2012年08月

 

 きょうは昨日のエントリの続きです。慰安婦問題をめぐる大阪市の橋下徹市長の言葉の中で、もう少し説明を加えた方がいいと感じたキーワードを、手元にある現代史家、秦郁彦氏と西岡力氏の著書から引用して訪問者の皆さんの参考にしてもらいたいと思います。まあ、知っている人はもともと知っているという話ばかりですが、頭の整理にもなるので。(※傍線、太字は阿比留)

 《国家補償派の理論的支柱となってきた吉見義明中央大教授の場合を見ると、最初期には「軍関与は明々白々」(92111日付朝日)「関与のレベルを超え、(国の)責任は免れない」(9227日付朝日)と控え目だった。

 この段階では募集時の強制連行が焦点になっていたのだが、唯一の日本側証人である吉田清治の慰安婦狩りが虚構らしいとわかったので、「強制連行というと人狩りの場合しか想定しない日本人が多いが、これは狭義の強制連行であり、詐欺などを含む広義の強制連行の問題をも深刻に考えてしかるべき」(9211月発行『従軍慰安婦資料集』序文)と言い出す。

 ところが、朝鮮半島で「詐欺など」の手法で女性を連行したのは、元慰安婦の証言によっても、ほとんど朝鮮人のブローカーだったことが知れてきたので焦点を移し、「多くは官憲が直接手を下したものではないが……国家に責任がないということにはならない」とか、(中略)強弁するようになる。

 それでも「強制連行」説をあきらめたわけではないらしく、96520日のETV特集では「日本政府が資料を隠しているからだ」と発言したので、「具体的に思い当たる資料があるのか」と本人に聞いてみると、「そうではない」との答えだった。》(秦氏『現代史の争点』、文藝春秋、19985月発行)

 →安倍内閣のころ、安倍首相が「狭義の強制連行はなかった」と語ったことについて朝日の記者が「狭義の強制連行の意味がわからない」とかみついたことがありました。私は、それは朝日がやたらめったらと重用し、朝日の主張の根拠としてきた吉見氏が言い出した言葉なのに、そんなことも知らずに質問しているのかとあきれたのを覚えています。安倍氏としては、わざわざ左派用語を使うことで皮肉を込めて反論したのに、無知で不勉強な相手には通用しなかったというわけです。

 《では吉田清治が「昭和1819年の2年間で千人以上」(赤旗1992126)と語り、「吉田さんらが連行した女性は少なくみても950人」(朝日新聞『窓』92123夕刊)と報じたような、文字どおりの強制連行は本当にあったのだろうか。

私は78歳で健在の吉田に連絡して「裏付けをとりたいので済州島の慰安婦狩に同行した部下の誰かを紹介して欲しい」と頼んだが、彼は「本を書くとき23人に会って記憶を整理した」ことは認めたものの「あちこちから聞かれるが、絶対に教えられない」と拒絶した。

そうなると現地へ行ってみるしかない。日付と場所が特定しているのは、済州島の例しかないからだ。

結果的に出かけただけの成果は色々とあったが、細部は省略して1989年に吉田著が韓国語訳されたとき、『済州新聞』の許栄善記者が署名入りで書いた紹介記事(1989814)を入手したので、その一部を次に転載する。

(中略、吉田著の概要を紹介)

しかしこの本に記述されている城山浦の貝ボタン工場で15--16人を強制徴発したり、法環里などあちこちの村で行われた慰安婦狩りの話を、裏づけ証言する人はほとんどいない。

島民たちは「でたらめだ」と一蹴し、この著述の信ぴょう性に対して強く疑問を投げかけている。城山里の住民のチョン・オク・タン(85歳の女性)は「250余の家しかないこの村で、15人も徴用したとすれば大事件であるが、当時はそんな事実はなかった」と語った。

郷土史家の金奉玉(キム・ポン・オク)氏は「1983年に日本語版が出てから、何年かの間追跡調査した結果、事実でないことを発見した。この本は日本人の悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物と思われる」と憤慨している。》(秦氏『昭和史の謎を追う・下』、文藝春秋、19933月発行)

 →私も以前、何度もこの吉田氏に取材を申し込もうと試みましたが、吉田氏は電話口に出てくることさえありませんでした。産経の取材は徹底的に避けていたようです。また、済州島出身の呉善花さんも以前、「済州島で慰安婦狩りなんて話は聞いたことがない」と語っていました。

1992731日、韓国政府は「日帝下の軍隊慰安婦実態調査中間報告書」(211ページ)を発表したが、内容の大部分は吉田清治証言など日本側の既公表情報で、独自調査による新事実はほとんどなかった。報告書は、募集が「詐術あるいは威圧的雰囲気による方法」で行われたことを強調しているが、韓国人用の慰安所が存在したこと、慰安婦を雇った業者に朝鮮人のいたことも認めている。》()

