ

 と、いうことであった。》

 

 これまた納得のセリフであり、私のような半端物のどうでもいい半生を振り返っても「そうだよなあ」と、しみじみ得心がいくのです。そもそも人生も仕事も、思うように運ぶことの方が珍しいし。

 

 なので、私が日頃、批判的に書いている菅直人首相にしてもその政権にしても、別に彼らのすべてが悪意に満ちて、日本を故意に貶めよう、滅ぼそうとしているなんて思ってはいません。国益よりも保身を優先させているようには見えるのはどうしようもありませんが。

 

 むしろ、彼らも主観的には「よかれ」と考えていろいろと動いているのだろうなとは当然考えています。その結果は全く評価できませんし、そもそも出発点と方向性が間違っているので、いい結果を生むわけがないとも思っているわけですが。

 

 したがって、批判的な記事を書く際にも、まあ、彼らにもいろいろと言い分はあるだろうなということは当然、理解しています。それでも、こっちはこっちの取材と定点観測から「こうだ」と認識したことは、指摘しておくべきだと思いますし、それが仕事でもあります。

 

 ただ、今回の原発事故への初動対応をめぐる混乱について、政府筋が記者団に次のようにさも些事であるかのように言い放つのを聞くと、やっぱりふつふつと怒りがわくわけです。この人たちは「反省心」というものを持たないのかと。ああそうでした、菅首相は国会で何度もそもそも「心がない」と指摘されていましたね…。

 

「何であんなニュースになっているの?新聞見てもそうだけど。何がニュースか分からない。『再臨界の可能性はゼロではない』って、その水素爆発が起きた時に班目春樹原子力安全委員長に言われたら、それは検討しなきゃってなるでしょ。何がそんなニュースになるのかなあ?」(政府筋コメント)

 

 菅首相の言動をきっかけに海水注入が中断した、という疑惑がそんな取るに足らないことでしょうか。梅安がいたら「仕掛け」を依頼したくなる、そんなきょうこのごろでした。

 

 ※今発売中の週刊ポスト書評欄で、東大の山内昌之教授が私の著書「政権交代の悪夢」を取り上げてくれました。この場を借りてお礼を述べたいと思います。ありがとうございました。

 

 

 「敵に回すと怖い」という人物がいますが、西岡武夫参院議長はその典型例ではないでしょうか。産経新聞のインタビュー、読売新聞への投稿と連日、菅直人首相に即時辞任を迫り、昨日の記者会見でも菅政権のこれまでを「全否定」してみせました。

 

 三権の長にここまでいわれて平気で居座る菅首相もたいしたものですが、西岡氏の舌鋒も確信と鋭さに満ちています。昨日の記者会見でのやりとりを、原川貴郎記者がテープ起こししてくれているので、ここで紹介します。あれこれ付け加える必要がないほど面白い。深い共感を覚えます。

 

記者:参議院の長が総理の進退に言及するのは極めて異例だが、(読売への)寄稿の真意は

 

西岡氏:まあ、あそこに書いてある通りですね。

 

記者:この寄稿は参院議長西岡武夫として?

 

西岡氏:そうです

 

記者:政治家西岡武夫ではなくて参院議長?

 

西岡氏:よく、事柄は違いますけども、総理大臣がたとえば、靖国神社に参拝するときに、総理大臣ではなくという分け方をされた方もおられましたよね。私は、そういう分け方っておかしいと思ってますから。私が発言するときはいつも参院議長という自覚の下でやっております。

 

記者:そうすると参院としてのメッセージと受け止められる

 

西岡氏:いや、それは別に院議をもってではありませんから。参院議長としての見解でございますから。

 

記者:いろいろ書かれた中で端的に言えば、菅総理の何がダメなのか

 

西岡氏全部ですね。だって今日の衆議院のあれ(本会議の質疑)、ご覧になっててもおわかりでしょ。答弁しないじゃないですか。復興構想会議の答えを待ってから、何のために内閣があるんですか。おかしいでしょ。

 

記者:以前から菅さんの問題点を指摘されているが

 

西岡氏:あそこ(読売)に書いてあるように尖閣諸島について(中国漁船衝突事件)ですねえ、政治が逃げたと。検察に押しつけて逃げたと。これはもう、極めつけでしたね、初めっから。

 

記者:今までも菅政権を批判してきたが、なぜこのタイミングで寄稿したのか

 

西岡氏:実はサミットがありますね。そういうこととか、G8とか、G7とかという国際的な会議に(首相が)お出になるにあたって、やっぱり、我が国が、特に原発の問題、事故を起こしたと。そのあとに開かれる国際会議、かなり重たい国際会議ですから。その前に、きちんとした日本の状況とこれからの方針を語れる総理大臣に行ってもらいたいと。そういう気持ちでございます。だからこの時期だったんです。

 

記者:この寄稿は直接菅さんや官邸に届けているのか

 

西岡氏:はい。届けております。昨日の18:30。

 

記者:何らかの返答は?