→結局、李明博大統領をはじめ日本に激高してみせている韓国人たちは、こうした自国の報告書の内容もろくに知らないか、意図的に無視しているのでしょうね。また、韓国は外国だからそういうことも当然あるだろうと思いますが、日本国内に外国勢力をそそのかし、あおり立てる人たちがけっこういるのが気が滅入ります。

金学順氏は訴状では、貧しさのため40円で朝鮮人養父にキーセンとして売られ踊りなどを仕込まれた後養父とともに「北支」の日本軍駐屯地に連れていかれたとしているのに、同書(韓国挺身隊問題対策協議会・挺身隊研究会編『証言集Ⅰ強制で連れていかれた朝鮮人軍慰安婦たち』)では養父に連れられ北京に行き市内の食堂で昼食を取っている時に日本軍将校に襲われ連行されたと語っている。》(西岡氏『コリア・タブーを解く』、亜紀書房、19972月発行)

→まるで鳩山由紀夫元首相のように発言内容がブレています。こういう人に本当に証言能力があるのかと疑問がわきますね。この金氏を「この人が慰安婦です」とNHKに連れてきてニュースに仕立てたのが現在の社民党党首、福島瑞穂弁護士なわけで、吉田氏の事例もそうですが、結局は韓国側もバカだけど、一番悪いのは日本人だという結論になります。悲しい限りです。

きょうは疲れたのでここまでとしますが、この問題は引き続き、取り上げていきます。今の状況は、事実関係を広めるチャンスだと思います。

 

 

本日の大阪市の橋下徹市長の慰安婦問題に関する記者団とのやりとりが実に興味深かったので、論評を加えずそのまま関連部分の全文を掲載します。なかなかポイントを押さえていて、やはり賢い人なのだろうと感じました。

 

Q赤旗 慰安婦問題だが、橋下市長は強制の事実は確たる証拠はないといったが、河野談話をみていると強制の事実を認めているが見直すべきか

 

橋下氏 2007年の閣議決定はどうか。鳥の目というか全体の視野を持たないと。2007年の閣議決定では、強制連行の事実を直接示す記述は見当たらなかったと、そういう閣議決定が安倍内閣のときになされている(※「政府が発見した資料の中に、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述は見当たらなかった」)。僕は歴史家ではないから、すべての資料について、古文書等含めて行政文書を含めて全部調べたわけではないので、政治家として93年の河野談話と、それについての2007年の閣議決定、この2つをもとにして自分の意見を組み立てている。

 

河野談話でいろんな表現はあるけれども、しかし2007年に強制連行を示す、それを裏付けるような、直接の証拠はなかったということを2007年の安倍内閣のときに閣議決定がされているわけです。そうであれば河野談話の中身をもう一度しっかり疑義がないように内容を見直すのか、それとも2007年の閣議決定が間違ったのかどちらかですよ。

 

で、僕は2007年の閣議決定というのは、河野談話出した以降、日本政府が閣議決定をやっている以上は責任をもってやっていると思いますよ。河野談話は、閣議決定されていませんよ、それは河野談話は談話なんですから。

 

日本政府が、日本の内閣が、正式に決定したのは安倍内閣のときの2007年の閣議決定であって、そこでは慰安婦の強制連行の事実は直接裏付けられていないと、これは日本政府の決定です。河野談話は閣議決定じゃないですから、官房長官の談話にすぎない。

そういう2つの文書が出てきたときに、2つの政府からの意思表示が出てきたときに、官房長官の談話と政府の、内閣の閣議決定どちらを尊重するのか、どちらですかね、赤旗さん、それでも河野談話ですか、法的な位置づけ、一般論としてどちらが重いのか

 