 

西岡氏:まったくありません。

 

記者:菅さんが今日国会でも、退陣する考えはないと改めて表明しているが、これに対してどう思うか

 

西岡氏:まあそれは菅さんはなかなか、いま政権の座にしがみついて権力を手放さないと。そういうご性格だろうと思すね。

 

記者:この後、議長として議長の主張を通すために、どういった行動をしていく考えか

 

西岡氏:そうですねえ。まあ、私として今、この段階でできることは、ほぼやったわけですね。これ以上はなかなか私の手は及ばない。特に総理大臣に対するだめだということについてはもちろん、参議院でも問責というような話もちらほら出ておりますけれども、一義的には他の国務大臣とは違いますから、内閣首班ですから。衆議院でどうされるのか、私がマスコミを通じて私の考え方を述べたことによって、いささかでも、心ある同僚議員の皆さん方がこれではいけないという行動を起こされるというきっかけになればと思っております。

 

記者:同僚議員というのは与野党問わず?

 

西岡氏:そうですね

 

記者:総理退陣には内閣不信任案しかないが、内閣不信任案についていつごろどういった結果が、どういった段階で出るべきだと思われるか

 

西岡氏:これは衆院のことですから、私も参院議長という立場でございますから、そこはこれ以上は踏み込んで申し上げるのは衆院に対して問題があると思いますから、これ以上は言及をいたしません。

 

記者:北沢俊美防衛大臣が今日の衆院安全保障委員会で、(西岡氏は)一方的に話していると批判したが、感想や反論はあるか?

 

西岡氏:まあ、それは外務大臣もなんかおっしゃったというふうに聞いておりますけども、それはそれぞれの閣僚としておっしゃったのかという分類はできませんから。政治家の皆さん方がそれぞれの立場でお考えになっていることであって、私からいろいろと申し上げることではありませんが、防衛大臣がおっしゃるのは、寄稿文の中にも書いておりますように、国家安全保障会議を開かないで、10万という自衛隊のだいたい4割ぐらいの隊員をどういう理由であれ動かすということについて特に今回の東日本大震災、これは自衛隊の大変なご努力をいただいているわけですけども、これについてはやっぱり会議を開くべきだあったと。その当事者の大臣からそういうお話をいただくのは、私としては意外ですね。会議を求めるべき立場だったんじゃないでしょうかね、総理に対して。

 

記者:議長が菅総理に不満を募らせたのは、諫早湾干拓事業のときに上告しなかったことからかと思ったが、参院の議長としてそういうことをあえて口にされるのは?

 

西岡氏:諫早干拓なんて、そういうなんといいましょうか、これも国策ですから、それがどうだってことじゃないんですけど、今度の私のことはいささかの関係もないですから、それは混同してもらっては困ります。

 

記者:今後参院で首相問責決議案が可決された場合、議長が本会議のベルを押さないということは考えられるのか

 

西岡氏:は?

 

記者:本会議を開かないという選択肢も考えられるか

 

西岡氏:それはその、まだ通ってないんですよ。通ってないですからね。出てもいないですから。

 

記者:出たら考えると?

 

西岡氏:それは、こういう問題というのは、この間の子ども手当の問題のときも、事務総長と二人本会議場でまったくわからなかったわけですね、可否同数になると。そこで決めるわけですからね。それを今から想定するということは、どうでしょうか。

 

記者:憲法上は総理に解散権という防御措置があるが、参院にはそれがない。この憲法上の問題はどう考えるか

 

西岡氏:これは私が、国会議員として、また参院議長という立場で、現状を見るに見かねて書いたわけでございますから、もちろん、私が全責任がございます。これについて同僚の議員の皆さん方が、党派、どの党派ということではなくて、西岡の発言はけしからんということであれば具体的なことになるでしょうから。

 

記者:具体的にというのは、議長不信任案が出るとか

 