Q ちょっとそれは、
 
橋下氏 そこをまず確定しないと
 
Q 一般論として、閣議決定が重い
 
橋下氏 当たり前じゃないですか。談話よりも、閣議決定に決まっている。閣議決定には、内閣全員の署名が必要なんですよ、これは。
 
Q 河野官房長官の談話は、政府もいろいろ調査して、いろんな資料にあたって出てきているわけですよね。
 
橋下氏 閣議決定もそうじゃないですか。どちらの調査に信をおかなきゃいけないんですか。談話なんていうのは、誰でも談話やってますよ。談話と閣議決定には天と地の差がありますよ。公の仕事をやっていれば、文書のポジションは非常に重要でね、市長が何か意見を出した、個人的な意見ですとか、意見交換のなかで出た組織として決定していないコメントですというのと、戦略会議できちんと決定した意見です、というのでは全然ちがいますよ。
官房長官談話というのは、官房長官の談話なんです。閣議決定は政府の決定なんですよ。官房長官談話は閣議決定してませんよ。ただ、僕は官房長官談話を今の段階で全否定できるだけの、歴史的な知識とか、歴史家ではないから全否定するつもりはないけど、しかし日本政府が2007年にやっている閣議決定の中身でね、強制連行の事実を示す証拠はなかった、と言っている。
証拠がないとなったなら、証拠をちゃんと見つけて来ましょうよ、ということです。吉田清治さんの著作も、あれも後で虚偽の主張だったということが話題になったりとか、
吉見(義明)さんという方ですが、あの方が強制連行の事実までは認められないとか、そういう発言があったりとか。まぁ、強制連行の事実については、いろんな意見ある中で、それでも日本政府は国家としての意思表示として2007年に強制連行の事実を裏付ける証拠はなかったということを閣議決定している。だから、僕は韓国側の方に事実の有無を問題視しているわけではないですよと、証拠の有無なんですと、日本政府が調べた限りでは証拠はなかったと。
それから、済州島の方の吉田清治さんの主張について、新聞社か何かが済州島で確認したら、そういう事実はないという報道が済州島の新聞社がしたとか、いろんな情報が調べれば出てくる。いろんな情報がある中で、強制連行の事実を裏付ける証拠があったかなかったかといえば、それは日本政府としてはそういう証拠はなかったといっているわけです。
それで今回、僕がこういう発言をしたら、韓国メディアは、証拠は河野談話といってきた。これは大変な、日本政府の大失態ですよ。河野談話は証拠ではないんですから。
僕ら裁判やるときに、事実の主張と証拠は別のもの。次元の違うものです。事実の主張というのは、証拠のあるなしに関わらず、事実として認識を表明すること。その認識を表明したことにかんして証拠があるかどうかというのは、証拠の問題なんでね。
だから河野談話というのは、事実主張の段階なんです。まだね。だって河野談話というのは、ああいうふうに認識を表明しただけ。証拠があるわけではな
いわけです。それを韓国側の方が、河野談話が強制連行を裏付ける証拠だと言ったというふうに言うのは、全く論理的に間違っている。だから、僕は韓国サイドの方に、強制連行の事実の有無についてね、証拠があるなら出してください、と言いたい。証言者はいろいろいたが、証言の変遷についても、いろんなところで出回っている。いまのところは日本においては客観的な証拠はない。韓国サイドのほうに証拠があるというんだったら、それを出してもらいたい。
河野談話で重要なことは、軍の関与、だから僕は軍の関与までは否定していません。そりゃ、慰安所という施設の性質からすれば、公的な管理は必要、衛生上、そして秩序上、それから戦時下という状況上、公的な管理は必要ですよ。今だって風俗営業は公安委員会の管理下にある、ある意味、慰安所という施設の性質からすれば公的な管理は必要。公的な管理があったということと、そこで働いていた慰安婦を強制的につれてきて無理矢理はたらかせていたかどうかは、別問題ですよ。
あと本人の意思に反してという言葉が河野談話のなかにあり、これを赤旗は問題にすると思うが、しかし本人の意思に反してというのは法律用語でも二つの意味があって、本人が不本意に感じているという意味と、第三者から強制的にやらされたということの意味が2つある。裁判なら、どっちかを確定するわけです。
自らの意思で行ったけど不本意だったという意味と、第三者に強制的に無理矢理させられたという意味と2つあって、どっちかはすごく重要なのに、河野談話をつくった作文者が誰か知らないけど、本人の意思に反してと入れちゃったから、不本意という意味か、強制の意味なのかはっきりさせずに入れちゃったから、これは大変な問題になった。だって強制の意味にとられかねないから。
だから河野談話というのはいろいろ問題あります。僕は今の段階で全否定するつもりはないけれども、軍の関与があった、軍が一定の管理をしていたのは、資料はいっぱいあり事実みたいです。しかし慰安婦が強制的に暴行脅迫を受けて連れてこられたかについては、そういう証拠はないと言っている。
あとは慰安婦とか、慰安所というのが倫理的にどうなのかという問題で、強制的に連れてこられたのでなければ、倫理的な問題で、倫理的にみればね、かわいそうだ、とか、不本意にそういう仕事に就いて心身共に苦痛をこうむったというのはかわいそうだという問題はね、人間としてそういう感情が起こるのは当然だと思いますけれども、強制的に連れて来たのでないという前提で、そういうしんどい仕事について大変でしたね、という気持ちを表すのは僕は否定しないけど、しかし強制的に連れてきたのではないということをはっきりさせた上で、そういう気持ちを表さないと、かわいそうですねという同情と、謝罪は別です。
だから河野談話は非常に問題で、僕はやっっぱり、ああいう形で自分の主張を、市長としてはいきすぎかもしれないが、維新の代表としてね、河野談話と2007年の閣議決定の2つの法的な文書をもとに僕の見解を述べたら、案の定、韓国サイドが強制連行の事実はね93年の河野談話だと言ってきた。これは日本政府としては大変な大失態で、ただちに是正すべきです。事実と証拠は違うんです。河野談話は証拠ではありません。2007年の強制連行を裏付ける事実はなかったという日本政府の閣議決定があります。
 