西岡氏:まあ、そういうこともあるのでしょうかね。もしも、私が言っていることが間違っているなら。しかし、私は間違ってないと思いますね。私は。ま、だからこそ書いたんですけど。まあ書いてないこともたくさんありますから。それは、なんでもかんでも全部、洗いざらいすればいいっていうもんじゃありませんから、私もある程度、筆を抑えてといいますか、この頃はパソコンで私も書いてますから、キーボードを押すのを抑えて。書いてないこともありますから。もっと皆さん方が聞かれたら、えーって思われるようなこともあるんですよ。だけど、それはこの場では申し上げません。

 

記者:改めて総理に不満が募られた発端は

 

西岡氏不満じゃないですよ。冗談じゃないですよ。怒りですよ。

 

記者:その発端は?

 

西岡氏:尖閣以来ですね。ずっと。今度の東日本大震災については初めっから私、怒っているんですよ。3月13日に定例の記者会見があったんですよね。そこで私は福島の、東電福島の原発が、言葉はそういう言葉を使わなかったが、メルトダウン起こしているんじゃないかという趣旨のことを13日に述べているんです。で、皆さん方には書いていただけなかったけれども、結局、そうだったわけでしょ。何日か前にわかったわけですね。そういうこともぜひ思い起こしていただきたい。

 

記者:議長の発言に対して、民主党の一部議員から越権行為だという指摘も出ているが、そういう指摘に対してはどのように

 

西岡氏:私に直接にだれも言ってきませんよ。それはやっぱり何といいますか、直接おっしゃらなければ。

 

記者:菅政権が発足してからまもなく1年になるが、菅内閣を評価するとどうですか

 

西岡氏:…ないですねえ。(評価する点)残念ながら。

 

記者:批判でも結構です。批評。

 

西岡氏:批評はもうずっとしてまいりましたから。結局、さっきもどなたかと話していたんですけどね、菅さんの年代ですから、デジタル時代の世代ではないんだけれども、菅さんの思考というのは何かこう、デジタル的にポンポンポンとものごとに反応されて、アナログというといかにも古いように思われるけれども、連続性がわからないんですね。針の連続性が。私なんか、最近はあんまり街頭演説はしないけれども、演説してて、針の動き方で自分がどれぐらいしゃべっているかわかるんですね。デジタルだと、ポンと飛ぶわけだから、時間の調整が効かないところがあって、アナログが使っているわけですね。ところが菅さんは、私その話してたら、その方はこんなん言われましたね。テレビゲームみたいに、ポーンと出てきたのをポーンとうつとかね、そういうタイプじゃないか。それはやっぱりちょっと総理大臣としてどうだろうかなという思いですね。敢えていえば。

 

記者:そこまで酷評される総理大臣に「辞めろ」と言わない民主党議員は菅さんと同レベルか

 

西岡氏:いや、そうは思いません。やっぱり民主党の議員で。自分の党が政権をとって、そこから少なくとも代表として選んで、その方が内閣総理大臣になっているわけです。それはなかなか言えないでしょうね。言いたくても。だけどもう、日本はですねえ、やっぱり昭和20年の8月15日、今回の平成23年の3月11日、大きな区切りなんですね。私はそう思うんですね。ここでこれからの政治をどう、日本の政治をどう展望するかということを総理が、もう2カ月過ぎているんですから、語らなければいけない。と私は思っているんですね。審議会とか構想会議はいいんですよ。総理の考えを示してくれればいいんですよ、それが私の考えと違っていても、仮に。

 

記者:国際会議で、これから方針を示す総理に言ってもらいたいということだが、どなたか念頭になるのか

 

西岡氏:いいえ、それはまったくありません。(了)

 

 …こうした一連の西岡氏の発言について、民主党参院のドン、輿石東参院議員会長は昨日の記者会見で、こう述べました。

 

もうこれは黙ってはいられない、やむにやまれない、そういう思いで、自分の意見を主張されたということでいいじゃないですか。それが間違っているとか間違ってないとか、そういうことは、言えないと思いますよ。一政治家として長いキャリアのある議長ご自身が、今の状態をそれだけ深刻に心配をされているということでしょう」

 

 そして、参院幹部はこんな自虐的な句を披露しました。

 

 「もうダメだ 党内みんな メルトダウン

 

 だから、早く菅首相を降ろさないと、民主党も日本もみんな溶けていくとずっと言ってきたわけですが…。民主党出身の西岡氏にここまで言わせておいて、自民党はじめ野党がきちんと行動できないとすれば、それはもう日本の政治はおしまい、ということかもしれません。