Q赤旗 証拠がないという政府の話は、公文書のことだろうと思うが
 
橋下氏 そうですね。
 
Q そうすると、ずれのない証言あると韓国サイドはいう
 
橋下氏 それを戦わしたらいい、金(学順?)さんという方ですかね、最初いろんな問題出された方は裁判まで起こしたけれども、実は自分は身売りされたんだと、日本の官憲に強制的に連れて行かれたのではなくて、いわゆる公娼制度とか、慰安所に身売りされたんだという事実も訴状に入っていたことあるし、いろんな証言あったり、いろんなものあると思うので、それを整理したらいい。
日本政府は公文書だけではないですよ、河野談話やる前の証言者にも聞き取りをやったわけで、その揺れというのは客観的な証拠になりえなかったという判断の下に2007年の閣議決定やったわけですから。
日本人なんだから、何も自分たちで証拠もないのに、悪い方に悪い方に考えることはないじゃないですか。しかし事実の有無をこの段階で確定しなくてもね、証拠をもう一回持って行ってね、日本政府はないと言っているわけですから、あるというなら赤旗が出してきたらいいじゃないですか、赤旗、いつも見てますから
慰安婦の問題は、2つの問題を間違っちゃいけない。強制的に連れてきた、これはね、あってはならない。もしそれがあるなら、誤らなきゃいけない。しかし慰安所という存在について、韓国側の主張がどっちかよくわからない、強制的に連れてきたことを問題視しているのか、慰安婦とか慰安所の存在を問題視しているのか、もし慰安婦とか慰安所を問題視しているのであれば、それは日本だけじゃないですよ、もっといえば、現代社会にあっても同じような状態、各国によって制度は違うけれども、いわゆる性を商売にすることは世界各国でもあるわけです。こういう問題について、それは倫理的によくないとか、いろんな経緯があってそうなったことはかわいそうですね、違う職業に就くならサポートしますよという話と、強制的につれて来たからごめんなさい、という話は別問題ですよ。
赤旗の記者は、今までに風俗に行ったことないのか。ないんですか、ないんですか、いままで、あ、そうですか。そしたら、まぁ、こんな所では言えないでしょうけど、世の中に風俗業なんていうのは山ほどあるわけです。倫理的に考え方はいろいろあるけど、それは強制的に連れてきて無理矢理働かせたということでなければ、それはもう倫理の問題ですよ、謝罪の問題じゃないです。
慰安婦の問題というのは、整理をして、慰安婦の問題、慰安所、これを軍が管理していた、軍の管理というのは衛生上や秩序の問題で管理しなきゃいけない、そういう施設だから、そういう話と無理矢理慰安婦をつれてきたのかという話を2つにわけて、いまは前者にしか証拠はありません。軍が慰安所を管理していました、というところの証拠しかない。慰安婦を強制的に連れてきたという証拠はない。そこを、あいまいに書いたのが河野談話で、これが問題で、慰安婦を強制的に連れてきたことを認めたのか、軍が管理していたことを認めたのか、それをはっきりさせていないというのが河野談話の一番の問題点です。これが日韓関係をこじらせている最大の元凶です。
結局こういうことをやって、領土問題にまで発展してしまった。僕は河野談話というものが、今回の日韓紛争のなかの一番の問題。日韓関係を修復する一番のセンターピン、これは韓国サイドからすれば激しい批判、反発くると思います。それでいいじゃないですか。
日本は日本でしっかり主張して、証拠のあるなしをしっかり検討して、証拠が出てきたら日本国家として謝らなきゃいけない、証拠ないんだったら、これは謝る問題ではなくて、それは大変でしたねと、そのときの状況でね、慰安婦、慰安所を、いろんな軍が併設していたり、性を商売にする場合もある、そういう問題として倫理的にどう考えるかであって、それは謝罪の問題ではない。
そこをあいまいにした日本政府の態度が、一番ダメなんですよ。そういう答弁を作ったことに関して、政治家がきちんと方針を示さなかったということが、今日における日韓関係をこじれさせている最大の原因だと思いますよ。
僕は歴史家ではないですから、河野談話と2007年の閣議決定の2つの日本政府の認識の表明をされている、この2つをもって、僕は立場を表明しているんですけどね
 
Q 慰安婦の証言は証拠にはならないのか
 
橋下氏 閣議決定ではなっていない。
 
Q 橋下さんは証拠にならないという認識か
 
橋下氏 証言の信用性があるかどうかですね。言ったから証拠とはならない。裁判でもそうです。証人が何十人、何百人出てきても、そこが信用性に足りるかどうかというところが問題。いろいろ慰安婦が証言者として出てきたが、しかし、それが40何人の証言者のうち半数近くが身売りだったとかいう話だったから、強制の話ではないという整理されたこともある。身売りの話と、家と業者の間での身売りの話と、政府が国が強制的に拉致、暴行、脅迫をもって連行したというのは別の話です。
 