 

 

 ついさっきまで、菅直人首相の記者会見に出席し、1番前の列に座って手を上げ続けましたが、またしても指名されず、質問はできませんでした。4月12日の記者会見を最後に、産経は一度も質問できていません。

 

 さすがは国民の声に耳を傾け、情報公開が旨だと掲げる菅政権です。言っていることとやっていることがこれほど徹底して違うと、いっそ清々しいくらいです。

 

 と、記者会見の途中から何だか笑えてきました(笑っている場合ではありませんが)。菅政権のデタラメを知りながら民主党の議員の皆さん、いま声を上げずにいるあなた方は、この菅政権と「同類」「仲間」「同じ穴のナントヤラ」という決して消えない烙印を今、押されつつあるのですよ。

 

 このままでは、生きている限り、「ああ、あの無能で卑怯な…」とひとくくりにされるのです。私の知ったことではありませんが。

 

 「政(まつりごと)を為すは人に在り」(中庸)

 

 …最近はこういう言葉ばかり頭に浮かびます。つくづく空しいなあ。

 

 さて、菅直人首相は14日夜、東京・赤坂の日本料理屋でソフトバンクの孫正義社長と会食をしましたね。孫氏については、今回の東日本大震災に当たって私財100億円を寄付するという義挙を行った人なので、あれこれ言いたくないのですが、この会食の際に菅首相を元気づけるという愚挙に出ました。

 

 同席していた福山哲郎官房副長官の説明によると、孫氏はこう語ったそうです。

 

 「嵐のど真ん中で船長を代えると言われても困る。そんなことはありえない。とことん頑張ってください。」

 

 震災発生以来、この一見良識のように見えて、実は的外れで根拠のない言説のなんと多いことか。朝日新聞や毎日新聞は一生懸命「今は総理を代えるべきときではない」とお題目を唱え、有害無益の菅首相を支えようとしていますが、それは国家国民に対する犯罪行為だとすら感じます。

 

 西岡武夫参院議長は、孫氏とは逆にこう指摘しています。

 

 「『急流で馬を乗り換えるな』という言葉があるが、急流を渡れず流されているのであれば、馬を乗り換えなければならない」

 

 至極真っ当で当然のことであると考えます。第一、危機の時代だからリーダーを代えないという考え方は、一見もっともらしく感じられる部分もありますが、過去の例を見ても正しくありません。孫氏は「ありえない」と言ったようですが、歴史上、いくらでもある話というのが事実でしょう。

 

 日本の歴史を振り返っても、国家存亡の危機にあった先の大戦中、東条英機元首相は辞任し、小磯国昭元首相、鈴木貫太郎元首相と代わってわけですが、何がなんでも東条氏が続けた方がよかった、と言えるでしょうか。

 

 英国では、第二次世界大戦の最中の1940年5月、ドイツとの融和路線・政策で失敗したチェンバレン元首相が辞任し、チャーチル元首相が後を襲っています。チャーチル氏の著書「第二次世界大戦」によると、5月8日の議会で、ロイド・ジョージ氏はこうチェンバレン氏を追及しました。

 

 「私は、首相こそ犠牲の模範を垂れるべきであることを厳粛に言う。なんとなれば、この戦争において、首相がその任を犠牲に供すること以上に勝利に貢献することはないのである

 

 もちろん、過去の戦争と現在の震災復旧・復興とは異なりますが、英国の勝利は、優柔不断なチェンバレン氏が身を退いて、チャーチル氏が首相に就いたことよって導かれた部分もあるはずです。

 

 一方、わが国の現状はどうでしょうか。ちょっと話は飛びますが、美人を形容する言葉に、次のようなものがありますね。

 

「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」

 

 これに対し、最近聞いたところでは、菅首相の現在を表す言葉には、こんなものがあるそうです。言い得て妙であります。

 

立てば国難、座れば人災、歩く姿は風評被害

 

 こんな存在をかばってどうしようというのでしょうか。理解に苦しみます。…ところで、月刊文藝春秋6月号の元テレビ朝日ロンドン支局長の廣淵升彦氏のコラムによると、チャーチル氏は海相時代の1914年11月、第一次世界大戦の最中にこう演説したそうです。

 

 「The maxim of the  British people is "Business as usual" (我らイギリス人の至宝ともいうべき言葉は「何事もふだんのとおり」である)

 

 日本も見習いたいものだと感じました。

 

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