Q 暴行、脅迫じゃなくて、だまして連れてきて
 
橋下氏 それは誰がだましたんですか
 
Q 業者とか含めて
 
橋下氏 業者は国じゃないですよ
 
Q 軍の関与で業者がつれてきているという事実があります
 
橋下氏 その証拠はないです。出ているものはないです。
 
Q だまされて連れてこられた場所が慰安所だった場合も強制にはあたらないという考えか
 
橋下氏 それは日本政府の話じゃないですね。民間業者と慰安婦の話ですね。
 
Q 軍の関与で
 
橋下氏 軍が関与していたのは施設を秩序と衛生管理上の問題から、管理していたのであって、慰安婦をだまして軍が連れてきたという証拠はない。
 
Q もし、それが証言としてあったとしても、証拠とはならないのか
 
橋下氏 だから、先ほどから繰り返して言うが、証言が採用されるかどうかは信用性の問題ですから。聞き取り調査をして、本当にそれが信用性あるのかどうなのか、事実と照らしてね、それから吉田清治さんの本、何というタイトルでしたっけ(「私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行」か)、要は吉田清治さんという人が、女性を縄でくくって連れてきた、自分はこういうことをやったからごめんなさい、ということを言ったところから問題になったわけでね。しかし、吉田清治さんがいくら言っても、実際に済州島で現地調査をやったら、照らし合わせたら、そういう事実はなかったということになって、吉田清治さんがいくら悪いことやった、韓国の女性を無理矢理つれてきて強制的に慰安所で働かせたんだと言っても、吉田清治さんの言っていることは虚偽ですね、となったわけです。
証言はしゃべったからすぐ証拠ではなくて、事実と照らし合わせて信用性がどうなのかという信用性をチェックしなきゃいけない。いま慰安婦問題で、強制連行があった、あったと言っている人たちは、客観的な証拠はない中で、本人たちの証言で強制連行があったといっているが、その証言内容をしっかり精査する作業を韓国政府の方も日本政府もしっかりやらないといけないと思います。
日韓紛争の根底には、慰安婦問題があるわけだから、日本政府も領土問題で激しい応酬を繰り返していますけども、結論としては、韓国の実効支配を覆すところまではなかなかいかないのだから、こういう機会をとらえて、根っ子にある従軍慰安婦問題については、日本と韓国でしっかりと証拠の有無について、論戦すべきだ。ここをうやむやにするから、いつまでたっても日韓関係が成熟しない。
だから、日本人というか、日本政府の方は2007年の閣議決定で強制連行の事実はないという、そういうスタンスで韓国に臨む。韓国は韓国で、強制連行の事実なのか、慰安所の問題なのかわかりませんけれども、日本はとんでもないことをやったということで臨む。
そりゃ、日韓、レベルの高い関係にはならない。従軍慰安婦は、強制連行の事実について証拠があるかどうかを確認する。それで強制連行の事実がない場合は、慰安婦や慰安所をどう考えるのか、当時の社会的な状況、背景から、慰安府や慰安所をどう考えるかを整理する、その作業が絶対に必要だ。
93年の河野談話はなんかうやむやにしてしまって、強制を認めたんだか、謝ったんだか、何の事実を認めたのか、どの部分を謝ったのか、うやむやにしたような形で、最悪ですよ。
2007年に閣議決定したんであれば、河野談話を僕は全否定はしないけれども、内容をきちんと明確に確定して、韓国の言い分を聞いてね、証拠のあるなしを日韓でオープンでやりあったらいいじゃないですか。とことん腹の中にたまっているものを出し合って主張をぶつけ合わないと、双方の関係がレベルの高いところにいきませんよ。
 
Q 日ごろ外交問題は慎重に発言するが、この問題は、どうしてここまで突っ込んで発言するのか
 
橋下氏 そりゃやっぱり、韓国大統領の現状維持の外交の大原則を踏み外したところがある。野田首相との間で、慰安府の問題、首脳会談の間でどういう議論になったか、僕は知りませんけども、そりゃやっぱり、日本も1965年の日韓基本条約で解決済みというだけじゃ、やっぱりダメ。裁判所の形式論理的な判断の下し方であって、従軍慰安婦について、どこが問題で、強制連行の事実があったのかどうなのか、いまの日本政府の立場はこうで、じゃあ証拠の有無についてきちんとやりましょうよとか、そういうコミュニケーションがあったのかどうなのか、僕はわかりませんけども、僕は韓国の大統領も野田首相もね、きちんとコミュニケーションとらずに、どんどんエスカレートしていく。
だけど、そんな中にあったとしても、やっぱり領土問題について現状維持を壊すのは韓国にも非があると思うし、いま応酬合戦になっていますけれどもね、やったところで実益ないわけですから、早くこの部分は収束を図って、でも、いうべきこととやるべきことはしっかりやらなきゃいけないけれども、でも、そのあとにね、慰安婦問題、93年の河野談話と2007年の閣議決定の整合性と、慰安婦の強制連行の事実の有無はね、しっかりやらないといけない。ここにエネルギーをさかないといけないと思っている。
本来は大阪市長の立場で言うべきではないけど、現状維持を韓国サイドの方が崩してきた。大統領が竹島に、これは不法上陸ですよ、わが日本国の立場からすれば、何で訪問なんて言葉を使うのかわかりませんけれども、わが日本国の立場からすれば不法上陸、そうなれば根っ子の部分については一政治家としてしっかり発言しないといけないと思っている。

しかし、隣国同士なので、早く事態の収束を図って、それから一番の根っ子の部分、慰安婦の問題が、両国の国民の心の中にくすぶっていることは間違いないから、この部分についてね、どうくすぶりを治めていくかといえば、やっぱり腹に入っているモノを表に出して、何が問題で、この問題についてはどうなんだというところをはっきりと明らかに、あいまいにせずに決着すべきだと思う。それが日韓関係をレベルの高いものにすると確信している。(了)

 

 ……李明博大統領の暴発をきっかけに、時代にいい風が吹いてきたようにもちょっと感じています。

 

 

 本日は、慰安婦問題を考える上で、大いに参考になると思う本を紹介します。この問題に関する事実関係については、西岡力氏や秦郁彦氏の一連の著作が詳しいのですが、もっと気軽に本質を理解したいという人には、故つかこうへい氏の「娘に語る祖国 『満州駅伝』--従軍慰安婦編」(光文社)をお薦めします。

 

     

 

     

 

 上の写真は、平成9年につか氏にインタビューした際に、サインしてくれたものです。在日韓国人であったつか氏が、11歳の娘に語り聞かせるというスタイルで書かれたもので、以下のような内容が記されています。

 

 《「パパはいくどんなご本を書いているの」

 「うん、従軍慰安婦のこと」

 「うまく書けたの」

 「いや、書けなくて、困ってるんだよ」

 「あかまり悲惨すぎるから?」

 「うん、それもあるんだけど…」

 確かに従軍慰安婦に関する情報はどれも恐ろしいものばかりです。

 (中略)

 「どうしたの、パパ」

 「実はね、パパはいろんな人に取材をしたんだけど、従軍慰安婦の人たちは必ずしも悲惨じゃなかったんだ」

 「えっ、悲惨じゃなかった?」

 「そうなんだよ」

 「兵隊と従軍慰安婦が恋に落ちたという話もあるんだよ」

 「ほんとに?」

 「ああ」

 「そんな、全然違うじゃない」

 おまえはほんとに信じられないというふうな感じでした。

 「だから困っているんだよ、パパは……」

 パパがいろんな兵隊さんと話して、今まで持っていた知識とはまったく違うことを知りました。》

 

 《ふと見ると、隣の人が読んでいる新聞に「慰安婦」の文字が見えます。

 それは、補償を求める団体の記事のようでした。

 慰安婦の実体を考えると分からなくなってきます。この記事とパパが取材した話とのあまりの違いに、溜め息が出そうになりました。》

 

 《従軍慰安婦のテーマは、七年前に『娘に語る祖国』を書いたときから、いつかお芝居にしてみたいと思っていました。でもなかなか完成できないでいます。

 はじめは、虐げられた従軍慰安婦を主人公に何か希望のもてる話を作りたかったのですが、取材していくうちに、従軍慰安婦が必ずしも悲惨ではなかったことを知りました。また、二等兵の辛さも知り、筆が止まっているのです》

 

 ……この種の議論は、大前提がそもそも大きく食い違っていて議論にならないことが多いものですね。韓国側にも、日本国内の無条件謝罪派にも、まずはつか氏のこの本を読んでもらいたいものだと思います。

 

 あと、このブログの累計アクセス数が3300万を突破しました。ご愛読いただき心より感謝します。これからもよろしくお願いします。

 

大阪府の橋下徹市長が、慰安婦問題について「慰安婦が軍に暴行、脅迫を受けて連れてこられたという証拠はない。そういうものがあったのなら、韓国にも(証拠)を出してもらいたい」と述べたことが話題になっていますね。

橋下氏の思惑うんぬんを推し量る記事やコメントも目にしましたが、私は日韓関係について聞かれたから、素直に思うところを語ったのだと見ています。第一、韓国側に日本を非難する証拠を示すよう求めることは、全くの正論だと思う次第です。少なくとも、日本側が八方手をつくして調べても、韓国人慰安婦に関してそういう証拠はいまだに一切見つかっていないのですから。

現在、韓国側は天皇陛下に謝罪を要求し、野田佳彦首相の親書を返送するなど、非礼と無礼を重ねていますね。もともとそういう国だと考えていたので意外性はありませんが、それでも砂を噛むような嫌な気持ちになります。

で、「韓国も日本政府もまったくなあ…」とこぼしていたところ、ふと10数年前に読んだ「日韓いがみあいの精神分析」(中央公論社、1998年刊行)を思い出したので、私が当時、アンダーラインを引いた部分を紹介します。これは、私がたびたび引用している精神分析学者の岸田秀氏と、韓国人の金両基・静岡県立大教授(当時)の対談本で、歴代日本政府が繰り返してきたその場しのぎで妥協的で国論を踏まえない謝罪が効果を生まないどころか、ときに逆効果となる理由が的確に指摘されています。

また、この本が書かれたときから現在まで、日韓関係が基本的に何も変わっていないこともよく分かります。何とも空しい話ですが。

岸田氏 いやしくも一国の首相たる者が謝罪する以上は、謝罪すべきであるという国論の統一を踏まえ、今後ともこの方針で一貫するという確信をもって謝罪すべきだと思います。そういう確信がなくて謝罪するというのは、その場の雰囲気で相手の機嫌をとるため、いい子でいたいために卑屈に謝罪していることにしかなりません。謝罪された側が「本気で謝っているんじゃない」と思うのも当然です。(中略)

金氏 私は、謝罪をすべきかどうかより、その前提が大事だと思います。謝罪すべき事実があったかなかったのか、ということです。それがあれば、日本側も事実にもとづいて「論拠があるから謝罪しない」と反論できるわけです。(中略)一方、アジア諸国も、謝罪を要求する前に、要求の根拠となる歴史的証拠をまず出さなければならないと。資料をきちんと集め、資料が集まらなければ日本側からも提供してもらい、お互いに作業しあって事実を集めて、その上で議論するべきだと思います。それを今まで、政治レベルではやってこなかったんです。

岸田氏 韓国の政治家も、日本から謝罪を取り付けることで政治的名声を高めようとするわけでしょう。人気取りのために謝罪を要求する面があるじゃないですか。前大統領が天皇の謝罪をかちとったから、自分も謝罪させないと面子が立たないと。韓国側も一貫性のある根拠をもって謝罪を要求しているのではなく、政治的人気取りのために謝罪を要求しているというところが見えるんです。

金氏 その雰囲気がないと言えば嘘です。謝罪を要求する人が、どれだけの事実を踏まえて言っているかも疑問です(後略)

……まあ要するに、日韓関係は延々と同じ所をぐるぐると回っているわけですね。そしてときどき、日本人同胞を見下し、自分だけ良心的ないい子になりたいバカな政治家が余計なことを言ったりしでかしたりして韓国側に無意味な期待感を抱かせ、かえって問題をこじらせると。

ただ、この本で金氏も自ら言及しているように、日本に謝罪や賠償を求める国に対しては、少なくともその根拠と証拠を明確に示してもらわなければなりません。政治レベルでそれを要求することが必要ですね。その意味で、橋下氏の今回の提案は、大いにヒントになるものだと感じたのでした。

 

 

 先日、福島県いわき市の親類の家に行った際に、書棚にハマコーこと故・浜田幸一元衆院議員の著書「日本をダメにした九人の政治家」(講談社、平成512月刊行)があるのを見つけ、借り出して読んでみました。

 もう20年近く前の本なので、書いてあるエピソード自体は古く、現在の政治情勢とは必ずしも符合しませんが、とにかく面白い書でした。私は政治部に配属されて14年余なので、それ以前の話はあまり記憶していないか忘れていることが多く、勉強にもなった次第です。

 知っている人、覚えている人には当たり前のことかもしれませんが、以下、「ああそういえばそうだった」「へえ、そんなものか」「うんうん、そうそう」と感じた部分をいくつか抜き書きして紹介します。

 《細川護煕首相だが、もともと〝足して二で割る〟政治の総本山であるところの田中派の一員で、田中角栄さんから可愛がられ、われわれとも交流があった》→細川氏は現在の野田佳彦首相の師匠なわけで、つくづく、民主党の政治は旧田中派に源流があるなあと。野田首相の政策顧問のような藤井裕久党最高顧問も岡田克也副総理も田中派出身だし。

 《日本新党に対しては、きっちりとした政策を持っていないとの批判もある》→そうでしたか。確かに当時の日本新党の政策ってどんなものだったか、私は記憶にありません。

 《誰かさん(※中曽根康弘元首相)はちゃっかりと両陣営(※田中、福田赳夫両陣営)から金をもらっていたことになるわけだ。「風見鶏」とか「コウモリ康(やす)」と言われる所以である》→風見鶏というあだ名ははっきり覚えていますが、コウモリ康は知りませんでした。

 《代議士がギャンブルをしてはいけないと言うなら、パチンコ好きで有名な衆院議長の土井たか子さんだって辞めなければならなくなってしまうではないか》→ああ、そういえば、土井氏が庶民派でパチンコ好きだなんて言われていたことをうっすら記憶しています。現在なら、「パチンコ好き」という特性には別の意味付けがなされるかもしれませんが。

 《ふわふわと見えることは見えるのだが、実体がないから〝蜃気楼(森喜朗)〟と呼ばれている森君は、それほどの大物だとは考えてはいない》→この蜃気楼というあだ名は、森氏の首相在任中はよく聞きましたが、なるほどずっと前から言われていたのですね。

 《(中川一郎氏は)律儀さ、純粋さゆえに悩み抜き、自らを死に追い込んでしまった》→死因は異なりますが、やはり子息である昭一氏の最期を思い浮かべざるを得ません。本来はもっと認められるべき人間としての美質が、必ずしも成功につながらず、評価もされないのが政治の世界であります。

 《今回の自民党のつぶれ方はなんだ。クソの泥沼で足をとられながら、テメエたちだけで殴り合いをし、泥のなすりつけ合いをしているから、国民もついに呆れ果てて、革命路線をとる連中と手を組んだ新党側を選んでしまったんじゃないか》→この指摘は、細川連立政権誕生を指しているのですが、後の民主党への政権交代時のありようとも通底していますね。人間のやることは、そうそう変わらないと……。

 《いつも最後まで自分の態度を決められずに周囲をヤキモキさせ、〝一本釣られの恒三〟などとからかわれている渡部恒三君》→後の政界の「黄門さま」も形無しです。ただ、中曽根氏もそうですが、長く政界で生き延びることでいつの間にか「大物」「超大物」として扱われるようになっていくのですよね。

 《金丸(※信)幹事長時代、私は副幹事長として、常に金丸さんのそばにいた。金丸さんが自動車電話で「田辺(※誠社会党元委員長)に五千万円届けるように」と指示していたのを、私はこの耳で聞いている》→この本にはこのほかにも、国会対策のため野党の誰々にいくら渡したという話がたくさんでてきます。まったくやれやれです。

 《社会党もまた田中支配、経世会支配の基盤を一方から支えてきたのである》→私が政治部に配属された後の話をすると、自民党の参院のドンといわれた青木幹夫氏と、社会党から民主党に行った角田義一元参院副議長や同じく輿石東幹事長と親しかったのは有名でした。そういえば、輿石氏の親族は同じ山梨の金丸後援会員だと聞いたこともあります。

 《「お前は意気地がないから、ヤクザはつとまらない。カタギになれ。政治家を目指したらどうだ」

そう言って、ヤクザの世界から足を洗うよう諭してくれたのが、稲川会の稲川角二会長であり、私の兄貴分だった石井進さん(※後の稲川会会長)である》→政治家という職業の位置づけが興味深いですね。あるいはそういうものかと。私自身、極度の政治不信や政治家不信は国民自体に不利益をもたらすと考えるので避けたいのですが、別に政治や政治家がいいもの、素晴らしいものだとはこれっぽっちも思っていませんし。

……また、いちいち詳述はしませんが、この本には過去の自民党の金権・利権の話、醜い党内抗争と権力闘争の話がこれでもか、というほどたくさんでてきます。「国民の生活が第一」の小沢一郎代表が民主党時代、検察の捜査について「何で俺だけ狙われるんだ」と被害者意識をむき出しにしたのも、この時代の自民党のことを思えば、分からないではないなと感じました。まあ、いつまでも昔の感覚で振る舞う方がどうかしているということでしょうが。

さらにこの本には、衆院予算委員長だったハマコー氏が昭和63年、共産党の宮本顕治氏のことを「殺人者」と呼んだ理由と背景、その正当性についても詳しく書いてあります。こういう記述もありました。

《場内騒然、お互い興奮気味であったため、宮本顕治議長のことを、(中略)宮沢蔵相と、さらに有名な宮沢賢治とがごっちゃになって、「ミヤザワケンジ君は人を殺した」などと、大変に失礼なことを口走ってしまった》

実は私は先日、東北某所の宮沢賢治記念館に行ってきたばかりだったので、この部分には苦笑させられました。ついでなので、ハマコー氏の往事を忍んで「春と修羅」から私が好きな一節を抜き書きします。

いかりのにがさまた青さ

四月の気層のひかりの底を

唾し はぎしりゆききする

おれはひとりの修羅なのだ

 

ちなみに、記念館近くにある「注文の多い料理店」というレストラン兼土産物販売店では、私は大歓迎されたようです。ありがたい話であります。以下、例によってとある事情により「社告」を掲載します。

 

産経新聞は8月31日と9月1日の両日、東京・大手町の産経新聞本社で第13回「産経志塾」を開催するので、参加者を募集しています。ふるってご応募ください。

今回の講師は、拉致被害者「救う会」の西岡力会長(東京基督教大教授)と憲法学者の西修駒沢大名誉教授、俳優で映画監督の津川雅彦氏です。参加資格は中・高・大・院生または30歳までの社会人で、参加費は2日間で1万円(31日の昼食付き)。お問い合わせはウェーブ産経事務局☎03・3275・8134までお願いします。

  ※追伸

 浜田氏の著書について書いたら、たまたまついさきほど、自民党から政治部のファクスに、浜田幸一氏のお別れ会の案内が届きました。9月2日に千葉県木更津市の斎場で営まれるとのことでした。

↑このページのトップヘ